109 サロンあらし
正司とリーザ、そしてライラは、サロンから〈瞬間移動〉で直接、ラクージュの町にある屋敷に戻った。
サロンでリーザは、注目の的。ハデにという目論見は大成功といえた。
「タダシ、ありがとう。スカッとしたわ」
「いえいえ、私も用事が済ませられました。ありがとうございます。そしてライラさんも、わざわざつきあっていただいて感謝します」
人脈もなく、パートナーもいない正司では、サロンに入ることは難しかった。
今なら分かる。白線があの場所を指していたのは、ウーレンスから帝都サロンの招待状をもらうためだったのだ。
おそらく商売で正司がウーレンスと知り合ったとしても、あの招待状は貰えなかっただろう。サロンだからこそ手に入れられたのだ。
そういう意味では、リーザやライラの協力がなければ、招待状入手の難易度はもっと上がっていた。
「ライラは明日、ザクスマンのフォローをお願いね」
「畏まりました。また、本日のことが町の噂になるよう、お願いしておきます」
「今回は迷惑をかけたし、フォローは厚めにね」
「心得ております」
「それと状況次第では、こっちで働いてもらうことになるかもしれないから、それとなく印象を聞き出しておいてくれるかしら」
「畏まりました」
サロンで注目を集めるだけではない。
リーザはいくつもの利益をあのサロンで得ようとしていた。
「そういえば今日、リーザさんは大人しかったですね」
「……ん?」
リーザは「どういうこと?」と正司に顔を向けた。
「ハデに暴れるのかと思いました」
「……タダシ」
リーザはこぶしを握り、自らの額をトントンと叩きながら、正司に近寄る。
「サロンが半壊するくらいは暴れ……痛タタタ……それ、それです! なんでそれをしなかったのか……痛いです、痛い!」
リーザは正司のコメカミを掴んで、ギリギリとしめる。
「ねえタダシ……」
「はい……痛いです」
「お父様が襲撃されたからと言って、私が帝国の貴族全員に報復すると思う?」
「そうは思いませんけど……暴れるために参加したのかと」
「バカね。暴力に訴えるわけ、ないじゃないの。そんな品位を落とすことしないわよ」
「でも今のこれは何なのですか……痛いです、痛い。ギブです」
リーザの指先は、正司のコメカミを掴んで離さない。
「私はね、タダシ。ハデに登場して、その場の雰囲気を独り占めしに向かったのよ。つまり、サロンの話題をかっ攫う感じかしら。あの場を支配することが目的だったの。相手が暴力で来たからと言って、暴力で返すのは下策だわ。そう思わない?」
「思います。思いますから、手を離してください。これは暴力だと……痛たたた」
「明日から我が家の人脈とコネをフルに使って、帝国各地のサロンに出没するつもりよ。そこで話題独占。あちこち荒らし回るわ。けど、それはあくまで上品に、そして優雅に。さらにエレガントに……これが分かるかしら」
ギリギリギリ……とリーザは正司の頭を締め付けながら問いかけた。
たしかに今日のことで〈瞬間移動〉の噂はグラノスの上流階級の間に広まるだろう。
町の代官にも伝わるに違いない。また、ヒットミア領の他の町にもすぐに伝わる。
リーザは各地のサロンを転戦して、同じ事をし、その存在を印象づけるつもりらしい。
――ぶら~ん
「お嬢様、タダシ様の足が浮いております」
「あら……私としたことが」
いつの間にか、コメカミを掴んだまま持ち上げていたらしい。
リーザが手を離すと、正司の身体がストンと落ちた。
「……し、死ぬかと」
「大袈裟ねえ、タダシ」
正司は痛みのあまり、しゃがみ込む。
「リーザさんの前世はフリッツ・フォン・○リックですね。もしくは本人が転生したに違いありません」
アイアンクローで名を馳せた往年の名プロレスラーを挙げつつ、正司は痛みに耐えている。
「そうそう……帝国は八つの領に分かれているの。サロンが開かれている町は、ひとつの領あたり、十から二十くらいかしら。さすがに全部の町にコネはないけど……まあ、できるだけ均等に巡るから、タダシも時々手伝ってね」
サロンの作法は、どこも変わらない。参加条件は、その町の紳士録に載っている人からの紹介。それも男女ペアで参加するくらいだ。
今回のザクスマンのように、コネを持つ人が単身の男性の場合、リーザひとりで事は足りる。
だが相手が夫婦だったり女性のみだった場合、リーザには男性パートナーが必要。
そのときは正司がリーザの相手を務めるらしい。
「そういえばお嬢様、今回、タダシ様のことを知っている人が誰もいなかったようですけど」
ライラが不思議そうな声をあげた。
「ノイノーデン魔道国の名前も聞かれなかったわね。でもそれは当然。船はまだ帝国に到着していないでしょうし、田舎町の貴族や商人では、西側の情報はあまり関係ないもの。鳥を使った通信収集をしている人はいないんじゃないかしら」
田舎の町では、西側の認識はその程度だとリーザは語った。
「ということは、魔道国のことを知っている人たちは……」
「現時点で知っている人は、西側に派遣しているか、有力者と繋がりがあるかね。そういった人がいるサロンは、警戒が必要だわ」
まるで敵地のことを話しているようだが、実際にそうなのだろう。
これはトエルザード家側が仕掛けている情報戦略の一環なのだから。
正司はコメカミを揉みながら立ち上がった。ようやく痛みが引いたのだ。そして他人事のような感想を述べる。
「なんか大変ですね」
それに対してリーザは苦笑する。どう考えても、騒動の渦中にいるのは正司なのだから。
ちなみに正司は知らないことだが、トエルザード家の報復はすでに始まっている。
すぐさま帝国に抗議の書簡を送っている。
たった数日前の出来事を抗議してくる意味。
帝国はその真意を測りかねていることだろう。
そのうち各所で、〈瞬間移動〉の話が持ち上がる。そのときになって初めて帝国は気付くことになる。
「そういえば、タダシの目的はなんだったの?」
今回のサロン突撃は、正司発案によるもの。リーザはそれに乗っかった形になる。
なぜあの町のあのサロンだったのかは、リーザは知らされていなかった。
「えっとですね、これを貰うためだったようです」
『保管庫』から取り出したのは、木製のプレート。
帝都で行われるサロンの招待状である。
「あらこれ……本物なの?」
リーザが銀のプレート部分を見る。
「本物だと思います。年に二回開催されると聞きました」
「帝都のサロンならそうね。第百四十三回って書いてあるわ」
「ということは、七十年以上前から行われているのですか?」
「そうなるわね。招待状はバラまかれるみたいだし、これはその一つかしらね。遠すぎるから、我が家から参加したって話は聞かないけど」
半年に一度とはいえ、船を使って招待状を持ってきた場合、受け取ってから参加するまでほとんど期日は残されていないだろう。
もとから帝国にいるならば別だが、わざわざサロンに出席するためだけに海を渡ろうとは思わない。
「今度はいつ行われるのですか?」
「年明けの何日目かだと思うわ。新年を祝うのに合わせて開かれるのよ。もともとそういう集まりだと思うし」
「なるほど、賀詞交換会なのですね」
日本でも同じような催しが各地で開かれている。
「そのがし……何とかというのは分からないけど、今からだとひと月以上先ね。それに年明けは魔道国の建国じゃないの」
「そういえば建国の時期でした」
「〈瞬間移動〉があるから、行って帰ってくるだけでもいいし、タダシならば問題ないだろうけど」
本来ならば、帝都まで赴くのは大変な長旅である。
だが正司ならば一瞬。となりの部屋に行く感覚で出席できる。
「一応、帝都のサロンについて調べておいてあげるわ」
リーザがそう言って、この場はお開きになった。
翌日からリーザは、精力的に動いた。
帝国の各町へ顔を出し、サロンでの話題を独り占めした。
毎日どこかの町へ着飾って出没するのである。話題にならない方がおかしい。
最初は「騙りか?」と疑われたものだが、紹介者はまっとうな帝国の上流階級出身者。
さすがに偽者を連れてくるようようなことはしない。
となれば本当に一瞬で町を移動し、サロンに顔を出していることになる。
目端の利く者はすでに、その結論にたどり着き、各町へ人を派遣している。
リーザがいつどこに現れたのか、情報を交換し合っているのだ。
帝国の空を鳥が飛び交い、街道を人が走る。
トエルザード家息女の話は帝国で聞かれない日がないほどだった。
そして新たに加わった魔道国の噂も相まって、一番ホットなスポットは毎夜どこぞで開かれるサロンというのが常識となった。
「……というわけでタダシ。今日は付き合ってくれるかしら」
「いいですよ」
今日、サロンへ招待するのは、かつてリーザの家庭教師だった人。
帝国の歴史や経済、政治、風俗などをリーザに教え込んだ人物だ。
「ステラ先生、お久しぶりです」
リーザの優雅な挨拶に、老齢間近のステラは、穏やかな微笑みを返す。
「リーザさん……いえ、リーザ様とお呼びした方がいいかしら」
「嫌ですわ、先生。先生にそう呼ばれると、なんだか自分が自分でなくなったような気がしてしまいます」
リーザがまだミラベルくらいの頃、三年間ほど徹底的に帝国の基礎知識を詰め込まれた。
当時はどうしてこう不必要な知識まで覚えなくてはいけないのかと思ったリーザだったが、いまならば分かる。
あのとき詰め込んだ知識が、いま役に立っているのだ。
「それでこの方が、いまやサロンで話題沸騰中の魔道王陛下ね」
「お初にお目にかかります、タダシと申します」
「お噂はかねがね……と言えばいいのかしら。類を見ないほど情報が錯綜していて、どれが真実の姿なのか分からないけど」
正司の噂が広がっているものの、正司どころか、魔道国を見た者だっていない。
噂の中には伝聞推定のものがかなり含まれており、もし間違いがあっても、だれも訂正できないでいる。
「ステラ先生がご存じの噂をすべて合わせて、その三倍大袈裟にしたら少しはタダシの本質に近づけるかもしれません」
ニコリともせず、真顔で告げるリーザに、ステラは「数々の噂は過小評価過ぎるわけですか」とすぐに言いたいことを察した。
「本当は三倍ではまったく足りないことですけど、それ以上だとあまりに信憑性がなくなってしまいますし、先生にも信じていただけないと思いますので」
互いによく知る相手だからであろうか、リーザは忌憚なく意見を述べる。
ステラはというと「五倍までならばかろうじて想像できるかしら」と自分の限界を正確に測ってみせた。
「もし先生さえよろしければ、魔道国にお迎えしたいのですけど」
これは事前に正司へ話を通してある。
ステラは知識と教養を身につけており、人に教えるのがうまい。
いま魔道国に必要なのは人材。今後必要になるのも人材。
つまり人材はいくらいても足りない。
人材確保には限界があるのだから、人材教育に力を入れるしかない。
そしてルンベックは「帝国への復讐」のひとつとして、帝国にいる有能な者の引き抜きを企んでいた。
トエルザード家で家庭教師をしていたステラなどは、うってつけなのである。
「気持ちは嬉しいけど、現役を退いたわたくしには、荷が重いかしらね」
ステラは髪に白いものが交じり始めた50歳。
新天地でやり直すには歳を取りすぎていた。
「そう仰ると思ったので、ひとつだけ昔話をしませんか?」
「あら、懐かしいお話かしら」
「はい。先生が夢見て、ついぞ叶わなかったもの……覚えておられますか」
「お城に住む……かしら?」
かつてステラは城に住むのが夢だったとリーザに語ったことがある。
帝都を訪れた際、巨大な城を目の当たりにして、ステラは雷を受けたような衝撃に見舞われたのである。
あそこに住める人は一体どんな人なのか。自分も住んでみたいと。
あれはステラの恋。まさに恋い焦がれたといっていい。
「……というわけで先生。サロンに行くまでまだ時間がありますし、リザシュタットの町へ行ってみませんか?」
それはあの頃のリーザを彷彿とさせる悪戯をそそのかす悪い顔だった……と後にステラは語っている。
正司はリーザとステラを連れて、リザシュタットの町、それも「リーザ城」を一望できる場所へ跳んだ。
「まさかここが!?」
見えるのは城ばかりではない。城下町や職人街、商業施設にマンション群などなど。
巨大な都市が、ステラの目の前に広がっていた。
行き交う人の姿も数多くみえる。
「あの城の中で、将来の人材を育てて欲しいのです、先生」
リーザ城は、帝都の城より遙かに大きく、高い。
しかも以前正司が建てたときよりも拡張されている。
そして悲しいことに、いまだ城の九割は使われていない。
スタートアップの常で、必要最小限の人しか働いていないため、ほとんどが空き区画となっているのだ。
「次は城から眺めてみましょう」
正司は塔の上に二人を連れて跳んだ。
塔の高さは三十階建てのビルと同じくらい。
見晴らしは最高である。
窓からは先ほど見た町並みが見える。また、反対側の窓からは、港と船が見えた。
海に浮かぶ大型船はすでに百隻を超えている。
現在、リザシュタットの港には、多くの船が出入りしている。
王国が、それこそ威信をかけて一流の船乗りを集めたのだ。
それはもう形振り構わずという表現が一番似合うほど。
民間の商会から引き抜き、引退した船乗りには金貨を投げつけるようにして集めたのである。
最高の船には最高練度の乗組員が必要と、すでに運用されている船からも、かき集めたものである。
「ここは本当に未開地帯なのかしら」
この驚くべき光景に、ステラはどう判断を下していいのか分からなくなった。
未開地帯というのは比喩でも何でもない。
人跡未踏の地に分け入るだけで大変なのである。
「もちろんですわ、先生。町はすぐにつくれます。けど、それを運用できる人材がいないのです」
リーザの言葉にステラは同意する。半年や一年で、人材が育てられるはずもない。
ステラは広がる海と、霞がかるほど遠くに見える山々を見て、「信じましょう」と言った。
「それでどうですか、先生。この町で骨を埋める覚悟が必要ですけど、私は先生にぜひ、教師役を引き受けてもらいたいと考えています」
「……そうね。引退して楽になるつもりだったのだけど、こういう生活もいいかもしれないわね」
「ありがとうございます、先生!」
ルンベックは、簡単な実務をしながら、残りの時間で教育を施す実戦形式で人材を育成していくことを決めた。
たとえば簡単な業務を三交代制にして、空いている時間を勉強に充てるなどである。
ステラは知らない。今後、次々と教育を受ける者たちが入れ替わり立ち替わりやってくることを……。
こうして帝国からの人材の引き抜きは、着々と進んでいった。
「あの人は主流派から外れた役人ね。順調に出世していたのだけど、上司にミスを指摘して疎まれたことで、出世コースから外れたの。融通の利かないところはあるわ。でも能力面は申し分ないわね」
一度味方に引き込んでしまえば、ステラは惜しげもなく情報を提供した。
だれに声をかければいいか、味方になりそうな者はいるのか、引き抜きができそうなのかどうなのか、サロンに集まった人々について、ステラは有益な情報を次々と開示した。
「相変わらず鋭い人物眼ですね、先生」
「結局は小心者なのよ」
ちなみにこうしてステラとリーザが落ちついて会話できるのは、生贄の羊がいるからである。
グラノスの町とは正反対に、今回は正司が十重二十重に囲まれている。
人気者だ。いや、珍獣のたぐいだろうか。
とにかく今はもう、リーザは正司に近づくことすらできなかった。
今回ステラは、夫のレグメスと一緒にサロンに参加している。
レグメスはいま、どこぞの商人夫婦との会話を楽しんでいる。
だが、それを見たステラが目配せをするとリーザは小さく頷いた。
そして二人とも小声で話し合う。
「どう思いました?」
「商人と名乗っていましたが、おそらくは軍人。帝国上層部が各町に放った者のひとりだと思います」
よくできましたとばかりにステラは頷く。
「礼のとき、自然と足が前に出てしまったのね。習慣というのは侮れないものよ」
帝国には様々な礼節の表し方がある。
サロンではほとんどの場合、簡略したものが使われる。
たとえば、身分の上下で頭を下げるかどうか分からないときは、軽く屈伸すればいい。
これは男女共通である。
女性の場合、頭を横に傾けてもいい。ようは、「礼をした」ような雰囲気さえ見せればいいと考えられている。
両膝を外に開けば、自然と頭が下がり、屈伸と同じ意味合いを持つ。
それを好んで使う女性は多い。そのさい、両手でスカートを拡げればいいのだ。
男性の場合、親しい者相手だと、両手のひらを相手に向ければいい。それだけで武器から手を離したことをアピールしたことになる。
そしていま商人と名乗った人物は、片足を前に出して屈伸した。
これは普段から剣を腰に差している者のやり方である。
屈伸するときに後ろの人に剣を当てないため、片足を前に出して礼をするクセがついているのだ。
ステラはもとより、リーザもそれに気付いた。
だれかがサロンに片っ端から人を送り込んでいるのだろうと予想した。
商人の正体は軍人。軍人を送り込める者の素性は自ずと限られる。
「貴族を名乗らなかったのは僭称にあたるから。そして町の有力者の場合、名前が知られてないのはおかしい」
「ゆえに商人を名乗ったわけですね、先生。けど、軍人のクセが抜けなかったと」
「たまたま軍人しか用意できなかったのでしょうけど、さすがに現役の軍人に情報収集させるのはどうかと思いますね」
何しろ情報収集下手だ。
囲まれている正司に近づけず、さりとてここ最近のリーザに近づくのも甚だ危険。
そもそも会話でリーザから情報を引き出すのは不可能に近い。
結局、ステラのパートナーであるレグメスから、それとなく情報を引き出すことにしたようにみえる。
「別に私が相手をしてもよかったんですよ、先生。逆に情報を引き出してあげたのに」
「最近のリーザさんの活躍を知っていたのでしょう。会話を避けていましたよ」
リーザは、トエルザード家の名代としてサロンに乗り込んできた女傑。
すでに多くの人から「サロンの花、ただし棘あり」と認識されている。
他にも弁が達者であることから『譲らずの淑女』、嫌な相手を完膚なきまでに叩き潰す『追い打ちの令嬢』などと呼ばれている。
「あまりよい名はありませんね」
「でしたら宝石砕きで良かったかしら」
「あ~……」
リーザは天を仰いだ。どうやらここまで伝わっているらしい。
そうなるように動いたのだから、当然といえば当然である。
気まずくなったリーザは、ステラの方を見ないようにと視線を巡らせ、人垣の中に埋もれた正司を探した。
「……そうですね、〈土魔法〉を使えば簡単ですよ」
正司は質問攻めにあっていたが、答える内容は決めてある。
逆に、答えたくない話題には、やんわりと拒絶するようにと言われている。
相手も無理に聞きだそうとはしないため、正司でも無難に会話をこなすことができていた。
「それほど簡単にできるものなのですか?」
正司を囲っているのは帝国貴族の面々。そこらの役人や商人は入り込めない。
魔道国について、あまり話せない。その質問に正司は「建国してからでしたらお話しできるのですが」と譲らないので、質問は別のことに向いていた。
そこでみなが注目したのは、ラクージュの町にある博物館である。
精巧な石像をすべて作ったと聞き、正司がどうやったのか、みな知りたがったのだ。
「少し実演してみましょう」
正司は『保管庫』から直方体のブロックを取り出した。
土産用のフィギュアを作るために切り分けておいたものだ。
「一体どこから……?」
直方体の大きさは、最長辺で50センチメートル。
みなどこから取り出したのか、正司の腰の周囲や背中を確認する。
「これで土産用の石像を十二体作ります。こうやって」
秘薬も使わず、そして呪文なしに正司はフィギュアを十二体、一瞬で作り上げた。しかもそれぞれ形が違う。
「……っ!?」
思ってもみなかった展開に、集まった人たちの頭がついてこない。
今のは果たして魔法だったのか。そんな思いが彼らの頭の中に去来する。
周囲が沈黙してしまったことで正司は「あれ? ウケないですね」と首を傾げた。
同時に「さすがに地味だったのでしょうか」とも思う。
たしかに土産物を出されても、「だからなんだ」と思われるのも仕方ない。
(もう少しサービスしますか)
せっかく集まってくれたのだから、ちゃんとした〈土魔法〉くらい見せた方がいいだろうと考えた。
「実物大の石像を作るのはさすがに厳しいですから、今度は背丈くらいのにしますね」
正司は『保管庫』から次々と直方体を取り出す。
今度は一メートル以上ある大きなものだ。
それが床に並んだ。
「えっ!?」
「あっ?」
「えええ!?」
どこからともなく現れた石柱に、驚きの声があがる。
みな正司から離れだした。さすがに正司は通常とは違うことに誰もが気付いた。
人は理解できないものに本能的な恐怖を感じる。
逆に空間が空いたので、正司はやりやすくなったと内心喜ぶ。
「あれは?」
「なにかするみたいですね、先生」
リーザは緩やかな笑みを浮かべて、その様子を眺めている。
正司のことだから、何も言わなくても何か「やらかす」だろうと思っていたが、案の定だった。
「でもあの石柱はどこから……?」
ステラがリーザの顔を見る。
ステラの顔には驚きが張り付いているが、それはかつてリーザが通った道。
早めに慣れてもらわねば困る。
「あれはタダシの魔法です、先生。見ていて下さい。何かおもしろいものが始まりますから……ホラ」
慌ててステラが視線を戻すと、人の背丈ほどもある石柱が次々と魔物に変化した。
いや、魔物に変化したのではない。あれはかなり精巧に作られた石像。それが正しい表現である。
だが、先ほどの土産品と違って、こちらは色が付いていた。
もう一度言おう。あれは石像。色は魔法で付けただけの魔物の石像である。
その一部始終を見ていたのだから、正司の周囲に集まった貴族たちは認識できていたはずである。
だが、頭では理解しても身体は違ったようだ。反射的に、正司の周囲に集まった者たちは逃げた。
一部始終を見ていたステラでさえ逃げた。
「うわっ!?」
「ひゃぁあああ」
「ぎゃああああ、魔物だぁああああ」
正司に注目していなかった人たちにしてみれば、いつの間にか魔物がサロン内に現れたとしか思えない。
恐怖は伝染し、パニックとなり、だれもかれもが逃げ出した。
それはもう阿鼻叫喚の地獄絵図。腰がぬけて這いずっている者を除けば、全員がサロンから脱出したのである。
「……あれ? もしかして怖がらせてしまいました?」
やらかしたことに気付いた正司に、リーザは手を叩きながら近づいた。
「傑作ね。見事な見せ物だったわ。さすがタダシ」
「いやあのですね、リーザさん……私はみなさんを怖がらせるつもりはまったくなかったのですけど」
正司が作った石像は、実物よりも小さい。G4やG5の魔物に至っては、その何分の一かの大きさである。
たとえば紙幣偽造は犯罪だが、「おもちゃ銀行」発行の「一億円札」は罪に問われない。
それと同じ。数分の一の大きさでパニックを起こすとは、正司も思っていなかった。
「魔物と出会ったら死。身近で魔物をマジマジと見て生き残っている人はいないんじゃないかしら」
「……そういえばそうですね」
「つまりね、実際の大きさなんて、知りようがないの」
「なるほど……そういうことですか」
「というわけで、ここでも存在感を示せたわね」
リーザはご満悦だ。正司が一緒ならば何か絶対に起こるだろうと考えていたが、想像の通り、いや想像以上の出来映えだった。
「これ……仕舞っておきますね」
背丈ほどの石像をすべて『保管庫』に仕舞い、正司は謝罪のために土産用のミニチュアフィギュアを多数、テーブルに置いた。
今日はもう、だれも戻ってこないだろう。
「次のサロンも正司を連れていこうかしら」
ボソッとつぶやくリーザに正司は、「勘弁してください」と泣きを入れた。
その後もリーザは各地を巡り、サロンで圧倒的な存在感を示した。
たまに正司を連れて行ったが、以前のように十重二十重に囲まれることはなかった。
反対に、このところ各町でサロンの出席者がうなぎ登りで増えているという話を聞いた。
同じ頃、ルンベックは、ありとあらゆる外交チャンネルを通して、帝国に抗議を入れていった。
もちろんその事実を外部に漏らすことも忘れない。
そのため、リーザ登場の噂と同時に、ルンベック襲撃事件のことも各地へ広まっていった。
正司、リーザに続き、ルンベックも一躍時の人となった。
それに対し、帝国上層部がどう出るのか、注目が集まっているという。
そして驚くことに、大陸の西側、つまりミルドラルや王国、ラマ国がある一帯では、ひとつの『同盟』が生まれようとしていた。
同盟の盟主はミュゼ。
ミュゼは、西側のすべての女性のために、美容と健康、そして若返りの秘訣を説いて回ったのだ。
西側の女性はミュゼを頂点として、「より美しく」を合い言葉に一致団結した。それはもう超団結した。
その同盟の名は『アンチエイジング同盟』。
そこには、実年齢より若く見せる方法があるのだ。
実際、アンチエイジング同盟に入った者の効果はすさまじく、一目で分かるほどだという。
その噂が帝国の女性の間に広まると、詳細を求める声が各所であがった。
そして帝国の女性たちは知ることとなる。
アンチエイジング同盟の伝道者はミュゼ。
そしてその発祥は、ノイノーデン魔道国だということを。
またしても魔道国かと多くの人が歯がみをするのである。
そして日が流れ、年が明けた。
帝国メルエット領にある帝都クロノタリア。
巨大なバアヌ湖を一望できる所に、皇帝の居城が存在している。
今日この町で、年に二度しか行われない特別なサロンが開かれる。
通常のサロンは夜に開催されるが、これは違う。
通常のサロンの出席者は、貴族を含めた上流階級の諸兄と裕福な商人たちである。
日中はそれぞれの仕事があるため、開始が夜になるのは致し方ない。
だが帝都のサロンは違う。
早朝から準備をはじめ、昼には開かれる。
今回のサロンの会場は、バアヌ湖にあるチュレル島。先々代の皇帝が保養場所として整備した島である。
島すべてがサロンの会場となるため、準備も大がかりである。およそひと月前から準備が進められていた。
参加者が次々と来島し、受付を済ませていく。
サロンは招待状を持った者とその「連れ」しか入れないが、連れに人数制限はない。
といっても無闇矢鱈と連れてくれば、その人の品性が疑われる。
また招待状さえあれば参加資格はある。
そのため、サロンの招待状は高値で取り引きされたり、友人知人の間を巡ったりする。
必ずしも、招待状を受け取った者が来島するとは限らないのだ。
サロンがはじまり、数時間経った頃。
船が何度目かの招待客を乗せてやってきた。
今日は何隻もの船が港と島を行き来する。
受付はテキパキと招待客を処理する。
「……おや?」
受付が目を留めたのは、招待客の一人が他国人専用の窓口に向かったからである。
大陸の西側からやってくる者は少ない。
その者は受付に「ノイノーデン魔道国」と書いた。
魔道国はいまや、帝国でその存在を知らない者はいないほど有名な国である。
その男は参加人数を書き込み、参加費を置いていく。
――ジャララララ
帝国金貨が重厚なテーブルから崩れ落ちんばかりに積み上げられた。
周囲の者たちが慌てて受け止める。
みれば、参加人数のところに二万人と書かれている。
つまり彼は、二万人分の参加費を支払ったのだ。
受付にいるのは男ひとり。
だが、これはよくあること。実はこれ、参加費と言っても寄付金なのである。
そのため、少しでもいいところを見せようとする者は、実際の参加人数以上を書いて、金を置いていくのである。
受付は「新興国だから見栄を張ったのだろう」と考えた。
帝国に悪印象をもたれないため、けなげなことだと考える余裕もあった。
だが、ここは腐っても帝都のサロン。それをそのままにしてはいけない。
大枚を支払った者には、それ相応の待遇をしなければならない。
「お客様、こちらへ。壇上へご案内いたします」
受付は男を先導して壇上へ向かう。そして司会の者に「ノイノーデン魔道国からのお客様です」と告げた。
高額の寄付を戴いた場合、入場の時に注目を集めさせる義務が司会にはあった。
司会は、慣れた仕草で拡声の魔道具を取り出した。
「皆様、ただいまノイノーデン魔道国からお客様が到着されました」
そう声を張り上げた。
ノイノーデン魔道国と聞いて、島内にいた客のほとんどの目が、壇上に注がれる。
「もしよろしければ、自己紹介をお願いします」
寄付金を奮発する者の多くは、ここで名を売りたい商人たちである。
ゆえに司会は、いつもの通りの対応をした。
「自己紹介ですか? ……みなさん、はじめまして。ノイノーデン魔道国で王様をやっていますタダシと申します」
どうぞよろしくと言った言葉を最後まで聞いていた人がどれくらいいただろうか。
正司が「王」と告げた瞬間、すべての音が驚愕の声にかき消されたのである。
驚いたのは司会も同じ。隣にいて、一層驚いたと言ってもいい。
だがそこはプロの司会。すぐに「これはチャンスだ」と考えて、質問することにした。
「今日はどのようにして来られましたか?」
「えっと跳んできました……それで他にも参加させたい人たちがいるのですけど、呼んでもいいでしょうか?」
正司が聞くと司会は「もちろんです」と請け合った。そして「どこですか?」と尋ねてくる。
「いま連れてきますね。それで、目の前を開けてほしいのですけど……ここ、いいですか?」
面白いことを言うと司会は思った。
どうせなら乗ってやろうと考えて、壇上の前の広場を開けさせた。
これは半分面白がってである。
何をするのか分からないが、「大袈裟にしてやれ」という気持ちが込められていた。
そのため、野球ができるくらいのスペースが壇上の前にできた。
「さあ、準備はできました、王様。これでいかがですか?」
隣にいるのだから普通に話せばいいのだが、司会はあえて拡声器を使った。
「大丈夫だと思います。では連れてきますね」
そう言って正司は跳んだ。
突然消えた正司を探して、司会がキョロキョロと周囲を探す。
見ていただれかが「あれが〈瞬間移動〉か。初めて見た」というのが聞こえた。
「なるほど、〈瞬間移動〉か」と司会は、その事実に思い至り、「どこかから出てくるのでしょうか」と拡声器で叫んだ。
「さあみなさん、注目です。まもなく王様が現れますよ!」
そう煽るだけ煽ってみた。もし出てこなくても、司会は別に恥をかかない。
どうなるか楽しみ半分、期待半分。どちらに転んでも楽しそうなことになる。
「みなさーん、注目ですよ-!」
司会は更に叫んだ。こうなったら注目を集めるだけ集めてやれ。そんな気持ちである。
そして全員の視線が壇上に集まったとき、ポッカリと空いたスペースに、正司が連れてきた二万人の招待客が姿を現した。
「ただいま戻りました」
正司は、そう言って笑った。