表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
124/138

123 誤算

 帝国ヒットミア領、グラノスの町。

 店を構えるダクワンのもとへ、ひとりの使者が訪れた。


 使者は帝都クロノタリアから駆け通しだったらしく、目にはクマができ、顔色もすこぶる悪い。


 使者はダクワンに手紙を渡し、シャルトーリアからだと、次の言葉を告げた。



 ――もうすぐリュード商会の会頭が替わる



 リュード商会とは、帝国を指す符丁である。

 これを知るのはシャルトーリアとダクワンのみ。


「ごくろうでした」

 使者を労いつつ、ダクワンは頭を働かせた。


(計画を早めるつもりか……だがなぜ?)


 予定は一年先、まだ余裕があるはずだった。

 計画を早めるに足る理由があったはずだ。


 帝都でイレギュラーなことがおきたのである。

 おそらくそれは、魔道国の存在だろうとダクワンは考えた。


(これでは私の計画が……いや、そうでもないのか?)


 ダクワンは当然のことながら、第二皇子派に属している。

 シャルトーリア子飼いのひとりだ。


 ダクワンの野望は、「金」と「地位」と「権力」を得ること。


 金は自力で稼いだ。

 商人としての才能があった。人より多くの資産を築き上げた。


 途中でシャルトーリアに見いだされたことで、「地位」と「権力」が手に届くところにきた。


 現在、この町で多数派工作の真っ最中。

 これが成功すれば、シャルトーリアの後押しを受けて、代官に就任する手はずになっている。


 ダクワンと同じような者が何人もヒットミア領に送り込まれている。

 今年か来年、何人もの代官が替わることになるだろう。


 代官たちが一定数を超えたら、領主交代劇がおこるはずである。

 そこからが本当の勝負だと、ダクワンは考えている。


 ダクワンは、ただの代官で終わるつもりはない。

 領主交代のどさくさに紛れて、領政府に入り、そこでさらに出世していくつもりであった。


 ゆくゆくは領の運営の一翼を担い、「地位」と「権力」を手にするつもりだった。

 だが、先ほどの使者の言葉が耳に残る。


 皇帝交代の準備が整ったのは、予想外であった。

(他の町で、多数派工作が進んでいるのだろう)


 ダクワンはそう考えた。

 つまりこの町の成否は、計画に支障がないと判断されたのである。


(これでは代官になって領政府に転属して……という私の野望がのっけからつまづくことになる。どうしたものか……)


 のし上がるためにやってきたことが、すべて無駄になってしまう。

(ここはひとつ、シャルトーリア様にいいところを見せなければ……)


 隣のエンジョウの町にも、シャルトーリアの手の者が送り込まれている。

 その者はダクワンとは違い、生粋の政治家だ。


 事務能力が高いと評判だったが、多数派工作はうまくいっていないとも聞いている。

(プライドが高すぎるんだよ)


 有力者と友好的な関係を築くには、下げたくもない頭を下げねばならない。

 それができないから、協力が得られないのだ。


 その点、商人であるダクワンは、頭を下げることに抵抗はない。

 シャルトーリアが送り込んだ者の中で、ダクワンは有能な方だと自認していた。


(やはり鍵は魔道国……タダシ様に取り入ることができれば、希望はあるか)


 今のところ、タダシとの関係は良好。

 このまま信頼を得れば、魔道国での出世が叶うかも知れない。


 そう考えれば、計画変更は悪いことではないのかもしれない。


(いっそのこと、魔道国で仕官を願い出てみるか……いや、時期尚早か。シャルトーリア様を裏切ることはできない……ならばどうすれば)


 ダクワンは頭を悩ませた。

 散々考えたあげく、下した結論が『計画の同時進行』だった。


 この町の代官を引きずり下ろしつつ、正司の信頼を勝ち取る。

 同時に行うのは難しいが、ここは正念場。


(石にかじりついてでも、私はやり遂げてみせる!)

 そうダクワンは決意した。




 ダクワンが賭けに打って出ると決意した翌日、正司が店に現れた。

「おはようございます、ダクワンさん」


「タダシ様。ようこそいらっしゃいました」

 ダクワンはにこやかな顔で出迎える。


 だがその瞳の奥には、『決意の炎』が揺れていた。

 というのも、一晩考え抜いたところ、多数派工作と正司への取り入りの両立はかなり難しいことが分かった。


 別々にやっていたのでは、どちらも中途半端になりかねない。

 二つの難事業を同時に成功に導くには、綿密な作戦が必要不可欠だと気付いたのだ。


「これが新しく入った品物ですか」

「はい。今回は非常に珍しいものも多数ございます」


 薄利多売の品を売っていては、大きな成功は望めない。

 ダクワンはより付加価値の高いものを中心に商う商人を目指していた。


 その過程で仕入れた稀少な品々がテーブルに並べられている。そして……。


「……あれ? これは何ですか?」

 正司がその中のひとつに目を留めた。


「さすがお目が高い。こちらは、宝玉版図盤(ほうぎょくはんとばん)と呼ばれるものです。帝国の地図をその産地で採れる宝石で形作りました」


「地図を宝玉で……それは凄いですね。ですけど、この地図。全部ではないですね」


「はい。帝国の南半分のみの版図盤となります。これだけの大きさとなりますと、一枚の版図盤にするのが大変でして……飾る場所にも難儀しますし」


「飾る……ああ、そういえば帝都サロンの広間にも同じものが飾ってありました。もっと小さいものでしたけど」


「そうでしょうとも。これは宮殿や領主の館など、限られた場所にこそ相応しい一品でございます。ゆえに求める人は非常に多いのですが、作られる数が限られるのでございます」


 宝玉版図盤は、宝石だけで地図を作る性質上、小さいものでも価格が跳ね上がる。

 それに昔からの不文律で、その地方で産出される宝石のみを使うことになっている。


 インフラが整っていないこの世界では、帝国中の宝石を一カ所に集めるのが、意外と難しいのだ。


 小さな版図盤ならばまだしも、今回ダクワンが正司に見せたのは、かなり巨大なもの。

 これを所持できるのは上流階級の中でもほんの一握り。


 それこそ領主クラスしかあり得ない。


「すごいですね……目を奪われてしまいました。帝国の南半分だけというのは残念ですけど」


 そう。これは大層立派なものだが、帝国全土を表しているわけではない。

 正司がそんな感想を述べると、ダクワンはやや残念そうな声音を出した。


「もちろん、北の版図盤もございます。同時に作らせました。これらは職人がひとつひとつ丁寧に作りますので、後から似せて作っても、違和感が出てしまいます」


「なるほど、そうかもしれませんね」

「ですけど残念ながら、北の版図盤は私の手元にないのでございます。以前はあったのですけど……」


「どうしてですか? 両方揃っていた方が価値が上がると思いますけど」

 その言葉を聞いて、ダクワンは内心喜んだ。


 緩む頬を強引に抑えつけ、ダクワンは神妙な顔で続ける。

「北の版図盤は、この町の代官のロキス様が望まれまして……」


 これがダクワンの一挙両得の策であった。

 ダクワンは、シャルトーリアから密命を受けてこの町に来たとき、代官のロキスに挨拶している。


 そのとき、「ぜひ一度店に」としつこく来店を促した。

 ロキスもダクワンの意味をすぐに理解した。


 代官の中には賄賂わいろを嫌う者もいる。

 初対面の挨拶で高価な付け届けをして断られたなどという話が流れることもある。


 賄賂が通じる相手かどうか、ダクワンが測ったのだろうとロキスは考えた。


 後日、ロキスがダクワンの店を訪れると、数多くの品を見せられ、「お近づきの印に……」とアレコレ融通してくれたのだ。


 その際、壁に飾ってあった宝玉版図盤に、ロキスは大いに魅せられた。

 するとあろうことか、「ではアレもお包みいたしましょう」と言い出した。


 このときはまだ、ロキスもダクワンと友好的な関係が築けると信じて疑っていなかった。


 後日ロキスは人づてに、ダクワンの秘蔵の一品が代官によって無理矢理奪われた話を聞いた。

 事実がねじ曲げられて吹聴されていたのだ。


 もちろんロキスは怒り、真実は違うと声を大にして反論したが、宝玉版図盤は「お近づきの印」として渡すにはあまりに高価。

 否定したくても、手元にあるのは事実。


 返却しようかとも思ったが、手放すにはあまりに惜しい一品だった。

 この宝玉版図盤の件で、ロキスは大いに株を下げた。


 その後、ロキスが正式に抗議することで、ダクワンは残りの宝玉版図盤を店の壁に飾るのを止めた。

 それまではダクワンの店の壁にあり、客に嘘の経緯をずっと説明していたのである。


 そういうわけで一度役目を終えた宝玉版図盤であるが、これを今回の策として再利用することにした。


 宝石で作った帝国の地図。しかも、稀に見る大きさのもの。

 しかしながら、半分しか手元にない。残り半分は、代官のロキスが持っている。


 この話を聞いて、正司がどう思うだろうか。

 全部欲しがるかも知れない。だがロキスだって手放さないだろう。


 これは富を表し、権力の象徴としても扱われる。

 地位のある人であればあるほど、手放したがらないものだ。


「これはですね、この町の代官であるロキス様が店を訪れたときに……」

 ダクワンは、これまで何百回としてきた偽の経緯を正司に話しはじめた。


 相手の心証を悪くしたり、対立させたいとき、ダクワンはよくこの手の方法を使う。

 自身は大損することになるが、信頼は金で買えない。


 相手は金銭的な利益を得る反面、見えない損失を被っているのである。


 それに、これほど高価なものを「たかが策略のために」手放さないだろうという心理を見事についている。


「そのようなことがあったのですか」

 正司は頷きながら聞いている。ダクワンは調子にのって、話を続けた。


「店の壁に飾らないでほしいと言われまして、最近はずっと倉庫に眠っていたのでございます」

 ダクワンの店にあれば、だれもが目にする。


 するとダクワンは半分しかない版図盤の経緯を話すことになる。

 ロキスはそれを止めさせたかった。


 だが結局のところ、ロキスもダクワンから譲られた版図盤を飾ることができないでいる。


 この町の有力者たちの間でダクワンの話が広まってしまったため、誰かに見せようとしても、「あれがそうか」という目で見られるからだ。


 では売るなり譲るなりすればいいのだが、ここがダクワンの狡猾なところで、宝玉版図盤をロキスに譲るさい、「ロキス様だからこそお譲りするのでございます。他に売ったり譲ったりはしないでくださいませ」と念を押している。


 その時は、そんなことあるはずないと快諾した。

 それを破れば、なお一層評判を下げることになる。


 つまりロキスは、ダクワンと対立した今も、その版図盤だけは手放すことができないでいる。


「私ども帝国の民としては、半分だけ持っていても仕方のないことでございます。これを私からタダシ様へのプレゼントとさせていただけないでしょうか」


 これまでの会話から、正司の為人(ひととなり)は、大まかなところで把握していた。

 正司ならば人から貰ったものを別の人にあげたりしないだろうという確信もある。


 正司が魔道国に持ち帰ってくれれば、そして城にでも飾ってくれれば、それを渡したダクワンの箔が付く。

 それと同時に信頼関係が築け、残り半分がなぜ手に入らないという、ロキスを追い落とす材料にもできる。


 効果はそれだけではない。これだけの品物だ。正司からの返礼品が大いに期待できる。

 というのも、昨日の手紙にシャルトーリアが見聞きしたことが色々と書かれていた。


 中でも、ダクワンが驚いたのが二つあった。正司の魔法以外にである。

 ひとつは、〈瞬間移動〉の巻物の存在。


 帝都サロンに来た二万人の中には、何度も巻物で移動した経験がある者がいた。

 それこそ湯水のように〈瞬間移動〉の巻物を使っているという。


 どうやら正司がそれを作製できるらしく、魔道国がこれほど早く形をなしたのも、巻物で自由に移動できたからに他ならない。


 そしてもうひとつが魔道具の存在である。

 これも二万人の証言から分かったことだが、重要人物には多くの魔道具が持たされていた。


 シャルトーリアが持参した魔道具の感知盤からもそれは正しいことが証明されている。

 信じられないことに、正司は魔道具すらも作製してしまうという。


 シャルトーリアからの手紙には、巻物や魔道具をうまく譲ってもらうようにと書かれていた。

 そういうことならば、話は早い。大いに貸しを作ればいいのである。


 借りっぱなし、貸しっぱなしになるのは、上流階級ではよくないこと。

 必ず、何らかの「お返し」が期待できる。


 これが、これこそがダクワンが悩み抜いた末に考え出した策であった。


「さすがにこんなに高価なものをいただくわけにはいきません」

 正司が躊躇するのは当然といえた。


「いえ、よろしいのですよ。本来、北と南の両方が揃ってこそ版図盤の価値が出ます。帝国ではそれが普通です。それに私の店に飾っておくわけにはいかない品ですので」


 これも本当だ。半分だけという版図盤はあまり見たことがない。

 逆に、大陸の西ではそういった固定観念がないため、純粋に芸術作品として判断される。


 ダクワンが持っているより、正司が持っていた方がよっぽどよいのである。

「うーん……ですけど」


 版図盤と呼んでいるが、これは一種の宝石箱である。

 値段が想像できないくらいには高価なものとなる。


「本当によいのです。倉庫に眠るより、タダシ様のところで飾られた方が何倍もよいと思います」

「そうですか……では、遠慮なくちょうだいします」


「ありがとうございます」

 ダクワンはホッと息を吐いた。少し難儀したが、おおむね予想通りの結果を得ることができた。


「そのお礼といってはなんですけど……」

 そういって正司が『保管庫』から取り出したのは、ひとつの革袋。


 ずしりと重いそれをテーブルに置く。

「……これは?」


 いま、どこから出したのだろうと訝しみながらも、ダクワンの目は革袋に注がれる。

「これはラマ国で採れた宝石です。……それからこれは王国です。えっと、こっちがミルドラルです」


 正司は都合三つの革袋をテーブルに置いた。

 すべて重量があるようで、テーブルに置くたびに重い音がする。


「もしかして、すべて宝石ですか」


「そうです。同じようなもので何かお返しできないかと考えてみました。各国で採れる宝石ですので、お返しにいいかと……ああ、そういえば未開地帯でこのまえ試し堀りしたんでした。それもつけますね」

 四つ目の革袋が追加された。


 正司がお返しに選んだのは、巻物でもなければ、魔道具でもない。

 素材や魔石、コインなどでもなかった。


 それは各国から送られた宝石。

 正司がいろいろと便宜を図ったとき、お返しとしてもらったものだった。



 ――違う、そうじゃない



 もし正司が目の前にいなかったら、ダクワンはそう叫んでいたことだろう。

 アテが外れたというのは、このことである。


 貸しを作ろうと思って宝玉版図盤を渡したら、お返しに同等以上の宝石をもらった。

 間違っていない。間違っていないのだが、どうにもやりきれない気持ちで一杯になった。


「こ、これは結構なものを頂戴いたしまして……」

 だが、突っ返すわけにもいかない。ダクワンはありがたく貰っておく。


 これで貸し借りは無くなってしまった。

 そこでダクワンは考える。


(宝石を渡したからお返しが宝石だったとか……? だとすると、巻物には巻物が返ってくるのだろうか)


 贈答に関してルールがあるのかもしれないし、ただの偶然かもしれない。

 そんなことをダクワンが考えているうちに、いつのまにか巨大な版図盤が消えていた。


「あれ?」

 どこへいったのかと、ダクワンが目を白黒させる。


「あっ、そういうことだったのですね」

 その瞬間、正司は虚空を見つめて謎な言葉を呟いた。


 引き続きダクワンは考える。

 ここからどう次に繋げていくか。


 手紙には、「とにかく敵対するな」とか、「能力を探れ」とか、「できるだけ巻物や魔道具を手に入れろ」などと書いてあった。


 その方向で話を進めるには、こちらもかなりの準備が必要になる。

 次回はもう少し日数をあけるか。だが帝都はもう動き出している可能性がある。


 あまり時間をあけると、計画に支障をきたすかもしれない。


「それではそろそろお暇します」

「えっ、あっ……そうでございますか。して……次回はいつ頃?」


「ありがとうございます。もう大丈夫です」

「へっ?」


 大丈夫とはどういうことだ? そうダクワンが考えていると、正司は「寄るところができましたので」とか「それでは、ありがとうございました」とまとめに入った。


「あ、あの……」

 何とかして思い留まらせて、次回の予定を……とダクワンが考える。


「それでは、失礼してこのまま帰らせていただきます」

 正司が席を立った。


「あっ、ちょっ、まっ……」

 慌ててダクワンが引き留めようとするが、その時にはもう、正司の姿はなかった。


「まさか今のが〈瞬間移動〉……?」

 珍しいものを見たという感動は湧いてこなかった。


 結局、次回の約束を取り付けることに失敗した。

 果たして正司は、ダクワンの店にもう一度やってきてくれるのか。


 それは、いくら考えても分からなかった。




(クエストが進みましたね)

 ダクワンが宝玉版図盤を正司に譲り、ロキスの話をしたとき、突然クエストが更新された。


 トリガーは不明だが、白線の先は町の中央の大きな建物に伸びていた。

(話の流れからすると、白線は代官のロキスさんのところへ続いているのでしょうか)


 石造りの立派な建物を囲うようにして、これまた重厚な門が建物を守っている。

 衛兵が二人門の左右に立っている。


(今日は準備不足ですし、一度戻りますか)


〈瞬間移動〉で白線のある方角へ跳び、そこから歩いてくだんの建物を見つけた。

 次回から直接ここへ跳べるようになった。


(上流階級の人が相手のようですし、いきなり押しかけてもいいことがないですしね)

 正司は建物だけ確認したあと、魔道国へ跳んだ。


          ○


 帝国バッタリア領、ルードの港町。

 シャルトーリアは、ウーレンスの店を訪れた翌日には帝都に向かって出発していた。


 行きと同じく、帰りは馬である。

「結局、領主の館に一泊しただけだったわね。あなたたち、疲れていない?」


「問題ありません」

「護衛が主人より先にへばることはありませんので、お気になさらず」


「言ったわね……帰りも強行軍よ」


「心得ております」

「慣れておりますゆえ」


 その言葉に、シャルトーリアは満足して笑った。


 くつわを並べる護衛は二名。いずれも精鋭だ。

 帝都からこの三名で、ルード港まで駆け抜けてきたのである。


 シャルトーリアがウーレンスと会談中、護衛の二人は領主の館で待っていた。

 留守番である。


 護衛を伴わなかったのは、気を使ったからである。

 完全武装の護衛を連れて行ったら、まとまる話もまとまらなくなると思ったからである。


 たとえば、ウーレンス相手に益体やくたいも無い話をしたのは、シャルトーリアなりの気遣いである。


 護衛の二人は「そのような過剰な配慮は無用」だと考えたが、シャルトーリアは違った。

 なるべく敵を作らないという自身の信条に従っている。


 敵対するときは容赦しない。しかしそれは最後の手段。

 シャルトーリアは、普段からそう考えている。


「そういえば留守中のこと、聞いてなかったわね。館の状況はどうだった?」

「それとなくこちらの様子を窺っている者がおりました。おそらく第一皇子の手の者でしょう」


「庭で鍛錬をしていたとき、私も一名確認しました。優秀なようで、気配を察知するのが遅れました」


「やっぱりね……それなら他の領主の館も同じか。行きと同じで、領主の館は避けるわよ」


「かしこまりました」

「では先行して、次の町の宿を押さえておきます」

 護衛の一人が馬で走りだした。


 重要な町には必ず領主の館がある。

 皇族であるシャルトーリアならば、アポなしで訪れても歓待される。


 だがここは、敵地ではないものの、中立派が治める領だ。

 監視の目はどこにもついて回る。


 行きの道中、シャルトーリアが馬で強行軍を続けたのは、情報の伝達より先に移動したかったからである。


 バッタリア領の領主は、第一皇子派でも第二皇子派でもない中立派。

 シャルトーリアからすれば、中立派というのは日和見(ひよりみ)派と同義である。


 領主の館の中には、敵も味方も入り込んでいる。

 そんな場所で「くつろぐ」ことはできない。


 シャルトーリアは、懐に隠した巻物すら取り出さなかった。


「そういえば、昨晩は遅くまで書き物をしていたようですが」

 護衛が尋ねてきた。


「ええ、ここの領主に手紙をね。港で船の手配をしたのだけど、横やりをいれさせないよう、一筆したためたわ」


「それも敵を作らないための立ち回りでしょうか」

「そんなところね。あなたたちも覚えておきなさい。敵対する……」


「敵対するのは最後の手段……ですね。暗記するほど聞かされましたので大丈夫です」

「……可愛げがないわね」


 昨晩のうちにシャルトーリアは、ウーレンスに約束した諸々の処理を済ませた。

 領主に一言、添えるのも忘れなかった。


「……さて、ここらでいいわね」

 開けた場所で馬の歩を緩め、休憩できるところを探す。


 街道脇に馬を停め、護衛から離れて一人になったところでようやく、シャルトーリアは懐に隠した巻物を拡げた。


「〈瞬間移動〉の巻物……本物ね。それで、残り回数が……6回?」

 回数表示がある。聞いて知っていたとはいえ、シャルトーリアは思わず呻ってしまった。


 熟練の魔法使いが簡単な魔法を込めた場合のみ、巻物に回数表示が現れる。

 魔法を使えないシャルトーリアでも、そのくらいの知識は持っている。


 ただ、いまだかつてこれほど高難易度の魔法に、複数回表示が出た例があるのだろうか。

「本当に規格外ね……世界の神秘とは、かくも違うものなのか」


 シャルトーリアは、正司が『世界の神秘』であると、ほぼ確信している。

 大陸の西側から二万人を魔法で連れてくるなど前代未聞。


 数百年経ったとしても、似たような魔道士が出てくるはずがないと断言できる。


 正司は世界に選ばれた特別なのだ。

 だからこそ、方針を変更したとも言える。


「まずは巻物の実験か。帝都に着いたら、適当な者を選んで跳ばせよう」


 現在帝国に、〈瞬間移動〉の巻物はこれ一本きり。

 今後のためにも、有効に活用しなければならない。


「支持基盤は弱いが、ここで時間を失う方がリスクが大きい。……やるしかないわね」

 帝位簒奪、クーデター……呼び名は何でもいい。


 ようは現皇帝を強引に退位させ、自身の父親を帝位に就かせる。

 そのための根回しと準備を行ってきた。


 あと二年もすれば、余裕で準備が整ったのだ。

 だがそれでは遅い。


 シャルトーリアの計画は、根本から見直しを迫られた。

 魔道国――いや、魔道王を身内に引き入れるため。


 シャルトーリアは、自身の信条通り、魔道王と敵対しない道を歩む予定だ。

 そのために、出遅れてはならないのだ。


「魔道王を取りこむ方が、帝位を簒奪するより数倍難しそうね」


 逆を言えば、どれほど軟弱な支持基盤だろうとも、魔道王の伴侶にさえなってしまえば、どのような情勢でも、一気にひっくり返せる。


「ふふ……まさか土壇場に来て、優先順位がひっくり返るとは思わなかったわ」

 シャルトーリアは巻物を丁寧に丸めなおし、そっと懐に戻した。


「さあ、休憩は終わり。日が暮れないうちに、次の町まで行くわよ」

「分かりました。出発ですね」


「そう。今日は宿でゆっくりしましょう。それと帝都に戻ったら忙しいわよ」


「いつでも忙しい気がしますが」

 そういいつつ、護衛は馬に乗った。


          ○


 トエルザード家の屋敷。

 リーザは、ルンベックが作成した資料をようやく読み終えた。


「お父様、よく帝都の派閥なんて調べられましたね」

「今回は特別だったね」


「特別というと……?」

「向こうがこちら側のことを知りたがったのさ。交換できる情報を差し出してでもね」


 帝都サロンに二万人も参加したのだ。ルンベックは、多種多様な情報を集めさせた。

 そのひとつが、帝国上層部の派閥争いである。


「これによると、第一皇子と第二皇子が争っているようですけど、帝国は一圏の領主の意向が大きく反映されるのですよね」


「そうだね。一圏はメルエット、グノージュ、トラウスの三つ。そのうちメルエットとグノージュは第二皇子派に属しているようだ」


「トラウスは?」

「第一皇子派だね。そして次に無視できないのが他の領主の意向。ティオーヌの領主が第二皇子派で、表だってはいないけど、ニルブリアとロイスマリナの領主が陰で第一皇子に協力している」


「つまり三対三ですか」

「うん。第一皇子派はトラウスの領主のみだし、結構不利だね。ヒットミアとバッタリアは中立。勝った方へ付くだろう」


「とすると第二皇子優勢ですか。噂では、第二皇子は上流階級の人気が高いとか」

「帝民の人気はそれほどでもない……とも言えるね。ただ……」


「ただ……?」

「第二皇子は政治よりも文化や芸術に興味がある。軍事よりも華やかなパーティの方に惹かれる人物らしい」


「それはつまり……阿呆?」

「皇族の義務をギリギリ果たしている感じかな。そういう意味では、次代の帝国は怖くない……と思っていたのだけど」


「実際は違うのですか、お父様」

「第二皇子の娘――シャルトーリア殿下がくせ者だ。言うなれば毒蛇。目を逸らしたら、喉元に噛みついてくるような気がしたよ」


「シャルトーリア殿下ですか」

「皇帝の直系子孫だね。孫娘にあたるから地位も高いし、発言力もある。相手をするのは少々骨が折れそうだ。もっとも世代的に直接相対するのはリーザになるかもしれないね」


「シャルトーリア殿下ですか……覚えておきます」


「帝国は大国だ。本気になったとき、私たちは帝国の巨大さを思い知ることになるからね」


「帝国の巨大さ……そういえばお父様。タダシが変なことを言っていたのですけど」

「なんだい?」


「たしか、近代化とか……」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ