第87話 服も大事、なのかも
ファイがウルンにお使いに行くことが決まって、2時間ほどが経過した頃。
場所は“不死のエナリア”第17層。ルゥの私室だ。ファイの部屋よりも一回り大きく、寝台も置かれていない。だというのにファイはこの部屋に入った瞬間「狭い」と感じた。その理由は、裁縫用の機械や衣類・布が入った棚が所狭しに並んでいるからだ。
睡眠を必要としないルゥにとって、自室は作業場を兼ねた趣味の部屋になっているようだった。
そんな、物が多くて雑然とした印象を受けるルゥの部屋で。
「ふぅ……。こんな感じでどうです、リーゼ先輩」
今しがたまでファイに服を着つけてくれていたルゥが、同じくファイの身だしなみを整えてくれていたリーゼに問いかける。
「よろしいのではないでしょうか。ひとまずお写真を1枚……。ファイ様、着心地などはどうですか?」
リーゼに言われて、ファイは姿見に映る自身の格好を見遣る。
やや分厚い白い生地の半袖上衣に、淡い色合いの薄手の上着。ゴワゴワとした青白い生地で作られた下衣はくるぶし丈。下衣自体が細身なこともあって、ファイの足をキュッと締め付けてくる。おかげで、長くスラッとしたファイの足が強調されていた。
「下衣があんまり伸びなくて、動きづらい……。それに穴? も空いてる」
「それはそういうお洒落だから諦めてもらうにしても、うん。そっか……。足の長さ、こんなに違ったかぁ……」
ファイが着ている服は全て、ルゥが普段使いしている物だ。身長はほとんど同じでも、細かな寸法は変わってくる。そのため髪色を変えたファイはルゥの部屋へと移動し、改めてこうして服を着替えていた。
しかし、なにやらルゥが落ち込んでいる。
「まぁ、ね……。身長ほとんど変わらないのに股下10㎝くらい違ったもんね」
「ルゥ。なんで落ち込んでる、の? あと、足はぴっちりだけどお尻のところはちょっと緩い」
「誰がわたしのお尻が大きいって!?」
「……? そんなこと、言ってない」
フガーッと細い尻尾を立てるルゥに、ファイはフルフルと首を振る。その時に揺れるのは、白ではなく黄色の髪だ。リーゼによって丁寧にまぶされた粉で、ファイは黄色髪の少女へと姿を変えている。また、髪を染める際に髪も切られており、幾分か頭も軽くなっていた。
なお、リーゼがどこから黄色の粉末や調髪鋏を取り出したのか、ファイは知らない。
というより、なぜかリーゼは必要なものを必要なだけ持っている。髪を整えるための櫛も、「どの色にしますか?」と持ち出してきた7色の粉末も。ついでに今、ファイの姿を写して保存するためのピュレも。リーゼは侍女服の衣嚢から取り出していた。
だが、どう見ても、それら沢山の物が侍女服の衣嚢に収まっているとは思えない。何か仕掛けやからくりがあるのか。聞いてみたファイだったが、
『秘密です』
と、はぐらかされてしまったのだった。
「……まぁ、しゃーない。下衣だとどうしても不便があるし、潔く裳にしよっか」
そう言ってファイの服を脱がせていくルゥ。じゃあなんで着せたんだと思わなくもないファイだが、実はもうこの着替えも3回目だ。
着せられては、脱がされ。脱がされてはまた、着つけられ。ファイとしては時間の無駄にも思えるやり取りだが、ルゥなりに考えがあってのことなのだろう。そもそも、ルゥ達ガルン人には“時間の無駄”という概念すらもないのかもしれない。
(それに……)
これまで着つけてもらった雰囲気の違う3着。それらを着た自分を見たとき、ファイは少しだけ、生まれ変わったような気がした。
侍女服を着た時と同じで、まるで自分が自分ではなくなったような。新しい自分を見つけたような高揚感が確かにあったのだ。
これまでファイにとって衣服は、暖を取るものでしかなかった。あとはせいぜい、不快な汗を吸ってくれるものだろう。そのため、窮屈な下着を身につける意味や、装飾過多な服を着る理由を理解できずにいた。
しかし、こうして服を何度も着替えるうち、ルゥが“服”にこだわる理由も少しだけ分かるようになった気がする。
(服も大事、なのかも?)
少しずつ、少しずつ。ファイが生来持つ旺盛な好奇心が、自分にも向かおうとしている。それは最終的には自己肯定感に繋がり、自分というものを大切にする心の動きの芽生えにもなる。
ファイが時折見せるようになっている“恥ずかしさ”というものも、“大切な自分”という認識をきちんと持ち始めている証でもあった。
その後、改めてルゥ達の手で着せ替えられたファイ。
最終的には、ふんわりとした線を描く半袖の紺色の上衣と、丈の長い素朴な白の裳。そこに薄手の羽織と、つばのある紺の帽子という装いに落ち着く。
「あとは装飾品だけど……。これと、これかな」
最後に首もとにはファイの瞳と同じ金色の首飾りと、色つきの眼鏡をかけて金色の瞳を隠せば――。
「お~……」
――着つけた本人であるルゥが感嘆の声を漏らしたように、華やかで明るい、夏真っ盛りのウルンでも浮かないだろう格好となった。
これまで自分が着てきた服とは明らかに異なる雰囲気の服装に、姿見の前で身をよじるファイ。彼女が機嫌よく身体をひねるたび、白い裳の裾が軽やかに揺れる。ルゥの服であるため若干、ファイの胸元には“余力”があるが、それもまた、柔らかな曲線を描く一助となってくれていた。
「よくお似合いです、ファイ様」
「うん! 我ながら完ぺき! やっぱり素材が良いとどの服も映えるね!」
リーゼが微かに微笑んで。ルゥが頭頂部のツンと立った紙の束を揺らして。それぞれ褒めてくれる。
「ありがとう。リーゼ、ルゥ」
きちんとお礼を言葉にするファイだが、その視線は姿見に映る自分に釘付けだ。ファイ自身もなぜだかわからないが、今は無性に外に出たい。色んな人に、ルゥが着つけてくれたこの素敵な服を見て欲しいと思う。
もっと言えば、ニナやミーシャに見せたい。きっと2人も、今の自分を見れば可愛いと言ってくれるに違いない。その確証が――自身が――ファイにはあった。
だが、もちろんファイがその欲望を表にすることは無い。せいぜい姿見の前で、踊るように。無表情のまま、自身の姿を何度も確認するだけだ。
「お嬢様のためにきちんと撮影もしまして……。はい、大丈夫です」
「了解です、リーゼさん。それじゃあファイちゃん、これが鞄ね」
ルゥに渡されたのは、細い肩ひものついた小さな黒い鞄だ。留め具などに金色の金属が使われていて、どことなく高級感がある。
「ここにファイちゃんのお給料が入ったお財布と、それから汗とかで髪色が落ちたときに使う粉。手ぬぐいも入れとくね」
ファイの目の前で、それぞれを順に鞄の中に入れていくルゥ。
「武器は?」
「武器!?」
一番大切なものが無いではないかと指摘したファイに、なぜかルゥは驚愕の声を漏らす。
「えっと……。リーゼさん。ウルンって、武器を持ち歩いても大丈夫なんでしたっけ?」
「一概には申せませんが、少なくともアグネスト王国では特別な免許が必要だったかと。ですが、果物を切る小刀ていどであれば見逃していただける可能性は高いのではないでしょうか」
「なるほど……」
何やら小声で話し合っていたルゥとリーゼだが、どうやらファイに渡してくれる武器が決まったらしい。「確かこの辺に」と適当な棚を漁っていたルゥだったが、少しして「あった!」と発見の声が上がった。
「とりあえず、これで」
ルゥがファイに手渡したのは、刃渡り10㎝にも満たない極小の小刀だ。食事の際に使うものとそん色がない。ただ、装飾は凝っているように見える。特に柄の部分に描かれている丸底瓶の模様は、何かしら意味がありそうなものに思えた。
「これ?」
「そう。エナはほとんどないだろうし能力も発動しないだろうけど、刃物としての性能自体は良いと思う」
武器としては少々心もとないが、とりあえず貸してくれるということなら大切に使おうと結論づける。そうしていくつかの小物が入った黒い鞄をルゥから預かり、肩にかけるファイ。
続いて声をかけてきたのは、リーゼだ。
「良いですか、ファイ様。知らない人にはついて行かない。何があっても馬車や自動車に乗らない。困ったときは大きな声で叫ぶ。少しでも怖いと思ったら逃げる・知らせる。この5つを守ってください」
順に5本の指を立てて言ったリーゼの注意事項を、ファイも自ら指を立てながら覚えていく。ただし後半の2つはファイにとっては不要なものだろう。道具であるファイに“怖い”は無いはずだからだ。
「り、リーゼさん……。それって、未進化の子に教えるやつじゃ……?」
「はい。ですが、一応、念のためです。ファイ様に何かあっては、またお嬢様が無理をしかねないので」
そんな先輩侍女2人のコソコソ話が終わると同時、ファイは服装と心持ちを含めたすべてのお使いの準備を終える。
「ん、分かった。それじゃあ行ってくる、ね。着替えのための服を3つ。あとのお金で果物をたくさん買ってくる」
「はい。お気をつけて行ってらっしゃいませ、ファイ様」
「ど、どうしよう……。めちゃくちゃ不安になってきた……」
堂々としたリーゼと、落ち着かない様子のルゥ。それぞれに見送られる形で、ファイは部屋を後にする。目指すはウルン。“不死のエナリア”近郊にある、港町フィリス。
そこに療養中のフーカが居ること。また、黒狼の残党がまだまだ居ることも知らないまま、ファイのお使いが始まった。




