昼(7) 一方、バベルでは……。
ワシの名はゼニー桑田。
インターポールをやっていて、長年、宿敵の大泥棒ルペンを追っている。
何度かは逮捕し、牢獄にまでぶち込んだこともあるが、そこは大泥棒。脱獄はお手の物というヤツで、しっかりと刑期をまっとうした試しがない。
その度ごとに我々の組織内にてルペンを知らん奴が、我が物顔で『特殊部隊を派遣して、ルペンなぞ暗殺してしまえ』と声を荒げるが、これもまた成功した試しがなく、歴史の闇から姿を現したお宝がルペンの手のひらに次から次へと収められている。
だが、ここ数年はルペンも老いたのか逮捕されることが多く、脱獄に失敗することもあるようだ。
それでかどうかは不明だが、彼を助けていた信頼できる仲間にもとうとう見離されたらしく、ここ最近はフリーで行動している、と報告書にあった。
ワシの長年の勘が囀りおる。
”コイツは紛れもなく、生涯最大のチャンスだと”
「いよいよですね」
美咲くんに声をかけられ、我に返ったワシは時計を見る。
ルペンが指定した15時まで、あと2~3分といったところだ。
この頃になると、大勢の観光客でにぎわうホテル内……特に犯行現場となる展示場階は世紀の大泥棒の登場を今か今かと待ち構えるため固唾をのんだ。
それまでの賑やかしが嘘のように静かになるありさまは、まさに嵐の前の静けさだ。
「大泥棒予告時刻まで、5・4・3・2・1」
ゼロッ! と朝のテレビでおなじみの実況アナウンサーが指をさし示した。
3兆ギルダンの宝石は、魅惑の輝きを発しており、ミリ単位も動く気配はない。
「大泥棒ルペン、犯行予告を守りませんでした。一体どうしたのでしょうか。本日は、長年、ルペンを追っていたインターポールのゼニー警部にお話を伺ってみようと思います。
ゼニー警部! お話をよろしいですか」
と口やかましい女キャスターが駆け寄ってくるその時である。
宝石がわずかに揺れたのをワシは見逃さなかった。
「美咲くん、ルペンが来るぞ。お前たち、逮捕の準備はできているか」
「問題ありません、警部」
信頼する部下たちがワシの号令のもと、直ちに配置についた。
ワシは長年の勘に従い、宝石の周囲をくまなく見渡す。
すると、大音響とともに天井に大きなヒビが入ったかと思うと、すぐさま崩落した。
「危ない、美咲くん」
ワシは、とっさに崩落現場に近い場所にいた美咲くんをかばった。
何人かの犠牲者を出したのであろう、大悲鳴とともにむせかえる血の匂い漂う展示場は一瞬でパニックとなり、野次馬たちが逃げ延びようとするも、出入り口すらまともに視認できない砂埃が邪魔をして、あちこちで群衆同士がぶつかり合い、2次3次の被害が生み出されている。
「警部、大丈夫ですか」
美咲くんは無事だったようだ。だが、ワシの方は背中一面を大きな瓦礫が覆っており、すぐに動ける感じではなかった。なので、美咲くんの『泥棒を捕まえる才能』に期待して、ワシの代わりにルペン逮捕の指示を下した。
「そんなっ! 警部を置いていけません」
「今はそんなことを言っている場合ではない。美咲くん、ワシは君を高く評価している。だから、どうかワシの代わりにルペンを追い、ここへ連れてきてくれ」
「出来ません」
美咲くんが涙で顔を腫らしながらすがるなか、頼れる部下に声をかけた。
皆、集中していたのが良かったのだろう。5人ばかり、民間人を助ける際に負傷したのを除けば、いつでも追いかけられる状態であった。
「お前たち、美咲くんを頼む。そして必ずやルペン捕獲を遂行するのだ」
部下たちは頷くと、美咲くんをワシから引き離した。
美咲くんの気配が消えたのと同時に、ワシの頭からちょっととは言えないぐらいの血が流れてきた。
相変わらずの砂埃で満足に目視できないが、ワシは思った以上に大きな瓦礫の下敷きになったようだ。
美咲くんだけでも助かったという安堵で気が緩んだのだろう。
血を失いすぎたのか、限界を感じたワシは、かすむ視界に抗うこともできず床に突っ伏した。
―
バンカーバスターという航空爆弾があります。
地中貫通爆弾という別名が示すように、本来ならば、地下に潜伏している者どもを生き埋めにするための爆弾です。
「本来の用途とは勝手が違うが、この爆弾を今回の宝石強奪ミッションに用いよう」
ジュドーさんから情報収集を行ったフェゴール様の、彼なりの提案でした。
「普通の爆弾ではダメなのですか?」
この爆弾による被害を想定して、私は彼に提案の変更を求めました。
「んー、そうだなぁ。たしかあのビル、頂上が123階だったよね」
「はい」
「で、展示物階が75階。ステルス爆撃機のミサイル保有量で30階分が吹き飛ぶならそれもアリだけどね。せいぜい、ビルのどこかが爆撃でいびつに穴が開く程度で、目的階にまで達しないと思うよ。それか爆風の衝撃にビルそのものが耐えられず、全壊するかもしれない」
私の頭脳をもってしても、ミサイルの威力をビルに当てはめてみるに、死傷者の少ない攻撃方法が思い付きませんでした。フェゴール様のやり方でも、私の提案のどちらでも多くの人が死ぬ未来しかありません。
「まぁ、ぶっちゃけ、ミサイルとはいえ普通に爆発するタイプなら、あの結界は破れないんじゃないかな」
「結界ですか?」
フェゴール様は頷くと、懐から別の図面と写真を取り出します。
「いつもの情報提供者によると、このお宝を護るガラス、一見、防弾ガラスのようでいて、様々な魔方陣が組み込まれているみたいでね。銃弾はもとよりバズーカの弾でも打ち破れないという耐久性がウリみたいだ。だから、一点突破型のバンカーバスターで打ち砕くまではいかなくても、ヒビぐらいは入れたいよね」
「いつもの情報提供者とは、……あの人ですか」
「うん。上がマで、下がンのあの人。まぁ、悪魔だけどな」
「マシンガンですね」
「いや、それ銃器やん」
私のわき腹にフェゴール様がすかさずツッコミを入れてきました。
「まぁ、ワザとぼけたくなる気持ちはわかるよ。アイツは、人使いが荒いからな。いや、タダ働きが非常に好きなんだよな」
「はい。私が仕えるのはあなただけです。本来ならば、あの悪魔の言うことなど……」
「まぁまぁ。その殺気は仕事にぶつけておいてくれ」
「あなたはそれでいいのですかっ、悔しくないのですかっ」
つい声を荒げて、フェゴール様を非難してしまいました。
思わず手のひらで口を覆うも、彼は苦笑しつつ、鼻っ頭を指でポリポリと掻いていました。
「うん。そうだね。自分にとって一番の大切は君たちだ。だからこの作戦、少し変更しよう」
「へ……んこう、ですか?」
「うん。小耳をこちらに寄せてくれ、イサカ」
フェゴール様は私の涙を指ですくいつつも、ささやきました。
私はその計画の変更点に、ビックリしました。
―
警部と無理やり引き離された私は、見てしまいました。
警部の背中に乗っかっていた想像以上に大きな壁が、警部を押しつぶしていく一部始終を。
部下のみなさんだって、目撃していました。
なのに、なのに皆さんは目的のために警部から離れていこうとしています。
私はそこまで割り切れませんでした。
「ぅえぇぇぇいぶぅうぅぅぅ~~~」
私の慟哭は周りの騒音にかき消され、そして安全な場所へと移動させられました。
なおもわめく私に耐えかねたのか、部下の一人が私のみぞおちにきつい一撃を入れました。
その眼が閉じるまでのわずかな時間でさえ、出入り口が瓦礫で埋まり、間一髪で助かったにもかかわらず、私は運命を呪いました。
―
バンカーバスターは対象物の硬さに当たると爆発する爆弾です。
爆弾に指定した硬さに見合わないビルの床はみるみると穴をあけ、正六面体の結界を目指して落下していきました。
そして、着弾が起き、多くの魂が空へと昇っていくのが見えました。
私たちは砂埃によって幾多のパニックが起きている今を有効利用するべく、ロープによる降下で現場へと急行しました。
ちなみに今回突入したのは、私、ラム、ステアーです。
選出の根拠は、脱出の容易さです。私なら仮に戻るためのロープが使えなくなるという状況が発生しても、2人を抱えて飛ぶことなどたやすいですから。
崩落状況にもよりますが、飛ぶのが難しいならば獣人2人の跳躍力で戻るという手段もあります。
人間形態のままのシグ、ベレッタ、モナは、爆撃機の中で待機しています。
ですが、うるさい蠅と云うのはどこにでも存在します。
もし、邪魔が入った場合の露払いを3人にはお願いしています。
さて、現場です。
想像以上にひどい有様でした。
壁のあらゆるところに肉片が飛び散り、人肉の焼けたにおいが漂い、取り残されたことによる絶望で精神が壊れた人々の阿鼻叫喚もしくは笑い声がこだましています。
「あ、みさきんなのニャ」
確かに、ラムの指さす方角に泣きわめき連れられて行く女刑事がいました。
彼女が掴もうとしている指先の方向が気になりました。
「わふー! わふー、わふー、わふー」
嗅覚の鋭いステアーが瓦礫の山を指さします。
状況から鑑みるに、女刑事にとっての大切な人が彼女をかばう形で最期を遂げたのでしょう。
「ステアー、その人は生きているの? もし、生きているのなら連れてきなさい」
「わふー!」
仕事に集中する前に私はステアーにそう命じました。
思った通り、ステアーは助ける気でいて、早速瓦礫の山をかきわけていました。
……ラムは、自由気ままなので、帰るときに一言かけるぐらいでいいでしょう。
結界は、ややへこんでいるものの破られていませんでした。
兵器としては理不尽を感じることでしょう。ですが、それが魔法なのです。
そこで私は、フェゴール様から預かった『とっておき』を取り出し、へこんだ部分にそれを押し当てます。
魔力を注入するや、『とっておき』は発火しました。
調節するや、ただの発火現象は集束し、バーナーの青い炎となり、その炎はみるみると結界を溶かします。
その『とっておき』の名は、ディスペル・バーナー。
一見すると普通のバーナーですが、魔力を込めて発火させると、対象の魔法効果を燃やして消すことができます。今回は、溶けましたけど。
長所は、魔法結界に極めて有効であること。パートナーズしか使えないこと。
短所は、バーナーの容量に応じた分の大きさしか効力を得られないこと。そして、ガス欠になったら魔力が再充てんされるまでに時間がかかるところでしょうか。
女性の胸像の唇と向かい合いました。
唇の部分に今回の目的である『魅惑の口づけ』がはめ込まれています。
フェゴール様ならうまく宝石の部分だけ外すことが可能なのですが、私には荷が重すぎました。
よって、私は胸像の首を折りました。
その時です。
胸像だったものが生身の肉体へと戻り、生首が千切れたショックでクワッと目を開くや、おぞましい叫び声をあげました。
その声は、マンドラゴラの叫び。
即死魔法への耐性なき者を道連れにする、恐ろしい断末魔です。
残念ながら、私は死の女神。死は友達のようなもの。
胸像のトラップは何も得ることなく、私の腕の中で息絶えました。
と同時に、私たちの周りにいた騒がしい人々が大人しくなりました。
私には効かなくても、周囲には有効だったのですね。腕の中の満足げな死に顔がそのことを示していました。また、生首は持てる魔力を使い切ったからか、塵となって、霧散しました。
カランと軽い音を立てて、宝石が床に落ちました。
フェゴール様を煩わせることなく、目的を達成することが出来ました。
心配はしていませんが、ステアーは人命救助に夢中で声が聞こえていないようでした。
ラムは、耳を押さえて不愉快な顔つきでしたが、その程度で済んだようです。
撤収前に私たちもステアーを手伝い、傷つき意識を失っている男刑事さんに回復魔法をかけ、出血を止めました。
救急セットで軽く処置を行い、転移魔法で女刑事のもとへと運んでおきました。
こうしておいた方が、女刑事が無事だった彼に釘付けになり、逃げやすくなるだろうと判断してのことです。
私はステアーとラムを抱えると、翼を広げ、空へと羽ばたきました。




