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100 語り部

 語り部との面会の時間がやってきた。

 ルンベックの前に現れたのは、簡素なローブに身を包んだ、うら若き乙女だった。


「はじめまして、一族のおさを務めます、ツァーリアと申します」

 髪は肩まで伸ばした黒色。化粧っ気はまったくない。女性はルンベックの前までくると、深々と頭を下げた。


「ルンベックだ。トエルザード家の当主をやっている。長老から話は聞いているかな」


「はい。一族のことやこれまでのことなど、一通りのことを聞いてきました」

「それは良かった。新しい長の誕生を私は歓迎するよ」


「ありがとうございます。まだ日常の生活に馴染めていません。言葉も変なときがあるかもしれません。そのときはご容赦ください」


「十分だよ、私が見る限りまったく問題ない」

「それを聞いて安心しました」


 ツァーリアがホッとした表情を浮かべる。

 やや杓子定規な受け答えをしている所もあるが、それがツァーリアの言う「馴染めていない」ということなのだろう。


「語り部の特殊性は、私も知っている。幼少時の記憶の方がまだ鮮明だとか」


「はい。言葉が頭の中に『入って』きます。10歳を迎えるころには、一日の半分も記憶できません」


 これは語り部の一族が背負うべき宿命。


 魔法とも呪いとも言われるそれは、語り部の一族なら、だれもが経験すること。

 彼らは、頭に情報を直接「書き込み」される。


 その間、脳のすべての処理が「書き込み」に費やされ、外界からの情報がまったく入ってこない。

「書き込み」される間、他の人からはまるで廃人のように見える。


 長じて、「書き込み」が終わったとしても、彼らは解放されない。

 あまりに多くの情報を頭に書き込まれたことにより、脳がオーバーフローをおこしてしまう。


 そうすると一日の多くの時間、彼らはオーバーフローする情報を整理するのに費やされる。

 語り部が真っ当な日常生活を送れないと言われるのは、そのためである。


 ルンベックはもとより、歴代トエルザード家の当主たちは、そのような状態の語り部をずっと保護してきた。


 昔は語り部も「一族」を名乗れるくらい数が多かった。

 ツァーリアのようにすべての「書き込み」が終わっても、平静を保てる者は何人もいた。


 だがそれも今は昔。

 ほとんどの語り部は、一日の半分以上の時間を夢うつつに過ごす。


 ツァーリアや長老のような者は稀になってしまったのだ。


「キミたちが帝国から逃げてきて、もう二百年は経っている。一族の数もかなり減っていると聞いている。生活する上で、なにか不自由はないかな」


「トエルザード家の援助があります。いまの数でしたら大丈夫です。十分生活してゆけます」


 語り部の一族が生活できるよう、税金を免除したり、住居を提供したりしている。

 それでも語り部の数は増えない。一度減ってしまった一族を再び隆盛させるのは大変である。


 また、周囲の目もある。

 長く接していれば、一族が通常とは少し違う人たちであることも分かってしまう。

 それを知っても尚、受け入れてくれる人たちばかりではない。


「できる限りの援助はしようと思っている。遠慮なく言ってほしい。……それと今日、キミに会わせたい人物がいる」


「世界の神秘ですね」

「おそらくね。知っていたのかい?」


「世界の神秘がいるかもしれないと、長老から聞きました」

「そうか。だったら話は早い。いま呼ぶから会ってみてくれ」


 ルンベックは正司を呼ぶ。隣室に控えていた正司がやってくる。


「紹介しよう。彼がタダシくんだ。そしてこちらが語り部の長であるツァーリアだ」

「はじめまして、タダシと申します」


「ツァーリアです。タダシさん……」

「はい」


「シテ貢 X姫 サP t0・t」

「えっ?」


「訊ノ$畿激 丘班1ロ 唆&」

「えっと……」


「わたしは$鵜娠 右翠ニです。1タ鶯鏖ネでしたらPQ 陝ネ 錻ノ話せます。これはエルダリア語です」


 ツァーリアが話しかけてくるが、意味が分からない。どうしようかと困った正司は、ふと思い立って、メニューからスキル欄を開いた。


(えっとスキル欄の【言語】にエルダリア語というのはあるでしょうか)

 スキル欄を上から眺めていく。


(あっ、ありました!)


 スキル欄には、たしかに〈エルダリア語〉というのがある。

 無段階であるため貢献値は2で取得できる。


(このまま会話が成り立たないのは困りますし、思い切って取得してみますか)

 最近正司は、クエストをいくつかクリアしているため、貢献値に余裕がある。


 正司はエルダリア語を取得した。


「E4拮ハ*Z.wォキ紋撚\椹綛」

「&I偰ci粧h唔7{u゜qo$H8ワ霏~dbアNメ覓」


 ツァーリアの話している言葉が分かったので、返事をしてみる。


「钁ツ・:嬉彷サナァ」

「蒴絈挨ZTス番ヤTッk鞏RャqァワPソ」


「タダシくん……? もしかして会話できるのかい?」

「はい、大丈夫みたいです」


 正司が答えると、ルンベックの目が大きく開かれた。


「それはまた……どういうことだい? 語り部の言語は解明されていない……もしかしてタダシくんも同じ一族なのかい?」


 それにはツァーリアも首を横に振った。

「それは違います。わたしたちの一族は、誰ひとりとして、エルダリア語を理解できません。頭に「書き込み」されただけで、互いに会話はできないのです」


 語り部はエルダリア語を言語として認識できるわけではない。

 もしそうならば、言葉を文字におこすか、辞書を作成して、他の者へ広めることができる。


 だがそれはできない。

 語り部たちが頭に書き込まれるのは、自分たちでさえ分からない言葉なのだ。

 だからこそ、魔法もしくは呪いと呼ばれる。


「だけどいま、二人で会話をしていなかったか?」


「わたしは反応しているだけです。エルダリア語を知っている人に反応して、話しているようです」


 その説明を聞いて、ルンベックは驚愕する。

 語り部の言葉は、文字にすらおこせない言語だ。


 それが正司と会話している。いや、会話というのはどうだろうか。

 ツァーリアの方は、自分で意識して言葉を選んでいるわけではないらしい。


 一方、正司もまた驚愕していた。スキルで言語を取得したため、エルダリア語を話せるようになった。

 それはいい。いつものことである。ただ、その内容が普通ではなかった。


(これは圧縮されていますね……それを無理矢理テキストファイルで開いたような)


 会話している感覚はあるものの、言語としては正司も認識できない。

 意味は分かるが、それはあまりに特殊すぎた。


 そしてツァーリアの言葉がたしかならば、ツァーリア自身も自分の話している言葉が理解できていないらしい。


 この場でエルダリア語が理解できているのは、正司だけということになる。

 それはなんとも奇妙な会話であろうか。


 スキルの効果で、奇妙奇天烈な音が翻訳されて聞こえる。

 正司の問いに、ツァーリアが返してくれるのも分かった。


 混乱するものの、状況は理解できた。

 正司はあえて、ツァーリアを人工知能のAIと考えることにした。


(それより先ほど、ツァーリアさんは、大事なことを話していました)


 正司は最初の会話を思い出す。

 この正司しか理解できない言語は、頭の中でこのように翻訳されていた。


「私の言っている言葉が分かりますか?」

「適切に処理されています」

 これが最初の問いかけに対する答え。


「では、会話は可能ですね」

「会話は可能です。これにより対象を『世界の神秘』と認識しました」


 世界の神秘という言葉は、正司も何度か聞いた。


 人々の生活に大きな変革をもたらした者のことを言うらしい。

 ルンベックは、正司がその世界の神秘なのではないかとも言っていた。


「私が世界の神秘なのですか」

「そうです。世界の神秘は、世界のあるべき姿を取り戻す存在です」


「あるべき姿とはなんですか?」

「調和のとれた世界のことです」


 これらの会話は、エルダリア語で行われた。

 ゆえに、ツァーリアも理解していない。正司の言葉を受けて、適切な回答を返しているだけだ。


(私しか理解できない言葉のようですし、戸惑っていても始まりませんね。ここはひとつ、疑問に思っていたことをすべて問いかけてみましょう)


 語り部がいつ頃どこで生まれたか、定かではない。

 ただ、帝国のとある地方に住んでいた者たちが、語り部になったことだけはたしかなようだ。


 これは語り部に限らない。

 古くから特定の地方に特定の魔法が発露することはあったらしい。


(砂漠の民が使う密議みつぎ魔法も、血筋によって継承されると聞きました。このように一般化されない魔法が多くあったのでしょう)


 子々孫々、血族に受け継がれた魔法もあれば、途絶えた魔法もあっただろう。

 語り部が受け継いできたそれは、一般の人が知り得ない知識という魔法なのかもしれない。


 正司が質問し、ツァーリアが答えている。

 それは以下のような内容だった。



 この世界に循環している『もの』。仮にそれを「魔素まそ」と呼ぶ。


 魔素は大気や水と同じく、この世界にはなくてはならないもの。

 人の身体でいうならば、酸素、水分、血液、リンパ液と同じである。


 それらが身体を循環していなければ、人は死んでしまう。

 魔素も同じ。正しく循環してこそ、世界が世界であり続けられる。


 魔物の身体は魔素でできており、死ぬと魔素に分解され世界を巡る。

 巡った魔素は、またどこかで魔物として生まれる。


 それがこの世界の摂理。

 循環する魔素は、この世界を形成するなくてはならないもの。


「魔物は魔素でできている……だから魔物が死ぬと、身体が消えるのですね」

 正司は理解した。


 ところが、それがうまく働かないときがある。

 人の身体でたとえると、臓器不全のようなものだ。


 臓器不全をおこせば、人は死ぬ。

 ではこの世界はどうだろうか。


 その昔、この大陸の西側には、人が住んでいなかった。

 大陸の西側では、魔素が魔物として生まれてもそのまま。


 魔素に分解されず、世界を巡ることがない。

 人でいう、臓器不全と同じだ。


 大陸の南と北には広大な未開地帯が広がっている。

 また中央は、高い山で分断されている。


 そのため人は、大陸の東側から西へ出られずにいた。


 人が大陸の西に行くのは不可能。

 だが、このままでは魔素が凝り固まったままである。


 そこに現れたのが「導く者」であった。

 導く者は、超常の力で人々を大陸の西へと誘った。


 北の未開地帯を抜けて、または南の凶獣の森を抜けて、人々は大陸の西へと居住の地を増やした。

 西の魔物は魔素に分解され、世界を巡っていく。


 大陸の西に住み着いた人々はやがて増え、国家を形成する。

 もしくは集落をつくり、昔ながらの生活を送る。


 それがいまの王国やラマ国、ミルドラル、そして砂漠の民である。


 導く者は世界の神秘と呼ばれ、人々の象徴となった。


 人が増えれば、争いも増す。

 人々はいつしか人同士で争うようになり、魔素の巡回がまたもや滞ってしまった。


 増えた人に応じて、循環する魔素も増えなければならない。

 魔素と人は表裏一体。どちらかが偏っても駄目である。


 魔素が停滞したことで、南の地でG5を越えた魔物が出現した。

 のちに凶獣と呼ばれる存在である。


 凶獣を既存のグレードに当てはめるとG6。およそ人が倒せる強さではない。

 凶獣が暴れれば人は死に、村や町は滅ぶ。


 凶獣は倒されない限り、ずっと暴れ続ける。

 このままでは人の数が減り、魔素はよけい滞ってしまう。


 それを打破するために現れたのが、「倒す者」である。

 倒す者は、超常の力でもって凶獣を倒し、再び人を繁栄させ、魔素を巡回させる役目を担った。


 この倒す者もまた、世界の神秘である。


 このようにして世界に魔素が溜まり、魔素の巡回が滞るといずこからか、世界の神秘が現れた。


「では、私を世界の神秘と呼ぶのは……」


 そしていま、世界は停滞していた。

 人が増え、開発できるところは開発し尽くした。


 増えるだけ増えた人は、村や町から溢れた。

 人の世界がそうなっても尚、魔素の巡回は滞りはじめた。


 人が増えても魔素の循環が増えないのだ。

 世界はまた、超常の者を生み出さねばならなくなった。


 だが、人の枠組みを超える超常の者は、いまの世界の中からでは、生み出せない。


 今回は今までと違う。

 あるべき世界の姿を受け入れる者では、変革はなし得ないのだ。


 いま世界が必要としているのは「切り開く者」。

 世界の神秘たる超常の力を持ち、現状を打破……どころか、破壊すべき思考の持ち主。


 目の前に困難が立ち塞がろうとも、それを切り開くことができる者。

 そんな思考を持った者が、世界の神秘たる資格を持つ。


 これは、世界の枠組みの外から連れてくるしかない。

 そうして選ばれた切り開く者が正司である。


「ではあの日、タンスの中がこの世界と繋がったのは、偶然ではないのですね」


 魔素を循環させ、世界をあるべき姿に戻すために選ばれたのが正司。

 正司がなぜ選ばれたのか。


 それは正司の性格、行動、そして思いやりの心が大いに関係していた。


 切り開く者を呼び寄せるにあたり、この世界にもっともすばやく馴染めるように、正司には能力が付加された。


 それが『メニュー』であった。


 メニューは、正司が熟知しているゲームに似せてつくられ、この世界と融和する。

 それがもっとも理解しやすく、違和感なく受け入れられる。


 正司に付加された能力はそれだけではない。

 この世界にとって必要なもの、人を補助し、助ける役割を同時に与えた。


 それがクエストであり、貢献値である。

 クエストは世界に貢献するものや人を助け、同時に正司の心の成長を促すものであった。


 そして正司の能力。

 これは正司が日本で行ってきた善行が関係している。


 その数、実に121。

 これは物心ついてから30歳の誕生日を迎えるまでに行った善行の数。


 正司が困っている人のために行動し、感謝された数に等しい。


 平均すると二カ月に一度。これは驚嘆すべき値である。

 それは正司が人のために全力を尽くすことにも現れている。


 世界の神秘に求められていたのは、まさにその「性根しょうね」であった。

 過去の世界の神秘もまた、時代に合った性根の持ち主である。


 正司の場合は、他の世界の神秘とは少し違う。

 弱者を見捨てない心と全力で救う意志。


 この世界の人は多かれ少なかれ、「しかたない」と弱者を切り捨てる。


 そうしないと社会が回らないことを本能的に知っているからである。

 日本に生まれた人ならばだれでも、「平等」の意味と、この世界の現実の間で悩むことだろう。


 だがそれでも、正司ほど真剣に救済しようとは思わないし、実行しない。

 正司は世界の神秘として選ばれたから、そのような行動をしているのではない。


 たとえ正司が無力な存在だったとしても、同じ事をしただろう。

 だからこそ正司は、世界の神秘に選ばれたのである。


「切り開く者が力を十全に発揮しない限り、世界はこのままです」

「このままだとどうなりますか?」


「第二、第三の凶獣が生まれるかもしれませんし、他の災害が起こるかもしれません。さらに放っておけば、この世界は循環をやめ、ゆるやかな死へと向かってゆくでしょう」


 それは世界の死。


「私が選ばれた理由は分かりました。この世界がおかれている現状も……それで私は、元の世界に――日本に帰れるのですか?」


「切り開く者の超常の力を持ってしても、世界に与える影響は多くありません」

 つまり正司がいくら頑張っても、世界規模で考えれば、効果は限定的。


 正司をこの世界に呼び寄せた者の意志としては、まだまだ足らない?


(帰れるアテはない、もしくは限りなく低いということでしょうか)


 明確に否定はされなかったが、似たようなものらしい。

 正司はガッカリするも、すでにこの世界に愛着を持っている。


 日本に戻ったら、もう二度とこの世界に来られないと分かった場合、帰還を躊躇ためらううほどに。


 そのくらい正司は、この世界に多くのしがらみを得た。

 だから一度、脇におく。


「私は切り開く者――世界の神秘として、何をすればいいのですか?」


 北の地を切り開き、人々を誘い、魔物を狩り、人を増やせばいい。

 北の未開地帯は、いまだ魔素が巡回していない。


 その地を開拓することが、必要であるらしい。

 それはいま、正司がやっていることだ。


 いまの作業を引き続ければいいと言われて、正司は安堵した。

 また、正司の行動が、世界の神秘の行動と合致していることも確認できた。


(私がそうすると分かった上で選ばれたみたいですし、遅かれ早かれ、同じ結論に至ったのでしょう)


 ここまでの話は概ね理解できた。

 だがひとつだけ分からないことがある。


 それはなぜ、いまの話を皆に広めないかだ。


 魔素が循環しないならば、させてあげればいい。

 魔物を倒して、魔素を循環させることが世界を救うのならば、全人類に知らせ、それに向かって協力すればいいのではなかろうか。


 そうすればわざわざ語り部を使い、こんな面倒な方法で会話しなくても済むし、世界が危機に陥ることもない。


 ――魔素を循環させる


 これを人類に周知徹底させれば、問題はすべて解決するのではなかろうか。


「世界をあるべき姿に戻すのが世界の神秘と世界のことわりです。両者はついとなります」


「対……つまりどちらかに傾けば、それを戻そうとするのですか?」

「その通りです」


 その力の働きはまさに天秤。

 左に傾けば世界の神秘が現れ、それを戻す。


 では右に傾けば?

 世界の理が現れ、逆方向に戻すのだろう。


 魔素の循環が想定より早く、もしくは多くなったとしよう。

 そのとき人々が魔素を循環させないよう、超常の力を持った「なにか」が現れることになる。


(それは天変地異かもしれませんね)


 異世界から正司を呼び寄せるくらいだ。

 大陸の一部を沈没させることだってありえる。


 世界の神秘と世界の理。

 この相反する力が定められている以上、これは試すべきではない気がする。


 語り部を通してのみ今の言葉が伝えられるのは、意味があったようだ。

 あやうく世界を巻き込んで、取り返しのつかない試みをするところだった。


「だいたいのことは理解できました。ありがとうございます」


 これまでの話はすべて、正司にしか分からない言葉が使われていた。

 つまり、正司が黙っていれば、会話の中身が漏れることはない。


「終わったのかね?」

 ルンベックの言葉に正司は頷く。


「はい。私が聞きたいことは、ほぼ聞けたと思います。やるべきことも見えました」

「タダシくんは世界の神秘でいいのかな」


 問いかけの形を取っているが、確認であった。

 ルンベックはもはや、疑ってないようである。


「そうみたいです。私は世界の神秘の……『切り開く者』と言われました」

 切り開く者の役割は、北の未開地帯を人の住める場所にする。


 偶然か、必然か。

 正司は同じ事を考え、実行していた。


「切り開く者か……希望の持てるよい響きだ」

 未開地帯に人が住めば、そこからは、人の役割。


 適度な魔素の循環がおこり、世界のバランスは保たれる。

 だが、長年循環が滞っていたこともある。しばらくは積極的に魔素を循環させなければならないだろう。


(十年か二十年……もしくは私の一生を使っても足らないかもしれませんね)

 どれだけ天秤が傾いているのかは分からない。


 それでも言えることは、このことを後世に残し、世界の人々が率先して魔素を循環させようとすればおそらく、逆側に天秤が傾くのだろう。


「私が聞いた内容は、他の人に告げない方がいいようです。ツァーリアさんの話す言語が一般の人に理解できないようになっていたのには、意味がありました。語られた内容は、大切に秘匿されるべきことのようです」


 話を聞いた正司がそう言うのならば、聞き出さない方がいい。

 ルンベックはそう判断した。


「分かった、そういうことならば、深くは聞かないよ。物事がそうなっているのには、たいていの場合、意味があるからね」


「ありがとうございます。助かります」


「ただもし答えられるのならば、聞かせてほしいことがある。我が家は代々、語り部の言葉をずっと研究してきた。だが極々わずかな単語を除いて、一切、意味不明だったのだけどね。あれは……あの言葉は一体、何なのかな」


「そうですね……何と言えばいいかわかりませんが、一種の暗号になっています。百の長さの言葉を十や五に縮めている感じです。縮め方には規則性がありますが、普通は分かりません。まれに意味のある単語がでてくるのは、そのせいだと思います」


 ソフトウェアを無理矢理テキストエディタで開くのに似ている。

 最初から最後まで意味不明な羅列が並ぶが、その中に読めるものが交じることがある。


 トエルザード家は、長い年月をかけ、注意深く語り部の言葉を拾い上げ、それを見つけたのだろう。


「そうか。納得できるようなできないような……結局のところ、語り部の言葉を真に理解するのは不可能そうだね」


 あれは訳せるものではないらしい。そしてそれは、知らない方がよい内容。

 ルンベックとしては、解読作業を続けるか悩みどころであろう。


 今日の出会いは、正司に大きな意味をもたらした。

 正司がこの世界に来た理由が明らかになった。そして成すべき事も分かった。


 だがそれは一般には言えない。話してはならないことだろう。


「秘密は秘密のままでおく。それでいいのかもしれないね」

 最後にルンベックは、そう締めくくった。


          ○


 エルヴァル王国の王都クリパニアに、夜のとばりが降りた。

 宰相ウルダールは、本日の職務をすべて終え、王宮内にある自室へ向かった。


 国の要職に就いている者は、王宮内に自室が与えられている。

 ちなみに国王はもちろん、王宮に住んでいる。


 王宮は眠らない。

 いつ何時、急使が駆け込んでくるか分からないからだ。


 それにすばやく対応するため、とくに宰相であるウルダールは、王宮内に留まることが望まれている。


 ウルダールは、久方ぶりに棚から酒瓶を取り出した。

 最近、胃痛が酷かったが、たまには飲みたい日もある。


「おじゃまします」

 不意に声が聞こえた。酒瓶を抱えた状態で、ウルダールは振り向いた。


「なんじゃ、お主か。どうしたこんな時間に」

 ウルダールの部屋にやってきたのは、経済省長官のルクエスタ。


「いいものを持っていますね」

「…………」


「ちょうど喉が渇いていたところなのですけど」

「…………」


 ウルダールは難しい顔のまま、黙って杯を二つ取り出す。

 70歳のウルダールと60歳のルクエスタ。


 ともに老齢と呼ばれる歳だが、上下関係は健在である。

 ルクエスタはいまだウルダールに頭が上がらないのだ。


 逆にウルダールは、そうそう吝嗇りんしょくなところを見せられない。


「おっ、これは帝国産の年代物ですね」

「とっておきだったのじゃがな」


「それはいいときにきました」

「…………」


 二人して杯を空にし、二杯目をついだところでウルダールが尋ねた。

「それで今日は、何のようじゃ?」


 ルクエスタも未開地帯のことは知っている。

 秘密を共有する仲間である。


 人目を忍んでルクエスタがやってくるなど、未開地帯関連以外にない。


「帰ろうかと思いましたが、王宮内でロルマール殿の姿を見かけたので、耳に入れておこうと思いまして」


「ハルマン商会のロルマール殿が? ……なるほど、陛下が動いたか」

 ルクエスタが頷く。


 本日、一般の人からみれば、取るに足らない謁見が行われた。

 国王ランガスタが、帝国から戻ってきた船乗りから、話を聞いたのである。


 だがこれば、一部の者たちからすれば、とても重要なものであった。

 船乗りが話したのは、北の地で見つけた港町について。


 当初船乗りは、アーロンス港に着くやいなや、「国家に関わる重大事件」として、自分たちが発見した港町のことを告げた。


 そのときの報告はウルダールも読んで知っている。

 港町だけでなく、何十隻となる巨大船の報告がそこに書かれていた。


 国家の重大事を現場の兵士の判断で握り潰すことはできない。

 報告は王都まで届けられ、追って船員も王都に向かうことになった。


「ハルマン商会はフォングラード商会と敵対しているものの、その実、上では繋がっていると聞いておる」

「商会の動きからすると、事実でしょうな」


「ロルマール殿が王宮に来たとなると、目的は今日の謁見か」

「話を聞いた王が呼び寄せたのでしょう。これで二つのことが分かりました」

 ルクエスタの言葉にウルダールが頷く。


「一つは、船員の話を王が信じたことじゃな」

「はい。港町の話は二度目ですから、これはもう信じるしかないでしょう」


「もう一つは、相談する相手に私らを選ばなかったことか」


「そうです。私らが隠し事をしていることは、王もご存じのはず。今日の謁見でおよその事は理解したでしょう。ゆえに私らに話は来なかった」


 未開地帯の北に港町ができたならば、それに関わったのは、ミルドラルか帝国しかない。

 もし帝国ならば、もっと東寄りにつくる。


 消去法で、港町をつくったのはミルドラルということになる。

 そこまで考えると、先の戦争のことがすぐに思い浮かぶ。


 あの戦争では、侵攻した王国兵は、魔道士一人に負けたようなものだった。

 王国の威信をかけた戦いが、たった一人に負けたのだ。


 王国にこれ以上ないほどのインパクトを与えた。

 もし新しい港町ができたならば、あの魔道士が関わっていないはずがない。


「陛下もそこまでは予想するであろうな」

「聡い方です。間違いなく予想するでしょう」


 ゆえにハルマン商会のロルマールを王宮に呼び寄せた。

 今頃、王の自室で二人は密談しているに違いない。


「ミルドラルから連絡は?」

 ウルダールの言葉に、ルクエスタは首を横に振る。


 国王に不審がられたウルダールは、ミルドラルとの交渉をルクエスタに一任していたのである。


「今のところ何も。ただ、政治経済を牛耳る八老会の影響力を無くしたのは変わらないでしょう」

「本音では、政治を経済から分離させたいのであろうな」


 ルンベックは、「王国とは、健全な取引をしたい」と言った。

 政治経済のトップに八老会がいるのは、健全ではないと思っているようだ。


 国王が変わるたびに国政が大きく変わり、周辺国との関係もかなり変化する。

 そういった国とは、付き合いにくいのだろう。


「そういえばトエルザード家はなりふり構わず、船員の増強をしております。ご存じですか」

「最近、ようやく知ったといった感じじゃな」


 ウルダールも独自の情報網を持つが、各町に支店を出している八老会には到底敵わない。

 また、各商会と太い繋がりを持つ経済省長官と比較しても大分落ちる。


 今の時点で、ウルダールが知っていること自体、優秀な証である。


「当然、王も知っているでしょう。そして今回の船員の話。両者はすぐに結びつくと思います」

「うむ……そこで陛下がどう判断を下すかか」


 静観してくれればいい。

 いま、王国が貧乏くじを引かないよう、胃が痛くなる思いをしてまで根回ししているのだ。


「うすうす感づいているでしょうし、大丈夫だとは思いますが」

「めったなことをしないよう、私が注意深くみておこう」


「よろしくお願いします。それと今日は持参していませんが、頼まれていた資料が出来上がりました」

「おお、さすがじゃな。して、どのような感じになった?」


 最近、ルンベックから言われたのは、「すぐに商売を始められそうな商会のリストの提出」だった。


 何をどれくらい? などと無意味な質問はしない。

 当然ルクエスタは受けた。


 それに先だって、隠居した元やり手の商人を新しい町へ送っている。

 町づくりに、商売人の意見を取り入れているらしい。


 その後に来た依頼がこのリストである。

 載せる商会の数すら指定されていなかったため、ルクエスタは知恵を絞ることになった。


「リストには第一、第二、第三と、優先度を付けました。均等に各職種の者を入れています。第一で千の商会を選別しました。使用人や家族をふくめて六、七千人というところでしょうか」


「優秀な商会ばかりかな?」

「もちろんです。建国後は、物資はとぶように売れることでしょう。それでも在庫を切らすような商会はひとつもないと思います」


「最初の段階で、勢力図がほぼ出来上がる。競争力のない商会を入れても意味はないであろう」


「理解しております。数の指定はありませんでしたので、第一の選抜でまだ足らない場合は、第二の選抜組が入ります。一応三千の商会をリスト化しておきました」


「それだけあれば十分であろう。第三は?」

「優秀ですが、八老会の息がかかった商会です。向こうがそれを入れるかどうかは……」


「なるほど、そうだな。賢明な判断だ。報告によると、ミラシュタットの町にある家屋の数は、十万を超えるとも」


「そんなにですか?」

「私も驚いたが、家族を含めれば数十万人規模……どれだけの町になることやら」


「でもどうやってそんな数を……?」


「話によると共同住宅らしい。四階建て建物ひとつに四十世帯。それが何十棟と連なっていたらしい。他にも長屋や戸建てもあるというのだから恐ろしい」


「……それはさすがに想定外でした」

 ルクエスタが唖然とした顔をした。


「私も一つの町に二、三万世帯を予想した。ただ、増やそうと思えば、いくらでも増えるらしいぞ」

「……陛下にはくれぐれも自重してもらいたいです」


「まったくだ……そうそう、ラマ国はどうなっておる?」

「今が一番活気があるようですよ。このまえは武術大会が開かれたとか」


「うらやましい限りだ……武術大会?」

「私の予想ですが、新しい町の治安維持を担当したいのでしょう。軍事権を握れるのは大きいですから」


「なるほど……逆に言えば、新しい町はそれくらい人が足らんわけか」

「正規の住人は、いまだゼロですからね。何もかも初めてになるでしょう」


「昼間平地だった場所に夕方、何百という家が並んでいたという話もある。お伽話か、恐怖話のようじゃわ」


「町の数など、魔道士にとっては自由自在ですか」


「うむ。実際にあの町を目の当たりにすれば、敵対するより友好関係を結んだ方がいいことは分かる」


「そうですね。ですが見ないことには想像できません」

「難儀じゃな。明日から陛下に張り付くとしよう」


「よろしくお願いします。戦争に負けて賠償金の支払いまであって、この国の経済の冷え込みはかなりのものになると予想されます」


「一気に好景気になるかそれとも……」

「はじき出されて、自沈していくか……ですかね」


「気をつけようぞ」

「ええ、互いに」


 結局ルクエスタは、ウルダール秘蔵の酒をすべて飲み干して去っていった。



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― 新着の感想 ―
[一言] ん? 王国の船乗りは基本的に遠出する時は南回りで帝国に行きますよね? 北周りで反時計回りで帝国に行くのはミルドラルの船だから、ミルドラルの北東にできた港町や船を見るのは不可能では?
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