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深夜未明(3) 想いは異世界を越えて

 天使。セラフまたはセラフィムとも呼ばれる。

 天使のなかでは最上位にあたる役職で、ルシファー、ベルゼブブ、サタンが有名だ。

 もっとも、天界大戦争にてサタン以外が堕天してしまった。


「そのサタンってヤツは、真面目系だったから堕天しなかったのか?」


 ジュドーが、グラス片手に聞いてきた。


「まさか。彼らを堕天させた張本人さ。二人ともサタンの甘言にそそのかされて天下を獲る気になって、戦争仕掛けた結果、天上から落とされた。ルシファーってのは、神の息子と呼ばれるほどに周囲からの尊敬を一心に集めた天使だったけれど、親父は容赦なかったなぁ。まぁ、自分の首が狙われたんだ。仕方ないかな」


 一気にまくし立てたせいか、喉が乾いた。

 自分は手元にあるグラスを口につけ、一気にあおった。

 度数の高い酒が喉を焼ききらんばかりに猛威を振るうが、むしろ、この刺激が心地よい。

 そして、付け合わせのバタピーに手が伸び、また酒を口にする。たまらない。


「で、そのサタンさんはなんでお前を目の敵にするんだ?」


 その至福の瞬間を遮るように、ジュドーが疑問をぶつけてきた。


「さっきも言ったようにサタンは甘言を以て有名な天使を堕落させたエピソードから、魔界の7大魔王に数えられることもある。で、だな。この7大魔王の一人に自分がいるんだが、アイツ、どうもそれが気にくわないようでなぁ。あ、アンドレ、お代わり」


 アンドレが無言で新しい酒を用意する。

 早速、のどに潤わせる。うむ。いいものだな。


「おい、飲んべえ。少しは俺の話を聞けってんの!」

「ああ、すまない。自分はある時、魔界を出た。人間の恋の行方に興味が出てきたんでな」

「本当かよ?」

「鋭いな、ジュドーちゃんは。まぁ、興味の方はあったよ。その頃の魔界はヒマだったから、他の5人とメシ食べながら、神の愛を人間、天使、悪魔に当てはめていろいろ会話してたからな。良い口実を作ってくれたあの5人には感謝している。本音は、サタンの目の届かないところへと逃げるためだった」

「でも、お前、以前言っていたよな。追っ手から逃げる旅をしていた……ってな」

「そうだ。それでも最初の3年ぐらいは平和だった。天使も悪魔も自分に気付かない。心行くままに人間観察を、そして、まだ見ぬ新しい地へ歩むことを楽しみにしていた」

「なんで、最初の3年ぐらいなんだよう」

「当時の魔界はルシファーの定めた7大魔王の選定に不満を持つ準魔王がゴロゴロしていた。有名処だとレヴィヤタン、アザゼル、ベヒモスだったかな。ルシファー、ベルゼブブ、サタンの3人は雌雄が決するそのときまで、日夜問わず、襲撃された」

「お前は逃げてるから襲われないとして、他のメンツはどうしたんだよ」

「各自が治める領域に引っ込んでいたらしい」

「なんだよ、引きこもりか」

「そうとも取れるが、先の準魔王がトップの座を直接奪いに来たのに対し、他のあまたの準魔王は大軍を従えて、それぞれが攻略しやすそうな魔王の自治領域へと攻め入った」

「なるほどなぁ、その魔王さんたちもまた、他の準魔王が何を考えていたかを先を読んでいたのか。だから、ひとりで対処するよりも、自分に従うものたちに命じて、数の力に数で対抗したわけだな」

「ちなみに人間の世界での3年を魔界での年数に換算すると30年だったりする」

「30!?」


 ジュドーはたまらず、口に含ませていた酒を吹き出した。

 アンドレの太い腕が伸び、飛び散った酒が布巾に吸い込まれていく。


「戦争ってのは、時間をかけて関わる者たちの心を蝕んではじめて『止めよう』という気になる。準魔王たちが降伏宣言を出すまでにそれだけの年月がかかったわけだ」

「フェゴール、おめえさんが仮に魔界にいたとして、そしたら、その準魔王の連中はお前を相手にしたのかい?」

「自分の領域は少々特殊でね。喧嘩を売るには覚悟が必要になる」

「もったいぶってるなぁ。俺とお前の仲じゃねえか」

「……死者の国が自分の領域さ。人間も天使も悪魔も死んだら皆、自分の国の兵隊になる。魔界は長い年月をかけて多くの死者を出した。その分だけ自分の国の守りは厚くなった。そして、悪魔といえども生きたまま死者の国へと足を運べるものはそう多くない。

 ましてや永劫とも続くその命を、明日の未来に賭けるほどに旨みがある領域でもないしな」

「えっ、お前、死んでるの?」

「生きてなきゃ、タバコも酒も楽しめねえだろ」

「だよなぁ。それじゃあ、お前の国、誰が統治してるんだよ」

「妹だ。名はシェラ。自分がサタンの討伐隊から逃れる際に囮になった。

 よくできた妹で、自分にはもったいないぐらいだった。人間の恋の幸せは泡沫うたかたの夢だが、自分と妹との仲は永劫続くんじゃないのか、とかそんな風に思っていた。

 人間の世界に来て3年目のシェラの誕生日に、彼女は天使の槍で貫かれた」

「……」

「……」

「自分はそれまで自治領域に関心がなかった。シェラさえいればそれでよかった。だが、彼女は死んだ。シェラが勝手が違う他の考え方の存在する死者の国で苦労するのは忍び得なかった。

 だから、自分はそのとき初めて自治領域の作成に力を行使した。

 そのとき生まれた死者の国がタギリロンだ。ジュドー、この名は覚えていて損はないぞ」

「へへへ、テストにでも出るってか?」

「そうだ。この名を持ち出した使いの者が来るかもしれない。記憶していてくれ」

「偽物の可能性は?」

「タギリロンは、その国の住人でないと正しく発声できないよう仕組んである。住人でない者には正しく聞こえていてもきちんと発言することが出来ない。まぁ、物は試しだ。タギリロンって言ってみな」

「た(ゴニョゴニョゴニョ)……マジかよ」

「た(ゴニョゴニョゴニョ)……本当だわ」


 ジュドーとアンドレが信じられないものを見た様子で互いの表情を確認する。


「次だ。実はサタンはある黒幕のパシリでしかない。今のアイツはその黒幕の再降臨のためだけに生かされている哀れな存在になり下がった」

「黒幕とは誰なんだ」

「愚鈍なる転生神・FUCKだ。ファックという。元は不可侵の理想を胸に抱き、童貞のまま一生涯を終えた人間の(ナ・ロートン)だったがな」

「ふぁ(ゴニョゴニョゴニョ)って、オイ!」

「再降臨と言っただろう。一度、自分が殺したんだよ。神殺しってやつさ。その際、簡単にその名を口に出せないよう細工したんだ。ま、これだけは覚えていてくれ。サタンあるところに転生神あり、ってことを」

「転生神……は、言えるんだな」

「他にも無数の転生神がいるからな。大体は真面目なやつらさ。ファックだけが唯一の例外だった」

「何したんだよ、そいつ」

「すべての世界の夭折(ようせつ)した美しき処女たちを自分の世界へと招き、豚のように犯し、魂を穢れさせた。お気に入りは私兵として手元に残し、その他は各地で転生や転移した勇者のハーレム要員として転生リサイクルさせ、その後の人生を上から覗き見することで楽しんでいた。不幸にも生前の記憶が戻ったハーレム要員が途端に狂って、すべてを不幸にするパターンなんかが一番の楽しみだったようだ」

「胸糞悪いな、ソイツは。正直、お前んとこのお嬢ちゃんたちの方が幸せに思えるぜ」

「そう言ってもらえるとは思わなかった。ありがとう」


 ジュドーがアンドレにおかわりを頼む。

 アンドレがジュドーに渡し、ジュドーからビール瓶を受け取った。

 口をつける前の飲み口を軽く音が立つ程度にぶつけたあと、互いにイッキ飲みした。

 たまにはこういう酒の飲み方があってもいい。


 ■□■□


 部下からもたらされた第一報は信じがたい話だった。

 あのテツが死んだという。

 俺がとっさにフェゴールのことを聞くと、ピンピンしているという。

 俺はテーブルにその怒りを叩きつけ、部下に怒鳴った。

 フェゴールを連れてこい! 場所は『ボディプレス』だっ!! と。


 午前2時頃だっただろうか。

 静かに飲んでいた俺の隣にソイツはなんでもない顔をして座ってきた。

 俺はソイツのネクタイを思いっきり締め、ソイツの表情を拝むことにした。

 どんな言い訳をするのかをしっかり聞き届けるつもりだった。

 だが、ソイツは一言も言わず、サングラス越しからでもわかるほど真剣な眼差しで俺を睨んできた。

 俺はここでヤツを赦さなくてはならなくなった。

 怒りに任せてこれ以上の力で締めても、恐らくヤツは抵抗しなかっただろう。ただ、真実を聞きそびれてしまう。

 誤解をしたままおとなしく死んだ悪魔に対して、俺はテツに顔向けができるだろうか。

 いいや。

 テツなら俺の顔をぶっとばすだろう。

 なってねぇ、とさげすんだ視線を投げかけてくるのがオチだ。


「テツはこの街を救った。それが真実だ」


 俺が手を緩めて、息を整えたフェゴールの第一声がそれだった。

 それを聞いたとき、俺は、ああ、やっぱり……と安堵した。

 あのテツが俺たちの前から姿を消すにはそれなりの理由があった。

 フェゴールから事のなり行きを聞いた。


 テツがガロードに対して地力で勝っていたことに驚いた。ただ、あまりにも地力に差があって、不完全燃焼だったテツがフェゴールに、ガロードを発奮させる手段を任せたのがいけなかった。

 フェゴールのとった手段は最悪の形でガロードに望まぬ力を得させた。

 俺たちが生まれるずっと前から不法都市であったエメラルド・シティ。志半ばで死んだ者、不幸が重なって死んだ者、日常茶飯事になっている抗争に巻き込まれて死んだ者……と、この都市の大地はおびただしい死者の血を吸って穢れに穢れまくっていた。

 それ故に、夜10時の異能よりも質の悪い、ろくでもない考えを持つ悪魔を呼び寄せた。

 ガロードに取り憑いたのも、そんな奴だった。

 そして嬉しくないことに、取り憑いたヤツはフェゴールを知っていた。

 この瞬間から、テツとガロードの対決から悪魔と悪魔の殺しあいにすり変わった。

 テツは参加権すらなかった。フェゴールに敵対する悪魔から身動きと再生能力を封じるタールのようなものを身体中に浴びて、何も出来ずに事の顛末を見届けるしかなかった。

 窮鼠猫を噛む。

 大した成果も得られず負けた悪魔は、消滅したふりをして、遥か上空からとっておきを用意し、カウントダウンに入った。

 フェゴールは異変を察することはできたが、相手の核弾頭を封じる術を持たなかった。

 そこでテツが動いた。

 にわかには信じがたいが、テツは【瞬間移動】という、俺ですら知らなかったもうひとつの異能を持っていた。

 それを用いて、悪魔と核弾頭もろともどこかへと消え去ったらしい。

 どこへ飛んでいったのか?

 追跡装置なしにはフェゴールでも足取りはつかめないという。

 だからフェゴールは、テツを死んだものとして扱った。


 俺はその長すぎる一部始終に、うんざりしつつも、聞き届けた。

 そして、俺は知った。

 俺は悪魔について何も知らない、ということを。

 幸いにして、友好的というほどではないが、知らないことを教えてくれる悪魔がここにいる。

 俺は悪魔についていろいろと聞くことにした。

 フェゴールは情報料としてタダ酒を要求した。

 俺はそれをのんで、冒頭の説明をおとなしく聞いた。

 これまたうんざりするほど長かったけどな。


 ■□■□


「別にお前の味方をする訳じゃないけどよぅ」

「うん?」

「お前のしたことに落ち度はねえよ。むしろ奴隷解放みたいでかっこよかったぜ」

「……そうか。じゃ、こんなにうまい酒と煙草の吸える世界への来訪に乾杯!」

「バカ言ってるんじゃないよっ!」


 と、自分が音頭を取ったそのとき、アンドレの店のドアが大きな音をたてた。

 音のする方に振り返ると、肩を怒らせた女が一人。カルメンだ。

 ズカズカズカと足音の聞こえそうな勢いで自分に向かって距離を詰めるや、平手が一閃した。


「この嘘つき。人でなし。聞いたよ。お前のせいでテツは帰らぬ人になったそうじゃないか。いったい、どういう神経をしたらジュドーと仲良くお話しできるんだよ。ジュドーもジュドーだよ。なんでこんなヤツと楽しく会話しているのさ。いつものように失敗したヤツ相手に凄んだ顔を見せて脅すのを忘れたのかい?」

「カルメン、さないか」


 ジュドーの制止も空しく、怒れる女の平手の嵐は止まらない。

 仕方なし。

 自分はカルメンの目に止まらない速度で、彼女の顔のツボにチョンと押した。

 カルメンの顔に激痛が走り、足の力が急に衰えて膝をついた。

 テツから教わった、ヒトの行動を瞬時に封じるツボの効果に思わず口笛を吹いた。


「テツはスゴい奴だった。そして、面倒見の良い奴だった」


 自分の過去形語りに対し、カルメンは激痛に耐えつつも、恐ろしい顔をしながらこちらを見上げてくる。


「だから、自分は友人に頼んだ。今頃、テツは友人の手引きで異世界へと赴いていることだろう」

「異世界だって! テツはこっちに帰れないのかい」


 テツから教わったツボの効果が切れはじめているのか、カルメンのバッドステータスからの復帰力が尋常じゃないのかよくわからんが、カルメンはもうしゃべり始めた。


「テツはその命を担保に、この場所からなるべく遠くへと離れようと、瞬間移動を試みた。願いは叶って、テツはこちらの世界ではないよその世界の壁を通り抜けた。だから、帰れなくなった」

「でもおめえの友人は、テツでさえ無理な異世界の壁を通過できるような言い振りだったよな」

「そうだな、ジュドー。異世界の壁を自由に行き来できる存在は少ない。悪魔だ魔王だ魔神だ云われている自分でも、試すことは出来ても望んだ場所へは辿り着かない。命の限りがある人外ならなおさら可能性は少ない。でも、ルイにはそれが出来る。なんてったって、魔王のなかの魔王、悪魔王だからな」


 とたんに押し黙る周囲。

 説明をしていて思うのもなんだが、異世界送りはテツのために必要だったのだろうか。


 ■□■□


 場の雰囲気が少し重くなってきたところで、アンドレの店のドアが開いた。

 客の到来を示す、鐘の音が賑わう。


 最初に現れたのは、ガロードとルルシー、ギースだった。

 ガロード憎しのカルメンがまたしても過剰反応を見せるが、ジュドーの物言わぬプレッシャーを感じ取ってか、観念するように大人しくなった。


「テツのためにわざわざ来てくれて、ありがとう」

「構わない。テツのお陰で今の俺たちがいるのだから」

「そうなのです。だから、テツさんのお別れに参加することにしたのです」

「敵陣営のど真ん中に俺らを招待とか、なんともお前さんらしいよな」


 次に現れたのが、ギブソンとマルコのコンビだった。

 ギブソンが何故か極度に緊張していて、それがマルコにも良くない影響を与えている。


「ええっと、今日は大変お日柄もよく……」

「ギブソン、そんな堅苦しい挨拶は要らないから、空いてる席に座ってくれ」


 わかりました、ジュドーさん! と軽く頭を下げるギブソン。

 そのままそそくさと移動し、マルコに隣の席に座るよう、呼び掛けた。


「な、なぁ、フェゴール、い、いいいったい何があったんだ?」


 体格の割りにおどおどした野獣・マルコが自分に尋ねてきた。

 朝のワンコを助けた件で、マルコなりに自分に対しての苦手意識が低くなったのだろうか。そうであるならば、ありがたいことだ。


「ジュドーがお世話になった人が遠くに行ったんだ。だから、旅立ちを見送る儀式を関係者だけでやるのが、今回の集まりだ」

「し、死んだのか」

「いや、遥か遠くに飛んでいったんだ。もう戻れないところにまで。だから、旅立ちに祝福を授けるんだ」

「ご、ごめん。俺にはむずかしい話はよくわからない」

「大丈夫だ。そのときになったらマルコはギブソンの真似をすればいい。それが儀式ってやつさ」

「マルコ! いつまでそんなヤツとしゃべってるんだ。こっちに来て、座るんだ」


 マルコが離れていく。

 次の鐘が鳴った。

 ジョンにビリー、マリアが来店した。

 ジョンが襲いかからないだけマシな尋常じゃない殺気を自分にぶつけてくる。

 原因はマリアを泣かせたからだろう。

 ジュドーから聞いた話だが、テツはかつてマリアとジュドーを世話していた。

 マリアからすれば、命の恩人のような存在が突然消えたのだ。悲しみは想像できない。

 それをビリーがなだめてどうにかなっているというところか。

 だが、マリアは自分の前にやって来た。


「お前がてつどんを殺したのであるか。正直に語るのである」


 大粒の涙をボロボロとこぼすマリア。

 言い訳もせず、自分は頷いた。


「マリアは語れと言ったよな、フェゴールさん」


 ビリーがマリアの気持ちを代弁するかのように発言する。


「マリア、悪いが、全員集まったら語るよ。嘘は言わない。だから、その怒りはもう少し抑えていてくれ」


 自分はサングラスを外し、機械の目でマリアをじっと見つめた。

 マリアもまた自分をじっと見つめてきた。


「……わかったである」

「さあ、マリア、ここに座りなさい。あんたたちもいつまでもボケッとしてないで早く座りなさい」


 いまだに泣きじゃくるマリアをアンドレに任せ、次の来客を迎えた。

 ゴトー、バーニー、クリスがやって来た。そして、出入り口に視線を送るバーニーに根負けをする形で黒人の男が来店した。


「マット! あんた生きていたのかっ!」


 ジョンの憧れの男が目の前に姿を現したのだ。ジョンの表情が緩むのも無理はない。だが、マットはそんなジョンに片手で軽く挨拶するにとどめると、自分の方へとやってきた。


「お前は俺に何をした?」

「それは喉の乾きが癒された、ということか?」

「……そうだ。これだけの人数を前にして、俺は特に血を吸いたいという気持ちが薄くなった」

「まぁ、その話は今度な。今は、旧友を温め直して、久しぶりの酒を浴びるように飲んでくれ」

「どうやら俺はお前に借りが出来たらしい。お前がそれを望むならそうしよう」

「あ、それとだなぁ、その前に相棒に挨拶をしないとな」


 自分はパチリと指を鳴らした。

 孤児院のいつものお気に入りで寝ていたはずのロバーツが、急な雰囲気の激変に目を覚ます。

 そして久しぶりの匂いを嗅ぎ、彼のもとへと一目散に走っていった。

 その光景は、今までどこかよそよそしかった空気を和ませた。



「えー、今回、テツのために集まってくれた皆さんにありがとうを言います。

 それと自分に対して幾分かのわだかまりがあるでしょうが、それは一時的に封印して、どうかテツのために自分が進める儀式に参加してもらいたいのです」


 一度発言を止めて、周囲を見渡す。

 表情を歪ませる者が何人かいたが、反対意見は特になかった。


「では、儀式の説明をします。

 今からテツがこの店でこよなく愛して飲んでいた酒が配られます。

 自分が音頭を取ったら、1分間、目を閉じて、テツとの思い出を馳せてください。テツと直接の面識がない方はテツの安全や健康を祈ってください」

「てつどんは生きているのであるか!」

「そうですよ、マリア。ただ、この街を救うために必要以上に力を使ったため、この世界に帰れなくなりました。テツは今、自分の友人がこの世界になるべく似た場所へと運ばれている途中です」


 真偽はさておき、この発言は場の空気を一変させた。幾分か風通しがよくなった気がする。


「では皆さん、このさかずきを片手で持ち上げて、目を閉じ、杯に対してテツへの思いを念じてください。1分経過したら自分が合図をします。それまではどうか絶対に目を見開かないで下さい。

 では、黙祷もくとうを開始します」


 ■□■□


 異能都市ダゴン。

 中世ヨーロッパ風の町並みに電車と馬車が同居する不思議な光景が広がっている。

 道行く人々はこれまた中世ヨーロッパ風の格好をしているが、ほとんどの人間が『素魔法(スマホ)』と呼ばれる水晶板を片手に何やら語りかけたり、水晶から写し出される映像に目を細めていた。

 というのも、ほんのつい先程、隕石が落ちてきたような巨大な衝撃がタゴンを襲い、現場はつめかけた野次馬であふれかえっているからだ。

 その衝撃の中心地は分厚い煙に覆われていて、野次馬から現場保存へと動き始めた魔法警察の刑事でさえも容易には近付けない雰囲気があった。そのうち、命知らずの野次馬の中から勇気のある馬鹿が未知のスクープ狙いで特攻して、煙に命を吸われるようにして干からびていったのを目撃してしまった。

 それでなおさら近づくのに及び腰になり、捜査本部は打開策としてある手を打った。


 もうもうと立ち込める蒸気の中心部に、テツとルイがいた。

 テツはすべての力を使いきったため、異能を宿す前のただの人間だった頃の姿に戻っていた。


「ここはどこだよ」

「異能都市ダゴンと呼ばれているね。君が前に住んでいたエメラルド・シティに一番近い雰囲気を持っているよ。唯一、魔法という君にとっての未知の力が大きな力を持っている」

「何だぁ、この世界じゃあ、その魔法がないといろいろ困るのか?」

「察しが良いね。その通りさ。ここでは魔法の使えないやつなんか、奴隷以下の扱いをされても文句は言えないよ」

「マジかよ」


 ルイに淡々と事実を告げられ、押し黙るテツ。

 異能を駆使していた頃には考えられない気弱な雰囲気がテツを支配していた。


「でも大丈夫。テツ、君さえよければ僕とけ……


 ルイが契約を口にするよりも先に、上空の雲の割れ目から一条の光が降り注いだ。

 それはテツに照射され、光から発生したいくつもの珠がテツの身体へと入っていった。


「ジュドー! ゴトー! アンドレ!」


 テツを最も知る者たちが力を与えた。

 細身の着流し姿だったテツの身体は元のふと逞しいマッスルボディを得た。

 当たり前のように使っていた再生能力まで付与されていた。

 ジュドーに教えた格闘術の全てが脳裏に焼き付き、身体の動きにもキレが戻った。

 その昔、ゴトーに教わった交渉術を思い出した。


「バーニーにクリス」


 主な付き合いはゴトーショップでの買い取りぐらいだったが、彼らがテツに願ったのは、異世界の言葉が普通に聞こえてしゃべることができることだった。

 願いは叶い、テツの耳から異世界の言葉が聞こえ始めた。


「カルメン、アイザック」


 彼らからはどんな状況にも屈しない不屈の精神を会得した。

 その後、ひときわ眩しくて暖かい光がテツに吸収された。


「マリア……」


 マリアからは励ましの言葉と笑顔をもらった。

 テツは柄にもなくその両目から涙をこぼした。


「ガロード」


 呪われた身体になりながらも愛する者のために寄り添う男からは、悪魔への誘惑を振り切るノウハウを得た。

 テツが直接は知らない有象無象からは何かと気遣われた。

 そして、最後に光ではなくホログラフィーが風呂敷を片手に現れた。


「フェゴール」

「異世界はどうかな?」

「まだ、楽しんでいねえから何とも言えないな。だが、余計なことをしやがって」

「まぁまぁまぁ。異世界転移の経験者からのささやかな好意だと思ってくれ。それに、君の力を戻さなかったら、どのみち、そこの友人が君を手駒にするべく働きかけていただろう」

「そういやぁ、け何とか言いかけてたな」

「契約な。そこの悪魔王から魅力的な契約を持ちかけられたら断れる者はほとんどいないよ。だが、彼との契約は破滅の未来しかない。だから、お節介を承知でこんなことをしたのさ」

「そうかい。それはご苦労なこった」

「あと、最後にプレゼントだ。この風呂敷の中身は酒壺だ。君がエメラルド・シティに来る前の世界の江戸時代の一等酒だ」

「マジかよ、最高だぜ、お前」

「最後に、その笑顔が見れてよかった。じゃあな」


 ホログラフィーの消滅と共に光も消えた。

 テツが受け取った風呂敷には、そこそこの量の入った重みが伝わった。


「君と契約をしたいんだけど」

「断る。お前も気付いていると思うが力は取り戻した。お前の世話にはこれ以上、ならない」

「そうか。君に手荷物を持たせるぐらいだ。よほどのお気に入りなんだね。わかったよ。僕も彼との友情のためにもこの話はなかったことにするよ」


 会話が終わったあと、水蒸気が晴れた。

 目の前には武装した警察官がテツとルイを囲んでいた。


「テツさんに提案があるんだけど」

「何だ?」

「僕はこれからこの都市に一大勢力を築きたい。だから、手を貸してくれないか」

「言っとくが、俺は高いぞ」

「ありがとう。それではまずはこの連中を蹴散らして小手調べと行きましょう」

「上等だ。お前は俺をがっかりさせるなよ」

「フフン。これは腕が鳴りますね」


 鳴り物入りで突如現れたテツとルイ(ダゴンではダミアンと名乗っているが)は、その後、魔法警察を壊滅状態に陥らせ、地下に潜伏し、いつの間にかにエンジェルスという巨大組織を作ったとか。

 真相は定かではない。

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