103 ロスフィール帝国
タンスの縁に足をぶつけて、この世界に落っこちたお調子者がいる。
正司である。
サバイバル道具を持参するどころか、着の身着のまま(というか上下パジャマ姿)の状態である。
もし正司の様子を高みから見ていた者がいたら、「アチャー」と目を覆ったことだろう。
何しろそこは、凶獣の森と呼ばれる強力な魔物が徘徊する地なのだから。
半日も生き残れれば上等。次の朝を迎えることはほぼ不可能だったのだから。
「魔道王様~」
「魔道王ばんざーい!」
「ほらっ、タダシ。手を振ってあげれば?」
「えっ、あ……はい」
正司が控えめに手を振ると、多くの歓声があがった。
正司とリーザはいま、トエルザード領内にあるバイラル港にいる。
移民を希望する人々が、次々と巨大輸送船に乗り込んでいる。
別の船には、食料品や衣服など、彼らが必要とするものが大量に積み込まれている。
「人の列は順調だし、積み荷も大丈夫そうね」
「ええ、うまくいって良かったです」
労力削減と時間短縮のために、正司はバイラル港にクレーンを設置した。
試験的運用で、クレーンの形は「水飲み鳥」のおもちゃに近い。
クレーンの動力は魔石で、あれもれっきとした魔道具である。
魔石は交換する必要があるので、それなりに高価な動力源となる。
(魔石は、結構高くつくんですよね)
小さな魔道具ならばそうでもないが、大きなものを動かすのはそれだけ力を使う。
この場合、魔石と人力で、どちらがお得だろうか。
(別の方法がないか、これ以外にも探しておきましょう)
一応港にスロープを作る案も出たが、どうしても坂の長さだけ場所が必要となる。
場所に余裕のないバイラル港には、設置できなかった。
(乗り込む人たちは、とても生き生きした顔をしていますね。故郷を離れることに抵抗はないのでしょうか。私は割り切れるようになるのに、結構かかったんですけど)
正司はいま、自分の使命を自覚している。
多くの人を救いたいという思いがあり、人を救う力もある。
充実した日々を送り、人々からも感謝される。
日本にいた頃には、考えられない生活を送っている。
だが、この世界にきた当初は、どうやったら帰れるのかをよく考えていた。
帰還するための穴はもう現れないのかと、何度もあの場所に戻った。
(故郷は遠くにありて思うものといいますし、これで良かったんでしょうけど……)
「しみじみしているけど、どうしたの?」
「……遠くにきてしまったなと思いまして」
「遠くもなにも、〈瞬間移動〉で一瞬だったじゃない」
「まあ、そうなんですけど」
上下パジャマ姿で右往左往していた正司はもういない。
今はもう一国の主、魔道王と呼ばれる存在になった。
(建国宣言は年明け初日に決まりましたけど、新国家はスタートしているんですよね)
正司は乗船する人の列を眺めた。
手続きの終わった者から船に乗り、数日かけてリザシュタットの町へ行く。
彼らはまだ、名前しか知らない新しい国へ、まっさきに移り住もうとしてくれた人たちである。
正司は彼ら一人一人に感謝の言葉をかけたい気分だった。
「そういえば、トエルザード公領の募集は締め切ったわよ」
「はいっ!? 第一次移民の募集ですよね。もう締め切ったのですか?」
驚く正司に、リーザは「何をそんなに驚いているの?」と逆に驚いた。
「ですが、移民ですよ? 自分の生まれ育った国を捨てて、別の国の民になるんですよ。そんなに簡単に決めていいんですか?」
今回、受け入れ側の準備の関係上、人口の0.1パーセントを上限とした。
つまり千人に対して一人である。
いつ定員に達するだろうと正司は思っていたのだが、もう締め切ったらしい。
「ねえタダシ……巨大なトンネル、博物館、戦争の鎮圧……いまの言葉に聞き覚えあるかしら」
「ええ。もちろんです」
聞き覚えがあるに決まっている。すべて正司が関わったものだ。
「これらは、トエルザード公領のほとんどの民も知っているわ」
絶大な力を持つ魔道士の存在は、すでに多くの耳目を集めている。
これらの単語をまったく聞いたことがない人を探す方が難しい。
「それにね、タダシ。あなた忘れているのかしら?」
「はい、何をでしょうか」
「新しい国はノイノーデン魔道国といって、王様は魔道王タダシなの。そのことは立て札にもしっかり書いたしね」
「そうですね」
「さっきの言葉と、これらの国名を結びつけて考えられない人はいないわ。たった一人で軍隊を無力化させて、侵略者を全員捕まえるような魔道士の国。興味があるに決まっているじゃない」
「そういうものですか」
「そういうものよ。それに他国も同じだからね」
すでにバイダル公領では、魔道士タダシの活躍によって公の孫たちが助かった話が広がっている。
誘拐犯を逃がさないため、ラマ国との国境に壁を作った話は有名で、戦争のこともあり、バイダル公領でも魔道士タダシのことはかなり認知されつつあった。
フィーネ公領も同じだ。未開地帯との境に巨大な壁ができたことは記憶に新しい。
こんなことができる魔道士がつくる国はどれほどのものか。みな興味が尽きないのである。
「ラマ国は、タダシのことを将軍を若返らせた英雄として紹介しているわよ。ほかにも懸案だった帝国との陸路を完全に塞いだ功績も付け加えたわね」
そして王国は言うに及ばず。
捕虜となった兵が帰還し、捕まったときの様子が語られる。
たった一人の魔道士に軍隊が負けたことがすぐに広まった。
――ノイノーデン魔道国……なんて恐ろしい国
王国民からは、畏怖とともにそう思われているのである。
「それで今日はどうするの?」
「クレーンに問題がなければ、新しい町の候補地を見つけたいと思います」
いまもクレーンは、順調に荷物を船上に運び入れている。
荷を下ろしたところで、船は小揺るぎもしない。
船は大きく、積載量もたっぷりあるが、こうして実際に積み込まれる荷物の量を見て、その巨大さが浮き彫りにされる。
正司が荷の様子を眺めていると、リーザもまた目を凝らす。
「あなたが作った魔道具でしょ、大丈夫よ」
「そうですかね」
「そうに決まっているわ」
「分かりました。では未開地帯で町の候補地を探します」
正司は地図を一枚取り出した。先日、ルンベックからもらった大陸の地図だ。
一番詳細なやつだが、未開地帯があまりに広大すぎて、国の周辺以外はまったく書かれていない。
そもそも未開地帯には誰も入らないのだから、何も書かれていないのは当然と言える。
「これは?」
「私が書き入れました。大体ですけど」
探索済みのところに、山や谷、崖、川、池や湖などが書き入れられている。
マップと照らし合わせて、正司が描いたものだが、位置や縮尺などはかなりいい加減だ。
「未開地帯は森一色と思っていたけど、意外と色々あるものね」
「そうですね。起伏がある場所も多いですし、普通に探索しようと思ったら、結構やっかいだと思います」
「それでどこに行くの?」
「今日はこの辺ですね。魔物のグレードが上がるんですけど、少しラマ国寄りの場所へ向かおうかと思います」
「絶断山脈の麓までいくの?」
「いえ、町の候補地ですので、そこからはなるべく離れたいです」
バイダル公領とラマ国も未開地帯に接しているものの、その付近に町はひとつもない。
フィーネ公領のように未開地帯の際まで町があればよいのだが、そううまくはいかない。
「私は行きますけど、リーザさんは?」
「もちろん付いていくわ」
正司をいまフリーにさせるわけにはいかない。そしてリーザは言い出したらきかない。
「分かりました。このまま未開地帯に跳びますけど、いいですか?」
こうして正司とリーザの旅は始まった。
○
「……という感じで、未開地帯を探索したのだけど、実際どこをどう進んだのかは分からないわ」
その日の夜。
リーザは、ルンベックに今日の出来事を報告した。
「あいかわらずタダシくんは面白いね」
リーザを背負いながら時々魔法を撃って、遠くの魔物を排除していったらしい。
ドロップ品は面倒なので回収しないと聞いて、「たしかに面倒よね」と納得したリーザは、確実に毒されている。
「この分なら、遠からず次の候補地を見つけると思うわ」
「そうするとまた人材を用意しないといけないか……」
「移民も必要ですわ、お父様」
「そちらは願ったり叶ったりだよ」
今回、第一次移民が実行され、トエルザード公領から0.1パーセントの人口流出があった。
ざっくりとした計算だが、税収が0.1パーセント減ったのだ。
だがそれを補っても、余りある利益がもたらされるはずである。
すでに移民特需と思われる商業の活性化がおきている。
減った0.1パーセント分の税収など問題にならないくらい、経済が活性化している感じだ。
問題は別のところにある。
人材の流出だ。町政ができる者は貴重である。
現代のように調べれば分かるわけではないし、マニュアルがあるわけでもない。
一人前に育つには、最低でも何年間か誰かの下について学ばねばならない。
二つの大きな町とそれに付随した町に人材を派遣している。
これが加速度的に増えると、自領の運営に支障をきたす。
「王国から呼び寄せるしかないのかしら」
「即戦力を求めるなら、そうなるかな。今回はラマ国から出してもらうのもアリだろうね」
今回の件は、ファファニアの要望で正司が動いている。
これは直接リーザが正司から聞いたので、確かである。
新しい町をバイダル公領やラマ国が欲するのも分かる。
自国から近く、直接行けるならば、これほどありがたいことはないのだから。
変に邪魔をすると問題になるため、ルンベックとしても「どうせ増えるのは確実なのだから」と、なるべく後押しする方向で進めようと考えている。
そして正司である。
正司は語り部と出会って、少しだけ変わった。
より積極的になったし、責任感が出てきた。
これをルンベックはよい兆候だと思うが、いかんせん正司である。
暴走する可能性が高まったとも言えるのだ。
もし正司が全身全霊をもって町づくりに励んだら、どうなるのか。
さすがに恐ろしいものがある。
「そういえば正司は、町どうしをまだ繋げないみたいですね」
「衛星都市構想と言っていたね。大きな町を中心に小さな町を周辺につくって、それを一単位とするみたいだね」
将来的には遠く離れた町も高速道路で繋げるが、今はそれにかかるリソースを町づくりに振り分けたいと正司は言っていた。
衛星都市構想というのは、なかなか面白い発想だとルンベックは思う。
中心となる大きな町、たとえばミラシュタットの町の周囲に十やそこらの町をつくり、高速道路で繋げる。
それをひとつの『都市圏』と扱って、完結させようというものである。
言うなれば、ミラシュタット都市圏はトエルザード公領、リザシュタット都市圏はフィーネ公領と同じと考えることができる。
正司が新しい町をつくると言う場合、都市圏がひとつ増えることを意味する。
「小さな町を一つつくるのかな」と考えていると、えらいことになる。
「タダシくんから目を離さないようにね」
「分かっています、お父様」
こういうとき正司をフリーにする怖さは、二人ともよく知っているのだ。
「そういえば帝国はあれっきりだね。魔道国の情報はもう得ているだろうけど、動きがないね」
「国の方針が決まってないのかもしれないですね」
帝国は一度、差し伸べた手を振り払っている。
どう取り繕ったところで、面目を失っている。
もちろんトエルザード家を通さないで正司と交渉することは可能だが、現実ではまず不可能。
よしんば接触可能となったとして、トエルザード家が正司の窓口をしているのだから、結局ここに来るしかない。
それこそ恥の上塗りである。
「ねえ、お父様。タダシを帝国に連れて行ってもいいですか?」
「私もいま同じことを考えていたよ」
どのタイミングか分からないが、帝国は必ず接触してくる。接触してこないはずがない。
その前にタダシを帝国に連れて行き、あの国の姿を見せておきたい。
「判断材料はたくさんあった方がいいだろうしね。時間を見つけて誘ってごらん」
「そうすることにします、お父様」
そして翌日。
「……というわけで、タダシが帝国領を見ておくのは、きっと役に立つと思うのよ」
リーザは、正司の背に揺られながら、そう提案した。
「そうですね。帝国のことはミュゼさんから習っただけですし、自分で見てみたい気がします」
「だったら今度、私が連れて行ってあげるわ」
すでにリーザは一度、帝国まで巻物で移動している。
正司を一度でも連れていけば、次からは魔法で行き来できる。
そのときは毎回、リーザが付いていくことにすればいい。
ちなみに最近はミュゼが比較的暇になっている。
ルノリーがルンベックの手伝いをしているため、ある程度時間が取れてきたのだ。
だがここで敢えて、そう、敢えてである。正司の相手はリーザに任せている。
というのも先日、これは内緒だが、ミュゼは正司から「とあるもの」を一枚貰っている。
そのことはルンベックも知らない。ミュゼはそれを「使って」しまったので、証拠も残っていない。
そのことと正司の相手をリーザがするのと、何の関係があるのか。
実は大いに関係があったりする。
リーザにしろ、ミラベルにしろ、ファファニアにしろ、僅かな年の差など、関係なくなってくるのだから。
ゆえにミュゼは、娘の尻を叩いて送り出すのである。
「あ……」
「ここは」
未開地帯を進むこと三日目。
岩の隙間から白い湯気が立ち上っているのを二人は発見した。
木々はなく、岩場が目立つその場所は、正司にあるものを思い出させた。
「この匂いは硫黄ですね」
まるで温泉街に来たときのような匂い。
マップで周囲を確認すると、魔物を表す赤点はどこにもみられない。
硫黄の匂いのせいで魔物がいないのか、ここはもともと魔物が湧かない土地なのか。
「湯湧きの地の匂いね」
リーザも嗅いだことがあるらしい。
「はい。掘れば温泉が噴き出しそうです」
周囲にはお湯が出ていないが、これだけ湯気が立ち上っていれば、地下水は間違いなくお湯になっている。
つまり、ここを町にできれば温泉街ができあがる。
ならばやらない手はない。正司はいつも通り、ここの周囲を壁で囲った。
「魔物が出るか確かめる時間が必要です」
五日以上放置して魔物が湧かなければ、ここに町をつくることができる。
「ちょうどいいわ。その間、帝国を観光しましょう」
「ああ、それもいいですね」
こうして正司は、空いた時間を有効に使うため、リーザと帝国へ行くことにしたのである。
ロスフィール帝国は広い。
帝都は帝国中央付近に位置する巨大な湖、バアヌ湖のほとりにある。
バアヌ湖を中心とした三領、トラウス領、グノージュ領、メルエット領が帝国の中心で、その周囲に五つの領がある。
中心となる三領を一圏と呼び表し、帝国は一圏五領の集合体であるといえる。
「帝国に行くと言っても、私が案内できるのは、その海沿いだけね。バッタリア領のルード港がある辺りよ」
バッタリア領は、トエルザード家がもっとも利用する領である。
「帝国は大陸の東側すべてを支配しているのですよね」
「そうよ。帝国は巨大なひとつの国家。まあ、内部は結構ガタガタだけど……それはいいとして、バッタリア領は五領のひとつね」
「ミュゼさんから、帝国については、四つの領を覚えておいたほうがいいと言われました」
「四つの領か、なにかしら……一番大事なのはメルエットよね」
「はい。一圏にある最大面積を誇る領で、帝都がありますね」
「そうよ。メルエット領は帝都クロノタリアを有していて、領の面積はミルドラルと同じくらい。それと南に『英雄の門』を持つわ」
メルエット領は、初代統一王である英雄デテルリードを輩出したところとしても有名である。
帝都は、バアヌ湖を一望する『世界最大の城』を持つと内外に宣伝している。
ちなみに今は、城の大きさでも、その堅牢さでも『リーザ城』の方が勝っているため、厳密には世界一ではない。
ただ両方を見比べた者がまだいないため、明らかになっていない。そのうち「自称世界一」とか「世界一の城(笑)」と呼ばれるようになるかもしれない。
「あと三つは何なの?」
「ロイスマリナ領とバッタリア領とティオーヌ領と教わりました」
ロイスマリナ領は絶断山脈の麓にあり、ラマ国と陸路が繋がっている領だ。
もし帝国と戦争になる場合、帝国兵はロイスマリナ領からやってくることになる。
「バッタリア領とティオーヌ領はそれぞれルード港とカリュガ港を持っているわ。つまり海路で取引がある領ね。ミルドラルの船乗りも、バッタリア領かティオーヌ領しか訪れたことがないはずよ。わざわざ何日もかけて内陸まで行く必要がないもの」
帝国の領間を移動するのは、こちらで国を移動するのと変わらない。
正司が絶断山脈の陸路を閉じてしまったため、ロイスマリナ領の重要性はなくなった。
そして内陸部に行くことがなければ、メルエット領もまた考慮に入れる必要はない。
すると今覚える領は、実質ふたつに絞られる。
「それじゃ、ルード港のあるバッタリア領へ行くわよ」
「分かりました……あっ、でしたらこれを使ってください」
正司は〈瞬間移動〉の巻物を手渡し、リーザがそれを読み上げた。
跳んだ先は、ルード港にあるトエルザード家の屋敷。
トエルザード家は、帝国に赴ける大きな船を持っている。
そのため、ルード港内に倉庫や船員の宿泊施設がある。
町中には、トエルザード家の屋敷や、家臣たちの家もある。
「それでは町に出てみましょう。私が案内するわ。ここへ来たのは二回目だけど」
ふたりは町を歩いた。
港町らしく、日焼けした屈強な男たちを多く見かける。
「活気がありますね」
「バイラル港に比べると、かなり人が多いわね。その分、町が埃っぽいわ。それと臭い」
人の汗だけではない。魚の生臭さなど、いろんなものが混じった臭いがする。
店の軒先には、そこで扱っているものが吊されていたりもする。臭いはそのせいもあるだろう。
道の端には呼び込みがいて、声を張り上げている。
そのせいか、道行く人の話し声もみな大きい。
「ガサツよね。文化が遅れている感じ」
周囲を一瞥して、リーザはそう評した。
「ですが、帝国の方が歴史は古いんですよね」
「そうよ。だからといって、文化面で成長しているとは限らないでしょ。とくに帝国の上流階級は何もしないので有名だし」
「有名なんですか?」
「有名よ。退廃的な連中ばっかり。優雅と自堕落をはき違えているのよ。自身では何もしないで、使用人にすべてやらせるっていうんだから始末に負えないわ」
物申したいことが多々あるらしく、リーザの口は止まらなかった。
「たまに『他国を見聞したい』って、船でやってくるんだけどね。来たら来たで、日々飲み食いしてはパーティ三昧。飽きたら帰っていくんだけど、何しに来たんだか分からないわ」
そんな者でも帝国内では行動派らしい。
正司はなんとなく、フランス革命前夜の貴族たちを思い描いた。
「それでよく民衆が黙っていますね」
「帝国は古くからの階級社会だし、逆らう気概は持ち合わせてないんじゃないかしら。逆らっても無駄、失うものも多いと考えているだろうし」
「失うものですか?」
「そうよ。この町にいる人たちはみな帝国の民、帝民と言うのだけど、ほとんどが二級帝民たちね。重度の犯罪をおかすと、その権利を取り上げられてしまうのよ」
「えっと……二級帝民って、講義で習った気がします。帝民権をお金で買った人たちですよね」
「そう。狭義の帝民というのは、貴族や上流階級、そして昔からの人たちを指すの。二級帝民は帝国占領後に帝国に属した人たちね。まあ二級帝民だって、権利はほぼ同じなのだけど」
二級帝民には、選挙権や被選挙権がない。
また支配者階級に関わる職――領主などに就けない。
つまり国政に参加できないのだ。
それを除けば、二級帝民とて、狭義の帝民と権利は変わらない。
帝国には四つの階級がある。
狭義の帝民――貴族や上流階級など、ロスフィール国時代からの民の末裔
二級帝民――金で帝民権を買った人たち
外民――被占領地域に住んでいた人たち
浪民――それ以外の人たち
「帝国に反旗を翻しているのが浪民ね。彼らは定住しないか、しても町中にはほとんどいない。魔物が出ない集落があるでしょ。そこにまとまって暮らしているわ」
「そんな人たちが帝国と戦っているんですか?」
「そうよ。実際には、外民の協力もあるし、秘かに二級帝民だって手を貸していることもある。王国が彼らに武器や物資をコッソリと売っているしね」
「それでもよく戦い続けられますね」
「彼らは自分の住んでいるところを熟知しているから、帝国兵がやってきたら戦うか逃げるか選択できるもの」
大勢で行けば目立つ。かといって少数で行けば撃退されてしまう。
根絶やしさせるには、相当な労力がいるらしい。
そして大事なことだが、ひとつの集落を全滅させたところで、帝国に利益はない。
反対に周辺の反抗勢力を刺激し、報復を受ける可能性が高くなる。
帝国としては、面倒なことはしたくないのだ。
「ちなみにどっちの陣営にいるかで呼び名は変わるわよ。帝国からすれば彼らは反乱軍もしくは叛乱勢力だし、別の側から見れば解放軍、解放勢力になるの」
「立場が変われば、呼び名が変わるわけですか」
「そう。プライドが高い人がいるから、言葉の用法には注意した方がいいわね。同時に、二級帝民という言葉もあまり使わない方がいいわ。それも分かるでしょ」
「はい。帝国の民であることに誇りを持っているのですね。わざわざ二級とつける必要は無いと」
「そういうこと。ちなみに外国人である私たちは、二級帝民と同じ扱いね。さすがに外民と同じにされたら交易は成り立たないから、国交断絶するけど」
「外民はそんなに扱いが酷いんですか?」
「そうね。帝民と外民の大きな違いは、不公正裁判があるってことかしら。帝民にだけ許されることも多いし、帝民と何か衝突したとき、裁判で外民はだいたい負けるとみていいわ。そのせいで浪民となる人も多いって聞くし」
「そうなんですか?」
「色々とね。あと帝民と外民の結婚はできないから、その場合は外民が帝民権を買わないと駄目ね。養子縁組をするときもそう。帝国法では、厳密に帝民と外民を分けているから、帝民に許されて外民に許されないことをするときは、帝民権を買うしか方法がないのよ」
ちなみに帝民権はかなり高価らしく、一人用であるため夫婦親子の場合、全員分を購入しなければならない。
そうしないと帝民と外民の夫婦関係や、親子関係が成立してしまうからである。
外民はその性質上、かなり安い賃金で働かされる。
そのため、何十年も金を貯めてようやくという人も多い。
逆に帝国はそうやって集金している面もあり、外民の下に浪民をつくることで、「上にいこう」と発憤させているのだろうとリーザは言った。
通りを歩いて行くと、石造りのかなり古い一角に出た。
「ここは貴族街ね。といっても、住んでいる人は多くないはずよ。この町は貴族にとって都落ちみたいなものだし」
金に余裕がある貴族は、仕事や商売を他の者に任せて、一圏内に住んでいるという。
五領というのは、一圏に住めなかった者が行くところという認識らしい。
「こんなに活気がある町なのに、都落ちなのですか?」
「そう。頂点は帝都で、一圏内に住むのは当たり前。そこにいられない時点で話にならないのよ」
その話を聞いて正司は「やっぱり昔のフランス貴族と同じだ」と内心で思っていた。
どうやら帝国の貴族は、些細なことで差別するのが大好きらしい。
貴族街というだけあって、古くて立派な建物が並ぶ。そこを二人で歩いた。
聞けば、ここに住んでいる貴族は半分くらいだろうとのこと。
貴族街に二級帝民は住めないため、このような空き屋ばかりになるらしい。
「町の郊外にも行きたいけど、ここからだと距離があるわ。今日は港と町中、それからこの貴族街の雰囲気を感じてくれればいいから」
この時間、通りを歩いているのは物売りと使用人のみ。
貴族本人はどこでも馬車で移動するようだ。
正司が耳を澄ますと、時折どこかの通りを馬車が通過する音が聞こえる。
「活気はありませんね」
ここが貴族街であることを差し引いても、人々の顔は暗い。
「ここに住んでいる貴族は、早く一圏に戻りたいと思っているからかしらね。その気持ちが使用人たちにもうつっているのかも」
「町を治めるのは名誉なことではないのですか?」
「そうね。けど領主は一圏にいるから、ここで采配をしているのは代官よ。権利を持っている貴族は一圏に居を構えて動かないし、富はすべて吸い上げられる。責任はあってもうまみは少ない。あまり嬉しくないんじゃないかしら」
「なるほど、そういうことですか」
ようやく帝国の仕組みが分かりかけてきた。
どうやら帝国の支配体制は、一圏から始まる。そして富も一圏に集まる。
五領にある町は、それを支える屋台骨の役割だろう。
これは日本でいう荘園に近いのかもしれない。
そう考えれば、いくら町に活気があっても、ここは「都落ち」の貴族が住む地なのだろう。
「どうかしら、タダシ。実際に帝国に来てみて、何か変わった?」
「そうですね。思ったのと違いました」
極度の中央集権化が進んだ国家。それが帝国の姿であると正司は感じた。
「だったら連れてきて正解ね。人に聞くだけじゃ、分からないもの」
「そうですね。いい勉強になります」
そんな話をしながら二人が歩いていると、向こうから一台の馬車がやってきた。
急いでいるのか、かなりスピードを出している。
馬車が正司たちの横をすり抜けるとき、車輪が石を弾いた。
――バチィン!
凄い勢いで飛んできた石は、リーザの手に収まった。
リーザは顔をしかめる。
「危ないわね!」
そう言って、リーザは石を握り潰した。