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その存在の姿は見えなかった。
ただ、確かにそこに存在し、俺という存在に語りかけてきている、それだけがわかった。
同様に俺の身体も見えなかった。
ただ虚数という言葉が一番合いそうな何も無くしかし何かと連結している境界線も見えない空間の中に俺という存在が漂っている、それだけが感じられた。
『汝、次の世に力を欲するか』
最初に語り掛けられた問いに、俺はイエスと答える。だが声など出ない。そもそも発声器官自体が感じられない。ただ、答えたという概念のみを紡ぎ出すのである。
『その需要がある近しい世がある。汝はその力を以てして因果律の修正に努めることになろう』
因果律の修正?
『その世は汝のいた世に非常に近しい。元は同じ線上の世。だが外的存在によって因果律が狂わされた。放置すれば世界を形作る理もが歪もう。その前に因果律を修正する、その存在が欲されている。転生者のうちの適合する者を、その担い手として送り込むことでこれを解決せんとす』
その力を俺に? 何で俺が?
『適合性が高し。これは人の意が左右することに非ず』
その力とは何なのか――
『その世界で適合した事物を手にすれば、因果律を正す聖剣として、外の理に歪められし因子を祓うために振るうことができる力。因果律の歪みが生んだ怪異を払うことが能うものなり』
え、それは――
ここまでの問答を不可視の存在と俺という不確定な存在がしたところで、俺の意識は「次の世」のそれへと落ちて行った……。
「おい、ライアン。起きろ。もうすぐ着くぞ」
自分が今の自分という存在を持たない状態。その時にあったのだろうか、とにかく懐かしくも得体の知れない記憶の断片が脳裏を支配していた時、今の自分にとって聞き慣れた声が、俺を暗闇から引きずり出した。
目を開けてみるとそこは旅客機の客席。俺を現実へと引き戻したのは隣に座る相棒だ。
「ん、ああ。夢見てたみたいだ」
「おいおい、もうすぐハワイだぜ。寝ぼけてちゃあ、仕事を果たせないだろ?」
「勝手に仕事請け負っておいて何を」
三度に渡る事件の後、俺は相変わらずの調子で英雄とか怪物殺しのプロとか、いらない期待に晒されることとなった。
するとどうなる? そう、うちの地元にも怪物が出るから退治してくれ、報酬は弾む! そういう依頼が舞い込むようになるのである。
「でもよお、一人当たりの報酬が二万ドルだぜ? 結局来れなかったレベッカちゃんの分も上手くいけば貰えるかもだし、こいつはオレらみたいな田舎の学生にはまたと無いチャンスだぜ?」
と、家族共用の車を空挺ゾンビの一件で紛失したため新車を買いたいダニー。
「後から交通費と宿泊費込みって言われる気がする」
しかし俺としてはこれ以上目立ちたくはないので、冷淡にならざるを得ない。
「大体、車欲しいダニーはともかく、何でキャサリンまで来てるんだ」
「ん? サメ退治に使命感を感じるからよ」
キャサリンはキャサリンで駄目だこりゃ。
「おれとしては、幼馴染みにして守るべき市民でもあるライアンを一人行かせたくないってのがあるな」
と、来れないレベッカに代わって州軍の休暇を利用してついて来たクレア。本気で心配するなら引き止めて欲しい気もする。
「まあ、今回の敵は単なるサメのようだし、すぐに終わるだろ。そしたら残りの日程はバカンスに洒落こみゃ良いじゃないか。報酬だって、来年オレらも日本に短期留学するだろ? そのためとでも思えば良い」
ダニーは相変わらず楽観的なのであった。
そうこう言っているうちにも、飛行機は目的地に近づく。
……しかし「因果律の修正」か。
俺はこの後に及んで、ここのところ夢に見ることが増えた、恐らくは転生と関係のある記憶の断片に、心の内を掌握されてきている気がしたのであった。