静電気のピリと私
人外、擬人化、静電気の精×私。
私は、冬の時期が大嫌いだった。
乾燥した空気の下で、この帯電体質のせいで私は毎年静電気に悩まされる。
ドアノブを握るたびに、ばちんと火花が散り、手袋をしていても容赦なかった。
スカートの裾は足にまとわりついて、髪は浮いてしまうし、パソコンに触れるたびにぱちりと痛い思いをしていた。
まるで世界中の電気が私一人に集まってくるような、そんな季節。
その日も、朝から乾いた風が吹いていた。
いつものように会社を出ると、私は玄関の金属製の扉に手を伸ばす。
わかってはいるけれど、触れなくちゃ帰ることはできない。
深呼吸をして、一瞬だけ目を閉じてこの指先が扉に触れた瞬間だった。
ばちん!!
それは火花というより、衝撃波だった。
痛いなんてものじゃない。
頭の奥まで響くような、強い衝撃。
世界が一瞬だけ白く弾けて、そのまま私は意識を失った。
どれほどの時間がたったのだろう。
瞼の裏が、じんじんとする。
重い瞼を持ち上げた瞬間に、目の前に綺麗な金色が揺れていた。
金髪のショートヘアに。やけに整った顔立ち。
知らない誰かが、屈みこんで私の顔を覗き込んでいた。
「……やっと起きたか」
やけにつんけんとしたその声。
けれどその瞳はとても澄んでいて、不思議と怖くはなかった。
「あの、あなたは……?」
「質問は、こちらが先であるぞ。わらわのことを生み出したのは、おぬしであるか?」
「えっ?」
その男の人は、見慣れない服装をしていた。
黒に近い深い藍色のパーカーに、奇妙な模様が入っていた。
どこか近未来的で、けれどもどこか古代の紋章のようで。
それでも何より、その存在自体が非現実的なものでもあった。
「生み出した?いやいや、どういうこと……?」
「言っておくが、わらわは決して怪しい者などではない。おぬしらの世界でいうところの、“静電気”というものである」
「ええっ?」
聞き返さずにはいられなかった。
だって、静電気?
古くさい口調の、このイケメンが?
「本来は、この姿など存在しないはずであったのじゃ。しかし、おぬしがやたらと溜め込むものであるからして……。このように形となったのである」
「……どういうことですか?」
「正確には、引き寄せられたともいえるであろう。とにかく、冬の間だけでいい。春が来るまで、ここに居させてくれたも。そのためとあらば、わらわはいかようなことでもしてみせよう」
私と同じくらいの背をしたイケメンが、首を傾げて目を細めた。
その言葉に、その甘えたような笑みに胸がきゅんと音をたてた。
――きゅん?えっ、おかしくない?
けれども今の私は、仕事ばかりで恋も遠ざかって、気付けば一人暮らしの部屋が広く感じる季節を過ごしていた。
寂しさをごまかすようにテレビをつけて、コンビニ弁当を温める毎日。
誰かがそばにいてくれるだけで、どれほど救われることだろうか。
「……いいよ。春まで、いても」
「かたじけない」
やけに優雅なその笑みが、不思議と様になっていて私はなぜだか頬が熱くなるのを感じていた。
その日から、私と静電気のピリとの奇妙な冬がはじまった。
***
ピリは、驚くほど私のことをよく知っていた。
「朝であるぞ、起きるがよい。この目覚ましも、もうすぐ鳴る頃であろうに……」
「えっ、なんで知って……」
「布団の中で、もっと寝たいといつも所望していたであろう?全て、伝わっておる。おぬしがその身で発電している間、ずっとわらわはそばにいたのじゃ」
なぜだか、妙に恥ずかしい。
けれど悪意のない言葉に、私は洗面台に向かいながら髪を撫でた。
仕事に行くとき、ピリは留守番をしてくれていた。
いつの間に掃除がされていて、洗濯物が干されていて、夕方には料理のいい匂いが漂っていた。
「ピリ、料理もできるの?」
「電気とは、非常に繊細なものなのじゃ。熱調整も得意であるぞ」
つんけんした口調であるというのに、鍋の蓋を開けるときはどこか誇らしげで。
そんな姿が、可愛いとすら思えてしまっていた。
たまにこの手が触れると、ぱちりと音がしてかすかな痛みが走る。
そのことを、ピリはとても気にしていた。
「すまぬ、痛かったであろう?」
「大丈夫だよ。いつものことだし」
そう言うと、ピリは苦い顔をしてみせた。
「……おぬしはまこと、鈍くあるのだな」
「えっ?」
「なにも……」
「なんか言った?」
「気のせいであろう」
そのような些細なやり取りすら、私は愛おしいと思うようになっていた。
ある日、私は仕事でひどい失敗をしていた。
多方面から叱られて、謝り続けて、やっとの思いで帰宅をした頃にはこの心はひどく擦り切れていた。
玄関に入ると、いつものようにピリが台所から顔を出した。
「遅かったではないか。今日は、大根の煮物であるぞ」
「……ピリ……」
その声を聞いた瞬間、私の中の張りつめていた糸が切れてしまう。
「もう、無理……。私、だめかも……」
ぽろぽろと涙がこぼれて、気付けば床にしゃがみこんでいた。
ピリは驚いたように目を見開いて、すぐさまそばに駆け寄ってくれた。
「おぬし、泣いておるのか……」
静電気は感情に呼応するのか、ぱちぱちと小さな火花が散っていた。
けれどピリはためらいながらも、私に向けてそっとティッシュを差し出してくれた。
「まずは、その涙を拭くがよい。おぬしは日々、励んでいる。わらわは知っている」
その優しい一言で、私の涙腺は完全に崩壊した。
誰にも、言われたことがなかった言葉。
それは私がずっと、欲しかった言葉でもあった。
「ピリ、お願い……撫でてほしい……。頑張ったねって、……」
「そうしたいところではあるが、涙で電気が跳ねてしまう。感電してしまうぞ?」
「いいの……、大丈夫だから……」
涙を拭きながら、私は静かに頭を差し出した。
ピリはしばらく迷って、けれども覚悟を決めたようにそっと手を伸ばしてくれた。
「……頑張ったな」
ぱちん!
「いたっ!」
「だから言ったであろう?……おぬしは、莫迦なのだな」
呆れたような声であるというのに、その手はひどく優しかった。
触れている間、ぱちぱちと火花が散って痛むはずだというのに、不思議とこの心は温かかった。
この痛みすら、幸せだと思えてしまう。
***
ピリへの気持ちに気づいてから、私は彼に触れたくて仕方がなかった。
その手を、握りたい。その肩にもたれかかりたい。
抱きしめてあげたい。
けれどそれは、非常に危険なことでもあった。
下手をすれば、心臓が止まってしまうのだから。
わかっていても、その距離がつらかった。
「私から生まれたっていうのに、私が触れないのって、なんかへんだよね」
そうこぼすと、ピリは眉間に皺を寄せていた。
「まったく、皮肉なものよ……。おぬしの電気を吸ってわらわは形になったというのに、そのせいで触れることができぬとはな……」
「……ピリはさ、誰かに触れられたいとか思ったりする?」
「さあ、どうであろうか……」
ピリは少し考えてから、ぽつりと答えた。
「おぬしとなら……。いや、なんでもない」
途端に、胸が熱くなる。
けれども、触れることはできない。
それでも、この目が合って微笑みを交わすだけで私の心臓は高鳴った。
夜、こたつに入りながらみかんを食べているときも。
洗い物をするときも。
洗濯物を、一緒に干すときも。
その笑顔を見ているだけで、私は冬が少しだけ好きになれたような気がしていた。
***
二月も終わりに近づくと、ピリは少しずつ目に見えてその元気がなくなっていた。
電気を溜める季節が終われば、彼もまた姿を保てなくなるのだという。
「春になったら……。やっぱり、いなくなっちゃうの?」
「元の状態に、戻るだけじゃ。おぬしがまた冬を迎えることができれば、恐らく……また形になることであろう」
「本当に?」
「……すべては、おぬし次第といったところでもある」
その返事に、胸の奥が痛くなるほどに嬉しく思った。
春の風が、冬の匂いを強く押し流すその日。
ピリは、静かに消えていた。
「今まで、ありがとう。ピリのおかげで、寂しくなかったよ」
「わらわのほうこそ、……楽しめた」
そう見せたピリの笑顔は、少し切なかった。
これで最後だと、お互いわかっていた。
「……抱きしめても、いい?」
「危険であるぞ?」
「いいの。痛くても、ピリのことを感じていたい」
ピリはゆっくりと両手を広げてみせた。
「……こちらへ」
私は駆け寄り、腕の中へと飛び込んだ。
次の瞬間。
「っ……!!」
一際、大きな光が弾けていた。
あまりの衝撃に、私はその場に崩れ落ちてしまう。
遠くで、ピリが私の名前を呼ぶ声がした。
***
目が覚めたとき、部屋はとても静かだった。
ピリの姿は、どこにもなかった。
言いようのない淋しさが、この胸を満たしていく。
けれど、不思議と涙は出なかった。
次の冬、きっとまた会える。
私のこの身に蓄えられる電気が、きっと彼のことを呼んでくれる。
そう信じて。
春の柔らかい風を受けながら、私はそっと呟いた。
「……早く、冬にならないかな」
静電気が弾ける、あの痛くて幸せな季節を。
ピリが、戻ってくる季節を。
心の底から待ち望みながら。
私はまた、冬を待つ。
END




