120 化学反応
建国祭が終わり、ノイノーデン魔道国は、名実ともに国家としてスタートした。
正司が目指した先は、国家という途方もなく大きなものだった。
国には、民の安全を守るという義務が課せられている。
これは、正司がもといた世界でもそれは同じだ。
魔物の脅威があるこの世界では、現実的かつ身近な問題として、これが認知されている。
正司は、全力で民の安全を守らねばならない。
「こんにちはー!」
「おお、嬢ちゃんか。ようこそ、我が部隊へ」
ミラシュタットの町でミラベルが元気よく挨拶した相手。
それは、名前を聞いただけで周辺諸国は震え上がる将軍――ライエルであった。
ここでミラベルとライエルが出会うのは当然のこと。
二人がノイノーデン魔道国で出会ったとき、どのような化学反応を起こすのか。
当人たちはもとより、他の何人もいまだ想像できていない。
「あのね」
そうしてミラベルはライエルに話しかける。
「いいかい、タダシくん。同じ事を何度も言うようだけど、国は民を守らねばならない
これは分かるね?」
「はい。民はそれを当然のことと思っているのですね」
「そう。『当然のこと』というのが大事だ。それができなければ、為政者として失格だと思われてしまう」
ルンベックの言葉に、正司は大きく頷いた。
現在正司は、ルンベックから為政者としての教育を受けている。
ミルドラルの当主が、他国の王にそのような教育を施すのは、一般的ではない。
ではなぜ、このような教育が行われたのか。
いかに優秀な家臣がいようとも、王が間違った道を選んでしまうこともある。
どれだけがんばろうとも成功は約束されていないし、どれほど注意深く進んでも、完全に先が見通せることはない。
つまり王は他の人と同じように、道を間違えることがある。
いつまでもそれに気付かない場合、国が間違った方向へ進んでしまう。
間違った方向へ進んでしまった国は大変である。修正も遅れるほどに難しくなる。
そうさせないためにも、正司に為政者としての教育を施すべきだと、ルンベックは考えた。
正司も同じ考えである。
自国のことなのだ。投げ出すわけにもいかない。
分からないからと完全に人任せ、放任を貫くわけにもいかない。
かといって、時折思い出したように指示を出すわけにもいかない。
王が指示を出すとき、それはもう最終決定なのである。
行き当たりばったりや、思いつきで行っていいものではない。
ゆえに事前情報となる知識を蓄え、どのように決断すればいいか、同じ立場であるルンベックから学びたいと考えていた。
両者の思惑が一致し、このように時間を割いて講義が行われている。
「妻の講義を受けていて良かったよ」
ミュゼは正司に、幅広い内容の講義を行っていた。
それなりの期間、様々な常識や上流階級の考え方などを詰め込んだのである。
その教育があったおかげで、為政者としてすぐにスタートできる状態になっていた。
あとは実際に職務をしながら、実地で学んでいくだけでいい。
ルンベックはその仕上げとして、正司がまだ得ていない知識を中心に教えるだけでよかった。
「いま各町に領主と参与がいる。町の運営は彼らに任せればいい。だからタダシくんは彼らを統括する術を学ぼう」
「はい。よろしくお願いします」
領主は、信頼の置けるものを選出した。
問題なく町の運営をしてくれるだろうし、正司に新しい提案すらできる能力がある。
そして参与は、もう一段上の目線で町政をみることができる人材を据えた。
簡単に言えば、『王になったときの教育』を受けた人材である。
各町の参与は、以下の通り。
ミラシュタットの町の参与ミラベル。
リザシュタットの町の参与リーザ。
ニアシュタットの町の参与ファファニア。
彼女ら三人が、町政を把握し、国家全体を見据えた政治を受け持つことになった。
といっても、町政は領主の仕事であるから、今のところ実質的な権限はない。
アドバイザーもしくは、コンサルタントというのが正しい。
ルンベックが提案し、正司が了承した参与という職。
なぜ設置されたかというと、領主教育の中に、国王についての勉強が含まれていないせいだった。
代々領主の家系ですら、そのようなノウハウはない。
領主では気付かない「もっと大きな視点」で物事をみなければいけないとき、参与の存在が役に立つ。
というわけで彼女ら三人は、自領と魔道国を飛び回りつつ、正司と領主をサポートする職務が与えられたのである。
「町政をみさせてもらったよ。魔物の脅威に対する対応策は完璧だと思う。これ以上ないくらいにね」
ルンベックは、正司の政策に合格点を出した。
町を高い壁で囲い、高速道路という移動手段で安全を図る。なかなかできることではない。
河川や下水の整備など、あらゆる可能性を考慮したが、今のところどうやっても魔物が町中に入れないようになっていた。
では町周辺の魔物はどうだろうか。
魔物の討伐には傭兵団を中心とした部隊を複数設置し、積極的に魔物狩りを行わせている。
また魔物狩人を優遇し、各国から呼び寄せている。
できるだけ安全に魔物が狩れるよう、休憩所や避難用の砦も建築済み。
安全には十分、配慮している。
それだけではない。
将来的にはすべて魔道国の兵に取って代われるよう、その準備も進んでいる。
「問題は魔物以外ですね」
するとどうしても、そこに行き着いてしまう。
「そうだね。ただ、大陸の西側には、魔道国と敵対する国はないよ。敵対しても何のメリットもない。また、反社会的な集団も、いまのところ見当たらない」
ミルドラルはもとより、ラマ国と王国も魔道国に協力的だ。
十年、二十年先を考えたとき、正司が協力的なのと敵対的なのを比較した場合、どちらが得か、すぐに結論が出る。
今ですら敵対するより協力し合った方が、よっぽどうまみがある。
ちなみにラマ国はいま、第三の町に積極的に人を派遣している。
これまで、鉱山以外にこれといった産業がなかったラマ国では、かつてない好景気に沸いていた。
温泉地の町がスタートしたら、人の流れができることだろう。
「問題は帝国ですね」
結局のところ、懸案事項はただひとつ。帝国がどう出てくるかなのだ。
「帝国は昔から謀が好きな人たちでね、コッソリ動くのが上手い。私たちがいくら調べようとも、なかなか真実が手に入らないのさ」
だから出たとこ勝負となる……のは、よろしくない。
そこでルンベックは、いくつかの手を打った。
建国祭最終日に、帝都サロンに出没したのもそのひとつである。
サロンに参加させた者の中には、噂を広めるのに特化した者がいた。
サロンであることないこと吹聴して回っている。
バイダル公は実は不満を持っている。
ルンベックは魔道国の乗っ取りを企んでいる。
王国はラマ国とミルドラルを争わせて漁夫の利を狙っている。
そのような噂をいくつも流させた。
帝国はどれが真実なのか、さぞ困っていることだろう。
「そのうち三国同盟の話も伝わるだろうね。魔道国は、他の国と実は仲が良くないんじゃないかと邪推するかもしれない。三国同盟の中から抜けがけしようとする国があれば、裏から接触するだろう」
種は多く蒔いた。そのうちいくつかは芽吹いているはずだ。
帝国がどれを刈りにくるかで、考えていることを予想できる。
つまり、考えていることが分からないため、印をつけた『くじ』をいっぱいバラまいたようなものなのだ。
アタリもあれば、ハズレもある。
ルンベックは、あとで「消えたくじ」から、帝国の思惑を類推すればいいのである。
「友好、敵対、無関心……ですか」
「そう。大きく分けるとそんな感じだね。そこからさらに細分化できる。帝国がどう出てきてもいいように網は張り巡らせておいた。ここを乗り切って、安定的な関係を築ければいい」
「ひとたび安定すれば、なかなか崩れないですしね」
「そうだね。そのためには、最初が肝心だ。舐められるのは困る。畏れられ過ぎるのも考え物だ。急進的な国――いわゆる侵略国家だと思われれば、帝国も本腰いれてくるだろう。だから一番いいのは……」
「手を出したら危険だけど、手を出さない限り安全と思わせるのですね」
「そう。だけどそれをこっちから言ったところで意味はないからね。帝国にそう思わせる……それが大変だ」
「自分は怪しい人物じゃない」と言えば、相手が全面的に信じるかといえば、そうではない。
そんなことを自称する相手こそ怪しい。
国家と国家の関係もそう。見た目だけで相手国を判断したりしない。
ゆえに「そう思わせる」のは、意外と大変な作業になる。
「何事も焦る必要はない。ゆっくりやっていこう」
「はい」
「じゃ、あと何回かはここに通ってほしい。我が家のノウハウをできるだけ教えよう」
こうしてルンベックは、為政者の責務を正司に教えていくのであった。
ルンベックの指導が終わり、正司が詰め込んだ頭をフラフラさせていると、リザシュタットの町から戻ったばかりのリーザと出くわした。
驚くリーザに正司はこれらの事情を話す。
「……なるほどね。まっ、がんばりなさい」
「投げやりですね、リーザさん。かなり辛いんですよ、これ」
「分かってるわよ。だって、それ。私も通った道だもの」
と至極もっともなことを言う。
「そういえばそうでした」
考えてみればここ数ヵ月、ミラベルも同じことをしているのだ。
正司だけが大変なわけではない。というか、正司こそ当事者なのである。
弱音を吐いている暇は無い。
「あのね、タダシ。王の採択ひとつだって疎かにはできないのよ。なにしろ、参考にする案件は多岐にわたるわ」
「ええ、分かります」
「何かの調整するときもそう。一年先、二年先だけみてもしょうがないの。広い視野と遠くを見通す目の両方を持って、ようやく『これかな』って判断できるのよ。その上で『間違えていない』と確信できていなきゃ、胃が持たないわ。ルノリー……大丈夫かしら」
ただいま勉強中である弟を心配するリーザだが、その気持ちは正司にもよく分かった。
(一国の首相や大統領の大変さが理解できました。決断の連続はたしかに胃にきますね)
町という「ハコ」をつくるまでなら、正司でもできた。
これに人が加わり、「ハコ」が「国」になった。
今度は政治と経済をみなければならず、他国との関係も重要になってくる。
やることが加速度的に増えて、決断すべきことが目白押しとなってくる。日に何十という決断をしなくてはならないのだ。
いまはまだ部下に頼っているが、いつかは独り立ちしなければならない。
「大変だから」と言って、サボることも逃げることもできないのである。
正司が救いたいと願っている人たちは、まだまだ大勢いる。
そして彼らは一度、国から見捨てられている。
もう一度捨てられたらどうなるのか。彼らに絶望しか残らないのではなかろうか。
もしくは国を酷く憎むようになるのか。どちらにしろ、それはできないし、したくない。
「……が、がんばります、苦しくても」
「そうね。それがいいわね」
そこでリーザは「ふぅ」とため息を吐いた。どうやらリーザはリーザでいろいろあるらしい。
「どうしたのです? リーザさんもお疲れですか?」
「そうよ。帝国が動くとしたら、海路しかないでしょ。私もやることが多いのよ」
建国祭を控えたある日、リーザは、正司と未開地帯の安全性を確認しに向かった。
これまで大陸の西と東の接触は海路のみであった。
そもそも距離が離れすぎている。
未開地帯や絶断山脈、凶獣の森といった人跡未踏の地が間に立ちはだかっている。
さらに魔物という防壁があったため、帝国がやってくる可能性は考えていなかった。
だが帝国が本気になれば、不可能が可能になるかもしれない。
リーザはそう考えて、未開地帯の地形と魔物のグレードを調査したのだ。
結果、どうあっても無理。
軍隊規模で未開地帯を抜けるのは不可能ということが分かった。
高グレードの魔物の棲息地帯がかなりランダムに配置されており、戦わずに進むのは難しい。
高グレードの魔物が出る一帯を調査し、そこを避けて通るのは現実的ではない。
少しずつ拠点をつくり、何年もかけて準備すれば可能だろうが、そんなことをすれば、いずれ露見する。
となれば、帝国が攻めてくるのは海路しかない。
「帝国がこっちに来る方法は、これまで二種類だったのよ」
絶断山脈の裂け目を通る方法と海路である。
「絶断山脈は塞いじゃいましたしね」
正司が巨大な壁を設置してしまった。
「つまり南回りか北回りで来るわけだけど……最初に狙われるとしたら、一番近いリザシュタットの町だと思うの」
そのためリーザは、知恵を絞って、対帝国の方策を考えていた。
もちろん「全部正司に任せればいいんじゃない?」という意見もあるが、それは最後の手段。
正司なしでも跳ね返せるよう、町の防備を固めて、それを民に見せる必要がある。
「帝国はやってくるんですか?」
「昨年私が、あちこちのサロンに顔を出したでしょ」
「ええ、かなり評判になったと聞いています」
クラッシャーした件で……とは正司は言わなかった。
「軍部がね……大規模行動を起こしそうなのよ」
サロンをハシゴしたリーザだからこそ、分かったことも多い。
帝国貴族は、新旧の二種類がいることが分かった。
変革を望まない旧貴族は日々の暮らしが永遠に続くことを願っている。
反対に新しい貴族は、燻っている軍部とつながりを持ち始めていた。
これが危険だとリーザは感じた。
「サロンでいろいろ調べたわ。たとえばいまの帝国だけど、内乱鎮圧のために大規模な軍を動かすのは無理ね」
「そうなんですか?」
「莫大な金がかかるわりに、儲けがないのよ。土地も得られないしね」
「内乱ですし、土地は得られないですよね」
「内乱を鎮圧しても、帝国の土地不足は解消しないわね……まあ、それはいいとして、得るものがないクセに失敗できないのよ。だから軍部がどんなに言っても、貴族たちは二の足を踏むわけ」
帝国各地に叛乱勢力が散っている。
ときどき彼らを適度に狩っていけばいい。
鎮圧しようとした場合、まるでしらみつぶしのような作業が必要となる。
とにかく大勢の兵を同時に展開させ、包囲網を敷く必要がある。
そんなことをすれば大金が必要になり、成功しても得るものがない。
失敗したら大ダメージとなるため、やる意味が無い。
そうすると軍部に活躍の場がなくなってしまう。戦いがないから功績が得られないのだ。
上は支えているから、事務仕事をいくら真面目にしても出世できない。
「力を発揮したい兵と手柄を立てたい上昇志向のある上官たち。それと新貴族たちがつるんでいる感じね。そこに『おいしい餌』の噂を聞いたってわけ」
「おいしい餌ですか?」
「魔道国のことよ。帝都サロンの話がどこまで伝わるか分からないわ。意味を理解しない者たちも多いでしょうしね。まだ生まれたばかりの新興国。征服しがいがあると考えるでしょうね」
「……なるほど」
「そういうわけで、帝国が魔道国に行動を起こす理由はあるわけ。で、やってくる先が港町ならば、早急に対策を立てておきたいじゃない。だから悩ましいのよ」
「そうですか。それは大変ですね。頑張ってくださ……痛たたたたたっ!」
「どうして他人事なのよ、あなたはっ!」
正司がもがくが、リーザの「掴み」が正司の顔面から離れない。
「あー、お姉ちゃん、またタダシお兄ちゃんをイジめてるー」
そこへミラベルが現れた。
「苛めてないわよ。これは教育」
「体罰は禁止されているんで……なんでもありません」
隙をついてリーザから離れる正司と、その間に割り込むミラベル。
「分かったわよ、もうしないから……それであなたはどうしたの? 町はいいの?」
「うん。私? 順調だよ!」
「そう。順調だったらいいわ。防備は固めている?」
「そっちも大丈夫!」
いつものリーザとミラベルの会話である。
この時点でリーザもミラベルも、シャルトーリアが方針転換したのを知らない。
もっとも、帝国の版図はあまりに広く、帝国の上層部ですら地方の動向を把握できていないため、帝国全土はどうなるのかは未知数だが。
「本当に大丈夫なの? あなたはいつも返事だけはいいんだから」
「えへへー……」
それでもリーザは緊張を解く。
ミラシュタットの町は、リザシュタットの町にくらべて緊急性はない。
ミラベルがなにかする時にはもう、正司が出張っているのだから。
「それではそろそろ戻ります」
「あら、夕食を食べていきなさいよ」
いつも屋敷に寝泊まりしている正司だが、最近は魔道国にいる時間がずっと長い。
「まだ仕事が溜まっていますので、夕食は今度にします」
「……そうね。王様は大変だものね。部屋は残してあるんだし、気軽に使ってちょうだい」
リーザの知る限り、大変ではない王はいない。
「はい、ありがとうございます。それではリーザさん、ミラベルさん。また来ます」
「ええ、次回はもっとゆっくりしていきなさい」
「お兄ちゃん、またねー」
二人に見送られて正司は魔道国へ戻っていった。
先ほどリーザが言ったように、正司の部屋はまだある。
いつでも正司が泊まれるようにというのが、トエルザード家の方針だ。
ちなみに正司はいま、毎日寝所を変えていたりする。
各町をローテーションしながら仕事をしている。
なまじ〈瞬間移動〉できるため、そうなっている。
町の役人たちは、正司が三日に一度やってくるのを手ぐすね引いて待っている。
そして限界まで仕事をして、そこで休む生活を続けている感じだ。
「……タダシくんは? ここにいると聞いたのだけど」
ルンベックがやってきた。
「たったいま、帰ったわよ」
「そうか。入れ違いだったか」
「明日も来るのでしょう? 何か緊急でもあったの?」
「帝都サロン、我が家分の情報がまとまったんでね。話をしようかと思ったのさ」
ルンベックは、あの席を最大限に生かすため、いろいろと準備をしていた。
その一つが、情報収集と情報拡散である。
各国とも同じ事をしているはずなので、あとで情報を交換するとして、とりあえず集まったものを吟味しようと思ったのだ。
「サロンで集めた情報ね。私も気になるわ」
「では明日、タダシくんと一緒に聞くかい?」
「そうね……情報は他にもあるのでしょう?」
「集まったのはこの町からサロンに出席した人たちの分だね。他の町から参加した人の分は追って届くはずだ」
建国祭が終了して、正司は全員をそれぞれの町へ送った。
〈瞬間移動〉でパッパッと送り届けただけなので、それほど時間もかかっていない。
「お母さまの方もありそうね。でもアッチは独自のツテが多いから、少し時間がかかるかしら。でしたら、明日タダシと一緒に聞きますわ」
最終的に集まる情報はそれだけではない。
ルンベックもミュゼも自国人以外からも情報を集めている。
というのも、魔道国に人々が住み始めると、どうしても足りない物がでてくる。
いくら事前に均等になるよう考えたとして、そういったことが起こりえる。
どこかからか、補充しないといけないのだ。
そこでルンベックは、王国商人にこう囁いた。
「魔道国に、あなた専用の店舗を持ちたいと思いませんか」と。
「もし魔道国に店舗を持ちたいのでしたら、帝都サロンに参加して有益な情報を引き出してください。それと引き換えです」
それを聞いた商人は、それはもう張り切って情報を集める。
ミュゼも同じだ。美容によってツルツルテカテカになった信者たちを帝都サロンに解き放った。
まるで鵜飼いの鵜のように、彼女たちは次々とミュゼに情報をもたらした。
「では明日のこの時間に集まろうか。ちなみに、軍事、政治、経済、流行、派閥……どれがいい?」
ルンベックの出したカードにリーザは苦笑する。
この町の……と集まった情報が限定されたわりには随分と量が多い。
「それじゃあ……政治にしようかしら」
「わたし軍事っー!」
「おや、ミラベルは軍事か」
「うん! 最近、面白いんだ」
そう叫んだミラベルの顔は、とても輝いていた。
ルンベックもリーザも、まぶしいものを見つめるような目をした。
「偉いわね、ミラベル。がんばるのはいいことよ」
「うん! がんばる!」
「よーし、私も頑張っちゃうぞー」
それは、権謀術数のなかに身を置くトエルザード家の、ほんわかとした家族の語らいであった。
ミラベルが参与を務めるミラシュタットの町は、いつになく活気に満ちていた。
先日正司は、試験的に『探索者カード』の運用を始めた。
以前より、互助会の発行するカードや、冒険者カードなど、各種呼び名があったが、このたび正式にそのように呼ばれることになった。
未開地帯の奥深くに分け入るため、「探索」という言葉が相応しいと相成ったのである。
そのうち、未開地帯を探索する者たちが「探索者」と呼ばれるようになるかもしれない。
その探索者カードは、以前より改良が加えられている。
もともとは未開地帯の一番近い拠点へ〈瞬間移動〉できる機能が組み込まれていた。
ただしこれは、まだ一度も訪れたことのない拠点へ跳ぶこともあり、未開地帯の中で迷子となるのは危険である。
そのため、実用化には何らかの改良が必要と思われてた。
だがこのカード、製作コストと機能を考えると、これが絶妙なバランスの上で成り立っていた。
これ以上の機能を組み込もうとすると使用する素材のグレードが上がり、かなり割高になってしまう。
減った分の魔石をチャージするには、高グレードの魔石が必要となり、相当の出費を覚悟しなければならなくなる。
そのため、なんとか現状の素材と魔石でうまく改良できないかと、正司は頭を悩ませていたのである。
このように、目指す先が見えたのならば、正司がトライアンドエラーを繰り返せば、先に進める。
時間をみつけて正司が改良を加えたことで、なんとか実用化の目処が立った。
カードに多くの機能を盛り込むことができなかったため、ほんの少しだけ中身を追加した。
正司がプログラマであったことが幸いし、IF構文の条件分岐をうまく組み入れることができた。
これにより、一度でも拠点に訪れた事がある場合、カードは既存の拠点に跳ぶ。
もし近くにない場合のみ、まだ訪れたことのない拠点へ跳ぶ仕組みとなった。
この改良では、使用する素材と魔石のグレードは変わらない。
正司としては、クライアントの無茶ぶりによくぞ応えたといった心境である。
ただし、このカードを何度も使用すれば、中の魔石のエネルギーが枯渇する。
再使用には魔石をチャージしなければならず、それなりの費用がかかる。
探索者カードを発行することで新しい需要が生まれる反面、魔石の価格が上がることが予想される。
試験的に運用してみて、使い勝手と経済における影響を確かめねばならない。
それをミラシュタットの町ではじめることにしたのだ。
そして未開地帯にある拠点であるが、正司は現在、二種類設置している。
少人数が利用できる休憩所と、大勢が利用する砦である。
砦と休憩所は1:10ほどの割合となっており、今後も町の拡張とともに、未開地帯の奥地へむけて拡げていく予定である。
この拠点すべてに現状を確認する大まかな石版の地図を設置した。
これは正司のマップが埋まってきたから実現できたもので、地図を見れば自分がどこにいるのかも分かるようになった。
なにはともあれ、未開地帯の狩りは危険という認識は、徐々に崩れていくことだろう。
そしてそれを座して見逃すライエルではない。
カードの試験もそうだが、兵の訓練、魔物狩人たちの実力を底上げする意味でも、未開地帯はこの上ない理想郷だ。
カードに拠点というお膳立てが整えば、これを利用しない手はない。
「だったら合宿だよね!」
「やはりお嬢ちゃんは分かっている」
最近ミラベルとライエルは意気投合している。
何かにつけて、意見が合う。性格というか、方向性が似ているのだろう。
「よし、それでは合宿に耐えられる身体作りから始めんとな」
合宿は命がけになる。まず、合宿に連れて行けるレベルまで育てなければならない。
「それじゃあ、さあ。こういうのはどうかな?」
ミラベルがライエルに耳打ちする。
「ふむ……なるほど、それはいいかもしれん。どこでそんな技を?」
「タダシお兄ちゃんが前に言ってた」
「そうか。タダシ殿が……なるほど。集団行動を教え込むには、もってこいであるぞ」
以前、正司がミラベルに教えたのは普通のマスゲームだった。
集団行動を身体で覚えるにはそれが一番であるとか、そんな話をした。
というのも、正司が見た限り、この世界の軍は近代的な組織編成まで洗練されていない。
役割分担をして、効率的に動いたり、上官の命令に下が従うのはもちろんある。
だが、隊列を組んで移動したり、集合散開、方陣、円陣などの集団行動をやっているのを見たことがなかった。
兵装も各自が得意なものを装備する感じで、両手剣を持った者の隣に片手剣と盾を持った者がいたりする。
つまり弓隊、槍隊などの区別はなく、歩兵とひとくくりにされている感じだ。
さすがに魔法部隊だけは別だが、同一の魔法を使う者たちだけを集めているわけではない。
ゲームだと兵種ごとに部隊が構成されているのが当たり前で、正司もそういった認識を持っていたため、最初に軍行動を見たとき、ちょっとした違和感に襲われたものだ。
傭兵団や魔物狩人を見ていると、その傾向は顕著で、正司としては「集団行動できるのだろうか」と心配になったりする。
正司がそんな心配をしていると聞いたミラベルが、ライエルにやや大袈裟に話した。
ライエルは日頃から個人の武勇と集団での動きは大切だと考えていたため、この話に乗った。
マスゲームにライエルなりの厳しさを加えたのである。
たとえば行動が乱れたところには、容赦なくライエルが登場する。
それが嫌ならば……いや、命が惜しければ、一糸乱れぬ行動をすればいい。
そんな感じだ。
つまり、ライエルが行おうとしているのは、自らを限界まで追い込むマスゲームである。
人は限界からでも歩を進められる。限界を乗り越えた先で、逆境を撥ねのける力が育つのだ。
逆境を撥ねのけた者は、顔つきからして違ってくる。精強な兵を育てるためには、ときに荒治療が必要なのだ。
「がんばってね!」
「任せろ。わしが最強の強者を育ててみせよう」
集まったのは、魔道国に移住した兵、正司が雇った傭兵団、魔物狩人たちである。
彼らが未開地帯の魔物を狩り、民の安全を守る人の砦だ。
その教育を任されたライエルは、手を抜くはずがない。
「育ててみせようぞ!」
預かった者たちを一騎当千の猛者になるまで鍛え上げると、ライエルは誓った。
「……お父様。最近私、あの子の姿を見ていないのですけど」
リーザがふと、そんなことを言った。
「ミラベルかい? そういえば……家に戻ってないな」
「やっぱりですか。変ですわね」
リーザは首を傾げる。
「ミラシュタットの町にずっといるんじゃないかな」
「あの子がですか? またサボっているのかしら」
「それはないだろう。向こうでサボっていようものなら、私の所に連絡がくる」
ルンベックは自分の娘だろうとも、無条件に信頼していない。
異変があれば、すぐに分かるように手配してある。
「それでしたらいいのですけど……」
「いまニアシュタットの町が大変なことになっているからね。ミラベルも頑張っているのさ」
「そうですわね。三番目の町は、移住希望者が想像以上に……いえ、想像通りというのでしょうか」
前の二つの町とは違い、ニアシュタットの町は建国後初の移住となる。
魔道国の評判は上々で、これならばと多くの移住希望者が現れた。
それこそ、捌ききれないほどに。
といっても、各国で移住できる上限数は決まっている。
そして様々な職業の人々を均等に移住させることになっている。
どのように選別するかは重要だ。
ことがことだけに、家臣に丸投げといかないのが辛いところである。
よって、ミラベルの音沙汰がない状態が続いたとしても、ルンベックもリーザもほとんど気にしなかった。
向こうで頑張っているのだろうと。
そして最近正司も屋敷に顔を出していない。
これは正司が国王としての仕事に忙しいからだと二人は考えていた。
その頃、正司がどこにいたかというと……。
正司は帝国のヒットミア領、グラノスの町にいた。
帝都サロンで書いてもらった紹介状の相手……この町の商人ダクワンと会うのである。