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112 美容の町

 ミュゼは巻物を使い、ニアシュタットの町に跳んだ。


 ここは魔道国三番目の町。

 時期がくれば住民を受け入れることになる。


 その「時期」をいま検討中であり、年内の受け入れは難しいだろうと予測も立っている。


 ミュゼがこの町に来たのは三度目。

 一度目は正司に連れられて、町をつくると聞かされたときだ。


 二度目は、温泉街をつくりたいという要望から、人員を派遣したとき。

 そのときはまだ巨大迷路も、高い塔も、黒い城もできてはいなかった。


「これはこれはミュゼさま……」

「ごくろうさま。町の調査は進んでいるかしら」


「予定通りとはいきませんが、みな骨惜しみせず、働いております。若い者が多いからでしょうか。戸惑いもみられるようです」

 ミュゼに話しかけられた男は、深々と頭を下げ、そう述べた。


「そう。それは良かったわ。多少至らないところもあるでしょうけど、大目に見ながらやってあげてね」


「承知いたしました……それで、今日は如何な用向きでございましょうか」

「形になってきたと話を聞いたので、これから町を見て回ります。ひとりで大丈夫ですので、皆は気にしないように伝えてください」


「はっ、畏まりました」

「それではでかけてきますわね」


 ミュゼはひとりで建物の外へ出た。

 不用心のようだが、この町へ来られる者の身元はみな把握済み。


 不審な者が出入りできるはずもなかった。

 高い壁に頑丈な門。そして昼夜問わず兵が門を守っている。


 正司を経由しないで〈瞬間移動〉の巻物を手に入れられるならば別だが、この地に不審者が入り込む余地は、いまのところ存在していなかった。


「……あれは目立つわね」

 まっさきに目に付いたのが『ファファニアの塔』と呼ばれるバカ高い建物。


 正司にいわせると、六十階までは普通の建物と同じで、そこからが本当の「塔」であるらしい。

 塔の部分はらせん階段のみ。そしててっぺんには、部屋がひとつあるだけとか。


「塔らしくこだわってみました」と笑っていたのをミュゼは思い出した。

「登ってみたい気がしますけど、やめておきましょう。それだけで一日が潰れそうですわ」


 規格外という言葉があるが、正司がやることなすこと、すべて「規格外」である。

 通常のものさしでは測れないものをニコニコと片手間でつくったりする。


「まずは塔に向かって歩いてみましょうか」

 道中、多くの人が汗を掻きながら働いているのが目に入った。


 たまにミュゼに気付いて、頭をさげる。

 その場合、素通りするわけにもいかず、ミュゼは話しかける。


「たしか、ウオフォルムでしたわね」

「はい。覚えていただいて光栄です」


「いまは何をしているのかしら」

「地図の検証と区分けを同時に行っております」


「そう……辛くないかしら?」

「そんなことはまったくありません。一生日陰の身と思っていましたところ、こうしてお役に立てることになりました。感謝しこそすれ、辛いなどと思ったことはございません」


 ウオフォルムの家系は、何代か前からトエルザード家に仕えている。

 家臣団の中では新参だが、父親はそれなりの地位にいる。


 ウオフォルムは四男だったとミュゼは思い出した。

 本来なら、中流以下の家臣では、四男に役職が与えられることはない。


 兄の補佐をするか、外へ働きに出るのがほとんどである。

 だが、正司が町をつくったため、次男、三男どころか、ウオフォルムのように本来日陰者の身にも脚光が浴びせられた。


 腐ることをせず、真面目に自分を高めていた者は即戦力として、現場の責任者の地位を得ている。


 ニアシュタットの町がオープンすれば、ウオフォルムはそのまま町の重鎮として雇われ、分家としてここに自分の家を持てるようになるだろう。


 もちろんウオフォルムが希望すればだが、ミュゼは思う。

 それを断る馬鹿はどこにもいないと。


 ウオフォルムだけではない。

 今まで外に出るか、冷や飯を喰うのを我慢するしかないと思われてきた下級家臣の家族たち。


 彼らは自身の頑張りによって、魔道国で重要な地位に就くことが可能となったのだ。

 それこそ、本家を凌ぐほどに。


(このことが二十年……いいえ、十年前に分かっていれば、何をしてでも人材を育てたのですけどね)


 商人は売買を学び、職人は技術を学ぶ。それは必要ゆえに小さい内から叩き込まれる。

 商人や職人の次男、三男を引き取って十年も勉強させれば、いっぱしの官僚になれる。


 事前に分かっていれば……と、ないものねだりをするミュゼであった。


 ミュゼは歩を進めると、先々で測量している集団が目に付いた。

 ウオフォルムの部下たちであろう。


 実は正司がつくった町は、とても奇妙な現象が起きていた。

 魔法で一気に建てたがゆえに、地図が存在しないのである。


 地図がないため区画割りもなく、区域や通り、建物の名称がない。

 町に来た人々はみな戸惑ってしまう。


 新参者同士で、こんなやりとりが日常茶飯事なのだ。

「なあ、どこだって?」


「だからここから大きな建物を二十ばかり超えた先にある広い道を左に折れて、小さな建物が並んだ中を進みながら、やや右よりに行くとあるんだよ」


「そこへ行けって? そんなのどうやって見つけるんだよ。つか、覚えらんねよ」


 区域や通りの名前がないため、指示を出す方も、出される方も大変である。

 そこで早々に地図を作製することになったが、これが意外に難儀した。


 町は広く、測量する人は少ない。しかも一枚あっても意味はない。皆が見られなければ、ないも同然なのである。

 できたそばから写しをつくって、それをもとに仕事をする。なんとも奇妙な町であろうか。


 行政区が決まれば、そこの担当者が決まる。

 担当者が決まれば、仕事の割り振りができ、それらの責任者が決まる。

 責任者はこうしてようやく現場に人を出せるようになる。


 ニアシュタットの町ではいま、現場に人がやってきたところだとミュゼは認識した。

 ここから一般の人を受け入れられるようになるまで、まだまだ日数がかかる。


(建物をつくる方が日数が掛からないなんて、本当に不思議な現象ですわね)

 この非現実的な光景は、古今東西、どこの町でもみられなかったことである。


 しばらく歩くと、巨大な迷路に行き着いた。

 塔はその迷路の中心部にそびえ立っている。


「……さすがタダシさんね」

 目の前は四階建てになっているが、この巨大迷路には、『○階建て』という概念はない。


 通路があり、階段があり、部屋がある。

 それらが繋がって迷路が成り立っている。二階部分しかない場所もあれば、三階どころか屋上がある場所もある。


 迷宮の中は複雑怪奇らしく、地図がうまく作れないとミュゼは聞いたことがある。


(……中で迷子になると大変ですわね)

 ミュゼはしばらく考えた末、中に入るのは諦めた。


 これらの建造物はすべて、観光名所にするために必要らしい。

「やっぱり、観光地にはランドマークが必要だと思うのです」


 なぜ「必要」なのかミュゼにはよく分からないが、目立つ建物が話題になるのは間違いないし、ここでしか味わえない体験にも価値がある。


 巨大迷路を迂回して、本日のメイン。ファファニア城を見学することにした。

 場所は聞いて分かっているが、あえて寄り道しながら歩く。


 何か新しい発見、もしくは見落としがあるかもしれない。

 そんなことを考えつつ、ミュゼは表通りを進む。


「……あら?」

 見たことがない建物があった。建物というより、屋根であるが。


「ようこそいらっしゃいました、ミュゼ様」

 ひとりがミュゼに深々と礼をする。トエルザード家の家臣のようだ。


「これは何かしら? 建物にしては壁がないですし……そもそも道ですわよね、ここ」


「はい。この区画はタダシ様が『アーケード街』と名付けられました。道に屋根を施すことで、アーケード街の始まりと終わりが明確になり、雨が降っても自由に行き来や買い物ができる利点があるそうです」


「たしかに道に屋根をつければ、雨が降っても大丈夫でしょうけど……もしかして全部?」

「はい。ここを買い物や観光の一大拠点にしたいそうです」


 屋根付きの道が延々と続いている。

 天井を見上げると、明かり取り用にガラスがところどころ填め込まれている。

 灯りの魔道具が等間隔に設置されている。


 道の両サイドは商店が建ち並ぶ予定になっているらしく、閑散とした店先が見えるのみである。

「…………」


 建物の外にいながらにして、建物の中にいる気分が味わえる。

 これならば、雨はもとより、暑さ寒さもしのげるだろう。


(見に来ていて良かったわ)

 これは正司にしか思いつかず、正司でしか実現できないこと。


 魔道国は、他に真似できないものの宝庫である。帝国の官僚がこれをみたらどう思うか。

 常識に凝り固まった者たちなど、腰を抜かすのではないかとミュゼは思っている。


「よろしければ、詳しい説明を致しますが」

「いいわ。それには及びません。……ファファニア城に行くにはこのまま進めばよろしいのかしら」


「はい。アーケード街が終われば、城は目に入ります」

 ひとつ頷いて、ミュゼは歩き出した。


 さてこのアーケード街。ミュゼが見る限り、よくできている。

(天井は弧を描いているのね。それで柱は通行の邪魔にならないようにしていて、明かり取りの窓と灯りの魔道具の併用……驚くことばかりね)


 アーケード街を歩きながら、ミュゼは魔道国をつくる経緯を思い出していた。

 一時的ではなく恒常的に棄民を救済する方法は、国をつくって、そこに人を住まわせるしかない。


 ルンベックにそう言われて、正司はかなり悩んでいた。

 それでも、ミュゼからすると「十分早い」といえる時間で、結論を出した。


 だがそこからが奮っている。


「国という箱をつくるのは私でもできます。ですが、箱の形を整えて、それを維持するのは一人では無理です。お手伝いいただけませんか」


 そう正司は言った。

 もちろんルンベックはそのつもりでいたし、ミュゼもそうだった。


 奇しくも三人が同じことを思っていたのだ。

 そして正司は制度、運営に関するすべてを委託してきた。


 普通、自分が国王になるとなれば、舞い上がってもおかしくない。

 夢追い人のように、現実が見えなくなったとしても責められないだろう。


 自分の理想とする国を民に押しつけ、トップにいるのだからと、決定権を寄越せと言うのだとミュゼは考えた。

 だが正司はそういったことは、一切言わなかった。


(要所要所で我を押し通されたら、いびつな国が出来上がったでしょうね)

 ここはこうしたい、あれはこっちの方がいい、我儘はいくらだって言える。


 王の我儘を叶えるために、国の制度はどんどん歪んでいくことだって起こりえた。

 だが、正司は「すべて任せます」とばかりに、決定権すらも放棄した。


 これは一見責任逃れのように見えるが、門外漢の素人がその場の思いつきでイエスやノーを連発されたら、現場が混乱する。


 正司がそのことを理解していたのかどうか分からないが、すべて投げてくれたおかげで、十分な議論を重ねて、これ以上無い制度を作り上げることができた。


 二つ目の町も三つ目の町も同じである。混乱は徐々に小さくなっている。

(そして移民を搬送する段取りもしっかり任せてくれたのよね)


 町ができた。さあ、移民を運ぼうとばかりに正司が勝手に動いた場合、混乱どころか、大混乱となったはずである。


 町に人が住む――このことを軽く考えない思慮が正司にあった。


 まず行政を行う者を先に寄越し、次に商人や職人を移住させ、受け入れる基盤が整ってからようやく棄民の移動を認めたのである。


 そのおかげで物資の不足や、移住時の混乱は最小限に抑えられたのではなかろうか。

 年明けに建国宣言できるのも、そういった地道な活動があってこそである。


 ミュゼはアーケード街を抜けた。思ったより長かったようで、ミュゼの額にはうっすらと汗が光っていた。


 目の前に漆黒のファファニア城がそびえ立っていた。

「えっと……あれは何かしら?」


 いや城である。それはミュゼにも分かっているが、それでも声を出さずにはいられない。

 指さし確認ならぬ、声出し確認である。


 巨大な横長の城は、何者たりとも寄せ付けない威容を放っていた。

 ここを攻め落とそうとする将軍がいたら、絶望のあまり湖に身を投げることだろう。


 ただそこに「在る」だけで、人々を威圧する。

 ゆえにインパクトは絶大。だれもが一度は口にするのも頷けた。


「あそこで町の業務を行うのよね……町の業務?」

 世界を征服する策を練っている方が似合っているのではなかろうか。


 ミュゼは、城をバックに黒衣を来た正司が高笑いする姿を幻視した。

 それほどまでに、ファファニア城と健全はかけ離れているように感じたのである。


 ラクージュの町の場合、いくつもの会館に分かれて行政の仕事をしている。

 一つ一つの建物は、それほど大きくない。


 ちなみにトエルザード家の屋敷では、町の業務は一切行っていない。

 屋敷に併設された建物にて、トエルザード公領全体に携わる仕事をしている。


 ミュゼが見たこの城。

 ラクージュの町の会館と、トエルザード家の屋敷を合わせたものよりも広い。

 何倍か何十倍か……ひょっとしたら何百倍あるのかもしれない。


 ミラシュタットとリザシュタットの町にあって、ニアシュタットの町には城がない。

 それゆえ正司は、特大の城を建ててファファニアにプレゼントしたと言われている。


「……なるほど、話題になるはずですわね」

 巷間に流れるさまざまな噂を思いだし、ミュゼはいろいろと納得した。


「……あれ? ミュゼさん、来ていたのですか」

 城の中から正司が出てきた。


「ええ、今し方……派遣した方々の様子を見にきましたの」


 正司がいるとは思わなかったため、ミュゼはやや狼狽えた。

 もちろん表情や声色に出すようなことはなかったが。


「そうだったんですか。みなさん真面目に働いてくれているようです。すごく助かるんですよ」


 それはそうだろう。みな魔道国には興味津々なのだ。選ばれた者たちはさぞ誇らしいだろう。


 ちなみに王国では、正司の情報が高値で取り引きされている。

 事前に派遣できる人材が絞られているせいもあり、魔道国は神秘の国としてまるで楽園のように語られているのだとか。


 そして一度でも訪れたら、その繁栄ぶりに驚き、家族親族を呼び寄せようとする。

 それが引き金となって、魔道国への関心が高まっていく。


 以前、賄賂を渡し、私欲を満たそうとした者を送り返して以来、魔道国で働く者たちの態度が変わったとも言われている。


(そうでなくても、この地にはどこに出世の糸口が転がっているか分かりませんですものね)


 みな明るい将来を夢見て、真面目に働いているのである。


「タダシさんは、どのような目的で来られたのですか?」

「リラクゼーション施設の整備に来ました。いま要望書を貰ってきたところです」


 リラクゼーション施設とは、この町の目玉のひとつ。

 ミュゼはよく分からないが、人々の疲れを癒やし、明日への活力を取り戻す場であるという。


「わたくしもご一緒させていただいてもよろしいかしら」

「ええ、いいですよ。では一緒に行きましょう」


「では早速」と正司は、ミュゼを伴ってリラクゼーション施設へ跳んだ。




 この町のリラクゼーション施設は、ほとんどが正司の発案である。

 それはミュゼも聞いて知っている。


 疲れを癒やすというのだから、ゆっくり休める所だろうとミュゼは漠然と考えていた。

 だがその予想は、早くも裏切られることになる。


「なんですか、この景色は……」

 そう呟いたきり、ミュゼは呆然とした。それもまた当然といえる。


「心を癒やす場所です。リラックスするには、美しい景色を見るのが一番ですから」

 ミュゼの目の前に美しい庭園が広がっていた。


 計算され尽くされたかのように木や石が配置されている。

 そして何よりミュゼを驚かせたのは、小さな水流が川と池と滝を形作っていたからである。


 ミュゼは知らなかったが、これは正司が再現した日本庭園である。

 侘び寂びを考えて、箱庭の中に自然をつくりあげた。


「どうやってこれをつくりましたの?」


「色んな所から色んなものを運んできました。あとは見よう見まねで少しずつ完成させていった感じです。他にも散策できる遊歩道や、森林浴ができるような場所もあります」


 この世界では、安全は金で買う。

 その安全な場所で、景色を楽しむためだけに庭園を用意するもの好きは、ほとんどいない。


 目の前に広がる優雅な庭園に、ミュゼは感動に近い驚きを受けることになった。

 ただの自然ならばどこにでもある。だがここは違う。


 安全で、計算されたみやびな自然がそこにあった。


「奥に行きましょう」

「ええ……」


 思っていたのと違う……そうミュゼが考えていると、今度は少し鼻につく匂いが漂ってきた。


「ここは動物との触れ合いの場です。魔物が出る一帯には野生動物が少ないか、ほとんどいないじゃないですか。ですから、いろんなところの動物を集めて、なるべく素の生存環境に近い状態で、増やしていこうと思ったのです。近寄ったり、触ったりできますよ」


 それは犬カフェや猫カフェ、フクロウカフェと同じ発想である。

 野生動物は人に慣れないが、ペットとして飼える種もある。


 そのような大小の動物を連れてきては、ここで飼育している。

 マップに動物が表示される正司ならではの発想である。何しろ〈気配遮断〉があるため、捕まえてくるのは容易なのだ。


「可愛いわね」


 とろーんとした目で長毛ちょうもう種の猫を見つめるミュゼ。どうやら小さく可愛いものは好きらしい。

 ペットなど、町中ではよほど余裕がないかぎり、飼ったりしない。


 ここでは騎乗できるくらいの大型動物から、手の平に乗る小動物まで取りそろえられていた。

 ここを訪れた人の好みに合った動物は、きっと見つかることだろう。


 続いて正司がミュゼを案内したのは、各種の温泉施設。

 ここには、正司が発案した様々な風呂が並んでいる。


 リラクゼーション施設はこのように様々な温泉と併設され、入浴を楽しんだあとに別の癒やしを提供することにある。


 古代ローマ時代を彷彿とさせる巨大風呂だけでなく、多くの種類の風呂が並んでいる。

 この辺はミュゼも報告を受けて知っていた。まだ試したことはないのだが。


「ここを左に行くと繁華街に出ます。『アーケード街』と名付けたのですけど」

「それは、ここに来る前に通って来ましたわ。天井のある通りですわね」


「はい。アーケード街は旅館からも近くて、簡単な娯楽が楽しめたり、食べ物や飲み物を提供したりする場になります」


 正司は飲食店に力を入れているようで、その地域を任された担当者は嬉しい悲鳴をあげているとか。

 大人の飲み屋街だけでなく、おいしい食事を提供したいのだという。


「わたくしは道を直進しただけでしたが、かなり広い一角になっていましたわね」


「はい。アーケード街はそれと分かるように、道にすべて屋根を取り付けました。アーケード街を上から見ると、正方形になっています」


 正司がイメージしたのは、横浜の中華街である。

 アーケード街には飲食だけでなく、リラックスを体感できる店も入れる予定でいた。


 そう、今回正司がここに足を運んだのは、そのためだった。


「あら、ここはもう営業しているのですわね」

 ほとんどの店はまだ空である。だがときおり、営業している。


「そこはマッサージ店ですね。悩みに悩んだ末、魔道具を開発してしまいました。いや~、これに貢献値を使……うえっ!?」


 突如、ミュゼの首がぐぎぎぎぎと曲がり、正司を見据えた。

「……タダシさん」

「はい」


「魔道具を開発した……とおっしゃいまして?」

 底冷えするような声がミュゼから発せられた。


「はい。マッサージは魔道具がいいかと思いまして」

「このお店、入ってよろしいかしら」


「えっ? ええ……どうぞ、どうぞ」

 ミュゼはそのままマッサージ店に突入してしまった。


 もちろんミュゼの頭の中には「危なかった」とか「やはりフリーにするのは」といった言葉が渦巻いていた。


 どうやら正司は「また」魔道具をつくったらしい。しかも開発したという。

 つまり正司オリジナルの魔道具が、ここにあるのだ。


 ここを確かめずに素通りできようか、いいやできはしない。

 そんな思いでミュゼは店に突撃した。


 一方の正司は、すごい勢いで店の中に消えていったミュゼを見て、「やっぱり、マッサージとか興味あるんですね」と納得した。


 また、「ひとつプレゼントした方がいいですかね。激務ですし」とか考えていた。


 そして店内でミュゼがみたのは、ずらっと並ぶマッサージチェア。

 これらはみな、試運転をかねて正司が使用を許可していた。


 この町で働いている何人かの文官たちがマッサージチェアに寝そべり、だらしなく口を開けて、恍惚の表情を浮かべていた。


 ――ぐい~ん、ぐい~ん、ぐい~ん


 ――ぐい~ん、ぐい~ん、ぐい~ん


 ――ぐい~ん、ぐい~ん、ぐい~ん


 マッサージチェアの魔道具が発する音が店内にこだまする。

「全部埋まっていますね」


 後からやってきた正司がそんなことを言う。

 店員が正司に気付いて、即座に頭を下げた。


「タダシさん……これ、なんですの?」


「身体の凝りをほぐす椅子です。いま、店に試験的において効果の検証中です。それと一回の費用をどうしようか考え中ですね」


 マッサージチェアは三十分で停止する。

 ミュゼの前でひとつが停止し、文官が名残惜しそうな顔を浮かべたそのとき、ミュゼと目が合った。


「ミ、ミ、ミ……ミュ、ミュ、ミュゼ様!?」

「お疲れのようね、ニシオラ。疲れはとれて?」


「は、はいっ!! で、では私は仕事に戻らねば……ご、御前、失礼いたします」

 まるで公園で昼寝中に上司に見つかった営業マンのような顔で、ニシオラは愛想笑いを浮かべた。


 そして慌ただしく頭を下げると、脱兎のごとくその場から去ってしまった。


「効果は抜群のようね」

 優秀な文官だったが、あのような醜態を晒すのかと、ミュゼはニシオラの評価をやや下方修正した。


「ちょうど空いたみたいですし、使ってみます?」

「そうね。体感してみるのが一番よね」


 正司の魔道具は、目で見ただけで判断しづらい。

 ミュゼはマッサージチェアに横になった。


(こういう画期的な魔道具の噂はすぐに広がるわね。盗難の心配をする必要があるのだけど、この店は不用心だし、いっそのこと……ぐう)


「……さん、……ミュゼさん。もう終わりましたよ」


 正司に肩を揺すられて、ミュゼはようやく目を覚ました。


「――あうれ?」


 寝起きのような声を出し、ミュゼは周囲を確認する。

 すぐにここがマッサージ店であることを思いだし、自分が何をしていたのか理解する。


「気持ちよさそうに寝ていましたので、起こすのは躊躇われたのですけど」

「ご、ごめんなさい。はじめての経験だったので、つい気持ちよくて……ハッ」


 口元を拭ったら、ヨダレが出ていた。しかも口の左右に一条ずつ。

 マッサージチェアの振動で首が傾いたとき、流れるヨダレの道が変わったのだろう。


 慌てて手で拭うが、そもそも正司の目の前で醜態を晒して寝ていたのだから、いまさら取り繕ったところで遅い。


(マッサージチェア……なんておそろしい魔道具)


 これは危険だとミュゼの後頭部が警鐘を鳴らす。

 あまりに気持ちよく人を虜にし、人をダメにする。


(ごめんなさい、ニシオラ……これは抗えないわよね。分かるわ)

 ミュゼは心の中で、下げたニシオラの評価を元に戻した。


「マッサージチェアだけじゃないんです。いくつかの魔道具を開発したのですけど、あまり女性の美容について分からなくて、温泉の効能こうのうだけでは……」


「タダシさん」

「……はい?」


「今のところ、もう一度仰ってくださる?」

「いいですけど……温泉の効能だけでは……」


「その前です。……いえ、温泉の効能というのは何ですの?」

 そう言われて正司は、温泉にはさまざまな効能があることを説明した。


 おぼろげな知識しか持っていなかったため、具体性にかけるものの、それは身体によい、美容によい、健康によいものであることがミュゼに伝わった。

 そして本命……美容についてである。


「女性の美容ですか?」

「そうです。他に魔道具をつくったのですわね」


「ええ。このマッサージチェアだけでなく、日焼けを除去して白い肌を取り戻す魔道具や、肌年齢を若返らせて、ツヤとハリを取り戻す魔道具とか、ガサガサに荒れた指先を滑らかにする魔道具とかをつくりま……うえっ!?」


 ミュゼの顔が迫っていた。

「それ……体感できるのかしら」

 正司はコクコクと頷いた。


 そこからは素早かった。

 それぞれ専門の店があると正司が説明すると、ミュゼはそのすべてをまわり、体験する。


 結果、肌や髪がつやつやピカピカになったミュゼが現れた。

 正司は「きれいな○ャイアン」を思い出したが、それは言わないでおいた。


 これらの魔道具は、正司が貢献値を4使って、〈魔道具製作〉の段階を4まであげたことで作れるようになったものである。


 段階が4にあがると、オリジナルの魔道具が作れるようになり、それは正司のイメージがもとになっている。


「私はこの温泉地で、女性が美容を取り戻せる場を作りたいのです。ですが、全身美容といっても、私には知識がありませんし、どうしたらいいかと思っているのです」


「手伝いますわ」

「えっ、ミュゼさんがですか?」


「そうです。わたくしは、美を追究しようとする方々に、多くのツテがあります。意見は……そうですわね、山のようにいただけると思いますわ」


「それは助かります」


「これらの魔道具の被験者も大量に必要ですわね。それも大丈夫ですわ。声をかければいくらでも集まります」


 自分がいれば、アドバイスとサンプルには事欠かない。そうミュゼは言い切った。そして……。


「みなさん、必ずや協力してくれるでしょう。いいえ、それだけではありません。この地が、世の女性方の『憧れの地』として浸透するのに、長い時間はかからないと思います」


「世の女性方……ですか」

 正司が尋ねると、ミュゼは大きく頷いた。


 これより後、ニアシュタットの町の産業として、女性に若さと美を取り戻す試みがスタートすることになる。


 発案者は正司だが、実行者はミュゼ。

 ミュゼが世の女性たちを牽引し、一大勢力となるのはまだ先……ではなく、少し先の話である。


 これより正司は、女性方の意見を取り入れて、美容の魔道具製作に邁進するのだが、それはまた、別の話。


 今日ここに、ニアシュタットの町に新しい産業がひとつ生まれた。



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