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朝(6) 予告とサプライズ

「それで、今日は何の用なのです」

「ルルシー、海に行こう。ガロードも一緒に」

「ギースさんは連れて行かないのですか?」


 気配を感じて振り向くと、ウィンの介抱で意識を取り戻したギースと視線が合った。

 すかさずギースは片手で『断る』のハンドサインを寄越してきた。

 こっちとしても意外な反応だった。

 ギースは、エメラルド・シティにおいて新興の第四勢力と注目されているだけに、ガロード&ルルシーのボディーガード無しではまともな外出が出来ないはず。だから、一緒に行動すると思っていた。


「その疑問になら、俺が答えになる」


 ルルシーが窓ガラスを破った建物の出入り口から、昨晩お世話になった黒人の吸血鬼ことマットが登場した。どうでも良いことだが、マットのオッサンもルルシーも着古してクタクタになった衣服を辛抱強く着続けているのが、非常に気になった。


「んー、つまり、マットがガロードたちの代わりにギースの護衛をやるってことか?」

「そうだ。お前の力の影響かは知らんが、どうやら俺も陽の光を浴びても火傷をしないし、血の渇きを覚えない。護衛ぐらいなら任せておけ」


 そう宣言するマットの身体つきは張りのある筋肉が、ボディーガードとしてはこれ以上のない安心感を与えている。今さらであるが、自分の、魔神の血という影響力に身震いした。


「マットさんにひとつ、忠告しておきます」


 イサカが、マットに対してペコリと頭を下げた。

 いぶかしむマットをよそに、イサカは答えた。


「私の主の血の影響で吸血鬼の悪影響が今は隠れていますが、あなたはそれでも吸血鬼であると云うことを忘れないでください。瀕死に陥れば私の主の血の力よりも吸血鬼としての血の影響が勝りますので、戦い方および、身の振り方には注意しておいてください」

「あー、それだとアレか、自分の血の影響はあくまでも吸血鬼前の状態を取り戻しただけで、力を得ようとするのなら、吸血行為は避けられない、と?」

「左様でございます」

「ということは、だ、マット。今の状態だと吸血鬼と比べると格段に弱いが、人間と同じ生活が出来る、やたらと長生きする吸血鬼というわけだ。だが、もし、今の状態を捨てて、力を求めるというのなら、吸血鬼としての本質が自分の血の影響を上書きしてしまうから……何だっけ?」

「大丈夫だ。言いたいことは分かっている。俺はもう、あんな孤独はゴメンだ」


 マットは、心底イヤそうに顔をしかめながら、過去の記憶を追い払うような所作を見せた。

 ひとりぼっちの吸血鬼が、他者と交わることなく日々を過ごすのは難しい。

 どんなに強い理性を保っていたとしても、血の渇望という吸血鬼の本能が少しでもざわめくと。理性など軽く吹き飛ぶ。大抵のヤツらは血を求めて人を探し、貪り、狩られていく。

 マットは吸血鬼にしては珍しく血の渇望に耐えた。

 さすがは、ジョンが尊敬した漢であろうか。それでも、あの顔つきを見るに、耐える覚悟も相当だっただろう。

 エメラルド・シティはクズどもの掃きだめとして有名だ。つまり、その辺の誰かがひとりふたりぐらい行方不明になっても誰も心配しない、悲しまない。それを知っていれば、尚のこと、血の渇望はマットを大いに苦しめたはずだ。

 その血の渇望が、自分の血によって薄められたというのは、存外、悪くない気分になる。


「それじゃ、ルルシー、余所行きのカワイイ服着て、海に行こうか!」


 ちょっと悪くなった空気を変える意味で、ルルシーに当初の目的を実行に移して貰おう。


「余所行きの服なんて、持っていないのです。ですから、せっかくのお誘いはお断りするのです」

「そんな言い訳、ダーメダーメ。衣服のアテなら心配ないわ。ゴトーから取り寄せるから」

「それならお金がいるのです。でも、そんなお金、ないのです」

「そんな心配、ナッシングよ。ぶっちゃけ、今日の私はルルシーとガロードのラブラブデートをもっと踏み込ませたいだけだから、もうね、蛇に咬まれたと思って諦めてちょうだい♡」


 ぶっちゃけた途端、すごくイヤそうな顔をしたルルシーをよそに、パートナーズを呼び寄せた自分は、抵抗するルルシーを彼女たちによって、刑務所内に移動してきたバスの中へと連れ込ませた。

 次に、バスから出てくるときは、ガロードの瞬きが止まるほどの変貌ぶりが、今からでも想像できる。


「さて、それじゃ、私はマットの衣装を見繕うわ」


 案の定、マットの顔が理解が追いつかずにポカンとしていた。


「アンタ、今日からギースの護衛やるんでしょ。ギースの噂はあちこち聞いてる限りじゃ、かなりの顔役じゃないの。それなのに、護衛のアンタの恰好がみすぼらしかったら、いろいろ足もと見られるでしょうが」


 マット、何となく理解している風で、鷹揚に頷いた。


「だから、カッコいい護衛としての服装をアンタにあげるわ」

「申し出はありがたいが、俺には金がない」

「聞いてるわ。ガセ情報を掴まらせて危険な地区に足を踏み入れたって話」


 マットの顔が、苦渋に満ちた。

 マットは、そこで人間として死んだ。そして、吸血鬼として生まれ変わった。

 そこに喜びはなく、失ったものへの悲しみしか残らなかった。

 この、目の前の新たな人外が訪れるまでは。すまん、自覚はあるんだ。


「昨日の夜のこと、私なりにごめんなさい、とは思っているの。貴方がそれなりの覚悟で他者との関わりを断っていることも知らずに無理やり、みんなのもとへと顔を晒させてしまったわね。だから、ってワケじゃないけれど、この服の代金はいらないわ」


 自分が投げて寄越した衣服を、マットは無言で受け取った。

 マットはその場でこれまで着用して衣服を脱ぎ始めた。

 あまりにも男らしい動作に、そして、吸血鬼とは思えないたくましい筋肉に、目を奪われた。

 生前のマットは、腹の出た中年用心棒という話を聞いていたけれど、吸血鬼として生まれ変わったことをきっかけに肉体改造にいそしんでいたのか、おなか周りに贅肉はみられなかった。

 新しい衣服に着替え直したマットは、さながら“黒ずくめの特殊部隊の男”だった。


「ハイ、これもプレゼントするわ」


 衣服ばかり新しくなっても丸腰ではカッコつかない。なので、特殊警棒とハンドガン、グレネードランチャーのアタッチメントのついたアサルトライフルも渡しておいた。弾丸と当座の資金も。


「至れり尽くせりだな」

「そうね。もし、今日一日、アンタが無事だったら、個人的に依頼したい仕事があるから、その辺りへの期待も入っているの」


 普通の人だったら、こんなにプレゼントされたら喜ぶのだけれど、そこはエメラルド・シティで用心深く生きていた住人だからか、マットは慎重で冷静だった。だから、自分もその慎重さに理由を付けた。

 マットがギロリと自分を睨みつけてきた。新調した衣服と装備から伝わってくる物々しさも威圧感をさらに高めて、ボディーガードとしては申し分ない存在感を醸している。よしよし。


「ガロードには頼めないのか?」

「俺は静かに暮らしたい」


 マットの疑問に、自分が答えるよりも早く、当の本人が明確な拒絶を示した。


「まぁ、私の方としても有名人の吸血鬼を利用して警戒されるよりも、吸血鬼とは思われていないタフな用心棒さんに雑用のあれこれを押しつけた方が気は楽ね」

「何をさせる気だ」

「ボディーガードさんに頼める仕事は、ボディーガードに決まっているじゃないの」

「お前のか?」

「るるっちを復活させた本人が、その眷属のアンタに護って貰う必要はないわね」

「そうか、安心した」


 マットはそう言うと、少しだけ警戒の表情を緩めた。


「お前には借りがあるが、俺は正直に言うと、お前を好きになれない」

「あら、告白? 私はマットのこと……」

「断る」


 分かっていてのジョークに対し、マット、こめかみをヒクつかせながらも大人の対応。無闇に怒り出さないあたりに、バイパーとの年季の差を感じる。


「護って欲しいのは、二日後のモニカの孤児院をはじめ、ジュドーやギースに縁のある人たちのボディーガード」

「なんだと」


 本当は明日話そうと思っていたけれど、危機感を煽らせる意味合いで漏らすことにする。


「どういう事だ」


 マットよりもガロードから先に疑問の言葉が入る。


「ガロード、ギースから聞いてない? 泥門グループのここ最近の不祥事その他」

「3兆ギルダンの宝石を泥棒に奪われた、銀行強盗の被害に遭った、大陸の権力者の家族を狙った誘拐に関わっていた、秘密裏に行っていた非人道的実験研究所の爆破のことなら聞いている」

「アレ、全部、私が関与している……というか、結果的に私たちによって、世間に公表されちゃったから、当然、その復讐が起こるわよね。で、昨日の件で懲りたと思うのだけれども、私たちに直接手を出すよりも、間接的に私たちと関わった人たちを人質もしくは誘拐して身動きを封じた方が簡単だと気付くのも時間の問題なのよね」


 案の定、マットとガロードに鋭い緊張感が走るのが伝わる。


「昨日の件?」

「やだっ、ガロード、悪魔に魂を奪われて、私と敵対したこと、もう忘れたの?」

「……覚えている」


 その上で、疑問をすぐに口にするガロード。

 仕事人っぽくて、好感が持てる。だから、可能な限り、教えることにする。


「昨日、テツとガロードが直接対決をするということを、エメラルド・シティのろくでなしならみんな知っていた。そいつはテツの方に自分が関わっていることを知り、隙あらば、ガロードを利用して私を亡き者にしようと画策していた」


 その直接対決は、エメラルド・シティよもやま下馬評を大きく覆して、テツがガロードを圧倒するという大番狂わせになった。

 テツはガロードの本気が見たいあまり、ベルフェゴールに本気を出させるよう指示し、ムチャ振りに難色を示しながらも、ベルフェゴールはガロードの最愛の人を殺すことによって、テツの願いを達成。

 恋人を奪われた悲しみと、テツに手も足も出ないという絶望感が、事態の推移を傍観していたある悪魔に心の隙を与え、ガロードは悪魔に魂を乗っ取られ、悪魔そのものの姿へと変貌した。

 悪魔は早速、ベルフェゴールを殺害すべく、動き出し、都合の良いことにベルフェゴールには結界を張ってまでして人間の男を守護しており、身動きできなかった。

 自分の力を見誤っていない悪魔は、持てる最大魔力を大規模破壊魔法に変換すると、人質もろとも消し炭にするつもりで、ベルフェゴールにぶつけた。

 しかし、ベルフェゴールはしぶとかった。

 悪魔は何ゆえにベルフェゴールがしぶとい理由に想像を巡らせることもなく、立て続けに最大魔力を連発し、生命反応を感じとって、愕然とする。

 プライドを折られたに等しい、認めたくない時間がいくつか過ぎた。

 それが、ベルフェゴールのパペットたち(=パートナーズのこと)の侵入を許し、ドラゴンの吐き出す酸にやられ、ドラゴンの首から落ちてきた猫と犬と人たちに手痛い傷を受ける隙を招いた。

 最後は、もっとも有り得ない、認めたくない敗北を喫し、悪魔はこの世から去った。


「その悪魔の名前はメフィストフェレス。永遠の使いっ走り。そして、その悪魔の上司が泥門嗟嘆。まぁ、デイモンなんて、人を欺くだけの飾りに過ぎない。本名はサタン。アタシと同じ、古い悪魔」


 理解が追いついてないのか、やや長めの沈黙が場を支配した。


「確か、アンタも悪魔だと聞いているが?」


 マットが、無理に理解するよりも質問することで消化しようとしてきた。


「そうよ」

「悪魔どうしのケンカなら余所でやってくれ」

「気持ちはわかるわ。私もエメラルド・シティには旅行に来ただけなのに、あれよあれよと今の状況だもの。海に行って、ストレス発散しなきゃ、やってられないわ」

「いや、海は関係ないだろう」

「あるの。いや、疑いがあるの。それを確かめに行って、サタンの目論見を潰すのが、私の仕事。その際に降りかかる火の粉ぐらいは自分で片付けるわ。でも、私に守れるものって限りがあるの。自分とパートナーズは絶対、死守。私の国の住人も保護対象。だけど、昨晩のテツを通して集ったメンバーのすべては護れない」

「だから俺に頼むのか」

「そう。ギースとルルシーはガロードが護ってくれるから心配していない。でも、ゴトーショップの面々、モニカの孤児院の子供たち、ビリーとマリア、ジュドーたち、アンドレ……まだまだいっぱいいるわね。とにかく、手が足りない。だから、マットにお願いしようかな、ってね」


 今度もまた、沈黙が長かった。


「一つ、質問に答えてくれ」


 マットが口を開いたかと思うと、奇妙なことを言い始めた。


「お前さんは、俺に何を期待している?」

「バイパーからアンタの生き様をたっぷり聞かされてね、アンタなら絶望の中での希望になれると思ったの」

「絶望の中の希望?」

「Z地区での脱出を語るバイパーの話で、マットのことを何度も口にしていたわ。アンタがいたからまとまりのないバラバラなメンツでも、皆、己を失わずに向きあえた、支えあうことが出来たって」

「……」

「アンタは皆の心を一つにまとめる力があるわ。力だけならバイパーやマルコが適任でしょうけど、アンタなら、孤児院の子供たちにも注意が払える。誰もが見限るであろう小さな命を護ることが出来る。そこに期待するのは悪いことかしら?」

「吸血鬼の本能を警告していたはずではなかったか?」

「今まで、その渇望に耐えていたんでしょ。そんなに心配なら、モニカ辺りにでも今までのことを洗いざらい聞いてもらって、赦しを得なさいな」


 結局のところ、マットからは色よい返事がもらえなかった。

 今のところ、分かりやすい危機を肌で感じていないから、というのがある。

 だが、今回のギースの護衛でマットはその片鱗を味わうだろう。

 すでに情報は伝えた。今は、これでいい。


 バスの扉が再び開いた。

 中から、可憐な紫色の花が現れた。

 口笛を吹いて茶化すギース、二人の邪魔をしてはならないと視線を外すマットをよそに、ガロードの眼差しはルルシーに釘付けだった。

 ルルシーはガロードの真剣な眼差しに、おもむろにはみかんでいる。


 このいじらしさ。

 ああっ、愛って、素晴らしい!

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