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115 建国祭前夜

「最近、あの子の口が悪くなったように思いますの」

 ミュゼは困ったように眉根を寄せた。


「困ったものだね。反抗したい年頃なのかな」

 そう答えたのはルンベック。いま部屋にいるのは二人だけ。使用人もいない。


「反抗期ですか? さすがにそれは過ぎてますわよ」

「だったら気にすることはないさ。……まあ、目に余るようならば、私から言っておこう」


 ルンベックはそう自信満々に言い放ち、ミュゼも「そのときはお願いします」と微笑んだ。


 リーザの口が悪くなった原因だが、八割方、正司が関係している。

 現実との折り合いを「無理矢理にでも」付けねばならないとき、人の心は、容易く他人への寛容性を無くす。


 分かりやすく言えば、「言葉遣いにまで構ってられっかー!」ということになる。

 もしくは「やってられっかー!」であろうか。


 どちらにせよ、正司と一緒にいると、精神衛生上大変よろしくない結果を招くことがある。そして……。


「今後はあの子も人前に出ることが多くなります。わたくしからも言い聞かせましょうか」

「そうだね。私たちが言えば、リーザも気をつけるだろう」


 そんな会話をしているルンベックとミュゼだが、今回だけは、一割か二割の責任がありそうである。


 そして当のリーザはというと……激務の日々から解放されて、大いに羽を伸ばしていた……わけではなく、図書室に入り浸っていた。


「お姉ちゃん、ここっ! ここっ!」

 ミラベルが眉と眉の間を指差す。どうやら、知らない内にリーザの眉根が寄っていたらしい。難しい顔をしていたようだ。


 指摘されたリーザは、肩の力を抜いてから、眉根を揉んだ。

「……ふう。まだ先は長いわね」


 腕を回して、固まった筋肉をほぐそうとする。

「ねえ、お姉ちゃん。何してんの?」


 今日は一日オフである。たまの休みなのだ。

 ミラベルならば、美味しいお菓子を買いに行くか、最新の小物を扱っている店に飛び込むところである。


 だがリーザはこうして、図書室で難しい本を読んでいる。

 何が楽しくてそんなことをしているのだろうと、ミラベルは心底不思議に思った。


「帝国の法令を学んでいるのよ」

「えっ、それって面白い話? もうお勉強したところだよね?」


 リーザは十七歳。留学まで経験している。

 他国へ使者として出向くことがあるため、各国の政治と経済、そして法律については一通り学び終えている。


「今後、帝国との関わりが増えるでしょ。学び直す……というより、もっと深い勉強が必要だと思ったの。つまり自主勉強ね」


「ほへ~~」

 さすがにその発想はなかった。ミラベルは馬鹿みたいに口を開けたまま、リーザの顔を覗き込んでいる。


 ミラベルの考えとしてはこうだ。

 自身は法律の専門家になる必要はない。必要なときに必要な人材が隣にいて、適宜アドバイスしてくれればいいのだと。


 ミラベルの役割は至極明確。

 決断する場面で正常な判断を下せるよう、最低限の知識は身につけておくのだ。

 だから、額にシワをつくってまで、専門家のような内容を学ぶものではないと思っている。


「知識なんて、どこで必要になるか分からないでしょ。それに政治と経済と法律は互いに近い関係だしね。政治的判断を下すときでも、他国の法律をそらんじていれば、何かと有利に働くこともあるじゃない」


「なるほど……なるほど……じゃ、じゃあ、わたしはそろそろ行くね。お姉ちゃんの邪魔しちゃ悪いからね!」

 言葉の元気さとは裏腹に、ミラベルは足音を忍ばせて、そろりそろりと図書室から出て行った。


 その頃にはもう、妹の存在は、リーザの頭から完全に消え失せていた。


「……あ~あ、タダシお兄ちゃんは忙しいからこっちに来ないし、どうしようかな」

 正司は建国祭の準備が本格化してきたため、魔道国から動けないと聞いている。


 ミラベルも今日は勉強から解放されている。

 たまの休みならば、正司と一緒にいる方が何倍も楽しいのだが、そううまく行かない。


 姉もオフだと聞いたので、遊んでもらおうとしたのだが、自主的に勉強をはじめてしまった。

 あまり関わっていると藪蛇になり、勉強を言いつけられるかもしれない。


 今日はもう図書室には近づかないでおこうとミラベルは考えた。


「う~~……」

 建国祭を控え、各人が慌ただしく動いている。


 たった数日とはいえ、多くの家臣が魔道国に移動するのだ。

 それまでに終わらせないといけない仕事が多数ある。


 招待する側はもとより、招待される側もまた建国祭にかかりきりになる。

 すべての準備を終えて祭りに参加するために、わき目も振らずに働いている。


「つまんないなー」

 ミラベルの呟きは、そのまま風に乗って運ばれていった。


 ミラベルが「面白いこと」を見つけるには、建国祭の最終日まで待たねばならない。




 バイダル公領にあるウイッシュトンの町。

 建国祭を間近に控えて、ファファニアは実家に戻っていた。


 ファファニアは家族とゆっくり過ごし、年明けに行われる祭りに備えるつもりでいた。


 だが、実家に着いて早々、そうも言っていられない事情ができていた。

「この手紙の山はなんですの?」


「ニアシュタットの町へ移住を希望する方々から持ち込まれた手紙です」

 家臣が申し訳なさそうに伝えてくる。


「ですが、なぜこれほど……? 陳情にしても、さすがに多いのではないでしょうか」

「みなさま、様々なツテを頼って、持ち込まれたもののようです」


「…………」

 ファファニアは遠い目をした。手紙から立ち上ってくるオーラが幻視できたのだ。


 トエルザード公家に比べると、バイダル公家は庶民に親しい。距離が近いともいう。

 そのせいか、ときどきこう言った要望や陳情が届く。


「もう一度確認しますが、これはすべて、移住を希望される方からのもの……ですか」

 ゆうに千人分はある。バイダル公家に直接手紙を届けられるくらいだから、それなりの地位にいるはず。商人ならば、頭に『大』がつくだろう。


 にしても多すぎた。

「はい。間違いございません。ニアシュタットの町は簡単に行き来ができる町というだけでも人気があります。そこにとてつもない商機が眠っていることが分かりましたので、商人たちが目の色を変えているそうです」


「そういうことですか」

「それと……いえ、なんでも」


「……? それだけではないのですか?」

 家臣が、なにか言いにくそうにしている。


「それと……ファファニア様が治められる町だという噂が広まっていまして、そのせいもあるようです」

「あー……」


 まさに「あー」である。立地だけでなく町名からして、それ以外、想像しようがない。

 いわゆる勘違いしない方がおかしい状態になっている。


 だからといって、その噂を否定、もしくは肯定できない。

 町には領主が立つ。正司から「町を治めてくれ」と頼まれたこともない。


 普通に考えれば、他国の令嬢が町を治めるはずがないのである。

 だが、ファファニアはおろか、バイダル公家当主コルドラードも、この件について『それ』を明確に否定していない。


「そうですわね。希望者が殺到した理由も分かりました。……ある程度選別してお祖父様に任せましょう」

「はい。当主様はこのところ寝不足のご様子でしたので、できるだけ負担を減らすようにとジュラウス様が仰っておりました」


「……お祖父様、それほどまで頑張っていらっしゃるのね」

「ちなみにジュラウス様も寝不足で、ときどきフラフラしております」


「……お父様」

 ファファニアは遠い目をする。


 ファファニアも何とかしてやりたいが、いかんせん今はやるべき事もある。

 そしてつい最近、正司から「魔道国の構想」を聞いてしまった。



 ――町はこれからも増える



 それが正司の希望なのだ。

 各国の王や当主たちも同じ話を聞いているという。


 ファファニアは思う。

 魔道国はおそらく、従来の国とは別の形になるだろうと。


「できるだけ未開地帯のあちこちに町をつくりたいですね。さすがに全部は難しいでしょうか」

 正司はそんなことを言っていた。ファファニアは驚いて聞き返したほどだ。


「村や町に住めない人がまだ大勢います。彼らに居場所と仕事を与えるのと同時に、未開地帯の魔物を狩れる環境をつくりたいのです」


 大変ですけど、ぜひとも実現したいと思います……そう正司は言い切っていた。

 居場所と仕事を与える……難しいことを簡単に言う正司に、ファファニアは感動すら覚えた。


 普通ならば切って捨てる世迷い言である。

 だが正司ならば実現させてしまいそうな安心感がある。


 聞くところによると、エルヴァル王国はいま、特需景気に湧いているらしい。

 


 棄民たちは、今まで客とならなかった。

 金を持っていないのである。購買力などほとんどなかった。


 だが、魔道国に移った元棄民たちが、こぞって商品を買っていくのである。

 これまでの鬱憤をここで晴らすかのように、金払いはすごぶるいい。


 これ以上無いほどの好景気が到来していた。

 そして、これがあと何年、何十年と続くことが分かっている。


 何しろ、予定ではこの後も町がバンバン増えて、大陸中の棄民たちが顧客となってくれるのだ。

 いま商人たちは何に注目しているか。


 もちろん魔道国である。

 魔道国の町に商売基盤を持ち、そこで商いを拡げようと、多くの商人が熱いまなざしを注いでるという。


 そこまではファファニアも予見できていた。

 正司の魔法で町ができてしまうのだ。


 ファファニアの想像の上をいくことがおきても、そうそう慌てたりしない。

 これまでの経験から耐性もできたと考えている。


 だが、いくら想像してもそれ以上のことが起こるかもしれない。

 正司ならばやりかねない。

 自分には耐性ができている。

 そう思っていても、「更に上」をいかれてしまえば、驚きもするし、慌てもする。


 魔道国が建国したら、ひとつの発表が行われる。

 ファファニアはそれを知っている。


 ミルドラルと王国とラマ国は、対等の同盟を結ぶことが秘かに決まっている。


 大陸西に『三国同盟』が出現するのである。


 よもやつい先日、ほこを交えたミルドラルと王国が同盟を結ぶとは、ファファニアも想像していなかった。


 この三国同盟は一般には発表されていない。

 知っているのはごく少数、一握りの者たちだけである。


 そして三国同盟には、表と裏の目的がある。


 表はもちろん魔道国と共存共栄を歩むため。

 抜け駆け、蹴落としをやめて、情報を共有しようと呼びかけた。


 実際問題、正司の目的を知ったからには、三国が協力しないと魔道国の影すら踏めなくなってしまう。


 そしてこれがファファニアを驚かせる……もしくは悩ませる要因のひとつとなっていた。


(まさか、そういう話が来るとは思いませんでしたわ)


 ニアシュタットの町には領主がいる。

 領主は町の運営を行う重要な役職だ。


 だがここでひとつ問題が出てくる。

 実は、ニアシュタットだけでなく、ミラシュタットやリザシュタットの町は、すべて衛星都市の形を採用している。


 簡単に言うと、大きなひとつの町があって、その近くに小さな町がいくつか存在している。

 複数の小さな町を従えた大きな町こそがニアシュタットなのであった。


 そして「町」というだけあって、個々の小さな町にも領主がいる。

 領主だらけである。そうすると、衛星都市全体の意志決定をする者が必要となってくる。


 ミルドラルでいえば、バイダル公家みたいなものだ。トエルザード公家でもフィーネ公家でもいい。

 ミルドラルは、各町の領主を統括する立場として、公家が存在している。


 この公家が集まって国をつくっているのだから、魔道国と形は変わらない。

 魔道国の場合、公家の合議制ではなく、魔道王がいるところが違うくらいだ。


 そして「小さな町」と言っても、すべてそれなりの広さとそこそこの人口を有している。

 何しろ正司がつくったのだ。規模は大きい。


 また、この「小さな町」は、増えていくことも分かっている。


 魔道王には、信頼できる者がまだまだ少ない。

 そのため、「せっかくだから」とファファニアやリーザ、そしてミラベルなどが臨時で衛星都市のトップに就く案が出ているのである。


(たしかに、わたくしもリーザ様も公家直系として、当主になる勉強は続けてきました。他の方々よりも努力しましたし、タダシ様からの信頼も得ていると自負していますわ。能力とこれまでの勉強、そして魔道王タダシさまとの関係を考えれば最適ですが……)


 規模が小さいとはいえ、公家と同じ立場に自分が立つことになろうとは、少し前のファファニアには、考えることすらない話だった。


(ですがタダシ様を支えるのでしたら、いなは言えません。それでももうひとつのことを考えると……胃が痛いです)


 ファファニアがニアシュタットの町を統括する話は漏れていないはずだが、勘の良い者はどこにでもいる。

 だからこれはいい。そのうち発表があるだろう。


 問題はもうひとつである。

 三国同盟結成には、表の理由の他に、裏の理由も存在している。


 光があれば影もあるように、それは決して表に出ない……だからこそ、裏と呼ばれた理由が。


「帝国を叩くことに決めたから」

 帰省したファファニアに、バイダル公コルドラードは、開口一番、そんなことを言った。


「はっ? ……はぁっ!?」

 さすがに淑女たるファファニアも、二度聞きしてしまった。


 三国同盟を結成した裏の理由。

 大陸の西は、魔道国と三国同盟のふたつに分かれたと、帝国に思わせるためであった。


 魔道国誕生を苦々しく思っている者も多い。

 事実、三国同盟の中に、魔道国が入っていないじゃないか。


 そう思わせて、帝国にちょっかいをかけさせるためである。


「ですがお祖父様、帝国はそんな分かりやすい罠に乗ってくるとは思えません」

「普通はそうじゃな。だが、正常な判断ができなくなればどうかな?」


「……?」


 選択肢を五つ、六つ与えれば、その中でどれが一番よいか考える。

 だが時間制限を設ければ、判断をミスしやすい。


 意図的に選択肢を見えなくさせて、二択程度にすれば、そのどちらかからしか選ばなくなる。

 つまり心理戦である。


 そして一番よいのは、選択肢などなく、ただ「これしかない」と思わせることだ。


 コルドラードは続けた。

 帝国には、限りなく選択肢がないように仕向け、時間もないと思わせる。


 そして「動くならば今しかない」と思わせるのだと。


 いかに巨大な力を持っていようとも、正司は個人。

 魔道国はできたばかり。

 役人も軍人もみな借り物。


 魔道国以外は同盟を結んで結束を固めたところだが、実際の運用経験はまだない。

 このまま放っておけば、魔道国の人材は揃い、人々に魔道国への帰属意識が生まれる。


 三国同盟は、時間をかけるほど強固になるかもしれない。


 それといつ魔道国が三国同盟に参加するかも不透明。

 手をこまねいているうちに、三国同盟が四国同盟になりかねない。


 不安定な今と、盤石になるであろう数年後。

 ちょっかいをかけるならば、いつがいいかは自明の理。


 その話を聞いて、ファファニアは脱力した。

 たしかにコルドラードの言っていることは合っている。間違っていない。


 今より数年後の方が、魔道国は大きく強くなっているだろう。

 三国同盟も、経済成長を目の当たりすれば強力かつ盤石になっているだろう。


 だが、いまでも魔道国は十分大きくて強い。


 帝国が手を出しても魔道国は小揺るぎもしないのではないか。

 正司をよく知るファファニアには、そう思えてならなかった。


 コルドラードもそうだろう。だからこそ帝国に手を出させるのだ。

 しかるのち反撃する。


 おそらく、発案者はトエルザード公ルンベック。

 帝国に手を出させ、その後の落としどころまで考えているに違いない。


「言っておくが、これはタダシ殿も承知しておるぞ。トエルザード公が襲われたことをかなり気にしておったのでな。こういうことは、一度ガツンとやった方がいいと理解しておった」


 ルンベック襲撃のあと、正司は親しい者たちに、過剰ともいえる防御を施した。


 当主襲撃は、魔道国が原因と言えたのだから、当然かもしれない。

 正司があとで襲撃を知って驚き、その後、ホッと胸をなで下ろした。


 正司は「どうして物理防御しか施していなかったのか」と自分を責めたとも聞いている。

 可能性として、魔法で狙われることは十分考えられたのである。


 ゆえに正司は物理も魔法も魔道具で防御できるよう、新しい魔道具を開発した。

 すべては親しい者を守るため。


「イジメは社会の構造的な問題だと思うのです。ときに暴力を伴う行為に対して、イジメはだめですと言ったところで、その言葉が相手に届いているか分かりません」


 足が速い者がいれば、遅い者もいる。

 金持ちがいれば、貧乏人がいる。


 優れた者に光が当たれば、その陰に劣る者がいるのは必然。

 弱者は常に虐げられ、ずっと日陰の身に甘んじるのだ。


 このような社会の問題を口で解決できるかといえば難しい……どころか不可能だろう。

 今回、強者である帝国が、弱者である魔道国を狙ったものだ。


 魔道国やトエルザード家が目障りだからと、排除に動いたのである。

 帝国は強者であり、弱者が怖くないから無茶なことも平気でできる。


「イジメを止めさせるには、自分たちが弱者でないところを見せなければなりません」

 正司はそう言ったという。


 構造的な問題を一挙に解決する策は、「ちょっかいをかけては駄目な相手だ」と帝国に思わせることだと正司は考えているらしい。


(三国同盟はそのための布石ですわね。つまり、何らかの形で魔道国が狙われる……)


 ルンベックが殴られたから、正司が殴り返すのはおかしい。

 魔道国は一度帝国の標的になり、それを躱して反撃する。


 それを行うことによって、帝国に意識改革をおこさせ、長期的な平和が確立されると考えているようである。


 帝国が魔道国にちょっかいをかける。

 そのとき矢面に立つのは一体誰なのか。もしかして一番攻めやすそうなニアシュタットが狙われることは? もしくは自分が狙われるのではないか。


 ファファニアは深いため息を吐くのであった。

 建国後、きっとなにかが起こる。それはもはや、避けられない運命のように思えた。




 その日正司は、王国の首都クリパニアに来ていた。

 トエルザード家の屋敷に跳び、そのまま王国の王宮へ……とはいかず、使者を先に出してから、馬車でゆるゆると進んだ。


 城門をくぐり、馬車を降りる。

 扉の前で正司を待っていた人物がいることに気付く。


 老人を筆頭に、数人がじっと佇んでいた。

 正司が目を向けると、全員が一斉に頭を垂れた。


「魔道王陛下におかれましては、ご機嫌うるわしく……」


 出迎えたのは、宰相のウルダール。

 控えているのは家臣たちだろう。


「ウルダールさん、おはようございます。今日はみなさんを迎えにきました」


「承っております」

 ウルダールだけでなく、出迎えた王国の官僚全員が、正司に対して平身低頭している。


 正司は幾分居心地の悪い思いを味わったが、実はこれ、正司がいくら言ってもウルダールたちは変えようとしないのである。

 他国の王を迎えるのに礼儀は必要と、押し切られた形になってしまった。


 この辺は、いくら王になったとはいえ、もとは平民であった正司にはどうしても馴染めないところだったりする。

 魔道国でも散々味わうものだから、偉くなるのも考え物。


 ウルダールに導かれて大広間にいくと、大勢の人がそこにいた。

「すでに全員揃っております」

「ありがとうございます。みなさん、朝早いのに大変ですね」


 ここに集まっているのは、正司が建国祭に連れて行く王国の人たちである。

 建国祭は年明けに行われ、招待客は数千人にものぼる。


 受け入れる側の都合もあるため、各国数回にわけて、正司が運ぶことになっていた。

 今回はその第一陣となる。


「魔道王よ、よろしく頼む」

 彼らの中央にいたのは、エルヴァル王国を代表する人物。新王ランガスタである。前王ファーランより年長で、64歳。


 フォングラード商会を切り盛りする八老会の重鎮のひとり……だが、先日のリーザ同様、ランガスタの顔にも疲れがにじみ出ていた。


「お久しぶりです。ランガスタ王」

 正司は何度か、ランガスタと顔を合わせていた。


 王国はすでに正司を王として扱っており、正司もまたそのように振る舞っている。


 ランガスタの左右にルクエスタ経済省長官と、カーネギー軍務省長官が控えていた。

 どうやら魔道国に向かうメンバーに、彼らも入っているらしい。


 戦争を起こした責任を取って、ラーゼンは軍務省を去っている。

 カーネギー軍務省長官は、先代のラーゼンの後を引き継いだ形になっている。


 ちなみに前王のファーランは、荷車ひとつから商売を始めているらしい。


「それでは陛下をよろしくお頼み申します」

 ウルダールが頭を下げる。


「分かりました。では全員連れて行きますね」

 そう言って正司は跳んだ。




「これで王国が落ちついてくれればいいのじゃが……無理であろうな」

 正司たちを見送ったウルダールはそう言って周囲を確認し、だれも聞いていないのを確かめると、そそくさと出て行った。


 ウルダールは、建国祭に出席しない。

 さすがに国のトップとナンバー2がいなくなるのは拙いだろうということで、留守番をすることになった。


 建国祭の最終日に何がおこるか、ウルダールは聞いている。

 それもあって、何がなんでも居残りを決めたのである。


(まさか帝国と揉めるつもりだとは……いやはや、若いとは羨ましい)

 廊下を歩きながら、ウルダールはそんなことを思う。


 すでに王国は帝国に対抗できる勢力ではない。

 今後、経済でも大幅な譲歩を強いられるだろう。


 三国同盟の話は渡りに船だった。

 だがこれで、帝国との仲は完全に絶たれることになる。


 今度は三国同盟の一員として、新しい関係を構築しなければならない。

(まあ、帝国と魔道国……戦いたくない相手ならば、間違いなく魔道国であろうしな)


 軍事でも経済でも勝てるビジョンが見当たらない。

 地理的な要因もそうだが、王国はもはや魔道国に依存して存在するしかなくなっている。


 先の戦争処理が一段落し、八老会の権勢が削がれたことで、八老会に対する風当たりは思ったほどではなくなった。


 ここぞとばかりに責め立てる者も出てくるかと思われたが、それどころではないのだろう。

 すでに国民の関心は魔道国へ注がれている。


 ここで国を割って、八老会と他の商人が相争ったらどうなるのか。

 それだけを心配していたウルダールは、安心して年を越せそうな雰囲気に、大分救われている。主にウルダールの胃が救われた。


 単独で帝国とやりあう必要がなくなり、魔道国との仲も保たれた。

 また三国同盟という味方もできた。ウルダールとしては、今年はいろいろあったが、最終的にはいい方向へ進めたのではないかと考えている。


 実際、すでに実利が出始めている。

 魔道国内という商圏が増えたおかげで、国内の生産性が上がり、消費も増えていた。


 魔道国で商売を始めた者たちも順調だという。商品が足りないくらいだというのも聞いた。


 王国とミルドラルの確執はあったものの、王が交代したことで水に流そうという雰囲気になったことも好材料だ。


 ミルドラルに支払う賠償金の額は多いが、魔道国のおかげで目処は立った。

 いまはこの関係を崩さないことだけを考えていればいい。


 国内と国家間が安定すれば、あとは個々の商人たちの問題である。

 彼らは商売のプロだ。あとは勝手に儲けてくれるだろう。


(問題は土木工事関連じゃが……これほど突き上げが激しいとはな)


 正司が〈土魔法〉で何でもつくるものだから、王国民が政府に期待の目を向けている。

 町とは言わないが、建物をつくり、道を整備し、村には壁を設置してほしい。そんな要望が絶え間なく届いているのだ。


 ある意味当然の願いなのだが、王国がそれを魔道国に言い出せるはずもない。

 今は時期が悪い。なにか交換条件となるものを差し出すか、一度大きな恩を売ってからでないと難しい。


 一般の民はそれが分かっていない。

 雨が降るとぬかるみ、荷馬車が立ち往生するような坂道などは、石で舗装して欲しいなどと言い出している。


 では王国が国庫の金を使ってやればいいかといえば、そうではない。

 正司がすれば片手間な工事も、人を派遣すれば、どれだけ金と時間がかかることか。


 護衛と職人、石を切り出して運んでくる手間を考えれば、何年にもわたる大工事になる。


(目が肥えてしまって、すぐにできると勘違いするとは……)

 やはり正司のインフラ整備は反則だ。ウルダールは少しだけ胃が痛んだ。




 建国祭のメイン会場は、いまセッティングの真っ最中である。

 最終確認が終わったところから閉鎖され、兵が守っている。


 ランガスタのような各国の重鎮たちは、その間、それぞれの国の代表者たちと別室で親交を深めている。

 このために早く来たようなものだ。


 一方、招待はされたものの、それほど重要でもない者たちもいる。

 はじめて魔道国を訪れた者も多い。


 彼らは建国祭がはじまるまで、邪魔にならないよう……げふんげふん。

 彼らに町をよく知ってもらうため、ガイドをつけて見学に赴いてもらっている。


「あれは麦ですか? それにしては色が統一されてないようですが」

 彼らが町を見学していると、商人の一人が小規模な畑で育てられている作物を見つけた。


「はい、あれは麦です。陛下の政策で、空いている場所に多品種の麦を栽培することになっています」


 ガイドの言葉に、商人はいぶかしげな表情をする。

 複数の品種を栽培する意味が分からないのだ。麦なら麦で、同じ品種を栽培した方が手間がかからなくていい。


 するとその男は、何かに気付いたようにひとりで頷いた。

「なるほど、いかに魔法に優れようとも、商売についてはまだまだですな。手元にあるものをすべて蒔けばいいというわけでもありますまい」


「…………」

 ガイドはそれを黙って聞いている。


 魔道国が栽培している品目は多岐にわたる。

 麦ひとつとっても、種籾は正司が各国、各地方から持ってきた。


 輸出用につくった畑は同一品種で揃えているが、町中にある畑では、それこそ同じ品種がないのではと思うほどにバラエティに富んでいた。


 見学している者たちは、「売れそうなものを片っ端から試しているのだろう」と解釈したが、それは正しくない。


 同一の品種のみに頼った場合、作物に病気が発生した場合、被害が大きくなりすぎるのだ。


 ゆえに正司は、輸出品目とは別に自国の民が食するものだけは、多くの品種、多くの作物を植えるように指示していた。


 とくに麦とイモの種類は多い。「よくぞ集めた」と言えるほど、幅広い。

「それに隣接して植えると、新しい品種が生まれるかもしれません」


 そう話していたと、ガイドは聞いている。

 役人たちも「そういうものか」と思う程度だが、正司には小さい頃テレビで見たニュースが頭から離れなかったのである。


 昔、何気なくつけたテレビでイギリスの首相が、200年近く前の政府の行動をアイルランド国民に謝罪し、当時の政府の行動に間違いがあったことを認めていた。


「何があったのだろう」と正司が興味を持って見ていると、解説が始まった。

 イギリスのアイルランド地方で作物に伝染病が発生し、大きな被害が出たらしい。


 当時の地主は収入が減るのを嫌い、食料輸出を強行しようとし、政府はそれを認めた。

 当然、食糧は瞬く間にそこをつき、餓死者が出始めた。


 政府はその段階で食糧援助を行ったが、それは土地を持たない者のみに限定した話だったという。


 小さな土地を持っていた農民は援助を受けられない。

 二束三文で土地を手放すしかなくなり、わずか数年の間に、餓死者と逃亡農民でアイルランドの人口が半分に減ったというのだ。


 たった二百年前に、人口が半分に減るほどの飢饉があった。

 正司はそのことに驚き、よく覚えていた。


 そこで魔道国では、多品目多品種栽培を推奨したのである。

 また余剰分が出ても安く売ることをせず、価格の維持ができればなおいい。


 各所に食糧備蓄庫をつくり、万一に備えることを考えた。


「まあ、あれですな。売れる作物がよく分からないのでしょう」

「まあまあ、魔道王は商売の素人ですから」

 見学していた商人たちはそんな会話をしつつ、町を進むのであった。


 魔道国の真価が、そして正司の真意が伝わるのは、万一があったときなのかもしれない。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 思ったんですが、ノイノーデンで多品種を育てるのは、この土地に最適な品種を育てるためだと考えても良いと思います。 新しい土地なのですし、まだまだ試行錯誤の段階ですから。特定品種に全力を注…
[一言] 正司の農業方針を大して理解もせずに非難する3流商人たちにはガイドから「我が魔道国の王を非難する輩は必要ありません。」と言って即強制送還してもいいですね。
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