第94話 フア・ワタ?
昼下がり。少しずつフォルンの色が赤味を増し始める時間。ファイはフィリスの町の外れに来ていた。
「ここまででいい、よ?」
ファイが振り返ると、今日1日ファイに付き合ってくれたフーカと、荷物持ちをしてくれていた憲兵たちが立ち止まる。
ニナ達のことを秘密にするには、“不死のエナリア”に帰るところを見られるのは良くない気がしたファイ。買い物も無事に終わったため、ここでフーカたちと別れることにした。
「そ、そうですかぁ? それじゃあ憲兵さん……、よろしくお願いしますぅ」
フーカが言うと、憲兵たちが持ってくれていた荷物をファイに手渡してくれた。
服が入った紙袋と、山ほどの果物が入った木箱。そして、余ったお金で買ったニナ達へのお土産がいくつか入った謎素材の袋たち。袋類は腕にかけ、木箱を両手で持てば帰り支度が終わる。
長かったようで短かったお使いの仕事。ファイが自分1人で最初から最後までできたかと言えば、そうではないだろう。何を買えば良いのか。どのように会計をすれば良いのか。そうした基本的なことは、全てフーカが教えてくれた。
「お買い物。手伝ってくれてありがとう、フーカ」
きちんと感謝が伝わるようにフーカの目を見つめて言ったあと、頭を下げるファイ。
「だ、大丈夫ですぅ。も、もしファイさんが困った人を見かけたら、助けてあげてくださいねぇ~」
「分かった。それじゃあ、えっと……また、ね?」
ファイの「また会おう」という言葉に、前髪の奥にある赤い瞳を大きく見開いたフーカ。それでもすぐに破顔すると、
「はいぃっ。また、いつかぁ!」
そう言って、背中の翅を揺らし、美しい燐光を餞別として見せてくれるのだった。
こうしてファイのはじめてのおつかいが無事に終わる――ことは無い。
確かに人はファイに優しい。しかし、世界は決して白髪に甘くなかった。
えっちらおっちら荷物を抱えて街道をゆくファイ。フィリスの町が遠くなり、時刻も夕方と呼ぶにふさわしくなった頃。後方からやってきたのは、エナ駆動の大型自動四輪車だった。
ファイの少し先に停車したかと思うと、中から種族も人種も多種多様な男たちが降りてくる。皆一様にガタイがよく、少女1人であれば余裕で抱え上げることができそうだ。だが、それだけではない。彼らの手には剣や小刀、果ては銃といった様々な武器が握られていた。
男たちは、大荷物を抱えてのんびりと街道を歩いていたファイを一斉に取り囲む。
突然の出来事に、少しだけ面食らってしまうファイ。わずかに金色の瞳を大きくしながら、黄色い髪を揺らして首をかしげる。
「あなた達、だれ?」
ファイが尋ねたのは、正面に立つ獣人族の男だ。他の男たちに比べてさらに1回りほど身体が大きく、上背は2mを軽く超えているだろう。
耳は肉食動物のそれだ。髪と毛の色は深い青色。右目付近には刃物で切られたような傷があり、どことなく威圧感を放っているような気もした。
「よう、嬢ちゃん。悪いんだが、持ってる荷物を全部置いて行ってくれ」
どうやら男たちは盗賊や野盗と呼ばれる人々らしい。護衛もつけず街道を歩いていたファイは、狙いをつけられてしまったようだった。
ただ、幸か不幸か、ファイは自身がいま何をされようとしているのかを理解できていない。
「荷物を? どうして?」
怯えた様子もなくきょとんとした顔で尋ねる。そんなファイの様子が意外だったのだろうか。男たちは互いに目を見合わせたのち、「ガハハハッ」と一斉に声をあげて笑った。
「ハハッ! おいおい、嬢ちゃん。もしかしてお前、箱入りってやつかぁ? よく見りゃあ着てる服も上等そうじゃねぇか! どっかの国のお貴族様かよ!?」
「はこいり……? じょうとう……? おきぞく……?」
次から次へと放り込まれる未知の単語に首の角度を深くするファイ。彼女の態度に何か確信を得たらしいのは男たちだ。
「それに、なるほどな……。器量も良い……。よし、お前ら、コイツは“全部”いただくことにしようぜ」
「「よっしゃぁ!」」
状況が飲み込めず疑問符ばかりが増えていくファイをよそに、男たちはなぜか盛り上がりを見せる。
「えっと。ごめんなさい。私はニナの物、だから。あなた達には何もあげられない、よ?」
「大丈夫だ、嬢ちゃん。俺たちはお前を貰うんじゃねぇ。――奪うんだ」
恐らくこの集団の頭目なのだろう獣人族の男はそう言って、獰猛な笑みを浮かべた。
ブルリッと身体を震わせるファイ。ファイの意思など関係なく、奪う。まるで人ではなく物のように扱おうとしてくる彼らの振る舞いに、ファイは心の底から歓喜する。
これだ。このひどくぞんざいな扱いをこそ、ファイは求めている。
惜しむらくは、その扱いをしてきているのが見ず知らずの他人だということだろう。もしニナやルゥ、ミーシャがこんな風に自分を扱ってくれたのなら、どれほど嬉しいだろうか。
『ファイさん。買ってきた物をさっさと渡してくださいませ。あ、ファイさんはお部屋で“待て”ですわ』
『ぷっ。ファイちゃん。これだけの買い物にどれだけ時間かけてるの? またわたしと勉強し直しだね?』
『ほんと使えないわね、ファイ。アタシも手伝ってあげるから、もっと頑張りなさい』
蔑んだ目で言ってくる彼女たちの姿を想像するファイ。
(……うん、最高)
まさに理想だ。
「……おい、嬢ちゃん。なんで笑ってやがる?」
頭目の男に言われ、ファイは妄想をやめる。そしてついつい浮かんでしまっていた緩み切った表情をスッと消せば、いつも通りの強い自分だ。
「そんなはずない。私は道具だから。笑う、は、無い」
「は……? 頭おかしいんじゃねぇか、コイツ……。まぁ、良い。さっさとやるぞ、お前ら」
男が言うと、ファイを取り囲んでいた男たちがじりじりと輪を小さくしてくる。
彼らが顔に覗かせる悪意や下心は、やはりファイには分からない。だが、明確な敵意は感じ取ることができる。そして、ファイはルゥと友達になったあの日、「敵はきちんと殺せ」という命令を受けていることを忘れてはいない。
ざっと見た限り、ファイが倒せなさそうな相手は居ない。一番強そうな頭目でさえ、青髪だ。魔物で言えば緑等級ていどの頑丈さ。ファイが「えい」とするだけでここに居る全員の身体が弾け飛ぶ。数は10人ほどと多いが、問題は無いだろう。
(――“敵”は、殺す)
持っていた荷物たちを地面に置いたファイは、念のために鞄から武器を取り出す。ルゥから貸し与えられている、刃渡り10㎝にも満たない小刀だ。
改めて武器として握ってみると、なるほど。ルゥの言う通り、かなり頑丈なようだ。少なくともファイが全力で扱っても壊れることは無いだろう。
刀身が短く攻撃範囲こそ狭いが、鋭い風を起こすことくらいはできるだろう。かつてファイが剣でやってみせたように、これをさっと横に凪ぐだけで、射線上に居る人物を両断する不可視の斬撃が生まれてくれることだろう。
「そんな小せえ武器で抵抗しようってか? 健気だな」
ファイが黄色髪の少女だと思い込み油断し切っている盗賊たちへ向けて、ファイが小刀を凪ぐ、直前で。
「「がはっ!?」」
盗賊たちの数人が突然、悲鳴を上げた。さらに続けざまに二度、三度。悲鳴が上がるたび、ファイの周囲で赤い噴水が出現する。見れば、首元を斬りつけられた盗賊たちが血を噴き上げて倒れていくところだった。しかもご丁寧に、ファイに血しぶきがかからないように傘を使ったり、方向が調整したりしてある。
そして、盗賊たちを襲っているのは真っ白な外套を羽織った人物たちだ。彼ら彼女らの外套には奇妙な模様が描かれており、同じ集団に所属する人々であることを示している。
その中の1人がファイの目の前にやってきて、膝をついた。
「あなた様がファイ・タキーシャ・アグネスト様でよろしいでしょうか?」
フードのせいでその人物が誰なのか、ファイには分からない。声からして女性のようだが、残念ながら聞き覚えは無かった。
「そう。私がファイ。あなた、は?」
「いえ。白髪様に名乗るほどの者ではございません。ですが『聖なる白』の名と、この文様を覚えていてくだされば」
そう言って、外套の人物は頭巾の頭頂部にも描いてあった模様をファイに見せる。外套の白に金色の刺繍で描かれているのは、女性の顔だろうか。この模様が意味するところをファイは知らないが、とりあえず。
「フア・ワタ……。うん、模様も覚えた、よ?」
「光栄です。それでは、また」
「え……?」
ファイの困惑をよそに、外套の人物たちが街道の外れへと走り去っていく。
気づけばファイの周囲に居た盗賊たちは血の痕だけを残して消え去っており、少し前方では生き延びたらしい盗賊たちが自動車を発進させるところだった。
街道にはポツンと取り残されたのは終始自体を飲み込めずにいるファイだけだ。
「…………。…………。……え?」
敵が来たと思ったらまた別の集団が来て、敵を片付けていってしまった。事情を尋ねようにも、もう誰も残っていない。
いつになくポカンとした表情のまま立ち尽くしていたファイだったが、夕暮れに吹き抜けた潮風で割れを取り戻す。
なんだかよくわからないが、どっと疲れた気がするファイ。置いていた荷物を抱えて、早々に帰路に就く。幸い、果物の入った木箱も服やお土産が入った紙袋も無事。ファイとしてはもう、それで十分だ。
「……ふぅ。帰ろう」
夕焼け空にぽつりとこぼしたファイはトボトボと。1人、ニナ達が待つ“家”に帰ることにする。
(ニナ。喜んでくれる、かな……?)
ファイが手に提げる袋には、服と果物以外の物がいくつか入っている。
主体性や自主性を求められることが苦手なファイだが、唯一。自分ではなく主人のためであれば、自分で考え、選び、行動することができる。袋に入っているお土産はきっと、ニナがエナリアを運営するうえで役に立つだろう。そうファイが自分で考えて買ったものだ。
『ありがとうございます、ファイさん!』
そう言って笑うニナの笑顔が早く見たい。そんなファイの歩みは、先ほどよりも幾分か早くなっていた。




