プロローグ と 1
地震から始まってしまうのでご注意ください。
翼ある騎士団の伝説
プロローグ
「どうしたの?もう、ちょーきょーのじかん?」
「いいや、まだ夜明けは遠い」
「ちょーきょーはきらい。いたいの、きらい」
「そうだね。さあ、もう一度お眠り」
「ねむくない。せなかがぞわぞわするの」
「大地のゆがみが凝って来たからだ。
だが、もう知らすべき相手もすべもない。
お眠り。楽しかった頃を夢見て」
「きゃあ!きゃあ!なに!どうしたの!」
「地震だ。大きいな。
大地がゆがみを正そうとしているのだ。
だが、ここをごらん」
「すきまだ。いたがわれたのね」
「お前なら出られる。逃げなさい」
「いや!いっしょに、いっしょにいる!」
「行きなさい。一人で生きてゆけ。
決して捕まるな。調教などさせるな。
お前の心はお前のもの。
決して、決して!お前が望まぬ相手にその心を開くな!
決して!」
1
漆黒の空に凍りついた新月が張り付いているようだ。
風の吹き渡る冬枯れの丘、ねじくれた樫の大木に隠れるように、かっては隊商宿だった崩れかけた一軒家があった。
窓の硝子はとうに失われ、腐った鎧戸が外れた所は板や生皮を打ち付けてふさいである。
二階の窓に打ち付けた板の隙間から、かすかに灯りが漏れている。
家の北に位置する山の中腹で、二度、三度、二度、角灯の覆いが外される。
合図を認めて、暗い空から、翼持つ人影が数体、風にあおられながらも音も無く舞い降りて、無言で散って家を取り囲む。
ぼろをまとった子供は、壁ぎわに置かれた合切袋からはみ出した、古パンの端を飢えた眼で見つめていた。
賭け事のテーブルで負け込んでいるとうさんが、すぐには立てないのを確かめ、さっと小さな手をのばす。
泥だらけの長靴が飛んで来て、わきの壁にドン、とぶつかった。
「とっとと奥へ行きやがれ、このクソガキ!」
首をすくめ、離すものかとパンを握りしめて、もう一方の長靴が飛んでくる前に、素早く奥の部屋へ逃げ込んだ。
あとでとうさんに殴られるのはわかってる。
でも、飢えできりきり痛むこの胃を、今、なだめられるなら。
片隅に置かれた饐えた匂いのする毛布にくるまり、子供は石のように固いパンのかけらを必死で咀嚼しようとした。
眼を上げ、硬直する。
(鬼が見ている)
盗みをしたな、と、鬼がにらんでいる。
薄汚い部屋の窓をふさぐ、木の板にすぎない。
ただ、暇を持て余したかつての客か誰かが、木目節穴を顔に見てて削ったのだった。
眼をむき出し、牙を見せた恐ろし気な鬼の顔に。
この部屋に放り込まれた時、とうさんは子供の首筋を押さえつけ、板に向き合わせ、言ったのだ。
「おとなしくしてねえと、この鬼が飛び出してお前を喰っちまうからな」
わずかに洩れる灯りに浮かび上がり、風に揺られて動く鬼の顔は、今にも飛び出して来そうだった。
その顔が、こっちを向いた。
「ヒッ!」
子供は毛布をひっかぶる。
(もうしません、もう盗みません、もう・・・)
板を打ち付けた鎧戸がゆらゆらと揺れ、開く。
だが、そこからにゅっと入ってた来たのはやはり・・・。
(オニ!)
巨大な蝙蝠の翼を持ち、恐ろしい気を放つ、大きく、真っ黒な。
オニだ。オニだ。オニだ。
子供は眼も離せず、身動きも出来ない。
黒い大きな翼が、すう、と鬼の肩に吸い込まれる。
そして鬼が、鎧戸の鬼と同じように、こちらを向いた。
(見つかった!)
怖い気がどっと押し寄せる。
鬼は無言でゆっくりと指を上げ、唇にあてる。
(静かに)
わかった。
そして、なぜかわかった。
この鬼はとうさんを狙って来たのだ。
とうさんにひどいことをしに来たのだ。
そしてこの鬼はもっと恐くなる。もっと、もっと、恐くなる・・・。
・・・イケナイ・・・
恐ろしさに震えながら、子供は手をのばし、通り過ぎようとする鬼の長い上着の裾をつかんだ。
鬼がぎろりとこちらを向く。
「とうさんに・・・ひどいこと・・・しないで・・・」
必死で声を絞り出す。
鬼がよく響く低い声で答えた。
「抵抗しなければ、何もしない」
子供は手を放し、ぎゅっと目をつぶる。
ていこう・・・きっと、とうさんはていこうするんだ・・・そして鬼はひどいことをする・・・そしてもっと、もっと恐くなる・・・。
息をひそめて毛布に顔を埋めた子供を残し、鬼は静かに部屋を出て行った。
怒鳴りあう声。争う大きな音。
そして、煙が押し寄せて来た。
正面の扉を開けて出て来たハルシオンは、眉一つ動かすことなく、手にした布で剣の血のりを拭った。
肩をゆすって、収めた翼を落ち着かせる。
「また一人だけでやっつけてしまったのか。
皆、合図を待っていたんだぞ。こっちにも暴れさせろよ」
近づいた相棒のゲイルが、あきれたように言う。
白い翼はすでに納めた姿だ。
「相手はたった五人。呼ぶまでもない」
ハルは答えた。
二人で丘を下りながら、しょうがないな、とゲイルは頭を振る。
「逃げ出した者はいなかった。草が火を放った。この古家は燃やしてしまおう。
引き上げるぞ」
ハルは、はっ、と足を止めた。
「子供がいた」
「なにっ!」
相棒が振り向くより速く、ハルはあばら家へと丘を駆け戻っていた。
一階はすでに火が回っている。
翼を具現させ、入った窓を振り仰いだ時、窓辺に白いものがちらりと見えた。
オニが来た。オニが来た。オニが来た。
オニが来てすべてを壊す。
燃え上がる家、悲鳴、逃げ惑う人々。
恐怖の記憶に固まっていた子供は、煙を吸い込んで激しく咳き込んだ。
身体が空気を求めて動き出す。
オニが入って来た鎧戸を押し開き、涙で物も見えぬまま乗り出し、咳き込みながら夜気を吸い込む。
いきなり二本の腕がのびてきて、小さな身体を掴み上げた。
そのまま窓から引きずり出される。
オニ!!
オニに捕まった!




