113 さまざまな準備
ミュゼが美容と健康、そしてお肌ツルツルのために奮闘している頃。
ラクージュの町では、ちょっとした騒動が持ち上がっていた。
騒動……たしかにこれは騒動である。
「……お父様とお母様は、一体どこへ行ってしまったのよ!」
トエルザード家の屋敷で、リーザの不満声が響いた。
「お姉ちゃん、そんなにカリカリしていると老けるよ」
ミラベルがリーザの肩をポンポンと叩く。かなり偉そうである。
一方のリーザは、頭痛を堪えるように額に手を当てたまま呻く。
妹にたしなめられる屈辱と、こう内から沸き上がってくる理不尽さに耐えているのだ。
額に手を当てたまま、大きく深呼吸する。
最近、この仕草が増えたなとリーザは思う。正司に会ってから頻発した。
「でもね、ミラベル。この状況は危険なのよ。分かるかしら」
「でも、いないものは仕方ないんじゃない?」
ケロッとした言い草に、リーザは一瞬だけミラベルを睨むが、ここで悩んでいても状況は改善しない。
「……目の前の仕事を片付けましょうか」
大きなため息を吐いて、リーザは書類を眺めた。
ちなみにルノリーは、先ほどから半泣きである。
椅子に根が生えたように動いていない。そのうち椅子と机と一体化しそうである。
ミラベルだけは甘い飲み物を口に入れながら、足をブランブランさせて座っている。
優雅なものである。
リーザ、ルノリー、ミラベルの三人が何をしているのかというと、上がってきた決裁書類に「代理サイン」をしている。いや、ミラベルは二人が仕事をするのを眺めている。
当主の仕事はいくつかに分けられるが、その中でもっとも多いのが書類の決裁である。
決裁はイエスとノーだけでなく、適切な指示を与えたり、家臣に割り振ったりするのも含まれている。
リーザたちが手伝っているのは、比較的重要度の低いもの。
領の運営にまったく影響を与えないが、体裁としてトエルザード家のサインが必要な書類を捌いているのである。
たとえば、家臣のだれそれが親類の結婚式へ出席するため、隣の町へ行く。
そんな書類にリーザが自筆でサインをする。
一見どうでもいいような内容だが、家臣が町を往復するのに十日かかる。
その間、本人がすべき仕事が滞ることになり、わざわざ尋ねて来た者がいた場合、無駄足を踏ませることになる。
不在の間の処置がしっかりできているか、周囲への告知は十分か、アクシデントで帰りが遅れた場合のフォロー先は決まっているかなどをチェックし、すべて問題なければ家臣の移動を認める。
そのような些細な書類が毎日持ち込まれてくるのだ。
これらは家臣が重要度に応じて書類を仕分けし、ルンベック以外の者に割り振る。
ルンベックが担当するのは重要な決裁が必要なものばかりだ。
それ以外のほとんどがミュゼの担当となり、たまにルノリーの勉強のために書類が回される。
リーザも時間があれば手伝っている。
オールトンは逃げている。リュートをシャラランと掻き鳴らして、風の吹く方へ飛び出してしまう。
だがいまは、違う。ルンベックがいない。
これは非常に拙い。書類がどんどんと積み上がっていくのだ。
それを処理するはずのミュゼもいない。
するとどうなるか。ルンベックとミュゼが処理するはずの書類が一切決裁されないことになる。
結果、まったく重要でない仕事に加えて、それほど重要でない仕事までもがリーザたちのもとへ持ち込まれることになった。
リーザとルノリーは書類を隅から隅まで読んでは、不備がないか確認し、自身の責任において「代理サイン」を書いている。
(やっぱり、この制度は弊害があるわよね)
当主か、当主が認めた者がすべてを把握する。
それがトエルザード家のやり方である。
ここでは、中央集権が確立されている。
当主は自領のことならば何でも知っている反面、仕事量は膨大になる。
身体の弱いルノリーがその激務に耐えられるか未知数であったことで、リーザにお鉢が回ってきそうな雰囲気が、つい一年前まであった。
実際に領主の仕事を体験してみると分かる。
健康かつ頑強でなければ務まらない。
そして適度な処理能力を継続してやりつづける忍耐力なければ、当主は務まらない。
「あれ? みなさんお揃いですか?」
突然、正司が現れた。
「お父様がいないから仕方なくね……タダシは建国の準備に忙しいんじゃないの?」
年明けには、ノイノーデン魔道国がスタートする。
いまはそっちにかかりっきりになっていると思っていたのだ。
「ルンベックさんに頼まれて、書類を届けにきたので……うえっ!?」
正司は最後まで言い終わるよりも早く、リーザに捕まった。
「お父様はいま、どこにいるの?」
ある日突然仕事を割り振られ、そのままルンベックは消えてしまった。
家臣も行き先は知らないらしい。
そんなこと、これまでなかった。
逆をいえば、そうする必要があったののだろうと、リーザは表だって探さないことにした。
「ルンベックさんはいま、帝国にいますよ。その方が動きやすいからですけど」
「……帝国に?」
「でも内緒だって言っていました。……それで、向こうで終わった仕事の書類を持ち帰ってきたのです。あと、次の資料を持ってくるように言われました」
リーザは、正司の話を半ば以上聞いていない。すでに父親が帝国に行った意味を考えていた。
(行き先は絶対に帝都ね。でもお父様本人が行く必要があることなんて、そうそう思いつかないのだけど……)
帝国は役人が多い。
基本、役人間を書類が行き来することで意思疎通が図られる。
そうしないと「言った」「言わない」が頻繁におこり、更には「勘違い」「聞き違い」「確認し忘れ」「変更が全員に届かなかった」など、多くの不手際が起こりえる。
そのため、用事があっても本人が出向くのではなく、間違いのない書式で書類を書いて、だれかに持たせるのが一般的となっている。
当主が出かけていく用事など、そうそう起こりえないはずであった。
(まあいいわ。お父様のことは考えても分からないし……それより、お父様の使い走りなんかして、タダシは本当に大丈夫なのかしら)
建国式は間近に迫っている。
トエルザード家も協力しているが、段取りを含めて事前準備や当日の進行などはすべて、魔道国が行う手はずになっている。
移民も現在進行形で増えている。それに建国式の準備が平行して行われるのだ。
魔道国に派遣されている役人たちはかなり忙しいに違いない。
正司はもっとずっと忙しいのではなかろうか。
「建国式の準備は順調みたいです。招待状も送り終わっていますし」
「そうなの?」
「ええ、帝国に行く前に確認してきましたし」
「へえ……」
試しにと、リーザは建国式についていろいろ質問してみた。
意外なことに、正司はよどみなくそれに答えた。
内容をしっかり把握しているのだ。
これにはリーザも首を傾げる。
魔道国は、まだ町が二つしかない。
それでも帝国を除いた全ての国から人を呼ぶ。
相当大きな式典になるはずである。
(どういうことかしら……タダシが複数いるわけでもないし、どうしてこんなに仕事が速いの?)
リーザは正司の顔をじっと見つめるが、答えは分からない。
ミュゼが留守にしているのは、三番目の町に関することだとリーザは聞いている。
各地に影響力を持つミュゼの知り合いに会いに行っているのだ。
最近は、何度か帝国へ足を運んでいるのも知っている。
それに加えて魔道国の運営について、いろいろ意見を出しているとも聞いている。
まさかリーザは、正司が建国式の内容までしっかり把握しているとは思わなかった。
正司がなぜ、ルンベック並みの処理能力を持ち得ているか。
簡単にいえば、これまで育ってきた環境の差である。
幼少の頃から巷に情報が溢れ、新聞テレビ雑誌ラジオ……昨今ではインターネットなどなど、能動的、受動的問わず、常に新しい情報がやってきては、去って行く。
多くの情報に触れることに慣れていて、さらに無意識のうちに取捨選択ができるようになっている。日本に暮らしていると、それが普通なのだ。
そのため、正司は物心ついたときから、情報処理の能力を鍛え続けていたと同じことになっていた。
たとえば平安時代の貴族が、何日もかけて短歌を一首ひねり出すような生活を続けていた場合、何年経ったとしても、現代人と同じ情報処理能力は培われなかったであろう。
それはすなわち、「育ち」の違いなのである。
「建国式については分かった。他は大丈夫? 建国後に混乱はおこったりしないのかしら」
「そうですね、すべてが順調ではないのですが、まあ、問題はないと思います」
「そうなの……ちなみにどの辺が順調じゃないの?」
先ほど質問した限りでは、建国式についてかなり詳しいところまで正司は理解していた。
この分ならば、建国後も安心だろうという予想が成り立つ。
あと何が必要なのだろうかと、リーザは考えていた。
「建国と同時に法令を発布するのですけど、その辺がまだ煮詰まってないですね」
「へえ……」
法など、どの国でも似たり寄ったりだ。
人々は生きていくうちに、自然と「してはいけないこと」が常識として身についていく。
量刑の差こそあるものの、その辺の考え方は国によって大きく違うことはない。
「魔道国では、微罪でもある程度厳しく取り締まることにしました。そのせいで、量刑の調整が難しくなったって言われています」
お人好しの正司には珍しく、そこをキッチリとするらしい。
リーザは、正司が国王なのだから、逆にある程度緩く運用するのではないかと考えていた。それだけに正司の言葉は意外だった。
「軽い罪でも裁くってことよね。厳しくすると、民が萎縮するんじゃないかしら」
「そうでもないと思います。小さな罪を許さない姿勢が、大きな罪を無くす原動力になると思うのです」
トエルザード公領だけではなく、どの国も「目に余る犯罪」を厳しく取り締まる。
それが普通であり、軽微な犯罪は面倒だから捜査しないこともあると聞く。
小さな犯罪にかかるリソースを大きな犯罪に費やした方が良いからだ。
だが正司は軽微な犯罪をしっかりと裁くらしい。やはり意外性を禁じ得ないとリーザは考えた。
この正司の考え方は、『割れ窓理論』と呼ばれるものである。
犯罪が多発する都市部ではとくに有効で、小さな犯罪をしっかりと取り締まることで、大きな犯罪だけでなく、犯罪発生率そのものを減らす効果がある。
正司はそのことを役人に説明し、法令に加えた。
同時に救済策も示している。
罪を犯した場合、自己申告によって量刑は大幅に減らされる。
微罪の場合、ほとんど無罪といってよい。
これは魔道国の法令に『自首』の概念を取り入れたもので、「罪を憎んで人を憎まず」の精神を法の中に反映させようとした結果である。
それが正司が目指す国のあり方であると時間をかけて説明し、およその理解は得られた。
あとは現実に落とし込むだけである。
こうして法令は若干の変更を伴いつつ整備されていったが、建国まではもう日がない。
最後の詰めが行われている最中だという。
正司から詳しい話を聞いたリーザは考え込み、ルノリーは感心し、ミラベルは船を漕いでいた。
「上手くいくのかどうかは、私には分からないわ。一年、二年経ったら結果が分かるわよね」
「そうですね。いい結果が出ると嬉しいです」
「他にどんな要望をしたの? 法令以外で」
父親から聞いた話と違う。そうリーザは思った。
正司は、政治に興味がないものと思い込んでいた。
だが、考えてみれば、ラマ国の首都にいたときもそうだった。
国のあり方や、為政者の考え方に精通するところがあったり、大局的に物事を捉えたりした。
「他にですか……『魔物狩人互助組織』の結成でしょうか」
「……?」
「以前、未開地帯のあちこちに休憩ドームや、避難砦をつくったのです。それを有効活用するために、その場所や魔物の情報交換ができる組織があった方がいいと思ったのです。それがようやく完成しました」
これはゲームや小説の知識から得たもので、『冒険者ギルド』に近い組織だ。
といっても、まだそのひな形にさえなっていない。
いま行われているのは、魔物を狩るための情報提供ができる組織を作っただけである。
登録作業はないし、素材の買い取りもやっていない。
「そこで何をするの?」
リーザにとっては、魔物狩人を組織化する意味が分からなかった。
「そこで未開地帯の地図が購入できます。魔物などの情報はタダで、だれにでも開放しています。将来的には、肉や皮、素材の発注を受け付ける予定です」
正司がこの世界に呼ばれた目的は、未開地帯に停滞する魔素を循環させること。
それを実現させるには、恒常的に魔物が狩られ続けなければならない。
それに悩んだ正司は、擬似的な冒険者ギルドを組織することを思いついたのである。
すでにドーム状の安全地帯や、魔物を狩れるような高台は設置済みである。
その場所を記した地図には、付近に出没する魔物の情報も書き込まれている。
それ以上の情報は、互助組織内で閲覧できる。もちろん無料だ。
互助組織の利用はタダ。登録も免許も必要ないため、だれでも利用できる。
商人だろうが農民だろうが、利用に制限はない。
そこで知識を身につけ、未開地帯にある施設を利用して、狩りを安全に行えるようにする。知識を得るだけでもいい。
ゆくゆくは未開地帯全土に拡げてゆきたいと、正司は考えていた。
「ず、ずいぶんと壮大なことを考えるのね……」
リーザは唖然とする。
正司が〈土魔法〉でつくったものは数百年くらい余裕で持つ。
とくに硬化させてあれば、欠けることもひび割れることもない。
「大型の魔物が出る一帯は、人は通れるけど、魔物が通れない石の柱を一杯並べておきました。そういう場所をうまく使えば、かなり安全に狩りができると思うのです」
おそらくこの先、何百年も未開地帯は絶好の狩り場になるだろう。
雑談のついでに聞いた話だったが、存外大きな計画が飛び出した。
いや、これが正司だと、リーザは額に手を当てた。
(このポーズ……やっぱりタダシと話していると、クセになるわね)
帝国はいまだ、魔道国の本当の姿に気付いていない。
急に町ができて、それが国になった程度の認識ならば、大いに足元を掬われる。
そんなことをリーザは考えていると、ルノリーが目を輝かせながら、正司を見ていた。
(あの子はあの子で、すっかりタダシに魅入られてしまったわね)
博物館を見学した頃から、正司を出来の良い兄のように慕っている。
崇拝していると言っていい。
自分でできないことを軽々とこなす正司に、理想の姿を見ているのだ。
凄い魔法が使える凄い人。それだけでも尊敬に値するのに、まさか国をつくる話を聞かされるとは思わなかったのだろう。
(その分、博物館は未完成なのよね)
実は、博物館に入れようと思っていた人材の一部は、魔道国へ移動している。
本人の了解を得ていることだが、そのせいで博物館が人手不足に陥っている。
見物客はいまだ増え続けており、魔道国の話が広がったいまは、さらに混雑している。
展示スペースはあるものの、これではすべてを開放できないと、従業員が嘆いているらしい。
だが教育の終わった従業員の補充は難しい。他に必要な場所がいっぱいあるのだ。
「タダシお兄ちゃん、ほかには何をやっているの?」
ちょっと前まで寝ていたのだが、ミラベルが復活した。
そして面白いものは見逃さないとばかり、食いついてくる。
「他ですか? 最近ですと、各町にスポーツ施設を作りました。運動場は公園と併設してあるのですけど、どうせならば観客が楽しめる施設があるといいと思いまして、少し大きめのものを建てています」
地球上において、スポーツは古代より娯楽として、見世物になってきた。
古くはローマ時代まで遡り、オリンピックの歴史も古い。
東ローマ帝国時代では、市民が『食糧』と『娯楽』を要求したことで、それを叶えると明言した「パンとサーカス党」が誕生したこともある。
衆愚政治の最たるものだが、それほどまでに娯楽は、市民にとって切っても切れないものであった。
正司は、そこに目を付けた。
闘技場を建設するにあたって、多くの人が集まってスポーツだけでなく、プロの技を見て楽しむことを目的とした巨大施設にしようと思ったのである。
そのうち人気のあるものをプロスポーツとして流行らせてもいいし、屋外施設としても活用できる。
国家間で技を競い合ってもいい。
オリンピックがいまなお残っていることを考えれば、恒久的な人気を得ることは可能であろう。闘技場から幾人ものヒーローが生まれる。それはなんとも夢が広がる光景ではなかろうか。
「闘技場、見てみたい~」
さっそくミラベルが反応した。
「そうですか。ではいっ……」
「ダメ!」
一緒に見に行きますかと正司が言おうとする前に、リーザのダメだしが入った。
「ミラベルは、仕事を見て覚えるの。いいわね」
「…………」
「返事は?」
「……はぁ~い」
なぜミラベルがここにいるのか。
リーザやルノリーの仕事ぶりを見て、今後に生かすためである。
こうした生の仕事ぶりを見るのが勉強であると、ルンベックは日頃から伝えているらしい。
リーザも昔は、時間がある限り、父親の仕事ぶりを見学した。
その時の経験がいまをつくっているのだから、ミラベルにも習わせたい。
結局、正司と一緒に抜け出すことは、叶わなかったのである。
「ぷう~」
ミラベルの頬がぷっくりと膨らんだ。
正司がリーザたちと話をしていた頃、ルンベックは帝都クロノタリアに来ていた。
クロノタリアは、帝国の首都である。リーザが不審がった通り、ルンベックがそこに出かける必要はない。
会談があるわけでもないし、ルンベックが陳情するわけでもない。
そもそも誰とも会うつもりもないのである。
ではなぜ、わざわざそこにいるのかというと……。
「こちらが渉外担当補佐官への面会許可証でございます」
「どれどれ……うん、書式と内容は問題ない。サインも本物だ。でかしたね、セラビック」
「とんでもございません。お時間を取らせてしまって、恐縮しております」
セラビックは深々と頭を下げた。
「そんなことないさ。十分早い方だよ。帝国の手続きの煩雑さを考えれば、上出来の部類だと思うね」
「ありがとうございます」
セラビックが差し出した書類にルンベックはサインをする。
「よしできた。これを次の部署に持っていくといい。どうせ次もあるのだろう?」
「はい。ですがおそらく次か、その次で最後となるでしょう。渉外担当補佐官から返事を戴きましたら、その上は渉外担当大臣となります」
「そうなればいいね。何しろもう何度サインをしたか分からないよ」
「畏れいります」
「セラビックのせいではないさ。すべては帝国の事務が面倒なのがいけない」
ルンベックの仕事は、帝国が発行する書類に、自筆のサインを載せることであった。
帝国では、口約束は「ないも同然」の扱いを受ける。
ちゃんと相手に届けたいならば、書類として残さねばならない。
帝国は、何をするにも書類が重要視される。
今回ルンベックは、襲撃に関する抗議を各方面へ行った。同時に複数の機関へ抗議をしている。
反応があったところと、なかったところが出たのは想定内。
あえて反応がない部署へ集中的に抗議し、その質と量を増やした。
後ろ暗いところがなければ、自ずと反応があるはずである。
そうして部署を除外していった結果、最後まで無反応な所がいくつか残った。
「……ここだね」
その中で一番怪しそうなのが、渉外部署だったのである。
本来、真っ先に反応しても良かったはずだが、いまだ沈黙を貫いている。
まるで関わるのを避けるかのように。
そこでルンベックは、渉外部署の反応を引き出すために、「わざと」様々なアプローチをかけた。
今回の面会陳情もそのひとつである。
帝国から正式な回答をもらうため、渉外部署に有形無形のプレッシャーをかけている。
すると、いつまでも黙ったままでは、ルンベックが引かないと理解したのか、書類を受け取り、部署を転々とさせる「たらい回し作戦」をしてきた。
書類を次の部署に回すには、当事者つまりルンベックのサインが必要だと言ってきたのである。
帝国の首都からラクージュの町までサインをもらいに帰ると、どれくらいかかるのか。
往復で数ヵ月から半年はかかる。
これで静かになるだろうと帝国は思ったのかもしれない。
ルンベックはその先手を読んだ。
まずセラビックに〈瞬間移動〉の巻物を渡しておいた。
それだけではない。戻ってきたセラビックから話を聞いて「じゃ私がそっちに行こう。その方が早そうだ」と言って、即座に移動を決めてしまった。
ルンベックの予想通り、書類を提出すれば別の部署に回され、またそこで当主のサインを求められる。
このままならば、問題を解決させるまでに何年もかかってしまう。そのはずであった。
だがルンベックが帝都に来ているため、サインはすぐに済む。
こうして相手の懐に飛び込み、薄皮を一枚一枚剥がすようにして、目的の場所へ近づいていった。
セラビックはルンベックのサイン入り書類を持って、渉外担当補佐官と面会した。
そこで粘りに粘り、次の部署への書類を貰ってきた。
次にセラビックが向かう場所は、渉外担当大臣のところ。
おそらくそこが、セラビックの最終目的地となる。
何しろ、その次の相手が指定された場合、それはもう帝国の重鎮以外に存在しない。皇家か宰相クラスが出てくるとは思えないため、面会はこれで打ち止めである。
「早速いってまいります」
「もう行くのかね」
「ええ、少しでも早い方がよろしいでしょう」
セラビックはルンベックのサインがかかれた書類をもって出て行った。
その書類さえあれば、セラビックは渉外担当大臣に会うことができる。
ルンベックが求めた「回答」まであともうすぐである。
結果からいえば、すぐには会えなかった。「手順が~」「順番が~」といってきたのである。
セラビックはそれを黙らせるため、他部署から推薦状を取ってきて、それを乗り越えた。
その際、ルンベックのサインが必要になったが、帝都にいるのだから問題ない。
その後はスムーズに進み、それほど時間もかからず、セラビックは渉外担当大臣に会うことができた。
そこで首尾良く「回答」を手にすることに成功したのである。
「よくやったセラビック」
ルンベックはセラビックを大層褒め、その「回答」を持ってラクージュの町に帰っていった。
同じ頃、帝国の宮殿。
渉外担当大臣クオルトスは、片膝を床につき、恭しく頭を垂れていた。
「……そう。結局、何がしたかったのかしら」
「さて、国外に向けた宣伝でしょうか」
「……にしては少々特異ではなくって? あの者は優秀だと評判だけれども」
「そうでございました。先の件、留意しておきます」
「その方がいいでしょう。何かを狙っているかもしれません。それはそうと、クオルトス」
「はっ、内親王殿下」
「時期が押し迫っています。来年早々には動きます。準備はよいですか」
「準備ですが、正直に申しますと、多少の混乱が見られます。一斉に動きますゆえ……その、地方の掌握が難しいところが出ております」
「遠隔地どうしですからね。連絡の不備は認めましょう。ですが、『ここ』から発信するに、あなたほど適任はいないのも事実。それは理解していますね?」
「当然でございます。帝都から地方都市へ多くの者を派遣させております。人員の派遣に抜かりないことを我が名に誓ってご報告させていただきます」
「……よろしいでしょう。陛下は『大陸統一構想』を公言していますが、もはや口だけ。ただ生き長らえるのを楽しみにしている愚物に成り下がりました。それは地方軍をみても明らかです」
「叛乱部隊の鎮圧すら、最近は聞かなくなりましたな」
「一年でも長く自身の統治が続けばよいと考えているだけですから、余計なことを命じることもしません」
「ただ帝国が腐っていくのに任せている……でしょうか」
「そう。それだけでなく、先日は舞い込んできたチャンスさえフイにしようとする始末」
「王国の……一件ですか?」
「そうです。王国はわが国を御せると本気で考えていたようですが、鋭い牙が喉元まで迫っていたにもかかわらず、まったく気付くことがありませんでした」
「あれは好機でございましたな。ですがそれは、閣下が牙をうまく隠し仰せたからではございませんか?」
「それでもですよ。あのまま陸路交易が再開されれば、帝国は二面作戦が可能となったのですけどね。王国ごとご破算にせしめるとは、トエルザード家も存外あなどれない」
「左様でございます」
「後戻りはあの一度で十分です。次こそ、帝国の悲願を実現させましょう。帝国内の腐った貴族ともども葬り去り、大陸を統一するのです」
「ははっ!」
クオルトスはさらに一段、頭を低くした。
「協力してくれますね、クオルトス」
「是非もありません。すべてはグリューネ内親王殿下の御心のままに」
「勝負は、年が明けてからです。それまで気取られることがないよう、慎みなさい」
「肝に銘じます、決して気取られることなく、深く、深く浸透させてゆきます」
「頼みましたよ」
「御意のままに」