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とある話を拝見した私の、ライバルについての考え方

作者: ルスト

 物語において主人公が越えていく障害の中に当たり前のように出てくる「ライバル」と呼ばれる存在。

 私個人は主人公に極端に感情移入しすぎるタイプで、しかも「出てきた敵はさっさと叩き潰してしまうべき」などという思考の持ち主なのであまり活かせそうにないのですが(やったことありませんが、TRPGなどやった場合は多分最優先でそういうポジションの相手は殺しに行っちゃいます)、最近のめり込んだとあるお話でライバル関係の様々なあり方が書かれており大変興味深く、ライバルと言う存在について思ったことがあるので書いてみます。


 そのお話を拝見してまず最初に思ったのが「何故ライバルが必要なの?」という考えでした。

 例えばファンタジー、それも冒険を描く場合、まず必要な配役は主人公と、共に旅をする仲間達です。

 某RPG一作目のように一人で旅をする主人公を描く、というのでもない限り、必ず必要になってきます。

 だって、その主人公が超級のチート持ちで「どんな攻撃を食らっても金属スライムのように0か1ダメージに抑え、かつ1秒ごとにHPが1000自動的に回復する。更に身体の一部が欠けても即座に完全再生する」「毒やマヒなどの状態異常も攻撃や防御を下げられる変化も一切効かない」などの無敵設定を大量に詰め込まない限りはどうしてもカバーできないことが出てきます。

 旅の途中で主人公では対処できない「何か」はほぼ確実に出てくるはずです。

 それに、物語を書いているのに、ひたすら超チートな一人の最強人間の思考を淡々と書き連ねる話など退屈ではないでしょうか。

 そんな展開を避けるためにも、仲間が必要なのは分かります。


 話をライバルに戻しますが、自分はそのお話を拝見するまで、はっきり言ってこのようなポジションが必要なの? とすら思っていました。

 主人公を強くするために必要なフラグは使い捨てのボスでも過去の因縁の相手でも、極端な話ラスボスでも構わないわけです。

 というか、宿敵のような関係で競い合わせるよりも、味方同士で互いに腕を磨きあうような関係の方が良いのではないだろうか、とも思います。

 これもまた「仲間という名のライバル」だろ、と言われたらそうなのかもしれませんが。


 次にそのお話を拝見して疑問に思った事。それは「敵に塩を送る」行為が当たり前のように行われている事でした。

 拝見したお話は決してファンタジーでは無く、ある種スポーツの類なのですが、対立する組織の相手が不甲斐ない結果を出して終わっていた際には強烈な発破をかけ、対抗心を燃やさせるのはもちろんの事、相手側の選手が能力以外の要因、すなわち精神や環境関係の問題で本調子じゃない――――弱体化している時を好機と見て叩き潰すわけではなく、場合によってはケアしていたりしました。

 ……正直このことが一番疑問に思えてなりません。冷血かもしれませんが、いくら命の取り合いでは無いスポーツの一種とはいえ、味方同士でより高みを目指しているわけではないのです。

 強敵が弱っているならまさに好機です。卑怯かもしれませんが、自分がその話の主人公のような立場だった場合、それは体調や精神面を管理できていない側が悪いという事で片付けて何のためらいも無く叩き潰してしまうでしょう。

 それだけにますます相手に塩を送る行為が疑問に思えてきてしまうわけです。


 そして疑問点はまだまだ尽きません。

 選手をスカウトする監督陣の行動はますます自分には理解できないものでした。

 様々な事情に阻まれ、自分の所で育てられない新人選手はどうしても出てしまいます。

 そんな相手に対し、敢えて罵倒同然の強烈な発破をかけて憎ませ、別の場所でその選手が大成するように原動力を植え付ける――――つまり、敢えて憎まれ役になるわけです。

 自分が見出したダイヤの原石。仮に確保できないとしても、わざわざそんな脅威を他者に譲り渡したりする理由はどこにもありません。

 育てば確実にダイヤになる、と分かっている相手をその場でスカウトできなかったのは本当に残念ですが、なんとか時間を稼ぎ、監督自身の権限を拡大させて強引に獲得してしまえばいいだけです。

 それでも時間稼ぎの間に別の場所に取られてしまったら本当にどうしようもない――――あの時獲得できなかった自分の不運を恨むしかないのですが、だからって敵に渡す必要はどこにも無いわけですね。

 何故、全く自分のためにならない事を出来るのか……。


 先ほど自分が挙げたような「味方同士の腕の磨きあい」であれば、自分も味方も強くなることでメリットしかありません。個人、全体問わず確実に力がつきます。

 それに対し、私が拝見したお話のやり方は明らかにデメリットの方が大きくなるわけです。

 敵が優秀な人材を得てしまうのは同時に自分が使える優秀な人材が減る事なのですから。

 無論、敵が強くなろうとそれ以上に強くなればいい、という考えも分かります。

 しかし、わざわざそこまでする必要性が感じられません。

 敵はどこまで行こうと敵であり、倒すべき相手であることに変わりは無い。

 なら、わざわざ敵を強化する理由などありません。

 長くなりましたが、以上が私の「ライバル」に関する考えです。

 皆さんはどう考えますか?

お読みいただきありがとうございます。

ライバル、という物がどうあれ、何故味方同士の切磋琢磨以外でわざわざこんなことするのか?

などと思って衝動的に書きました。

熱い展開、などと言えるのかもしれませんが、やはり私には敵に塩を送る必要性が分かりません……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分のライバルという認識は敵味方や年齢とかを意識しない競い争い成長出来る相手なんですけど疑問に思ってきますね 社会と殺し合いのライバルは叩ける時に叩き潰さないと自分の今後が危なくなりますし…
[良い点]  敵は倒さなくてはならない。と言う考えには同意します。 [気になる点]  ただ『敵とはこう言う物だ』『ライバルとはこう言う奴だ』と、言う自分の考えを最初から譲る気がない文章に思えました。 …
[一言] ライバルという存在の必要性ですか。 敵に塩を送る必要性についてですが、私は「力の証明」のためだと思ってます。 満身創痍の相手をフルボッコにしたところで、「俺はあいつより強い!」とは言えません…
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