128 魔道国の進むべき道
シャルトーリアがリザシュタットの町に来た日の夜。
リーザ、ファファニア、シャルトーリアの三人で、会談が始まった。
大事な話ということで、人払いがなされている。
部屋には三人しかいない。
会談の内容はあらかじめ決められていたのか、リーザとファファニアはそろって同じようなことを言った。
――魔道国がなぜできたのか
――魔道国がどこへ向かおうとしているのか
「それは一体、何の話……?」
どの国でも、目指すものはほとんど変わらない。
今さら確認することでもない。
民が安全に暮らせる場を提供する、そのためにこそ国はある。
魔物に怯えなくて済むように、命を心配することなく外を出歩けるように国がある。
当たり前すぎて確認する必要を感じない。
(ということは、建国した意味が他にあるということか……)
それならばぜひとも聞かねばならないと、シャルトーリアは思った。
考えてみれば、いくら強力な魔法が使えるとはいえ、魔道士が未開地帯に建国するなど、正気の沙汰ではない。
普通はまず考えない。既存の国で栄華栄誉を極める方が現実的だ。
「タダシの希望は、この大陸から棄民を……帝国でいうなら浪民を無くすことにあるの」
三人しかいないことで、リーザの口調がやや変化した。この場で外面は必要ないと判断したようだ。
シャルトーリアは、リーザの言葉を心の中で反芻した。
こういうとき、相手の言った意味を正しく理解しなければならない。
リーザは、棄民や浪民を無くすためにこの国があるといった。
棄民や浪民は分かる。それを無くすというのは、「殺す」ではないだろう。
どこかへ追い出して「いなくなる」ようにさせる? 国をつくった意味が分からない。
正解はおそらくこうだ、魔道国が棄民を収容する。
もしくは、棄民を集めて魔道国をつくるかもしれない。
大陸中にいる棄民が魔道国の民になり、結果的に「棄民を無くす」ことだといいたいのだろう。
「……? ……ッ!?」
意味を理解した瞬間、思わず「不可能だ!」と叫びそうになった。
帝国の浪民は、西側の棄民とは多少意味合いが違う。
放浪する民という意味を込めて浪民と呼んでいるが、その中には帝国の支配を嫌って出て行った者も多い。
急進的な浪民を叛乱勢力と呼ぶこともある。
帝国が大国としての力をいまひとつ発揮できないのも、彼らの存在があるからだ。
叛乱勢力は、帝国が力をつけるのをよしとせず、税金も払わず、支配も受け入れない。
ことある事に邪魔をする面倒な連中だ。
棄民と叛乱勢力の区別は付きにくく、帝国はまとめて浪民と呼んでいる。
浪民には無気力派、穏健派、急進派(叛乱勢力)などがあり、帝国全土がいまも多くの問題を抱えている。
「普通に考えたら不可能ですわ」
ファファニアが感情を込めずに囁く。シャルトーリアに聞かせるというより、自身で確認しているようにもみえた。
今のは自分に向けられた言葉ではないと判断し、シャルトーリアは無視を決め込む。
「帝国に浪民はどのくらいいるのかしら。たしか専門の機関があったと思ったけど」
「実測できるものではないので類推になるが、約七千万人だ」
別段、隠している数字ではない。各町の人口だって、聞かれれば答える。
それくらいの情報が知られたところで、帝国は揺るぎもしない。
各町には、様々な統計をとる部署がある。そこで、算出されたものの中に、野に下る者の数が含まれている。
毎年どれだけの数が野に下るのか、つまり浪民になるのかは、ほぼ正確な数字が出ている。
あとは、昔から浪民になっている者たちを合算させ、死亡率などから帝国全体の浪民の数が割り出される。
「七千万……多いわね。毎日2億1千万食が消費されているんですもの」
満足に食えていない者も多いだろう。実数はもっと少ないはずである。
帝国に一切寄与しない者たちが、それだけの食料を毎日消費しているのだ。
国政を考える者にとって、それは頭の痛い問題である。
「こちらでも慌てて数を出しましたけど……」
ファファニアはリーザの方を見る。
「正確な数は分からない。でもその半分もいないわ。二千万人くらいかしら……」
国の外に散っている棄民も多く、いくら概算を出したところで、正確かどうかは分かりようがない。
「それだけの数をなくそうというのか……?」
「ええ、そうよ」
「だがどうやって!? 場所がな……いや、あるのか」
それは昨日ファファニアが言った通り。
魔道国は、建物だけあって、人が住んでいない町が他にあるという。
「どうやって……と当然思うわね。それをどうにかするのが魔道国の目的なのよ」
やはり恐ろしい話だったと、シャルトーリアは思った。
どうにもできないものをどうにかする? 正気の沙汰ではない。
「まず問題になるのは住むところですわ。国は、魔物の被害に遭わない安全な場所を民に提供しなければなりませんもの」
「それは魔道王が……解決したと?」
リーザとファファニアが揃って頷く。
正司が本気で取り組めば、未開地帯の中に多くの町ができるだろう。
「だ、だが、食料はどうするのだ。彼らを一カ所に集めて食わせるのは、並大抵のことではないぞ」
「そうね。それに働くところも必要だし、そもそも生活物資だって全然足らない」
シャルトーリアは頷く。どの国も、棄民や浪民を員数には入れていないのだ。
何もかもが、絶望的に足らない。
「消費する物、消費しない物、食料以外にも多くのものが必要ね。だからこの国は『近代化』を行うことにしたの」
「……近代化?」
はじめて聞く名である。いまだかつて一度もシャルトーリアは聞いたことがない。
「大規模生産中心の社会かしら。近代化は、法律も制度もそれに合わせる国づくりね。貿易に力を入れて物流を活性化させるの」
リーザがそう言うと、ファファニアが付け加える。
「それには労働力の確保が急務ですわ。棄民の方々にそれを担ってもらうつもりでおります。既存の国のありかたでは、実情に追いつけません。大規模な社会構造の変化が必要ですし、なにより近代化を推し進めることによって、総生産の莫大な増加が見込めます。いまの国政では、それを受けきれません。支配体制が崩壊します……たとえしなくても歪に変化致します」
「……何を言っているのか分からない」
高度な教育を受けたシャルトーリアだったが、今の話はまるで呪文のようにしか聞こえない。
近代化するとどうなるのか、まったく想像できないため、その先の話をされても、ちんぷんかんぷんなのだ。
支配体制が「歪に変化する」と言われても「何が?」「どのように?」と疑問しか残らない。
かすかに……本当にかすかにリーザが舌打ちした。
静かな室内だからこそ、シャルトーリアは知覚できた。
何に対してリーザが舌打ちしたのか気付いて、シャルトーリアは恥ずかしくなる。
帝国で高度な教育を受け、他人より秀でていると考えていたシャルトーリアだが、ここでは酷く馬鹿のように思えたからだ。
「それは……王国の制度とは……違うのか」
かろうじて自分の分かる範囲で質問を投げかけたが、二人とも首を横に振った。
リーザは説明する。
「工業化は省力化と同義ね。省力化は、労働者たちに余力をもたらすわ。余力は更なる労働、学問、余暇に振り分けられる」
労働は貨幣を生み、学問は研究や改良を産む。そして余暇は芸術を開花させる。
「それを支えるのが食料です。これも整地された大規模場農場と、改良された道具があれば省力化が可能です。食料や工業生産品の余剰分は他国へ輸出され、外貨を獲得します。他国は完成品を購入することにより、設備投資なしに物だけを使用できます」
結果、経済は活性化され、莫大な富が各国で生まれる。
大陸の西側がひとつの大きな商業圏となるだろう。そう二人は説明した。
「そうそう、王国との違いね。これは明らかなことなのだけど……」
商人の国と言われている王国だが、それは商会単位でのこと。
中小の商会が多数ひしめき合って、大きな商業圏を構築しているに過ぎない。
「物をひとつ作るにも、それぞれが別々の所で、別々の協力者がいるのよね」
上着を一着完成させるとしよう。
生地を作る者、縫い合わせる者、ボタンを作る者など、数え上げるだけで多くの人の手がかかっている。
それらの人々は、自らが知る範囲でのみ仕事を受け、余剰分は作らない。
このような職人が互いに交わることなく大勢いて、それが国中で行われている。
「同じ事をバラバラにするのが大きな無駄なのよ。それを無くして効率化させたいわけ。もちろん工業化することのデメリットもあるわ。でも多くの棄民が出ているいま、本当に必要なのは何か分かれば、近代化の必要性だって分かるはずよ」
「…………」
その「分かるはずよ」が分からない。
シャルトーリアには家内制手工業の非生産性が分からないし、部品生産は一括して行った方がよいという発想もなかった。
必要なものは、必要なときに作ればいいのだ。
なぜ使うかも分からないものを先に大量に作る必要があるのか。
日々、食うことが精一杯の人は、そんなことを考える余裕がない。
そう、余裕がないのだ。
リーザもファファニアも正司から近代化の説明を聞いて、最初は「一カ所に集めても連携が取れず、無駄も多いのでは?」と悩んだものだ。
何をどれだけ作るかが問題だ。
必要ないのにどこかの誰かが部品だけを大量に作ったらどうなるのか。
遠く離れた場所ですべて無駄なく作るなど、不可能。
別の工場のことを理解しろと言っているのに等しいのだから。
だがここで、魔道国の特殊性が生きてくる。
高速道路や輸送船があるおかげで、インフラが整備されている。
最初は国家主導で行えば、多少の余剰が出ても、在庫を抱えた人々が困窮することもない。
工場が稼働していくことで必要量は分かってくるし、工業化することによって、品物にかかるコストが大幅に抑えられる。
長い目で見れば、それはかなりメリットのある話だった。
リーザとファファニアはそれぞれ自領へ帰り、それぞれの当主に近代化の話をした。
その結果、恐ろしいことが分かった。
近代化を推し進めると、それに乗った人や国だけが富む。成金の誕生である。
成金――つまり新勢力が生まれる。
その人数が多ければ、為政者にとっても無視できない存在となる。
彼らは有り余る財で、自分の基盤を固めようとするだろう。
既存の古い社会制度では、新勢力の成金たちが収まらないのだ。
つまり社会は、それを見越して先に変化するか、新勢力に打倒されるかの道を歩むことになる。
二人が正司に問いただすと、正司はこともなげに言った。
「国のあり方は変わってくると思います。魔物から人々を守る絶対的安心を与えるのと、自由な経済を国が保証するのです。そのために色んな人の意見を聞いて、毎年、少しずつでも国を……社会を変えていく必要があると思います」
それは正司が一番馴染んだ社会。自由経済社会の理念だった。
そうすることによって、国政は少しずつ産業中心にシフトしていく。
今の国は、大昔からまったく社会構造が変わっていない。
法律や制度ですらそうだ。
法律が現状と合わなくなってきているのは二人とも知っていた。
為政者に都合が悪くなった法律だけは改正するが、それ以外は見直されたことはない。
正司は言う。
これからは色々な立場の人の意見を聞いて、政治を行っていくようになると。
人が毎年変わるように、国も毎年変わっていくと。
「そんな社会はすぐには来ないでしょうけど、芸術や学問が発展して、人々がより多くの貨幣を持つようになったら、いつかはやってくるわ」
だから魔道国は先に、その社会を実現する。そうリーザは言い切った。
「…………」
シャルトーリアは黙ったままだった。
口を開けば、「なんだそれは!」と叫び出しそうだったからだ。
まるで見てきたように話す二人に、シャルトーリアは違和感を覚えた。
これまでにない発想と、これまでにない手法。
(まるでどこからともなく、正解が降ってきたかのような口ぶりではないか)
ゆえにシャルトーリアは反論できない。
あまりに知識が足りなさすぎて、議論すらできそうもなかった。
ゆえにシャルトーリアは、自身の国――帝国はどうなるのかを考えることにした。
自分がよく知っているもので考えてみる。帝国に縋るしかなかった。
だがそれは失敗だった。
(細部はよく分からないが、魔道王の力で国を発展させることを目指していない)
どちらかといえば、その逆だ。
だれが為政者でも国が発展できるシステムを作ろうとしている。
その中核をなすのが棄民。
(未開地帯に町をポンポンつくり、棄民がそこに住みつく。彼らが労働力となって、大きな工場――昨日私が見たあの巨大な建物の中で、生産し続ける)
そこから先は説明されなくても分かる。
生産品は溢れ、高速道路を通じて大陸中に広がっていく。
シャルトーリアは改めて西側諸国を考えてみた。
(このリザシュタットの港町を出港した船はトエルザード公領と王国へたどり着く。ミラシュタットの町はフィーネ公領と接し、トエルザード公領やバイダル公領と近い。ニアシュタットの町はバイダル公領と接し、ラマ国へと通じている)
未開地帯にあとどれだけ町をつくるつもりか分からないが、すべて同じ規模だとすれば、大変なことになる。
帝国を越える生産性を獲得するだろう。
(いや、それだけではない!)
魔道王は棄民や浪民を無くしたいのだと言っている。
(帝国に七千万人いると言われる浪民が力を付けたら……?)
彼らが魔道王のつくった町に住み、生産性を上げ、貨幣を持ち、教育を受けたらどうなるのか。
七千万もの放浪する民が定住した場合、帝国は対処できるか?
そこまで考えて、シャルトーリアはこれまでで一番の恐怖を覚えた。
(魔道王の取り込みに失敗しても、国家間の友好関係が築ければいいと考えていたが……)
それどころの話ではない。魔道王は未開地帯のどこにでも町をつくれる。
帝国のすぐそばに近代化された浪民の町が生まれたらどうなる?
(なんてことだ! 根本から読み間違えていたではないかっ!)
魔道国と敵対するのは得策ではない。身内に取りこむか、友好関係を結んだ方がいい。
大陸の西側に来るまでは、そう考えていた。
あの時点で知り得た情報では、それが精一杯だった。
だが、フタを開けてみればどうだ。
魔道国と敵対すれば滅ぶ。友好関係を結んでも滅ぶ。
何しろ、魔道王は棄民や浪民を無くしたい。
それを邪魔すれば敵対関係となるだろう。
だが、浪民が力をつければそれはすなわち。
(……帝国の滅亡を意味するのではないか?)
考えれば考えるほど、嫌な想像しか湧いてこない。
これまでにないくらいシャルトーリアは追いつめられていた。
「どうしたのかしら」
固まったまま動かないシャルトーリアを見て、ファファニアが小首を傾げる。
「さあ、疲れたのでしょう……今日はお開きにしましょうか。明日もあるわけだし」
明日はミラシュタットの町へ赴くことが決まっていた。
翌朝、シャルトーリアの目にはクマができていた。
一晩中考え込んでいたのだ。
(帝国にあるのは歴史と伝統……あとは軍事大国としてのプライドか)
昨日、ベッドの中で会談の内容を何度も思い返した。
近代化の意味はおぼろげながらだが、理解できてきた。
どうしてそういう発想に至ったのかはまったく分からないが、近代化は多くの問題を解決に導くひとつの政策なのだろう。
正司が推し進めたい国のあり方はほとんど現代社会と同じものだ。
実際、日本でも昭和の初期まで、食料生産はかなり厳しかった。
品種改良されて寒暖に強い作物が出現し、農薬などにより病害虫が克服できてきたことでよくなったに過ぎない。
それまで食料生産事情は決してよいものではなかった。
世界を見渡せば、今でも単位収量が低い国がゴロゴロあるし、機械化されていないことで、いまだに非効率な生産体制を敷いている国も多い。
シャルトーリアが近代化を初見で理解できないからといって、それは致し方ないこと。
だが、そう言ってくれる正司はそばにいない。
「近代化か……歴史と伝統に寄って立つ帝国とは、真逆の発想だな」
そう独りごちるも、シャルトーリアの目指している帝国こそ、近代化に相応しい。
ここまででシャルトーリアは、魔道国に来た目的がことごとく達成できていないことを自覚した。
磨きあげられたファファニアの美貌に負けた。
最先端の教育を受けたと思っていたが、昨夜の話はまったく分からなかった。
シャルトーリアに残されたのは、帝国東方方面軍の長という軍事的肩書きだけである。
さすがにそれだけでは、配偶者候補と目されているあの二人より優れているとは言い難い。
「やはり歴史と伝統に縋るしかないか」
情けない話だが、最後は過去の栄光頼みとなりそうだ。そうシャルトーリアは自嘲した。
〈瞬間移動〉の巻物でミラシュタットの町へ跳ぶ。
ここが最初につくった町だと報告を受けていた。
最初に移民を受け入れたのもここらしい。
町並みは普通で、城も他の二城に比べて小ぶりだった。
それでも帝都の城と並ぶほどには大きかったが。
やはり〈瞬間移動〉の巻物を使って町中や工場を見て回る。
驚くことこそあれ、それは想定の範囲内。
たしかにこの町も規格外なのだなと思うものの、さすがに三日目になると「慣れ」もある。
(鉱山にまで高速道路が通っているとは思わなかったが)
産業だけでなく、資源確保にも気を使っているらしい。
広大な穀倉地帯や鉱山、それに工場と、人々が必要なものはなんでも揃えられる環境がそこにあった。
昼食を終えたところでミラベルが帰ってきたという。
「帰ってきた……?」
不思議に思ったシャルトーリアだが、どうやらこの町の名を冠したトエルザード家の次女は、あろうことか、未開地帯へ出かけていっていたらしい。
「あの子のことは半分諦めたわ。大きく迷惑を掛けない限りは、放っておくことにしたの」
そのかわり、やらかしたら責任を取らせることに舵を切ったのだという。
聞けばまだ十歳だという。何をどうしたら「諦めた」などという言葉が出てくるのか。
「ちょうど訓練の総仕上げをするらしいから、見に行きましょうか」
「訓練……?」
未開地帯といい、訓練といい、何を言っているのだとシャルトーリアは考え込む。
魔道国に来てから予想外のことばかり起きすぎて、自身の常識がいかにアテにならないことか思い知らされている。
そのため、未開地帯や訓練と聞いても、自分の常識内で答えを出さない方がいいと感じていた。
移動中に聞いたところ、この町では兵を輸出しているらしい。
その訓練のため、未開地帯で演習をしていたというのだ。
(未開地帯で演習とは豪気な。いや、頭が悪すぎる)
被害ばかり多くて効果などたかが知れているとシャルトーリアは考えた。
未開地帯に入って強くなれるのならば、帝国だってやっている。
あの場所は生きるのに必死。決して訓練や演習になるような土地ではない。
「これから何をやりますの?」
折良くファファニアがリーザに尋ねた。シャルトーリアは耳を澄ます。
「いまから軽く集団戦をするんですって。それから選抜メンバーで勝ち抜き戦って言ってたわ」
「まあ、それは面白そうですわね」
どうやらこれから軍事訓練がはじまるようだ。
それならばシャルトーリアでも分かる……というか、本業のひとつだ。
(よかった。この町はまともそうだ)
一応警戒していたが、すべて常識の範囲内でおさまりそうである。
幾分臆病になっていたなとシャルトーリアは反省し、リーザとファファニアに連れられて、練兵場へ赴く。
「あっ、始まっているみたいね」
「そうですわね」
鬨の声がここまで響いてきた。
なかなか精強そうな雰囲気ではないかとシャルトーリアが練兵場の二階にあがり、閲覧席から下を覗き込むと……。
――そこに地獄が広がっていた
あり得ないほどの練度を持った兵たちが、これまたあり得ないほどの勢いで集団戦を繰り広げているのだ。
「なっ!?」
「おー、やってるわね」
「強そうですわね」
驚愕するシャルトーリアとは裏腹に、リーザとファファニアは楽しそうに観戦している。
それもそのはず、練兵を施した兵たちが各町に派遣されているのだ。
二人ともこの程度ならば見慣れている。
一方のシャルトーリアは、開いた口が塞がらなかった。
これは訓練とはいえない。真剣勝負そのもの。
事実、槍を握った利き腕がクルクルと回転しながら宙に舞っている。
「ど、ど、ど、ど……」
どういうことだと言いたかったが、舌が回らなかった。
叛乱でもおきたのかと思うのだが、シャルトーリアを除いて周囲の者たちは平然としたままだ。
熱気というよりも殺気にあてられて、シャルトーリアはヨロヨロと手すりに掴まった。
ここは練兵場を上から見下ろす場所。
真下に目をやると、腹に槍を生やした兵が壁際に駆けよってきた。
(あれは致命傷……もう長くないな)
内臓が傷つけば、どれほど治療しても死あるのみ。
可哀想にとシャルトーリアが見ていると、壁に控えていた者が一人、列から離れ、その兵のもとへ行く。
(あれは……巻物? 詠み上げ……えええええっ!?)
最後は声に出していたかもしれない。
槍を生やした兵の身体が光り、すぐに元に戻ったからである。
兵は一礼すると剣をしっかり握りしめ、戦闘のただ中に戻っていった。
まだ戦うらしい。
気をつけて見てみれば、重傷を負った者は戦いの場から離れ、巻物の治療を受けている。
それが済むとまた、戻っていくのである。
(もしかしてあれ……〈回復〉の巻物……か?)
目の前で見たのだ。それ以外にありえない。
シャルトーリアの常識では、訓練で〈回復〉の巻物を使う方がありえない。
だが怪我をした兵は壁際に控えている者のそばへ赴いている。
そこで惜しげも無く〈回復〉の巻物が使用されている。
「……ハハッ」
つまりこれはこの町の常態。
とりたてて珍しいことではないのだ。
「ハハッ……」
もう笑うしかない。
取れた腕が生えているのだ。
あの巻物を一本でも皇帝に献上すれば、帝民ならば貴族位くらい貰えるだろう。
非現実的かつ非常識な訓練がここで行われていた。
(そういえば……)
先ほどなんと言っていたか。
軽く集団戦をしてから勝ち抜き戦をするとシャルトーリアは聞いた。
つまりこの訓練は、「軽く」戦っているのだ。
では普段はどんな訓練をしているのか。
彼ら全員が、シャルトーリアをして目を見張る練度を誇っている理由が分かった。
と同時に、自分の部下がここに交じったらどうなるのかを考えて、背筋が寒くなった。
間違いなく勝てない。大人と子供くらいの力量差がありそうなのだ。
「……まさか、軍事でも上をいかれている?」
つい呟いてしまった。
シャルトーリアはすでに周囲に気を配る余裕が残されていないことを自覚した。
唯一のアドバンテージだった軍事方面ですら、この有り様なのだ。
政治や経済、そして軍事……もはや、取り繕うことができないくらい、帝国との差が開いている。
「――やめい!」
全員の動きがピタリと止まった。微動だにしない。
いっそ清々しいほどの硬直ぶりだった。
命令が末端まですぐに届くのは軍隊の美徳だが、ここまで徹底されると逆に恐ろしくもある。
声を発したのは偉丈夫。それがテントの中から出てきた。
その姿を見て、シャルトーリアは足下から震えが登ってきた。
「ライエル将軍のお出ましね」
練兵場に張られたテントの中にいたため、これまで姿を見ることができなかったが、どうやらずっと集団戦を観戦していたらしい。
鍛え抜かれた体躯は、歴戦の戦士そのもの。
あれが噂の常勝将軍かと、シャルトーリアは気を引き締めた。
馬鹿げた話だが、コインで四十代くらいまで若返ったというのを聞いたことがある。
まったく信じていなかったが、魔道国の現状を見れば頷ける。
本人を見て確信した。確実にあれはライエル将軍だ。
魔道王は、楽々とコインを揃えるくらいの実力を持っていることを意味する。
(あたりまえか。あれほどの〈土魔法〉や〈瞬間移動〉の魔法を使えるのだ。魔物狩りができなくてどうする)
どうやら集団戦は終わり、いまから勝ち抜き戦が始まるらしい。
兵たちが忙しく準備をしている。
それはいい。それはいいのだが、シャルトーリアにはひとつ気になることがあった。
(ライエル将軍の肩に乗っている少女は……なんだ?)
ライエルの右肩にちょこんと座る少女。
一応革鎧を身に付けているが、場違いであること甚だしい。
どこかの貴族令嬢に見えるが、なぜ将軍の肩にいる? 娘か? いや年齢を考えたら孫か曾孫だ。
どこかの女性に将軍が産ませた子供かとグルグル考えていたとき……。
「ミラベルったら、またあんなところに座って……」
「ふふっ、定位置ですものね」
訓練を終えた兵を町に派遣するとき、必ずライエルが付き添っている。
ミラベルも。
ゆえに各町では、ライエルの右肩に乗る少女は有名であった。
たまにヒマなのか、ライエルの腕を滑り台かわりにする。
巷では『手乗りミラベル』と呼ばれ、それを見た者は、その日は幸運が訪れると言われている。
(トエルザード公の次女か……なぜ肩に? いやそれよりも危険だろ)
ライエルのそばなら危険でもないのか。
やはりシャルトーリアにはよく分からなかった。
舞台が調えられると、勝ち抜き戦はすぐに始まった。
練兵場を六つに区切って一対一の戦いが繰り広げられていく。
軍人らしく、余計な間はない。最初から予定されたかのような動きだ。
そしてシャルトーリアは、先ほどの集団戦が「軽く」だったことを知る。
――今度は本気だ
そう思わせる戦いが始まった。
凄まじい剣の連撃があったかと思えば、相手がそれをすべて弾く。
大地を揺るがす棍の一撃を受け、足下の大地がひび割れる。
およそ人類最高の決戦がここで行われているのだと思えるような戦いが続いた。
「全体的に腕が上がったのかしら」
「そうですわね。ですが少々……煙たいですわ」
集団戦のときに気にならなかった砂埃が鍛錬場に舞う。
どうやら大地を抉るほど深く踏み込み、表面を削るほど踏ん張ることで、砂埃が舞い上がるらしかった。
(こ、こんな戦い……どこでも見たことがないぞ)
まさに一騎当千。たったひとりで戦局を覆しかねない猛者ばかりである。
「これに勝ち残ると各町に配属されるのよね」
「そうですわね。ですからみなさん必死ですわ」
「まあ、あの補欠の中にずっといたら、何のために鍛えているか分からないものね。努力は報われないと」
「ええ、まったくですわ」
「はいい!?」
シャルトーリアは思わず聞き返してしまった。
「言ってなかったかしら。この町では、兵を鍛えて送り出しているのよ。将軍の合格をもらわないと町の守備兵になれないから、みんな必死なのよね」
「…………」
あれ? ナニかおかしいぞ? どういうことだ? とシャルトーリアは考える。
シャルトーリアは虚を見つめて意識を集中させる。
今の話を総合すると……いや、総合しなくても、言いたいことは至極単純なことだ。
それでも全力で意識を集中させて、頭に思い浮かんだ事実を確認する。
――ここにいる彼らは二軍。いわば控えの存在。
そういうことなのだ。
(つまり一軍はこの上をいくと……!?)
何か聞いてはいけないものを聞いてしまった。
そんな思いがある。
シャルトーリアは周囲をすばやく見回した。
ここにも何人か守備兵が立っている。
(彼らは……アレに合格したというのか)
普段のシャルトーリアは、その辺に立っている兵に注意を払ったことはない。
いて当たり前の者をいちいち気にする必要はないのだ。
そのため、ここでようやく「あること」に気付いた。
「あの装備……」
みな同じ装備を身につけている。簡素な革鎧だ。
魔物と戦う者、それも最前線で魔物の攻撃を受ける者以外で、フルプレートの鎧を纏う者はいない。
町の守備兵に求められるのは、迅速に移動できて、すぐに戦えること。
そのため、シャルトーリアは気付くのが遅れた。
彼らが纏っているその革鎧が、何でできているのかを……。
「魔物の革でできているわ」
シャルトーリアの視線の意味に気付いて、リーザが説明する。
守備兵の鎧は正司が作製しているらしく、すべて高グレードの魔物の革が使用されている。
いまいる二軍は「あれが欲しくて」戦っている面もあるようだ。
「あれだけ強いのに……鎧まで?」
絶望的な気分になるシャルトーリアであった。
というか、巻物や魔道具だけでなく、革鎧までつくれるのかと、シャルトーリアは魔道王に対する認識を……いやもう、魔道王って何人いたんだっけ? と訳の分からないことを考えていた。
到底一人で習得できる技術量を越えているのだから。
「あっ、ヘマしたみたいね」
どうやら避けそこなったらしく、首に深々と剣が突き刺さっている。
急いで巻物を詠み上げ、事なきを得たが、「たるんどる!」と胴間声が聞こえてきた。
ライエルが怒っているのだ。
その辺にいた兵たちを文字通り蹴り飛ばし、「いいか、見ていろ」と中央に仁王立ちになった。
「デモンストレーションが始まるみたいね」
「まさか……演舞?」
ライエル将軍の剣の冴えが見られるのかと、シャルトーリアが手すりから身を乗り出すと、将軍の肩に停まっていたミラベルがぴょんっと降りた。
「じゃ、いくよーっ」
かけ声とともに、中空を駆けた。
「えええっ!?」
何度目かの驚きだろうか。
少女が空中を足場にして、ライエルと戦っているのだ。
――ガキィーン!
少女――ミラベルが使う細い鎌が、ライエルの首筋を狙う。それをライエルが防ぐ。
直後の反撃をミラベルが空中で一回転して避ける……だけでなく、無詠唱で氷の槍を放った。
氷の槍は一本、二本目と将軍の身体を外れ、地表を広範囲に凍らせる。
三本目を将軍は黒い穂先の槍で弾く。
「あちゃーっ、だめだったか」
「なんの!」
10歳の少女とライエル将軍が互角に戦っているが、その秘密は、ミラベルが纏っている装備にあった。
シャルトーリアは見た。ミラベルが動くたびに革鎧が光り、魔法的な何かが使われている。
装飾品もすべて魔道具のようで、髪留め、イヤリング、首飾り、指輪とどれも攻撃や防御に関するもののようだ。
無詠唱で魔法が打てたのもそれに起因するとシャルトーリアはみた。
だがそれでも、伝説になったライエル将軍と互角に戦えるものだろうか。
「〈身体強化〉の使い方もうまくなりましたわね」
「そうね。最初は壁まですっとんでいったけど、いまは使いこなしているわ」
「…………」
いま〈身体強化〉って言った! 絶対に言った! とシャルトーリアは心の中で絶叫したかった。
ありえない、何もかもがありえないのだ! そう大声で叫ぶことができればどれだけ楽か。
心の平穏を保つには、木の虚に顔を突っ込むしかないのか。
驚き疲れ、嘆き疲れたシャルトーリアだが、最後の……それこそ最後の意地でその場に留まった。
(あの少女だけが特別。あれは別格。規格外。だから平気……私は平気)
呪文のように何度も唱え、心の平穏を取り戻していく。そんなとき……。
「あっ!」
――バキィン!!
ミラベルが蹴った槍の柄が折れて、漆黒の穂先が回転しながら閲覧席へ飛んできた。
「どわっ!?」
慌てて後ずさるシャルトーリアとは対照的に、リーザもファファニアもそのままだ。
危ない! そう思ったシャルトーリアだったが、二人に当たる直前、見えない壁に弾かれた。
「キン」と甲高い音を響かせて、上空に跳ね上がる穂先。
「……魔道具?」
どうやら自動発動するタイプの魔道具を身につけているらしい。
穂先はリーザの上空でクルクル回ったまま落下する。
「ミラベル、ここに来賓がいるのよ」
底冷えのする声が発せられた。
「お、お姉ちゃん……ご、ごめん」
「気をつけなさい……さもないと」
落下してくる槍の穂先をリーザが掴む。
刃を潰してあるとはいえ、大胆な行動である。
「さもないと……?」
「キャンって言わすわよ」
リーザは、槍の穂先を握りしめた。
あわれ、ライエルの槍は、その手の中で砕け散った。
「ひゃ、ひゃいっ!?」
それを目の当たりにして、ミラベルが首をすくめる。
ライエルと互角に戦う少女をひと睨みで黙らせる女性。
「宝石砕き……」
サロンに流れる二つ名を思い出し、シャルトーリアの意識は暗転した。