第2話 どけ邪魔だ、弁当が冷めちまうだろうが
やってきたのは、三十代半ば。エプロン姿の主婦だ。
手提げの隙間からはいい匂い。鰹節と醤油だろうか。食欲をそそる香りが配達所に広がる。
「ダンジョン郵便屋へようこそ」と誠。
女性はホッとした顔で袋を抱え直した。
「実は主人にお弁当を届けたくて……。今、第三階層でダンジョン配信をしているの。あの人ったらあわてん坊で、お弁当箱を忘れて出かけてしまって……」
「第三階層ですね、承りました」
カタカタカタ。
誠のキーボードを叩く音が小気味良く響く。女性が壁の『対モンスター保険』のポスターを見ながら、不安げに口を開いた。
「あの……、こういうサービスを利用するのは初めてで……その、時間指定とかできるのかしら?」
「もちろんです。スピード配送なら追加料金ですが、正午には間に合いますよ」
財布を取り出す手が止まる。主婦の口元が歪む。
「……本当に、確実に届くんでしょうね?」
「実績は折り紙付きです」
誠が自信満々に頷くと、横から美月がひょこっと顔を出した。
俺を指差して、
「この筋肉オバケさんは、百メートル五秒なんですよ!」
「オバケって言うな」
俺が睨むと、美月は「えへへ」と舌を出した。
女性が俺をジロジロ見る。上から下まで値踏みするような視線。
(ったく、俺はイグアナか何かかよ。配達員はそこまで珍しい職業じゃねえだろ)
「営業スマイルですよ、颯さん!」と小声の誠。
「ところで——お弁当の具は何ですか?」
誠が書類を書きながら、眼鏡を押し上げる。
女性は再び眉を寄せた。
「ご、ごはんに梅干。卵焼き。唐揚げにウインナーよ」
「申し訳ありませんが、梅干しと卵焼きが消えるかもしれません」
「えっ?」
女性が素っ頓狂な声を上げた。
目が吊り上がる。矛先は俺だ。
「こ、この配達員が食べちゃうの!? あなた、見た感じ高校生でしょ! 意地汚いわね! 人のお弁当をほしがって!」
ハァ……。
俺は肩を落とす。またこれだ。ダンジョンの仕組みなんて、説明するのも面倒くさい。
「なあ、美月。俺ってそんなに〝できない〟顔してっか?」
美月は言葉を返さず、クスクス笑っていた。
♢ ♢ ♢
ネオ新宿、ダンジョンゲート前。
極彩色のマナの光が、巨大な穴から漏れ出している。青、緑、赤、紫——色んな光が渦巻いて、空気を震わせる。
十年前——
東京にダンジョンが出現した。
ダンジョンは深すぎて、底がどうなってるかは誰も知らない。とにかく、人々は資源を求めて洞窟へ向かった。
そんな〝勇敢な探索家様〟に対して、探索家をサポートするのが、俺ら配達員だ。
「——第三階層か。余裕だな」
俺は一人、背中に弁当入りのコンテナを背負って屈伸運動。
靴紐をキュッと結び直す。ゲートの奥、暗闇を見据える。
空気がピリつく。ダンジョン特有の、じっとりと肌に纏わりつく湿気。鉱物と土の混じった独特の臭いがする。
背中のコンテナの重さを確認。約三キロ。問題ない。
クラウチングの体勢。太腿に力を込める。筋肉が膨らむ。地面を蹴る準備。スタートラインに立った短距離走者のように。
指先まで神経を研ぎ澄ます。視界の端まで意識を広げる。
深呼吸。
吸って——
吐いて——
ダンッ!
俺は地面を蹴り上げた。
「どけどけぇ! 郵便屋のお通りだぁ!」
第一階層。石畳の通路。
松明の炎が後方へ飛んでいく。オレンジ色の光の帯。残像が網膜に焼き付く。
視界が一気に流れる。風が顔を叩く。
前を走る探索家たちが止まって見える。
「うわっ!」「なんだ!?」
三人組のパーティの横を駆け抜ける。
風圧。
ゴォッ!
前衛の盾が揺れた。持ち主ごとよろけている。後ろで悲鳴が上がる。
「あれ誰?」「神宮颯よ。ネオ新宿じゃ有名な配達員」
二人の女性探索家の横を通り抜ける。土埃でスカートがふわり。「きゃー!」
(——悪ィ。謝んねーけど)
角を曲がる。壁ギリギリを走る。体を傾けて遠心力をねじ伏せる。
壁に手をついて体を押し出す。指先が痺れる。
——再加速!
足で壁を蹴る。
「げげっ! 颯だ」「颯が来たぞ!」
前方の探索家たちがジト目で俺を見る。勝手に道が開く。人の波が左右に割れる。
俺はその間をドヤ顔で駆け抜ける。
廊下の先、階段が見えてきた。一段飛ばし、二段飛ばし——いや、五段飛ばしだ。
ダン、ダン、ダン!
跳躍。
空中で体が浮く。無重力の感覚。一瞬、時間が止まる——
足音が石壁に響く。
ズザァァアアア!
五分もかからず、第一階層の奥。そのまま中へ。
開け放たれた扉の向こうから、戦闘音が聞こえた。誰かいる。
「くそっ、物理が効かねえ!」「詠唱まだか!」「魔力切れそう!」
広い円形の部屋。緑色の巨体——ギガスライムと戦うのは、駆け出しパーティーとおぼしき探索家たち。
直径五メートル。プルプル震えるゼリーみたいな体。剣や槍の攻撃は、第一階層のボスの前じゃ、全部弾力で弾き返される。
「炎よ、集え——ファイアボール!」
(——あーあ。何やってんだ)
火球なんて意味ないのに。
スライムに直撃——したが、ジュッと音を立てて消えている。
(水分が多いんだから、もっと頭使え)
「リーダー、誰か来ます!」
メンバーの一人が俺を指差した。
全員が振り返って、俺を見た。ポカンとした顔になる。
「脅かしやがって。ただの配達員じゃねーか」
男の一人が舌打ち。
「配達員って、探索家の周りをちょこまか動き回る人でしょ? ダンジョン配信で映り込むから邪魔なのよねぇ……」
ヒーラー役の女が露骨に嫌な顔。
「だよなー。そのくせ強くないから、俺たちがアイツらのために余分に戦わないといけなかったりして——」
俺は走る勢いのまま、地面を蹴った。
空中で腰を捻る。全身のバネを右拳に集中。
ギガスライムの中心核——透明な体の奥に見える、赤く光る球体。
そこを狙う。
「うぉりゃぁぁああ!!」
ドゴォォォォォォン!!
全力の拳を叩き込む。
核を貫いた。
衝撃波が部屋中に広がる。ギガスライムの巨体が震え、次の瞬間——
バシャァァァァァ!
スライムが弾けた。緑色の液体が四方八方に飛び散る。
「うぇええええええ!?」
探索家たちが悲鳴を上げて避ける。
俺は着地と同時に再加速。
スライムの体液を踏んで、ちょっと滑る。体勢崩す。前のめりになって、転——
(——転ぶか、バカ野郎)
スライムを蹴り上げて、すぐに立て直す。
「悪ぃ。モンスター先に倒しちまって」と軽く会釈しておく。アッカンベーも付け加えておく。郵便屋をバカにした罰だ。ありがたく受け取れ。
後ろで怒鳴り声が聞こえるが、——知らん。
俺はボス部屋をさっさと後にした。
♢ ♢ ♢
「こんちゃーッス。お届け物ッス」
そんなこんなで、目的地。
第三階層に到達した。




