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お茶の出し方、作法にも、少しずつ慣れていったある日のこと。
たっぷり砂糖衣をかけた自慢のクルミケーキを切り分けたヒルダが、ピクニック用の籠に上等なお茶道具を詰めて、ミアンを呼んだ。
「ミアン、これを羊歯の園のご隠居様に届けておくれ。
森の北側の小道を入っていくと東屋があるんだ。
ご隠居様は気難しいお方だ。ご機嫌をそこねるんじゃないよ。
ああ、それから手前の迷路に入っちゃいけない。迷子になるからね」
広大な庭園の北側、裏山の手付かずの森の陰を利用して、小鳥の羽根のように繊細なものから、ミアンの背より高いものまで、様々な羊歯が育てられている。
重い籠を手に小道をたどっていくと、背景の森に溶け込むように、瀟洒な屋敷が建っていた。
「ごめん下さい、失礼いたします」
半開きになっていた扉をノックし、中に入る。
誰もいない。
高い窓から差し込む日光が、きらきらと埃を反射している。
そう、あたりは埃にまみれた本がいっぱい。
乱雑に重ねられた本。壁一面に造られた本棚に入っている本。
机の上の巻物の山。
床に立ててある大きな額。
焼け焦げたり、水に漬かったらしい染みがあるもの。破れた表紙、ばらばらになった紙。
もう何もかもごちゃ混ぜに、雑然と置いてある。
「誰じゃ?客とは珍しいの」
奥から出てきたのは、しわくちゃのローブを着た、ミアンと同じくらいの背の高さの老人。
たくし上げて無造作に紐で縛った学者のローブは、本と同じように埃とくもの巣だらけ。
ミアンが答える前に、老人はひくひくと鼻を動かした。
「ヒルダのクルミケーキの匂いがするな」
「はい、けさ作って、切り分けたばかりです。
お茶をお入れしましょうか」
と、ケーキを出してかけてあった布巾を取ると、あら、形の悪い所だわ。
しかし老人はにっこりする。
「うむうむ。ヒルダ、儂の好物を憶えておったな。
このケーキは、まん中もいいがはしっこのな、砂糖が流れてたっぷり固まってるとこが美味いんじゃ」
本の山をいくつかどけてテーブルに開きをつくると、ミアンはお茶道具をセットしてマジックポットで紅茶を入れる。
気難しいからと言われた老人は、椅子に乗った本をどけてにこにこして座っている。
しん、と静かな室内。
雑然としてカリアン師と正反対の部屋なのに、なぜか同じような心地よさ。
紅茶を手渡した後、山と積まれた本の山を見上げ、立てかけられた画集を眺め、きょろきょろしていると、老人はふふ、と笑って言った。
「すごい量じゃろう。ここで修復をしているのじゃよ」
振り向くミアンに話しかける。
「都の大図書館が炎上したとき、やっとのことで持ち出すことのできた書物の山じゃ。
可哀相に、焼け焦げ、水をかぶり、ばらばらになってしまったものが多くてのう」
なんとか復元し、だめなものは書き写しているのだという。
気の遠くなるような大仕事だ。
身をかがめて黴の生えた画集をのぞいていると、軽いものがとん、と肩に乗ってきた。
びっくりして振り向くと、きらきらした黒い眼が見返してくる。
騎士のシャーリーンが肩に乗せていた生き物。
老人があわててささやいた。
「し、しーっ、動いてはいかん。紗矢じゃ。森から紗矢が出てきた」
「しゃや、と言うのですか」
「うむ、幻獣の中では最小の部類に入る。今では数が減ってしもうてな。
なんと、おまえに懐いとる。珍しいことじゃ」
「げん・・・じう・・・?」
「幻獣を知らぬのか?学院育ちだろうに。
やれやれ、近頃の教育はどうなっているのじゃ。
たとえ小間使いだろうと基礎教育はしっかりと身につけねばならんぞ」
『幻獣』という言葉を知らなかっただけなのだが、ミアンはとにかく頷いた。
「幻獣とは能力を持つ獣達。人語を解し我等と共に生きる獣達じゃ。
大毛、墨夫、羅津、常夜、紗矢など、昔は十種近くが見られたが、今では人目につくことはまれになってしもうた」
紗矢は小首をかしげ、まるでしっかり聞いているようだ。
気がついてポケットを探り、クルミ割りの役得でもらったしなびたクルミをいくつか取り出し、差し出してみる。
するする、と腕におりてきた紗矢は、繊細な長い指でまずそうなクルミを調べていたが、ぽん、と小卓に飛び上がった。
二人が息を殺して見ていると、ちらりと二人を見てからケーキの飾りに乗せられていた、形のいい丸々としたクルミを取ってくわえる。
「ほう、よくわかっとる」
「まあ、おりこうさん」
二人の声に見送られて、窓から飛び出し、木立に消えていった。
「ふむふむ、あれほど利口者とは。
ちゃんとこちらの動きを読んで動いとったな。クルミをもらえるなら、一番旨そうなのがいい、か」
「すみません、せっかくのお茶菓子を」
「いやいや、野性の紗矢を間近に見られただけでもうれしいぞ。
幻獣達はめったに姿を見せぬ。そのうち本当に幻になってしまうかもしれぬのだ」
老人は深いため息をつく。
「わし等人の心が荒廃したからじゃよ。災害以来、人々は生き延びるのに必死。
幻獣を肉として狩る者まで出たという。わし等を避けるのも当たり前じゃ」
ミアンを手招きして壁にかかった織物を示す。
「ごらん、これが墨夫じゃ」
黒鹿毛の馬に裸の少年が跨っている。と見えた図柄は、近づくと馬ではなく、馬のような下半身に毛深い顔とたくましい腕を持つ生き物が、背に乗せた少年を振り返り見ているのだった。
「幻獣達は知能が高く、人語を解し、情の深い生き物で、人の子を拾うと仲間に加え、大事に育ててくれたのじゃ。この少年は後に優れた医者となったのだよ」
老人の話に夢中で聞き惚れ、気が付くと、お茶の時間はとおに過ぎて、傾いた陽射しが入ってきている。
「はは、いかん、いかん。退屈だったかな。つい教壇に立っていた頃の癖が出るわい」
ミアンはぶんぶんと頭を振った。
いいえ、とんでもない。知りたい。もっと知りたい。いろいろな事を。
「お邪魔いたしました」
「おお、いつでも遊びに来なされ。いや、ぜひ来ておくれ。
お前がいるとまた紗矢が出てくるかもしれん」
目当てはそっちのほうらしい。




