夜(2)
「あしながおじさん、ごちそうさまでした」
肉騒動を終え、皆で後片づけを終えた後、フェゴールは子供たちからお礼を言われた。
フェゴールは手を振って応えた。
子供たちが満腹からか眠い目をこすりながら修道院の中に入っていく。
「マリア、アンタには説明の義務がある。回れ右だ」
「ケイ、ユリ。あんた達には何の用もない。大人しく建物の中に入りな」
モニカはフェゴールがここへ来た理由を知りたかった。
その理由を持っているのはマリアだ。だから、子供たちと一緒に施設内に入ろうとしていたところを呼び止めた。
マリアもまた、ここの子供たちと同じくモニカの躾が行き届いている。
モニカから名前を呼ばれるやビクッと跳びはねて、恐る恐る、モニカのもとへとやってきていた。
「んだと、こっちはステーキを食べていただと」
ビリーの姿が見えなかったことを尋ねたジョンが、その理由に対し、吠えた。
「いたたたっ、お前さん、さっきは『腹いっぱい食べた。満足だ』とか言ってたじゃないか。俺に対して、そんな握力を込める理由がどこにあるんだよ」
「ステーキは別腹なんだよ」
質問するビリーに対し、即答したジョン。その答えを聞いたものは皆そろってこう考えた。
(子供かっ!)
―
「マリアは裏通りで道に迷っていた大陸から来た刑事さんを表通りへと案内したである。ダッシュで走っていたであるから、表通りに人がいるのに気付くのが遅れて、巻き込んだのである」
「あ、巻き込まれたの、自分な」
「そのとき、ゴロンゴロンと転がって、マリアが気づいたときには馬乗りにされておっぱいをつかまれていたである。悲しくなって泣いたである」
「不可抗力だ、イサカ。自分は悪くない」
「女の子を泣かせる人はみんなそういうのですよ、マスター」
両手を突き出し、必死に首を振り、無実をアピールするフェゴールの抵抗もむなしく、イサカがモニカのオーラと同等かそれ以上の禍々しいオーラを放ち、フェゴールに対してまるで鞭でしばくかのようにバシバシと当てていた。
防御するでもなく、大人しく喰らったフェゴールが一撃ごとに、まるで魔法で力を奪われるようにやつれた姿へと変わっていく。
それだけならまだしも、公開処刑はこれからだった。
何せ、フェゴールの残りの妻たちが一様に激おこ状態で、爪をといで次の順番を待ちわびているのだから。
一部始終を見させられたビリーとジョンは、女の嫉妬に震えあがった。はじめこそはいきなりなハーレム紹介に多少なり敵意があった。だが、こんなにたくさんの女を囲むということは、それなりの覚悟を必要とすることをこの日、思い知らされた。
ビリーとジョンは、多少、フェゴールのことを尊敬した。
「お仕置き終えたらすっきりしたにゃん。今から、ラムがきちんと治療をするのニャ」
「わふー♪」
「ああもう、ステアー。傷口を直接舐めたらダメよ。消毒薬でまずは殺菌しなくちゃ。メリー、赤チンはどこかしら?」
「はい。赤……ちゃん。……びっくり、した?」
「赤ちゃんといえば、ウィン、妊娠したって本当?」
「ええ。正確には妊娠というより、着床がわかって、それを聡子に確認したら本当だったという話よ」
「おめでとう」
「おめでとうございます」
「めでたいっす」
公開処刑後、場の雰囲気が一転するや、ビリーとジョンは女子どものきゃいきゃい会話を聞かされることになった。しかも、おめでた話である。おめでたということはその前にやることをやっているということである。
妊娠したという女は、耳が長く尖っていること以外は色白で金髪のスレンダー美人である。
一方のフェゴールときたら、時折、やたらと胡散臭い笑顔を浮かべるか、タバコを吸っているか……の人間的魅力を感じにくい中年男である。
正直、イラッと来た。
彼らは、先ほどまでフェゴールに対して抱いていた畏敬の念をあっさりと捨て去った。やはり、リア充は爆ぜろ。滅せよ。
共通認識を得た同志はアイコンタクトで互いの理解をほめたたえた。
(やだ。大の男どうしが目と目で分かり合っているなんて。ドキドキするよ~~)
その一方で、大人しい少女の方であるケイはそんな男たちの友情に別の方向から心がときめいていた。決して、恋心とかではなく、赤く薄い本の方面でだ。
「はいはい。話がそれているよ。それと、アンタ、彼女たちはもっと大切にしな」
悪い流れをモニカが断ち切った。ついでに祝福を送った。
フェゴールは会釈でモニカの言葉を受け止めるのであった。
「そのあと、てっつんとフェゴールがやり合ったのである」
(やり合った! それはまさか)
赤いバラの園に頭をやられた感のあるケイが『やりあう』という単語を別の意味に聞き違え、たまらず鼻血をこぼした。
幸か不幸か、そんなケイを気にかける者はおらず、話は進んでいく。
「勝負は、フェゴールがてっつんの背後からの心臓へのひと刺しでついたであるが、心臓を無くしてからも、てっつんは激しく抵抗したである。マリアも応援したである。でも、時間切れで今度こそ本当に死んだである」
マリアはその時の状況を思い出したのであろう。それまで高かったテンションが、鳴りを潜めた。
エメラルド・シティでは、単純な殴り合いの末にどちらかが死んでしまうことは日常茶飯事だ。それでもマリアがニックネームで呼んでいた見知らぬ誰かに対する悲しみは、周囲に憐憫の情を沸き上がらせるには充分だった。と同時に、命を奪ったフェゴールに対して、怒りが膨れ上がっていた。
「でも、自分、彼、生き返らせましたから」
たまらず、フェゴールはフォローした。しかし、空気を読まない非常識な言動と受け止められ、怒りの衝動を抑えきれなかったジョンが、その口を封じ込めるべく動きだした。
ほんの一瞬と言ってもいいほどのスピードでフェゴールと対峙し、すかさず連続パンチをお見舞いした。
殺すつもりはなくとも、当たれば重症を負いかねない必殺の一撃一撃だったが、フェゴールはサイドステップを駆使して、巧みにかわしていた。
パートナーズ以外の周囲に、よどめきが走った。
ジョン本人が一番驚いていた。
フェゴールは、彼らからは明らかに格闘経験がなさそうな観光客にしか見えない。よしんば、サングラスで目線が見えなくても、だ。
「おい、お前」
「フェゴールと呼べ」
「真似すんじゃねえよ、コノヤロウ」
この短い会話のやり取り中でも、パンチにキックを織り交ぜた連続攻撃を仕掛けるが、難なくかわされた。
「女たちと同じように喰らいやがれっ!」
「あいにく、男の一撃を大人しく貰う趣味はない」
攻撃はジョンがスタミナ切れを起こすまで続いた。もっとも、先ほど腹一杯になるまで食べた焼き肉のせいもあり、限界は早かった。
ジョンが片膝をついて、息を切らした頃、安堵感からフェゴールは煙草を取り出すや、火をつけた。
タバコの先端が待ち焦がれた熱を持ち、いよいよ喫煙というその瞬間、何かが飛んできて、タバコの熱を奪った。
放出先を目で確認する。
ビリーという名のイケメンが、水筒から水を生き物のように取り出し、彼の周りには薄い水の膜を張り巡らせる一方で、残りの水をこちらに向けてきた。
それは生き物のよう……あえて言うなら水のヘビで、何の障害物もない空中を地を這うときと同じように身体をくゆらせながら向かってきた。そのため、銃で迎え撃とうとしたフェゴールは水のヘビの狙いにくさに辟易していて、射程距離をとるべくバックステップを開始した。
「甘いな、おっさん。水のヘビは伸縮自在なんだぜ」
そう発言する通り、水のヘビは胴をスクリューさせ、バックステップに合わせるように身体を伸ばした。伸ばした分、ヘビの体形は薄く長くなるのだが、ビリーの水ヘビの最大の攻撃力は噛みつき攻撃にあった。
その牙には毒が仕込まれており、他の部分が吹き飛ばされてもヘビの顔だけが無事ならば、そしてきちんと対象相手を噛みついていれば良かった。
「チッ」
フェゴールは舌打ちすると、久々に目力を入れた。
眼球が初めにカッと光りだしたかと思うと、機械音の発生とともに働きだし、イケメンが飛ばしてきたヘビの解析を行う。
分析はまるで検索機能並みに、すぐさま結果を出した。
「チッチッチ」
バックステップによる着地への姿勢安定と、射撃体勢への移行時間中にこの毒蛇の噛みつかれるのを「マズい」と判断したフェゴールは、『対テツ戦』に使用した毒手をあらわにするや、すかさず腕を振り回し、ヘビの噛みつき攻撃を受け入れた。
射線上に現れた腕を、指示通りに噛みつくヘビたち。だが、毒が注入されるよりもヘビ自身が姿を保てず消え去る方が早く、容れ物を失った毒は、地面に落ちようとする。
それを毒手で受け止めるフェゴール。毒はジュッと音を立てつつ、フェゴールの手のひらの中で消えた。
行動の意図がわからず、あっけにとられるビリー。
「この毒が地面に与える影響を考えとらんな。まず、そこの自家菜園のトマトがダメになる。で、ダメになったトマトを勿体ないと食べた子供たちが今度は毒の被害者になる」
「鉱山毒ならまだしもそのぐらいで……」
「そうだな。今回使用された毒の量は微々たるものだ。だが、その『たかが一滴』で生態系すらも破壊するのが毒というヤツだ」
フェゴールの発言にひときわ大きく頷く少女がいた。そして、会話の中に混ざってきた。
「その通りじゃ、小僧。頭打ちになりかけている能力の有効利用に毒を使うという発想を得たはいいが、使う毒は慎重に選べ。おおかた、『対人外用』の強力な毒なんじゃろうが、強力過ぎてもいいことは一つもないのじゃからな」
「それじゃ、このエメラルド・シティは生き延びられないんだよ」
「んなこと、こっちが知るか。あー、モニカ。こちらには戦う意思はないから、この2人、大人しくできないか?」
ビリーの発言をよそに、フェゴールが手持ちの銃を地面に放り投げた。そして、両手をあげて降参のポーズをとる。
そこまでされて何もしないわけにはいかず、モニカはビリーの前に立ちはだかった。
「どいてくれ、モニカさん」
モニカは動かず、代わりに手のひらをしならせた。
バッシーーーーン!! と強力な一撃が夜更けの空気を震え上がらせた。
「さっきも言ったけどね、アンタたち、エメラルド・シティの男どもはクズだね。何かと因縁をつけて殺し合うことしかできないのかい。もちろん、力がないとここで生き延びられないことはわかっているよ。それでも相手が話し合おうとしているのに、ひとりに対して二人がかりで感情の赴くままに行動する。アンタたち、仮にこのお客さんが死んだらどうするつもりだったんだい?」
「マリアの仲間の敵討ちが取れるんだ。俺は満足だ」
「ジョン、話をきちんと聞いていないのかい。フェゴールさんは『生き返らせた』って言ってたじゃないか」
「モニカ、死んだ人は生き返らないぜ。ましてや、心臓を破壊されているみたいだ。心肺蘇生が使えないんじゃ、そんな証言を信じる根拠にはならない」
「マリア、アンタは見たんだろう。その『てっつん』というお仲間が生き返った瞬間を」
「そうである。フェゴールが何かをこねててっつんの開いた胸の中に収めてふたをしたら、てっつんが生き返ったである。すごかったである」
にわかには信じがたい内容ではあるが、『エメラルド・シティの天使』という二つ名のある彼女である。嘘はついていまい。
「アンタ、ナニもんだよ」
ジョンの疑問に対し、フェゴールは煙草を吐きだしながら、いつものように胡散臭い笑顔を添えて、答えた。
「悪魔さ」
―
またしても周囲の無反応が寒かったが、いつものことなので、周囲が思考能力を取り戻すまでのあいだ、フェゴールはパートナーズが用意してくれたブラックコーヒーを楽しんだ。
3杯目に手を伸ばしかけたとき、修道院の出入り口から「ただいまー」という声がかかる。と同時に、修道院から2匹の犬が飛び出して、白い犬が顔をフードで隠している男にこれでもかこれでもかとじゃれあっていた。
「……ああ、お帰り、マルコ」
「おや、どうしたんですか、モニカさん。顔色が優れませんね」
「……ああ、今日来たお客さんがあまりにも非常識でね」
「ああ、迷惑しているんですね。分かりました。追い払ってやりますよ。マルコ、行こう」
「ち、違うんだよ、ギブソン。それは言葉の綾で……」
モニカが慌てて訂正しようと振り返るも、屈強な身体つきをしたマルコという名のフードの男と一緒に現場へと向かっていったギブソンは、早速、フェゴールに対して凄みを増した脅しを与えていた。
「エメラルド・シティは脳筋ばかりなのニャ」
「その通りだな。見知らぬ相手には厳しいな。だが、自分はお前たちを知っている。なぁ、ギブソン&マルコ」
「ああっ、何でテメエが俺らの名を知っているんだよ」
「何で、って、虎の会で最近頭角を現し始めた殺し屋なんだろ? 噂の広まりを少しは考えろよ」
「じゃあ、お前は何者なんだよ。おっと、返事はしっかり答えろよ。いい加減なことぬかしやがったら、後悔させてやるからな」
「ウオオオッ!」
ギブソンの脅しに、マルコの雄叫びが重なった。
息ぴったりである。
(ふむ。明日のガロード戦、自分はガロードを吸血鬼にしたヤツが相手だ。明日、どこかでテツを拾ったら、少しのあいだだけでも一緒に行動を共にしてみるか? うまく行けばとっさのコンビネーションの一つぐらいは生まれるんじゃないかな?)
フェゴールはそれをいいアイディアだと思った。だから、頭のどこかにこのアイディアを仕舞っておいて、それから思考を目の前の男たちに戻す。
少しばかり沈黙していたせいか、向こう側には脅しが効いたように思われた。
「俺はジュドーから個人的に雇われた殺し屋さ。明日、ガロードと彼を吸血鬼にさせたヤツを屠ることになっている」
「……ぷっ、ぶははは。お前、冗談ならもう少しまともな嘘をつけよ。ガロードを屠る? 過去、何人の人外・異能力者がガロードに挑んで冷たくなっていったか知っているのか?」
ギブソンの言い分通り、丁寧に答えてみたフェゴールだったが、盛大に笑われた。
その反応に対し、フェゴールは(だろうなぁ)程度の感覚だった。
それでも、笑われっ放しというのもシャクだと思ったのか、フェゴールは、一つ言い返しておくことにした。
「ギブソンくん、荒唐無稽過ぎて笑いが止まらないのは理解している。だが、アホな発言だからと相手の力量を誤ると取り返しがつかないぞ」
「ギブソン、あいつ、何かヘンだ」
マルコという名のフードで顔を隠す男がギブソンに耳打ちしていた。
フェゴールはマルコの勘の良さに驚きの声をあげた。
「それはそうだぜマルコ。あのガロードを殺すとか言うんだ。クリスタルでもやってるな」
「違う。ギブソン、そういう意味じゃない。あいつ、怖いんだ」
「ああ、そうだろうとも。大ぼら吹きほど小心者が多いからな。足が震えているんだろ?」
悲しいかな。ギブソンにはマルコの感じる恐怖が上手く伝わっていないようだ。
仕方がないな……とかぶりを振るフェゴール。
(これをやると同じ悪魔に気配を探られるからやりたくはなかったが、舐められっ放しはよくない。エメラルド・シティでは、特に)
と、不承不承であることを強調したうえで、フェゴールは人化を解き、久々の悪魔の姿に戻った。悪魔ベルフェゴールの姿に。
それは、おでこの上に2つの角を生やしただけの老人の姿であったが、周囲から漏れ出てくる雰囲気が違った。
周りの空気が突然淀み始め、エメラルド・シティの住人達は途端に呼吸が出来なくなって苦しみ始めた。
ジョンとマルコが生命危機本能からか、息を止めつつも本気を出して殴りかかってきた。
ベルフェゴールは気怠そうに空気を払った。
それだけだったが、淀んだ空気はジョンとマルコに当たるや、クモの糸のような粘着性を持ち始め、周囲の空気に絶大な干渉を起こし、結果、身動きを止めさせた。
ジョンとマルコは、ベルフェゴールに近寄ることすらままならず、地面に派手な音を立てて倒れた。
マルコはもがいた。だが、空気のトリモチは捕まえたエサを逃がす気はなく、もがくほどに強力な拘束力を発揮した。そして、息を止めるのが限界になったマルコが空気を吸い、派手にむせ始めた。
「ウオオオッ!」
ジョンが雄叫びとともに腕に隠し持っていた仕込み銃を発砲した。
だが、ベルフェゴールの周囲を漂う淀んだ空気を打ち払うには熱量が不足していた。
渾身の一撃だった銃撃はポトリと無情な音を立てて、弾丸が地面に転がった。
「「ガウガウガウッ!」」
周囲の関係者が呼吸困難に陥っている原因をベルフェゴールにあると本能的に感じ取った2匹の犬たちが最後の力を振り絞って、悪魔の両足にそれぞれが牙を立てて噛み始めた。
「おっと。スーツがダメになるじゃないか。まぁ、問題はスーツを貫通したこいつらの牙が自分の身体に触れた瞬間溶けてなくなることだな。牙を失った犬とかここじゃマズいわなぁ」
そんな理由でベルフェゴールは悪魔の姿から元の『人化:フェゴール』へと戻った。
途端に淀んだ空気が霧散し、いつもは当たり前すぎて感じなかった『普通の』空気に涙を流す、エメラルド・シティの住人がいた。
※用語解説※
◎淀んだ空気
確か記憶に間違いがなければ、『ペルソナ4』で登場した魔法補助スキル。
その効果は「敵味方全員の状態異常付着率が上昇する」。
普通にバッドステータス付着魔法をかけるよりも、このスキルを撒いてからバッステ魔法を用いると、気持ちいいぐらい敵が弱った。ただし、「敵味方」とあるように、先にバッステ付着攻撃を喰らうとこちら側がピンチに陥るため、便利さよりも使いどころに見極めが必要だったりもする。




