118 帝都サロン
「こ、これは……これは一体何だぁ~~~~!」
島全体に響き渡るほどの大声が司会者の口から飛び出した。
正司が消えたかと思えば、二万人を連れて戻ってきたのである。
そのうち、四分の三が武装した兵。
司会者の大音響に会場を見た人々は、その物々しさに度肝を抜かれた。
帝都サロンの会場は、一気に緊張ムードに包まれた。
それもそのはず、突如出現した者たちの腰には、実用に耐えうる剣が吊されている。
それを目ざとく見つけたサロンの参加者たちが、一様に後ずさる。
すぐに鎧の音を鳴らしながら、警備の者たちが駆け足でやってきた。
だが圧倒的に数が足らない。
会場周辺を守っていたのは二千名ほど。建物の中にも同数はいる。
参加者が連れてきた護衛を合わせれば、五千を超えるくらいだろうか。
――すちゃりん
帝国兵が剣を抜き、油断なく構える。
すると、これまで無言だった一万五千の兵が、これまた同時に剣を抜いた。
――チャララーン
帝国兵たちが怯む。
一糸乱れぬ統制のとれた動きを目の当たりにして、警戒レベルを最大限まで引きあげた。
それもそのはず。
チュレル島に現れた一万五千の兵は、ライエルが自ら選んで指導を施した精鋭なのだから。
腕に覚えのある者ほど、彼らの中に秘められた実力を見抜いてしまう。
「………………」
「………………」
両陣営が剣を抜いたまま動かない。
一人でも動けば、そのまま大規模戦闘になだれ込むだろう。
ゆえにだれも動けない。
動いた瞬間、決壊したダムのごとく、収拾つかなくなることは目に見えている。
護衛である彼らが進んで戦端を開くわけにはいかないのだ。
「ど、ど、ど、ど……どういうことでしょう~~~。このあと一体、何が始まるというのでしょうか」
プロ意識か、司会者は逃げることなく実況を始めようとしている。
ただし、それを聞いている者はほとんどいない。
帝都サロンの参加者たちはもう、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまっている。
当たり前である。
このサロンに招待された者たちは、少なくとも一般の民より目端が利く。
この状況下で呆けている者などひとりもいない。
みな目立たないよう声を殺して、足音を消しながら兵の視界から全力で消え去ったのである。
そしてこの状況を上から眺めている者がいた。
「……あれは?」
宮殿の上階に備え付けられているベランダ。
そこのテラスから、軍服をまとった女性が見下ろしている。
司会者が「ノイノーデン魔道国」の名を出したときから彼女はステージを注目していた。
正司がステージにあがったときも、突然消えた瞬間も見た。
帝国内の情報をつぶさに集め、〈瞬間移動〉を使う者が現れたことも耳にしていた。
それでも、自分が見つめていた相手が消える瞬間を見たのは、初めてである。
「瞬間移動? まさか!?」
思わず立ち上がったほどだ。
「どうされました?」
そばに控えていた渉外担当大臣のクオルトスが訝しげな声をあげる。
彼は正司が消えた瞬間を見ていない。
ちょうどクオルトスの座っている位置からでは、ステージを見ることができなかったのだ。
「ステージで面白いものがみえた」
「そうですか?」
クオルトスが身体を捻り、ステージの方を向くが、当然もう正司はいない。
何がそんなに面白いのだろうと、クオルトスが首を捻っているとき、正司が二万人の「友人」を連れて、戻ってきたのだ。
「はうわっ!?」
クオルトスがあげた声に、彼女の叫びはかき消された。
想像だにしなかったことが起きて、驚いたのは彼女も一緒である。
「ベッケン!」
「はっ!」
ここではじめて、彼女――東方軍司令長官シャルトーリアは動いた。
「魔法感知の魔道具をここへ」
帝国には魔法が使われたり、魔道具が持ち込まれたときに反応する検知盤がある。
検知盤は、お盆程度の大きさがある。ベッケンはそれを両手で持ってきた。
シャルトーリアはすぐさま起動させる。
「……振り切れているな」
「この距離でですか!?」
クオルトスもこの検知盤のことは知っている。
魔道具を隠し持っている者を判別し、部屋に仕掛けられた魔道具にも反応する。
数は少ないが、上位貴族ならば自衛手段のひとつとして持っていてもおかしくないものだ。
ルンベックが襲われたように、魔道具は一見してそれと分からない形をしていることがある。
護衛も、「気がつきませんでした」では済まないため、こういった検知盤が必要になってくる。
隠し持っているものでも発見できるすぐれものだが、ひとつだけ欠点があった。
これは魔道具に込められた魔力を検知するのだが、距離の二乗に比例して検知能力が落ちてゆく。
一メートル離れた場合と二メートル離れた場合を比較すると、検知できる量が四分の一になる。
つまり、疑う相手にバレるのを承知で、近寄って測る必要が出てくる。
「これだけの距離があって、針が振り切れるってことは、あそこにいる全員が魔道具持ちでも驚かないわね」
あの集団から発せられる総量が多すぎたことで、距離の二乗で減衰されてすら検知盤を振り切っているのだ。
「それほど大量の魔道具が……? 聞いたことありませんが」
「とにかく私が出るしかなさそうね」
「殿下が? それはあまりに……」
「そうでもしないと、今にも戦闘が始まりそうよ」
「ですが、他の者を向かわせば済むことです。高貴なるお方があのような者たちの前に出るとなれば、帝国の名に傷がつきます」
クオルトスが必死に説得するが、シャルトーリアはすでに歩き出していた。
慌ててクオルトスも続く。
シャルトーリアは帝都サロンに出席したが、最初に顔を出しただけで、ずっとこのテラスにいた。
ときおり、特別に認められた者だけが挨拶にくる。
午前中、シャルトーリアに挨拶できたものはわずか五名。
ひとりが帝都サロンを開催したトラウス領の領主ルーカントであることを考えれば、特別に認められた者がいかに少ないか分かる。
ちなみに残り四人のうちのひとりが、いま話し相手となっている渉外担当大臣のクオルトスである。
シャルトーリアはかつて皇帝が避暑に使っていたという宮殿を抜けて、庭に出た。
彼女が歩くだけで、精鋭たちが脇に並び、後ろにつく。
ステージに着いたころには、シャルトーリア直属の精鋭が全員揃っていた。
「お初におめにかかります、ノイノーデン魔道王陛下。……して、これは何の騒ぎですか」
シャルトーリアは、余裕たっぷりの表情を崩さないまま、そう正司に問いかけた。
「はじめまして、タダシです。えっと……どちらさまですか」
シャルトーリアの唇がピクリと動いた。
「これはこれは、シャルトーリア様でよろしいのでしょうか。お初にお目に掛かります。ミルドラルのルンベック・トエルザードと申します」
紹介されてもいないのに、外から会話に加わるのは失礼なことだが、両陣営とも剣を抜いた状況である。
この場が収められるならば、だれでも構わない。
シャルトーリアは、正司から視線を外してルンベックに向き直った。
「いかにも……私は皇帝陛下より帝国軍東方司令長官を賜っておりますシャルトーリアです。ご高名なルンベック卿に覚えていただけたとは、光栄です」
「こちらこそ、高貴な生まれながら軍事だけでなく、政治にも秀でておいでと噂のシャルトーリア様に拝謁できて、これ以上の喜びはございません」
ルンベックは深く頭をさげた。
一触即発で睨み合っているこの状況で豪胆なことだと周囲は思っただろう。
シャルトーリアは逆に、この一連のシナリオを誰が描いたのか瞬時に理解した。
「帝都のサロンへようこそルンベック卿、そしてみなさま。せっかく来ていただいたのですから、心ゆくまで楽しんでもらいたいところですけど……物々しい出で立ちの方々は、どういった趣向でしょうか」
ある意味核心の部分である。
帝国と事を構えるのか。シャルトーリアの目はそう物語っていた。
「少々驚かせてしまいましたね。……なに、私の家臣たちが言うのです。最低限の護衛は必要ですよと」
「これが最低限ですか?」
シャルトーリアの瞳に怒りの色が見える。恫喝の間違いではないのか。
「はい、まことに残念ながら……最低限の護衛です。あっ、そうそう。貴国からの許可も戴いておりますよ」
ルンベックが懐から出したのは、見覚えのある紙。
帝国が発行している公式文書である。
――重要人物一人につき、護衛三人まで認める
それにはそう書かれていた。
「………………そういうことでしたら、仕方ありませんね」
シャルトーリアが手を振ると、周囲の兵が剣を収める。
それを見届けて、ルンベックが頷く。
一万五千人の護衛が一斉に剣を収めた。
「それではみなさん、せっかくきたのです。サロンを楽しみましょうではありませんか」
ルンベックがそう告げると、一同は三々五々と散っていった。
そうするよう、あらかじめ話がしてあったのである。
それを黙って見つめるシャルトーリアの頬は、本人の意志とは別に引きつるのであった。
「魔道王陛下、そしてルンベック卿、私と話などいかがかしら。場所を用意させます。こちらへどうぞ」
様々なものを盛大に飲み込んだシャルトーリアは、宮殿に向かって歩き出した。
二人を宮殿の一番良い部屋に案内させ、サロンを主催しているルーカントに相手をさせる。
シャルトーリアは着替えるため、宮殿内につくらせた自室へ向かった。
「話が違うじゃないの」
出会い頭にそう言われて、宮殿内で待っていたクオルトスは、黙って頭を下げる。
クオルトスにしても予想外であったし、リアクール情報大臣などは前回に続き、今回も失点してしまったことになる。
今頃青くなっていることだろう。
「申し訳ございません」
「……いいわ。許します」
今回、してやられたのはシャルトーリアも同じだ。
ルンベックの強かさを見誤っていたとも言える。
ルンベックが邪魔な存在であるのは分かっていた。
裏で手を回して襲撃させたのもシャルトーリアである。
激昂してトエルザード公領にいる帝国の役人を拘束、ないしは殺害すればしめたもの。そうでなくても、強硬な手段を講じてくるだろうと予想していた。
あとで攻め入るときの口実になると考えていたし、非道を宣伝し、敵愾心を煽っておきたかった。
だが実際はというと、暴力的な動きは皆無。
無意味な抗議を続けるだけだった。
「思ったより無能なのかしらね」
そうシャルトーリアは感想を述べた程だった。
「帝国の大きさを知っているのでしょう。とすれば優秀な人物かと」
そんなことを言われてその気になっていた。
考えてもみれば、自分の命が狙われたにしては、動きが緩すぎた。
被害者なのだから、徹底的に糾弾してきてもよかったのだ。
政治的な情報を引き出すか、謝罪の言葉と見舞金を受け取ることで、自尊心を満足させれば良かったのである。
そうではない手段に出てきた段階で、もう少し警戒しても良かったと、シャルトーリアは今になって気付いた。
「相手の対応が緩すぎるときは、別の手管を考えていると見るべきね。勉強になったわ」
その時点で慢心してはいけないと、シャルトーリアは肝に銘じた。
今回の登場劇は、最初から最後までルンベックの描いたシナリオ通りだったのだろう。
それに外れた行動を取ろうとすれば、帝国の立場が悪くなっていたに違いない。
「確認するけど、ノイノーデン魔道国はたしか新年で建国だったわね」
「はい。各町のサロンに出没した者は、そのような噂を振りまいておりました」
リーザが吹聴して回った内容は多岐にわたる。
その中でも、ルンベック襲撃事件とノイノーデン魔道国の話はどこのサロンでも話していた。
当然シャルトーリアの耳にも入っている。
「各大臣に通達。やってきた者たちの中で、重要度の高そうな者に接触して情報を集めてちょうだい」
「何の情報でしょう」
「何でも構わないわ。自分の管轄内なら、多少の融通を利かせられるでしょう。それで噂話以上のものを集めさせて」
「畏まりました」
「とくにミルドラルは重点的に」
「心得ています」
シャルトーリアが着替えに入るので、クオルトスはそれ以上進まない。
すぐに踵を返して、いま言われたことを実行しに戻るのであった。
「タダシくん。この部屋にきてよかったのかい? だれかに用事があると聞いたけど」
別室に連れて行かれたルンベックと正司だが、場所を用意すると言われたわりには、準備はすでに終わっていた。
いつでも使える状態になっていたのだろう。
「はい。目的の人がたまたま……でしょうか。あのシャルトーリアさんだったのです」
「……そうなのかい?」
「間違いないです」
「変だな……彼女は第二皇子の娘で皇族だ。東の軍を預かる女傑だけど、あまり人々の前には出ないはずなのだけど」
それどころか、大陸の西側の人間で会ったことがある者は皆無だろう。
ルンベックでさえ、帝国の重要人物の名前と特徴をすべて暗記していたからこそ、あの場で名を言い当てられたのだ。
もっとも略式軍装の記章から判断はついたのだが。
「もう一度確認するけど、これから先のことは分かっているね」
「はい。教えていただいた通りにできると思います」
「それならばいい。王は民を守る義務がある。常にそのことを覚えておくといい……おっと来たようだね」
扉がノックされ、壮年の男性が姿を現した。一人である。
やや怜悧な印象だが、なるべく相好を崩してそれを目立たせないようにさせている。
ちなみにここで待っていたのはルンベックと正司のみ。
さきほどの護衛三人の話はどこへいったのか。
「魔道王陛下とルンベック様ですね。はじめまして、トラウス領の領主ルーカントです」
「はじめまして、タダシです」
「ルンベックです。お初にお目に掛かります」
集まった三人は帝国とミルドラル、そして魔道国を代表する者たち。
国家としては対等だが、歴史や大きさ、世界に与える影響などで、同じ国でも格差が存在している。
当然帝国が上であり、帝国の領主といえば、他国の国王と同じレベルと考えてよい。
ただし国際儀礼上は、王の方が上と扱われる。
そのため、この中の序列をいえば正司、ルーカント、ルンベックとなる。
行使できる権力の範囲を考えるとルーカント、ルンベック、正司の順となろうか。
「先ほどは中にいたもので、気付きませんでした。お許しください、魔道王陛下。それにしても大胆な登場だっとか。私も見たかったですね」
「お騒がせして申し訳ありません。一度に運んだ方が楽だったものですから」
「一度にですか? 二万人を……楽?」
「何往復もすると手間がかかるし、面倒ですよね」
「それはそうですけど……」
ルーカントは他の領主と会談していたため、正司が二万人を連れてきたところを見ていない。
〈瞬間移動〉の大規模魔法を渾身の力で行ったと認識していたため、「面倒」とか「手間」とか、そういうレベルの話が出てくるとは思わなかった。
「そういえば、建国なさったと伺いました。私から贈り物をさせてください」
「ありがとうございます。ルーカント様のご厚意に感謝いたします」
ルンベックから、喧嘩するつもりがないのならば、贈り物は貰っておけと言われている。
また、貰ってから送り返すのはもってのほかだと。
かわりに、「借り」として覚えておき、すぐに返すか何かの折に返すのだと教えられている。
「それでは後ほど届けさせましょう」
余裕たっぷりにルーカントは言うが、隣でルンベックは素知らぬ顔をしている。
内心、悩め、悩めとけしかけていたりもする。
ミルドラルに比べて、何十倍も国土面積が広い帝国であるが、正司が満足するものを用意できるのか。そんな思いがあった。
そこからはルンベックが会話の主導権を握り、当たり障りのない情報交換が行われた。
ルーカントも魔道国について根掘り葉掘り聞いてくることはない。
二万人もサロンに来たのだ。
ルーカントの部下たちが、情報収集に励んでいることだろう。
「……建国したばかりと伺いましたが、どうですか。大変なことはございませんか?」
話が一段落した頃になって、ルーカントはそんな話題を振った。
これに正司がどう答えるかで、ルーカントは魔道国を判断しようと思っていた。
「やはり大変ですね」
「そうですか。たとえばどんなところが?」
「町を増やしたら、運営できる人がなかなか見つからなくって」
「…………」
予想外の答えが返ってきたことで、ルーカントは一度口を開き、声を発する前に閉じる。
そしてしばし悩んだあと、もう一度口を開いた。
「町を増やしたのですか? 国は未開地帯の中にあると伺いましたが」
「そうです。増やすというか町の場所と建物はあるのですけど、移住については、家臣から待ったがかかりまして……」
「ど、どうやって未開地帯に場所を確保されたのですか?」
「もちろん魔法ですけど?」
「もちろんって、えっ?」
「えっ?」
魔法以外でどう確保すればいいのかと正司が首を捻っていると、扉がノックされ、艶やかな美女が姿を現した。
「お話が弾んでいるようですね」
豪華なドレスに身を包んだのはシャルトーリア。
この短時間に、軍服からドレスに模様替え、うっすらと化粧まで施している。
ルーカントは立ち上がって、シャルトーリアに一礼する。
シャルトーリアは第二皇子の娘。
そしてトラウス領の領主は、第二皇子派と言われていた。
この様子を見る限りそれは真実だろうとルンベックは考えた。
「町に人を集めるのは難しいという話をしていました」
「……? ルーカント、どういうこと?」
「ノイノーデン魔道国は、未開地帯の中で、他にも町をつくったようです。というか、町はあるそうなのですが、人がいないと……それでよろしいでしょうか」
ルーカントの言葉に正司が頷く。
「私どもとの契約もありましてね」
後の言葉をルンベックが引き継いだ。
さて、先ほどルンベックが正司に確認した言葉「王は民を守る義務がある」だが、これは今回の交渉で、生かさねばならない。
帝国は決して侮ってよい相手ではない。
与しやすしと思った国から併呑していった歴史がある。
絶断山脈の東すべてを手中におさめたことで進軍は止まったが、度々西側へ侵攻してきている。
そんな帝国を相手にして謙虚な姿――いわゆる弱腰を見せたら、一気に襲いかかってくる。
正司ならば、帝国の猛攻すら一人で撥ねのけられるだろうが、だからと言って、民を危険にさらしていいわけではない。
反対に、居丈高に出れば、やはり敵対心ありということで、標的にされる。
とにかく強国相手の外交は難しいのだ。
それゆえ、国と国との交渉は、経験豊富な者が相応しい。
正司などカモにされるのが目に見えている。
だが、一国の王となったからには「経験値が溜まるまで一切交渉事はしない」では、何のための王か分からなくなってくる。
それゆえルンベックは、今後のことを有利に運ぶために一計を案じた。
「ルンベック卿、その契約とはなんでしょう。もしかして、秘密だったのかしら?」
「いえ、そんなことはまったくございません。魔道国は、未開地帯の中に町をつくりました。もとから住人がいない場所にです」
「そのようですね」
「必然、各国から人を引き抜くことになります。といっても、無制限にというわけにはいきません」
「たしかに……ですが、町は人で溢れているのではないですか?」
「それでもです。彼らは税を支払ってくれる大切な住民ですので」
シャルトーリアは頷いた。
民とは、国に税を支払ってくれる大事な存在だ。
それを魔道国へ移住させる。そしてルンベックは『契約』と言った。
「では住民を移住させるために契約を?」
「そうです。町の外に溢れている棄民を幾ばくか、引き受けることを条件に移住を許可しました」
「なるほど」
ルーカントが頷き、シャルトーリアも納得した。
いわゆる抱き合わせだ。
住民の移住を認めるかわりに、国にまったく寄与しない棄民たちを引き受けさせる。たしかにそれならば契約だ。
二人が納得するのを見て、ルンベックは表情を変えなかった。
もちろんこれは、正司の真意とは異なる。
だが、ここで正司が「棄民のために国をつくりました」と言えば、帝国がそこを切り口にしてくるのは明白。
外交で大事なことは、真に欲しているものを相手に悟らせないことにある。
欲しいものを「欲しい、欲しい」と連呼すれば、不平等な条約を結ばされることにもなりかねない。
それは将来に亘って、不利益を被ることになる。
もっとも正司が欲しているのが棄民たちで、彼らが不自由なく暮らせるために国をつくり、彼らの生活が安定するために一般の住人を先に移住させたと説明したら、ルーカントはもとより、シャルトーリアも信じなかっただろう。
「どんな裏があるのか」と探りを入れたに違いない。
その意味では、ルンベックの説明の方が、何十倍も信じられやすい話と言えた。
「それはたとえば、我が帝国も同じかしら」
この話をしたら、当然出てくる話題だ。
何しろ、帝国は大陸の西側よりも、切羽詰まっている。
有り体にいえば、人が飽和しすぎてどうにもならなくなっている。
これは予定されていた質問。ゆえに答える内容も決めてあった。
「その話はもう、断られたとものと思っておりますが」
ルンベックが使者をたて、帝国に話を持っていったのは随分と前。
大臣のところへ話があがるまでもなく、ご破算となった。
それだけでなく、トエルザード公は頭がおかしくなったと噂が流れたほどだ。
こちらが差し伸べた手を振り払ったのは帝国。
今さら何の話があるのかと、ルンベックはすげなく言った。
シャルトーリアがそれを否定すれば話がこじれるし、認めればこの場で謝罪しなければならなくなる。
帝国の謝罪。これがまた難しい。
帝国が非を認めるのはなかなか難易度が高いのだ。
シャルトーリアが謝罪し、正司がそれを受け入れたとしよう。
国に帰ってルンベックがそれを吹聴すれば、シャルトーリアの立場が帝国内で悪くなってしまう。
ここは謝罪せずに、ゼロから関係を構築しなおすのが得策である。
頭の回転が速いシャルトーリアは、このあとに続ける説明をいくつも思い浮かべた。
だがそれを口に出すことはしない。
ここまでルンベックの手の平の上だったのだ。シャルトーリアが何を言ったところで、ルンベックにとって想定内だろう。
では直接正司に聞けばどうだろうか。普通はそう考える。
決定権を持つ正司相手に交渉すればいいと思う……のは浅はかな考えである。
ルンベックが正司に手を回していないはずがないのである。
ここで正司が「間に合っています」とすれば、交渉はそこでストップ……どころか、終了してしまう。
なるほどとシャルトーリアは思う。
これは初手で大臣の判断を仰ぐことなく追い返した担当者が悪い。
一族の首を刎ねて、伺いを立ててみるか。
そこまで考えたとき、断られることすらも、初めから予定していたのではないかという思いが浮かんだ。
(喰えないわね、まったく……)
なるほど、これがミルドラルのルンベック・トエルザードかと。
帝国上層部にまで話が伝わるわけだと、シャルトーリアは考えを新たにした。
これまで「田舎の大将にしてはやる」と思っていただけの存在だったが、名が知れたのには、ちゃんと理由があったわけだ。
「その話はいずれあらためてお願いしますわ」
この場では、何を言っても相手に読まれている。
悔しいことだが、シャルトーリアは問題を先送りするしか方法がなかった。
その後は、魔道国の話題に触れるのが禁句とばかり、シャルトーリアとルーカントは互いに話題を探して会話を進めた。
ルンベックも想定していたのか、動じることはない。
意外だったのは、正司が難しい話についてくることだった。
単に知識があるだけでなく、話の本質をしっかり理解している感じなのだ。
これにはシャルトーリアも驚く。
もっとも正司からすれば、情報が溢れる日本でずっと暮らしていたのだ。
だれかと会えばそれで一日が終わるこの世界とは、吸収した情報量が違う。
シャルトーリアは名目上とはいえ、東方軍を指揮する身。
演習ひとつとっても何十日と使う。
いくら権謀術数に優れていたとはいえ、情報の吸収と選択の回数は、正司に遠く及ばない。
世のビジネスマンは、通勤時間中に何百と流れるニュースタイトルを眺め、必要なものを拾い読みしていく生活を普通に続けている。
このような現代人に敵う者が、この世界にどれだけいるのか。
結局は、幼少時からの教育と、経験の差がものを言うのだろう。
この会談、初めて聞いた話も多いだろうにと、正司の回転の速さに舌を巻くシャルトーリアは、ついミスをしてしまった。
正司やルンベックがここに来た理由は、帝国を威圧しにきたと思ってしまったのだ。
ゆえにさりげなく正司が出した話題に、シャルトーリアは知らず知らずのうちに引き込まれてしまった。
「へえ、未開地帯でも、バッタリア領の北は強い魔物が多いのですか」
ルード港を持つバッタリア領は、ミルドラルのお得意である。
「ええ、未開地帯の中でもロイスマリナとバッタリアの北はとても人が入れる場所ではないわね」
未開地帯と接している領は、西から順にロイスマリナ、ニルブリア、ヒットミア、バッタリアである。
さきの二つの領から未開地帯へ分け入るのは、自殺行為と言われているらしい。
「ということは、ニルブリアとヒットミアからでしたら、未開地帯へ入れるのですか?」
「どちらかといえば、ヒットミアの方が出没する魔物のグレードが低いですね」
正司は、浪民街に住む少女リスミアのクエストをどう攻略しようか悩んでいた。
どうやって次の情報を引き出せばいいのか分からなかったのだ。
クエストの白線は、いまだシャルトーリアに繋がっている。
彼女が会話の鍵を握っているのだが、「棄民の少女について教えてください」と言ったところで意味がない。
どうやって話を聞き出そうかずっと考えていた。
(何を聞けばいいのか、分かっていないと厳しいですね)
そこでヒットミア領について、正司はいろいろ聞くことにした。
リスミアがいたのはグラノスの町。
直接少女のことを聞くよりもいいだろうと思ってのこと。
シャルトーリアは、正司に会話が誘導されたとは気付いていない。気付けるわけがない。
つい先ほどまでルンベックは、バッタリア領について話していた。
シャルトーリアにとって、バッタリア領の話題は、都合がよろしくない。
ルード港を持つバッタリア領は、ルンベックがよく知る地である。
ルンベックが話題に出すのは当然のこと。
シャルトーリアは、ルードの港町の代官を使ってルンベックを襲わせている。
そのことにルンベックが気付いているのか。
シャルトーリアの警戒は、その一点に向いていた。
バッタリア領は、第一皇子派でも第二皇子派でもない中立。
日和見派と言っていい。
それゆえシャルトーリアは、迷うことなく代官の一人を使った。
高価な魔道具も渡した。
何人も経由させたので、シャルトーリアに辿り着けるはずはない。
最悪、何かが露見しても、バッタリアの領主に責任を取らせるところまで見越していた。
そのため、バッタリア領の隣であるヒットミア領の話を正司が出したとき、思わず乗ってしまった。
ヒットミア領はいま、シャルトーリアが多数派工作をしている領である。
かなり詳しい内情まで把握している。
正司の質問に答えるのも容易だ。
まさか正司の意図など、帝国側はだれも想像できないだろう。
「私は、グラノスの町のサロンに顔を出させてもらったことがあるんです」
「ほう? なぜグラノスの町に?」
シャルトーリアは不思議だった。
あんな内陸の町に何の用があったのか。
「私がサロンに出てみたいと言ったら、ザクスマンさんを紹介してもらいました」
「ザクスマン……ああ、トエルザード公領に駐在されていた人ですね」
「よくご存じですね」
「仕事柄、名前はなるべく覚えるようにしています」
そう答えつつ、シャルトーリアはザクスマンの経歴を思い出していた。
(たしか期限延長を繰り返してトエルザード公家の担当を続けた者だったはず……なるほど、引退したあとでも交流があったわけね)
身元のしっかりした者の紹介がないかぎり、サロンには顔を出せない。
そうしないと、この広い帝国だと騙りが蔓延ってしまうからだ。
同時にシャルトーリアは、頭の中でグラノスの町の情報を引っ張り出す。
(あそこの町は、多数派工作の真っ最中だったわね)
「あそこは一度しか訪れていませんけど、よい町ですね」
「ありがとうございます。私も気に入っております」
「知り合いがいれば良かったんですけど……」
そうすればクエストに関する情報も集めやすくなる。
正司がそんなことを考えていると……。
「出入りの商人がひとり、あの町にいたと思います。紹介状を書きましょうか?」
それは何気ない一言だった。
正司が珍しく興味を示したので、シャルトーリアはそう言ったに過ぎない。
そのとき、マップの白線がシャルトーリアから別の場所に移動した。
「本当ですか? お願いします」
予想外の食いつきをみせた正司に、「それほど魅力ある町だったかしら?」と首を傾げつつも、シャルトーリアは快く承知した。
クエストが更新されたことを喜ぶ正司を不審がりながらも、この機会は逃せないと、シャルトーリアはその場で紹介状を書いた。
「ダクワンという商人です。言えば、大抵のものは取りそろえてくれるでしょう。私からもそう書いておきます」
それはグラノスの町で、代官のロキスと主導権争いをしている噂の人物だった。
「ありがとうございます」
「他にも他領で優秀な商人を抱えていますので、ご入り用でしたら何なりと。帝国は広いですので、お目当てのものを見つけるのにも難儀するでしょう。そのときはぜひ」
「はい、これで前に進めます」
これが文字通りの意味だと、シャルトーリアが気付くことはなかった。