009 旅の馬車
街道の脇に馬車を停めるスペースがあるのは、こうして旅人が休んだりするためなのだろう。
マップに表示された人の数は五人。
馬車の中に三人いる。残りの二人は外だ。
正司は外で作業をしている二人の男を見た。
(鎧を着ていますね。ひとりは私と同い年くらいで、馬の世話をしている方はそれより十歳くらい若いでしょうか)
軽装の鎧を纏い、腰に剣を差している。
ふたりの雰囲気から、魔法を使うタイプではないとみた正司は、少しだけ安心して近寄った。
「あのー、すみません」
といっても、離れたところから声をかけている。
この時点で正司は、身体強化をかけなおしている。
無詠唱で魔法を撃ってくるのでなければ、十分逃げられる距離だ。
正司はその場で、相手の反応をみた。
近くにいるのは若い男で、八メートルくらいの距離がある。
武装は剣のみ。弓を持った者はいないし、馬車の中も動きはない。
身体強化も魔法も使える正司だが、警戒し過ぎるくらいで丁度良いと考えている。
「なんだ?」
返事は近い男ではなく、後ろの男の方からあった。
「私はクエストを探して旅をしています、タダシと申します」
両者の距離はいまだ離れたまま。
正司はよく聞こえるように、大きな声を出している。
「クエスト? なんだそれは」
「クエストとはその人が持っている悩み、まあ困っていることですね。私はそれを解決するために旅をしている……感じでしょうか」
「それで?」
男はかなりそっけない態度を取っている。
意味がしっかり理解できていない感じだ。
正司は怯まずに続けた。
「困っている人がいるかの御用聞きと思ってもらって構いません。守秘義務、つまりですね、知ってしまった秘密はだれにも喋りません。私が墓まで持って行きます。ですから悩みがあれば、私に打ち明けてみるのはどうでしょうかと提案したいのです」
話していてうさん臭い。そう正司は思う。
初対面でそんなことを言う人間を信用する人間は、どこかおかしい。
「悩みなどない。あっちへ行け!」
当然の反応だったので、正司は怯まなかった。
「悩みを解決したとしても、私は報酬を受け取ったり、謝礼を要求したりすることは一切ありません。それはお約束します。私はクエストを信奉しておりまして、人の悩みを解決するために旅をしているのです。無駄かもしれませんし、無駄でないかもしれません。でしたら、どうかこの私めに悩みをお話ししてみてはいかがでしょう。その馬車の中のお方など、どうでしょうか」
正司が距離を置いて話したのは、武器で襲い掛かられないためであり、さらに遠くから話すことによって、大きな声を出しても不審がられないためでもあった。
いま話した内容は、馬車の中にも伝わっている。
これで馬車の中で動きがあれば……。
「去れ」
どうやらそう甘いものではなかったらしい。
「……そうですか。でしたらここで私も一休みしてもよろしいでしょうか」
「ああ……」
さすがにそれは拒否はできなかったようだ。
ここは街道から外れたとはいえ、みなが普通に使える場所である。
占有権を主張できるものではない。
「良い天気ですね」
「………………」
正司は切り株のひとつに腰掛け、ふたりの男に話しかけた。
探るようなことを言えば警戒されるが、ただの世間話ならば問題ないとの判断である。
「この分でしたら当分晴れそうですね」
「………………」
天気の話題しかないのは、正司がこの世界の常識についてあまり知らないからである。
「そういえばこのところ雨は降っていないですね」
「ええい、うるさい!」
正司と同年代の男が半ギレした。
「せっかく一緒に休憩しているのですから、世間話くらいしませんか?」
「馬の世話がある」
「世話をしながらでも、世間話くらいできると思いますが」
男たちは馬車につないだ二頭と、男たちが乗っている二頭の、四頭の世話をしている。
「………………」
男たちは正司を無視して馬の世話を続けている。
「もう少し雲が出てきてくれると、涼しくなっていいんですけどね」
無駄と知りつつ、天気の話題を続ける。
「タダシとやら」
「はい?」
馬車の中から声が聞こえた。
若い女性の声だ。
「その外套はシュテール族のものだが、おぬしは砂漠の民か?」
「いえ、一時期お世話になっておりまして、そのときに頂戴しました」
「ふむ。あれは仲間と認めた者にしか渡さん。外部の者が持つことはあまりないと思ったが、何を信奉する集落じゃ?」
偉そうな口調だが、声が若い。
そして、砂漠について事情通らしい。
「水を信奉する者たちの集落です」
「ふむ。首長のダネインは息災か?」
「あれ? 水を信奉する集落ですよね。首長はタンドレスさんですよ」
「おお、そうであったな。ちと勘違いしたようだ」
えらく尊大なしゃべり方だなと正司が思っていると、マップに緑丸が二つ映った。
街道が曲がりくねっているため、まだ視認できないはずと正司が考えていると。
「どうしたのだ?」
「二人、向こうからこちらに向かってくる人がいますね。速度から馬に乗っていると思いますけど」
「……ほぉ。聞いたかアダン」
「はっ、おそらくセリノとブロレンだと思われます」
「であろうな。合流したら出発するぞ」
「畏まりました」
「それでタダシよ。クエストを探して旅をしていると言っておったな」
「はい」
「……ぬし、どうやって、やってくるのを知った?」
「魔法です」
ちょうどそのとき、蹄の音が聞こえて、二十代半ばくらいの男たちが合流した。
ひとりは同じ軽装鎧で、もうひとりは草色のローブを纏っている。
軽装鎧の方がセリノで、ローブ姿の男がブロレンというらしい。
無愛想だったアダンとは違い、正司が自己紹介すると、にこやかに応対してくれた。
「リーザ様、ミラベル様、そろそろ出発しますがよろしいでしょうか」
アダンが馬車内に向かってそう声をかける。
彼らはみな馬車の中の人物の護衛らしい。
年齢から言って、アダンが隊長なのだろう。
「タダシよ」
「あっ、はい」
「どこへ向かうつもりだ?」
「えっと、ラマ国です」
「私どもと同じであるな。ならば、馬車に乗るがよい。少し話をしよう」
「リーザ様!?」
「おたわむれを」
護衛たちが驚いている。
「案じるな。ライラもおる」
「しかし……」
「旅の道連れがひとり増えたくらいでアタフタするでない。よいな」
「……はっ!」
「えっと……馬車に乗っていいんですか」
「私が許す」
「では遠慮なく」
扉が内側から開かれたので、正司は遠慮なく馬車に乗り込んだ。
クエストを受けるには、ある程度親しくならないといけない。
なぜか知らないが、正司に興味を持ったらしいので、それを利用して悩み事を聞きだそう。そう思った正司だったが……。
「…………」
剣を突きつけられて、正司はホールドアップした。
正司が馬車に乗り込む際、剣を突きつけたのは若い女性だった。
これは命令されてやったことで、本気で刺すつもりはなかった。
そんなことはまったく知らず、正司は震えながら両手を挙げたのである。
剣を突きつけたときの反応、身のこなしを探ったわけであるが、それ以前の話だった。
なにしろ正司は、両手を挙げてプルプルと震えたのである。
外で見ていた護衛のひとりが吹き出し、馬車の中からも忍び笑いの声が聞こえたことでようやく事態を悟った。
「ごめんなさいね。驚かすだけで、本当に傷つけるつもりはなかったの。ライラに代わって私が謝罪するわ」
声はさきほど馬車の中から聞こえてきたのと同じ。同一人物だろう。
いまは口調がくだけている。
正司はその女性を見た。
中高校生くらいに見えたので、十代半ばと予想つけたが、それ以上は分からない。
「こっちに座りなさい」
「……はあ、どうも」
人に命令することに慣れている感じがするが、馬車の外へ向けて話した口調よりもかなり柔らかい。
どちらが素か分からないが、正司はこちらの方が好感が持てるなと考えた。
「私はリーザ。リーザ・トエルザードよ」
「はあ、どうも。タダシです。魔道使いをやっています」
「魔道使いとは大きく出たわね。それとも本物かしら」
魔法だけでどのグレードの魔物を倒せるかで、呼び名が違う。
G1の魔物を倒せれば魔術使いを名乗ってよい。
G2だと魔法使い、G3になると魔道使いが名乗れる。
魔道使いは一流の証である。
G4以上の場合だけは魔道士と呼ばれ、尊敬されるとともに、その情報が国家間でやりとりされるほど貴重となる。
つまり野良で名乗る場合、魔道使いが最強となっている。
「こっちが妹のミラベルね。タダシに剣を突きつけたのは護衛のライラよ」
ミラベルは見たところ小学生くらい。
こんな可愛い子がどうして馬車で旅なんてと思ってしまう。
ライラは女子大生くらいに見えるので、この中でライラが一番正司と歳が近いが、あまりに不機嫌そうな顔を見てしまうと、話をしようという気がなくなる。
マップで確認したところ、リーザと名乗った姉の方にクエストマークがついていた。
つまり正司としてはリーザと仲良くなり、悩みを聞き出せばよい……のだが、うかつに話そうとすると、ライラの目が鋭くなる。
「タダシは砂漠にいたのでしょう。その前はどこにいたの?」
「凶獣の森です」
ライラが息を呑むのが分かったが、正司としては正直に答えただけである。
この世界、嘘を見抜くスキルや魔法、魔道具があるかもしれない。
不用意に嘘をついてそれが露見した場合、「では本当は?」ということにもなりかねない。
ゆえに正司は、聞かれたらなるべく正直に答えることにしている。
「魔道使いというのも、あながち嘘ではないのかもしれないわね」
リーザの言葉に、妹のミラベルが首を傾げた。
「あそこって、人が住めるの?」
「ミラベル様、あそこを狩りの場所と定めている者もおります。集団で森へ入り、拠点をつくり、魔物を狩るのです。わが国でいう未開地帯での狩りと一緒です」
ライラの説明にミラベルは納得の表情を浮かべた。
「魔物が落とす肉や皮、それに魔石は高価で取り引きされるわ。一攫千金を狙って、多くの無謀な者たちが森の奥深くに入っていくのよ」
「つまりタダシさんは強いの?」
「それはどうでしょう、私が見たところ、体捌きは素人同然。魔物に近寄られたら一発で死ぬでしょう」
「じゃあ、弱いの?」
「さて。ライラはまだタダシの魔法を見ておりませんので、なんとも」
正司そっちのけで人物評が始まった。
「タダシさんは強い魔道使いですか?」
ミラベルが、正司に質問してきた。
(うおっ!? つぶらな瞳で見られると、直視できない)
正直な瞳は眩しいと、正司は思った。
純真な瞳に見つめられ、どう答えようか悩んだ。
「おじさんはまだ他の魔道使いとあまり一緒にいたことがないんだ。だから強いか弱いかは分からないかな」
「うまいわね」
「言い訳がお上手ですこと」
正司が悩み抜いた末の返答も、リーザとライラからは評価されなかった。
「そういえばさっき、こっちにやってきたセリノとブロレンを見つけたわね。魔法と言ったけど、どういった魔法なのかしら」
正司がマップで気付いたあれだ。
もちろんこのままマップのことを説明するわけにもいかない。
この世界にそんなものはないからだ。
「えっと土魔法です」
なるべく嘘をつかないと言ったそばから、そう言わざるを得なかった。
「土魔法? 土魔法でそんな魔法あったかしら」
「土中に魔力を飛ばして、土の振動を探るのですよ」
「へえ……それだと動いている相手しか探せないわね」
「まあ、そうですね」
説明したイメージは潜水艦のソナーだ。
あれは水中だが、土中でもできるだろうと考えて話したが、意外にも「もしかしてできるんじゃない?」と思えてきた。
リーザとライラは「魔力を土中に流すって?」とか「流した魔力はどう回収するのでしょう」などと話している。
(この隙に試してみるか)
正司は足から魔力を流し、馬車の床板を突き抜けて、直接土中に魔力を流し入れた。
(移動していても問題ないようですね。私の足から地面へ魔力が繋がっている感じでしょうか)
土中に魔力を流すのには成功したが、そこからは何のビジョンも浮かんでこない。
(蜘蛛の糸のように細く網の目にしてみるか)
よく分からなければ、試行錯誤してみるべきである。
正司は揺れる馬車の中で、一心不乱に土中へ流し込んだ魔力の感覚を掴む努力を続けていた。
(おや? これは……なるほど、これは便利かもしれません)
結局成功したのは、網のように張り巡らせる方法ではなく、ソナーのように撃ち出す方法だった。
土中で魔力の珠を爆発させるイメージで四方へ放ち、その波形が乱れた時のみ反射させるようにした。
対象をある程度の大きさで、生あるものに限定すると、かなり遠くまでの生き物まで把握することができた。
(といっても、人か動物かが分かるくらいですね。あと戻ってくるまでに時間がかかります)
それでも有効には違いないとほくそ笑んでいたら……。
「ああああっ、そうか!」
大声を出して立ち上がった正司にリーザは目を見開き、ミラベルはリーザに抱きついた。
ライラは小刀を抜こうとしたが、慌てすぎて掴み損ねてしまった。
「どうしたの? 急に大声を出して」
「あっ……いや、申し訳ありません。ちょっと思い出したことがあったものですから」
「その様子だと大事なことのようだけど」
「もう過ぎたことです、お気になさらず」
頭を抱えたまま座る正司。
(今さらだけど思い出した。気配察知で良かったんだ)
スキルの気配察知は最大の5段階目まで上げてある。
といっても魔力を流して念じないと、遠くの気配までは探れない。
凶獣の森を出てから危険に遭遇することは少なかったため、すっかり忘れていた。
(でもまあ、土魔法で同じ事ができたんだし、結果オーライか?)
最初、魔力を流して意識しないと周囲の気配を探れないことに不満があった正司だが、あんなものを常時発動していると、周囲が気になってしょうがない。
必要なときだけ使えればいいだろうと考えて、気配察知のスキルは、記憶の奥底にしまっておいた。
どうやらかなり平和ボケしていたらしい。
「リーザ様、ミラベル様、いまの声は?」
「アダンね。タダシが何かを思い出して、奇声を発しただけだから気にしなくていいわ」
「左様ですか。馬車の中で奇声を発するなど、少々問題ある行動かと愚考しますが」
「そういう人物と思っておきなさい」
「畏まりました。そう思うことに致します」
正司は馬車で奇声を発する、変な人と思われるようだ。
(まあ、私の自業自得だけれども。なんかこう釈然としないものが)
この評価、正司だけはやや不満であった。
「それはそうと、この先に森がございます。また斥候を出したいのですがよろしいでしょうか」
「時間がかかりそうね。でも仕方ないわね。許します」
「ありがとうございます」
アダンの気配が下がっていった。
「えーっと、今のはなんです? 斥候って?」
「風魔法使いのブロレンに、周囲を探ってもらうのよ」
「そうなんですか?」
「そうなのよ」
馬車の速度が落ち、少しして脇道に逸れた。
「今回はカルリトとブロレンを行かせます」
「そう、分かったわ」
「森を抜けると荒れ地が広がります。見通しがよいので、今夜はそこで野営をしたいと思います」
「そう。その方がいいわね。任せるわ」
「畏まりました」
「それでリーザさんたちはいま、何をするんですか?」
「斥候が戻ってくるまで馬車の中で待機ね」
「でしたら私は外に出てもよろしいでしょうか」
「いいわよ……だったらその前に土魔法での索敵を実演してもらえるかしら」
「わたしも見たいです」
リーザとミラベルに言われては断れない。
正司は「地味ですよ」と前置きした上で土のソナーを撃った。
同時に気配察知を全開にして、周辺を探る。
「……どうかしら」
「森を抜けたところまで探りましたが、おかしいところはないですね。森の中に三人いますが、木こりがひとりに猟師がふたりだと思います。あの森の反対側にちょっとした集落がありますので、そこに住んでいる人たちでしょう。魔物はそれほど多くありません。強力なのもいないですし、ここは比較的安全な場所ですね。……あっ、後方から馬が一頭やってきます。さほど急いでいるわけではないので。追い越されるまでまだかなり時間がかかると思います。斥候に向かったお二人は、いまようやく森の真ん中に着いたところですね。おや、どうかしました?」
リーザとライラは無言。
ミラベルは目をキラキラさせて凄い凄いと連発していた。
「えっと、では少し外の空気を吸ってまいります」
いたたまれない空気に、正司はとっとと逃げ出した。
そして正司がいなくなった馬車の中。
「ちょっと、あれはなに? どういうこと? ここにいて、どうして森の外まで分かるわけ?」
「リーザ様、口調が下品になっております」
「ここには私たちしかいないからいいのよ。それよりライラ。あの魔道使い、本当に動きは素人だったのよね」
「はい。間違いございません」
「高度な訓練を積んだとか、そういう可能性は?」
「まったくないと思います。ベタ足で重心移動もお粗末です。武術の鍛錬をしてこなかった者特有の動きです」
高校時代まで部活動をしていた正司であったが、この世界の住人はとにかく動く。
そして歩く。さらに戦う。
一度も戦いを経験したことがない者は稀だった。
日常の延長で魔物との戦いがあるため、正司が思っている以上に、みな戦えるのである。
武道を嗜んでいるとか、格闘技をかじっていると表現するレベルではない。
たとえば薬師のクレートも実戦経験者だ。
一般人でも剣を持つし、魔物と戦った経験は数知れず。
そこらの商人ですら、10年も外を回れば、魔物の十や二十は剣で倒す。
そんな世界の住人の目からみて、正司の動きはたとえようもなく素人のそれであった。
「そう……ならば刺客というセンは消えたわね」
「もともと馬車に乗せたときから疑ってなかったように見受けられましたが」
「ええ、そうよ。もし刺客ならわざわざ砂漠の民の格好なんかしないでしょ。それに首長の名も合っていたし」
「やはりあれは試したもので?」
「留学中に砂漠の民と知り合ったことがあるのよ。何かに使えるかと思って覚えておいたのだけど」
「さすがリーザ様、相変わらず抜かりない」
「なんかライラに言われると、褒められている気がしないわね」
「もちろん褒めてますとも」
「どうだか……それより『家名』に反応しなかったのは、どうしてだと思う?」
「それは私も不思議に思いました。私はてっきり雇用狙いの魔法使いかと思っていましたので」
「彼は魔道使いと名乗っているわ。下の呼称は侮辱にあたるから注意しなさい」
「分かりました。たとえ違っていても、客人として扱います」
「でも本当に違っているのかしら。我が家が抱える土魔法使いでも、あんな芸当ができるという話は聞いたことがないのだけど」
「もっともらしい嘘をついたのでは?」
「その割には自信満々だったようだけど……待って! この音」
「馬……ですね」
リーザたちが馬車の格子を少しずらして外の様子をみる。
すると、一頭の馬が後方から現れ、そのまま街道を進んでいった。
「いまの……合ってたわよ」
「ぐ、偶然では?」
「ここは王国からラマ国に向かう街道としては一番大回りな道。当然、通る人も少ないわ。砂漠から来た人じゃない限り、こんな街道を使う必要がないもの」
「そうでしたね」
「あとでブロレンが戻ってきたら、聞いてみましょう」
「木こりが一人に、猟師が二人ですか」
「そう」
「ブロレンは職業までは当てられないと思いますけど」
風を飛ばして分かるのは、人がいるかどうかだけである。
「だったら数が合っていたら正解としましょう」
「分かりました。森の中に三人……でございますね」
「そう。……合っているのか。楽しみね」
馬車の中でそんな会話がなされていた頃、正司は外で護衛たちと談笑をしていた。
「何か話すたびに、隣に座っているライラさんが睨むんですよ」
「あれはお嬢様一筋だもんな」
「やはりそうですか。迂闊なことを話せなくて緊張しました。何を話しても怒られそうで……」
正司が汗を拭うしぐさをすると、護衛のカルリトがゲラゲラと笑った。
カルリトは護衛の中では若い方で、二十代半ばくらい。
隊長であるアダンの方が正司と歳が近いが、アダンはどうにも取っつきにくく、カルリトとの無駄話の方が正司は好きだった。
「ライラは誰にだって同じ調子だぜ。今回だって迎えに行ったら、遅い! お嬢様を待たせるなんて何事ですかって怒り出したしな」
「迎えですか?」
「ああ。リーザお嬢様は王国に留学されていてな。ライラだけが護衛についていたんだ。それで国に帰るってんで、俺らが迎えに向かったわけ。ついでに見聞を広めるためにミラベルお嬢様もご一緒したのさ」
「なるほど。それでこれからラマ国に帰るわけですね」
「いや、俺たちはミルドラルから来たんだ。ラマ国は……まあ、視察? お嬢様がラマ国経由で帰るって言い出してな。こうやって予定にない道中になったわけだ」
「あらら。それは大変でしたね。お嬢様の我が侭でしょうか」
「最近、いろいろときな臭いからな。ラマ国の実情をこの目で見ておきたかったんじゃないのかね」
「へー、熱心ですね」
正司は相づちを打ちつつ、ミルドラルってどこだ? とメニューから情報を開いた。
凶獣の森でアライダと会ったとき、砂漠の民であるシュテール族の情報が出た。
彼らはミルドラル出身らしいので、その国の情報が出るだろうと考えたのだ。
(えーっと……やっぱりあったな)
カルリトに気付かれないよう、そっとタッチする。
ミルドラル――フィーネ、トエルザード、バイダルの三公が治める国。
(ふうん。王政ではなくて共和制なのかな? あれ? トエルザードってどこかで聞いたことがあるぞ)
正司は記憶を呼び戻す。
その名を聞いたのは、それほど昔ではない。つい最近のことだ。
(えっと……どこだったかな。あっ、思い出した)
馬車に乗ったときにリーザが自己紹介した。
わざわざ家名を付け足すなんて律儀だなと思っていたが、そのとき名乗った名が「トエルザード」だった。
(ということは……もしかして)
「あの、カルリトさん」
「ん? なんだ?」
「リーザさんがトエルザードって名乗ったんですけど……ミルドラルによくある家名なんですかね」
「馬鹿を言うなよ。ミルドラルでトエルザードを名乗れるのは三公のみだぜ」
「じゃ、じゃあリーザさんって……」
「公女様だな」
「えええっ、本物!?」
大いに驚く正司を見て、カルリトはゲラゲラと笑った。
正司がカルリトと無駄話をしている間に、斥候に出ていたセリノとブロレンが戻ってきた。
馬車内へ報告するブロレンに、リーザは森の様子を尋ねた。
「街道を進みつつ六カ所で精査しました。森は比較的大人しく、大した魔物はいないようです」
「人はどう?」
「バラバラに三人ほど確認できました。ですが、街道から離れているため、猟師か木こりではないかと思います」
「そう、三人だったのね」
「はい……なにか?」
「いえ、良いわ。ブロレンはお父様が信頼する我が家きっての魔法使いですもの。信頼しています」
「ありがとうございます。報告は以上になります」
「では出発するとアダンに伝えて。それとその辺にタダシがいるでしょう。馬車に乗るように伝えてくれるかしら」
「畏まりました」
ブロレンが去って行った。
「森の中に三人……ね。ライラ、どう思う」
「ぐ、偶然と言いたいところですが……私には判断がつきません」
ライラの顔が引きつっていた。
そして、いざ出発するとなっても、正司が戻ってこない。
リーザが馬車から顔を出して正司を呼ぶ。
「あ、あの……リーザ様」
「どうしたのタダシ。急にかしこまって」
「いえ……公女様とは知らず……」
その言葉にリーザはすぐに事情を察した。
視線をカルリトに移すとニヤニヤしている。
「タダシ、出発するわよ。さあ乗りなさい」
命令し慣れているリーザの言葉に、正司は困惑の表情を浮かべ。
「なぜか急に歩きたくなりました。申し訳ありませんが、ここから先は、別々に……」
「乗りなさい、タダシ」
「……はい」
ゲラゲラと笑うカルリトを睨んでから、正司は諦めたように馬車に乗り込んだ。
「そう、ようやく我が家に気付いたわけね」
「いえあの……はい」
リーザは、トエルザードの名を出したときに正司が無反応だったのを覚えている。
よほどの世間知らずか愚者でもないかぎり、国名や為政者の名前くらい知っているものである。
長らく砂漠にいたのだろうと予想したが、それはリーザにとって好都合であった。
何しろ、世情に疎いということは、リーザを狙う刺客ではありえないのだから。
「タダシ、ひとつだけ教えておくわ」
「何でしょうか、公女様」
「それは止めなさい。最初のとおりでいいわ」
「えっと……リーザさん?」
「そう。タダシはそう呼ぶこと。いいわね」
「……はい」
まるで尻に敷かれた駄目夫のような有り様である。
「それでね、タダシ。あなたは世情に疎いようだから説明しておくわ。この馬車は狙われているの」
「お嬢様、それは……」
ライラが制止の声をあげる。
「いいのよ。知っておいた方がいいでしょ。タダシにこの理由は分かるかしら?」
「いえ……どこの組織が襲うかすら分かりません。考えられるのは三公のうちのどれかでしょうか」
「ミルドラルは至って平和よ。今のところはね。大陸の西には国は三つしかないわ。ミルドラル、これから向かうラマ国。そして私が留学していたエルヴァル王国。さて、私を狙っているのはどの国でしょう」
「エルヴァル王国でしょうか」
「どうしてそう思うの?」
「根拠はありませんが、リーザ様……さんの存在が、王国の利益に反するからでしょうか」
「王国はラマ国に戦争を仕掛けたくてしょうがないの。でも今はいろいろな理由があってそれができないのよね。だからフィーネ公を焚きつけたわけ」
「フィーネ公というのは、リーザさんと同じ三公ですよね」
「そうよ。北の未開地域に領地が接しているのがフィーネ公ね。そのフィーネ公を通して、ミルドラルとラマ国の間に戦争を起こさせようとしているのが王国」
「えっと、王国って商人の国ですよね。そこが戦争を起こせないから、リーザさんの国に戦争を起こさせるんですか? またどうして?」
「密約があるの。密約の内容は言えないけれど、わが国の益になる条件を示したわ。それでフィーネ公はやる気になって、バイダル公は反対。私の父であるトエルザード公は反対だけど、条件付きでは賛成に回る。と、意見が分かれたわけ」
「その話を聞くと、トエルザード公の出方が問題になってきますね。意志を表明した瞬間に状況が動くのではないでしょうか。その条件というのは何なんでしょう」
「ラマ国の戦神、ライエル将軍が戦に出ないこと。それが条件よ。高齢の将軍は後継者の育成を怠った。よってラマ国はライエル将軍ひとりの双肩にかかっているの。彼が戦場に出ないことが確定したら、わが国は参戦する」
「その将軍は、そんなに強いんですか?」
「個人としてG4の魔物を倒したことがあるわ。そして軍を率いらせたら随一。そのカリスマは一国の王を凌ぐほど。ライエル将軍が出てくれば負けるし、出てこなければ勝つ。だから今回の戦争は将軍しだいなのよ」
「リーザさんとしてはどちらがいいんです?」
「もちろん戦争は基本反対。父と同じ意見よ。けど、それが通用しないことも分かっているつもり。だから私はこうしてラマ国に向かっているわけ」
「将軍が戦に出られるか、見極めるためですか? ですが、それがどうして狙われる事態に?」
「私が乗った馬車がラマ国の者に襲われたとしたらどうする? 父は怒るでしょうね。それこそ戦争も辞さないほどに」
「もしかして……謀略でしょうか」
「だてに留学していたわけじゃないのよ。ちゃんと王国内にコネは作っておいたの。それによると、私を利用して戦争を起こさせる計画があるんですって。そこからは推測」
正司は悟った。
目の前の少女は危険人物だと。
自分が狙われているのに、ラマ国入りを強行している。
自らが囮になるのも辞さないのだ。
「その計画は本国に伝えたのですか?」
「もちろんよ。だから私がここで斃れても、真実は必ず伝わるわ」
正司は思った。これは生まれながらの為政者だと。
ただ安穏と日々を過ごしているようなタマではない。
罠があったら食い破る人種だと。
「急に歩きたくなったので、ここからは別々で……」
「ここにいなさい」
「外の空気が吸いたくなっ……」
「ここにいなさい、タダシ」
「…………はい」
カカア天下とはこういうことを言うのだろう。
結婚どころか、異性と交際したこともない正司だったが、そのことを深く理解したのであった。
馬車は、街道をゆっくりと進む。