102 移住
ラクージュの町にあるトエルザード家の屋敷。
夕方、正司とリーザは〈瞬間移動〉で戻ってきた。
屋敷の庭に跳び、中に入る。
二人はつい先ほどまで、リザシュタットの港にいた。
そこで出港する船団を見送ってきたのである。
「いい出港式だったわ」
「そうですね。船団の動きも良かったです」
まるで処女航海とは思えないほど整った隊列のまま、船は海の彼方へ消えていった。
船団を率いるのはネルゼ。
この日のために彼は、部下たちに厳しい訓練を課してきた。それが実った瞬間だった。
「数日後にバイラル港へ着くわ。そうしたら向こうでもお披露目ね」
華々しい式典の準備はできている。あとは輸送船団が到着するだけである。
「港の人たちは驚きますよね」
「そうね。みんな、意味も分からず歓迎式典の準備をしているんですもの」
新国の情報はまだ、一部の者以外には秘匿されている。
エルヴァル王国の準備が終わらず、新国発表まで、いましばらく時間がかかることになった。
そのため、バイラル港に到着した船団の情報だけ、先に流れることになる。
巨大な輸送船団の存在は、人々の度肝を抜くのは間違いない。
さぞかし大量の鳥が空に舞うことだろう。
その後、船に問題がなければ、船に大量の物資を積み込んでリザシュタット港へ帰還することになっている。
物資はすでに用意されており、港の一部を占拠している状態になっているらしい。
大量の物資を運び入れた荷運び人たちは、どのような思いだったのだろうか。
今回の航海は、船の試運転を兼ねている。
空荷と積み荷の両方で、船の性能がどう違うかを調べるのだ。
「そして次は実際に人を乗せるのですね」
「ええ、そうよ。移住希望者を乗せて、往復を繰り返すことになるわ。……そういえばタダシ」
「はい、なんでしょう」
「国名だけど……あれでいいの?」
建国に向けた具体的な時期に入ってきた。
そろそろ国名を決めた方がいいと、ルンベックは正司に伝えた。
「はい、みなさんが馴染んでいるようですし、いいと思います」
「そう……タダシがそう言うなら、それでいいわ」
新しい国の名は『ノイノーデン魔道国』と決まった。
「魔道士がつくった北の新しい国」という意味である。
これはミルドラルから派遣された者がこれまで呼んでいた「ノイノーデン」という言葉と、ラマ国が呼んでいた「魔道国」という言葉を合わせたものだったりする。
同時に正司は『魔道王』と呼ばれることになる。
今後、新しい国のことは、「ノイノーデン魔道国」もしくは単に「魔道国」と呼ばれることになる。
「本当はもう、建国の発表をしたいのだけど、なかなかうまくいかないものね」
「各国それぞれ事情があるのですから、仕方ないと思います」
「まあ……王国は荒れたしね」
リーザは苦笑いする。
ちなみに王国は、「荒れた」ではなく「荒れている」である。
現在進行形だ。
訝しむ国王に対して、最後まで語らなかった宰相。
そんな中、ルンベックの使者が王国に訪れたのである。
建国に際して、国王に話を通さねばならない。ゆえの措置であったが、これまでハブにされてきた国王の機嫌が良いわけではない。
だが、すぐに新国がもたらす恩恵に気付く。
敵対した場合、どのような不利益があるか、かなり正確に把握できてしまった。
国王は内心の感情を押し殺し、使者を労い、歓待した。
最大限の協力を約束し、使者を帰したあと、怒りの矛先は最初に話を受けながらずっと黙っていた宰相に向かった。
王を蔑ろにするとは何事かと、叱責した。
だが宰相にも言い分がある。
八老会がだまし討ちとも言える方法で、最悪の時期に戦争を仕掛けたため、話が来るのが最後になったのだ。
しかもミルドラル国民は、感情的なしこりを王国に抱いたままである。
これらの責任は誰にあるのか。
権力をほしいままにしてきた八老会ではないのか。
今回のこと――王ではなく宰相に話が来た意味を考えれば、偉そうなことはいえないのではないか。
以上のようにして、両者の仲は、これ以上ないほどまでにこじれてしまった。
そのため、国内上層部の意思統一が図れず、準備が遅れてしまったのである。
「王がリストの差し戻しを要求して、宰相が断ったんでしたっけ?」
「ええ、それで一触即発。新国で発生する富は、計算できないほど。ヘタをすると数年で八老会すら過去の遺物となる成功者が現れるかもしれない。ここは絶対に退けないと、危うく内乱になるところだったのよね」
新国にどれだけ進出できたかで、十年後の富が変わってくる。
「今は退けない」と考えるのも分からないでもない。
「そこへもってきて、「フィーネ公領の北壁」の噂が広がったのよね。時期としては最悪?」
ラクージュの町でも、未開地帯とフィーネ公領の間にできた大壁のことは、毎日噂されている。
同じように、王国でも北壁の噂は広がっていた。
未開地帯との国境に壁を作るなど、リストに名前を載せる、載せないで争っているレベルの話ではない。
土砂降りの雨の中でコップの水が多い、少ないと争っているようなものだ。
王国は一時期、思考停止状態に陥った。
ミルドラルとの戦争に勝ち、ラマ国へけしかけて帝国との陸路交易を確保する。
それが王国の悲願だった。何十年と下準備を続け、人も金も集めたのもすべてはこのため。
それを実現させるために八老会は、ときに金を湯水のように使ってきた。
長い目で見れば、それだけの利益が見込めるからだった。
北壁の話を聞いて、何もかもが虚しくなったのだ。
今まで自分たちは、何をやっていたのだと、男泣きに泣いた者も出たくらいである。
こうして国の上層部が機能停止し、新国発表がずれ込んだのは、一体だれのせいだろうか。
ちなみに北壁だけでなく、そこから高速道路も見えたりするので、未開地帯の奥に何かがあると、フィーネ公領の民たちの間では、様々な憶測が飛び交っていたりする。
「それでも近日中に発表するとルンベックさんは言っていました。いいんですかね」
「遅れすぎると、変な噂ばかりが先行するから、よくないのよね。だからだと思う」
各国が一斉に発表するのは変わらない。
発表の期日と内容も、各国が合わせることが決まった。
問い合わせも殺到すると予想されるので、その対策として問答集も作成してある。
「なんか建国って大変ですよね。一度で十分です」
「…………そうね」
既婚者が「結婚は一度で十分」というのをよく聞くが、いまの正司はそれと同じレベルで発言したように、リーザには聞こえた。
これからの流れだが、各国が「ノイノーデン魔道国」の誕生を発表する。
いま魔道国にいる者で、帰国せず、そのまま生活する者には、正式に『国民カード』が与えられる。
また、各国から選ばれた者たちの移住が開始されるのも、この頃である。
一般の民たちには、その時点でようやく移住受け入れの告知がなされる。
少しずつ締め切りをしながら移住を受け入れ、第三次移住者の募集が終了した時点で、国に属していない者たちを含めた、自由な移住が解禁される。
棄民たちは移動手段を持たないため、各国が援助することが約束されている。
建国宣言は、年明けの一日目に決まった。
新年の初日を建国日とするのは、正司の願掛けである。
新しい年の新しい日に、新しい国を建てる。そして新年と建国を一度に祝いたいのである。
「第一次移民は、どのくらいで一杯になるのかしらね。期日には余裕が……」
「タダシお兄ちゃ~~ん」
ミラベルが部屋に駆け込んできた。
「ミラベルさん、どうしたのですか?」
「わたしを連れて逃げて~~」
ミラベルはタダシを見つけると、ジャンプして抱きつこうとした。
――ガシィ
だが、リーザに阻まれてしまった。
「ふえっ!? お姉ちゃん?」
カエル飛びの状態で後ろから羽交い締めにされたミラベルは、そこではじめてリーザに気が付いた。
「そろそろ逃げ出す頃と思ったけど、予想通り……なのかしら?」
「はううっ」
底冷えのする声に、ミラベルが首をすくめる。
正司は首を傾げる。
「リーザさん、何かありました? ミラベルさんが怯えていますけど」
「この子のことは放っておいていいわよ。お母様から課題が与えられているのよ。この子の性格からして、我慢の限界がそろそろって思っていたわけ」
「だってヒドいんだよ! やってもやっても終わらないんだよ! 終わりが見えないの。ねえ、タダシお兄ちゃん、分かる? ゴールのない競争を続けている気がするの。だから逃げなきゃだめなの」
「随分と困っているようですけど、いま何をされているのですか?」
なるほど、憔悴したミラベルを見るのははじめてのことである。正司はリーザに問いかけた。
「賃料と税金の適正価の微修正ね」
「あー……それはすみません。私の発案ですよね」
魔道国は当分の間、土地の所有を個人に認めない方針にした。
富ある者の寡占を防ぐためである。
家、店、工場、畑、牧場など、ありとあらゆる不動産は、国から貸し出される。
人々はそれを借り受けて生活する。
これは、他の国にはない、独自の国家運営である。
正司がまとめた方針は、以下のようになる。
税金を支払う者を国民と呼び、『国民カード』を支給する。
税金は、金銭か労働で収める。
国民には様々な特典が与えられる。
そのひとつが「住居の提供」である。一定面積以下の家ならば、国民には無償で提供される。
一定面積を超えたものについては、追加の賃料を支払うことで、住むことが可能となる。
では、税金を払わない者、つまり国民カードを持たない者はどうなるのか。
国民カードを持たない者が家や畑、店などを「専有」する場合、国に年間使用料、つまり「賃料」を支払う義務を負う。
たとえば、ある家の賃料が金貨十枚だったとする。
国民一人の税金が年間金貨二枚であった場合、その家に五人の大人が住めば、支払う金額は税金と同じになる。
だったらその五人は、国民になってしまった方がいい。
逆にその家に十人が住めば、一人あたり金貨一枚で事足りる。
15歳以下の子供と60歳以上の大人は「半額税」でよく、様々な恩恵が受けられる国民になってしまった方が、なにかと便利である。
問題は、家の賃料をいくらに設定すればいいかである。
スタート前に適正賃料を様々な角度から検討しなければならない。
そのために正司はまず、詳細な町の地図を作らせた。
住宅街、郊外、工場地帯、職人街、農村部など大きく分け、その後、繁華街や中心部など、細かく色分けさせた。
次に家の広さ、立地など総合的に判断し、家の価値を算出させた。
家だけでなく、店や工場、ひいては畑に至るまで、同じように検討させている。
それらを一度まとめて、仮の賃料を設定した。
これで町の不動産の総額が出たのである。
同時にどのくらいの人が移住するか概算し、交易商人など、町に住まない人々を加味しつつ、最終的な収入額が出そろった。
そこからが本番である。
正司は、今まで出そろった各賃料を比較し、公平であるか検討の後、微調整させている。
だれもが不公平と感じないよう、最大限注意を払うことにしたのだ。
人の心はそういうものに敏感である。
正司が「できるだけ公平に」という努力目標を掲げたことで、賃料と税金の微調整は、終わりなき戦いに突入している。
ミラベルに任されたのは、その微調整の役割の一端。
同じ事をしている他の人たちは大勢いる。
データも続々あがってきている。
最終的に決まった価格を「適正価」と呼ぶことにし、最初は毎年「適正価」を算出し直そうと考えている。
この「適正価」を決定するための準備資料は膨大である。
これに携わる各人の感覚も、すり合わせなければならない。
書類に目を通しながら微調整するミラベルがキレかけたのは当然と言えた。
たしかにこれは、終わりなき戦いであるのだから。
ミラベルはまだ10歳である。
なぜ彼女はそんなことをしなければならないのか。
実はこれも正司が関係している。
「できるだけ男女均等にお願いします。それと十代から六十代まで、各世代の人を満遍なく入れてください」
最初に言った「だれもが公平に感じるように」という命題を満たすために選ばれた者もまた、「だれもが」に属するように振り分けたのである。
男女だけでなく、各世代における思考をも加味して、「できるだけ」公平たらんとしたのである。
最初、この正司の発案には欠陥があると、だれもが思った。
各国では、町や村で支払う税の額が違う。負担する金額が違っているのだ。
だが正司は、国民は等しく同じ税を支払うことを課し、オプションとしてより多くを所有する者がより多くの税(ここでは賃料)を支払うことになる。
それは逆に不公平になるのではないかと思ったのである。
だが、正司は言った。
「この国は、国民である限り、安全と住居はタダです。食品も消耗品も贅沢品もどこでも同じ値段で売られることでしょう。どこに住もうと、実はそれほど差がないのです」
正司に疑問を呈した者たちは、後頭部を殴られたような気がした。
たしかに安全と住居はタダである。町と町の移動ですら、危険はまったくない。
そして町の中心部より郊外の方がより広くゆったりと暮らせるようになっている。
一定面積以下という条件は、そういうことなのかと理解できたのだ。
そして少し広い家に住みたい場合は賃料を追加すればいい。
これはいまミラベルたちが一生懸命微調整をしている。
町の中心部と郊外でも、不公平と感じないため、日夜頭から湯気を出すほど考えているのである。
住居以外だと、店や工場、畑などがある。
これらを借りる場合は年間使用料、ここでも「賃料」と呼ぶが、それを支払わねばならない。
だれかに雇われて働く場合は関係ない。賃料は発生しないことになる。
その分、店や工場の賃料は、割高に設定される。
では移住者が少なく、借り手がいなかったらどうなるのか。
畑でも工場でも、国が運営していくことになる。
逆に移住者が増えて家や店が足らなくなった場合、どうなるのか。
正司が空いている土地に家や店を増設するか、新しい町を他に作るのである。
収入と支出のバランスさえ取れていれば、国家は際限なく発展していく。
それを理解して、多くの人があらためてこの国の恐ろしさを感じたのである。
このシステムでまったく問題ないかといえば、そうでもない。
少しでも国に支払うお金を節約しようとする者が出るのは自明の理である。
中間搾取の利ざやを正司は認めない。
一人で大量の土地や家を借りて、他人に貸す行為。いわゆる又貸しである。
又貸しは厳格に規制し、同様に使いもしない場所借りて放置した場合、罰則を科すとともに、翌年の更新を許可しない方針にした。
店の賃料を浮かすため、路上販売や自宅販売する者も出るだろう。
非正規の店が増えれば、正規の店が割を食う。
それゆえ正司は、短期販売をしたい人には市の場所を提供し、恒常的に自宅を店にする場合は自宅営業許可証を掲げさせ、賃料に特約をつけることにした。
このようなことまで考えて賃料や税金を設定せねばならず、いまはその微調整の時間である。
やりきるには、相当高度な知識と演算能力が必要となってくる。
ミュゼはミラベルを鍛え上げるため、あえてそのような部署に放り込んだのである。
「というわけで、頑張りなさい」
「ううっ……」
リーザの冷たい一言に、ミラベルは涙目になる。
「お父様もお母様も、ルノリーだって頑張っているんですもの、あなたもできることをしなさい」
「お……お……お、お姉ちゃんのぶぁかぁあ~!」
絶叫とともに、手足をジタバタさせるミラベル。
正司はそっとリーザの顔を見る。
リーザは静かに首を横に振り、「構うな」という姿勢を見せる。
リーザは暴れるミラベルを連れて、出て行った。
もとの部署に放り込むためである。
このとき、リーザもまた多忙を極めていた。
自身の勉強もさることながら、正司と一緒にいて、建国に向けた調整をしている。
リーザの仕事はそれだけではなかった。
実は、さきの戦争の後始末。
調査資料の作成も手がけていた。
これはオールトンも同様である。
戦争中におきたミルドラル国内の案件を涙目でまとめている。
反対にリーザは、王国の情報をまとめている。
資料自体は部下が調べて持ってきたものだが、その中で残すべき情報を取捨選択し、報告書として完成させねばならないのだ。
たとえば、王国は傭兵を戦争に使うため、しかも二面作戦を敢行するために、地方にいた傭兵団を呼び寄せている。
そのことで田舎の町や村、街道を守るべき者たちが減り、魔物の被害が増えていた。
このような被害状況をまとめるのも、大事な仕事である。
都市部と郊外で、どの程度経済が落ち込んだのか、生産力が落ちたことで流通はどう変わったかなど、とにかくまとめる内容は多い。
戦争資料は、軍が動いた、戦った、和平が成っただけではない。
戦争による様々な弊害、及ぼした影響を調べ、簡潔に分かりやすくまとめておくことが求められている。
次に戦争がおきそうなとき、その資料を引っ張りだして、方針を固めるのである。
そのとき、自国や自領のことだけ調べても意味がないのだ。
「ただいま」
リーザが戻ってきた。
ミラベルを部屋に放り込んできたらしい。
「ミラベルさんにも迷惑をかけていますね」
「あの子は、面倒な処理にキレただけだからいいのよ。いずれは通る道なのだし、安易な所へ逃げるクセは早いうちに矯正させないと」
トエルザード家は、この期に及んで「面倒なことはヤダ」で通るような人材はお呼びでない。
いまは建国直前。この時期にしかできないことが一杯あるのだ。
家臣一同、それを理解して邁進している。
トエルザードの名を持つ者が「面倒だからもうやらない」と逃げたらどうなるのか。
ちなみにルノリーもいま、領主の勉強と同時にルンベックの補佐をしている。
オールトンですら働いている。
もっともオールトンは、あと一回逃げたら足首に鎖をつけると脅されてだが。
「でもね、タダシ。今はまだ準備段階なの。移民が始まったら、忙しさはこの比じゃないわよ」
「そうですね。だからでしょうか。みなさんには、今のうちに休んでほしい気もしています。ミラベルさんやルノリーさんだけでなく、リーザさんもですよ」
「私は大丈夫よ。それにどうやら私、こういうのにやりがいを感じるタイプだったみたい」
「私は逆に逃げたくなるのですけどね」
「大丈夫よ。そのときは私が、ちゃんと捕まえておいてあげるから」
リーザは繊手を伸ばして、正司の腕をとった。
実際、正司にしかできないことが多いのだから、逃げるわけにはいかなかった。
ある日、大陸の西側で、こんな発表があった。
各町に立て札が設置されたのである。
「未開地帯の奥地に、『ノイノーデン魔道国』という国が誕生した」から始まる一文である。
各国が一斉に発表したそれは、瞬く間に多くの人の関心を集めた。
発表された内容を要約すると、以下のようになる。
国名は『ノイノーデン魔道国』で、建国王はなんとタダシという名の魔道士である。
魔道王は、先の戦争で多くの魔法を披露した者と同一人物である。
自国は『ノイノーデン魔道国』を支持し、友好関係を結ぶ。
今後、人員や経済など様々な交流を通して、ともに発展していく関係を構築していく。
詳細は後日、この場で発表するというものである。
これに驚いたのはだれも同じ。「そういえば最近国の中枢が慌ただしかったな」と思いを巡らす者もいた。
衝撃的な発表から二日後、立て札の内容が更新された。
長々と書かれている文章を要約すれば、たったひとつのことが浮かび上がる。
この国から『ノイノーデン魔道国』への移住を希望する者は、続報を待てというものだった。
これはどういうことか?
実はこのとき、各国から推薦された者がすでに魔道国へ移住を開始していたのである。
本格的な移住を前にして、試験的な意味合いもあった。
巷間で「移住とはどんなものなのだ」と騒いでいる中、密やかに人が減っていったのである。
移住発表から五日後、再び立て札の内容が更新された。待ちに待った続報である。
今回は、移住に関する詳しい方法が記されていた。
魔道国への移住は、所属する国から『移民許可証』さえ発行してもらえれば、だれでも可能だという。
ただし人数制限はある。今回不許可でも、第二、第三の募集があるので、そのとき応募も可能であると記されていた。
移民許可証の発行手順は簡単で、自分の住む町で申請し、「仮許可証」を発行してもらう。
それを持って首都へ赴き、「本許可証」に交換してもらえば完了である。
人々は早速、申請書を提出した。
提出した者のほとんどが、長男長女以外だった。
商家に生まれてもあとを継げない、農村にいても食い扶持を稼ぐのがやっと。
そんな者たちが一縷の望みをかけて申し込んだのである。
本許可証を持った者には、バイラル港、アーロンス港、ルーベンの町のいずれかへ赴くことが告げられた。
ルーベンの町は、フィーネ公領から魔道国へ一番近い町の名である。
この時点で、彼らは移住先がどういった場所なのか、知らされていない。
期待半分、不安半分で各自は最寄りの町へ向かったのである。
こうして移住が開始された。
○
バイダル公家の屋敷。
書類をテーブルに置いたバイダル公コルドラードが、大きく息を吸った。
ゆっくりと両腕を頭上に伸ばし、椅子を利用して身体を後ろに反らす。
「ふー、やれやれじゃわい」
肩をコキコキと鳴らしてから、ヌルくなった茶をすすった。
「おかわりしますか、お祖父様」
「うむ、もらおうか」
「はい、いまお持ちしますわ」
それまでずっと控えていたファファニアは、コルドラードの杯に茶を注ぐ。
「今頃トエルザード公も忙しくしておるのじゃろうな」
移民がはじまり、コルドラードのもとへあがってくる報告がやたらと増えた。
領の運営もあるのだから、忙しさは倍。
新しい国へ人材を派遣したばかりであるため、今はとにかくもう人も時間も足りない。
でき上がった書類にサインをし、ベルを鳴らす。
隣室から使用人がやってきて、書類を受け取ってから去って行く。
「すまんの、待たせたかな」
「いえ、大変なのは理解しておりますから」
「仕事の大半は息子に任せたのじゃがな。魔道国の報告はいまだにわしであるし、中々思うようにはいかん。忙しくて敵わんよ」
「うふふ……とても元気そうに見えますわ」
「そりゃ、領の運営を息子に丸投げできたからな」
最初コルドラードは、当主を辞めて、隠居しようと考えた。
魔道国に集中するためである。
だが、領の運営に肩書きはあまり必要なく、魔道国への関わりの方がよりバイダル公の肩書きが必要と説得されて、現在に至る。
たしかにバイダル公として表に出て行った方が、便利であることは否めないのだが。
ちなみになぜ、ファファニアがここにいるのか。
少し前、ファファニアは実家に帰るため、しばらくの間、博物館を休んでいる。
それを聞いた正司は、ファファニアに幾本かの巻物を手渡した。
そのため、こうして報告しに戻る機会が増えたのである。
「第一次移民は、もう少し増やせなかったのですか、お祖父様」
「何がおこるか分からんからな。それに各国で不公平があってもいかん」
第一次移民の上限は、各国人口の0.1パーセントまでと決められた。
これが意外に少ない。
「王国はそれを守るでしょうか」
「守るだろう。外されたくないはずじゃ」
魔道国に地盤をつくり、影響力を少しでも多くするためには、自国民をたくさん送り込むしか方法がない。
だが、募集方法と人数の上限は、各国で共通。
「立て札で告知して、希望者を募ったのは、どうしてですか?」
「為政者が選ぶのではなく、自由意志を尊重したわけじゃ。つまり、息のかかった者ばかりにしないためがひとつだな」
「はい、それは分かります」
「もうひとつは、どのくらい人気があるのか、興味を持った者がどのくらいいるのかを早い内に知りたかったのだと思う」
実際、反響は大きかった。
未開地帯へ行くなど正気の沙汰ではないと考える者が多いはずだが、希望者で定員がすぐに埋まってしまった。
それだけ食い詰めた者が多いのだ。
いまどの国でも、国内に余剰の人員を抱えている。
国が抱えられる最大を100パーセントと仮定すれば、各国とも110パーセント近くの人が住んでいる。
この余った10パーセント近くの人は、なんとか「しがみついている」状況なのだ。
今回、人口の0.1パーセントが移住者として減ることになる。
それでもまだ、人余りは残ったままだ。
「それで、アレはどうなった? そのために来たのじゃろう?」
コルドラードが話を振った。
「お祖父様の代役の件……ですわね」
「うむ。孫娘に任せねばならんと思うと、居たたまれん気持ちだわ」
「そんなことありませんですわ。それで結果ですけど……タダシ様にお話して、許可をいただきました」
「そうかっ!」
コルドラードの声が跳ね上がる。
〈瞬間移動〉の巻物を使ってまでファファニアがここへきた理由。それは……。
「バイダル公領の北……ラマ国にも近い側にもうひとつ、町をつくることになると思います。時期については確約できませんが、タダシ様も次の候補地を検討しようとしていたところでした」
現在、フィーネ公領の町とミラシュタットの町は高速道路で直通されている。
リザシュタットの港町とトエルザード家所有のバイラル港は、船で行き来できる。
王国も二つの港を抱えていることを考えれば、バイダル公領に近い位置に『新しい町』が欲しかったのである。
だがコルドラードがそれを言い出せば、国と国の話になる。
国家の体面や貸し借りの面でいろいろと煩わしい。
そこであまり褒められたことではないが、ファファニアが「雑談を装って」提案してみたのである。
「バイダル公領とラマ国だけ、魔道国へのアクセスが遠いですね」とさりげなく伝え、正司の反応を伺った。
これはただの雑談である。
だが、バイダル公領の未来を大きく……本当に大きく変える雑談である。
それに対して正司は、「そういえばそうですね。でしたら次は、両方に近いところにしましょう」と言った。
「でかしたぞ!」
「ありがとうございます、お祖父様。あのときは久し振りに緊張で、喉がカラカラになりました」
ファファニアは笑った。
「わしもついさっきまではそうじゃったぞ。いや、本当によかった」
そう言ってコルドラードは、とてもうまそうに茶を飲んだ。