Theme #1 ~ 猫
「ちわーっす、虎子さん――って、あれ」
「こんにちは、猫美さん」
「虎子さん、部室の掃除しとるんですか? そんなん、うち、やりますよ?」
「部室掃除というより、蔵書の手入れね。たまには虫干ししてあげないと痛んでしまうから」
「なら、うちはパソコンの掃除でもしますわ――ハタキでパタパタと。でもまあ、そんだけ専門書がようさん並んでるのに、最近はネットばっかり使ってて、なんかもったいないなあ」
「もったいないというなら、猫美さんも、端から順番に読んでいってみてはどうかしら」
「むー、本を読むのは嫌いやないけど、こんだけ量があると尻込みしてまうなあ……」
「もちろん面白そうと思った本だけで良いと思うけど――ところで、雅兎君はどうしたのかしら。普段は真っ先にこの部室に来ているというのに」
「うーん、昨日、ちょっと気の毒なことしてもーたからなあ……落ち込んでないとええんやけど」
「あら猫美さん。昨日、雅兎君に何か酷いことでもしたの?」
「こらこら、虎子さん。アンタが首謀者やないか」
「え?」
「……その表情、ホンマに覚えてないんか? うち、最近気づいたんやけど、虎子さん、アンタ、頭良いはずなのに、妙に忘れっぽいとこあるよなあ」
「私ね、興味のないことは一切覚えられない性質なのよ」
「眼鏡ふきながら、さらっと酷いこと言わんでください。雅兎君が泣きますよ」
「自分で言うのも何だけど悪気はないのよ。ほら、勉強だって興味のない科目は、覚えるのに苦労するでしょう?」
「それはわかりますけど。でも虎子さん、興味のない科目なんてあるんですか?」
「ないわね。全科目に興味があるから、全科目が満点よ」
「そゆことさらっと言えるんは素敵やと思うけど、なら適当なこと言わんといてくださいな」
「だから勉強以外のことよ。実際、昨日の晩御飯の献立すら覚えてないわ」
「そりゃボケの始まりですがな」
「もちろん冗談よ。昨晩はカレイの煮付けを作って――って」
「ん、どしたん? あ、雅兎君、来たんか」
「こ、こんにちは……虎子部長、猫美さん……」
「ぶっ」
「猫美さん! 僕を指差して笑わないでくださいっ!」
「せ、せやかて、くっくっく……男の子なのに、頭に……そんな大きくて可愛いリボンなんか付けて……なんや赤いし、くっく……」
「虎子部長もっ! 顔を背けてても、肩が震えてますよ!」
「ご、ごめんなさいね……そうそう、思い出したわ。昨日の『テーマ』についての仮説を検証するための『調査』だったわね。雅兎君が、その……可愛らしいリボンを付けることが……」
「ぶわっはっはっ!」
「猫美さんっ!」
「いやいや、堪忍な……しかし、雅兎君、童顔やし、妙に似合ってるとは思うんやけど、どうしてこうも面白いんやろか……」
「……場違い感とか違和感とか、そんな感覚でしょう。お笑いとかギャグとかは、場違いのことをやるから面白いんだって。だから男子がリボンを付けたら、きっと面白いだろうって――虎子部長が言い始めたことですよ。まったく……」
「そういえば、そんな話だったわね」
「ひょっとして……忘れてたんですか?」
「いいえ、もちろん一片も欠けることなく全てを覚えていたわよ。当然でしょう。ところで、ええと、どうだったのかしら。調査の一環なのだから、報告してくれるとありがたいのだけれど。第三者がその姿を見たときの反応を、ね」
「……昨日、この部室でリボンを付けられた後、しばらく学内に隠れてて、薄暗くなってから学校を出ました。自転車で家まで猛ダッシュしましたよ。だから昨日は誰とも会ってないです」
「あら、ご家族は?」
「ああ……家に帰った後、もちろん両親には見られました。大爆笑されましたよ、ええ」
「ほほう、そら良かったなあ」
「……親に笑われたことが、良いことなんですか?」
「心配されるよか、万倍マシやん?」
「そりゃそうですけど……」
「ええと、それで?」
「あ、はい。『また、眼鏡美人の部長さんの企みか』とか『うちの息子にリボンを付けるセンスは素晴らしい』とか……二人でそんなこと言い合ってましたけど……」
「お褒めに預かり光栄だわ。妹さんの反応は?」
「えっと……僕を見るなり顔を真っ赤にして騒ぎ始めましたよ。『またトラコとかいう女の仕業だね!』とか『お兄ちゃんをいじめる奴は、私が代わりにカタキをとる!』とか『そいつと夜道で会ったら、トラウマになるくらいの言葉で罵倒してやるんだからっ!』とか、そんな感じです……」
「相変わらずお兄さん想いの妹さんね。うらやましい。でも今後、夜道は気を付けて歩くことにするわ」
「まあ『夜道で会ったら』とか言って、確率の低いエンカウントを期待してるあたり、積極的にカタキをとってくれる気はないっぽいんですけど」
「今朝、学校に来てからは?」
「男女問わず、会った直後に笑われるか、苦笑されるかですよ……先生も含めてです。まあ、憐れんだ目で見られることもありましたけど……みんな決まって二言目には『また虎猫コンビにやられたのか、まあ頑張れよ』って……」
「おんや、その名前、一年生の間でも定着したんやな。我ながら誇り高いなあ、うんうん」
「悪名高い、ですよ。まったくもう……ええと、報告は以上です」
「ご苦労様」
「それと個人的な感想として……例えばもし僕が入学して間もない頃にこんな恰好をしたら、もちろんドン引きされます。対して今は学内外で有名な虎子部長という存在が背後にある。だからこそ笑いごとになっているんだと、そう感じました」
「なるほど、つまり私は笑いの神だったということね」
「ちゃうがな」
「言ってみただけよ。でも確かに、いくら場違いなことが面白いと言っても、あまりにも想定外なことは笑いに繋がらないと。そういうことよね」
「ですなあ。シリアスな映画でいきなりギャグやられても笑えへんし。お笑いの前座ゆーんも『この場所では笑ってええんよ』てな空気を作るためにやるわけやしな」
「『興味深い』という意味での『面白い』も、自分の持つ知識から少しだけ離れている事象を知るから面白いのであって、まったく知識のないことを知るのは、ただのお勉強だものね」
「ふむ。なるほど」
「つまり――面白いという感情は、後天的な要素というか、自身の持つ知識によって変じられるということを、改めて理解できたということかしら。雅兎君のおかげで、ね」
「えっと、話がまとまったところで、このリボン、外してもらえませんか……?」
「なんや、さっさと自分で取ればええやないの。くっくっく……」
「できるならとっくにやってますよ。ちょっとだけって言われて、ためしに付けてみただけなのに、まさか鍵がないと外せないなんて……誰ですか、こんな変なもの作ったのは」
「隣の備品室にあったやつやけど、OBの先輩が作ったんやないかな。それが入ってた箱には『罰ゲームセット』って書かれてたで」
「やっぱり罰ゲーム扱いなんじゃないですか! これ!」
「あれ? でも鍵、どこに置いたっけな?」
「ちょ、ちょっと! 猫美さん!」
「大丈夫よ、雅兎君。私が持っているから。ほら、こっちに来なさい。私が外してあげる」
「あ……は、はい……」
「おや、雅兎君。顔が真っ赤やよ。くくくっ……ひょっとして、そんなふうに虎子さんに優しく取ってもらうのを期待してたとか――って、冗談やよ。そんなに睨まんどいてーや」
「はい、取ったわよ」
「あ、ありがとうございます……」
「まあ、リボン付けたんも虎子さんやし、礼を言うんは実際おかしいんやけどな」
「ところで猫美さん。スマートフォン用のアンケートシステム、使ったのでしょう?」
「あ、はいはい――ポチポチと。こまい集計は後でやっときますけど、気になるんは最後の設問『本日、1年生の白羊雅兎君の姿を見た人は、その感想を自由に記述してください』。ふむ、回答数128。結構な人らに見られてたみたいやな」
「興味深い回答はあるかしら?」
「ええと……【彼はリボンを付けてても付けてなくても可愛いです】【アイツが女だったら惚れてた】【次は女子用の制服を、いやゴスロリ衣装をお願いします。なんなら私がコーディネートします】などなど……男女問わずモテモテやないか。良かったなあ、雅兎君」
「ちっとも良くないです……ええと、虎子部長」
「何かしら」
「この部活って、退部はできるんでしたっけ?」
「…………」
「あれま、雅兎君。ホンマはお怒りモード?」
「いや、怒ってるというか……釈然としない気持ちなのは確かですけど」
「あ、なるほど。交渉カードとして使いたいわけやな。『ゴスロリとか着させられるくらいなら、部活やめます』ってな感じで」
「……まあ、その通りです」
「ダメよ。入部した以上、卒業するまで自主的な退部はできないわよ」
「あんれ、虎子さん。そんな規則ありましたっけ?」
「規則はないけれど、ダメに決まってるでしょう。この久音高校研究部は、定められた『テーマ』に沿って、調べて、議論し、思考して、検証する。すなわち研究を行う部活動。この学校の創設から続く歴史ある部活であるが故に、入学直後の実力判定テストで最高得点を得た1名のみしか入部できない。つまり部員として選ばれることは、とても名誉なことなのよ」
「むう、改めて言われると、うちがふさわしいとは思えんなあ……1年のときと比べたら、うち、成績めっちゃ落ちてるし……」
「猫美さんは去年、私と一緒に論文を書いたじゃない。十分この部にふさわしい人材よ」
「ゆーても、アレ、ほとんど虎子さんが書きましたやん」
「猫美さんの協力がなかったら完成はしなかったわよ。あなたも連名として論文誌に掲載されたのだから、一端の研究者として誇っていいのよ」
「うーん、ぜんぜん実感わかんけど……」
「そもそも、この部が創設された理由は、優秀な生徒が『テスト勉強しかできない子』にならないよう、視野を広げさせるためだったと聞くわ。そういう意味でも雅兎君には最適な部活動でしょう?」
「ふむ。虎子さんは文武両道。陸上部のエースで剣道も有段者やしな。うちはうちで色んなバイトしてて、ガッコの外での人付きあいも多い。でも雅兎君はこの部に入るまでは帰宅部で、友達もいなかったんやろ? いまや学校中の人気モンやし、まあ、良かったやないか」
「そうですね……それは感謝してます」
「私は今年で3年目。でもね、白羊雅兎、三猪猫美、そして私、龍堂虎子。この3人による現体制が、色々な面でバランスが良いと、そう思っているの」
「まあ確かに。去年も楽しかったけど、今年は雅兎君のおかげで、部活の幅が広がった感じはするなあ。パソコンとか詳しいし」
「とにかく雅兎君、この部を辞めるなんて不名誉なこと、部長として許さないから。わかった?」
「はい、わかりました……けど」
「ま、リボンについては、悪ノリしすぎたのは確かや。堪忍な、雅兎君……ぷっ」
「謝りながら思い出し笑いをしないでください……」
「思い出し笑いがダメなら、スマホに撮った写真を見ながら笑おかな」
「今すぐ消してくださいっ!」
「でもね。足を使った現地調査も、研究においては大切なことなのよ」
「それはわかりますけど……今回の件も含めて、僕がやってるのは『足を使った調査』というより、『体を張ったギャグ』といった方が正しい気がするんですけどね……」
「まあまあ、過去のことは一旦忘れて、ぱんぱかぱーん、今日の『テーマ』を決めてみようやないかー」
「猫美さん、相変わらずノリノリね」
「うちな、この『テーマ決定システム』が、大好きなんようー」
「システムといっても、ただの福引のガラガラですけどね」
「ハイテクよね」
「ふふふ、ほないくでー。グルグルグルグル――」
「回しすぎよ」
「――っぽん! お、白球が出た……なになに……おお」
「何が書かれてました?」
「ふっふっふ、これはこれは、まさにうちの、うちによる、うちのためのテーマや!」
「じらすわね」
「今日のテーマは、何と――『猫』や!」
「あら、随分とシンプルというか」
「昨日の『面白さを定義せよ』というテーマより、はっきりとした目的がない感じですね……検討の幅が広いとも言えるかもですけど」
「そうね」
「とりあえず論文検索サイトで『猫』というキーワードを調べてみます」
「よろしく。でもこれは確かに、猫美さんのためのテーマね」
「ふへへ」
「変な笑い方しないでよ……」
「にゃあにゃあ」
「あ、猫美さん、良い機会なので――僕、前から気になってたことがあるんですが」
「なんや?」
「猫美さんって、ご両親が猫好きだから、ネコミって名づけられたんですか?」
「そやよ。うちの親、うちが生まれる前から、ようさん猫さん飼うくらい猫好きなんよ。そんで、猫さんみたいに可愛い子になって欲しいってことで、つけたんやと。ちなみに今は家に12匹おるで」
「たくさん飼ってるとは聞いた覚えがありますけど……すごいですね」
「うちより長生きしとる子もおるしなあ。うちも含めて兄弟姉妹みたいなもんや」
「それは良いですね。みんな仲良しなんですか」
「うん、まあ仲は良いんやけど……実は、1つだけ問題があってなあ」
「何ですか?」
「うち、猫アレルギーなんよ」
「え」
「……ちょっと、それ、私も初耳よ。ダメじゃない」
「で、でも、もちろん猫美さん自身も、猫は好きなんですよね……?」
「うん。せやから、命がけの愛なんよっ! ――って、ま。そんなに酷いアレルギーやないんやけどな。ずっと触ってると、鼻水が止まらなくなってなあ……ちゃんと掃除して、マスクしとけば、まあ平気なんやけど」
「それは大変ですね――あ、それで検索した結果なんですけど、『猫』だとやっぱり生物系の学会誌の論文がヒットしますね。獣医師学会とか、ペット栄養学会とか」
「ほう」
「例えば『猫の肥満と糖尿病』についての事例研究とかありますけど……興味あります?」
「いんや、うちの子、みんな健康体やし」
「ですか。それで、もちろん他にもたくさん論文はあるんですが、検索結果が雑多な感じだったんで、もう少し対象を絞れないかなと、今、試しに『猫アレルギー』と『cat allergen』で検索してみたんですよ」
「お、ええやん。そのへん色々調べたら、うちの猫アレルギーようなったりしーひんかな」
「僕もそう思って検索したんですけど……まだ多いですね。ヒット数7000超えてます。それに日本語より英語の論文の方がかなり多い感じです」
「おおう……」
「まあ、こういった専門的すぎる分野は、僕ら素人がどうこうできるものじゃないですね」
「うーん。なんや理系のやつは、話のきっかけにすることすら難しいなあ」
「あら、情報学も理系の一種でしょう?」
「ん?」
「ええと、こんな話を知らないかしら? インターネットの全トラフィック。つまり世界中の人たちがウェブ上でやりとりする膨大な量の情報。このうち約15パーセントが『あるモノ』に関するデータらしいのだけど。何かわかる?」
「え……なんやろ。メールのデータとか?」
「そういう答えではなく、コンテンツね」
「コンテンツ? えっと、アニメ関連とか?」
「もう少し具体的なモノ」
「なんやろ、わからん……ええと、ドラえもん!」
「惜しいわね」
「え、惜しいんか。軽くボケたつもりやったんやけど」
「――って、どうしてこの話を振ったと思ってるのよ」
「へ?」
「猫よ」
「ほえっ?」
「正解は猫。猫の画像とか、猫の動画とか――そういった猫関係のデータがインターネットの15パーセントを占めているということ。概算すると年間約150エクサバイト。2層ブルーレイディスク換算で約30億枚分に相当する猫関係のデータが1年間で通信されているらしいわよ」
「はあ、30億……なんや想像できん量やけど、みんな、猫好きなんやなあ……」
「でもこれ、海外のペットフード会社が適当に言っているだけで、かなり眉唾な話なのよね。猫の画像や動画がウェブ上に多いのは確かだけれど、あくまで与太話として考えて頂戴ね」
「でも、そういう方向は面白いですね。身近な話を広げるという意味で、僕らでも手をつけやすいですし」
「インターネットと猫、とか、ネタとしてはええかもしれんなあ」
「そうなると理系というよりは、文系の、やはり社会学系の話になるのかしら――ところで、私、今の話をニュースサイトで読んだときに思ったことがあるのよ。ほら、スマートフォンの通信制限ってあるじゃない?」
「あ、はい。ずっとネットしとると通信速度を落とされてまうってやつですな」
「あれってもちろん、たくさんの人がスマートフォンでインターネットを使っていて、通信が混雑してしまうからこそ、速度を制限するわけよね」
「そうですな」
「そしてその通信は、猫関係のデータがかなりの割合を占めている。それはもちろん、多くの人間が猫という存在に興味をもっていて、飼い猫や野良猫をスマートフォンで撮って発信したり、猫の写真や動画を受信したりしているのが原因――これらの事象を総合して考えると……」
「考えると」
「つまり」
「つまり?」
「この世から猫を滅ぼしてしまえば、通信制限は起こらなくなるということよね」
「ちょっと! なんてことゆーんですかっ!」
「論理的には正しいじゃない」
「倫理的に間違ってるんですっ!」
「冗談よ。でも猫好きの人に言う冗談じゃなかったわね、ごめんなさい」
「いや、もちろん、わかった上で突っ込んでますけど……」
「それもこれも通信制限なんてものが悪いのよ。スマートフォンの普及数に耐えきれるだけのインフラを整備できないなら、高速通信なんて謳わないで欲しいものだわ。少しばかり動画をたくさん見た程度であんなに速度を落とす癖に――なにが追加料金よ。まったく。もう」
「えっと……お怒りはごもっともなんやけど……虎子さんち、お金持ちですよね?」
「ええ、知っての通り、龍堂家は日本有数の財閥。通信会社を乗っ取るくらいの財力はあるわよ」
「なら追加料金くらい、ぱぱっと払ってやれば、ええやないですか」
「残念ながら、私はまだ学生の身。おこづかい制よ」
「こんなん訊くのもアレですけど、なんぼもらっとるんですか?」
「月5万」
「ええですなあ。うらやましい」
「でもね。今月、かなりピンチなのよ」
「おや、なんや高いモンでも買ったんですか?」
「買ったというか、課金をしたの」
「え、課金って……ゲームですか?」
「そうよ、雅兎君。スマートフォン用の有名な対戦型パズルゲーム。雅兎君もやっているのでしょう?」
「そういえば前に、そんな話をしましたね」
「それで興味をもって、同じクラスのゲームに詳しい男子に訊いてみたのよ。そうしたら操作方法から何まで、すごく丁寧に説明してくれて、わざわざ放課後に対戦相手になってくれたの」
「ほーう、ほうほう。それは色々な意味で気になる話やなあ」
「私のキャラクターはステータスが低いから、なかなか勝てなかったのだけれど、たまに手を抜いてくれたのかしらね。なんとか私が勝ったときは、すごい褒めてくれたわ。だから」
「だから……?」
「この人は――私の全身全霊をもって、このゲームで打ち負かしてあげないといけないなって」
「なぜにそうなる」
「弟子が師匠を打ち負かすなんて、師匠からしてみれば至極のことでしょう?」
「虎子さんの先生となる立場の人は、古今東西、大変そうやな……」
「良いわよね、課金型ゲーム。お金さえ払えば、時間をかけずに強くなれるって。まさに資本主義を体現したシステムよ。時は金なり。勝利は金で買える。そして金は命より重いのよ」
「……虎子さん、そんな漫画の悪役みたいな人生観してましたっけ? なんかまた適当なことゆーてませんか?」
「その通り。思いのほか結構な額を課金してしまったから、色々と言い訳をしてみただけよ。でもね、課金をしたことについては、きちんとした理由があるのよ。実はね――」
「なんですか?」
「私、負けず嫌いなのよ」
「よう知ってますよ? そんなもったいぶらんと。学校中の皆が、イヤいうほど」
「だから翌日、その男子に対戦を申し込んで、全勝したわ。5万円の力でね」
「ええと、虎子部長……その男の先輩、負けた後、相当落ち込んでいたんじゃないですか?」
「よく知っているわね、雅兎君。そう、この世の終わりみたいな顔をしていたわ。少しやりすぎてしまったかしらと、私が反省する程にはね。でも、ゲームに負けたくらいで、あそこまで落ち込まなくてもいいとは思うのだけれど……」
「ちゃうよ……その人、ゲームをきっかけに虎子さんと仲良くしたかっただけや……」
「え?」
「いや、何でもないです―― なあ、どう思う? 雅兎君」
「―― 間違いなくそうだと思いますけど」
「―― いや、虎子さんの方やよ。その先輩の下心ゆーか恋心に、ホンマに気付いてなかったんやろか……?」
「―― どうなんでしょう……虎子部長、他人付き合いに関しては、結構抜けたところがありますからね……」
「―― 恋愛オンチなんて噂話も聞いたことあるしなあ……」
「ええと、小声で何を話しているのかしら?」
「あ、いえ……」
「まあ、ええ機会やし……えっと、虎子さん、つかぬことお訊きしますけど」
「何?」
「恋愛に興味あります?」
「え、何よ唐突に……まあ、ないわね。皆無よ」
「さいですか――って、あ、他人の恋愛話とかじゃなくて、自分に関する話ですよ?」
「……ふむ。そうね。もちろん、私も女子だから、白馬に乗った素敵な男性があらわれて、ロマンチックな告白をしてくれる程度のことは、夢見ているわよ」
「なんや古い少女漫画みたいな恋愛像ですな」
「それはそうよ。私、昔読んだ少女漫画でしか恋愛を勉強したことがないもの」
「恋愛は勉強するものやないと思うんやけど……ちなみにその素敵な男性の条件みたいなモンはあるんですか?」
「私ね、古い家柄で育ってきたこともあるのだけど、『女は男より3歩下がってついていけ』と、そんな風にしつけられているの。現代社会ではジェンダー論者に怒られてしまいそうな話だけど、私自身、そういう思想は嫌いじゃないのよね」
「それはちょっと意外ですな」
「だからね。私の伴侶としてふさわしい男性は、私より3歩前を歩くことのできる人。つまり、頭脳、器量、そして運動能力という3つの点。このすべてが私より優れている人。それが私が理想とする男性の条件ね」
「はっはー、なるほど。この世に存在しない男なわけや」
「その通りよ」
「あははっ…… ―― って、さらっと返すあたり、虎子さん、やっぱり自分の恋愛にも興味なさそな感じやな……」
「―― 自分と釣り合う相手がいないから恋愛に興味を持てない。それはそれで寂しいですね」
「―― そうやなあ……」
「ところで、猫美さん。この話は今日のテーマと関係あるのかしら?」
「いえ、全然」
「それなら話を元に戻しましょう。今日はそんなに時間が取れないのだから」
「あ、今日はこの後、陸上部行くんでしたっけ。そいえば、うちもバイトの日や」
「テーマが広い感じですし、今日中に方向性だけでも決められれば良いですね」
「雅兎君、論文の検索結果で、興味深いものはないのかしら」
「そうですね……個人的に面白そうだと思ったものだと『猫ひねり動作の解明とロボットによる猫ひねりの実現』なんてのがあります。20年以上前の論文なので少し古いですけど」
「あら、良いじゃない」
「あ、それって、猫さんは高いところから落ちても、空中で身体をぐいっとひねって、ちゃんと足から着地できるってやつやな?」
「そうですそうです。それを『猫ひねり』って言うらしいんですけど、空中でどうやって身体をひねっているのか、当時はきちんと解明できてなかったらしいです」
「へえ」
「それをきちんと物理学的に証明したのがこの論文で、さらにそれを応用した『ロボット猫』を実際に作って、空中で『猫ひねり』を再現することに成功した――と、そんな内容らしいです」
「面白そうね」
「ふむ、なんや難しそうやけど、それを自然にやってる猫さんがエライゆーことやな」
「そうとも言えるかしらね」
「そのおかげで、猫さんは高いところから落ちても大丈夫なんやろ? スゴイなあ」
「――死ぬわよ?」
「え」
「猫ほどの質量をもつ生物が高いところから落ちたら死ぬ。当たり前じゃない」
「え、えっ……? で、でも、猫さんがマンションの高いとこから落ちたけど無事やったって、そんな話を聞いたこともあるんやけど……」
「珍しいからこそニュースになるのでしょう?」
「う……あ、あと! こんなん読んだ覚えがあるんよ! 猫さんはスゴイ高いところから落ちても、空気の摩擦やら何やらで、落ちる速さには限界があって、空中で手足を広げてムササビみたいになるから、落ちた時のショックは小さいとか……なんとか……」
「確かに物体が空気中を落下する場合、重力と空気抵抗が釣り合った時点で、それ以上、落下速度は大きくならないのだけれど――そうね、雅兎君、『猫 高いところ 落ちる』で、ウェブ検索してみてくれないかしら」
「え? あ、了解です――ええと……あ、猫美さんが言ってたことが書かれてるページがありますね。マンションの34階から落ちても無事だった猫がいるとか、落下するときにムササビのような姿勢をとって落下速度を落とすとか」
「ほら、ほら」
「それに――化粧品会社のサイトに『7階以上の高さから落ちても大丈夫』と書かれてますよ。2階ぐらいの高さより、7階以上の高さから落ちた方が怪我が少ないんだとか」
「あ、そうそう。うち、前にそれ読んだんかも」
「でも、これ、情報の出典が書いてないですね……」
「雅兎君、さっきの条件にもう一つ……そうね、『統計学』という単語を付け加えたうえで、検索してみてくれないかしら」
「え……あ、はい? って――えっ!」
「ふふ、思った通りの結果が表示されたようね」
「何なん、何なん? うちにも見せてーな……って、あ……」
「先に言っておくけれど、私が知っているのは、そこまで。1990年頃だったかしら。アメリカの科学雑誌に載った『7階以上の高さから落ちた猫の方が、それより低い階より落ちた猫より生存率が高い』という記事が、実は間違いだった、という話ね」
「まさにそのことが書かれてるページが出ましたよ……落下する猫に関するその手の話は全部ウソだって」
「ウソ?」
「ええ。獣医師がジョークとして話したことを、記者が真に受けてしまったために、記事として掲載されてしまったと書かれてますけど」
「ふうん、それは初耳だけれど……いずれにしても『データ自体は正しいのに、その解釈の仕方を誤ってしまった』という、統計学や論理学において悪例として挙げられる話なの。『高いところから落ちてしまい病院に運ばれた猫』のデータを使って、さも正しいような説明をしたけれど、実は『病院に運ばれなかった猫の数』をまったく考慮していなかったところがポイントね」
「低い階から落ちて怪我をしなかった猫や、高い階から落ちて死んでしまった猫は、どちらも病院に運ばれないですしね」
「むう……むう……」
「猫美さん、決してあなたを馬鹿にしているわけではないのよ。この部における批判的思考の重要性は、入部したときに教えてあげたでしょう?」
「うん……けど、なんかモヤモヤするんよう……」
「実は私も同じ気分なの。今の話は、以前、論理学の本で読んだことを覚えていただけで、実際に高いところから落ちてしまった猫がどうなってしまうのか、本当のところは知らないのよ」
「そもそも、この『ウソ』って書いてあるページが『本当』かどうかも怪しいしなあ……」
「その通り。落下する猫について書かれた記事が不正確だったからといって、落下する猫についての逸話がすべてウソとは限らないものね」
「いったい……真実はどこにあるんやーっ!」
「ということで、雅兎君」
「はい?」
「私も猫美さんも真実を知りたいの」
「そう! 真実はいつもひとつなんやぁーっ!」
「……とは限らないけれど」
「せやかて工藤!」
「私は龍堂よ。まあ、暴走気味の猫美さんはさておくとして、この件でしっかりとしたデータを掲載したサイトや論文はないのかしら?」
「えっと、確か参考文献を載せていたページが……あ、論文がいくつかあるみたいですね。例えば "Feline high-rise syndrome" というタイトルの英語の論文とか」
「猫の、高層建築物、症候群?」
「です。ええと、フライングキャット症候群とも呼ぶそうですけど、名の通り、猫が高いところから飛び降りてしまう現象を指すそうです。どうやら論文の概要に色々な数値データがまとまってるみたいなので、ちょっと機械翻訳してみますね」
「雅兎君、その論文、読んでみたいから、後でアドレスを送っておいてくれる?」
「了解です。それで翻訳結果は……と。ふむ……抜粋します。『落下した、もしくは落下したと推測されて、病院に運ばれた猫119匹を調査』『飛び降りた高さの平均は4階』『飛び降りた猫の96パーセントが生存した』――」
「おお、だいたい4階から落ちても、生存率96パーって、やっぱすごいやん!」
「ええと、猫美さん。大丈夫?」
「へ?」
「4パーセントは、死ぬのよ?」
「あ……」
「乱暴な話。猫美さんが飼っている猫12匹が一斉に高いところから落ちたら、ええと――だいたい40パーセントの確率で1匹は死んでしまう計算になるのだけれど」
「あとですね。『生き残った猫も、約半数は、どこかしら骨折していた』と書かれてます」
「……それは、ぜんぜん大丈夫やないなあ」
「でしょう? もちろん『病院に運ばれた猫』しか調査対象にできないから、明確な結論は出せないでしょうけど、それでも得られるのは『猫は高いところから落ちても、人間と比べると生存率が高い』という事実であって、『猫は高いところから落ちても大丈夫』なんてことでは決してないのよ」
「言われてみれば、当たり前のことやな……うちがアホやったん……」
「猫のスゴイところを主張しようと、つい感情的になって、冷静な判断ができなかったというところかしらね」
「というより『自分が間違ったことを言ったと認めたくない』って気持ちが、少なからずありましたん……うちもやっぱり負けず嫌いなんやなあ……」
「負けず嫌いは別に悪いことではないと思うわよ。私が言うのもなんだけれど。でも間違いを指摘されたら、1歩さがって冷静に、ね」
「はーい」
「いい返事ね」
「にゃあにゃあ」
「えっと、虎子部長、猫美さん」
「はい」
「にゃあ」
「話の続きです。論文の内容にも軽く目を通してみたんですけど、『高いところから落ちたほうが、骨折する可能性は低くなる』みたいなことが書かれてるっぽいです」
「ほう、どれどれ……って、やっぱり全部英語なんやな……」
「ええ。だからグラフを見たりとか、翻訳しながらの拾い読みくらいしかできないんですが……ほら、このグラフ。猫が落ちた階数が高いほど、骨折する率が下がることが示されています」
「うーん……下がるゆーても、3階の80パーが一番高くて、7階以上が50パーかあ……この確率で骨折してまうとすると、やっぱり大丈夫やないなあ……」
「雅兎君、結局のところ、その論文は『高いところから落ちたほうが死亡率が低い』というようなことを、主張していたりいるのかしら?」
「いえ、そういう論調ではないっぽいです。7階以上の高さから落ちた場合、えっと……『胸部の外傷』の率が急激に上がってますし、他のグラフによれば……重症度、とでも言うんでしょうか。色々な部位における怪我の度合いは、7階以上から落ちた場合、かなり酷くなるみたいです」
「なるほど。骨折だけが怪我じゃないものね」
「そうですね。それで、その理由は……ええと」
「時間もないし、そこまでで良いわ。ありがとう、雅兎くん。あとは私が読んでおくから」
「いえ、僕も興味があるので、家に帰ってから頑張って読んでみます。うちもマンションですし、猫、飼ってますから」
「お……? 雅兎君ち、猫おったん?」
「……ふふふ」
「なんや、急に変な笑い方して……」
「実はさっきから言おう言おうと思ってたんですが、なかなか言いだすタイミングがなくて……最近、飼い始めたんですよ。妹が親に頼み込んだ結果なんですけど。写真、見ます?」
「なるほど、うちの子自慢したかったわけやな……って、うわっ! ロシアンブルーやん! 子猫や! ちっこい! かわえええ!」
「ふふ、そうでしょう、そうでしょう」
「うちの猫さんは拾った子ばっかりやから、雑種ゆーか、たくましい感じの子が多いんやけど、ああ、ええわあ……今度、雅兎君ち、見に行ってもええかなあ……」
「ぜひぜひ、妹も喜びますよ」
「あ、雅兎君、ちとスマホかして。ほらほら、虎子さんも見てみい……って、何ですか。変な顔して」
「……この子、オス? メス?」
「あ、男の子です」
「ならダメね。私――オス猫は嫌いなの」
「え」
「むう? 虎子さん、なぜにオスだけ……?」
「なぜと言われると困るのだけれど、昔からそうなのよ。しいて言えば、そう、可愛いから――かしらね」
「なぜにそれが理由に……って、ああ、ひょっとして、3歩前を歩くってゆーんと同じで、『オスは勇ましくあれ』とか、そんな感じですか?」
「ジェンダー論者に怒られてしまうから、詳しく言いたくはないのだけれど」
「猫さんにジェンダーとか関係ないんやないですか?」
「社会的もしくは文化的な性差、という定義からすると、動物には関係ない話かもね」
「ほらほら、まーた適当なことを」
「だから困るって言ってるじゃない。好き嫌いの理由を説明せよと言われても難しいのよ。猫美さん、あなた、以前カツオブシが嫌いと言っていたけれど、その理由は説明できるの?」
「よく覚えてましたな、んなこと……えっと、うちが小さかった頃、お好み焼きの上にのってたアレがふらふらと動いて、まるで生きてるよーに見えてから、食えへんようになってまったんですけど……だから理由ゆーたら、まあ、見た目かなあ……?」
「見た目という意味では、オス猫でも好きな種類はあるのよ。ヤマネコとか、カラカルとか、ボブキャットとか」
「野性味あふれる猫さんたちですな」
「そうね――野生に生きる者、サバイバルの中で生き残る者は、やはりその強い力と屈強な意志が外見にも反映されるものなのよ。その雄々しい姿はメスを引き寄せ、結果、強く生き残るための遺伝子が後世に引き継がれる。そういう意味で、可愛らしい姿をしたオスという存在は、野生にあらず、すなわち生物学的に間違っていると思うのよ」
「だから嫌いってことなん? うーん? なんやろ……ぽいっちゃぽいんやけど、どうも虎子さんらしからぬ意見やなあ……ん? どした雅兎君……って、ああ、雅兎君、童顔なの気にしてるもんなあ」
「あ、いえ……」
「今の虎子さんの話やと、雅兎君は人間失格やって言ってるようなもんやしな」
「い、いやいや、別にそんな極端な解釈はしてないですけど……」
「ごめんなさい、雅兎君のことを悪く言うつもりは……ええと、話を戻しましょう」
「そやね。雅兎君も気にしちゃあかんよ。顔のことだって、ええ面構えしとるんやし、今はともかく何年かしたら、ちゃんと大人の男っぽくなるはずやよ! うちが保証したる!」
「はあ……」
「それで、ええと、雅兎君……論文検索以外の、例えば一般のウェブ検索やニュース検索で、何か興味深い話はないのかしら」
「あ、はい……実はさっき試してみたんですが、ただ単に『猫』と検索しても雑多な情報しかでてこなくて……あ、そうだ。この部の議事録も調べてみましょうか」
「そうね。このテーマなら、過去の先輩たちが話題にしたことがあったかも知れないし、参考になることが書かれているかもね」
「ええと、とりあえず『猫』で検索……あっ」
「ん? なんか見つけたん?」
「ふむ……ふむ……」
「雅兎君?」
「えっと……すいません、ちょっとトイレに」
「いっといれ――なら、その間に……あ、せっかくやし、猫に関する本でも探してみるかな」
「専門書ではないけれど、確かその本棚に『吾輩は猫である』があったはずよ」
「そいえば、うち、きちんと読んだことないんやけど、あれって裏設定があるんやろ?」
「え?」
「猫目線で書かれた小説やけど、実は冒頭でその猫は死んでしまってて、お化け猫なんよ。だから登場人物はその猫を認識できてない。けど主人公の作家先生だけが猫を見ることができる。なぜなら彼はお化けを見ることができる特異体質だったからなんや」
「……そうなの?」
「そやよ、だって、ネットにそう書いてあったもん。作品全体をよーく読むとそのヒントが隠されてるとかなんとか」
「ふうん――って、雅兎君。お帰りなさい」
「なんや、ずいぶん早かったなあ。これから猫美さんの嘘八百劇場が始まるところやったゆーんに。手、ちゃんと洗ったんか? ん? 雅兎君、手を背中に回して……なんか隠しとるん?」
「――虎子部長」
「どうしたの、いつになく真剣な表情で」
「今日のテーマに関連して、いくつか質問したいことがあるのですが」
「どうぞ」
「まず――虎子部長は『猫の可愛さ』とは、何だと思います?」
「え」
「なるべく具体的にお願いします」
「……そうね。ふわふわの毛。喉を鳴らす音。くるんとした尻尾。あくびをした時の表情」
「虎子さん……アンタ、オスとかメスとか関係なく、やっぱり猫が好きなんやろ……」
「嫌いよ。オスはね」
「もっとシンプルなところで『耳』はどう思いますか?」
「耳? それはまあ、猫に耳がなかったら……」
「ドラえもん!」
「……は、可愛いけれど」
「猫美さん、あの……」
「はいはい、茶々いれず、黙っとるで」
「ええ、もちろん。猫の耳は可愛いと言えるんじゃないかしら。ドラえもんが一見、猫に見えないのは、耳がないからでしょう? 猫が猫たる象徴であって、猫を可愛いというなら、その耳も可愛さのひとつであるとも言えるでしょうね」
「わかりました。ではもう1つ――さっきの虎子さんの話なんですが」
「ええと、雅兎君……あれは」
「いえ、別に怒ったり、気を悪くしてるわけじゃないんです。内面に抱えるものが外見に現れる。これは間違ってないと思います。野良で無愛想だった動物が、人間に大切に育てられることで可愛らしくなる、なんてことは良く聞く話ですし。それはもちろん人間も同じだと思います」
「よう笑う人間は、ええ表情になっていくなんてのも聞くしなあ」
「そうね。顔の筋肉をよく動かすようになれば、顔付きが変化していくのは当然でしょうね」
「ただ僕は、その逆もあり得る思うんです」
「逆? それは、外見が内面に影響を与える、ということかしら?」
「そうです。ペットを例とすれば、外見が可愛いからこそ人間に飼われ、結果、人懐っこい性格になるわけでしょう」
「なるほど。そういう意味ね」
「かわええ女子は、ちやほやされるから性格が良くなるってなあ、しししっ。それはまあ逆もまたしかりやけど……おっと。うちはだんまりや、だんまり……」
「いえ、猫美さんの言う通りで、外見を含め他人からどう評価されようが、結局は自分自身の意思によって内面は決まると思うんですが――ええと、これは余談というか、まあ僕自身のことなんですけど」
「ふむ?」
「僕は、まあ昔から『男の子にしては可愛い』とか『女の子みたいだ』とか言われてきましたからね。小さい頃、ヒーローごっこをしたときに、ヒーローでも悪役でもなく、なぜかヒロイン役を割り当てられたこともあったりしましたし」
「それ、軽いイジメやないか?」
「いえいえ、あくまで遊びの範囲のことです。僕が拒否すれば無理に押し付けられることはなかったと思うんですが、僕も、まあ仕方ないかなと、それに付き合ってたんです。そういった気持ちの持ちようは、今でもあまり変わりません」
「言われるがままにリボン付けてみたり……なあ」
「です。でも、さっきの虎子部長の話を聞いて……何というか反省したんです。そういう心構えだからこそ、外面が変わらないし、逆に、外面を意識しないからこそ、他人からの評価も変わらず、僕自身いつまで経っても妥協的で、なあなあ のまま変化しないんだなって」
「ふむ、そういうもんかもなあ」
「自分自身が『男らしくありたい』と意識しない限り、外見も、内面も変化することはありえない――って、まあ当然のことなんですけどね。だから今後、まあ急に髪を染めたりはしませんが、お洒落とか、外見にかかわる部分を少し意識してみようかなと、そんなことを思ってみました」
「おお、雅兎君、その決意はかっこええよ! ぱちぱちぱち! なあ、虎子さん!」
「そうね」
「まあ僕のことはさておき――話を戻します。虎子部長はさっき、生物学的に『オスは勇ましくあるべきだ』と、そう言いましたよね?」
「直接主張したわけではないけれど、そう解釈されるようなことは言ったかしらね」
「ということは――すなわち『メスは可愛らしくあれ』と、そういうことですよね?」
「なるほど……ふふ、読めたわよ、雅兎君。つまり、私に――この龍堂虎子に『可愛くなれ』と、そう言いたいわけね」
「いえ、僕としては、今のままでも、虎子部長は可愛いと思ってますよ」
「はい?」「えっ?」
「もう一度言いましょうか? 僕としては、虎子部長は今のままでも――」
「い、いえ……自分で言うのも何だけれど、私は雅兎君とは真逆で、小さい頃から『女の子にしては凛々しい』とか『可愛げがない』とか『屁理屈オバケ』とか……」
「僕はそう思いません」
「は……はあ……そ、それは、ど、ど、どうも……」
「な、なんか雅兎君、男前や……それに虎子さんがたじろくトコなんか、初めて見たで……」
「そもそも、可愛げがないとか、屁理屈オバケなんてのは評価じゃなくて、悪口のたぐいでしょう。それは虎子部長が小さい頃から、頭が良かったことを示してるだけじゃないかと」
「ほほう?」
「膨大な知識を持っている相手に、何らかの議論で論理的に打ち負かされたとき、相手が自分と対等な立場なら『頭が良い』と評価することもできます。けど、大人が子供に打ち負かされたとき、あるいは、男子が女子に打ち負かされたとき、どう評価すると思います?」
「あ、なるほど。『可愛げがない』、『屁理屈オバケ』……確かにそうかもなあ」
「外見に対する評価も、似たような感じなんじゃないでしょうか。うちの親は虎子部長のことを『眼鏡美人』なんて言ってますし、多くの人の評価も大体同じかと思います」
「うちもそう思っとるよ。可愛い系ゆーより、美人系やな」
「けどそれは、それこそ眼鏡の影響も大きいと思いますし、あと、虎子部長がいつも真面目な表情をしているからで――ほら、今みたいにボンヤリしてるときは、何というか『あどけない』とか、そんな言葉が似合っているように思いませんか?」
「ふむ……言われてみれば……」
「ちょ、ちょっと猫美さん……じろじろ見ないで頂戴……」
「僕、ずっと思ってたんです。虎子部長はその内面――つまり、その頭の良さが、必要以上に外見に影響を与えてしまってるんじゃないかって。会話における丁寧な口調。論理的な受け答え。ついでに言うなら『虎子』という名前。そういった要素が色眼鏡的に働いてしまって、結果、虎子部長が本来持っている外見的な『可愛さ』を、僕ら自身が無意識に遠ざけてしまってるんじゃないかって」
「ふむ、それは中々面白い『トラコ研究』やなあ。全面的に同意はできん内容やけど……」
「もしくは僕と同じで、外見的な評価が先に――」
「……ふうん?」
「あ……す、すいません! つい好き勝手に虎子部長のことを……」
「まあ、私のことはどうでも良いわよ。それで雅兎君、結局のところ『メスは可愛らしくあれ』という文言は、一体何のために持ち出してきたの?」
「いえ……ええと、まあ、今の話を検証してみたいなと」
「検証?」
「ええ、そうです……こほん」
「なんや、かしこまって」
「オスは勇ましくあるべき、そして、メスは可愛らしくあれ――直接そう言ったわけではないですし、恐らくはその場しのぎな発言で、虎子部長の本心ではないと思います。ですが、この部の活動中に主張したことです。発言に責任をもってもらいたいと思います」
「ふふ、やっぱり思った通りじゃない。雅兎君、貴方、私に仕返しがしたいのでしょう?」
「まあ、ご名答です」
「仕返し……? ん? なんや……ふたりともニヤニヤしてからに……」
「先程、雅兎君が言った『外見が内面に影響を与える』という仮説。そして『メスは可愛らしくあれ』と主張した私、この龍堂虎子が、その仮説を検証するために、責任をもってすべきことは何か――? ふふ、雅兎君。さっきからずっと隠し持っているのは、あのリボンでしょう?」
「はい、おおよそ正解なんですが、この部にとって肝心なところが間違ってます」
「え」
「虎子部長に可愛らしいリボンを付けることで、内面が可愛らしく変化するかどうかの検証――これだと、今日のテーマとは無関係ですよね?」
「え、え?」
「この部活動の基本。それは『定められたテーマ』に沿って、調べて、議論し、思考して、検証すること。ですから、今日のテーマと関連した――さらに『虎子部長自身が可愛いと思っているモノ』を使って、検証を行ってもらいたいと思います」
「なんやて雅兎君! ま、ま、まさかっ!」
「じゃん!」
「猫耳やあああぁ! 猫耳つきのカチューシャやああぁぁー!」
「ちょ、ちょっと! そんなもの、どこにあったのよ!」
「隣の備品室です。リボンと一緒に、コレも作ったって、議事録に書いてあったんですよ。もちろん、コレも鍵付きです」
「い、一体、どうしてそんなものを……」
「作った理由は書かれてないのでわかりませんが、『罰ゲームボックス』に入ってましたよ?」
「罰ゲームって……ま、待ちなさい! 私にも立場ってものが……」
「虎子部長、昨日、僕に何をしたか、まさか忘れてないでしょうね?」
「あ」
「男らしく生きようと決意した僕に、リボンを付けて1日過ごしたなんて黒歴史を残してくれたんです――ちょっとの間だけ、立場を忘れて『可愛く』生きてみても、バチは当たらないと思います」
「くっくっく、なるほど、これは虎子さんの負けやなあ……」
「じゃあ虎子部長、そこに座ってください。僕が付けてあげますから――」
―――
「ちわーっす、虎子さん……って」
「……何よ。言いたいことがあるならはっきりと言いなさい」
「いえ、今日も元気そうで何よりです……もう1回、写真とってもええですか」
「いいわよ……」
「カシャカシャ……しかしええわあ。この写真、家宝にしよ。あ、目線くださーい」
「……いえーい」
「不機嫌ですなあ。そんなしかめ面してたら、美人が台無しですよ」
「こんな猫耳を付けている時点で、色々と台無しだと思うのだけれど」
「いえいえ。お世辞抜きでホンマ可愛いですよ。まあ普段の頭脳明晰っぷりはマイナスされてる感じはしますけど、それが逆に普通の女子高生っぽく……あ、そっか。雅兎君の『トラコ研究』は、ある意味正しかったゆーわけやな」
「え?」
「なんや、また忘れとるんですか? あ、そいえば昨日、陸上部、行ったんですよね?」
「ええ」
「それ、付けたままですか……?」
「もちろん」
「……どうやったんです?」
「100メートルのタイムが1秒も落ちたわ。空気抵抗のせいかしらね」
「いや、それ物理の問題やなくて、メンタルな問題が原因やと思いますけど……」
「それと皆から、なにか憐れんだ目で見られていたようだけど、特に反応はなかったわ」
「まあ実は、陸上部の子から話は聞いとったんやけどな。何やすごい可愛いし、何やまた研究部の活動やいうことは気付いてたけど、やたら堂々としてたんで、声掛けづらかったらしいですよ? ま、そこは雅兎君との違いですなあ」
「そ」
「今回はアンケートとかとってないんで、皆の意見は聞けないですけど……って、ゆーか、まさか今の今まで、ずっとソレ付けっぱやったんですか?」
「ええ」
「ホワィ……? 雅兎君、そこまでお願いしてないやん……昨日、ガッコにいる間だけで良いし、陸上部のときは外しても良いですよって、鍵、虎子さんに渡してったやん……」
「そうね」
「……シャワーとかどうしたんですか?」
「もちろん、猫耳ごと洗ったわよ。ドライヤーで乾かすのが本当に大変で、なるほど、猫がお風呂に入りたがらない気持ちが理解できたわ」
「絶対理解できてないと思いますけど。しかし、なんでそこまで……外したらええでしょうに」
「ほら、レストランとかイベント会場とかで、入口にコート掛けのハンガーがある場合、コートを掛けた本人以外、そのコートを持って帰ってはいけないでしょう?」
「そら当然ですが、今の話と関係あります?」
「付けた人が取る。そのルールを守らないと混乱が起きる。当然でしょう。コンピュータ用語で言うならコールスタック、LIFOよ」
「なんのこっちゃい……ひょっとして、その猫耳、気に入っとります?」
「そんなわけないじゃない……恥ずかしいわよ……」
「ですよねえ……うち、取ってあげましょうか?」
「いいわよ、雅兎君を待つわ。私がきちんと同じことをしない限り、彼にとっての『仕返し』にはならないでしょうし」
「なるほど、雅兎君にリボン付けたことを反省して、その罪ほろぼしなわけや。ま、そんなら雅兎君が来て、その猫耳を優しく取り外してくれることを、楽しみに待っとったらええがな」
「…………」
「けど、もしうちがそんなん付けられたら、自分で取るけどなあ。相手が雅兎君でも、男の子に自分の髪さわられるんは、やっぱ嫌やわ。好きな男子ならともかく……って、虎子さん、どしたん? 頬をそんな赤くして……」
「え? あら本当、何か熱いわね……風邪でもひいたかしら……」
「虎子さん。まさかアンタ」
「何?」
「いやいや……なるほど、なるほど」
「何よ?」
「くっくっく。虎子さん。そういえば昨日『オス猫は嫌い』って、ゆーてましたよね?」
「……? いいえ?」
「…………」
「どうしたの、猫美さん。きょとんとして」
「え、ええと……もう一度、回答をお願いできますか……?」
「ノーよ。私、猫は好きよ。犬より断然猫派だもの」
「オス猫も?」
「もちろん」
「いやいやいや……アンタ昨日、『オス猫は可愛いから嫌い』って断言してたやんか……」
「何よそれ。オスとメスで区別して、しかも可愛いから嫌いって理由はおかしいでしょう。それこそジェンダー論者に怒られるわよ」
「虎子さん……アンタ……」
「何よ」
「ふうむ、猫耳以外は普段通りのクール顔――冗談言うてるわけやないし、忘れたフリして誤魔化してるわけでもない……なあ、ホンマに覚えてないんか?」
「え……?」
「いや、何でもないです……」
「変な子ね」
「―― うーん、ホンマはこの後、『可愛いオス猫は嫌いなのに、可愛いオス人間は嫌いやないんですか』って、冷やかそうとしたんやけど……あれえ……?」
「何をひとりで、ブツブツ言っているのかしら?」
「はっ……! ま、ま、まさかっ……!」
「何をひとりで、驚いたアニメキャラのようなリアクションをしているのかしら?」
「な、なあ、虎子さん……昨日の『テーマ』、覚えてます?」
「猫」
「どういう流れで議論が進んだとか……覚えてます?」
「猫美さんの名前の由来から始まり、猫アレルギーの話。次にインターネットと猫の話。ドラえもん。猫を滅ぼしてはいけない話。課金ゲームと5万円。猫ひねりロボットの論文から、高いところから落ちる猫の話になって、猫美さん暴走。雅兎君がハイライズ症候群の論文を調べてくれて、猫美さん納得。猫美さん嘘八百。雅兎君ロシアンブルーを飼う。猫耳論。可愛いドラえもん。雅兎君、私に仕返しを考える。私つける猫耳。以上」
「ええっと……うちもよう覚えとらんけど、だいたい合ってるんかな……?」
「あなたが覚えていないなら、私に確認する意味がないじゃない」
「いや、肝心なとこが抜けてた気が……ええと、雅兎君が『トラコ研究』ゆーて……いや命名はうちなんやけど、とにかく、雅兎君が虎子さんのこと褒めてたんですけど……覚えてます?」
「……?」
「雅兎君ゆーてましたやん。『僕としては、今のままでも、虎子部長は』ほにゃららーって」
「ええと……雅兎君、そんなこと言っていたかしら……」
「――なるほど。正解やったか」
「ちょっと……猫美さん……」
「はい?」
「何よっ! さっきから! 人の記憶力を試すようなことをっ!」
「あ、すんません……あの、その……」
「昨日も言ったでしょう! 私、興味のないことは一切覚えられない性質だって!」
「い、いや……それ自覚してるのに怒るんは、逆ギレみたいなもんやないでしょーか……」
「いいことっ? かのアルベルト・アインシュタインだって、子供の頃から暗記科目は苦手だったと言うわ! 彼はね! 必要以上に頭を疲れさせないように、人生を通して戦略的に脳の無駄遣いを避けたのよ! だから――」
「あ、そこまで良いです……その話、前にも聞きましたし……そん時も、虎子さん、今みたいに熱くなってて……」
「覚えてないわよ! そんなこと!」
「あ、それ、絶対覚えてる顔や」
「そうよっ! 意図的に覚えないとか、意図的に忘れるというのは、何かを成すためには大事なことなのよ! 猫美さん、そこに座りなさい!」
「座ってますがな」
「あなたの人生を豊かなものにするために、私が偉人たちのエピソードを交えて、正しい脳の使い方を指導してあげるから! まずはチャールズ・ダーウィンから! 彼はね――」
「あかん。虎子さん、スイッチはいってもーた…… ―― まあさてさて、この間に、うちも雅兎君みたいに『トラコ研究』としゃれ込んでみようやないか。龍堂虎子17歳、日本有数の財閥、龍堂グループのご令嬢。文武両道、才色兼備。ヒネてるとこもあるけど、まあ性格は悪くない。虎子さん自身が言うてた通り、虎子さんに比類する人間なんて男女問わず、そうそうおらん」
「―― どんな学問でも、相手を思いやるコミュニケーション力が大事なのよ! ジャン・アンリ・ファーブルが世界的に有名になったのも、彼が誰にでもわかりやすい文章で『昆虫記』を書きあげたからであって ――」
「あと、これも虎子さん自身が言うてたことやけど、負けず嫌いなんは確かや。度の過ぎた負けず嫌いが原因で、起こしたトラブルは数知れず。学校の伝説になっとるほどやし。その性格のせいかどうか知らんけど、時々、何やようわからん適当なことを並び立てて、色んなことのイイワケをしたりする。知識量で誤魔化してるだけで、理屈は大体が無茶苦茶や。ま、これは虎子さんなりの冗談みたいなもんで、それは虎子さん自身も認めてるしな」
「――スティーヴン・ホーキング博士が、コンピュータグラフィックを活用して、宇宙のしくみを誰にでもわかるように説明したように ――」
「けど、昨日のアレは少し違うかった……『オス猫は可愛いから嫌い』なんてのは、冗談やなく、明らかにウソやし、その理屈も普段の虎子さんのノリと違った。アレは、負けず嫌いがどうこういうんやなくて、たぶん、虎子さんなりの――嫉妬心」
「……ねえ猫美さん、ちゃんと聞いているの? また何か独り言を言っているようだけれど」
「あ、いえ。うち、スマホにメモしとるんです。虎子さんの金言の数々を」
「あのね。メモを取るなら紙と鉛筆を使いなさい。傍から見たらメモを取っているのか、ゲームをしているのか、区別がつかないでしょう。だいたい記憶するという点からすれば――」
「あん時、雅兎君が飼ってる猫さんを自慢したことに……いや、うちが『雅兎君ちに遊びにいく』ゆーたからかな……どっちか知らんけど、虎子さんは嫉妬した。でも、虎子さん自身は――きっと、その感情が何なのか理解できとらんのや。それが原因で、虎子さんは無意識に、負けず嫌いのイイワケとは違った、あんな形のウソをついてしまった」
「―― ペンは剣よりも強し、手は口ほどに物を言うってね。政治家をおとしめるような適当な記事を書く記者は、ぶん殴りなさいという意味よ――ねえ、ちょっと、冗談を言ったのだから突っ込みなさいよ ――」
「そんで虎子さんは……そんなウソをついたことすら、ホンキで忘れてしまっている……それだけやない。虎子さんが忘れてしまったこと、その1、雅兎君にリボンを付けたこと。その2、雅兎君に『可愛い』と言われたこと。その3、『オス猫は可愛いから嫌い』とウソをついたこと。これらを言い換えると……『リボンを付けた姿を見てキュンとした』『褒められてドキンとした』『嫉妬してムカッとした』……そう、これら全部、恋愛にかかわることなんや……」
「―― この手順で8コンボは繋げるかしらね。ええと、この敵のHPは……なによ、ウィキに載ってないじゃない ――」
「一方、虎子さん自身が主張している虎子さんの性質、その1、興味のないことは一切覚えられない。そしてその2――恋愛には一切興味が無い。そう、うちが虎子さんの『忘れ癖』に気付いたんは、最近のこと。もっと正確に言うと――今年、雅兎君が入部したときからなんや……はあ」
「何よ、猫美さん。溜息なんかついて。せっかくあなたのためになる話をしていたのに、ちっとも聞いてもらえなかった私の方こそ、溜息をつきたいわよ。まったくもう」
「途中からスマホゲームやってましたやん。しかし何やろなあ……その1もその2も、親からどんな風にしつけられたら、そんな風に育ってまうんやろ……いや、それこそ生まれつきの、天才がゆえの脳の使い方なんやろうか……どっちにしてもホンマ悲しいなあ…………けどなっ!!」
「な、何よ、猫美さん……急に立ち上がったりして……」
「障害を乗り越えてこそ、恋は燃え上がるもんなんよ! 虎子さんもそう思うやろっ?」
「へ……? はあ、そういうものかしらね」
「くっくっく、これは面白くなってきたでえ!」
「猫美さんは一体、何をひとりで盛りあがっているのかしら?」
「実はうち、知る人ぞ知る、恋のキューピッドなんよ! 今までうちが受けた恋愛相談は実に100件! そしてその告白成功率、なんと140パーセントや!」
「はあ、そうなの……一応、聞いておくけど、なぜ100パーセントを越えているのかしら」
「100人中40人が、二股成立や!」
「なるほど大成功ね。今後は恋のキューピッドではなく、恋のデビルを名乗ると良いわ」
「もちろん、冗談やけどなっ! 本当は40パー分、幸せが上乗せされたゆーことなんや!」
「猫美さん、今日もノリノリねえ……まあ、私には縁のない話だけれど」
「そんなことないと思うけどなあ。あ、そうや、たとえば、まさとくんとか、どうおもう?」
「突然、棒読み口調でどうしたの?」
「いや、とらこさんは、まさとくんのことを、どうおもっているのかなあ、と」
「良い後輩だと思うわよ。頭も良いし、優しくて良い子よね」
「いや、そうなんやけど。ほら、その、見た目とか……可愛い顔しとるやないですか」
「ダメよ、猫美さん。そういう風に言ったら可哀想でしょう。雅兎君、童顔というか、自分が可愛らしい顔をしてること、気にしているのだから」
「うわ……めんどい反応ゆーか、何やむかつくわあ……アンタ、昨日……って、ん? あ、なるほど、そっかそっか」
「今日は独り言が多いわね、猫美さん。早死にするわよ」
「なあ、虎子さん」
「はい」
「好きな子ほど、いじめたくなる――って言葉、知ってます?」
「? 好きなら……いじめちゃダメじゃないの?」
「やっぱ知らんか。いや、そーなんですけど、そういうもんなんですよ」
「はあ?」
「例えば、自分が童顔だと気にしてる男の子に向かって、『可愛らしい姿をしたオスは野生にあらず』とか『生物学的に間違ってる』とか、そんなことをいう女もおるんやよ」
「ふうん、いやな女ね」
「でも、そういうことなんよ」
「……言っている意味が全然わからないのだけれど」
「あかんなあ。ちゃんと勉強しときや」
「何をよ?」
「とっても大事なことやから、忘れんどいてな。テストに出るかんな」
「だから何のテストよ」
「そらまあ、もちろん――あ、雅兎君、おいっす!」
「猫美さん、こんにちは――って、虎子部長!?」
「こんにちは、雅兎君」
「そ、その猫耳、ひょっとして、ずっと付けていたんですかっ?」
「ええ、猫の気持ちと、雅兎君の気持ちが、よく理解できたわ」
「ご、ごめんなさい……鍵は渡していったので、あの後、すぐに取ってくれるものとばかり……」
「いいのよ。でも、これで『仕返し』は終わり、貸し借りなし、恨みつらみもなしよ。これで私も、夜道を大手を振って歩けるわ」
「はい、すいません……でも、虎子部長」
「なに?」
「虎子部長、女の子なんですから、夜道は気を付けて歩いてくださいね」
「……そうね」
「くくく、まあまあ、雅兎君。鍵、渡すから、虎子さんの猫耳、優しく取ってあげてーな!」
「え、僕がですか?」
「そらそーや。付けた人が取る。それがこの部のルールなんよっ!」
「はあ……じゃ、じゃあ、良いですか? 虎子部長」
「どうぞ。いえ、雅兎君、その前に」
「何でしょう?」
「……検証結果のことなのだけれど」
「はい?」
「いえ、何でもないわ。スパッと取って頂戴」
「あ、は、はい……」
「あ、そうや! うちが写真撮ったる! この一大イベントを、忘れんようになっ!」
Research Club TORAKO ~ Theme #1 "CAT" おわり
参考文献
V. Draen, et al. "Feline high-rise syndrome: 119 cases (1998-2001)," Journal of feline medicine and surgery 6.5, pp. 305-312, 2004.
鎌田浩毅『世界が変わる理系の名著』, 文藝春秋, 2009.
~ 巨人の肩に乗る ~






