第4話 メタボうつりたくないんで、帰ります
俺は地面を蹴った。ゴブリンが構えをとる前に、一瞬で距離を詰める。電光石火。
「遅ぇんだよ!」
左フック。ゴブリンの顎を下から叩く。体躯が吹っ飛ぶ。
同時に右ストレート。
回し蹴り。三匹まとめて壁に叩きつける。
ドゴン! バキッ! ガシャン!
槍が俺に向かって突き出される。避ける。掴む。折る。
そのまま槍の持ち主をハンマー投げみたいにぐるぐる回して、投げ飛ばす。他のゴブリンに激突。将棋倒し。
——三分後。
二十匹全員が地面に倒れていた。
息を整える。バフの光が消える。体が軽くなる。
「……あ、ありがとう」
オッサンの声がした。
♢ ♢ ♢
縄を解く。
「大丈夫っすか?」
「あ、ああ……」
オッサンが立ち上がる。足がガクガク震えている。俺の肩に掴まって、ようやく立てる状態。小鹿か。
「君は……誰?」
「ダンジョン配達員っす」
俺はコンテナから弁当を取り出す。包みを開けて、オッサンに手渡す。
「……え? これ……」
オッサンの目が見開かれる。震える手で弁当を受け取る。
弁当箱を開ける。蓋を取る。
ご飯。唐揚げ。ウインナー。ブロッコリー。
——梅干しと卵焼きが、ない。
バフに変換されて消えたからだ。だが、オッサンは気づいていない。
「……弁当だ」
オッサンがぽつりと言った。
「嫁の弁当だ……」
箸を取る。手が震えてる。
唐揚げを口に運ぶ。モグモグ。
「……っ」
オッサンの目から、涙がこぼれた。ポロポロと。止まらない。
「美味い……」
声が震える。
「美味いよ……」
ボロボロ泣きながら、弁当を食べている。鼻水と涙でぐしゃぐしゃだ。
食べながらオッサンが言った。
「……君は、誰なんだい?」
同じ質問。
「神宮颯。配達員です。ダンジョンの郵便屋ッスよ」
「そうか……」
オッサンはあまり関心がない様子で、また弁当を食べる。茶をすする。ほくほくした表情。
(——ったく)
配達員を知らねぇのか。この様子じゃダンジョンのこともよく分かってないんだろうな。まぁ、オッサンだからな。
「……嫁には、色々と迷惑をかけててね」
オッサンがぽつりと言った。ご飯を口に運びながら。
「会社をクビになってから、金のために色々試してるんだけど……」
箸を止める。遠い目。
「〝ダンジョン配信〟っていうの? 物は試しとやってみたけど、若い人のようにはいかないもんでさ。嫁には愛想をつかされて〝三行半〟を突き付けられるし。一人も見てくれないし。再生数もとれないし。もう人生、諦めようかなって考えたりしてるんだ」
オッサンは後頭部を掻く。
難しい言葉はよく分かんねーけど、要は離婚スレスレってコトか。
こういうオヤジはたまにいる。事情ができて、自分に合わない階層で配信して。一発当てようとして。敵につかまる。
「……それでゴブリンにやられたと」
「ああ。情けないだろう?」
オッサンは自嘲気味に笑う。
俺は溜息をついた。
(——ったく)
立ち上がる。コンテナを担ぎ直す。ズシッと重みが肩にかかる。
「加齢臭がきついんで、俺、行きます。メタボうつりたくないし」
「ハハハ、そうかい、ありがとう」
「——ああ、それから」
五歩進んでから踵を返す。
「さっき、誰も配信見てないって言ってたッスけど、もうちょっと機材の使い方ググったほうがイイッすよ」
「えっ?」
オッサンが画面を見る。
「奥さんが心配して見てるじゃないッスか。コメントだって書いてあるのに」
「こ、こめ? って何?」
「一言感想ッスよ。ホログラム画面をスクロールしたら、下段にあるっしょ」
『@ママちゃん 初ダンジョンおめでとう』
『@ママちゃん 気を付けてね』
『@ママちゃん ねぇ、コメント読んでる?』
『@ママちゃん あなたなら大丈夫』
『@ママちゃん お弁当届けたから、あとでゆっくり食べてね』
『@ママちゃん ゴブリンに捕まった! どうしましょう! どうしましょう! 警察!』
『@ママちゃん お弁当、おいしそうで良かった』
オッサンは震える手で、画面にかじりついた。
視聴者数:1
奥さんからのコメントが、ずらりと並んでいる。ずっと、ずっと応援してくれていた。
初配信からずっと。
オッサンの震える。画面がぼやける。
涙で見えない。ポロポロと涙が落ちる。画面に水滴。
「ああああああああああ!!」
オッサンが叫んだ。顔をぐしゃぐしゃにして、号泣する。
「別に人のことだから、いろいろ言わないッスけど——」
俺は手をヒラヒラ振って、扉の向こうへ。
「俺、オッサンの地べた這いまわってまで生きる姿勢、嫌いじゃないッスよ」
「そ、そうだ! そうだな! 誰が人生諦めるなんて言ったんだ! 若造が! 大人をなめるな! ワッハハハ!」
オッサンは急に偉丈夫になりやがって、高笑いをはじめた。雄叫びまで上げてる。洞窟に声が響く。
(いや、人生諦めるって、オッサンが言ったんだろ)
ったく、都合がいいんだから——。
♢ ♢ ♢
地上。ダンジョンゲート前。
俺は一息ついて、配達所へ戻る。自動ドアが開く。チャイムが鳴る。
「お帰りなさい、颯さん」
誠がいつものようにクリップボードを持っている。黒縁メガネをキラリ。
「第三階層への配達、お疲れ様でした」
カタカタとキーボードを叩く。
「はい、こちらが受領印の書類です。必ず三枚複写で——」
「はいはい、わかってる」
俺は書類にサインする。走り書き。
「お疲れ様、颯くん!」
美月が荷物整理をしながら笑いかけてきた。
俺はよっこらせと椅子に座る。コンテナを下ろす。肩が軽くなる。
「なあ、大人ってメンドクセーよなぁ」
俺は肩をもみほぐす。
「何かあったんですか?」
「……別に」
俺の反応を見て、やっぱり美月がクスクス笑っている。
「ねーねー、お昼は何がいいかなー。ハンバーガー? オムライス? カレー? 最近できたお店が近くにあってねー、超かわいいの。三人で行ってみようよ」
「その前に、前々日の報告書がまだですよ、颯さん! 規則で——」
「あーもうっ! うっるせぇぇええ! まずはメシだろ、メシ!」
俺は机を叩いた。
時刻は午後一時。
ダンジョン郵便屋もお昼の時間だ。




