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義経伝奇(1)

作者: 酒井順

第1話 蝦夷地


 その頃、衣川館には火の矢が射こまれていた。源義経主従は、近くの山から館の最期を見ていた。しかし、この山からでは詳しいことが分からない。鷹に変じた金売吉次は、詳細を見届け、藤原泰衡の承諾を得て、次の日の早朝戻って来た。万事はうまく運んだらしい。もうこれで、思い残すことはない。日の本に未練などはない。急ぎ北を目指すことだけが、彼らの仕事となった。しかし、義経らには何故北を目指さなければならないのか、理由が分からない。理由を知っているのは、怪僧常陸坊海尊だけだ。


 ここで、一行の名前を紹介しておこう。源義経、武蔵坊弁慶、佐藤継信、佐藤忠信、伊勢義盛、金売吉次、静御前、常陸坊海尊だ。ただ一人だけ人の姿をしていなかった。皆、馬に跨っているが、義経の乗る馬は佐藤継信だった。彼は、人の姿に戻ることは出来なかった。理由は分からない。静御前を除く全ての者が何かしらに変じることが出来る。いや、常陸坊海尊だけは何かに変じたところを見たことがない。


 陸奥の国の先端(現在の青森・下北半島)までは、何事も起こらなかった。獣を狩り、野草を食し、ここまで辿り着いた。不自由なことは何もなかった。しかし、海尊は言う。

「この海を渡りもっと北に進むのだ」

 義経らは困惑した。馬では海を渡る事は出来ない。空を飛べるのは吉次だけだ。この時、海尊は何かを取り出した。船のようでもある。大きな皿のようでもある。

「皆、これに乗れ」

 義経らには、行く当てはない。行き先を決めてくれるのは、海尊だけだ。いわれるようにその大皿に皆が乗った。行き先が、蝦夷地(現在の北海道)であることは分かる。しかし、その地に何があるというのだろう。


 蝦夷地に無事に辿り着いた一行に海尊が言う。

「今のお前達は半人前にもなっていない。この地の北端まで辿りついてみせろ。我は先に行って待っておるぞ。お前達のことは、この地の神に頼んである」

海尊は、それだけ言うと何処かへと姿を消した。


 北の方角は分かる。しかし、方角が分かるだけだ。一行は馬に跨り、歩み始めた。立ち止まるわけにはいかないのだ。何かしらの責務を与えられているような気がする。今は、歩み続けるだけだ。その内に、1つの集落に辿り着いた。人々が暮らしているらしい。話しかけると、不思議と言葉が通じた。一人の老婆が、歩みより手招きしている。



第2話 ケムの者


 老婆の小屋に招かれたが、狭くて皆は入り切れない。義経と静だけが中に入った。老婆が、語り始めた。

「お前達は、ケムの者じゃな。それも酷く貧弱な、産まれたばかりの赤子というところか。しかし、これほどの数が揃うのを見るのは、婆も初めてじゃ。ましてや、音巫まで居るとは、彼の者のいうことは、あながち戯言ではないのかもしれぬの。音巫よ、その笛を吹いて聞かせて見よ」


 静は、手に持つ笛を吹き始めた。

「まるでだめじゃ。少々手荒な修行が必要なようじゃな。うん。衣も持っているのか。あと3つか。…。ケムの者達よ、あの山に首飾りがあるはずじゃ。この音巫のために取ってくるがよい。但し、荒ぶるカムイだけには、気を付けよ」


 外に出て、老婆が指差す山を見ると、ここから何百丁あるのか、どのくらい高いのか分からない。頂上が雲の中にある。

「お前達が、戻ってくる頃には、この音巫も少しは笛の音を出せていようぞ」


 義経は、山に行くことを決めていた。自分が未熟であることは、自分が一番知っている。山に行けば、何か得られると思っていた。義経は、郎党の者達のところへ向かった。そこでは、あの老婆のことが、語られていた。あの老婆は、カムイの一人なのだそうだ。この村落の者達もあの老婆の年齢を誰も知らなかった。知っているのは、老婆の全ての予測が当たる、ということだけだった。


 5人と1頭は、山を目指すことになった。皆に否やはない。義経が決めたことに意義を挟む者は誰一人いない。ましてや、山行の目的が静様のためとなれば、皆張り切る。山の麓までは、馬を飛ばすことにした。そこから先は、着いてみてからだ。しかし、彼らは甘く見過ぎていたのかもしれない。日の本とこことは、まるで異なる世界なのだ。


 麓に着いた義経一行は、3合目までは馬を利用できたが、それ以上は雪も草木も深く徒歩になった。継信も3合目に残った。しかし、首飾りが何処にあるのか見当も付かない。取り敢えず、頂上を目指すことになった。


 その頃、海尊は誰かと話しをしていた。

「1つは、どうやらここにあるようです。あの者達が向かっています。残りのものは、未だ皆目見当も付きません。全ては、モンゴルに着いてからです」


第3話 荒ぶるカムイ


 5人は頂上を目指した。頂上が近付くにつれ、草木は少なくなったが、雪の深さが酷くなった。地面が分からない。従って、地形も分からない。吉次はとっくに鷹に変じて空を飛んでいる。しかし、鷹の眼を持ってしても、この雪の深さでは見つけることができないだろう。その時、忠信が足を滑らせた。


 忠信は、氷壁を落下していた。どのくらいの高さを落下したのか分からない。忠信は、意識を失っていた。それを見つけたのは、吉次だ。皆が集まる。しかし、山は上りより下りが難しい。皆が忠信の元に集まったのは、夕暮れ近くだった。

「雪洞を掘ろう。探索は明日からだ」


 こういう時に役に立つのが、弁慶だ。弁慶は、異形に変じた。だが、その姿はどの動物にも例えられない。身の丈は3mを越しているだろう。持っていた薙刀は、小刀のようだ。弁慶はその小刀で穴を掘り進めた。突然、空洞にぶつかった。そこは、洞窟の入り口のようだった。皆、中へと進んで見た。そこには、巨大な熊がいた。


 ナムイは、寒さで眼が覚めた。未だ、半覚醒状態だ。

「誰だ。わしの眠りを妨げるものは」

洞窟中に大きな声が響き渡った。そして、ナムイは侵入者を見つけた。幸いにも吉次は、外にいた。残りの4人が巨大な熊と対峙することになった。

「しかし、人の言葉を話す熊に初めて出会った」


 皆、変じた。

義経は、猿になった。

忠信は、鹿になった。

義盛は、蛇になった。


 しかし、ナムイの相手ではない。皆、両手両足を折られ、引き千切られた者もいる。吉次は、洞窟内の惨事を知らせに老婆の元へ戻りたかった。しかし、夕闇の中で吉次が辿り着けたのは、継信のところまでだった。継信は、走った。老婆の元へとひたすら走った。何かいい解決策があるわけではない。ただ、縋る思いだけで走った。空が白む頃に、老婆のところへと戻った。


 何事が起きたのかと、真っ先に起きてきたのは静だった。次いで、老婆も起きてきた。事情は話さなくとも分かったらしい。老婆が、集落中に響くスズを鳴らした。


第4話 転生


 集落中の者達が集まった。

老婆が一人の娘に訊ねた。

「どのくらいの時間で、妖精を呼び寄せられる」

「負傷者は何人ですか」

「4人じゃ」

「半日あれば、何とか」


 老婆は、山に向かった。その移動スピードは、人技ではなかった。しかも、小脇に静を抱えている。ナムイの洞窟の前に立った老婆は、静の笛を吹き始めた。その音色は、全てのものに静寂と沈静を促すような音色だった。ナムイは、落ち着きを取り戻し、完全に覚醒状態になった。

「フチではないか。どうしたことだ」

「話は後だ。お前さんはそこで少しじっとしておいてくれないか」


 老婆は、静から衣を受け取り、無残に散らかった4人の亡骸を1つところへと集めた。そこへ衣を被せ、何か呪文を唱えていた。4人は、人の姿に戻り息を吹き返した。静には、何が起こっているのか分からなかった。老婆は言う。

「衣の力じゃ。この衣はある程度の蘇生能力を持っておる。しかしそれは、死者の持つ生命力と術者の能力に依存する。今回は、早かったことも幸いして皆生き返った。だが、治癒には、妖精達の力が必要じゃ。笛は違うぞ。笛は、術者の鍛錬次第じゃ」


「ところで、ナムイよ。この者達を鍛え上げてくれぬかのう。このままでは、危なっかしくて旅立たせてやれん。もう一つ、あの首飾りの行方は知らぬか」

「頼みが多過ぎやしないか、フチよ。首飾りは、わしが持っておる。鍛錬は勘弁してくれ。わしは未だ眠りの途中だ。だが、いい兄弟を紹介してやろう。ペケレとクンネだ。奴らなら年中起きて居るし、わしより適任だろう。わしだとまた、殺しかねん。首飾りはお前に託そう。どうせ、わしには何の役にも立たん」


 生き返った4人が呻いている。治癒を受けるまでは、痛みが続くのだろう。老婆が、笛を静に渡した。

「この笛でお前が、眠りにつかせてやれ。妖精が来るまで」

 静は、思いの全てを笛に込めた。その姿は、静と笛が同化しているようにさえ見えた。今まで、呻いていた4人は、沈静化して行った。後は、妖精を待つだけだ。

「その思いじゃ。笛は何とか様になったの」


第5話 カムイ


 半日後、フチに頼まれた娘が妖精を連れて現れた。4人の転生者に治癒が施された。4人は、10分もしない内に全快した。ナムイの洞窟は閉じられ、皆下山した。その前にナムイは、ペケレとクンネに連絡を付けてくれたらしい。


 フチの集落に戻った義経達は、今後のことを話し合った。日の本とは、世界が違うらしい。ここ数日で修練が進んだのは静だけだ。他の者は、己の未熟さを痛感させられただけだ。静は、フチの元に残って修練を続けたいらしい。他の6人は、ペケレとクンネのところへ早く行きたい。静だけを残し、集落の一人を案内役として、6人はペケレとクンネのところへと向かった。


 ある日、フチが珍しいことに世間話を静にした。

「この地には、カムイがおる。わしもカムイじゃ。ナムイもペケレ、クンネもカムイじゃ。じゃが、皆寿命を持っておる。ただ、他の人より長生きなだけじゃ。わしらは、自然を神として崇めておる。より自然と同化出来た者がわしのような生身のカムイとなるのかもしれん。妖精もおる。しかし、この妖精が何処からくるのかわしにも分からん。あの娘にも分からんだろう。わしには、妖精に頼み事はできん。稀にあの娘のような存在がこの世に遣わされる。じゃが、あの娘がカムイとなるのかは、誰にも分からん。わしらは、自然に生かされおることだけは、確かだと思うがのう。ところで、日の本はこことは、違うのかのう。何故ケムの者が6人もこの地にきたのじゃろうか」

「はい。日の本はこことは、まるで違います。神と言えば、八百万の神を信じ、仏教と言えば、よく分かりません。日の本を治めているのも天皇様なのか、頼朝様なのか分かりません。あっ、頼朝様は、義経様の御兄君です。何故、義経様がこのようなことになられたのか詳しいことは、私には分かりません。何か運命のようなものがあるのでしょうか。これも自然の定めたことなのでしょうか」

「お前達がここに来る3年くらい前に、海尊と名乗る者が訪ねてきた。その者はこの日の来る事を予期していたようじゃ。それに、あの者はこの世の者ではない。人であることは間違いないのじゃが、ここの自然は奴を受け入れてはくれん。そして、あの者は、何かを探しておるようじゃ。お前さんが持つ3つの宝器もそうじゃろう。おう、そうじゃ、お前さんが完全な音巫になるためには、あと2つの宝器が必要じゃ。それが、何処にあるのかまでは、わしには分からん。確かなのは、ケムの者にはお前さんが必要だということじゃ。ケムの者は、保護してくれる音巫がおらんと、自滅する。この世の中を滅茶苦茶にして、そのまま一緒に自滅する。わしは何人か見てきた。ナムイを始めとしたカムイに抹殺された者達もおる。ケムの者を正気に保つためには、音巫が必要なんじゃ。しかし、6人ものケムの者が同時に現れるとは、何が起こっているのじゃ」


第6話 修練


 ペケレとクンネは、見掛けは人だった。しかし、恐ろしく強い。修行を始めてから1年経ったが、誰も彼らに掠り傷一つ負わせられない。彼らに、変化は出来ないようだ。弁慶が力比べをしても、いつも腕を1本か2本折られる。幸いなことにあの娘が興味を持って傍にいる。彼女の周りには、いつも妖精がいる。


「あらあら、今日はこれで5回目よ」

くすりと笑った幼い笑顔は楽しそうだ。6人が入れ替わり、立ち替わり怪我をするから、あっちに行ったり、こっちに行ったりと忙しい。先の言葉は弁慶に対して言ったものだ。娘から見るとこの1年彼らには何の進歩もないように見える。怪我の程度は、大きくなっているようにさえ見える。


 ペケレとクンネは、1日修行を休んだ。彼らの眼から見るとそろそろ第2段階に移ってもよさそうに見えたらしい。確かに、ここに静がいて、彼らを見たならば、鋼のように締まった身体は別人のもののように見えただろう。ペケレとクンネは、言った。

「次の段階に移ろう。今までは肉体の鍛錬だ。これからは、気の鍛錬を行う。この気には、2種類ある。1つは、己が持つ気だ。1つは、外部の自然からの気の注入だ。これが、出来るようになれば、もはや我々に教える事はない。その後は、夏場を選んで、ナムイのところに行って見るがよかろう」


 しかし、この気の鍛錬が難しかった。基本は教えてくれるのだが、要領が掴めない。一番早く習得したのが、義経だった。次いで、継信だった。彼らは人馬合体を成功させた。ペケレとクンネはお祝いにカムン弓を贈った。この弓は、2人が長い年月をかけて鍛え上げたものだ。矢は、無尽蔵に自然から供給される。矢尻は、精神矢だ。吉次も覚醒した。彼は、両翼を伸ばせば4mを越すオオタカにも、雀のような小さな鷹にもなれた。彼には万里鏡が贈られた。これは、どのような遠くのものでも見えるしろものだった。義盛は、体長10mの蛇に変化できた。忠信は屈強な脚力を得た。


 弁慶だけが遅れた。やがて、修行を始めて3年が経過する頃、その時は、訪れた。弁慶は、鬼に変化した。二本の角を持ち、そこから発せられる気は、岩石も溶解させる破壊光線となった。時期は、6月頃になっていた。彼らは、ナムイを訪ねた。ナムイは驚いた。一人一人が毎日し合った。しかし、ナムイを倒せる者はいない。やがて、2年が経ち、娘が介抱するのは、ナムイへと変わった。


 ナムイは、これ以上の鍛錬は無意味だといい、彼らの修行は終わった。


第7話 旅立ち


 静の笛の腕は格段に上がった。衣の遣い方もある程度学んだ。首飾りは、手に負えなかった。首飾りの力は、ケムの者の防御力を上げるものだそうだ。試すことが出来なかったから、基本だけ学んだ。


 吉次は、オオタカとなり、5人をこの集落に運んできた。静の驚きは、尋常のものではなかった。逞しくなった6人に敬意の念と恐ろしささえ感じた。自分の音巫としての能力が彼らを下回れば、彼らを自滅へと追い込む。フチにくどいほど言われている。今の現状を見た限りフチにも判断は出来ないようだ。


 フチが提案した。

「わしの姉がこの地の北端に近いところに住んでいる。姉は、緩い予知能力と、堅固な洞察力を持っている。一度見て貰ったならばどうじゃ」


 吉次は、万里鏡を使いその姉の所在を確認し、7人はその場所に向かった。フチの姉は、フチより遥かに若く見えた。カムイになった歳がフチより早かったからだそうだ。姉は、フチから事情を聴いていたらしく、早速、鑑定が始まった。


「普段ならば、音巫の力で充分でしょう。但し、満月の夜には注意してください。出来るならば、ケムの者達は、満月の夜は屋内にいる方がいいでしょう。これから貴方達は、もう一人の人と落ち合いますね。その方には充分な注意をしてください。私にも何が起こるのかは分かりません。しかし、その方は決して貴方達にとって、吉とは出ていません。さらに、何年後かにもう一人のケムの者と出会います。義経、貴方はそのものと深い信頼関係を築くでしょう。決して、裏切ってはいけません。音巫に授けるものがあります。1つは、3個の消月玉です。どうしても、ケムの者を抑えられない時、この玉で満月を消してください。この玉が無くなる前に音巫の力を上げてください。音巫にとっての基本は笛です。笛の力が音巫の力と言ってもいいでしょう。もう1つ隠霊壺です。貴方達にとって、大切なものは、この壺に隠してください。もう一人の随行者はこの世の自然の加護を受けていません。この壺の中を見る事は出来ないはずです。後は何もしてあげることはできません。巡り会いを大切にし、いい旅をと祈ります」


「海尊に気を付けろか」


7人は、この地の北端に赴いた。海尊は待っていたのか、今来たのか、そこにいた。

「直ぐ、旅立つぞ。未だ、目的地は遠い」





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