第二十話 白銀の塩と祝宴のひと皿
商人ダグラスたちを見送り、丸太小屋へ戻ってきた僕たちは、テラスに並べられた戦利品を前にして改めて息を呑んでいた。
ずっしりと重い袋に詰まった、雪のように白く輝く『精製岩塩』。
王都の鍛冶ギルドが手掛けた、重厚で美しい漆黒の『厚底鉄フライパン』。
そして、小瓶に詰められた黒胡椒や乾燥クローブなどのスパイスの数々。
「ふふっ……すごいわね、リュート」
アリアが腕組みをして、満足そうに八重歯を覗かせた。
「丸太の壁もできて、外の世界から塩も鉄鍋も手に入った。……これ、もう立派な『私たちの家』じゃない!」
「うん。雨風をしのぐだけの仮拠点じゃなくて、本当に腰を据えて暮らせる場所になったね」
僕が答えると、足元でハクが「きゅう~!」と誇らしげに胸を張り、真新しい鉄鍋のフチに前脚をかけて覗き込んだ。その銀白色の毛並みに、木漏れ日がきらきらと反射している。
「よし! 今日は丸太小屋の完成記念と、ダグラスさんとの取引成功のお祝いだ。手に入ったばかりの塩と鉄鍋を使って、樹海で一番贅沢なディナーを作ろう!」
「やったぁ! 腕を振るってちょうだい!」
メニューは決まっている。
アリアが狩ってきてくれた『鎧猪の極上ロース肉』を使った、本格的な厚切りステーキ。そして、採集した野生の根菜をじっくり炒めた温野菜のソテーだ。
まずは、厚さ三センチほどに切り分けた鎧猪のロース肉に、手に入れたばかりの白岩塩を指先でパラパラと振り落とす。
――スキル発動:【至高の食卓】。
――素材看破:海嶺の白岩塩(特級)。
――調律効果:浸透圧による旨味成分の凝縮。肉の繊維を軟化させ、甘みを三倍に引き立てる。
塩が触れた瞬間、分厚い肉の表面がツヤを帯び、余分な水分が抜けて脂の甘みがぎゅっと閉じ込められていくのが見えた。すりおろした野生姜と王都の黒胡椒を軽く揉み込み、下味をつける。
かまどの炎を強め、熱した厚底鉄フライパンに『油椰子』の黄金オイルをひと回し。
十分に熱が回ったところで、ロース肉を静かに滑り込ませた。
ジューーーーーッッ……!!
心地よい轟音と共に、白銀の煙が立ち上る。
これまでの薄い鉄鍋とはまるで違う。厚底の鉄板が均一に強烈な熱を伝え、肉の表面を一瞬で香ばしい飴色に焼き固めていく。
裏返し、採集しておいた香草の葉をフライパンの端で熱して、溶け出した脂をスプーンですくい、肉の上へ何度も回しかける。
「な、なにこれ……! 塩と胡椒だけで、こんなに暴力的な匂いがするの!?」
アリアが喉を大きく鳴らし、机から身を乗り出してきた。
「厚い鉄鍋のおかげで、旨味を全部閉じ込められるんだよ。仕上げに……木漏れ日葡萄の果汁をひと煮立ちさせて、酸味を飛ばした特製ソースをかけるんだ」
ジュワッという軽やかな音と共に、フルーティーな甘酸っぱい香りが肉の脂の薫香と混ざり合う。
木皿の上に、こんがりと完璧な焼き色がついた極厚ステーキを盛り付け、艶やかな葡萄ソースを回しかけた。
「できたよ。『鎧猪の厚切りステーキ、極上岩塩と葡萄ソース仕立て』だ!」
「いただきまーす!」
アリアが両手を合わせ、待ちきれない様子でナイフを肉へ入れた。
スッと、吸い込まれるように刃が通る。中から、ロゼ色の断面と、溢れんばかりの透明な肉汁が顔を出した。
それを一口、頬張った瞬間――。
「…………っっっ!!」
アリアの琥珀色の瞳が大きく見開かれ、身体がビクッと跳ねた。
モグ、モグ、と咀嚼するごとに、その表情が言葉を失ったような恍惚の色に染まっていく。
「……んぐっ、……う、嘘でしょ……!?」
ゴクリと飲み干したアリアは、木皿を抱え込むようにして叫んだ。
「お肉が……歯がいらないくらい柔らかい! 噛んだ瞬間に、塩のキリッとした旨味と脂の甘さが口の中で爆発したわ……! あの硬かった猪肉が、なんでこんなにジューシーで上品な味になるのよ!?」
「塩が肉の旨味を全部引き出してくれたんだよ。鉄鍋の火加減もバッチリだった」
「それだけじゃない……! 身体が、ポカポカどころじゃないわ……指先から爪の先まで、力が漲ってくる……!」
――スキル発動:【至高の食卓】。
――付与効果:
・基礎身体能力強化(中:全身ステータス+8%)
・疲労耐性付与(中:スタミナ消費-15%)
・魔力循環の活性化(神聖気回復促進)
・精神の高揚と幸福感
「きゅうっ! きゅうっ!」
細かく刻んで塩分を控えめにした肉を与えると、ハクも夢中でハフハフと食らいついた。
小さな口の端をソースだらけにしながら平らげ、満足そうに前脚で顔をゴシゴシと拭っている。
あっという間に大皿のステーキを平らげたアリアは、ふぅと長い息を吐き、机に肘をついて僕をじっと見つめてきた。
ランタンの温かな灯火が、彼女の艶やかな赤髪と、火照った頬を柔らかく照らし出している。
「……ねえ、リュート」
「ん? どうしたの?」
「大聖堂でさ、あんたのスキルが『ハズレ』だって笑われた時……私、本気であいつらをぶっ飛ばそうと思ったの」
アリアは少し声を落とし、琥珀色の瞳を細めた。
「でも、今は心から思うわ。……あんな腐った騎士団なんかに入らなくて、本当によかった。あいつらは、あんたのこの手の温もりも、この世界一美味しいご飯の価値も、何一つ知らずに生きていくんだもの」
アリアの手がそっと伸びてきて、僕のテーブルの上の手に重なった。
狩人らしい少しタコのある、けれど柔らかくて温かい手のひら。
僕たちの視線が絡み合い、小屋の中に静かな沈黙が流れる。トクン、トクンと、互いの心臓の音が聞こえてきそうなほど、距離が近かった。
「私ね、あんたのこの食卓を……ハクと一緒に、絶対に守るから。何があっても、ずっとあんたの隣にいるわ」
「……アリア」
真っ直ぐすぎる言葉に、耳の奥がカッと熱くなる。
前世の冷たい病室で夢見た「温かい食卓」。
それは今、かけがえのない少女と小さな相棒と共に、この過酷な樹海の中で、世界で一番温かい光を放っていた。
「きゅぅ~」
重なった僕たちの手のひらの上に、ハクが割り込むようにあごをちょこんと乗せて甘えた声を出し、僕たちは思わず吹き出した。
二人と一匹の小さな宴。
けれど、樹海の奥深く――黒く枯れ果てた神木の彼方では、静かに、確実に、不穏な胎動が近づきつつあった。
(第21話へ続く)




