早朝
>ステアー視点より
ステアーの朝は早い。
朝、目覚めて軽く毛繕いをして身だしなみを整えたあとは、まず玄関に向かう。
新聞入れから紙の塊を慎重に取り出すのだ。前に何にも考えずに取り出して、紙の表面が爪でボロボロになって、フェゴールが困った顔をして反省したからだ。
それをおそるおそる運んで、いつものテーブルに置くと、今度は軽くステップを踏む。
鼻先をヒクつかせて、どの部屋にフェゴールがいるかを探り当て、ドアを開ける。これも以前、何も考えずに力任せに開けたら、大きな音がして、鍵が壊れて、フェゴールがため息をついていたのを目撃して反省したからだ。
(あの時は、ラムお姉ちゃんの部屋だったから、いつもより早く起こされて不機嫌でいっぱいいっぱいのラムお姉ちゃんから猫パンチされた。あれは痛かったよう)
日頃、わふーとしか言わないステアーだが、頭の中身は割りと饒舌なのだ。
(今日はメリーお姉ちゃんの部屋かー。メリーお姉ちゃんはいつも眠そうな顔をしているから、ピッキングしなくてもいいかな? でも、ご主人さまは私のピッキングの腕が上がると誉めてくれるんだよね。うん、頑張ろう)
とまぁ、こんな感じで、犬娘のステアーが錠前相手にゴソゴソしだした。
まず、巡回者が近くにいないか確認。
この場合の巡回者は、アンキモ。車の衝撃テストに用いる人形の姿をしている。
人形なので、眠らない。だから、定期的に各部屋の巡回をして、夜の保全を守っているのだ。そして、この動く人形・アンキモは、見た目とは裏腹に妙に高性能で、ちょっとした音が聞こえただけで足音をたてずに相手の背後に回り込み、所持している電撃ロッドで相手の無力化を試みてくる。抵抗すれば、仕込み刀ならぬ仕込み銃で発砲してくるおっかない人形さんでもあった。
それゆえに、ステアーのピッキングは今日も独特の緊張感に包まれていた。
(わふー。うーん、今日のピッキングはいつもより複雑だったよ)
いつもより10秒ほどピッキングに時間がかかったステアーだったが、ドアを開いてことさらにんまりと笑顔がこぼれた。ステップも先程よりもより一層、軽快で弾んでいた。
(メリーお姉ちゃん、おはよう。朝だよー)
いつものように窓のカーテンを開ける。
眩しい光が部屋を瞬く間に明るくする。
「……むぅ」
光が眼に差して、メリーから軽い反応が返ってくる。
メリーの胸元で惰眠をむさぼっているもう一人が、掛け布団のなかで身体を丸くさせていた。
次の行動に備えたかのような動きだった。
「わふー」
ステアーが掛け布団をひっぺ返した。
まず最初に目にしたのは、メリーの全裸だった。
(ステアーよりも)身長があり、肉付きも良いメリーの身体つきに今回も惚れ惚れするステアー。
時間が許すならもっとずっと見ていたい見事さだった。
でもでも、ステアーにはそれ以上にやることがあって、ご褒美を貰うことが大切だった。
まずやること。
朝日に対して、丸まっている亀さんの身体を完全に伸ばして、馬乗りになり、起きるまで殴る。
聞けば、ステアーが加入するまでみんなやっていたことらしい。
だから、ステアーにやり方を教えるラムの所作には一切の情けがなく手慣れていた。
馴れない頃のステアーが及び腰だった頃は、ラムが代わりにやってくれていた。
毎朝、顔を腫らして、暢気なあくびと共に目覚めるご主人さまに、軽く怯えていたものである。
今?
ステアーはステアーならではのやり方で起こす方法を編み出した。
それは、殴るよりもてきめんに効果のある方法。
ぺろぺろ。
(せーの!……!!)
丸まっていたご主人さまの身体をいつものように伸ばしていたとき、それは起こった。
無いものがあって、あるはずのものが無くなっていた。
(メリーお姉ちゃん、メリーお姉ちゃん、大変だよ)
まだ眠たそうにウトウトしている竜人に、ステアーが必死になって起こす。
目を見開いた竜人に、ステアーがご主人様を指差して、説明した。
(ご主人さま、あるの。そして、ないの)
パニックになっている犬娘の説明に、眠気がもたげてくるが、必死さは伝わる。
だから、眠気を押しのけて、上半身を起こしたメリーはステアーの説明をもう一度聞いた。
「おっぱいが……ある。ちんこが……ない」
そう。
彼女たちの主人であるベルフェゴール(♂)の性別が逆転していたのだった。
■□■□
>医務室
「聡子先生、いるかなー?」
愛しのエルフをからかうついでに、意中の人がいるかどうかを確認する。
「いますよー。……って、あらあらあら、この姿、久しぶりですねー」
女の姿に変貌した自分に対し、聡子は大して動じず、笑顔で応じた。
「わふー?」
「ひさ……しぶり?」
「そうかー、この子達は知らないのだったわね。年月を感じますね」
まったくだな、と苦笑しつつ、手品みたいに何にもないところからタバコの箱を出現させる。何故なら、今、自分は裸だからだ。男の時の衣服ではサイズが大きすぎるため、裸のままなのだ。
聡子の発言を受けて、ステアーとメリーの疑問そっちのけで、自分と聡子にしかわからない空気を作る。
のけ者にされた方のふたりの機嫌が悪くなるのに、時間はかからなかった。
「昨日、自分は異世界に旅立ったテツに”奇跡”を使った。核爆弾からみんなを守るために、己れの異能を犠牲にしてまで異世界の壁の向こう側へと移ったテツは、代償として力を失った。その失った力を取り戻させるために、テツをよく知る関係者を集め、テツのことを偲んでもらい、その『想い』の力を確実にテツへと運ぶためにな」
「わふー?」
「うむぅ?」
「ベルフェゴールは悪魔でしょ。奇跡の力は、本来、神様の力なの。悪魔なのに神様の力を行使したから、ペナルティとして性別が逆転したのよ」
「聡子さん、それって、私たちが悪魔の力を用いたら、そうなっちゃうのですか?」
知恵が及ばず頭を振るふたりをよそに、診察が終わったウィンが輪のなかに入り、新しい質問をぶつけてきた。
「多分、ベルフェゴールが元神だったから奇跡の力が使えるのであって、普通の悪魔には出来ないことよ。だから、私たちもいつかは神になるとしても、悪魔の力は使えないはず」
「それですけど、どうかなーって私、思ってるんですよ。だって、神様になるためのステップを作っているのが、この元神の原罪悪魔じゃないですか。弟子は師に似るって諺もありますし、正直、不安ですよー」
まったくどいつもこいつも好き勝手言ってくれる。お陰で今日もタバコが旨い。
なに? 妊婦の前でタバコはいけない? 大丈夫だ。これはタバコであって、タバコではない。
よく分からない? 機会があったら、詳しく説明しよう。
「それで、ベル(ベルフェゴールが女になったときの呼称)、今回の用事はなにかしら?」
聡子が話を変えたので、応じることにする。いつまでもおんなじ話とか、飽きるというかつまらない悪魔にしか見られないからな。
「採寸とオーダーメイドをしくよろ~」
そう、今回の目的は新しい衣服をつくってもらうことだった。
常夏のエメラルド・シティにいることだし、サマードレスでも作ってもらおう。
「今どき、しくよろとか寒っ。妊婦によくないギャグ、これから控えてもらえますか?」
「ギャグなのか? 業界用語じゃなかったか? それにエルフの出産は赤子が胎内にいる時間がすごく長かったよな」
「せっかくの良い機会じゃないですか。生まれてくる子供達に嫌われないようにするためにも、今後、気を付けてみては?」
「聡子先生、オヤジギャグの封印は、中年のアイデンティティー崩壊の危機ですぞ」
と、ボケてみて、殺気のようなものを感じ、その方向へと自分は振り向いた。
そこにはさっきからお預けを食らいっぱなしの竜と犬が、視線を強めていた。
自分は慌てて、フォローに回った。
ステアーは頭を撫でて、ピッキングのことを誉めてやった。
メリーには自分が本気で寝ている間の時間帯に針の穴を通さぬ勢いで警護してもらっていることを、ハグと感謝の言葉で偽りのない気持ちを伝えた。
……ふう。
朝から刀傷沙汰は何とか回避できた。
13人もこさえた悪魔が言うのもなんだが、やっぱ、辛えわ。
何が辛いかと?
女の子の目の前で言うことじゃないことだと思います。




