深夜未明(1) 豊穣神の誤算
※番外編という位置付けです。
※一日の後片付けということで、トップバッターは神様です。では、どうぞ。
豊穣神バアル。
今の世界の神が幅を利かせる前の時代の神である。
五穀豊穣ということばが示すように、大地の実りに関係する神様である。
その役割は妻である地母神とともに痩せた大地を実りある土壌にへと戻し、信者に提供することである。
信者はその恵みに感謝し、大地の実りの一部を捧げる。神への喜びを分かりやすく伝えるのに一番効率がいいのは、集団全員で祭りを催すことである。
大地の神々と信者はその一日だけ無礼講という名の下、身分も立場も関係なくはっちゃける。
酒をのみ、肉を食べ、女と語り、愛のダンスに興じるのだ。
その全盛期の真っ只中にいた頃を思い出してか、バアルはたった数人の集まりに嘆きを感じずにいられなかった。
目の前のご馳走は大好物の牛ではなく魔物の肉である。食えないことはないが、大地の滋養を全く含んでおらず、歪んだ大地の溝に溜まり続けた毒物のような刺激しか味わえない。酒もまた然り。
長いこと見なかった大地の踊りにしても、本来は地母神が選定したうら若き生娘がダンスの主役を務めるのに、あろうことか人妻である。それも所有者とは浅からぬ縁がある。
その事を思いだし、バアルは「ギリッ」と音が立つほどに歯噛みした。
「不愉快だ。楽しくない」
復活できたことでそれまで喜色だったバアルは顔色を歪め、手にしていた酒杯を投げつけた。
酒杯はカランコロンと音をたてるだけで、誰一人、主賓のもとに駆けつける者はいなかった。いや、出来ないのである。
豊穣神に触れられるのは、地母神の許しを得た生娘だけという制約があるからだ。
選ばれし生娘も条件がある。身寄りがない・障害を持っている・異質であること、のどれかを含む少女でなくてはならない。さらに、恋をしていないことが大前提である。
無礼講だなんだの言いつつも存在する、ちょっとしたルールがあるために、誰もそばに寄ることができないのだ。
「どうして私を呼び出したのだ」
バアルは酒で濡れた衣服をそのままに、恨みがましい眼差しで呼び出した者たちに怒りをぶつけた。
「大地が穢れきっていましたので。甚だ不本意ですが貴方を呼ぶしかなかったのです」
ある者の人妻代表としてイサカが質問に答えた。
その答えには相手への畏れはなく実に堂々としていた。
ヘコヘコした物言いに対し、支配者の余裕で返し言葉を用意していたところのあったバアルは、そういう部分を期待していただけに「ムッ」と言葉に詰まるものがあった。
他の面子に対して視線を移すも、イサカ含む体格大人組の態度は総じてふてぶてしいものがあった。
「私は大地の神様だ。それを理解していつつ、何故あのような貧しい宴を開いたのか」
「そう言えば」
「?」
「昨日の宴は楽しかったですね。ちょっと誤解があって揉めましたけど、みんなで焼き肉パーティーしたら大いに盛り上がりましたわね」
「ああ、確かに」
「まぁ、私たちぐらい気持ちが成熟すると、静かなところで塊肉を食べたい気持ちの方が強いですから、それに応えてくれたのは嬉しかったですわ」
「ボクは酒の選別、結構楽しかったね。君たち、なかなかに個性的だからね」
今回の宴の質の貧しさを説おうとしたバアルであったが、エルフの横槍で軌道修正された。
話の盛り上がりっぷりから昨日の宴の余韻が伝わるぐらいである。
「君たち、君たち」と注目されたくて、バアルは手のひらを叩いた。
「何やら昨日は楽しかったようだ。つまり、それだけの事が出来るということだ。それならば私に対しても、同じような宴を開いてくれ」
「(中指をたてつつ)お断りします」
「(中指をたてつつ)準備というのはみんなで楽しみながら揃えるから楽しいのであって、あんたのは唯あんたが楽しみたいだけのイベントだ。だから断る」
「(中指をたてつつ)それに、貴方主導でパーティーを進めたら私たちの身の上が危ういですわ」
「(中指をたてつつ)ああ、あるある。今の態度だけでも酒が進んで酔いが回ったら確実に尻に手を回すムッツリーニだと思うよ」
「失敬な。私は人妻に手は出さぬ。見くびるなよ、老廃物から作られたまがい物どもが」
なまじ神であるだけにバアルは彼女たちの所有物のことに触れた。
「ボクは昔、悩める少年だった。彼のお陰で女になれた。君はただ口が悪いだけのバカ殿だね」
ライカが装備しているエペを振り回し、バアルを傷つけた。
バアルは侮っていたはずの相手からの攻撃が通じることに驚きを隠せなかった。
畳み掛けるようにベネリが動き出そうとしたが、イサカによって制された。
振り返るベネリに対して「それでは前のゾンビたちと変わらないではないですか」と答えるイサカ。
何か考えがあるのだろう。
そう判断したベネリは、イサカにこの場を任せた。
「では、バアルさま。貴方の素晴らしさをアピールしてください。それが納得のいく魅力を伝えられたら、私は貴方の下についても構いません。ですが、失望させたらーー
「そんなことはない。きっと君を満足させられる」
イサカからの提案にライカやベネリが危機感を募らせたものの、それは杞憂だった。
バアルは、己の美貌を誉め、力と才能をアピールに余念がなかった。
そのやり方のそっくり加減は、まるで初日のフラムドール王国の皇子ことカツトシを思わせた。
イサカたち面々がカツトシの方に目線をやると、恥ずかしさを覚えてか、目を合わせようともしない。
「パシッ」
なおも己の自慢話に華を咲かせるバアルに対し、イサカは近づくとビンタを浴びせた。
ポカンとするバアル。
理解が追い付いて、激昂し、イサカに対して手をあげた。
酒の入ったサラリーマンのような勢いだけのパンチが虚しく空を切った。
バアルはもんどり打つように地面に倒れた。
「質問があります」
「……何だ」
「あなたにとって、『女』とは何ですか?」
「私を喜ばせるためにかしずく。それが女の役割じゃないか」
倒れたままのバアルが自分の手で立ち上がろうとしないのは、そういうことなのだろう。
「認めません。あなたはダメです」
「なん……だと」
信じられない言葉に絶句するバアル。だが、イサカがダメなら他があるさ、とばかりに他の面々に視線を移らせるも、誰一人、バアルを手助けする様子がなかった。
「私は最高神なんだぞ。お前らが敬い、畏れられる存在なのだぞ」
「私はあなたを敬いませんし、ちっとも畏れていません」
「同じく。そして、他の人たちも以下同文」
「あ、あのぅ、どうして皆さんはそこまであの男の人を毛嫌いされているんですか?」
いや、ただ一人、キーワード『老廃物』と関係ないところから来たお春ちゃんだけ遠慮がちであるが体格大人組に質問してきた。
「私は人ではない。神だ。今までどこを聞いていたのだ、この愚昧がっ!」
「ひゃい! ご、ごめんなさいです」
体格大人組が問題を指摘することもなく、高圧的なプレッシャーを浴びせる大人げないバアル。
不意に肉食獣の眼差しを受けたような錯覚にとらわれたお春ちゃんは腰を抜かし、震える羽目になった。
「わかった? こいつがいかに自分のことしか考えていない屑だってことが」
「怖かったです。うえ~~ん」
すぐさまウィンがお春ちゃんを介抱し、聡子がポケットの中から取り出したあめ玉を口に含ませて落ち着かせた。
「クソッ、ありえない。老廃物ごときが陥落させた女のくせに抵抗しやがってブツクサブツクサ……
バアルはそのままの姿勢で、不満ばかりを口にするだけの存在になった。だが、その目はどこか虚ろで、自分の世界に引きこもっているようにしか見えない。
「アレ、壊れちゃったんじゃないの? イサカ」
バアルに近づいて、軽く観察しただけのベネリがそう判断した。
意見を求められたイサカだが、何故か頭上を見上げていた。
ベネリも釣られて空を見て、確信に至る。
「みんな、メリーが着地するよ。離れてっ!」
ベネリの警告に、その場にいた面々がバアルから距離を置いた。
程なくして竜が無事、着地した。
バアルは、着地の際、メリーに踏んづけられて地中に沈んだ。
「イサカ、無事かっ」
仕事をこなした竜の首をポンポンと叩いた男が、その首から飛び降りた。
男の降りた先に待ちわびていた女が手を伸ばした。
男がその手をつかみ、立ち上がる。そして、少し長い抱擁。もっと長い口付け。
野次馬が囃し立てても終わらないその行為。
当てられた野次馬が視線をはずすと、お座なりになった宴会場が。
「こんどこそ、一番槍だぜ」
「なー!! 負けないのニャ」
「わふー!!」
黄泉帰りの龍が竜の背中から飛び降りると目の前のご馳走へと駆けた。
色気よりもまだまだ食い気の強い猫と犬があとに続く。
「仕掛屋の皆さん、ご無事で何よりです」
知った顔が欠けることもなく勢揃いしていたことで、お春ちゃんの表情に生気が戻った。
彼女は自分の力で立ち上がると、彼ら彼女のためにきびきびと働き始めた。
その奮闘に触発されてか、シグとベレッタが魔法で素早くメイド服に着替えるや、お春ちゃんを手伝った。
仕掛屋たちと体格子供組たちが宴会に興じるなか、体格大人組と男と竜は地中を移動して地表に出てきた子供と対峙していた。
子供は先程まで精悍な顔つきだったバアルだった。
竜にその身を潰されて、地中にてその身を再構築するも、力が足りなかったようだ。よって、元の大人の姿になることを諦め、魔力消費の少ない子供姿になったのだ。
「老廃物ぅ……」
「やぁ、久しぶり、バアル」
「老廃物ごときのくせに、気安く私の名を語るな」
ふむ、と思案気な顔になった男は、少年に対して距離を詰めたかと思うと蹴り上げた。
バアルは無様に蹴り跳ばされて、再び、大地とキスをした。
バアルが何かをしゃべるよりも早く、男のブランド物の靴底がバアルの後頭部を押さえつけた。
ぷはー。
傍目からするといい歳した大人の男が、少年の頭を踏みつつ、葉巻を吸っていた。
そして、またしても誰もそのことに良心が咎めている様子はなかった。
「誰もあんたの側に味方するものがおらず、弱体化が始まったバアルさんよぉ」
派手なゴールドスーツにサングラス、革の手袋にぶっとい葉巻をくわえた男が、煙を吐き出しながら、倒れた少年の衣服をつかみ、持ち上げた。
「ウチのパートナーズにナニちょっかい出してんの。しかも偉そうに」
スーツの男は吐き出した煙を少年の顔にくまなく当たるように吹きかけた。
濃厚な煙にむせた少年が激しく咳き込む。そして、ここで異変に気づいた。
男は少年の衣服だけをつかんで持ち上げているにも関わらず、少年のなけなしの精気が、じんわりとだが、しっかりと男の肌に吸収されていることに。
「まさかお前、私の生命力を吸いとっているのか?」
「ああん? 何、寝言をほざいてやがる。お前が下に見ている老廃物にそんな能力でもある、と?」
「いやしかし、現に私の力が……」
「ああ、確かお前のような高等な存在は生命力を全部吸いとられたら存在がなくなるんでしたっけ? 紀元前に好きなだけ暴れ、好きな女を抱き、一世を風靡していた有名神さまが、こんなことで消失ですか。ウケる。まじウケる。草生えるー」
男の苦笑をよそに、バアルの存在感は次第に薄くなっていた。もはや人間型の身体を保てなくなり、幽霊のように希薄な存在に近くなっていた。
「私が悪かった。頼む、助けてくれ、ベルフェゴール」
「ほう。認めますか。私の存在に『王』を付けてもいい、と」
「認める。すべては私の傲岸不遜が招いた罪だ。今後、お前のことをバカにしないことを誓う」
「お前?」
「ベルフェゴール、後生だ。私はまだまだ死にたくないのだ。いくらでも笑ってくれても構わない。私のことを好きに罵っても赦す。だから、存在を消さないでくれ。頼む」
「頼むじゃねーよ、お願いしますだ、バカ」
マンガ絵の外郭の線だけという極めてアンバランスな存在感にまで薄まったバアルは、それでも赦そうとしないベルフェゴールから離れると、地面に頭を擦り付け、土下座した。
「ごめんなさい。許じでください。ぞじで、助けてください。お願いじまず」
涙の土下座がベルフェゴールの心に響いたのか、存在の消失は寸でのところで防げた。
力が戻り、バアルは再びヒトガタの姿を取り戻した。だが、大きさは少年のままだった。
バアルはベルフェゴールにすかさず抗議しようとした。だが、ベルフェゴールは言葉では答えず、拳で語ってきた。鳩尾への容赦ない一撃にバアルの意識が一瞬で吹き飛んだ。
「おい、カツトシ」
宴会場の端のところで誰の邪魔にもならないようご馳走を食べていたカツトシが、ベルフェゴールに呼ばれて、渋々といった感じにやってきた。
「こいつをお前に預ける。舎弟にしてパシらせてもいい。サンドバッグにして痛めつけてもいい。思う存分、ガス抜きするといい。ただ、殺すなよ。それだけは守れ」
「マジかよ!」
「ああ。こいつはお前の同類だし、お前が一番扱い方を知ってそうだからな。だが、大事なことだからもう一度言うぞ。絶対に殺すな。死なせたら、お前が明日、こいつが受ける責め苦を味わうことになるからな」
「責め苦?」
「死んだ方がまだマシな拷問のようなものを明日、コイツに対して行う。代わりにやってみるか?」
カツトシは首を勢いよく横に振った。だが、舎弟化の件は引き受けた。
朧気な意識を引きずっていたバアルは、二人の会話からこんなことを思っていた。
(どうしてこうなった)と。
こうして、かつての最高神は人間の下僕として再スタートを切ることになった。そしてそれはこれから始まる悪夢のまだ序の口でしかないことを知るのはずっと後だった。




