朝(1) 少年と悪魔
一日二時間の睡眠から醒めると、電話が鳴っていた。
よほど伝えたい用事があるようで、いつまでも鳴り続けている。
諸事情により、自分の身体の上で寝ている犬に猫に幼女をどかし、起き上がるのに四苦八苦していると、枕代わりのメリーが手を伸ばし、そのまま電話を渡してきた。
「はいはい」
「フェゴール様、大変でございます。お連れの少年がホテルの屋上で身を投げようとしています」
「……はい?」
「ですから、飛び降り自殺を試みていらっしゃるのですよ」
うーーん。
カツトシが自殺を考える理由かぁ。
昨日の晩、何かあったか?
「……どう、したの?」
メリーが覗き込むように聞いてきたので、フロントの報告をそのまま伝えた。
メリーが目を閉じ、何かを思い出し、気付いたことをそのまま告げた。
「血の……涙を、流して……いた」
実際にそんな芸当出来るわけないので、深い悲しみに包まれていたのだろう。
しかし、何に対してだろうか。
もっと掘り下げる必要があったが、突然、フロント係が「ああっ!」と悲鳴を上げた。
どうやら、カツトシが本当にホテルの屋上から落ちたようだ。
直感で、目の前の窓へと駆けより、窓を開けた。
その直後、ちょっとした塊が落下していった。
窓から下を見ると、やはりカツトシが落ちている。既に意識はない。
これは好機である。
すかさずトリモチ弾を発砲し、銃口から糸を引いたままのトリモチがカツトシの胴体にベタッーと付くのを確認次第、ようやく起きた数人のパートナーズと発砲した銃を綱引き代わりに「うんしょうんしょ」と掛け声を合わせ、カツトシを引き揚げた。
引き揚げられたカツトシは、急に引っ張られた時の反動からか、ホテルの窓の強化ガラスに身体をぶつけた跡があったが、その他は大した外傷もなく、じきに目を覚ました。
「ここは、天国?」
「いいや、これから地獄になるかもな」
言い回しが良くなかったのか、チンプンカンプンだったカツトシの意識が明らかになるにつれ、彼の顔色が悪くなっていった。
それはそうだろう。
爽やかな朝を台無しにされたパートナーズ全員が、カツトシに向けて、負のオーラをビシバシとぶつけているのだから。
―
彼女たちの「ながーーい」シャワー時間の合間、バルコニーがついている方に移動した自分とカツトシは、彼の言い分を聞くことにした。
「自殺を考えるきっかけは何だ?」
「違う。飛び降りる気はなかったよ。でも、期待していたのにお前たちは全然来なくて、バカバカしくなって諦めたその時、強風にあおられて落ちたんだ」
なるほど。昔の学校モノのドラマにあった、屋上での一コマ「死ぬなんて馬鹿なことはやめるんだ」と、苛められている生徒に対して担当の教師が呼びかけて、説得して、情にほだされた生徒が号泣しながら教師にしがみつくあのシーンを期待していたのか。
「悪魔に何を期待してんだ、お前は?」
人間じゃないせいか、どうにもこういう考えしか出てこない。
カツトシも、今になって「そうだった!」みたいな驚き顔をして、急に不貞腐れた。
生意気な態度ではあるが、思春期真っ盛りは得てしてああいうものだ。
なので、向こうが話しかけてくるまで、時間をつぶすことにした。
手ごろな時間つぶしは、まぁ、喫煙だが。
懐からマレボロを取り出すや、手慣れた所作でそれを味わう。
うまそうに吸っていると、カツトシが興味津々な様子で見つめている。
目と目が合うと、とたんに目をそらして、「チッ」と舌打ちしていた。
「なぁ」
なぁ、で返事はしたくないな。
なので、気にせず煙草をふかす。
「おい、返事しろよ」
「名前ぐらい呼べよ。カツトシ」
「俺の名前はカツトシじゃねえ。ビクトリー・----」
カツトシの本名を初めて聞いた時、2度とその名を聞きたくなかった自分は、発砲した。
カツトシの足元すれすれに着弾し、破片が彼の足元に降りかかった。
カツトシが恐怖心から、後ずさる。
「お前の名は、カツトシだ。わかったか?」
カツトシが、肯定の頷きの合図をする。
涙目である。嫌な汗をかいている。
まぁ、こんなものか。
それとは別に、自分とジョンのメンチの迫力差を叩きつけられる。
つくづく、視線ひとつで相手の行動を恐怖で縛りつけられるというのは、うらやましいと思う。
「な、なんて呼べば、いいんだよ」
「俺の名は、フェゴールだが、お前に呼び捨てにされて気分がいいもんじゃねえ。キングと呼べ」
「キング? お前が」
「ああ。死者の国では王様だからな、実際」
「貫禄足りてないぜ、お・う・さ・ま」
急に舐めてきたので、自分は指をパチリと鳴らした。
何もないところから首を鎖で封じられたワニが出てきて、自分に対し、ひと鳴きした。
「おはよう、アーマーン」
「ナンノヨウダ、ワガアルジ」
「ちょうど、活きの良い心臓がそこにある。食べるか?」
「アオーン♪ コトワルリユウハナイ」
「というわけだ。朝、一度死にかけたことだし、コイツのために生きたまま食われてもいいよな?」
自分がにっこりと笑いながら、カツトシに聞いてみると、案の定、バルコニーの隅の方でブルブル震えながら、ワニに対して、椅子を盾に抵抗する。
アーマーンは、カツトシの恐怖にゆがむ顔がたまらないらしく、じわじわとにじり寄りつつも、ときおり、グワッ! と顎を開いて威嚇している。
まぁ、最終的な命令が出ていないから、アーマーンも食べようとしないのだが、幸い、余裕を失くしているカツトシにそのことは気づかれていない。
「カツトシ、助かりたければ、認めろ。俺は誰だ?」
「キキキキ、キンキンキンキン……」
「キンタマとか言ったら、お前、終わりだぞ」
「キング! キング、助けてくれ、キング」
「よし。いいだろう。アーマーン、27階にギャングどもがいるから、今回はそいつらをエサにしてくれ」
「ナンニンイルンダ?」
「確か、20人ほどだ。うまく行けば、対立しているギャングどもと鉢合わせてエサがもっと増えるはずだぞ」
「イイダロウ。ソレデテヲウツ」
事前の情報収集は大切だ。行き当たりばったりで配下を呼び出したわけじゃない。
ワニは地面に沈むとそれっきり姿を現さなくなった。
まぁ、それにしてもエメラルド・シティと言うべきか。
朝っぱらから、クリスタルの取引を一流のホテルでやるとか、正直、どうかしている。
おっと。話がかなり脱線したが、まだカツトシからは何も聞けていないんだった。
―
カツトシは昨晩、訴えたらしい。
自分の国は裕福で、俺は王子という身分だ。俺のところで楽しくやろうぜ♪ みたいなことを。
それを鼻で笑われ、カチンときて、パートナーズ全員にこう言ったそうだ。
「あんな奴のどこがいいんだ。俺の方がアイツよりもイケメンで、何よりもずっと若い」
すると、思わぬ反撃が来たらしい。
「人間の若さなんぞ、カゲロウのようなものじゃぞ」
「あなたの国は裕福というよりは、鉱物や原油を切り売りして、周囲の大国から一時的に安全保障を約束してもらっているような状態じゃないですか。資源が切れたら、それまでの小国が何を言ってますの?」
「フェゴール様は悪魔である以前のお姿は神でした」
「お前、手術痕もなしに男を女に変換できるのか?」
「どんな国、知らない世界に飛ばされても、あたちのためにするめジャーキーを用意できるのかニャ?」
「わふー♪」
「わふーしか言わないステアーちゃんと会話できるんですかぁ?」
「機械に愛を捧げられますか?」
「私は今、死の女神です。その前は殺戮の天使でした。私の見た目が良くても、死を目の前にして、『好きだ』と言える人はいません。あなたはどうですか?」
「お前よー、一日中、酒飲みに付き合わされて、付き合いきれるのか?」
「みんな、結構わがままっすよ。アンタじゃ力不足っす。悪いこと言わないから、大人しく寝ておくのがいいっすよ」
「コクコクコク」
んで、止せばいいのに、メイド姿だからと云う理由で一番力関係が弱いと思ったカムに襲い掛かったそうな。
結果はあっさりと一本背負いを決められて、絨毯の上で情けなく横たわるハメになったそうだ。
それをみんなに笑われたようだ。
すごく悔しかった、と。
なるほどなー。
シャワーに入っている間にそんなことがあったのか。そりゃあ、知らないわけだ。
「で?」
聞きかえすとカツトシが「えっ?」と驚いていた。
まぁ、死にたくなる気分になった理由の一端はわかったとして、これからどうするのかという話だ。
自分と一緒に居れば、毎晩、乱痴気騒ぎをやるのだが、そこにカツトシの居場所はない。それが嫌だというのなら、出ていくのが妥当だろう。
「じゃあ、手切れ金をくれよ、キング」
「アホか。そんなもん、自分でどうにかして金作れ。幸い、ここはエメラルド・シティ。警察は存在こそすれ機能していない珍しい無法都市。手始めにスリでもして所持金増やして、出国すればいい。簡単じゃないか」
「簡単に言うなよ。数日前まで王子だったんだぞ。スリなんて、やったことねえよ」
「別にスリをしろと入ってない。スリが出来ないんだったら、お前にできることで金を作ればいい」
「どうやって?」
「そうやって、いちいちアドバイスを受ける気でいるから小僧扱いなんだよ。ああ、面倒だ。お前の身柄は別の人間に渡そう。もちろん、正体を明かすわけだから、そいつからは金をふんだくるがな」
「お、おい、いったい誰に引き渡す気だよ」
「決まってるだろう。気前よく金を弾む犯罪組織さ」
と自分がいつもの胡散臭い笑顔で返すと、カツトシは逃げた。
だが、自分の気持ちを読んだパートナーズの数人が動き、カツトシは捕えられた。
簀巻きにして、猿ぐつわをはめ、適当に絨毯に転がしておいて、自分は連絡を入れた。
取引先は「虎の会」。ジュドーだったら、悪いようにはしないだろう。
それからやや遅めの朝食をとった。




