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ほの暗い穴の底から“幸せ”をっ! 〜仲間に捨てられた薄幸少女剣士、異世界の少女とダンジョン経営を通して本当の“幸せ”を探す〜  作者: misaka
●おさんぽ、お散歩

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第98話 なにか、へん……?

※文字数が約4500字と少し多めになっています。予めご了承ください。なお、読了目安は9~11分です。




 ファイのはじめてのおつかいから、ウルンで一夜明けた頃。侍女服に着替えたファイは、第11層にあるユアの研究室を訪ねていた。


「ユア、居る?」

「きゃんっ!?」


 ファイが無遠慮に扉を開けると、出入り口から見て正面左手、お手洗いの中から悲鳴が聞こえた。


 相変わらず薄暗い、ユアの研究室。物はほとんど置かれておらず、人が住んでいるはずなのに音も匂いもしない。そんな、生活感の無い部屋にユアの高い声が響く。


「そ、その声……。ファイちゃん様ですね!?」

「そう。お届け物をしにきた、よ?」


 ファイが返事をすると、お手洗いからドタバタと(あわただ)しい音が聞こえてきた。一体お手伝いの中で何をしているのだろうかとキョトンとするファイに、声をかける人物がいる。


「ファイさん。誰かのお部屋に入る時はきちんと扉を3回叩いて、了承を得てから入ってあげてくださいませ」


 そうファイに優しい顔で諭すのは、外出着に着替えたニナだ。というのも、監視用遠隔撮影機の使い方について話し合った後のこと。


『ファイさんには次のお仕事をお願いしたいのです。それは……』

『それは?』

『わたくしのお散歩のお手伝い、ですわ!』


 そう告げられたファイ。ニナの言うお散歩が、エナリアの各所を回ることであることはファイも知っている。ただ、その手伝いと言われると途端に「?」となる。


 何をするつもりなのか。休憩後、疑問と共にニナと合流してみれば、「まずは」ウルンの果物を持ってユアのところを訪ねるとのこと。


 そうして今に至るのだった。


「扉を叩く……? どうして?」

「そうですわね。ひょっとすると、室内で取り込み中のこともあるので――」

「その声はニナ様!? って、あっ、うっ……ぎゃんっ!?」


 ニナがファイに常識を説いていると、ユアが転がるようにしてお手洗いから出てきた。受け身も取らず顔面を地面に強打したように見えるユア。自室ということで油断していたのだろう。前回同様、半袖の上衣と下着だけを身にまとった姿だった。


 ただ、転んだ際に上衣の裾がめくれあがってしまい、ユアの丸いお尻と黒い毛並みの尻尾が露わになってしまう。


(……お尻?)


 なぜお尻が見えているのか。本来そこを隠しているはずの下着をファイが探してみると、2つあった。1つはユアのくるぶし辺り。両足に引っかかるようにして、桃色の下着がある。どうやらニナが居ることに驚いて、自らの下着に引っかかってしまったようだ。


 そして、下着はもう1つ。


「あぅー……」


 と目を回すユアの手の中に、水色の下着が握られている。


 お手洗いの中で着替えてもしていたのだろうか。そう思っていたファイの鼻がふと、嗅ぎ慣れない匂いを捉える。湿り気を感じさせる、妙な生臭さだ。しかし、なぜだろうか。その匂いを嗅いでいると、ファイの中で得も言われぬ高揚感のようなものが湧き上がる。


「……はっ!? み、見ないでください……っ」


 ファイの視線から全身を隠すように身体を抱き、耳と尻尾をしおれさせる。そんなユアを無性に抱きしめたくなる。


 確かにファイは、ミーシャを始めとする動物に興味津々であり、大好きだ。しかし、この時に覚えた「ユアに触れたい」という思いは、好奇心とは異なるもののようにファイには感じられた。


(なにか、へん……?)


 どうやってもユアから視線を外せない。ともすればこのまま押し倒して、全身を撫でまわしてしまいたい。世に言う“劣情”のまま、ファイがユアに向けて1歩を踏み出そうとしたところで。


「ファイさん」


 ニナが声をかけてくれたおかげで、ファイは我を取り戻す。そうして改めてニナの方を振り返って見てみれば、彼女は服の袖で鼻を覆っている。


「一度、退室いたしましょう。今この部屋にいるのは少し、危険なようですわ」


 そう言って強引にファイの腕を引き、一緒に退室する。扉が閉まるその瞬間まで、ファイは涙目で震えるユアから目を離すことができなかった。




 背後で、ユアの研究室の扉が重い音を立てて閉まる。それと同時。


「ぷはぁっ! ファイさん! 一度荷物を置いていただいて、深呼吸ですわ!」


 息を止めていたらしいニナが声をあげて息を吐き出し、次いで深呼吸を繰り返す。そんな主人の謎の行動を見て首をかしげるファイだが、ひとまず、言われた通りに果物が入った袋を地面に置いて深呼吸をしてみる。


 すると、新鮮な空気を取り込むたびにユアへの“触れたい”という思いも落ち着いていった。


「すぅー、はぁー……。危ない所でしたわね、ファイさん」


 かいてもいない汗をぬぐう仕草を見せながら、ファイを見て苦笑する。そんなニナに、ファイは早速、先ほどの異常事態の説明を求める。


「ニナ。さっきのユアの、なに? 変な感じだった……」

「変な感じ、とは?」

「言葉にするのは難しい……けど。ユアに触りたくて、ムズムズ? した」


 どうにか自身の身に起きたことを言語化したファイに、ニナは思案顔を見せる。


「なるほど、獣人族の方の分泌臭はファイさんをも刺激するのですわね」


 分泌臭。匂い。そう言われてファイが思い出すのはやはり、ユアがお手洗いから飛び出てきた時に香ったあの独特な匂いだ。もしあの匂いが自身の変調を促したのだとしたら――。


「もしかして、毒?」


 ルゥのことを思い浮かべながら、匂いの正体について推測するファイ。


「毒……。ある意味ではそうですが、厳密には違います」

「そうなんだ。じゃあ、なに?」


 改めて尋ねたファイを、ちらりと上目遣いに見たニナ。そのまま手を(おとがい)に当てて再び熟考していたようだが、「そうですわね」と1人で納得したように顔を上げた。


「これから獣人族の方と一緒に暮らすにあたって避けられないことなので明かしますと、ユアさんは今、“発情期”のようですわ」

「はつじょうき……?」

「はい。厳密には異なりますが、ファイさんの言葉で例えるなら“使用不可期間”ですわね」


 つまりは子供を作るための生理的な期間なのだと、ニナは教えてくれる。


 どうやら獣人族の人々は一定の期間内でしか子供を作ることができないらしい。ただし、その期間が来たことは本人にしか分からない。そのため、毒にも似た特別な刺激物を分泌することで、他者に発情期であることを知らせる。そして「交わる」ことで、子供を作るのだとニナは教えてくれた。


 そうなると、ファイとしてはどうしても「交わる」という単語が気になってしまう。


 ファイは黒狼からエナリアに帰ってきたあの日、


『子供の成し方の詳細については折を見て、わたくし達がお教えします』


 そうニナに言われていたことを覚えている。そして今、“交わる”をすれば子供ができることをニナは教えてくれた。残すは交わり方を学ぶだけだ。それを知ることさえできれば、子供を作ることができる。人を増やしてニナを支え、助けることができる。


「じゃあ、ニナ。“交わる”を教えて欲しい、な?」


 ようやく“その時”がきたのかと微かに瞳を輝かせるファイに、ニナは困ったような笑顔を浮かべた。


「ファイさん。もしかしなくとも、ご自身で子供を作って、エナリアで働かせよう。そんなことを考えていらっしゃいませんか?」

「――っ!?」


 あまりにも(まと)を得たニナの予想に、思わず驚愕を顔に出してしまうファイ。


「ふふっ、そのご様子……。やはり当たり、ですわね?」


 いたずらっ子のように笑って、予想が的中したことを喜んでいるニナ。一方ファイとしては弱い自分を覗き見られた気がして赤面することになる。


 そんなファイを愛おしげに見てくるニナ。ファイに向かって半歩だけ踏み込んでくると


「わたくしのことを思ってくださるファイさんのお気持ち。わたしく、とぉ~っても嬉しいですわ! ……ですけれど、ね」


 そう言って、ファイの両手を取ってきた。親しみ深い柔らかさと温もりにファイが改めて正面に向き直ると、遠く想いを馳せるように目を閉じるニナの姿がある。


「ファイさん。エナリアに帰って来てくださったときにしましたわたくしとの約束、覚えていらっしゃいますか?」


 その光景を思い出しているのだろうか。目を閉じて優しい顔で言うニナの言葉に、ファイは無駄だと分かっていても頷いてみせる。


「……うん、当然。『命、大事に』」


 主人からの大切な言葉を、ファイが忘れるはずもない。自身も目を閉じ、あの日の約束をまぶたの裏に映し出す。


 ファイが自分自身の意思でエナリアに帰ってきたあの日、ニナはファイに命を大切にして欲しいと説いた。それは他者の命だけではない。自分自身の命すらも大切にするように、と、ファイはニナと約束を交わした。


「そうですわ。そして子供もまた命、なのです。決して、物などではありませんわ」

「子供が、命……?」


 理解できないと目を開いて眉根を寄せるファイに、ニナは「仕方ない」と言うようにクスリと笑みをこぼす。そのうえで、ファイにはもっと具体的な例が必要だと思ったのか、1人の人物の名前を挙げた。


「そうですわね……。身近なところであればミーシャさんが子供、ですわね」

「ミーシャ?」


 生い立ちのせいもあるのだろう。ファイはこれまで、子供と呼ばれるものを単語として、あるいは概念としてだけしかとらえることができていなかった。ニナの言う通り、自身と同じ――“物”だと思っていた。


 ただ、ニナにそう言われ「子供=ミーシャ」の構図がファイの中で出来上がる。さらに、これまで食を通して培ってきた「命」の概念。また、わずかに芽生え始めている自尊心――自分が尊い1つの命であるという考え方。


 それらエナリアで学び、培ってきたもの達のおかげで、ようやくファイの中にあった無機質な“物”だった「子供」という概念が、命ある“生物”としての輪郭を結び始める。


「そっか。子供がミーシャで、ミーシャが子供……。子供は、命。……大切?」

「――っ!? ……はいっ!」


 ファイが口にした瞬間、ニナの表情が華やぐ。


「大切な命を生み出す行為が“交わり”なのだと、わたくしは考えておりますわ! ……なので、ファイさんにも軽々に扱って欲しくないのです」

「そう、なんだ」


 相槌を打って、話は聞いていたのだと示して見せるファイ。


 ただ正直なところ、彼女の中ではまだまだ“子を成す”という現象そのものへの解像度は低い。恐らくニナと自分の間に大きな感覚のズレがあるだろうこと。そのズレを生んでいるのが知識や経験の差なのだろうことも、ファイも感づいている。どうしたって、ファイは最後のところでニナと分かり合えないのだ。


(それ、でも……)


 他でもないニナが大切にしている物を、ファイは大切にしたいと思う。“交わりが尊い”という認識の共有はできなくとも、交わりを大切にしようとしているニナの想いを汲んで、尊重することはできる。


 分かり合うことはできなくとも、寄り添ってあげることはできるのだ。


「分かった。それじゃあ“交わる”は、また今度に――」

「いえっ」


 諦めようとしたファイに、しかし、ニナが待ったをかけた。


「わたくしの想いと考え方はこうしてきちんとお伝えできました。なので――」


 どうしたのだろうか。ファイが正面で手を握ってくれているニナの顔を見てみると、そこには、眉を逆ハの字にして決然とした表情を浮かべるニナの姿があった。


「――ファイさんに、“交わり”についてお教えしようと思います!」




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