昼(4)
>話をやや戻して、体格大人組がくつろぐホテルにて。
イサカとラムが『エメラルド・シティ、移動の心構え』を復唱していた。
曰く……
「ニヤついた笑顔で近づいてくる男または男どもは、遠慮なくぶち殺すのニャ」
「必ず、よわっちい奴を一匹残して、自分たちが敵対した相手が誰なのかをわからせてやるのニャ」
「フェゴールを見つけたら、夜の10時までにはホテルに連れて帰るのニャ」
少しも噛むことなく言えたラムに対し、イサカは「よろしい」と許可しつつ、笑顔で応えた。
彼女たちを手を振って見送った後は、ウィン・聡子・ベネリ・ライカたちとバックアップ体制について話し合った。
イサカは、ラムたちに対して、ある程度は心配していないものの、フェゴールとジュドーとの会話にあった『昼間でも関係なく移動できる人外』には警戒が必要だと本能が訴えていた。
それで、残る4人と意見を酌み交わした末、監視とサポートを両立できるドローンを即席で開発し、聡子の操縦のもと、飛び立たせた。
イサカの杞憂であればよかったが、案の定、複数の野郎どもに取り囲まれ(これは難なく撃破したが)、懸念通り『昼間でも関係なく移動できる人外』と遭遇した。
その人外は、見た目こそは着流し姿で坊主頭に2メートルぐらいの筋骨隆々な大男であるが、猫のひっかき、犬の噛みつき、龍の炎、シグ&ベレッタによる援護射撃、モナによる一発必中の精密射撃をまともに浴びたそばからあり得ないレベルの再生速度でケガを治し、彼女たちの次の攻撃を浴びる前に一人ずつ、手足の関節を器用に外していって、瞬く間に彼女たちを戦闘不能にした。
「お前……何者……なのニャ」
最初に手足の自由を奪われたラムが、ままならない四肢の現状から立ち直ると、当然の疑問を聞いてきた。
「んん? ワシか。ワシの名はテツ。ジュドーからさっき電話で連絡があってな。『ボディプレス』に行く途中、お前らと遭遇した。まぁ、ついでだからお前たちの実力を知りたくなってな。幸い、何か勘違いしているようだったから、都合がよかった。とんだ期待外れだったがな」
にゃーん、とラムはおのれのうかつさを嘆いた。次に、力不足を嘆いた。
空中で待機していた聡子ドローンはある術式を組んでいた。
それは、風の魔法だった。
どういう理屈なのかは不明だが、ホテルではウィンが魔方陣の中で特製の風の魔法を作成中で、それをミリ単位の遅れもなく完全同期した特別製の風の魔法が練られていた。
そしてそれはドローンに設置されている魔方陣の発射砲から、ラムが嘆きつつもテツと目を合わさずにずっと視ていた方角に合わせて発射された。
その方向に確かにフェゴールがいて、まず風の持つ癒やし効果によってフェゴールは目が覚め、次に様々な情報を含んだショートムービーが風のささやきとともにフェゴールの脳内で再生され、気力が爆発的に膨れ上がった。
「それで……あたちたちを……どうする……のニャ?」
「男が女に求めるモノって、そう多くないだろ。だから、死なせはしなかった。それによく見れば、お前たちはなかなかの上玉。楽しみ甲斐がある」
テツはそう言いつつ、ラムのほっぺたを軽く舌で味見した。
ゾワゾワとする不愉快な感覚に、ラムの顔が著しくゆがんだ。
「おいおい。そんな顔するなよ。お前の旦那も似たようなことをしているんだろ?」
「そうニャ。……けど、お前のは気持ち悪いのニャ」
「じゃあ、気持ちよければ問題ないんだな。任せろ、そういうマッサージがある」
テツの表の職業は按摩師である。苦痛を和らげたり、逆に長く苦しませたりするのはお手の物で、当然のように性感を高めるツボも知っていた。
施されるごとに、ラムの表情が嫌悪感からマタタビ酔いのような恍惚感へと変わっていった。
「お膳立ては済んだな。よし、いい夢見せたるぜ」
「お前がな」
「ん?」
テツの見知らぬ男が、貫き手で心臓を取り出すや、握りつぶしていた。そして、その心臓にはいつもの再生効果は働かず、溶けるようにして地面に落ちていき、ぶすぶすと蒸発するかのようにやや泡立った後、跡形もなく消えた。
「な?」
「自己紹介が遅れた。私の名はベルフェゴール。悪いが、お前とのコンビは解消させてもらう」
「エメラルド・シティに弱いやつを連れて歩く方が悪い」
「心臓がなくなったというのに、まだしゃべる元気があるのか。なら、次は脳みそを破壊しよう」
ベルフェゴールはエレファントキラーを取り出すと、顔めがけてトリガーを引いた。
「うがっ!」
テツは心臓を失ったというのに、剛腕を振るうや、顔に当たるはずだった銃弾をその腕で盾の代わりにするという驚異の抵抗力を見せた。
「いいか、小僧。心臓取ったぐらいで勝ったつもりでいるなよ。無くしたら、そこにあるもんで補えばいいんだよ」
と、テツは動いた。
彼の狙い目はそこそこの再生能力を有していた龍の女だ。正直、すぐ殺すことになることをもったいないと思っていたが、自分が死ぬよりはましだ。
ヤツはまだ呆然としていた。仮に反応を取り戻し、反撃が来るだろうとしても1~2秒のタイムラグがある。
その間に女から心臓を取り出し、自分のものとすればいい。ずっと前からそういうことをやって生き延びてきた。ただ、ここ数十年はそういった危機に直面した出来事がないだけだ。
(甘いな、小僧。最後にモノを言うのは経験なんだよ)
テツは勝利を確信した。そのために、周りに何が起きているかを知る余裕をなくした。
ふと、地面がぬかるんだ。
テツは地面に足を取られ、その巨体ゆえにズブズブと沈んでいった。
「ありがとう、聡子。ありがとう、イサカ」
ベルフェゴールが誰かに対してお礼を言っていた。
テツは周囲を見渡したが、少なくとも人間の姿をしているような存在は見当たらなかった。
その間に彼は見慣れた処置で女どもの状態を戻していった。
外された関節をきれいにはめていった。
本職のテツから見ても、惚れ惚れするほどにテキパキと動いていた。
彼女たちはテツが見ているのもかまわず、ベルフェゴールを抱きしめて、次から次へとお礼を言っていた。
テツの反応は、ゲロ甘な砂糖菓子を口にして気持ち悪さで吐いているかのようだった。かと言って、視線を外すわけにはいかなかった。
テツには最終手段があった。
10秒ほどであるが、異世界へと逃げ延びて、その間に遠くへと移動するのだ。
それにはぬかるみから脱出する必要があった。
異世界への門はあまり長い時間開けたままにすることができない。しかも、再出現させるには数時間ばかり時間をあける必要があった。
だが、突然起きた風がベルフェゴールの彼女たちを包んだ瞬間、それは不可能になってしまった。
手足の微かな痺れ等で満足に動けなかったはずの彼女たちの状態が、戦う以前の状態へと戻っていた。
それは再生能力のなせるワザではなかった。
(魔法を使うヤツがいるのか。厄介なこった。それに……)
タイムアウトだった。
テツの意識は遠のき、次に視界が開けたときには自分の動かなくなった身体をまじまじと見つめるテツの姿があった。
つまり、魂の状態となったのである。
(悪くない人生だったか?)
テツはおのれの生きざまを浮かべた。
まだまだ若かったころ、異世界脱出でエメラルド・シティという自分の世界とはだいぶ勝手の違う世界へと飛ばされたこと、殺し屋としてそこそこの名声を得たこと、燃えつくされボロボロになったビルから出てきたジュドーとマリアのボケーッとした顔にかつての自分を見せつけられてか、ついつい面倒を見たこと、テツ・ジュドー・イチの三バカ殺し屋として名前が売れたこと。
ガロード・アリティーの伝説とともにかつての名声が消え入って、仕事が減ったこと。
そのガロードと戦う手筈が整ったことを、出世したジュドーから連絡が入ったこと。
『ボディプレス』でいつものようにタダ酒しようと思ったら、ケンカを売られ、それには勝ったが、結局は死んでしまったこと……。
(いや、悔いが残るじゃねぇか)
テツは魂であるにもかかわらず、身体を震わせた。
テツはその時、胡散臭い笑顔を浮かべるベルフェゴールと目が合った。
ベルフェゴールは手を伸ばすと、テツの魂を握り、こねた。
テツの魂は心臓の形をとり、引き揚げられた身体の穴の開いた部分にねじ込まれ、聡子ドローンの癒しの風により、穴はふさがった。
しばらくして、テツは目覚めた。
今度は日の照り付けを感じ、そよ風を感じ、生き返ったことを実感した。
「何で生き返らせた」
「礼はそこの少女に言ってくれ。あんたが死んだとわかるや、すげえ勢いで暴れてな。また意識を飛ばすわけにもいかんからな」
少女? と首を傾げながらテツが近寄ってくる何者かに意識を向けた。
「てっつん、生き返ったであるか!」
「ああ、そこの兄ちゃんがやってくれた。お前も礼を言え」
「ううう、ありがとうである。うれしいである」
テツはマリアが自分のために悲しんで、そして喜んでくれる姿に毒気を抜かれた。
ジュドーが何でマリアにだけは殺しのスキルを教えないでくれと懇願したかが分かった気がした。
一度殺しを覚えた奴の笑顔はどんなに取り繕ってみても、違和感を与える。
マリアの天真爛漫は、無法都市エメラルド・シティではオアシス並みに貴重だ。
「約束してくれないか」
テツはベルフェゴールから声をかけられた。
「何をだ?」
「自分のカミさんには間違っても手を出さない。それだけだ」
「念のため、聞いとくか。お前、何人いるんだ?」
「今のところ、15人だったか?」
「死ねっ、お前、今すぐ死ねっ」
ベルフェゴールはテツに暴力を振るわれた。だが、殺意はこもっておらず、じゃれているだけだ。
「じゃあな。明日の晩、旧刑務所跡地で会おう」
それだけ言い残すとベルフェゴールはテツのもとを離れた。そして、彼女たちの輪に入って、仲良くどこかへと場所を移動した。
テツは泥だらけになった衣服を脱ぎ捨てるや、裸一貫でどこかへと移動した。
取り残されたのは、一部始終を見届ける羽目になったゼニー警部と美咲刑事だった。
いろいろなことが次から次へと起こったため、脳内の処理能力はパンク寸前であり、目と目が合った二人はお互いに笑い転げた。
もう、笑うしかなかった。




