121 現代知識
帝国ヒットミア領にあるグラノスの町。
ここは未開地帯に近いものの、交易の中継地点として栄えていた。
隣にあるバッタリア領から商人たちがこぞってこの町を訪れる。
そして、グノージュ領やニルブリア領へと向かってゆくのである。
この町にダクワンという商人がいる。
ダクワンは、二年ほど前に他の町からやってきた。
最初彼は、どこにでもいるただの商人だった。
そんな彼がなぜ、この町の有力者となったのか。
それは彼が、帝国中から様々な品々を取り寄せることができたからである。
上流階級に属する者たちは、珍しいものに目がない。
彼が持ち込んだ品々を、人々はこぞって買い求めたのである。
ダクワンは帝国中に販売網を持つ商人。
それがこの町で、彼に対する認識である。
「――すみません、店主のダクワンさんにお会いしたいのですけど」
クエストの白線が示す場所は、とある商店だった。
「会頭はただいま席を外しております」
店員が申し訳なさそうに正司に告げた。
(あれ? クエストの白線はこの店を指しているようですけど……?)
クエストの場合、場所だけ指すこともある。
時期がこないと、クエストが進まないからのようだが、今回もそれだろうかと正司は考えた。
「そうですか。でしたらまた来ます」
「まことにすみません」
帰ろうとする店員が、正司を呼び止めた。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
なるほどと思い、「タダシと申します。実はダクワンさんにまだお会いしたことはないのですけど」と伝えた。
「……はあ」
会ったことがない男がいきなり商会長に会いたい。
そんなことを言い出したのだから、店員は訝しげに正司を見る。
「それでは失礼します」
正司は店を出て行った。
「すみません。ひとつ言い忘れていました」
「なんですか?」
店に戻った正司に対して、店員の態度は冷たかった。
客に対するより、雇いの従業員と話すような感じだ。
「紹介状がありました。これを渡しておいてもらえますか」
「はあ……いいですけど」
正司が『保管庫』から紹介状を取り出す。
店員がそれを受け取るとズシリと重い。
封筒に金属箔で封帯がしてあるのだ。
「……ん?」
店員が封筒をひっくり返すと、魔道具で封印されていることが分かった。
封帯に指を這わすと、浮かび上がってくる帝国の紋章。
「えっ!?」
店員は二度見どころか、三度、四度と紋章と正司の顔を交互に見比べる。
「それではよろしくお願いします」
一礼して正司はこんどこそ本当に店を出て行った。
○
「か、会頭……こ、これ」
「なんだ、騒々しい」
実はダクワン、店の中にいたのである。
彼は商人という表の顔の他に、この町の代官を合法的に追い落とすという使命を帯びているため、とても忙しかった。
店のことは部下に任せっきりでいたのだ。
ゆえに正司が来訪したときも、店の奥で執務に精を出していた。
店員が転がり込んで来て、封筒を差し出す。
「……ん? これは帝国の紋……これをどうした?」
「先ほどお客様がやってきて、紹介状があると言って……」
「中をあらためる。それとすぐに奥の部屋にご案内差し上げろ。丁重にな」
「いえ、それが……」
「どうした?」
「留守と伝えたら、お帰りになりました」
「んだと!?」
「申し訳ございません」
「詳しく話せ!」
店員はうさんくさい感じだったので居留守を使い、追い返したことを正直に伝えた。
ここで誤魔化して、あとで話がこじれる方がマズいと考えたのだ。
「ぐぬぬぬ……おまえこの紋章を使えるのは帝国の中でも皇族のみだぞ」
「申し訳ございません」
皇族が書いた紹介状を持参した者を店員が追い返したことになる。
ダクワンは怒鳴りたくなるのを我慢して、封印を外した。
まず中を確認するのが先決だからである。
そしてダクワンは二度三度となく、驚くことになる。
招待状の送り主は、シャルトーリア皇女からだった。
この辺は半ば予想していた。
ただ、魔道具を使った封印を施していることから、この紹介状が重要なものであることが分かる。
さして重要でないのならば、配下の者に書かせればいいのだ。
皇女がこのような手間をかけるほどには、店員が追い返した客は重要人物だった。
それをダクワンは理解し、中をあらためる。
紹介状には「これを持ってきた者にできるだけ便宜を図ってほしい」と書かれていた。
そこまではいい。そこまではいいのだ。
問題は他にあった。
シャルトーリアは、ダクワンにいくつかの符丁を教えていた。
たとえば『帝国』のことは、帝都に店を構える『リュード商会』と言うなどである。
リュード商会の会頭が病になったといえば、皇帝が病気になったことを示すし、リュード商会が傾いているといえば、帝国が斜陽となったことを示す。
周囲に人がいる場合で重要事項を伝えなければいけないとき、シャルトーリアはそのような符丁を用いる。
そうすることで、人々にそれと気付かせることなく、真意を伝えることができる。
そしてダクワンが見た紹介状、正確にはこう書かれていた。
――リュード商会の浮沈に関わる者ゆえ、できるだけ便宜を図ってほしい
ダクワンにだけ分かる符丁が使われていた。しかもよりによってリュード商会。
シャルトーリアがそれを使ったことにまず驚き、次に想像以上の大物であることにも驚いた。
ダクワンの頭の中には「なぜ、先に使者を使って伝えてこないのか」という疑問が渦巻いたが、シャルトーリアは無駄なことはしない。
何か意図があったのだろうと思い直す。
「……す」
「す?」
「すぐに探してこい!」
「はいいいっ!!」
店員は駆け出した。
どうやら、追い返してはいけない人物だったようである。
数時間後、真っ青な顔をして店員が戻ってくるが、ダクワンの顔色はもっと悪かった。
帝国の浮沈に関わる者とは一体いかなる意味なのか。
ダクワンはいくら考えても分からなかったのだ。
○
建国祭を終え、国王となった正司は、それなりに忙しい日々を送っていた。
とくに日常の業務が目白押しとなっていた。
魔道国の各町を巡って、溜まった事務仕事を片付けているのである。
「タダシ様、お久しゅうございます」
「ファファニアさん、お久し……三日前に会いましたよね」
今日の正司の仕事は、ニアシュタットの町で移民受け入れの確認である。
町の面積こそ、それなりにあるものの、巨大建造物が複数あったり、温泉街としての体裁を保つために緑を多く残している。
移住できる住民の数は、他の二つの町に比べて少なく、その分、観光客で賑わう形になっている。
「そういえば、タダシ様。いま確認中なのですけど、職人が揃わないかもしれませんわ」
「えっ、そうなんですか?」
「観光地ですから、その従業員も多数住みますので、割合として、商人と職人がどうしても減ってしまうようです」
「なるほど、そういうことですか」
ミラシュタットとリザシュタットの町も現在、移民を受け入れている。
初期の移民募集は締め切ったが、実際に人が住み始めて分かってくる問題もある。
「移住者の人数をもう少し増やしてもよろしいでしょうか」
「そうですね。最低限の職人さんたちが揃わないと、町が成り立ちませんし」
たとえば、靴職人がいないとする。
他から靴を輸入すればいいかといえば、そうではない。
日用品を交易で賄う場合、輸送費が品物に上乗せされる。
また、壊れたときに修理することができないため、新しく買い換える必要が出てくる。
職人の数が足らないと、製作と修理ができず、住人は不便を強いられる。
「分かりました。移住者を増やして対応しましょう。少し建物も増やしておきますね」
「ありがとうございます、タダシ様。どの程度で済むか、数字を出しておきます」
「手間がかかるかもしれませんが、よろしくお願いします」
「いえいえこれくらい何でもないですわ。おまかせください、タダシ様」
「あっ……そういえば、ファファニアさん」
「なんでしょうか、タダシ様」
一礼して去って行こうとするファファニアを正司が止めた。
「それって、この町の美容の効果ですよね……肌のキメが細かくなって、髪もサラサラになっています」
「はい。この町自慢の品になると伺っております。わたくしも効果を試すことにしたのですけど、驚くほどの効果でした」
ふふふと、ファファニアが照れ笑いをする。
どうやら温泉に入り、魔道具を使い、自分磨きに勤しんでいるようだ。
「やはりそうでしたか。ファファニアさんが見違えるほど美人になってしまったので、つい見入ってしまいました」
「……っ!?」
ボンッと顔を赤くして、ファファニアが俯く。
美人でスタイルも良い女性が磨きをかけた。
端から見て効果が分かるほど見違えたわけだが、それを当然と受け止めるでなく、顔を赤くして恥ずかしがる様子に、正司の心臓が早鐘を打つ。
美人が照れる様子に正司がドギマギしていると、ファファニアが「しょ、しょうですか」と何やら酔っ払ったような声を出す。
「え、ええ……やはり見て分かる効果があると、いいですね」
なんとか、そんな声を絞りだす。
この世界の女性は化粧をしないか、「塗り」化粧をするかのどちらかが多い。
健康と美容の概念が発達していないのだと正司は考えている。
ファファニアの場合、まだ若いから化粧をしていない。
普段から肌をケアする習慣がないようで、明らかに肌質に変化がある。
(そういえば、詐欺メイクというのが一時期流行りましたね)
女性が化粧映えにもほどがあるだろうというほどの変わりようをリアルタイムで映像に残し、徐々に変わってゆく様を公開している。
化粧品が進歩すれば、化粧のやり方、美容への考え方も進歩している。
それらが総合的に合わさると、そのように叫びたくなるような映像が出来上がるのだろう。
自分の化粧動画をアップロードした女性たちは、嘆く世の男性を想像して楽しむのだろう。
もしくは自身の技量に優越感を抱くのか。
(あれ? ということは……)
正司は、化粧に関しての知識はない。
女性の化粧品を買ったこともない。
テレビや雑誌などで出てくるものを眺めているだけで、実物を触ったこともない。
だが、ついつい化粧品などについて思いを巡らせていた正司は、別の可能性に気がついた。
「ファファニアさん」
「はい、タダシ様。何でしょうか」
「手を触ってもいいですか?」
「ひゃい!?」
ファファニアが狼狽えると、正司も同じになる。
互いに顔を赤くして背中を見せ合う。
「えっと……何て言うか……その」
「ど……どうぞ……わ、わたくしは、構いませんわ」
互いに背中を向き合わせて、そんなことを言う。
ナナメ下を向いたままそっと手を差し出すファファニア。
「ど、どうも」
正司も目線を合わせないようにして手を握る。
ファファニアの手は柔らかかった。
だが、指の表面はザラザラしており、微小な傷があるようで、引っかかりを覚える。
(やっぱりそうですか、ファファニアさんのような人でも、手荒れはするのですね)
この世界に保湿クリームなどない。
乾燥肌の人は、乾燥したままだ。
それと軍手のようなものもない。
手袋はあるが、それはファッションのひとつ。装飾としての意味合いが強い。
生地も弱いし、使い捨てではない。
何か作業をするときには、そのような手袋はかえって邪魔になる。
軍人は革の手袋をするが、耐久性を重視しているのか、作りは意外と雑だ。
この世界の人はみな、ちょっとしたものならばすべて素手で掴んでしまう。
つまり、手先の怪我がもっとも多い。
「あ、あの……タダシ様?」
手を握られ、すべすべと指を這わされて、ファファニアの顔は真っ赤になっている。
「ああ、すみません。考え事をしていまして」
「……い、いえ」
ファファニアはそう言ったっきり、俯いてしまう。
「ファファニアさん、思いついたことがあるのですけど」
「なんでしょうか」
「美容の範囲をもっと拡げてみようと思うのです」
「範囲を拡げる……ですか? それは一体、どのようなものなのでしょう」
「この町の地下には、源泉が存在します。そこで町全体を温泉地としようと思いました」
「はい。そう聞いています」
「温泉は日頃の疲れを癒やすのにもってこいです。湯治といって、病を治すのにも使います。つまり、この地で人々は命の洗濯をするわけです」
「はい。みなさま、とてもリラックスしてお帰りになると思います」
「それだけではなく、魔道具のマッサージで凝りをほぐしたり、スキンケアをしたりできます」
「あれはとても有用なものだとわたくしは思います」
「肌や髪は、ケアすることで見違えるようになりました。ですがみなさん、細かい怪我や傷痕とか残っているんですよね」
「も、申し訳ございません。気をつけていてもどうしても……ついてしまうのです」
「いえ、そういう意味で言ったのではないです……大きな怪我はさすがに無理ですけど、小さな怪我を治しつつ、全身を綺麗にしようかと思うのです」
ここに来る人は、みな健康になってほしいと正司は願っている。
それだけでなく、些細な傷やささくれた指、ザラザラの肌も同時に治したい。
温泉に浸かっただけでは、当然治るものではない。
ならば、そういったことをする魔道具を開発し、それこそ全身美容をこの町で実現できないかと正司は考えた。
「そのようなことができるのですか?」
「魔道具で微小な傷を治そうと思います。肌荒れやあかぎれ、ささくれなども治します。乾燥肌の人には保湿クリームを販売するのもいいですね。髪も……ああ、そうだ」
「ど、どうしたのです?」
「髪にパーマをあてたりできると思います。流行の髪型をこの町から発信させていきましょう」
垂らすかひっつめるだけが髪型ではない。
編み込んだりすることもあるが、毎日多くの手間をかけていられない。
必然、使用人のいない人たちは、楽な髪型に落ちついてしまう。
だが、パーマをあてればどうだろうか。髪型のバリエーションは増える。
「どのようなものか想像できないのですけど……」
「そうですね。では、今度魔道具をつくってみま……そうか。爪だ」
「はい?」
「爪――ネイルです。それも美容のひとつですね。ネイルアートというくらいですし、これも始めたら流行りそうです。ファファニアさん」
「は、はい」
もはやファファニアはついていけていない。
「爪を装飾することってありますか?」
ブンブンブンとファファニアは首を横に振った。
「爪は爪だと思います。装飾することは……ないですわ。少なくともわたくしは」
自分の爪をじっと見て、ファファニアはそう呟く。
「そうですよね。でしたら、流行る可能性が出てきました。あとは化粧品ですけど……さすがにこれは知識がないですね」
他に何かないだろうかと、日本での知識を思い起こすが、そもそも正司は女性の美容についてそれほど詳しくない。
この世界の住人の場合、ダイエットはほとんど必要ない。
太る人は、太れる余裕があるからなのだ。
そうではなく、もっと短期間で効果が実感できるもの。
美をトータルで実現するものを正司は考えた。
(ここには旅行に来るような感じですし、長期間で効果が出るのは歓迎されないでしょう。すると何がいいでしょうか。人の五感に訴えかけるもので……そうかっ!)
短期間で効果が実感できる美で、まだ取り組んでいないもの。
それを正司は見つけた。
「ファファニアさん! 香水ってありますよね。どのくらいの種類があるか分かりますか?」
「えっ? 香水ですか?」
正司は嗅覚に訴えかけるものを考えたのだ。
これならば、短期間でしかも美を追究する人たちに支持されやすい。
「ええ、市場にどのくらいの種類が出回っているでしょう」
「さあ……ああいうものは自分で抽出するか、出入りの商人が持っているものを買うのがほとんどですから」
「なるほど、統一的なブランドはないんですね。とすると、香りもその時々で違う可能性があるわけですか……」
よい香りが抽出できたらそれを売る。そんな感じだろう。
(決まった分量を決まった手順で抽出すれば、決まった香りができます。そうやって目に見えないものでもブランド化は可能でしょう)
光明が見えてきた。
これらを推し進めて、先のマッサージと合わせて温泉に来た人たちに提供する。
そうやってここを美の発信地にすればいいのである。
「構想ができました。ファファニアさん、ありがとうございます」
「えっ? あっ? はい」
「魔道具の研究をしてきます。期待していてください」
正司は目を輝かせてすっ飛んでいった。
○
「これはこれは、タダシ様でございますね。お待ち申しておりました」
ダクワンは、店に現れた正司に対して丁寧な礼をした。
シャルトーリアからの招待状を受け取ってからというもの、ダクワンはずっとやきもきしていた。
表だって探すわけにもいかず、また店を長く空けるわけにもいかない。
いつ正司が来てもいいようにダクワンは、じっと待機していたのである。
「初めましてダクワンさん。私はタダシと申します」
「店の者から聞いております。それと紹介状も拝見いたしました」
「今日は会えて良かったです。ダクワンさんと話がしたかったものですから」
正司は、王としての職務があり、毎日時間が取れるわけではない。ここへ来たのも三日ぶりである。
「そうですか。でしたら、奥へどうぞ。この者が案内します」
正司の前に現れたのは、くだんの店員である。
正司が本人かどうか確認するため、この店員もずっと店に詰めていたのだ。
店員は顔を真っ青にして正司を先導した。
応接室には豪華な調度品がいくつか並んでいた。
どれも手に入れるのに苦労するようなものばかり。
正司がそれを見ても「高そうだな」と思うだけで、どのくらい価値があるのかはまったく分からない。
店員はぎこちなく礼をして去って行った。
ほどなくして、着替えを済ませたダクワンが現れた。
貴人と会うときは、商人といえども着替えをするのである。
「先日、帝都サロンでシャルトーリアさんと会いまして、そのとき紹介状を書いてもらったのです」
クエストを進めるにあたって、正司は考えた。
ダクワンから有用な情報をどうやって手に入れるか。
とにかく、会って話すのは決定事項。
そこでどう話を切り出せばいいのか分からない。
マップで確認したところ、クエストの白線は、間違いなくダクワンを指していた。
正司はダクワンを見る。ダクワンもまた、正司を見た。
というのも、ダクワンの頭の中で「なぜ?」という言葉が渦巻いていた。
帝都サロンが行われたのはほんの数日前。
そこで紹介状を受け取ったのならば、ここに正司がいるはずないのである。
「今年の帝都サロンですか?」
「ええ、そうです。チュレル島で行われたサロンです」
「ははあ……」
何を馬鹿なと一笑に付そうとして、ダクワンは昨年の――この町のサロンでの出来事を思い出した。
サロンでは、古くからの名士が参加する。その多くが代官派だ。
つまりダクワンにとって、サロンはアウェイとなる。
この町の代官もたびたび顔を出すことから、ダクワン自身はサロンに参加したことがない。
代わりに、手の者を出席させている。
代官側に引き込まれる可能性はあるものの、相手の情報を得るにはもってこいの場。
ダクワンは手の者からサロンでの話を聞いた。
あの日、サロンに参加したのはトエルザード家の息女と魔道士。
魔道国をつくった人物の名は、ダクワンも把握していた。ただし、あまり積極的に覚えようとは思っていなかった。
魔道国などといったところで、村レベルの町がいくつか集まっただけ。
思惑があって大袈裟に騒いでいると考えていた。
シャルトーリアの紹介状を携えてやってきた者が、「それ」だとは最初気付かなかった。
トエルザード家が秘匿し続けていたことと、先入観から魔道士が青年だとは思わなかったのだ。
それでもダクワンは確信した。
正司がシャルトーリアと会ったのが、帝都サロンだとすれば話は通る。
帝都からこの町まで、伝令を飛ばしても何日もかかる。
この町に〈瞬間移動〉で来たのならば、伝令が間に合わないのも道理だ。
そしてもう一つ。
シャルトーリアがなぜ紹介状に符丁を入れたのか。
どんなに急いでも、伝令が間に合わないことを知っていたのだ。
そう、これは間違いなく、帝国の浮沈にかかわる相手だろう。
そこまで理解したとき、ダクワンは方針を固めた。
「私は商人でございますれば、タダシ様の要望に全力で応えようと思います。可能不可能は気にせず、なんなりとお申し付けください」
「そうですか……といっても大したことはないのですけど、帝国らしい品をいくつかいただけたらと思います」
「ふむ……帝国らしい品ですか?」
「これといったものは考えてないのですが……どうでしょうか」
正司は帝国の特産品について詳しくない。
品物を指定できないため、丸投げになってしまう。
ダクワンはしばし考えた。
「それでは、こうしたらいかがでしょう。帝国は広く、特産品も多種多様にあります」
「そうでしょうね」
「私がお薦めできるものがありますが、タダシ様のご期待に添えるかは分かりません」
その話に正司は頷いた。趣味趣向は人それぞれだ。
それに、有名でないものの中でも、正司にとってのアタリがあったりする。
「私ができる限りのものを用意いたしましょう。タダシ様がそれをご覧になって、その中から選んでみるのはいかがでしょうか」
「それは手間ではないのですか?」
「いえいえ、そういうことはお気になさらず……と言っても、すぐにはご用意できませんので、数日お時間をいただくことになりますが」
「分かりました。それでお願いします」
何度かダクワンと会って話をしたい正司にとって、それは願ったり叶ったりのことだった。
一方のダクワンにしても、正司が同意してくれたことで内心ホッとした。
というのも、在庫の品をただ売るだけの商売では、関係は一度きり。
次に正司が来訪するのを待っているしかない。
それでは駄目だ。ではどうすればいいのかとダクワンは考えた。
こちらが最高の品を揃え、その中から欲しいものを選んでもらうのはどうだろう。
そうすれば、話の持っていきかた次第で、何度でも会うことができる。
正司の素性に気付いてからここまでの流れを一気に組み立てたあたり、ダクワンは非凡な商才を持っている。
シャルトーリアが、多数派工作のために送り込んだのも頷ける。
そしてその狙いは見事に成功した。
もう一度正司が店を訪れることを約束したのである。
ダクワンはこの町にいくつも隠し倉庫を持っている。
そこにある最高級品をすべて持ち込もう。
同時に他の拠点からも取り寄せればいい。
次回には間に合わないが、次々回、またその次の機会を提供する理由になる。
ダクワンはそこまで考えた。
こうして正司とダクワンの一度目の出会いは、互いの思惑が成功したことで終了となった。
○
リザシュタットの町にあるリーザ城。
正司は、城内の執務室で眉間にシワを寄せたリーザを見つけた。
また何か面倒なことでも? と恐る恐る近づいてみると、大量の報告書に同時に目を通している。
「おはようございます、リーザさん。何やら大変そうですけど……どうかしましたか?」
「おはよう、タダシ。法の整備ができないのよ……タダシの言ったてんぼう?」
「ああ、『天網恢々疎にして漏らさず』ですか」
「そうそれ。一見緩いようにみえて、その実、悪事はすべてお見通しにできるような法ね。とにかく今ある法の運用で問題が出てきたところを修正しようかと思っているのだけど……どうにもね」
「何か問題でもありましたか?」
「一般の町民と、これまで棄民だった人たちが一緒にいるでしょ。法に対する考え方というか、意識の差が出ているのよね」
棄民生活が長い場合、法に縛られることがなかったため、遵法意識がほとんどない。
「どうして駄目なのか、その理由まで分からないと、なかなか法を理解するのは難しいですね」
家のゴミを道に投げ捨てたりする者がいる。
道がゴミの山で汚くなったら、そのとき集めて、別のところへ持っていけばいいと考えていたりする。
そういった細々としたことでも、正司はしっかり法に明記した。
魔道国の法は、他人に迷惑を掛けないことを主眼としている。
ゆえに普段何気なくしていることでも、不法行為となったりするのだ。
そしてそれを守る人と守らない人がいる。
リーザが言うには、元棄民に守らない人が多いらしい。
「こればかりは教育が進まないと、難しいのかもしれませんね」
実は正司は、魔道国をつくるにあたり、民主主義が導入可能かを判断した。
結果は、『否』。
民主主義、もしくは民主政治を執り行うには、一定以上の教育水準が求められる。
選挙によって選ぶ、選ばれる人それぞれが、しっかりと政治を理解している必要があるのだ。
そしてこれは、教育を変えればいいわけではない。
すべての人が教育を受けるには、生産性がいまよりずっと上がらねばならないことも分かった。
(よく小説とかで異世界の領地改革とかやっていますけど、あれは無理ですね)
生産性の向上が不可欠で、そのためには多くの作業が省力化されなければならない。
そうすることではじめて教育が浸透し、その後はじめて、社会制度の変化が可能となってくる。
「何かいい方法がないかしら」
「そうですね……」
人々の意識を変えるのは大変だ。
上から通達したところで、数日も経てば忘れるだろう。
一番良いのは教育だが、それには時間がかかる。
子供はまだいい。大人の場合は深刻だ。
そして大人に教育がない場合、得てして子供にも必要ないと思われてしまう。
学校をつくり、タダで通えるようにしたとしても「家の手伝いをしろ」と言われれば、子供は学校に通うことなく過ごすだろう。
強制的に行かせれば反発もする。
それは本意ではない。
では解決策はないのか。
「リーザさん」
「なに?」
「私は今後のことを考えれば、大人も子供も教育が必要だと思うのです」
「まあ、読み書きができると、便利よね」
「いま、どうやったら人々に教育を施せるか考えたのです」
学校を建てても通ってくれないだろう。とくに元棄民の人たちは。
「何か方法があるの? 民に教育を施すなんて、難しいわよ」
「はい、分かっています。すべての人に……というのは難しいかもしれません。ですから、こういったのはどうでしょうか。税金の代わりにする」
「……はっ? タダシ、いま何って?」
「魔道国の民の識字率が上がれば、国もより栄えるようになると思うのです。ですから、税金の代わりに学校へ通うというのはどうかなと」
いま魔道国で、税金を納める方法はいくつか存在する。
王国金貨などの貨幣で納めるもの。これは商人たちが使うやり方である。
生産物で納める方法。農民が選択する場合が多い。
労役で納める方法。職人や現金、土地を持たない者が選択する。
それ以外の方法として、学校に通うのを正司は提案した。
カリキュラムをつくり、何回かにわけて学ぶ。最後に試験をして、合格すれば税金を支払ったことになる。
「読み書きと簡単な算術、それに法知識なんかでどうでしょう」
「そうね……魔道国は土地家屋の所有を認めていないから、これから先、賃料は定期的に入ってくるわけだし、税金の一部を学校の勉強に充てる……ね。できないことはないと思うけど」
税金をそれで支払うなんて斬新すぎるとリーザに呆れられた。
「そうすれば大人でも、教育を受ける機会が得られると思うのです。短期集中コース、長期間の緩やかなコース、夜間コースなどいくつかあると、仕事の合間に学べるかなと思います」
「……分かったわ。可能かどうか検討してみるわね」
「ありがとうございます」
「それにしても税金を教育を受ける事で……なんというか」
変わっているとリーザは心底思うのであった。