126 会談と毒
ニアシュタットの城内にある貴人を迎え入れる部屋。
シャルトーリアと対面したファファニアは、上品な仕草で室内を示した。
「何もないところですけど、心を込めておもてなしさせていただきますわ」
ファファニアにそう告げられて、シャルトーリアはようやく我に返った。
「これはご無礼しました」
ファファニアたちの姿を見て思いがけず動揺したシャルトーリアは、素速く頭を働かせる。
シャルトーリアが機先を制されたのは分かる。
問題は『なぜ』そうなったかだ。
(事前連絡は……ありえないな。だとすると、これが彼女の常態なのか?)
今回の訪問、シャルトーリアはできるだけ魔道国側に知られないようにしてきた。
帝都サロンの意趣返しも入っている。
サロンの招待客すべてが、度肝を抜かれたのだ。
シャルトーリアはあの場で敗北を悟った。変に取り繕ったところで、ほころびは出てしまう。
そのためルンベックと正司を皇族であるシャルトーリア自らが招待し、もてなした。
最高の待遇を与えることで、何とか面目を保ったのである。
今回は逆だ。国境付近までできるだけ身分を明かさずに来た。
本来ならば、ラマ国にいる時点で国主に使いを出し、もてなしを受けてからゆるゆると出発するのが常である。
常識破りとも言える隠密行脚を選択したのも、魔道国側に受け入れ体制を調えさせないことにあった。
その目論見は早くも崩れてしまった。
ファファニアがシャルトーリアの来訪を知っていたはずがないのにだ。
国境でシャルトーリアが身分を明かしてから、さほど時間は経っていない。
部屋で少し待たされた程度だ。にもかかわらず、万全の体制で出迎えられてしまった。
(ファファニア嬢のみならず、侍女まで着飾っているのはどうしてだ。これではまるで帝国のパーティ会場から抜け出たみたいではないか)
バイダル公家が日頃から贅沢三昧している話を聞いたことがない。
だがシャルトーリアが見るところ、ファファニアの磨きっぷりは常軌を逸している。
そんじょそこらの手間では、こうはならない。
シャルトーリアならば、数ヵ月はみっちり身体を磨き込んでなんとかというレベルだ。
(もとの素材が互角だとしても、これでは完全に見劣りするではないか)
シャルトーリアは自身の美貌に自信を持っていた。
だが長旅で疲れ、いま着ている服はドレスとはほど遠い。
もちろん最高の布地を使った贅沢なものだが、旅の関係上、動きやすさを重視している。
(おそらくだが……煌びやかさでは、侍女にも負けたな)
斬新なデザインの衣装を身に纏い、極限まで磨き上げた身体。
肌や髪質は遠く及ばず、健康体そのものであるにもかかわらず、まるで深窓の令嬢のように儚げにもみえる。
そんな者たちがファファニアの後ろで控えているのだ。
バイダル公家の貴族令嬢だろうが、帝国貴族にも劣らない豪華さだった。
そう評すことができたのは、シャルトーリアが健全な目を持っていたからであり、彼我の戦力を分析することに慣れていたからでもある。
そもそも、正司がつくりあげた美を追究する魔道具の類いがあれば、器量の良い若い女性ならば、それなりの淑女に化けさせることは可能なのだ。
今回なぜ、ファファニアの侍女までもが着飾っていたのか。
間の悪いことに、ファファニアたちは自らの身体を犠牲にしてでも、町の発展のために尽力していたのである。
つまり、「この町に湯治にくると、こんなに美しくなれますよ」という広告塔になっていた。
連日、各国の貴婦人たちがやってくる。美を追究したい者たちがファファニアを見て、「自分もこうなれるのかしら」と夢を抱くのである。
それは年を召した婦人だけではない。
妙齢の女性は「あこがれの殿方にもしかしたら目を留めてもらえるかも」と夢想するし、淑女見習いほどの少女に至っても、「こんなにキレイになれるのね」と将来に胸を膨らませるのである。
ゆえにファファニアの侍女たちには、各年代の女性が選ばれている。
シャルトーリアはそれらを目にすることになってしまったのだ。
そもそもファファニアたちは、地位や名誉、大金を持った女性を相手にするわけである。
ファファニアだけを磨き上げても意味はないのである。
お付きの者たちがファファニアから一歩も二歩も劣るようでは「なあんだ、一人だけ徹底的に磨き上げたからそう見えるだけじゃないか」と思われてしまう。
ゆえに町の発展のためには、侍女こそ徹底的に磨き上げる必要がある。
選りすぐりの美少女から美女までを「最初が肝心」だと言い聞かせ、連日連夜、身体を磨き上げることに邁進していたのである。
そして正司がアドバイスした美容や新しく開発中の化粧品の実験台にもなっている。
それこそ頭のてっぺんからつま先まで気合いを入れてつくりあげたのだ。
素材がいいとはいえ、何も知らずにやってきたシャルトーリアが、敵うはずがなかった。
「こちらにお座りになってください。いろいろお話を伺いたいですわ」
おそらく大陸の西側で、上品さだけを抜き出せばファファニアが随一。
完璧な作法と、完璧なリードでシャルトーリアを席に誘導する。
一方のシャルトーリアも、ファファニアに負けず劣らず、優雅かつお淑やかに振る舞うことができる。
だが普段は軍人として生活していることもあり、また本人の性格もある。
そしてなにより、ファファニアに機先を制されて我を忘れたほどである。
形だけは何とかなったが、完璧さとはほど遠いものとなった。
シャルトーリアがファファニアの身につけている装飾品に目をやる。
どこでそんなと思うようなアクセサリ類である。
また、爪には意匠が施されている。これは帝国にはないものだった。
(文明や芸術は帝国が最高で、西側は芸術が理解できない野蛮な者たち……だったかな)
シャルトーリアが小さい頃、家庭教師から西側について学んだ情報がそれだった。
しかも、最近になっても船を使った交易商人が西側を評して、同じことを言っていた。
今ならば分かる。
彼らは皇女たるシャルトーリアに遠慮していたのだ。
帝国が最高だと言わねばならぬ身ゆえに、必要以上に西側を貶めていたことが分かった。
(それをこんなところで分かりたくなかったな)
ファファニアたちの姿を見て、西側は芸術を理解しない野蛮な者の集まりとだれが言えようか。
「ニアシュタットの町を見て、とても驚きました。さすが魔道国と感服いたしました」
ここでシャルトーリアは予定を変更する。ファファニアを見下す相手から対等な人物と認めた。
最初は出会い頭に上下関係を分からせる予定だったが、それはもう諦めた。
この辺の切り替えの速さは天性のものであろう。
何くわぬ顔で、ニアシュタットの町を褒めた。
同時に、少しでも多くの情報を聞き出すべきだ。そう決意した。
今回、国境を越えてから初めてづくしなのだ。
見て帰ってくるだけならば、だれでもできる。
そしていま、帝国の人間でここに来たのは自分が初めて。
ならば少しでも多くの情報を持ち帰らなければならない。それが帝国のためと自身の使命を理解した。
シャルトーリアが人知れず決意を固めている中、ファファニアはファファニアで突然皇女がやってきたことに驚きを隠せないでいた。
だがそれを表に出さない教育は施されている。
また、報告が先にあったことも大きい。
迎えを行かせている間に、心を落ちつかせることができたのだ。
そしてファファニアは考えた。
(皇女殿下の思惑は思惑として、これは帝国から人を呼び込む商機ですわ!)
意外とちゃっかりしている。
そう考える時点で、まったく淑女らしくないのだが、博物館で働いた経験が活きている。
ニアシュタットを観光の町として発展させていくと誓った身としては、当然の考えでもあっただろう。
かたや「情報を引き出してやる」と意気込んだシャルトーリア。
かたや「これは商機」と意気込んだファファニア。
二人の会話が、ニアシュタットの町についてとなったのは、致し方ないことであろう。
ニアシュタットの町は温泉街である。しかも正司が凝りに凝ってつくった町。
目を楽しませる建物群と、観光客に使いやすい町並み。
そして話題となるように人々を大いに驚かすギミックが目白押し。
ミラシュタット、リザシュタットに続いて三番目の町ともなれば、建築にも余裕が出てくる。
随所に拘りを見せることができていた。
とにかく巨大建造物にはことかかない。
さらに、魔道具によるリラクゼーション施設もある。
それをファファニアが説明し、シャルトーリアが熱心に聞く。
興奮し、徐々に顔が上気するファファニアに対し、次第に顔を青ざめさせていくシャルトーリア。
「お話だけではあれですし、ご覧になった方が早いですわね」
「そ、そうですね。実際に見ないとなんとも……」
実はもうお腹いっぱいのシャルトーリアに、ファファニアは「では参りましょう」と侍女に目配せした。
「……えっ?」
参るというのは、話題に上った町の名所だろうか。
それを今から巡る? まさかとシャルトーリアが耳を疑っていると、侍女が腰の袋から巻物を取り出した。
「ええっ!?」
正司が「巻物入れにいいですよね」と渡した魔道具の袋である。
初期のもので少々無骨だが、ファファニアの侍女には大人気だった。
主人が求めるものをすべて携帯できるのだ。便利この上ない。
(あれは何だ? 魔道具か?)
初見だったこともあり、シャルトーリアはおもわずそれを凝視してしまった。
魔物の革の小物入れだろう。袋口は人の手を広げたくらい。
そこから巻物を取り出したのである。
「タダシ様からいただきましたの」
それは巻物のことを言ったのか、それとも……。
どう返していいか分からないシャルトーリアに構わず、侍女は巻物を読み上げた。
それはシャルトーリアが知っている呪文だった。間違えようがない。
侍女が読み上げたのは、〈瞬間移動〉の巻物だった。
「同じ町中へ行くのに……!?」
思わず口に出てしまった。だがその声がファファニアに届いたかどうか。
気がついたら外にいた。シャルトーリアとその護衛たち。そしてファファニアと侍女たちは、ファファニアの塔の真ん前に出現したのだ。
塔の守衛が、現れたファファニアたちを見て軽く頭を下げる。
別段驚いた様子はない。それどころか、周囲を歩いている人たちですら、驚愕している者は皆無だった。
「ここが先ほどお話ししたランドマークのひとつでございます」
シャルトーリアが見上げるが、これほど高い塔は見たこともない。
「ここは……何に使うのだ?」
帝国の技術の粋を集めても、これほど高層な建物は不可能だ。
「それはでございますね……」
ここではじめてファファニアが言いよどんだ。
「ああ、機密であったか」
軍事施設だとシャルトーリアは見当を付けた。
「いえ……あの……その(ごにょごにょ)」
「ん? すまない、どうも聞こえなかったようだ」
「……ません」
「はっ?」
「使われておりません。当初は、町の運営をするための施設にしようと思ったのですが、階段の上り下りが不便だという意見が出まして……タダシ様があの城を建てたのでございます」
「……えっ?」
耳が……よく……聞こえない……。
わけではなかった。ちゃんと聞こえた。
だが、シャルトーリアの脳が理解を拒否したのだ。
あの帝国最大の城をしのぐファファニア城は、塔の上り下りが面倒だからと建てたらしい。
「たしかに、そのような理由で文句をいうのはおかしいと分かっているのですが、タダシ様はお優しいので、『横移動でしたら楽ですね』と仰って……」
「そういえば、あの城はやたらと横に長かったような……」
「後から建てたので、立地の問題もございますが……まあ、そういうことでございます」
帝国の威信が地に落ちた瞬間だった。
「それでは上に参りましょう」
侍女が巻物を読み上げ、塔の上に跳んだ。
「下の町はたしか……迷路と言ったな」
「はい。娯楽施設でございます」
「小さな町くらいの規模があるのではないか?」
「そ、そうなのです……一般開放すると落伍者が続出しそうで、中に入る人に持たせる魔道具を準備中です」
救難信号を発しつつ、建物を素通りして上に光の柱が上がるような魔道具を用意している。
そうでもしないと、数日間も行方不明とか、ミイラ化した遺体を発見したなどということにもなりかねない。
そんな説明を聞いたシャルトーリアは、迷路をどう評価していいか分からなかった。
すくなくともそれは、娯楽とは言わないのではないか。そう感じたのであった。
何しろ、詳しい説明を聞けば聞くほど凶悪なのだ。
視界は効かず、階層も不明。最短距離で十キロメートル以上歩かないと、出口に辿り着けない。
わざと似たような部屋、階段、段差があり、自分がどこにいるか分からないようになっているという。
「挑戦されますか?」
「丁重にお断りさせていただこう」
シャルトーリアは、何があっても絶対に中には入らない決意を固めた。
皇女が魔道具で位置を知らせて救援を求めるなど、恥ずかしすぎる。
その後もアーケード街や、釣り堀、ギリシャ風建築様式の闘技場、大浴場つきのホテルなどなど、正司考案の施設を跳んで回った。
もちろんシャルトーリアは、途中から理解が追いつかず、ずっと黙ったままだった。
帝国に暮らしていたら、それも軍人という職業に就いていたら、そうそう物珍しいものを見たりはしないものである。
「この次は浄化施設と遊水池をお見せします。雨水を溜め込む地下施設はどうされますか?」
「…………」
シャルトーリアが黙ったことを了解ととったのか、ファファニアは短距離の跳躍を繰り返し、ニアシュタットの町を最後まで見学して回るのであった。
その日の夕方。
夕食にはまだ少し早い時間帯だったが、疲れただろうということで、見学はお開きとなった。
目まぐるしいほど短時間の見学だったこともあり、シャルトーリアもすべて覚えきれなかった。
だが、ファファニアの思いは伝わった。
(ファファニア嬢にマウントを取られてしまった……)
最終的に考えついたのがそれである。つまり、ファファニアの思いは伝わったようで、伝わってなかった。
ニアシュタットの町はすでに、完成されていた。
不思議なことに人々が暮らす町並みは、昨日今日つくったようには見えなかった。
(これが魔道国、これが魔道王の実力……)
何もかも打ちのめされた気分だった。
帝国が何もないところに町をつくり、ここまで発展させようと思ったら、何十年、いや何百年かかるだろうか。
これだけの広さを用意し、安全を確保し、人々が生活できる環境を整えるのに、どれだけの人とどれだけの金が必要なのか。
(三十年かけて外壁ができるくらいだろうな)
帝国が威信をかけて取り組み、他をほったらかしていいのならば、その半分でできるだろう。
だが、予算を限界まで使ったとしても外壁ひとつつくるのに、それだけの年数はかかる。
それに加えて巨大な城や、みたこともない魔道具の数々。
そもそもほとんどの通りに灯りの魔道具が備え付けてあるのがおかしい。
帝国ならば、七日経たないうちに、みな盗まれてしまうだろう。
帰城してすぐ夕食となった。
「どうぞお召し上がりください」
「これは結構なものを……」
シャルトーリアは絶句した。
新鮮な海産物が並んでいた。どれもシャルトーリアの好物である。
シャルトーリアは東方方面軍の団長である。
任地の関係上、海産物と縁がある。
そしてシャルトーリアは帝都にはない、海の幸が大好きだった。
だがここは陸地。未開地帯の中にある町である。
(これも〈瞬間移動〉で取り寄せたのか……まさか魚を運ぶために巻物を使っているわけが……いや)
シャルトーリアの前に並んでいるはどれも新鮮なものを調理している。
昨日今日捕れた魚や貝が並んでいるのだ。答えは明白。
(そういえば、見学だけで数十回は跳んだな)
なぜか虚しく感じてしまった。これまでの価値観が崩壊したのだ。
〈瞬間移動〉の巻物を持っているのは帝国では自分だけ。そう思っていた頃が懐かしい……いや、恥ずかしい。
ここでは、移動が面倒なとき、普通に使っている。
「……というわけで、四つ目、五つ目の町はそのままにしてありますの」
「えっ!?」
相手ありの食事。しかも歓談に気を使うべき人物。
その会話を聞き逃すなど、滅多にないことだった。
多くのことがありすぎて注意が散漫になっていたし、頭の中で整理しなければいけないことも多すぎた。
「申し訳ありません、聞き逃してしまいました」
素直に聞き返すしかない。聞き流して適当にイエスかノーを言っていい相手ではないのだ。
「タダシ様が他に町をいくつもつくられたのですけど、管理する者がいないので、今のところ無かったことにしましょうと……そう決まりましたの」
「町を……なかったことに……ですか?」
「はい。どの国も人材不足ですもの。しばらく凍結することになりました」
ファファニアの意図に、シャルトーリアは気付かなかった。
もう少し注意深くしていれば、気付けただろう。
いや、それでも意図に気付くのは難しかったかもしれない。
これがリーザのような相手ならば、「気は抜けない」と頭をフル回転させて対応したことだったろう。
ファファニアの場合は違った。ふんわりとした表情に、何も裏で考えていなさそうな雰囲気。
その上、何気なさを装っていた。
しかも帝国の諜報部が知ったら涙を流して喜ぶ情報を口にしたのだ。
そのため、シャルトーリアは食いついた。
「人材とは……町を治める者がいないのですか」
つい、確認してしまった。これでこの話は、二人の間で続けなければならない。
ファファニアがいまの質問に答えれば、シャルトーリアもそれを無視するわけにはいかない。
「はい。魔道国はずっと人手不足です。それを解消することはこの先、見込めないでしょう」
何しろと、ファファニアは魔道国の現状を説明した。
この国を運営しているのは、各国から移ってきた者ばかり。
もちろん魔道国の住民となったが、建国したてで生粋の住人ではない。
町が増えても同様。
「みなさま優秀な方々です。ですが、どの国もそれほど余剰の人員を抱えているわけではありませんわ」
ファファニアは本当に困った顔をする。
建物はすぐできても、運営できる人材はすぐには育たない。
町ばかりが増えても人は増えないと、ファファニアが懇切丁寧に説明した。
「ですが魔道王に協力しようという方が……」
ここでシャルトーリアはひとつ気付いた。
ファファニアは魔道王のことを「タダシ様」と呼んでいる。
シャルトーリアという皇族を相手にしてもだ。
つまり魔道王――正司から、公式にそう呼ぶことが許されている。
そしてシャルトーリアが魔道国へ来た意図。
それをファファニアに見抜かれたと悟ったのだ。
(迂闊だったな。ここで上下関係ができてしまった)
いくら名前で呼ぶことが許されても、この場で――魔道王がいないこの席で「タダシ様」などと親しげに話すはずがない。
ファファニアほどの教育を受けた者ならばなおさらだ。
(またマウントを取られた……)
これからファファニアと会話を続けるたび、シャルトーリアは「魔道王」と呼ばねばならず、ファファニアは「タダシ様」と親しげに呼ぶことになる。
(さりげなく毒を仕込んでくるとは……)
これだけ距離が離れているのだと見せつけにきたのか、もはやお前の入る余地はないと牽制したのか。
悔しさが顔に出ないよう、シャルトーリアは意志の力で頬の筋肉を引き締めた。
いずれにせよ、シャルトーリアの意図を見抜かれたゆえの措置であるのは明白だった。
だからであろうか。
ファファニアが仕込んだもう一つの毒には、シャルトーリアは最後まで気付かなかった。
シャルトーリアとファファニアの話題はもっぱら魔道国について。
最後はアルコールも入り、話もはずんだところでお開きとなった。
「本日はとても楽しかったですわ。今宵はゆっくりしていってくださいませ」
「ああ、お言葉に甘えさせてもらおう」
「温泉に浸かって、疲れを落としてくださいまし」
ファファニアはシャルトーリアに温泉を勧め、シャルトーリアは快く受けた。
当然、ファファニアはお付きの者を何人かつける。それをシャルトーリアに付けることを約束した。
このファファニア城の中には、高貴な人用にいくつも温泉がつくられている。
シャルトーリアが存分に温泉を堪能できるだろう。
湯上がり後は、これまた高貴な人用にと設置されたマッサージチェアに座り、全身をリラックスさせることだろう。
「……バカじゃないの?」
取り付く島もない言葉を発したのはリーザ。
シャルトーリアが温泉を堪能していた頃、ファファニアの部下が、リーザ城に現れた。
本日の顛末を書いて寄越したのである。
「さすがにお言葉が……あれでも皇女殿下ですから」
ファファニアの側近が持ってきた手紙には、シャルトーリアがニアシュタットの城を訪れてから夕食時にした会話までが書かれている。
「だってそうでしょ。ここに書いてあるのが真実なら……魑魅魍魎の跋扈する帝国も、落ちたものね」
リーザは鼻を鳴らす。
手紙に何が書かれていたのか。
それは、ファファニアが魔道国にはまだ人が住んでいない町があるとポロッと漏らしたことに端を発する。
もちろん、ファファニアはわざとだ。
シャルトーリアの反応を窺う意味が込められていた。
それに対し、シャルトーリアは「どのような人材が足りないのか」から始まって、町の大きさや収容できる人数、必要な職人の数などを尋ねた。
ファファニアはそれらの質問に答える。隠すことせずに。
シャルトーリアは、質問するだけで知りたい情報が労せずもたらされるのだ。
リーザがバカじゃないのと評したこと。
シャルトーリアが「知りたい」ことが労せず得られるのだ。
そう、つまりシャルトーリアが知りたいことがファファニアに……ひいてはリーザにも筒抜けになってしまった。
シャルトーリアは興味津々といった風で、ファファニアの説明を聞いた。
次々に質問し、次々と有用な情報を入手していく。
「……って、書いてあるけど。これ、帝国が戦争を仕掛けてくるつもりがないってことよね」
「主人はそう判断したようです」
「この国はいま、完成した町が余っている状態だもの。建物があって人がいない場所がある……もし侵略を考えていたら、もう少し別のことを質問してくるわよね」
「はい。皇女殿下の興味は、どうやったら帝国から人材の供出が可能か、浪民の数が減らせるのか……その部分に興味がおありでした」
「帝都サロンで集めた情報だと、帝国の人余りはこちらの比じゃないみたい。一般の民じゃなく貴族の次男、三男でさえ、半分は無位無冠っていうじゃない。いつ人口増加で破裂するか分からない状況よ」
ルンベックは王国から帝国に関する資料の提出を求めた。
戦争に至る経緯その他で、腑に落ちなかったところは、だいたい埋まったといえる。
当然、帝国の介入まで掴んでいた。そのことはリーザも知っている。
つまり、つい昨年末まで、帝国の目標は『大陸統一』だったはずだ。
だがファファニアの手紙には、シャルトーリアからそんなそぶりはまったく見えないとある。
反対に、どうやったら早期に魔道国の恩恵を受けられるかを真剣に考えているようだと締めくくられている。
「……方針転換よね、これ」
「そうだと思われます」
「裏の裏をかいて……というセンは低いのよね」
さすがに用心しまくっているファファニアを完璧に騙せるとはリーザも考えていない。
するとやはり、ファファニアが仕組んだ毒――故意に流した魔道国の現状にシャルトーリアが食いついたと見る方が正しい。
今回、シャルトーリアの応答によって、帝国の興味というか、方針が筒抜けになった。
「それで明日、こっちに来るのよね」
「はい。主人が連れて行くと約束しておりました」
「分かったわ。一応準備はしておくと伝えてちょうだい……けど」
リーザは眉間を押さえた。そして呻くように続ける。
「けど、帝国がやってくるとしたら、まっさきにこの町が狙われるって、気合いを入れて対策を練ったのだけど」
戦争は不可避だと考えていた。だから準備をしていた。
方針を変更したのならば、先に言って欲しかった。
そうリーザは思うのであった。
ファファニアもまた、同じように帝国戦に向けての準備は行っていた。
ファファニアの部下はそのことをよく知っている。
「こちらも同じです。それでも準備は無駄になりませんし……」
「ニアシュタットの町は、多段式攻撃魔法の一斉掃射を導入したわよね。それと各迎撃施設からの乱れ打ちを訓練したって聞いたけど……帝国が侵略を諦めたら、それをどこに使うつもりよ」
「……そうでした」
町を守るためといえば、正司はいくらでも巻物をつくってくれた。
ファファニアはそれを使って、もっとも効率のよい運用を考え、実践した。
「……まっ、私も人のこと言えないのだけど」
リーザが考え抜いた帝国軍撃退法も似たようなものらしい。
なんにせよ、明日はシャルトーリアがやってくるのだ。
リーザは全力をもって、立ち向かわねばならない。
「そうそう、この情報はどこに送った?」
「ミルドラルの三公の所へは送りました」
「王国とラマ国にも送ってちょうだい。それと明日、不意にやって来ないよう、言い含めてくれるかしら。かち合わせされると困るし。その代わり、おすそわけは期待してていいからと言い添えてね」
「……はい、畏まりました。主人に伝えておきます」
「よろしくね。……こっちも準備をしなきゃ」
ファファニアの部下が去ると、リーザはいくつもの指示を出した。
その頃シャルトーリアは、マッサージチェアの上で大口を開けて寝入っていた。
「……ぐう」