第83話 たす、かった……?
※文字数が約5000字と多めになっています。予めご了承ください。なお、読了目安は10~12分です。
兜の中。滴る汗が、アミスのあごを伝って落ちていく。肺は新鮮な空気と魔素を求めて絶え間なく収縮と拡張を繰り返し、心臓はかつてないほどに脈動している。
アミスが相手している敵は1体のガルン人だった。
地面につくほど長い黒髪と、クルンと巻いた巻き角が印象的な角族の女だ。身にまとうのは、病院などで患者が着る院内着とよく似ている。青白い肌。血色の悪い唇。病弱で幸薄そうな印象を受ける。
髪色のせいか、昨日とり逃がした階層主の角族に似ていなくもない。ただし、目の前に居る女性がまとう雰囲気も、殺意も。先の階層主とは比べ物にならなかった。
危機を察知して素早く撤退しようとしたところまでは良かった。ただ、敵がアミスの想像以上に速く、何より執念深かっただけなのだ。
非戦闘員たちが上層に続く通路に逃げ込んだあたりでこの女に追いつかれ、アミスを含めた数人は殿として、この魔物を相手しなければならない状況にあった。
(そうよね。本来魔物は“こう”のはず)
ウルン人を見つければ、血の果てまで追ってくる。殺そうとしてくる。それが魔物なのだ。なぜアミスがそれを失念していたのかといえば、ここが“不死のエナリア”だからに違いない。
ガルン人がウルン人を殺そうとしない。
そんな先入観があったうえ、階層主でさえ及び腰だったためだった。
(だけどそれは、10層までの話ってことだったのね……)
剣を握り直したアミスは、いつの間にか油断していた自分たちに歯噛みする。もっと言えば、油断させられていたのだ。長い時間をかけてこのエナリアは大丈夫だという印象を植え付け、油断させ、のこのこやってきたウルン人を狩る。
結局は“不死のエナリア”もただのエナリアだった。そうファミスが結論づける証拠として、目の前で殺る気満々に見える女は十分すぎる存在だった。
『……♪』
楽しそうな顔を浮かべながら、女が舞うように指を振る。すると、彼女の周りに赤黒い液体――血が集まっていき、人の形をとる。
どうやら女は血を操る特殊能力を持つガルン人らしい。その能力を使って従者を作り出し、自らの手先としてアミス達を襲わせる。たとえ倒されても、また従者を作る。その繰り返しの中で、確実にアミス達は消耗させられていた。
しかも厄介なのは、女が一度に軽く10を超える従者を作り出すことだろう。
この場に残っているのはアミス、フーカ、レーナの赤色等級探索者の3人。そして彼女たちにも引けを取らない実力を持つ橙色等級探索者のフィシルの計4人しかいない。残りの戦闘員は非戦闘員の護衛として、先に撤退させている状態だ。
そんな中、アミス達の倍以上の敵を瞬く間に作り出す。しかも1体1体が爪竜と同じ黄色等級の実力を持ち、手にしている武器も剣や斧、槍と多種多様。もちろん武器によって戦い方も異なってくるため、瞬時に敵が使う武器の特性を把握して対処しなければならない。
敵の多様性が一層、アミス達の気力を奪っていた。
「くぅ……っ! 〈ヴァン・エステマ〉!」
アミスが魔法を使うと、角族の女を中心とした大規模な爆発が発生する。一瞬にして敵が作り出した従者たちは吹き飛ぶのだが、
『……♪』
能力の使用者である女は自信を血でできた膜で覆い、無事。直後には再び従者を作り出されてしまう。
女の能力の鍵となっている血液がどこからきているのかといえば、アミス達の周囲で倒れている恐竜たちだ。
血を抜かれてカラカラになっている小型恐竜たちもいるが、近くにはまだ新鮮な血を残しているだろう大型恐竜も居る。そうでなくてもアミスというご馳走の匂いを嗅ぎつけて、魔獣たちは次から次へとやって来る。そして、戦闘の余波で殺され、女に血を捧げる供物となる。
(決して無限に湧いてくるってわけじゃないのでしょうけれど……っ)
ただひたすらにこちらが損耗させられているように見える現状には、さしもの光輪の面々も危機感を募らせていた。
「アーちゃん。どうする?」
そう言ってアミスの隣に並ぶのは、アミスと共に前衛を張っているフィシルだ。獣人族で青髪。念のためにエナリアの入り口を監視させているヒスというもう1人の青髪の組員と並ぶ、光輪でも屈指の実力を持つ人物だ。体格こそ140㎝半ばと小柄だが、獣人族ゆえの高い身体能力で身の丈もある盾を振り回す。頼れる盾役の女性だった。
「フィシル。どうする、とは?」
「このままじゃジリ貧だよって話。後退するか、思い切ってあのガルン人を叩くかしないと……」
いずれ殺される。フィシルがあえて続けなかった言葉を、もちろんアミスも理解しているつもりだ。しかし、まだ上層への通路には非戦闘員たちが居る。足の遅い者を抱え上げて全力で走ったとしても、3㎞の距離を走破するには5分以上はかかるだろう。
一方で、この女と戦闘を始めてアミスの体感ではまだ3分も経っていない。安全な距離まで離れたとは言い難く、今引き返せば最悪、非戦闘員たちが戦闘に巻き込まれる可能性もある。階層間の安全地帯は基本的に魔物が居ないだけで、魔物が“来られない”場所ではないのだ。
だからといって戦闘を続けるにしても、フィシルの言う通り限界がある。
しかもアミスに決断を迫るようにして、女は攻撃の手を緩めない。早速作り直した従者たちを、アミス達に向けてけしかけてくる。かねてより予想外の事態が多く気味の悪いエナリアにイライラしていたアミスの心的負荷は、限界を迎えていた。
(角族って、魔眼と飛行能力を持ってるのが一般的なんじゃないの!? それにそもそも、こんな階層でこんなのが野良で出ちゃダメでしょうっ!)
この角族は間違いなく、階層主相当の能力を持っている。それなら大人しく、ウルン人たちが『階層主の間』と呼ぶ特別製の部屋で待機していて欲しいものだ。そうであれば事前の準備もできるというのに、黄色等級の恐竜に混じって「こんにちは」されても困ってしまう。
常道や王道はつまらない反面、それらがあるからこそ人は安心できるというのに。
「この、エナリアは、本当に……っ!」
決断の時だった。
一刀のもと従者たちを斬り伏せて、全力で地面を蹴ったアミス。狙いはもちろん、従者たちを生み出している角族の女だ。この手の敵は近接戦を不得手とする者も多いのだが――。
「ふぅっ!」
『……♪』
アミスの剣による切り上げを、女は舞うようにして優雅に避ける。が、それでもアミスは止まらない。女の長い髪を踏みつけて動きを制限したうえで、全力で剣を振り下ろす。また、その瞬間、
「〈オスティミリア〉!」
フーカの声が聞こえると同時、アミスの身体が淡い金色の光に包まれる。フーカの固有魔法によって身体能力が向上している証だ。フォルンとナルンの動きが関係しているらしく1日に1回しか使えないが、ここぞという場面でこそ輝く、特別な魔法といえる。
さらにアミス自身も、
「〈フュール・エステマ〉!」
猛烈な風を剣にまとわせ、攻撃の威力と範囲を広げる。すると剣を覆う激しい風はアミスから漏れる金色の燐光――余剰の魔素が漏れ出てている証――を巻き込んで金色に染まる。それはまるで、天高くそびえ立つ巨大な剣のようだ。
もとより白金の髪で高いアミスの身体能力がフーカの魔法により、純粋な白髪と同等、いや、それ以上の力になる。その身体能力と、アミス自身の強力な魔法。2つが合わさることで、ともすれば、階層主を一撃で消し炭にできる必殺の一振りが、動けない女に振り下ろされる。
『……! ……♪』
必殺の剣に照らし出された女の顔。血のように赤い瞳が一瞬、驚きによって見開かれる。しかし、すぐに歓喜に変わった。その笑顔のすぐ下――首元に隠されていたのは、まるで罪人が身につけるような、重く頑丈そうな首輪だ。
(このガルン人、まさか……!)
その瞬間、微かに剣を振り下ろすアミスの手が鈍った。そのせいで――そのおかげで――
両者の間に1体の魔物が割り込んだ。金色の髪を揺らす、なぜか侍女服姿をしている突き角族の女だ。
『そこまでです』
ガルン語で何かを言ったかと思うと、剣ではなく剣を振り下ろすアミスの手を両手で受け止める。それだけでなく、むしろアミスの腕を押し返した。
(うそ、でしょう……!? フーカの支援込みなのに――)
驚きでアミスが隙を晒すその間に、割り込んできた角族の女はその場で一回転。手入れされた美しい金色の髪がアミスの視界を遮った次の瞬間、アミスの腹部に凄まじい衝撃が走る。
突き角族の女が、青い鱗を持つ尻尾をアミスに叩きつけた。
そう理解する頃には、アミスの身体は後方に居たフーカたち全員を巻き込みながら吹き飛んでいる。仲間たちと共に何度も地面を跳ねたアミスの身体が止まったのは、もと居た場所から50m以上も離れた場所。ちょうど上層へと続く通路の前だった。
「かは……っ!」
口を切ったのか、それとも体内からあふれたものか。口内に溢れる血を自覚しながら立ち上がろうとするアミスに、遠く、割り込んできた金髪の角族から声がかかる。
『手荒な歓迎、申し訳ございません。ですが緊急の用件が発生しました。どうかこの度はお帰りを』
黒髪の角族を小脇に抱えて、悠然と尻尾を揺らす金髪の魔物。淡い青色の瞳を向けられるだけで、アミス達は動くことができなくなる。
――敵わない。
赤色等級のアミスが反射的にそう感じてしまった時点で、あの角族が黒色等級の魔物である可能性を示していた。
狩人を前にした本能的な恐怖がアミス達光輪の面々を縛り付ける。また、アミスが気がかりなのは、先ほどから倒れたまま動かないフーカだ。
たゆまぬ努力と魔法の才でアミスの側近の地位を獲得したフーカだが、所詮は黒髪だ。身体能力だけで言えば下の下。大型自動車に跳ね飛ばされたような勢いで飛んできたアミスの身体がぶつかった彼女が、目に見えない重傷を負っている可能性は非常に高かった。
このままでは、ここに居る全員が亡き者にされてしまう。
そう理解した時点で、アミスの身体は動いていた。血反吐を吐きながらも、剣を支えにしながらよろよろと立ち上がる。
(私は、アミス……。アミスティ・ファークスト・イア・アグネスト! アグネスト王国の第3王女……っ!)
アミスたち国王家の生活は、多くの国民に支えられている。それは幼い頃から何度もアミスが両親に言い聞かせられてきたことだ。だからこそ、いざという時は、臣民を守る義務がある。そう何度も教えられてきた。
その教えをより自由に、民と近い距離で果たすために、アミスは今こうしてここに居る。
「民草は、私が、守ります……っ!」
震える手で剣をどうにか握り、魔物へと向けるアミス。たとえ敵わないと分かっていても。アミスが、王女アミスティであると知らないのだとしても。
アミスは背後にいる組員に、臣民に、示さねばならない。アグネスト王国の王族の在り方を。
「来なさい、魔物! 私は決して、退きません!」
そんな、王族としての矜持だけで立ち上がるアミスの気概に、わずかに目を見開いたように見えた金髪の魔物。
『……なるほど。私がこの場を去る方が良いみたいですね』
そう言うと、驚くほどあっけなく。巨大な青い翼を広げて、どこかへ飛び立っていく。その羽ばたきによって生まれた風がアミスの全身を撫で、熱を冷ます。まるで決死の覚悟など必要ないと、そう言うように。
(たす、かった……?)
最大級の肩透かしに、手から剣を取りこぼしたアミス。ぺたんとその場に崩れ落ちる。じんわりと股の辺りに広がる温もりは、汗か、それとも――。
振り返ると、上層へと戻るための通路の前に転がる仲間たちの姿がある。全員辛うじて息はある。だがそれは偶然ではないのだろう。あの金髪の魔物が、手加減をしてくれたのだ。殺そうと思えば、いつでも殺せたはずなのに。
「……ほんと、意味が分からない」
遠く見えるエナリアの天井に、もはや何度目とも分からない呟きをこぼすアミス。だが、こうして呆けても居られない。アミスだけでなく主力の戦闘員が深手を負った。フーカに至っては、重体の可能性もある。
今回の攻略はここまでだと決断し、アミス達は素早く撤退の作業へと移行した。




