104 第三の町
ロスフィール帝国から戻った正司は、ノイノーデン魔道国をより良い国にするため、精力的に活動した。
「多くの人が幸せに生きていける国がいいですね」
どんな国を目指すのかという問いに、正司はそう答える。
それを聞いてリーザは微笑んだ。正司を帝国に連れて行った甲斐があったと思う。
リーザが正司を連れ回した所は、帝国の中でもまだマシな場所ばかり。
二級帝民がほとんどとはいえ、活気ある港周辺と貴族街だ。
あれで帝国を理解したとはいえない。
だが、正司の口から青臭い言葉が出るほどには、影響を与えたようである。
「バッタリアは、帝国に最後まで抵抗した国のひとつなのよ。だから帝国の中では一番厳しい支配があって、もとの住人はほとんど残っていないわ」
かつてあそこには、バッタリアという国があった。
そこに住み、帝国と戦った者たちはもうあの町にはいない。
浪民となってどこかに追いやられてしまっている。
それは言っておかねばならないことであった。
いつかまた正司をここに連れて行こう。
その時には、今回見せなかった場所に案内する。リーザはそう心に誓った。
魔道国に戻ってきた正司は、ミラシュタットとリザシュタットの町を往復し、移民の受け入れ把握に務めた。
建国はまだ先だが、国王としての仕事はすでに始めている。
重大な案件だけ正司のところへ回される。最終決定は正司が行うのだ。
その間、もちろんリーザも一緒である。
というか、このところずっと一緒にいる。
最近は、片時も離れることがないと言っていい。
リーザがいると、横からアドバイスをくれたりする。
正司としては助かっているのだが、ときどき妙な視線を感じるときもある。
それが少し気になっていた。
「移住者の受け入れは順調のようね」
帝国から戻って、すでに二十日あまり。
正司も町で働く人々を陰からこっそり見守る余裕ができた。
「働いているみなさんが優秀で、とても助かっています」
第一次移住者は、ほぼ全員入植し終えている。
トラブルはあるだろうが、それが正司まで上がってくるものはない。
一般の移住を受け入れる前に、多くの文官を町へ入れたことが功を奏したようだ。
入植時のトラブルは出ているが、文官たちがうまく処理してくれている。
正司はもっと大きな問題に専念していればいい。
たった今も、正司にしか解決できない問題が飛び込んできた。
「まさか……ここが空になるとはね」
正司とリーザの前に、空になった倉庫が並んでいる。
正司が気合いを入れて作った倉庫群。
それがいまや、扉を開け放った状態でおかれている。
つい数日前まで、ここには荷物が満載に詰まっていたのだ。
「今はまだいいですが、すぐに物資不足がおこりそうです」
二つの町を見てまわったところ、思った以上に物資の消費が激しかった。
足りない物が出始めているなと感じてからたった数日で、このような状態になってしまった。
「移住者に配った「金券」が原因よね」
「はい。まさかこれほど購買力が上がるとは思いませんでした」
正司は、移住してくれた人へ感謝の気持ちとして金券を配った。
彼らは故郷を捨てて引っ越してきてくれたのだ。引っ越し費用の代わりという意味もある。
最低限の荷物を持って移住した人も多い。
生活基盤を早く整えるためには、必要なものを買い揃えなくてはならない。
作物が収穫できるまで、まだしばらくかかる。自前で食料が生産できるのは、早くても半年は先。
当分はすべて輸入に頼るしかない。それらの意味を込めて、金券は返却不要を言い渡してある。
金券は町中限定だが、自由に使えるお金と一緒。
宵越しの金は持たない主義の人が多いのか、純粋に生活が苦しかったのか、存外すぐに金券での買い物がスタートした。
「店の商品が空になって、商人は嬉しい悲鳴をあげたんじゃないかしら」
「すぐに物資が追加できるわけではありませんので、そのまま悲鳴をあげ続けることになると思います」
「商品棚がずっと空のままならそうなるわね……それでどうするの?」
金券は、帝国金貨や帝国銀貨と交換できる。
正確には「貨幣交換券」という名だが、だれもそんな風には呼ばない。「金券」とだけ呼んでいる。
いまは金券があっても物が買えない状況になっている。
このあと二次募集の移住者が新たに加わる。物資不足はさらに深刻になるだろう。
「購買意欲を満たすだけの商品を仕入れるしかないと思っています」
「購買意欲が盛んなのはいいことなのよね」
「はい……ただ、今だけはそう言ってばかりはいられません」
商売は商人に任せている。移民がやってくる前に、いくつもの商店が開業した。
移民の中にも商売人は多数いた。新しくこの町で商売を始めた人も多いのだ。
ちゃんと仕入れさえすれば、物が足りなくなることはなかったが、仕入れをするにも、いかんせん距離が問題になってくる。
陸路にしろ、海路にしろ、それなりに移動日数がかかる。これまでの二倍か、三倍はかかるだろう。
また、現代日本のように、すぐ物資を調達できるわけではない。
店の商品が無くなったからといって、すぐ補充できるわけではない。足りない商品を連絡して、それを取り揃えてから、ようやく送るのである。
次の入荷は二十日、三十日後なんてのは普通に起こりえる。
「国営の商店を出すと他の商店の邪魔をすることになります。ですが今回だけは安定するまでの緊急避難と銘打って、私が物資を調達することにします」
「すべて与える必要はないと思うわ。なければないで、人は我慢するものよ」
あまり過保護にするのもよくないらしい。
「分かりました。第二次移住者の募集も始まりましたし、緊急避難の物資輸送は、最低限に留めておきます」
「それでいいと思うわ」
「いっそのこと、トエルザード公領、フィーネ公領、バイダル公領の街道を整備してしまいましょうか。そうすれば、物資の輸送が楽になりますし」
「…………」
相変わらずの発想に、リーザは頭を押さえた。
インフラ整備は、人や物の移動には欠かせない。
「今度ルンベックさんに、提案したいですね」
「それ、私が話すわ。いいかしら?」
「ええ、構いません。お願いしてもいいですか?」
「もちろんよ……じゃ、その話は私が引き受けるわ」
もし街道を整備するとなった場合、国家間の関係が色々と変わる。
不用意に話を進めさせないためにも、リーザがこの話を預かった。
「私はいろんな町を回って、足りない物資を買い求めてきます。それでこの倉庫に集めて、この町の商人たちが購入する形でいいでしょうか」
「それでいいんじゃない。足りないのは食料品と、嵩張るもの全般ね。寝具を持たずに来た人もいれば、鍋類はひとつだけしか持ってこなかった人もいる。着替えも選りすぐって、足りなかったり、寒い地方であることを失念した人もいる。第二次募集もすぐ来るでしょうし、そういったものは多めに用意しておくといいかも」
「分かりました。食料品と嵩張るものですね」
国王自ら買い出しに出るのはどうかと思うが、これは正司にしかできないことであるから、仕方ない。
「私はここに残るわ。夕方には迎えに来てね」
「分かりました。では行ってきます」
正司は跳んだ。
第二次の移民は募集済みである。前回漏れた人たちが今回の対象だ。
おそらくこれもすぐ埋まることだろう。
リーザとしては、国内からそれなりの数を引き取ってもらったほうが、領内が活性化できていいと考えている。
現在の魔道国は、大きな町が二つのみ。
周辺に小さな町を持つが、それを全部あわせても、国としてはまだまだ小さい。
(募集は第三次で終わりにすると言っていたわね。その後は、棄民を収容するって……)
その場合、国内から人口の0.3パーセントが移住する計算になる。
国が抱える人の数からしたら誤差の範囲だが、正司の国ではそれで十分なのだろう。
(やはり、町を増やす必要がありそうね)
「移住を希望する人は全員受け入れたいです」
正司は以前、そんなことを言っていた。
はっきり言ってそれは無茶な話である。いや、無茶を通り越して無謀とさえ言える。
為政者だって、自国民を放逐したいわけではない。
ただ、それができない理由があるからこそ、棄民が生まれたのだ。
(二つの町ではすべての棄民を収納しきれないわね。あとどれだけ町を増やすつもりなのかしら……)
日々、町の人口が増えていく。
それにともない問題も増えていく。不用意に人だけを増やすと、収拾が付かなくなる。
その点正司は賢明だった。博物館の運営がよい方に働いたのだろう。
「お嬢様、受け入れた区画のいくつかで、住民が不満を持っているようです」
問題を抱えた者がやってきた。
移住先は、なるべく公平になるよう苦心しているが、それでも不公平だと言い出す者もいる。
「今回はどういう理由だったの?」
「町の中心部から遠いということらしいです。まだ空いている店があるのにどうして町の外れに店を出さなくてはいけないのかと言っています」
「割り振られた番号に従いなさいと伝えて。それで効果ないようだったら、警邏に任せていいわ」
町は区画ごとにすべての家や商店に番号が割り振られている。「住所」である。
移住者は職に応じて店か家、畑などが支給されるが、それはすべて「くじ」によって決められる。
引いた番号によって当たり外れはあるし、もとの町で近所だったとしても、この町では遠く離れることもある。すべて「くじ」次第だ。
だが「できるだけ公正」にするには、個人の事情を考慮することはできない。
そこは納得してもらうしかない。
「お嬢様、交易商人から金券を交換してほしいと要望がありました」
別の者がやってきた。
「貨幣との交換は、建国後と伝えなさい」
「地元に戻って仕入れをするので、早急に金貨や銀貨に戻したいそうなのです」
「例外はないと伝えてちょうだい。年が明けたら必ず交換可能になるのだから、少し待ちなさいとしっかりと言い聞かせて」
移住者に配った金券は、魔道国建国後に本物の金貨や銀貨と交換可能と伝えてある。
ちなみに魔道国の国庫にはいま、金貨と銀貨が積み上がっている。
まだ一度も税金を徴収していないが、各国からの寄贈で、国庫が潤っているのだ。
国の運営には金がかかり、人件費もタダではない。
建国にかかる初期費用は、各国が分担して負担することで話が付いている。
ルンベックなどは「ようやく少しだけ借りが返せた」と喜んでいた。
国庫に金が呻っているが、税金は翌年から集めるため、一年目の税収はゼロ。
そうそう無駄遣いはできない。生産物の売り上げでやりくりしていくしかない。
(タダシのことだから、お金がなくなったら、いくらでも稼ぐアテはあるのでしょうけど)
最悪の場合、市場に魔物の素材やコインが大量に流れることになるだろう。
だがいまの状況を見る限り、それはないのではないかとリーザは考えている。
「お嬢様……」
「ああもう……そこらを歩いている文官に任せなさい」
小さな問題はそれこそ、後から後から湧いてくるのだ。
さて、正司が物資の運び入れを終わらせ、町に落ちつきが出てきた頃。
「今日は三つ目の町へ行こうと思います」
「分かったわ。あの変な建物があるところね」
先日正司が見つけた町の候補地は当たりだった。魔物が湧かずにお湯が沸いたのだ。
〈土魔法〉と〈水魔法〉で土中深くから湯を汲み上げたところ、濁りのない純粋なお湯が手に入った。
有毒ガスが発生していないため、ここのお湯は、温泉として利用できる。
そう考えた正司は、観光の町を目指すことにした。
正司とリーザが三つ目の町へ跳ぶ。するとすぐに、巨大な塔が目に入った。
巨大な塔――先日正司が建てたものだ。
「あいかわらず目立つわね……あの塔」
「どこからでも見えるので、迷わなくていいと思います」
「タダシがそう言うのなら、私は何も言わないわ」
リーザの声はやや呆れている。
「今日はその周囲にある『ファファニア迷宮』を完成させたいですね」
「……そうね」
観光に力を入れることを考えた正司は、町の目印となるものが欲しいと考えた。
なにかランドマークになるものがいいと、正司は町の中央部に高い塔を建てたのだ。
いくら町の目印にしたいからといって、実用性がまったくないと意味がない。
そこで正司は、塔の内部に行政府を入れることにした。
ここで町政を行うことで、塔に意味を持たせた。
それが『起立するファファニアの塔』である。
以前ファファニアは、バイダル公領から近いところに町が欲しいと言っていた。
そのとき、言外に「自分の名もどこかに入れて欲しい」という態度を見せていた。
正司は空気を読み、「それならば」と頑張ったのである。
町の名前はファファニアからとって、「ニアシュタットの町」と決まった。
高さ三百メートルにも及ぶ「起立するファファニアの塔」と、塔を取り巻くようにして存在する円形の巨大迷宮――通称「ファファニア迷宮」を作ることにした。
町政は塔で行うので、普通の人は地下の入り口を通って塔に入る。直通だ。
迷宮はあくまで観光客用の娯楽施設。
日本にいた頃、正司は巨大迷路に入り、脱出に相当苦労した思い出がある。
そのときは迷路内を二時間以上さまよったあげく、自力脱出を諦めた。
どこぞのカップルのあとを付いていって、何とか出られたときには、精も根も尽き果てていた。
今回正司は、それの数倍規模の迷路を設置しようと考えた。
日本で迷ったことに対するリベンジである。
ちなみにこの迷宮、クレタ島にあったというクノッソスの迷宮を参考にしている。
クノッソスの迷宮は、ミノス王の息子である牛頭のミノタウロスを封じ込めたと言われるが、その辺のおとぎ話は抜きにしても、実際に迷宮が作られたのは確からしい。
正司はそれを思い出し、地下一階、地上四階にも及ぶ巨大迷宮を建設することにした。
地上部分は、一階から四階まですべてあるわけではなく、場所によっては二階までしかなかったりと、外観すら複雑で、よく分からない作りになっている。
それがファファニアの塔の周辺に、半径一キロメートルに及んでいる。
「なんか屋根とか壁とかもゴチャゴチャしているけど、本当にこれでいいの?」
「はい、本物はそんな感じになっているようです」
リーザは、正司のいう「本物」の意味が分からなかったが、どうせロクなことではないと思って気にしなかった。
正司が娯楽施設と言い張るこの巨大迷宮は、一度入ると半日どころか、数日間も迷う可能性がある。
行方不明者や死者が出てもおかしくない。
娯楽施設なので、ギブアップしたらスタッフが迎えに来るらしいが、リーザが見ているかぎり、それでもかなり極悪な迷宮になっている。
入った者の半数がギブアップするのではないかと思っている。
入り口は四つで、出口も四つ。
それでも最短で四十の部屋を通過しないかぎり、出られないのだ。
本格的にもほどがある。そうリーザは思った。
それを楽しそうに設置する正司がどこへ向かおうとしているのか、リーザには謎だった。
「ねえタダシ。迷路は別にいいけど、他の施設はどうするつもりなの?」
本当は迷路もよくはないのだが、あれだけ正司が楽しそうにやっていると、反対しづらい。
「そうですね。他の施設ですか……迷宮作りに集中して忘れていました」
他の施設は、最初にいくつか作ったきり、頭から抜けていたらしい。
正司は他にも観光施設をつくり、温泉を目玉とした複合観光施設の町として売り出したいらしい。
「温泉が観光の目玉なのよね。わざわざ温泉に入りに来るの?」
リーザはそれが分からない。
珍しいとはいえ、ただの風呂である。
観光という他の目的はあるものの、果たして危険を冒してまで街道を通り、この町へ湯につかりにくるだろうか。
「温泉はいくつか作って『温泉テーマパーク』のようなものを考えています。大浴場は当然として、他にも大小様々な温泉を登場させます。そこでは、温泉に入るだけでなく、リラックスしてくつろげる空間を演出します」
古代ローマではすでに銭湯があったらしいが、人は身体を洗うだけでなく、日頃の疲れを取るためにも温泉を利用する。
正司が考えているのは、リラクゼーション施設としての温泉利用である。
美容や健康長寿をウリにして、娯楽も入れる。
変わったところでは砂風呂などを入れてもいい。湯治客がよろこぶのではなかろうか。
逆に「地獄巡りツアー」のようなものも取り入れ、観光客の目を楽しませることもできる。
(日本の温泉はいろいろ参考にできると思います。入れない温泉として、血の池地獄とか面白いですね)
正司はかつて行ったことのある観光名所を思い出していた。
それらをアレンジして、ここへ持ってきてしまおうと考えている。
(岩盤浴や熱湯風呂……は違いますね。他には洞窟風呂や海底風呂なんかも面白そうです)
温泉に入りながら水槽の魚が眺められる。
海は近くにないため、代わりに淡水の魚を泳がしてもいい。
「ほかに温泉といったら、遊戯施設ですよね。浴衣姿で歩いて輪投げや射的をやったり」
「なにそれ」
「発想がちょっと古かったでしょうか」
正司の発想は大分古い。
他にも飲み屋街をつくったり、簡単な賭け事ができる施設をつくったりすれば、それなりに楽しめるのではなかろうか。
(ここはあれですね。ラクージュの町にある博物館は健全な遊び場ですが、こちらは少し大人の……そう、大人が命の洗濯をする所なのです)
ただ観光産業だけでは、先細りしてしまう。
それは日本の有名な温泉地を見れば分かる。何百年経っても変わらないところが魅力であるものの、飽きられれば廃れるし、別のものが台頭すれば客が奪われる。
(日本は内風呂が浸透して、薪風呂からガスや電気の風呂に変わって手軽になりました。最近はスパなどと言って、温泉水をタンク車で運んできたりもします。そうすると自宅近くで温泉に入れたりもしました)
観光一本に頼っていると、時代の流れについていけないかもしれない。
観光以外で、何か別の産業を持っておくべきであろう。
(その前にまず、温泉地をしっかりと作ることが大事ですが)
何本か試掘した限りでは、この地下にはかなりの湯が眠っている。
数百年経っても、湯は枯れないかもしれない。
(湯量自体は豊富で朗報ですけど、他の産業はどうしましょう)
迷宮づくりの手を止め、正司がつらつらと考えていると、リーザが不機嫌そうな顔でやってきた。
「ちょっと身体が暑いわ」
リーザの身体から湯気が立ち上っている。
「温泉に入ったのですか?」
「違うのよ。あの屋根のある建物の中で足を湯につけていたけど」
「ああ、足湯ですか。建物の中の蒸気が巡ったのですね……そういえば」
正司も、足湯の小屋を整備したとき、ジットリと汗をかいた。
他と比べて小屋が小さいのと、湯を全体に巡らせたせいだ。
蒸気が周囲の空気を暖めたため、あの中にいると南国にいる気分を味わえる。
(あの熱、なにかに使えないでしょうか)
正司の地元には、ゴミ焼却場の隣に、温水プールがあった。
市民のために解放し、安く利用できるようになっていた。
(あれはゴミを燃やす時の熱で、湯を沸かしているのでしょうね。ああいう余熱利用の施設は全国にあると聞いたことがあります)
小屋に入ると、むわっとした蒸気が身体を包んだ。確かに暑い。
サウナのように暑いわけではないが、じっとしていれば汗をかくくらいにはなる。
(この湯を使ったり、蒸気を使ったり……そうです、この熱は何かに使えそうな気がします)
北の未開地帯は、それなりに寒い。
反対にあの小屋の中は汗ばむほどに暑い。
これを利用して、何か新しい産業をおこせそうである。
(すぐに思いつくのは、南国の作物を育てたりでしょうか。他にもなにかあるかもしれませんね)
ブツブツと呟きつつ、深く思考している正司をリーザは黙って見つめていた。
迷宮を完成させた正司は、ようやく温泉施設作りに取りかかった。
巨大な『温泉宮殿』を作ってリーザに呆れられたり、それより巨大な宿泊施設を作って、「帝国の城より大きいわよ」ともっと呆れられたり、「観光客を呼ぶには利便性ですよね」とまだ誰も住んでいないのに高速道路を各町につなげたりと、正司が暴走したころ、ようやく第三次移民が完了した。
これにより正司は、本来の目的である『棄民救済』をスタートさせられるようになった。
――ノイノーデン魔道国は、村や町に住めなくなった者を全員受け入れる意志がある
以上の文面が、各国へ正式に通達された。
○
ロスフィール帝国、帝都クロノタリア。
巨大な帝国領において一圏に住むことは一種のステータスである。
なかでも帝都のあるメルエット領の町ならば、住もうと思ってもなかなか住めるものではない。
そしてもっとも住むのが難しいと言われるのが、帝都クロノタリアである。
ここには皇帝が住む世界最大の城があり、城下も帝国一栄えていると言われている。
「話が違うぞ」
渋面をつくったのは、ゴスリック経産大臣。
「そう言われてもな、私も何がなんだか分からないのだ」
「言い訳はいい。それよりアレは本当のことなのか?」
ゴスリックの言葉に、渋々ながらもリアクール情報大臣は頷いた。
先日、各地へ放っている密偵から複数の情報が届いた。
この大陸は絶断山脈にとって東西に分かれており、情報の行き来はかなり制限される。
密偵は北回りの船でバッタリアのルード港へ到着し、ようやくここまでたどり着いたのである。
密偵が実際に見聞きした内容は膨大なものだった。
これまで鳥による連絡はあったものの、その数十倍の規模による報告がなされた。
そして複数の密偵の話を総合して、大陸の西側で行われたことが、ほぼ正確に分かるようになった。
「では、本当に町ができたのだな。しかも一瞬で」
「そうだ。私の言葉だけでは信用できないと思ってミレリーヌ魔道長官にもご同席いただいた」
これまでずっと黙っていた女性が立ち上がると、静かに会釈した。
帝国の魔法使い採用制度は幅広く、戦闘に特化した者の他にも、政治や生活に向いている者など、多くの才能ある者を抱えている。
ミレリーヌはその中の一人で、実践的魔法よりも魔法知識に秀でている。
「まさか本当に町ができているとは思わなかった。とんだ恥をかいた」
密偵からの報告によると新国家――ノイノーデン魔道国は、各国の協力を得て、急速に力をつけているという。
それはとりもなおさず、大陸の西側の力が底上げされたことを意味する。
帝国はこれから発展していくそれらの国々に対して、指を咥えて見ているしかできなくなってしまった。
経済的損失は計り知れない。
そればかりではない。これは帝国が力を落とすことに等しいのだ。
「陛下になんとご説明すればよいか……」
リアクール情報大臣は頭を抱えた。
彼の場合、直接の失態である。
トエルザード公からの一報は一圏内に届けられず、バッタリア領内で処理し、そのまま突っ返している。
一見すると情報大臣の失策ではないように思える。
だが、情報大臣たるもの、事前に情報を入手し、手を打っておくべきなのである。
それができなかった時点で、彼の失点は免れない。
「それで町をひとつ作ってしまう魔法は可能なのかね」
ゴスリックに問われて、ミレリーヌは首を横に振った。
「帝国にある魔法資料を総ざらいしましたが、過去そのようなことを成した者はいません。おそらくその数十分の一ですら、不可能なことです」
「密偵は実際に見てきたようだが」
「歴史に名が残る規模の魔道士が数百人いれば、同じことができると思います。一般の魔道士でしたら千人は必要かと思います」
「魔法使いだったらどうだね」
「……数万人は見た方がいいでしょう」
「つまり実現不可能ということだな。だが、実際に町はできている。それに対して合理的な説明は?」
「考えられるのは、『世界の神秘』くらいです」
ミレリーヌがそう言うと、ゴスリックは首を左右に振った。
「それでは答えになってないな。大陸を二つに割った者がいれば、それをやったのは『世界の神秘』だろう。大陸の半分を沈めたと言われたら、それも『世界の神秘』……つまり、『世界の神秘』とは、私たちが思考を停止するときに使う、都合のいい言葉だよ」
「それでも通常の魔法では不可能です。不可能を可能にした以上、合理的説明は『世界の神秘』が奇跡を成した以外、話す言葉を持ちません」
ゴスリックは、リアクールに視線を戻した。
「情報大臣の見解は?」
「実は私も同じ意見だ。これまでの情報を整理すると、人智を超えたものがゴロゴロと出てきた。『世界の神秘』以外の説明は難しい。経産大臣は懐疑的のようだが、向こうに『世界の神秘』がいる前提で話を進めた方がいいだろう」
「…………」
リアクールは不満顔だが、とくに何も言わなかった。
『世界の神秘』は帝国にとって特別な意味を持つ。
統一国家を樹立した英雄デテルリートは、G6と言われる凶獣を倒している。
つまり『世界の神秘』は本来、帝国の味方なのだ。
だが大陸の西側では、『世界の神秘』といえば自分たちの祖先というヨタ話がまかり通っている。
それのせいか、帝国内でも『世界の神秘』を軽視する流れになりつつある。
皇帝が『世界の神秘』の直系子孫であることを考えれば、帝国の象徴であるといっていいはずなのだ。
「戦って勝てると思うか?」
ゴスリックの問いかけに、リアクールは首を横に振った。
「すでにエルヴァル王国が完敗している。少なくとも、局地戦では手も足も出ないだろう」
では総力戦ならば可能かといえば、帝国各地でおこっている反乱軍をどうにかしないかぎり、全軍を出すことは叶わない。
「それで陛下になんとお伝えすればよいのだ?」
皇帝エルマーンは、いまだ大陸制覇を諦めていない。
今年在位五十周年を迎えるが、肉体年齢はいまだ四十代のそれである。
時間はまだ残されており、野心は枯れていない。
側近や重鎮がなんとか押さえているが、いつ大陸制覇に乗り出すか分からない。
少なくとも、リアクールもゴスリックもその準備だけはしている。
「正直に言うしかあるまい。陛下は大陸統一の野心はあるものの、聡明な方だ。相手が『世界の神秘』ならば、めったなことはしないと思う。問題は……」
「末端の阿呆貴族どもか。奴らを一斉に粛清したいものだが」
気位ばかりが高く、何かあっても責任を取ろうとしない。
彼ら退廃貴族のせいで、帝国の富がどんどんと食い潰されていく。
「いっそのこと、ヤツらをけしかけて一掃させるか」
「その案には同感だが、それは帝国が負けることを意味するし、もし最後に勝とうと思ったら、どれだけの犠牲を払うか考えるのも恐ろしい。相手が『世界の神秘』ならば、手を出さないのが賢明だな。他の案を頼む」
「……分かった。ではこうしよう。退廃貴族どもには別の餌を与える。数年は目を逸らせるものだ。その間に『世界の神秘』を見極めることにする」
リアクールの言葉にゴスリックは頷いた。
「うむ。では私は、帝国が頭を下げない形で西側にアプローチしてみる。ただし軍務大臣が邪魔をしてくるかもしれん。その場合、派閥を挟んで熾烈な戦いになるだろう」
「正直言って、向こうの派閥とはやり合いたくないが、『世界の神秘』を相手取るよりマシだろうな」
「そういうことだ。互いに生き残るぞ。途中で脱落するなよ」
「了解だ。今回は失点のある私らの方が分が悪いが、ここからの巻き返しは可能なはずだ」
「よし、それでいいな」
「ああ、ともにやるぞ」
この日、帝都にある秘密の場所で、そんな会話が交わされていた。