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「ミアン、ここに来てから三ヶ月、しっかり仕事を覚えたね。
見習いから正規の下働きに昇格だよ」
他の少女たちとおそろいの、ぱりっとしたグレイのドレスと白いエプロンが支給される。
フレアーたっぷりの長めのスカートが揺れる感触が心地よい。
こんな上等な服は初めて。そもそもちゃんとデザインされた女の子の服など初めて着るのだ。
ミアンはくるくる回って布地のゆれる感じを楽しんだ。
「すごいわね、ミアン」
「この分なら、すぐに小間使いにだってなれるかも」
「あんた可愛いもの。学院のお嬢様がたに気に入られて専属の侍女になれたら、宮廷にだってついていけるわよ」
「貴公子や騎士の方々を近くで見られるわ」
「そして貴い方のお目にとまって」
「私の館へおいで、ミアン、とか」
「きゃー、すてき!」
何がすてきなの?
褒められてるんだか、やっかまれているんだか、いまだに言葉の細かい機微のわからぬミアンはぼーっとして囲まれているだけ。
少し年上のカナという少女が部屋に飛び込んできた。
「ねえねえ、翼の騎士団の方たちがこっちにいらっしゃるって!」
「きゃー!」「どこー!」
ひと目見ようと、おしゃべりな少女の一団はどっと去っていった。
翼の騎士には会いたくない。
あのオニがいるかもしれないから。
来客を避けて、ミアンはそっと庭へ抜け出した。
庭造りが趣味だった先代の大蔵大臣シキブ卿は、その莫大な財産をつぎ込んで、夏の館に凝りに凝った広大な庭園を造らせた。
白薔薇ばかり集めた庭、赤薔薇ばかりの庭。背後の山と丘陵の高低差を利用した幾多の滝と噴水。
南方の珍しい羊歯の林から四季の花咲き乱れる散歩道へ、そして深い森の中へ。
水鳥の群れる池のほとりから彫像の並ぶ大理石の大階段ヘと、角を曲がるごとにがらりと変わる景色。
有名な緑の生垣の迷路は、ある貴族が一週間も出られなかったといういわくつきだ。
その広い庭に出さえすれば、客同士が偶然に出会う事などほとんどない・・・はずなのだが。
「閲兵式の件だが、今回は華やかにしたいとの王の仰せだ」
「遷都五年目の記念式典だ。民人の心を浮き立たせるような、印象的な出し物が欲しい、と」
「そこで、翼の騎士団の、空中での摸擬戦を計画したいの」
趣向をこらした庭園を歩きながら、騎士の一団が相談しているところへ、彫刻の飾られた階段の上から、ぱたぱたと降りて来る軽い足音。
使用人のグレイのお仕着せを着た少女が駆け下りて来た。と、ハルと眼を合わせた途端、硬直する。
「ひ・・・っ!」
真っ青になってつるりと足を滑らせた。五、六段をすっ飛ばして、ぎょっとしている騎士たちの前にどしん、と尻餅をつく。
「まあ、あの時の子ね。きれいになったこと。ハルシオン」
「は?」
「わからない?ほら、ライの町で」
目の前に落ちて来た少女に見覚えは無かったが、『落ちる』の連想で思い出した。
「や、やぁ、久しぶりだ。怪我はなかったか」
しかし。
「はっ・・・はひっ・・・」歯の根が合わないようだ。
ぶるぶる震えている小さな姿に、ためらいがちにハルが手を伸ばすと、少女はばね仕掛けのように飛び上がった。
「ひうっ!!」
振り向きざまに階段を駆け上がろうとして、足がもつれてばったりこける。
見上げた騎士たちに、下着丸見えっ。
「「「うわっ・・・」」」
とっさにゲイルが前にいたカイトを目隠し。
カイトが邪魔な手を振り払った時にはすでに遅く、少女は駆け去ったあとだった。
「なっ、なんで僕だけっ!」
「子供には刺激強すぎですよ」
「さっ、差別だっ!差別だっ!」
じたじた怒る。
「あれほど怖がられるなんて、ハル、おまえ、どんな悪さをしたんだ?」
紺青の騎士ラドナの問いに、ハルはむっつりと答えた。
「父を殺した」
「おぅ・・・」
それじゃしかたがないな、と肩をすくめる。
本当の父でもないのに。
あの外道のはぐれ見鬼を父と思い込まされ、必死に命乞いをした娘。
虐待された、あざだらけの小さな顔。
しかし、ここまで俺を怖がるか?
むらむらと腹が立った来たハルは、カイトを振り返る。
「摸擬戦の下準備だ。相手をしろ、カイト」
ひえっ、ゲイル殿とやってくださいよー、と、ぼこぼこにされそうな予感と共に従うカイトだった。
女中部屋まで駆け戻ったミアンは、汗びっしょりになって座り込んだ。
足元がぐらぐら揺れているような気がして、立っていられない。
オニは、オニだ。やっぱりオニだ。
喉元までせり上がる、真っ黒な恐怖の塊。
覆いかぶさる、大きな蝙蝠の黒い翼。
口を開いたら飲み込まれそうで、ミアンは必死に歯を食いしばる。
思い出しちゃいけない・・・思い出しちゃいけない・・・。
もう絶対に、あのオニには会いたくない。
騎士団のたむろする西翼から学院のある東翼へ、直線距離で一番近いのが、あの大階段を通る道。
だから失敗したんだわ。
これから庭へ出る時は、大回りして池を回って・・・と思ったのに、翌日そっちに回ったら、出会ったのは池のほとりでのんびりと摸擬戦の打ち合わせをしているゲイルとカイトだった。
ゲイルがやあ、と片手を上げて声をかける。
「きのうも会ったね。白のゲイルだ」
「黄蝶のカイトと呼んでください」
思い出して赤くなりながら、カイトが続ける。
「または、チョウチョのカイ坊と」ゲイルが言った。
ガキッ!とすさまじい音がして、カイトの抜き放った白刃をゲイルの剣が受け止める。
「女の子の前でその名を言いますかぁっ!」
「いずれ聞くなら早い方がいいだろ」
しれっとゲイルが言い返す。
ばっ!と飛び退って塀に飛び乗るカイト。
ブルッと身体をふると、その背に広がったのは。
広がったのは、真っ黄色に黒斑も鮮やかな蝶の羽根。
「あなたなんか、あなたなんか、きらいだぁっ!」
ふわり、と空に舞い上がる。
「鱗粉をまき散らすなよ」
と、ゲイルが追い打ち。
「そんなもの出ませんっ!」
はたたっ、と羽ばたいて、上空へ。
「やれやれ、とんだお子ちゃまだ」
苦笑して見送るゲイル。飛び去る姿につぶやく。
「よしよし、上達してるな。上昇の速度も上がって、切れもいい。
コンプレックスさえなくなれば、もっとのびるんだが」
「こん・・・ぷれっくす?」
間近で見た巨大な羽根の美しさに見とれていたミアンがつぶやく。
「あのチョウチョの羽根さ」
「あんなきれいな羽根、初めて見ました」
ゲイルが吹き出す。
「きれいだよねぇ。
立派とか、偉容とかいう言葉は、絶対出て来ない羽根だよね。
すごく才能はあるんだが、飛翔能力の最初の授業で、飛ぶものを思い浮かべろと言われて、子供の頃野原で追いかけたチョウチョを連想しちやったんだって。
それで、具現したのがあの羽根。
きれい、は言わないでおいてくれる?
本人、すごく嫌がってるから」
あれ?ゲイルは思った。
この子、怯えずにちやんと話せるじゃないか。
「いきなりチャンバラでびっくりしたでしょ。怖がらせて悪かった」
「いいえ」
かつてはパン一切れのためにナイフが抜かれ、酒のひと瓶のために人死にが出るような暮らしだったのだ。
抜き身の剣など、恐くはない。
怖いのはただ。
「おい、ゲイル、騎士たちの配置だが・・・」
「ひうっ!!」
この人。
「し、し、し、失礼いたしますっ・・・」
やって来たハルとシャーリーンに、脂汗を流しながら必死で挨拶、手足ばらばらなギクシャクとした歩き方で去ろうとするが・・・。
「おい」と呼び止めるハルの声に。
「ひいっ!」と飛び上がり、思わず走り出すが・・・!
エプロンの紐が解けていて、足にからんで、どてっとこける。
「ああ、すまん・・・ほどけていると言おうとしたんだ・・・」
跳ね起きて走り去る姿に、やれやれとハルはつぶやいた。




