125 魔道国へ
ラマ国の首都ボスワンには、帝国が所有する屋敷がある。
そこへシャルトーリアは秘かに現れた。
屋敷を管理しているレキントンは驚く。
シャルトーリアが大陸の西側へ渡った話は聞いていなかったのだ。
「ここへきたのは秘密だ。だからまず、家人にさせてくれ」
「分かりました。……では中へどうぞ」
屋敷の一番良い部屋は貴人の来訪に備えていつも空けてある。
レキントンは生真面目な性格らしく、使用する予定もないのに、その部屋はいつ来てもいいように整えられていた。
「さてここへ来たのは観光や遊びではない。情報を集めるためだ」
「魔道国でございますね」
この時期、皇族が絶断山脈を越える理由はそれしかない。
「そうだ。わずかな時間すら惜しい。知っていることを話してくれ」
「分かりました。不確定なものもありますが、手の者に探らせたことがいくつがございますので、それをお話ししましょう」
レキントンは優秀で、諜報予算を潤沢に使用し、それなりの量の情報を集めていた。
といっても、レキントンの話をすべて信じるには、あまりに荒唐無稽過ぎた。
「いや、レキントン。それはおかしいだろう」
話の途中で、さすがにシャルトーリアは疑問を呈した。我慢できなかったのだ。
というのも、ラマ国の重鎮たちは〈瞬間移動〉の巻物をバンバン使い、魔道国と往復しているという。
「おかしいと言われましても……出入りの者たちも似たような証言をしております」
困ったのはレキントンである。
なるべく正確に話そうとするあまり、かえっておかしなことになっている。
事実を控えめに話した方がよかったかもしれない。
「それほどの量の巻物を用意するのにどれほどの年月がかかると思う? 魔道士となれば、他に魔法を使うことも多かろう。年に何十本と〈瞬間移動〉の巻物をつくれるはずが……つくれるのか?」
「おそらく間違いないかと」
重々しく告げるレキントンの顔を見て、シャルトーリアは魔道王の評価をかなり上方に修正した。
この辺り、シャルトーリアは柔軟な思考を持っている。
一度事実と認めたならば、それをもとに考えを構築し直せる能力がある。
「陛下の覚えめでたいレキントンのことだ。嘘偽りはないと思っている」
「ありがたきお言葉でございます」
「だとすると……ううむ」
だからこそシャルトーリアは悩んだ。
新興国である魔道国が帝国と誼を通じるメリットは計り知れない。
だが、思った以上に魔道王の力が強い。
個人が強力な力を持っている場合、得てして勘違いしやすいものである。
自分の力があれば、何でもできると。
シャルトーリアはレキントンの忠誠は疑っていない。
他国……大陸の西側へ派遣される者は、十年近く帝都で働くことになる。
帝国は、彼らに忠誠心を植え付ける。徹底的に。
決して裏切らないように飴と鞭を使い分けて育てるのだ。
シャルトーリアがレキントンのことを知っていたのも当たり前の話。
レキントンがこの町へ派遣される前、ずっと宮殿で顔を合わせていたからである。
「今の話を聞いて分かった。魔道国とは敵対すべきではないな」
シャルトーリアにとってそれは現状の確認であるが、今の話をはじめて聞いたレキントンですら、大きく頷くのであった。
「私は帝国の人間ですので、魔道国の活動について噂を集めるしかできませんでした。情報が制限されています。それでも長年培った情報網がありましたので、ある程度内部の話は把握することができました」
「うむ。今の話だけでも、かなり助かったぞ」
「ありがたく存じます。魔道王の魔法に関しても、直接目にしたわけではありませんので、明言は避けたいと思います。ただひとつ言えるのは、ここ最近の噂についてです」
「最近の噂か。何がある?」
「魔道王の伴侶について……これがほとんどを占めております」
「うむ。やはりそうか。独身の王ならば、そこが重要だな。……で、噂の内容は? そこまで言うのだから、名があがっている者がいるのだろう?」
「はい。現在、バイダル公家のファファニア嬢が最有力候補として名があがっております」
「バイダル公家か。その令嬢はどのような人物だ?」
「悪い噂は聞きません。魔道王は彼女の名を冠した多くの建造物をプレゼントしたといいます」
「それは強敵だな。いや、どの国の貴族も少なからず考えることだ。ここで相手がいない方があり得ない。候補ということは、まだ決まっていないも道理。それに他にもいるのだろう?」
「はい。トエルザード公家のリーザ嬢とミラベル嬢の名前があがっております。ともに名前を冠した城と町を所有しております」
「なるほど、他には?」
「今のところ、それ以外に目立った名前はあがっておりません」
「候補は実質、その三人に絞られているわけか」
「さようでございます。もしかして姫様は、魔道王と……」
「その方が平和的に事が運ぶだろ?」
「たしかに敵対するのは愚の骨頂。大陸の西側は、魔道国誕生によって、大いに栄えております」
「初手で帝国は失敗した。情報が入っていなかったとはいえ、差し出してきた手を振り払っている。だが、いつまでも冷え込んだ関係は双方ともにメリットはない」
「左様でございます」
「実力があっても権威のない新興国の王だ。古い歴史を持った帝国と縁続きになるのは、箔付けにはもってこいであろう」
「はい。魔道王にとっては、帝国の縁戚となるのは至高でございましょう。まさに玉の輿に乗るようなもの」
「それを推し進めるために私は来たのだ」
シャルトーリアにとってそれは既定路線。すでにこの時点で武力による大陸統一は諦めていた。
魔道王の魔法が戦争に使われれば、帝都すら陥落する可能性がある。
敵にできないのならば、味方に取りこむしかない。
そして、うまくいけば魔道国を使って大陸を統一させることも可能かもしれない。
ならば、いまの最優先は、魔道王の隣に立つこと。
レキントンが評したように、将来は分からないが、いまは権威と歴史を持つ帝国と縁続きになるのは至高のこと。まさに魔道王にとってメリットしかない提案であろう。
「さて……今の話を踏まえて尋ねる。先に名があがった三人と会い、上下関係を分からせておきたい。どこから攻略すべきだと思う?」
なるほどとレキントンは考えた。
シャルトーリアを前にして戦意喪失しない女性はほとんどいない。
直接会えば、尚更だ。レキントンはしばし考えて、ひとりの名をあげた。
「最初に攻略するのでしたら、ファファニア嬢が最適かと愚考いたします。都合のよいことに、この町から一番近いところにおりますので」
ファファニア、リーザ、ミラベルの三人は、それぞれ自身の名を冠した町にいるという。
参与という名ばかりの地位を与えられているものの、本人たちはそれを気に入り、城に居を構えているのだという。
そして今、ファファニアの住むニアシュタットの町は、移民受け入れの真っ最中。
今後の動向を含めて、一度は見ておきたい町となっている。
ならば向かうべきは、ニアシュタットの町である。
そうレキントンは語った。
「よし、その案、採用しよう。私はニアシュタットの町へ向かうとする。エバンスはこのままこの屋敷で雇ってほしい」
エバンスは巻物を使用するために連れてきた者。かつてこの屋敷で働いていたこともある。
「かしこまりました。護衛はいかがいたしましょう」
「形だけでよい。手練れを十人、選んでおいてくれ。出発は二日後にする」
シャルトーリアの言葉に、レキントンは深々と頭を下げた。
「ニアシュタットの町か。楽しみだな」
それはシャルトーリアの心からの言葉だった。
方針は立ったものの、実際に動くとなれば話は別だ。
とくにシャルトーリアの場合、ボスワンの町で身分を明かすのはまずい。
なぜそこにいるのか説明に困ってしまう。
滞在している二日の間に屋敷の者を先行させ、ゆく先々で準備をさせる。
そうしてシャルトーリアは、護衛とともに町を抜け、ニアシュタットの町へ向かったのであった。
「この人の流れはみな移民たちのものか」
「そのようです。町に税金を払っている真っ当な住民を対象に希望者を募り、職種が被らないように選別されたと聞きます」
「ずいぶんな念の入りようだな。そこまで魔道国に配慮するか」
「今回で三つ目の町ですから、双方ともに慣れたようです。混乱無く進めている印象を受けます」
「主導した者はなかなかの知恵者だな。混乱なく人を動かすのは大変なことだぞ。大方トエルザード公の発案であろう」
やはり来て良かったとシャルトーリアは思った。
思った以上に、大陸の西側は組織だっており、住民たちは為政者の目的をよく理解している。
これが帝国ならば、説明を求める人で窓口は溢れかえったことだろう。
「歴史があるのも善し悪しだな」
「何か仰いましたか?」
「こう、黙って言うことを聞く民を見ると、羨ましくなるのさ」
帝国には、皇族や貴族の他に帝民と二級帝民がいる。
二級帝民の中には有資産階級とそうでない者が混在している。
他にも浪民と呼ばれる税金を支払わない者たち。浮浪する民がその名のもとになっている。
そしてシャルトーリアがもっとも頭を悩ませるのが、叛乱組織に属している者たちである。
彼らと、彼らに援助する者がいるおかげで、帝国は余計な出費を強いられている。
叛乱勢力さえなければ、帝国の軍事費は大いに削減され、魔物対策に充てられることだろう。
「軍人でもある私が言うのはおかしい話だが、帝国の軍はもう、肥大化しすぎて、どうしようもないところまで来ているよ」
「そうなのですか? 生憎、何年も帝国の地に足を踏み入れていないものですから」
「中央軍や方面軍以外に領主軍があるのは知っているだろう?」
「はい」
「それだけ軍がいても、治安の維持がままならない。領主軍は町と街道を守るのに精一杯だ。そこで各町には自警団がある」
「聞いたことがあります。無産階級の者たちを雇用しているとか」
「雇用と言えるのかな。給与は出していない。剣と簡単な防具をあてがって、食費を負担するくらいだ。それで町中の治安の一部を担わせているのさ。世も末だよ」
シャルトーリアの言う自警団は、江戸時代の「目明かし」、蔑称であるが「岡っ引き」に近い。
事件が起これば彼らが急行し、初動捜査を担う。
食い詰めて犯罪をおこされるくらいならばと、食費とわずかな成功報酬で彼らを使っているのだ。
蛇の道は蛇とばかりに、極秘調査に携わることもある。
薄給もしくは無給で働かせることによって、帝国は軍部の更なる肥大化を防いでいる。
もう少し時代が進めば、犯罪を取り締まる専門組織が出来上がるかもしれないが、予算が限られている現状、いまだそのような組織が出来上がることはなかった。
移民が移動しているからであろう。途中何度か検問があった。
護衛に確認をとったところ、本来、そのようなことはないそうだった。
シャルトーリアはその都度、帝国から持ってきた免状を使った。町の入り口などに立っている兵には、帝国の使者を押しとどめる権限はない。
だがそれも、魔道国に入る直前まで。
「なんだあれは!?」
あまりに巨大な建造物を見つけて、シャルトーリアは素で大声をあげてしまった。
「高速道路というものです」
対して護衛は淡々と説明する。
「話には聞いていたが……あれがそうなのか?」
高速道路は、シャルトーリアのイメージと違っていた。
これはシャルトーリアの想像力が貧困だからではなく、想像の埒外である。
普通、あのような巨大建築物を想像したりしない。
石の橋か、それに見えるような何かだと思っていた。
まさか未開地帯の木々の上を通す巨大な道だとは思わなかった。
「私ども帝国の人間は、この先へ向かう許可証を持っていません」
高速道路の下に関所がある。いまも移民たちが列をなしている。
「隠密行動はここまでか」
どのみち、どこかで身分を明かさねばならないのだ。
受付は複数あり、その奥に本部らしい建物がある。
シャルトーリアは護衛のひとりを走らせ、直接本部へ向かった。
そこでシャルトーリアはまた驚くことになる。
「ここはただの受付であろう? それともニアシュタットにあるという城なのか?」
「さすがにそれは……ただの受付だと思いますが」
護衛も困惑している。というのも、入り口が自動ドアだったのだ。
廊下を歩けば、自動で照明が灯った。すべて魔道具である。
実はこれ、正司が「ちょっと実験でつくったものなのですけど」と設置したものだったりする。
実際に運用してみて、感想を聞きたいらしい。
そうとは知らずに、高度な魔道具を目の当たりにしたシャルトーリアは、狼狽えるほど驚いてしまった。
皇帝の居城ですら、自動扉は存在しない。
いや、大きな扉の前には開閉係が左右に控えていて、人がくると開け閉めするが、それとは根本的に違う。
それに人を感知すると灯るような魔道具は見たことも聞いたこともない。
国境の受付本部になぜこのような施設があるのか。シャルトーリアは最大限頭を使って考えたが、もっともらしい理由が思いつかなかった。
奥の部屋に貴族らしい服装の者が待っていた。
シャルトーリアが身分を明かす。
聞けば、その貴族らしき男は魔道国の住民だという。
移民の受付担当をしているらしい。
皇族が突然現れたことにも動じず、シャルトーリアたちをもてなす。
軽く雑談していると、男の部下がやってきた。
「ニアシュタットの町と連絡がつきました。殿下の来訪を歓迎するそうです」
「それはありがたい」
別室で待っていたのは、本当にわずかな時間だった。
疑問が鎌首をもたげるが、シャルトーリアは一切顔には出さない。
「迎えの者がやってくるようです。いましばらくここでお待ち願えますか」
「分かった。そなたは仕事があるだろう。私のことは放っておいてもらって構わない」
「……分かりました。準備ができましたらまたお呼びいたします」
男は一礼して部屋を出て行った。
シャルトーリアの希望を叶えたのだ。
「町と連絡がついたと言っていたぞ。どういうことだ?」
さっそくシャルトーリアが護衛に囁く。
護衛は首を捻りつつも「巻物を使ったのでしょうか」と予想を口にした。
「たかが問い合わせるだけで、〈瞬間移動〉の巻物を使うのか?」
やや声が大きくなったことを自覚しながら、シャルトーリアは護衛に詰め寄る。
「ニアシュタットの町は、ここから馬車で数日の距離にあると聞いています。そこへ連絡がついたと言っておりましたから、問い合わせのために人を派遣したのではないでしょうか」
「……そうか。たしかにそうとしか考えられんな」
先ほどの男は馬鹿ではないのか。巻物の価値を知らないのではと考えたが、レキントンの言葉を思い出した。
「もしかして、巻物をバンバン使うというのは……たかがこんなことにも使うという意味なのか?」
馬車で数日の距離でも巻物で移動する。
そんなイメージだったが、もしかして巻物の使い方はもっと『雑』なのかもしれない。
たとえば、今みたいに何か聞きたいことがあった場合、巻物でそこへ向かうというような……。
「……まじか」
高貴な身分の者にはあるまじきことだが、シャルトーリアは呻いた。
護衛はその呻きを丁重に無視した。
幾分気持ちを持ち直して、シャルトーリアは気になったことを護衛に尋ねた。
「この建物に入る直前、高速道路の脇に巨大な物体が備え付けられていただろう。あれはなんだと思う?」
「以前チラッと聞いた限りですが、荷運び人たちが使うもので、昇降機と呼ばれるものです。高速道路に直接人や荷物を運び入れるのだそうです」
「高速道路に荷物を運び入れるだけ? あの長い坂を登ればいいではないか」
「重い荷物は面倒らしいです」
「……面倒」
シャルトーリアは頭が痛くなった。あれは間違いなく魔道具である。しかも巨大な魔道具だ。
帝国で作ろうと思っても、作れる者がいるかどうか。
やはり何かがおかしい。
そう思わざるを得ない。
あの帝都サロンがあった日から、シャルトーリアには自分の常識がアテにならないことばかりおきる。
「移民が並んでいた広場があっただろう。あそこに並んでいた荷車だと思うが、なぜあんなにあるのだと思う?」
「分かりません。聞いてきましょうか?」
「本来ならば必要ないと言うところだが、確認しておきたい」
護衛がひとり、部屋を出て行った。
少しして戻ってきた。
荷車を管理しているところへ走って行き、事情を聞いてきたようだ。
「分かりました。あれは移民に無料で貸し出しているものだそうです」
「無料で? 何のために?」
「町まで長距離の移動になるので、手荷物の多い者や足腰の弱い人用だそうです」
「それだけのために……あんなに用意したのか?」
「はい。手にしたところ、非常に軽いものでした。あれでしたら荷物を置いたとしても軽々牽くことができます」
「そうか……ごくろうだった」
非常に馬鹿らしいことだが、シャルトーリアはひとつひとつ確認しないと、現状が理解できなくなっていた。
高速道路含めて、何もかもが物珍しい。お上りさんになった気分なのである。
荷車の無料貸し出しは正司の提案である。
以前、「この合金、アルミに近いですね」と〈土魔法〉で新しく合金を創り出したことから始まった。
いつもそうだが、新しいものをつくりだしても、実験してからでないと導入しづらい。
合金の耐久実験を兼ねて、移民に無料で使ってもらおう。そんな風に考えて設置したのである。
ちなみに各国は主権があり、あまり他国の事情に口出しできない。
移民の場合、国境までは各国が責任を持つということで話がまとまっている。
未開地帯に入る直前、つまり高速道路に乗るところからが魔道国の管轄となっている。
ゆえに移民の扱いも、ここの受付を通ってからは魔道国が自由にできる。
移民が楽に移動できる補助具を多数用意したのも、そのためである。
移民たちは、未開地帯の直前までは自力で向かい、そこからはさまざまな魔道具の恩恵を受けられることになった。
部屋の扉がノックされ、先ほどの貴族らしい男とは別の者が入ってきた。
「ニアシュタットの町から参りましたエムラックと申します。ここからは私がご案内します」
「シャルトーリアだ」
「存じております。まかり越すのが遅れまして申し訳ございません」
「いや、早い方だよ。これは本当のことだ」
「そう言ってもらえると助かります。ではさっそくニアシュタットの町へ向かいたいと思います」
魔道国はいま、ギリギリの人数で回している。
イレギュラーであるシャルトーリアの来訪が告げられ、出迎えるに相応しい人間が選ばれた。
エムラックは、今日の仕事の引き継ぎをしてから、シャルトーリアがやってきたあとの指示を出し、すぐに跳んできたのだった。
「わかった。よろしくたのむ」
「こちらこそよろしくおねがいします。それでは護衛のみなさんともども跳ばしてもよろしいでしょうか」
「〈瞬間移動〉か?」
「はいそうです」
「分かった。許可する」
「ありがとうございます」
エムラックが巻物を読み上げる。シャルトーリアが知っている〈瞬間移動〉の呪文だ。
そしてエムラックとシャルトーリア、そして護衛十人を入れた十二人が跳んだ。
「……なんだここはっ!?」
相手がいる前でシャルトーリアは狼狽えてしまった。
頭の中では、今日何度目の驚愕だろうと冷静に数えている自分がいるが、そんなものは役に立たない。
声を張り上げる自分を抑えられなかったのだ。
「ここはニアシュタットの町でございます」
「ここが!? これが町だというのか?」
〈瞬間移動〉の巻物によって、シャルトーリアたちはファファニア城の近くに出現した。
ある意味、魔道国の中で一番インパクトのある場所である。
ファファニア城は異様だった。
お伽話の世界に迷い込んできたかのような佇まい。
帝都にあるクロノタリア城が霞んでみえるほどに大きいのだ。
もしこんなものを建築しようと思ったら、何千人もの人を何十年と働かせなければならない。
今なら国庫が破綻する。それほどの代物だった。
「ここは……で、できたばかりのま、町ではなかったのか?」
「正確には、これから町としてスタートするところです。いまは……そうですね。町になりかけの状態です」
エムラックが細かいところに修正を入れてきた。
「これが町になりかけ……だと?」
城が巨大すぎて、視界から見切れる。
これまでシャルトーリアは、何度も魔道国の評価を上方修正してきた。
見るものすべて、それだけのインパクトがあったからだ。
だがここに来て、どう修正していいのか、分からなくなってきた。
(なんだこの難攻不落の城は! 帝国軍で攻め入ったとしても、容易に落ちるものではないぞ)
このような城、数で攻めるのは下策。間違いなく、攻城戦は失敗する。
そもそも城の大きさと城壁の高さは、何を想定したものだろうか。
人がいくら集まったところで、攻めきれるものではない。
それがすぐに分かるからこそ、現実を受け入れるのに時間がかかってしまった。
「陛下はこれをほぼ一瞬で建てたそうです」
「……そ、そうか。さすがに、それは……じょ、冗談だと分かるぞ」
「いえ、本当でございます。建てる前、ここは奥行きがないと文句を言っていたそうです。その場で形を考えて、思いつきで建てたそうですから」
「本当にこれが魔法で建つのか?」
「陛下は建てたり消したり、お手の物のようです」
「建てたり……消したりもか?」
エムラックがさも当然ですといわんばかりに頷く。
魔法で建てることができるのならば、消し去ることもできるに違いない。できない理由がない。
帝国には、世界に誇る巨大な城がある。繁栄時代の象徴クロノタリア城だ。
それより巨大な建造物をいとも簡単に建てる魔道王。
しかも消し去ることもできるという。
それならば、魔道王にとって帝都など平地も同然だろう。
「では中に参りましょう。ファファニア様が庭園でお待ちでございます」
「あ、ああ……」
当初の意気込みもどこへやら。シャルトーリアはただ馬鹿みたいに頷いて、エムラックの後を付いていった。
城の中は簡素だった。
装飾品は最低限しか飾られていない。それでも趣味の良いものばかりが使われている。
「これだけ広いと……」
「はい。まだほとんどの部屋は使われておりません。まったく陛下には困ったものです」
城の中には業務をする部屋がいくつもある。
各部署はなるべく近い方がいい。しかも出入り口からもできるだけ近い方が。
そのため城の上や奥、そして両端に行けば行くほど、使われない区画が出てきてしまう。
一般開放するわけにもいかず、困っているのだとエムラックは語った。
「城が広すぎて困るというのか……」
シャルトーリアは帝都のことを思い返す。ときおり、帝国の領主から陳情が届く。
屋敷が狭いだとか、城が欲しいだと領主が言ってくるのだ。
勝手に砦や要塞、城を建てると「叛意あり」と見なされるため、軍事的な建造物はすべて許可制になっている。
つまり、帝国には……いや、帝国だからこそ、あちこちに城があるわけではないのだ。
「魔道国は、他の二つの町にも城があると聞いたが……」
「はい、ございます。最初につくられたミラシュタットの町には、それはもう大きく立派な城がございます。二番目のリザシュタットの町には、それを上回る堅牢かつ無骨な城が出来上がりました。そしてニアシュタットの町には、記憶に残る城がいいと陛下が望まれました」
「――ハハッ……そうか、三つの町に似たような城があるのか」
これはもう笑うしかないと、シャルトーリアは虚ろな笑みを浮かべた。
実際にこの目でみなければ分からない。
この言葉を何度自身に言い聞かせたことだろうか。
帝国民のほとんどは、このことを知らない。
知りようがない。何しろ、魔道国とはまだ交流を持っていないのだから。
これはあまりに危険なことだと、シャルトーリアは理解している。
大陸の西側は遅れている。魔道国は人跡未踏の地にできた国。
あれは魔道士がただ思い上がってつくった新興国。
言い方はまだあるが、どれも似たような言葉が並んでいる。
彼らは知らないだろう。
たったひとりが、すべてをひっくり返すものをつくり上げたことを。
エムラックは、シャルトーリアを空中庭園に案内した。
ここはシャルトーリアが知っている空中庭園よりも十倍以上広い。
「わざわざ帝国から、ようこそいらっしゃいました。わたくしは、バイダル公の孫娘ファファニアでございます」
優雅に礼をしたファファニアに、シャルトーリアはかなりの時間、返礼を忘れてしまった。
このときシャルトーリアは、声こそ出さなかったものの、内心で大いに驚いていたのである。
ファファニアの流れるような髪は艶々して、シャルトーリアがこれまで見たどの女性よりも滑らかであった。
スタイルもよく、肌のキメはこれ以上ないほど細やかであった。
そして何より……いやそれよりも、その完成された美に、シャルトーリアは上から下まで視線を何往復もすることになった。
「いかがなさいました?」
小首を傾げる姿も美しい。
不覚にもシャルトーリアは感じ入ってしまった。
何か返さねばと理性を戻し、そこではじめて周囲の者たちに気付く。
「なっ!?」
明らかな失態。シャルトーリアはここでも声をあげてしまったのである。
何しろ、ファファニアの周囲にいたお付きの者たち。
少女と言える年齢の者から中年の者たちまで、みな揃いも揃ってとても美しかったのである。
(何なんだ、ここはっ!?)
シャルトーリアは心の中で絶叫していた。
もし隣に正司がいたら、こう言ったであろう。
「みなさん、エステ効果ですね」と。
シャルトーリアはいまだ、返礼を忘れていた。