114 建国カウントダウン
帝国領から戻ってきたルンベックは、終始ご機嫌だった。
一方リーザはというと、日々の仕事に追われ、目にクマができている。
睡眠不足で肌がボロボロになり、心なし、全身が煤けている。
もちろんリーザはルンベックが留守の間、当主の代理を立派に果たした。
それゆえだろうか、やたら上機嫌の父親を射殺しそうな目で見ている。
「このクソ忙しい時期に、よくも留守にしたな」という思いが強いのだろう。
何しろいまは、領の運営だけでなく、移民の移動とニアシュタットという三番目の町の整備、そして建国に向けた準備と、やることは目白押しなのだ。
加えてリーザは、毎夜どこぞのサロンに出没して、話題を振りまいている。
もはや身体も精神も、限界に達していたのだ。
「本当に間に合ってよかった」
いつになく上機嫌のルンベック。
「それはよかったです、お父様。帝国で長居した甲斐があったようでなによりですわ」
「そうだね。この場合、運が良かったといえばいいのかな」
リーザの嫌みを軽く流したのか、それとも上機嫌すぎて気付かなかったのか。
ルンベックの機嫌はいささかも衰えないどころか、周囲に笑顔まで振りまく始末である。
「お父様のそのような姿、見るのは初めてですわ」
さすがにリーザも、これには呆気にとられた。まったく父親らしくない。
だがここで、待てよと思い直す。自身の父親は、何をもってそれほど上機嫌なのか。
「……ん? どうしたんだい、リーザ」
じっと顔を見つめるリーザに、ルンベックが気付いた。
「お父様の機嫌がよい理由を知りたいと思いまして……たしか、帝国に抗議に行かれたと記憶しているのですが」
そう。ルンベックは、帝国に抗議しにいったのだ。
なぜこうも上機嫌で帰ってこられるのだろう。
「正確には、抗議の者を使わした……かな。私が直接抗議したわけではないよ」
「ええ、それは分かっています。私が知りたいのは、向こうで何があったかということです」
確実に何かがあった。そうでなければ、この上機嫌の理由が分からない。
「向こうで? とくにないよ。帝国から回答を貰って帰ってきただけだしね」
「……?」
それが本当ならば、上機嫌の理由が分からない。
抗議の者をいくら使わしたところで、どうともならないはずなのだ。
帝国の回答など貰っても、謝罪はないし、賠償だってない。ただ「残念でしたね」という言葉を修飾語過多の文面で彩られて終わりのはずだ。
(帝国に行っている間に、ボケがはじまったのかしら。まだ若いのに……)
リーザがそんなことを思っていると……。
「あっ、ルンベックさん。帝国から戻ってきたのですね」
正司が現れた。
「タダシくん、ただいま。向こうでようやくメドが立ってね。すぐに帰ってきたよ」
「それはよかったです。リーザさんもこんにちは、最近疲れているようですけど、大丈夫ですか?」
「そうね……心得ない人がいると大変よ」
たしかにリーザは、日に日にやつれていく自分を自覚していた。
だがそれもこれも、みなルンベックがいなかったせいである。ミュゼもだが。
「そうなのかい、リーザ。無理をしてはいけないよ。これから忙しくなるのだからね」
無理をすることになったのは、だれのせいなのか。
そんな意味を込めてリーザはルンベックを睨むが、効果がないばかりか、逆に心配されてしまった。
「それで、ちょうどよかったです。ルンベックさんに聞きたいことがありまして」
「何かな。今の時期だと、建国祭についてだよね」
「はい。招待客の振り分けなのですけど……」
「なるほど……リストはあるかな」
「はい。これです」
結婚式の席次もそうだが、だれをどこに招待するかは、かなり重要だったりする。
建国祭は数日に亘って続けられるため、会場がいくつも必要になっている。
大小の会場に分散することもあるし、式典に参加する人、しない人の区別も必要だ。
複数の国から人がくるため、どこに座るかも重要になってくる。
そして究極の問題。偉い人をどう席に割り振るか。
ある程度の割り振りは文官でもできる。
だが各国の重要人物だけはルンベックが行った方がいいと、文官たちが口を揃えた。
「これでいいね。あとはあまり気にするような人はいないはずだ。文官たちの判断で分けられるだろう」
「ありがとうございます、助かりました」
トップ近辺の序列は、トップに聞いた方が早い。
晴れ晴れとした顔で戻ろうとする正司をルンベックが止めた。
どうやらルンベックの方も正司に話があるらしい。
そもそも建国祭は、文字通り「建国を祝う」ためのものだ。
年が明ける前から招待客が集まり、そのまま何日間も祭りは続く。
「建国祭の最終日だけどね……こういう演出はどうかな」
ルンベックが話すと、正司は驚き、リーザは目を丸くする。
「お父様! そんなことをしたら、帝国が黙っていません。戦争になりますわよ」
それを予想していたのだろう。ルンベックは懐から一枚の紙を取り出した。
「帝国は何でも書類に残すのは知っているね」
「ええ、組織があまりに大きすぎて、そうしないと誰が何をしているのか分からなくなるからです」
「その通り。それで私はこれを貰ってきた」
その紙には、こう書かれていた。
――帝国領内で重要人物一人につき、三人までの護衛を認める
何のことはない。一般的に言われていることを明文化しただけだ。
つい先日、ルンベックは多大な時間と労力をかけて、帝国に抗議した。
帝国はルンベックの抗議を鬱陶しく思ったことだろう。無視してもよかったはずだ。
このままでは帝国に用事があっても、安心することができない。
なにしろ、帝国の使者が国のトップを襲ったのだ。
ならばどうするか。用事があるとき、帝国領外で行えばいいのか。
それは不可能だろう。
用事があるたびに、わざわざ海を渡って帝国の官僚が他国へ出向くのか。
問題は、自国内ならばいくらでも護衛を増やせるが、帝国領内ではそうもいかないことだ。
ちゃんとした回答がなければ全員引き上げさせ、国の重要人物を二度と向かわせない。
ルンベックは脅しともとれる勢いで、そう抗議したのであった。
間の悪いことに、ルンベック襲撃の噂は、帝都のあちこちで囁かれるようになっていた。
リーザがサロンに出席して噂をまき散らしたのも大きい。
結局、そんな些細なことでトエルザード家のみならず、他の国々と結託されれば、話がややこしくなる。
護衛を二人も引き連れて襲われたのは、そちらの都合。
こちらは感知しない……と突っぱねてもよかったが、面倒事を避ける意味で帝国はこう回答した。
帝国領内で、国の重要人物の護衛は、三人まで認める。
そのような回答が出るよう、ルンベックは会話を誘導させたのだが、帝国はみごとに嵌まってくれた。
「お父様、その許可証は……」
「ああ、ちゃんと渉外担当大臣からもらったものだ。大臣のお墨付きだね」
このことから、二つのことが分かる。
ひとつは、重要人物ひとりにつき、帝国領内で三人の護衛が許されたこと。
もうひとつは、重要人物の定義が書かれていないことである。
「というわけでタダシくん。建国祭の出席者だけど、総数でどのくらいになるかな」
「えっと……全員ですか?」
「そう。末端まで入れての数だ」
「だいたい五千人でしょうか」
ルンベックは無言で頷き、リーザは「ひっ」っと小さく悲鳴をあげた。
「そうか。五千人も重要人物がいるのか。そうかそうか。建国祭に招待されるくらいだから、それぞれの国にとって、とても重要な人たちだろうね。タダシくんは彼らを預かる責任があるのか。なるほど、なるほど……」
そして極めつけの一言。
「これは、精鋭の護衛が……一万五千人必要だな」
招待客五千人に精鋭の護衛一万五千人。合わせて二万人。
リーザは頭痛を堪えるように、額に手をやった。自分の父親が次に何を言い出すのか分かっているからである。
「ところでタダシくん。その二万人を帝都まで〈瞬間移動〉で運ぶのに、何往復くらいすればできるかな?」
それに対して正司は、「一度に全員運んじゃだめなんですか?」と問い返した。
その翌日、ミュゼが上機嫌で帰ってきた。
出迎えたリーザは既視感を抱きつつも、一応釘を刺す。
「お母さま、この忙しいときに領内の仕事を放り出して、どこへ行っていたのですか」
ルンベックとミュゼが揃っていなくなったことで、リーザはとてつもなく苦労した。
激務で肌はボロボロ。うら若い女性にあるまじきことだが、肌も髪も脂っぽい。
毎夜サロンに出るときは、化粧で誤魔化しているが、そろそろ限界であった。
ところがである。
「わたくしも大変だったのですよ」
そうのたまうミュゼの肌はピカピカのツルツル。
なんとも健康そうである。
髪に至っては、あまりにサラサラすぎて、結わえないほどだったりする。
十代と言われても信じてしまいそうな肌と髪。
「とても大変そうには見えませんけど、さぞ苦労されたのでしょうね」
これも正司絡みだなと瞬時に理解し、盛大に嫌みを言うリーザであったが、ミュゼはどこ吹く風で「うふふふ……」と笑うばかり。
すると今度は、どこで何をやってきたのかが気になる。
身体全体から、香水とは違ういい匂いを漂わせているのだから、尚更である。
「……それでお母様。すべて話してくれますね」
さあ、さっさと吐かんかとばかり、リーザは詰め寄る。すると……。
「あっ、ミュゼさん。戻ってきたのですね。モニターのみなさんはどうでした?」
正司が登場した。タイミングがいいのか悪いのか。
リーザは「やはりか」と既視感を強引に抑えつつ、ふたりに説明を求めた。
聞くところによると、ミュゼは魔道国三番目ニアシュタットの町にいたらしい。
温泉客を集める一環として、女性の美容を促進し、疲れを癒やし、肌を若返らせ、髪をつやつやにする魔道具を正司がつくったというのである。
それを知ったミュゼは自分で効果を試し、「これはイイ!」と分かるや否や、啓蒙活動に出かけていったらしい。
「魔道国に中立、もしくは反対の立場の人がいましたの」
そうミュゼは言う。
これまでうまくやってきていたところにポッと現れた魔道国。
だれもが歓迎するわけではない。
とくに既得権益を失う恐れのある者ほど、新しい国の出現には否定的だ。
そして既得権益を持っている者は、総じて権力を持っていたりする。
すべての人に愛される人などいない。
もしいたとしたら、それはまやかしか、何か裏がある。
魔道国だって、反対する人が出るのは、織り込み済みだ。
だが、マッサージチェアをはじめとした魔道具を体験したとき、ミュゼは「これだ!」と思ったのである。
夫婦関係とは複雑怪奇なものであり。
妻は夫をたてつつも、裏で権力を握っていることも多い。
明らかにオピニオンリーダーであることもある。
ミュゼはそこに目を付け、魔道国に中立もしくは反対の立場をとる人々の奥方に狙いを定めた。
「わたくしのように若返ることができますの。興味あるかしら」
そう囁き、魔道国の啓蒙活動を行ったのである。
するとどうだろうか。
数日通い詰めて、身体を磨いたところ、本当に周囲の人が羨むほど、ピカピカのツルツルになったのだ。
こうなると歯止めは利かない。
魔道国がどうとかよりも、人に見せびらかし、自慢したくなるのが人の心というもの。
「あれ? あの方、魔道国に反対だったんじゃなかったのかしら」
そう思われていた女性の多くが趣旨替えをしたものだから、大変である。
噂は風に乗って、どこまでも広がる。
トエルザード領内はもとより、各国妙齢の奥様方の話題は、魔道国三番目の町でもちきりとなった。
同時に美の伝道者として、ミュゼの名も広がることとなる。
「な、なるほど……わ、私が肌荒れを気にせず、職務に邁進していたころ、お母様は温泉三昧、美容効果のある食べ物に舌鼓を打って、スキンケアしまくって、マッサージでリフレッシュと……そういうわけですね」
「そうですわね、うふふふふ」
悪びれもせず、ミュゼは肯定した。
いや、リーザだって、ミュゼの功績は分かる。
反対者の宗旨替えなど、なかなかできることではない。
反対派に属していた人たちを懐柔し、自分の信奉者にしたてあげた手腕は凄い。
反対する者が少なければ少ないほど、国の運営はやりやすくなるのだから、ミュゼは短時間で絶大な効果をあげたことになる。
だがしかし……とリーザは思う。
ルンベックといい、ミュゼといい、相変わらず攻め時と攻める場所が的確だ。
こんな両親をみれば、自分はまだまだだと思う。
だが、上機嫌で帰ってきたルンベックとミュゼを見れば、そんな気持ちも吹き飛んでしまう。
「そういえばタダシさんは、どうしてここに?」
建国の準備に忙しいのでは? とミュゼに言われた。
リーザもそういえばと思い返す。
建国までもう日が残り少ない。あちこち出歩く暇もないはずだ。
「ああ、今日はリーザさんのために来たのです」
「私のため?」
「ええ、このまえかなり疲れているようでしたので、元気が出るようにと……」
「そうなの? 気にしてくれたのね。ありがとう、タダシ」
「いえいえ……」
正司もいいところがある。リーザはささくれだった心が穏やかになっていくのを感じた。
なんだかんだ言っても、頑張っている自分をちゃんと見てくれる人がいる。
それはリーザにとって、努力が報われたと思える瞬間だった。
正司は『保管庫』から、湯気のあがる料理を取りだして、テーブルに並べた。
二皿、三皿と料理が増えていく。
「タダシ……これは、なに?」
「リーザさんの疲れを取るには、栄養のあるものをたくさん食べればいいと思いまして、私が料理を作りました」
「タダシがつくったの?」
「ええ、そうです。もう精力がつくものばかり集めました」
「……えっ!?」
「ぜんぶG5の肉です。これは全身に力が漲ります。こっちは血行がよくなります。食べたらもう、鼻血ブーですよ」
リーザは固まっている……と思ったら、すぐに再起動はじめた。
「……く」
「……く?」
正司が聞き返した。リーザが下を向いているので、よく聞こえなかったのだ。
「……くっ、喰えるかぁー!」
その日、トエルザード家のどこかの部屋で、どんがらがっしゃーんという音が響いたという。
※料理は、スタッフがおいしく戴きました※
建国式を行うにあたり、いろいろと買い揃えねばならなくなった。
町や城があまりに殺風景だったのである。
なんというか、飾りっ気がない。それに尽きる。
――そんなもの、なくていいじゃん
というわけにはいかない。
ちょっとした美術品のたぐいは、トエルザード家だけでなく、王国からも「寄付」という形で魔道国に入ってきた。
それ以外の、たとえば劣化するため長期保存が難しいものなどを調達しなければならなくなったのだ。
「……面倒ですね」
必要かと問われれば、正司は「必要でない」と答える。
だが、正司以外は「必要だ」と口を揃えていう。
しかたなく正司は、『魔道国の買い出し部隊』を引き連れて、ルード港へ跳んだのである。
実際に買い物をするのは彼らであり、正司ではない。
上質な布や、絨毯、カーテン生地などは帝国産が一番であるらしい。
ルード港にはトエルザード家馴染みの店も多い。
買い物にはここが一番便利だと押し切られたのである。
ちなみに港であるため、珍しい食材も多い。
船でトエルザード公領へ運ぶには日数が掛かりすぎる。
そういうわけで、話だけしか伝わって来ない食材も今日は買い放題である。
今回、目に付いたものを一気に買い込むことになっている。
「この港は本当にトエルザード家御用達の店が多いんですね」
帝国バッタリア領にあるルード港。
バイダル港から船で一番近いのがここなのだ。
東西に長い大陸の端から端ということで、行くだけで二カ月以上かかる。
自由に買い物できるとあって、買い出し部隊の面々のテンションは高い。
ちなみに正司の場合、〈瞬間移動〉を使うため、いまだ大陸全土の距離感が掴めてなかったりする。
買い出しは他の者に任せて、正司は町中をブラブラと歩く。
最上級品は一圏内のバアヌ湖周辺の町にあるらしく、中でも帝都ならば金を出せば大体が揃うようだ。
だが悲しいかな、いかなトエルザード家といえども、帝都の最高級品店での買い物経験は、ほとんどない。
買い出し部隊を連れて行ったところで、最適なものを適正の価格で、満足いくまで揃えられるとは限らない。
ゆえになじみのあるルード港を利用したのだが、そこで正司は偶然にも……本当に偶然にも、見知った人物と出会うことになった。
「あれ? ウーレンスさん」
正司はそう呼びかけた。
通りをこちらに向かって歩いてきたのは、ヒットミア領の商人ウーレンス。
ウーレンスは大きく目を見開いて正司を見つめ、続いて持っている荷物を取り落とした。
――ドサドサドサ
それだけでは飽き足らず、すぐにガクガクと震えだして、その場に跪こうとした。
「ちょっ、ちょっとウーレンスさん。何をやっているんです!」
慌てて正司が止めに入る。
「タダシさん、いえ、様……いや、魔道王陛下におかれましては、本日はお日柄もよろしく……」
しどろもどろである。というか、結婚式の挨拶みたいなのがはじまった。
気持ちがいっぱいいっぱいらしく、目の焦点が合っていない。
というか、正司と目を合わせようとしない。
「ここではなんですから、人目のつかないところへ行きましょう……」
手を引こうと思ったが、震えるウーレンスの足が前へ進もうとしない。
そのうち、「なんだ?」と周囲の注目が正司たちに注がれるようになった。
(ここにはお忍びで来ているんですけど……そうだ)
困ったときの〈瞬間移動〉である。
このまま消えてしまえば、周囲の人も「なあんだ、気のせいか」と思わなくもない……こともないが、そのへんはもう正司は気にしないことにした。
ウーレンスと落とした荷物ごと、正司はミラシュタットの町へ跳んだ。
ミラベル城の中に跳んだ正司だったが、ウーレンスは周囲を見てすぐに何がおこったか気付いた。
そのまま「う~ん」と目を回してしまい、ベッドへ寝かされることになる。
その間、正司はルード港に戻って、買い出しが終わった者を運び、人心地ついていると、ウーレンスが目を覚ましたと報告が入った。
「……というわけで、買い出しに来てたら、偶然会ったので、思わず声をかけたのです」
目を覚ましたウーレンスに、これまで何があったのか、話し終えたところであった。
ちなみにウーレンスだが、グラノスの町のサロンで正司と会ったときは、その正体に気付いていない。
帝都サロンの招待状を正司に渡しているのもただの気まぐれだ。
グラノスの町にいる役人や貴族にはない「何か」を感じ取ったに過ぎない。
そのとき正司は、お礼にと〈瞬間移動〉の巻物をウーレンスに渡している。
なぜウーレンスがルード港にいたのか。それが騒動のもとになっているらしい。
「あの日、タダシ様が皆様の前から忽然と消えたおかげで、貴族の方々も何がおきたのか理解したようです」
必然的にリーザたちを連れてきたザクスマンに好奇の目が集まる。
予め決めておいたのだろう。
ザクスマンは連れてきた正司の正体を明かし、みなの度肝を抜いたという。
今回はどうしてもと言われて連れてきたのだと話したらしい。
自分はそれ以外の役割はないと。
そしてサロンの注目を集めたのがもう一人。
直前まで正司と話していたウーレンスである。
しかもウーレンスは、正司から何かを受け取っている。
「生きた心地がしませんでした。そりゃもう、裏口からとっとと退散しましたとも」
さすが帝国商人である。引き際は心得ているらしい。
家に帰って巻物を確認してみたら、どうにも本物であるらしいことも分かった。
翌日にはだれかが押しかけて来るだろう。きっと来る。必ず来る。
そう考えたウーレンスは、商売を拡げるためという名目で、ヒットミア領を抜け出した。
その後は交易を続けながら、バッタリア領にたどり着いたのだという。
その間、各町で魔道国の話を聞くことになる。
同時に、「間違いない」という確信も得たらしい。
先日のサロンで気軽に話した人物は、歴史に名を残す大魔道士で、魔道王と呼ばれる人物であると理解した。
ウーレンスは交易を続けながら町を転々としたのだが、何があったのか、ことごとく商売が当たり、そのままルード港で拠点を持つことにも成功した。
いまは、ルード港で商売をはじめていたらしい。
「そんなことがあったのですか」
一通り話を聞いて、正司はウーレンスに迷惑をかけたと考えた。
ウーレンスは、グラノスの町の拠点を失ったわけではなく、今回の交易でかえって拠点を増やすことになったらしいが、旅に出ることになったのは正司のせいである。
「それは申し訳ないことをしました。お詫びにこれを受け取ってください。交易するのでしたら、便利だと思いますし」
正司は『拡張鞄』の魔道具をウーレンスに差し出した。
「ありがとうございます。これは我が家の家宝にし、子々孫々受け継いでいきます」
「いえ、使ってください!」
王から下賜される場合、断るのは非礼にあたる。
たとえそれが自国の王でなくとも。
ゆえにウーレンスは、それを押し頂くしか道は残されていない。
と同時に、王から賜ったものを「日常使い」にできるほど、豪胆ではなかった。
ちなみにこの前もらった〈瞬間移動〉の巻物も、一度たりとも使用していない。
これはウーレンスが貧乏性だからではなく、この身分社会の中で、しかも二級市民であるウーレンスにとっては、当然のことである。
つまり家宝になるとはいえ、使うこともできない魔道具を押しつけられた形になっていたりする。
それでも会話をこなすうちに、ウーレンスもなんとか打ち解けてきた。
最初の頃のようにガチガチに緊張して、物を取り落とすようなことはなくなった。
「それでは、代官と商人の争いは本当なのですね」
会話の糸口が掴めなかった正司は、このまえ浪民街で聞いた話をウーレンスに振ってみた。
するとさすが商人である。
そのへんの事情はクヌーよりもよく知っていた。
「はい、大ざっぱに分けますと、代官のロキスは第一皇子派となります。商人のダクワンは第二皇子派です。両者の仲が悪いのはいまに始まったことではないのです。そしていまは、勢力争いの真っ最中です」
ダクワンは豪商である。ロキスに比べれば、金はうなるほど持っている。
また外からやってきた商人であるため、代官の権勢が及ばないところでも活動できる。
「つまり、第一皇子と第二皇子の権力争いと考えられるわけですか」
「そうですね。代理戦争のようなものです」
権力の代理戦争。いっきに下世話な話になってしまった。
ようは虎の威を借る狐同士の争いなのだ。
一気に脱力した正司に、ウーレンスは「帝国民としては黙っているべきなのでしょうが」と前置きした上で、昨年おきた領主の交代劇の話をした。
帝国には八つの領があり、その頭をすげ替えるのは容易ではない。
だが昨年、それがおきてしまった。
帝国中南部にあるティオーヌ領の領主が交代を余儀なくされたのだ。
「あとで知ったのですが、一年以上かけて徐々に代官の交代劇が行われていたようです」
代官は町のトップである。代官は、つつがなく町を治めることが求められる。
できて当たり前の仕事である。
もし問題がおきれば、領主から「失格」の烙印を押されてしまう。
領主には代官の任命責任がある。といっても、本当は変えたくないのだ。
だが、不適格な者が代官でありつづけると、失策は増えていき、住民の心が離れていく。
町にはさまざまな有力者がおり、他の町にも顔が利く者も多い。
「あの町の代官はダメだ。なのに領主は一向に交代させようともしない」
「だとすると、領主も無能だな」
そんな噂が広まったとしよう。
「領主が無能なんだって?」
「ああ、あれじゃダメだな」
次には、そんな話が蔓延するかもしれない。
傷が浅いうちに代官を代えてしまった方がよいのである。
だが、後任人事は難航する。
当たり前の話だが、町には代官以外にも多くの有力者がいる。
たとえば領主の側近を連れてきて代官に任じたとする。
町の有力者たちがいっきに反発することもある。
そんなことで反発されたくない領主は、ある程度町の裁量に任せることになる。
そうやってひとつ、またひとつと代官が交代してゆき、ある一定数が超えたとき、いきなり謀反がおきたのである。
「新しく代官になった者の多くは第二皇子派だったようです。そしてティオーヌ領の領主は第一皇子派でした」
「あー、多数派工作に失敗したわけですか」
正司がそう言うと、ウーレンスは重々しく頷いた。
「第二皇子は、皇族然としたところが多く、下々の動向には注意を払わないお人という印象でしたが、それが昨年覆されたわけです」
これまで付き合ってきたのは上流階級の者ばかり。
領主や代官のことに頭を使うような人物とは思われていなかったらしい。
「それで対応が遅れたと……第二皇子は、本当はやり手だったということですか」
「緻密な計略を長い間かけて、秘かに実行するのですから、そうなのでしょう。これでピリピリしだしたのが第一皇子派です。まさか第二皇子がそんなことを考えていたとは、夢にも思っていなかったようで、色々と一圏内が慌ただしくなったと聞いております」
次の皇位は第一皇子と決まっていた。そのはずだった。
だが、本当にそうなのか? 有力者たちが疑心暗鬼になるほどに、その領主交代劇は突然かつ、斬新なことだったという。
「ですけど、新しい皇帝は、合議制で決めたりしないですよね」
それとも議会制民主主義の帝国なのだろうか。
「もちろん、次代は当代の皇帝陛下がお決めになることです。ですが、領主の意向も無視できない部分だってあります」
領主の任命権は皇帝にあるから好き勝手できるかといえば、そうではない。
地方には軍があるのだ。領主に軍ごと反抗されたら、国を分ける戦いに発展する。
そしてこれまでの現状を見るに、そうなったら帝国の内乱は際限なく続くだろう。
次代の皇帝候補が全員死に絶えたところでその内乱は終わるはずもない。
国を割ってすぐに元通りになるほど、帝国は一枚岩ではないのだ。
「そのティオーヌ領と同じことが、ヒットミア領でおきているとウーレンスさんは考えているのですか?」
「そこまでは分かりません。さすがに皇子派の動向は探れませんので。ですが、代官のロキスと豪商のダクワンはそのつもりでしょう。それゆえ、双方は引かないと思います」
先ほどの話の通りならば、領主が皇帝に反抗したら国が割れる。
そして元に戻るのは難しい。
代理戦争とはいえ、代官と豪商の戦いもまた、簡単には終息しないだろう。
そうウーレンスは言い切った。
(これ……リスミアさんのクエストとは、関係ないですよね)
浪民街にいる孤児の少女。彼女の願いとこの政争。
関わりはあるのだろうか。
(……さすがにないですよね)
そう考えて、正司は強引に思考を打ち切った。
とにかく建国祭がもうすぐ控えている。
皇位争いをしている兄弟やら、多数派工作をしている領主やらの話に巻き込まれたくない。
「ウーレンスさん、貴重な情報をありがとうございます。私はしばらくあの町に、近寄らないようにします」
「そうですね、それがいいと思います。あそこはいま、相手を蹴落とす準備に忙しいようです。へんに巻き込まれると大変な目に遭うと思います」
正司はもう一度ウーレンスに礼を言って、ルード港まで〈瞬間移動〉で送り届けた。
(……ふう。もう建国祭まで余計なことは考えないようにしましょう)
ヘタに動いて巻き込まれては堪らない。
正司はウーレンスから聞いたことをすべて封印し、いまは忘れることにした。
何しろもう年末。
そろそろノイノーデン魔道国へ来たがる有力者たちを拾って回らねばならないのだから。
「やあ、諸君。調子はどうかな」
直立する三人の将軍を前にして、帝国東方軍司令官シャルトーリアは気さくな調子て手を挙げた。
「「「順調であります、閣下!」」」
対する将軍たちの返答は簡潔かつ明瞭。
「そうか、それはよかった。もうすぐ年が明ける。少ししたら帝都でサロンも開かれるからね。それまでゆっくりするといい」
「ありがとうございます!」
将軍の言葉にシャルトーリアは満足そうに頷く。
「その後は働いてもらうよ。多数派工作に成功したら、領主を伴ってお祖父様のところへ行く」
シャルトーリアの言葉に将軍たちがゴクリと喉を鳴らした。
「可愛い孫娘たっての頼みだ。無下にはしないだろうね」
冗談と分かったのか、将軍たちは声を揃えて笑った。
「無事退位戴けたら、あとは分かるね」
「もちろんであります!」
「牙を失った老獅子のかわりに、我々が覇を手にしようではないか」
「イエッサー!」
そこでふとシャルトーリアは、何かに気付いたかのように、手を叩いた。
「勘違いしないで欲しいのだけど、我はお祖父様に退位を促すだけだからね。宮廷内で血は流さないように……どこか見晴らしのよい別荘を用意しておかないといけないか」
すでに確定事項のようにシャルトーリアは語った。
「それとそろそろ父にも話しておかないといけなさそうだね。やれやれだよ……まっ、事後承諾でもいいか。父ならば、よろこんで椅子を温めるだろうさ」
シャルトーリアは笑みを深くし、将軍たちは表情を変えずに、直立の姿勢を崩さなかった。