第80話 ルゥは、危ない……?
ファイが通信士を始めて4日目。ルゥからの通信があって、ちょうど半日が経過した頃。通信室の扉が控えめに三度叩かれた後、
「お疲れ様です~」
そう言って姿を見せたのは、侍女服姿のルゥだった。思えば数日ぶりに遭う生身のルゥと、彼女の手に握られている袋を見て、ファイは思わず声を弾ませる。
「ルゥ! お菓子!」
「ちょっ、ファイちゃん~? わたしはお菓子じゃないよ~? ……ってか、もしかしなくても。ファイちゃんの中でのわたしって、お菓子をくれる都合の良い女になってない?」
お菓子を隠すようにしながら半眼を向けてくるルゥに、ファイは大きく首を横に振る。
「そんなことない。ルゥは私の友達。大切な、ご主人様」
「お、おぉう……。そ、それなら良いんだけど」
「だからお菓子、ちょうだい?」
「おいこら。……もう、ほんとにこの子は」
やれやれといった顔で扉を閉め、ファイの隣までやって来るルゥ。
「それで、どう。色々もろもろの調子は?」
「もろもろ?」
「例えば監視とか、お腹の調子とか」
どうやらルゥは差し入れのついでに、ファイの身体の調子を確かめにも来てくれたらしい。
使っている道具にも気を駆ける性分なのだと言っていた友人の言葉に、あえて椅子から立ち上がったファイは、両手を腰に当てて胸を張る。そして、
「――もう大丈夫。私、完全……じゃないけど、復活」
自身の身体の不調が治ったことを伝える。ファイの予想では、ここから最短で2日、長くても4日ほどで本来の力を取り戻す予定だった。
「ぶふっ、なにそれ! ニナちゃんのマネ?」
「そう。ニナ、いっつもこうする、から」
「そうだけど……ふふっ! 無表情、無感情でやられると、なんか面白いね……っ! あははっ」
ツボに入ったらしくうずくまって笑うルゥに、なぜか恥ずかしくなってしまったファイ。
「……そ、そんなに笑わないでほしい」
そそくさと椅子に座り直して監視作業に戻る。と、そんなファイの隣に椅子を持ってきて座ったルゥが、
「頑張ってるファイちゃんに、お届け物です」
そう言ってファイの眼前に持ってきたのは、焼き菓子の入った袋だ。
「……えっと。食べても良い?」
「もちろん! その代わりじゃないけど、ちょっとだけ質問に答えてね。答えづらいかもしれないけど、今後のために」
「分かった。……いただきます」
ファイがピュレの映像を確認しながら焼き菓子を頬張る横で、ルゥがいくつかの質問をしてくる。それは主にファイの生理事情についてのものだ。ウルン人ではどんな症状があるのか。ルゥたちが用意してくれた生理用品に使いづらさなどは無かったか、などなど。
人によっては話しづらい内容だが、そこはファイだ。淡々と、素直に。ルゥからの質問に答えていく。
今後、増えるかもしれないウルン人との交流や共同生活。お互いの無理解から生まれる“不幸”を1つでも多く取り除くためには、こうしたすり合わせは欠かせなかった。
「ふむふむ。身体能力が下がっちゃうところ以外は、ガルン人の人間族とほとんど変わりない感じかな」
そう言ってルゥの問診が終わる頃には、ファイは焼き菓子をぺろりと平らげてしまっている。指や唇周りに付いた食べかすも勿体ないと舐め取ったファイは、「そう言えば」と、自分もルゥに聞きたいことがあったのだと思い出す。
「ちゅぱっ……。そう言えば、ルゥ。聞きたいことがあった」
「こら、はしたないよ、ファイちゃん。……それで、質問って?」
ファイの口の周りと指を布巾でふき取りながら聞いてくるルゥに、今度こそファイは具体的な質問をする。それは、通信士の仕事の忙しさのせいで“忘れることができていた”もので――。
「ニナは、ルゥの家族を殺した……の?」
この時ばかりは少しだけ、ピュレから目線を切って、すぐ隣にあったルゥの青い瞳を見遣るファイ。
ニナがルゥの家族を皆殺しにした。それは先日、ミーシャが口にした衝撃の過去だ。ミーシャ本人は詳しく知らないと言っていたが、さすがにルゥは知っているだろうと思っての問いかけだった。
(もしかすると、ミーシャの記憶違い・勘違いかもしれない)
まだ残っているわずかな希望。それに縋るファイの頼りない顔を見て、ルゥが垂れ目を大きく見張る。しかし、彼女の眉はゆっくりとその角度を下げていき、やがて。
「――うん、そう」
そう答えなければならないことをひどく申し訳なさそうにしながら、ファイの質問を肯定して見せるのだった。
「…………。……そっか」
ようやくこぼれた小さなファイの声に滲んだのは、諦めの感情だ。もちろん表情に、大きな変化はない。ファイも心のどこかで、分かっていたのだ。恐らく、真実なのだろうと。ただ、ルゥかニナの口から改めて言われるまでは信じたくない。そう、無意識に思ってしまっていたのだった。
そうして静かに事実を受け止めるファイが不意に、柔らかな感触に包まれる。ルゥが自身の豊満な胸にファイを抱き寄せたのだ。
抵抗しようにも、今のファイは力でルゥに敵わない。それにファイに、抵抗の意思はない。このままでは、弱い自分――心――が顔に出てしまうかもしれなかったからだ。
その点、ルゥがこうしてなぜか抱きしめてくれている現状はファイにとって都合が良い。顔を見られることが、無いからだ。
そのままルゥの豊満な胸に顔をうずめるファイに、頭上からルゥの声がする。
「えっと……。ファイちゃんはニナちゃんのご両親が亡くなってるのって知ってる?」
そんな問いかけに、コクリと頷くファイ。
「実はその原因を作ったのが、レッセナム家なの」
レッセナム。それはルゥとサラの家名だったか。ファイは家名の意味を正しく理解していないが「どの集団に属するか」や「どんな血のつながりがあるのか」を示す物だろうことは察していた。
「……つまり、ルゥの家族がニナのお父さんとお母さんを殺した?」
丁寧にルゥの説明を咀嚼したファイに、ルゥから「そう」と肯定の声が返って来る。
「難しい事情はまたいつか話すとして。ファイちゃんに知っててほしいのは3つ。レッセナム家がニナちゃん達ルードナム家の人を殺したこと。それから、ニナちゃんはそれに抵抗しただけってこと」
1つ1つ。大切な事実をファイが聞き逃すことの内容に、丁寧に言葉にしていくルゥ。おかげファイも、ニナがわけもなくルゥの家族を殺したわけではないのだと理解することができる。
「で、最後が一番大事なんだけど……」
再びファイの頭を優しく掴んで、自身と見つめある状態にしたルゥ。きちんとファイの瞳が自分の顔を見ていることを確認した彼女は、
「わたしがニナちゃんを大大大大だぁ~い好きっことっ!」
曇りも、含みもない。ただ純粋な笑みを浮かべて見せる。そんな顔を見せられてしまうと、ファイも不安になりようがない。ルゥはきちんと事実を知っており、恐らくその裏にある真実も知っており、そのうえでなおニナを慕っている。
ルゥの言葉と思いに噓偽りがないことを、いま彼女が浮かべている笑顔が証明してくれていた。
「そっか」
奇しくも、先ほど口にしたものと同じ返答が口から出てしまうファイ。しかし前回は声に乗っていた“諦め”の感情はそこにない。
思えば、当然だ。あのニナが――他人の幸せを願うことができるファイの主人が、私利私欲のために力を振るうことなどありえないはずだったのだ。
少なくとも自分の中にあるフォルンを信じるに足る情報を、ルゥは示してくれた。何かがあって、ニナはやむを得ず力を行使したのだろうことは分かった。ファイとしてはその確証を得られただけで十分だった。
雲が晴れ、輝きを取り戻すファイの金色の瞳。ルゥに寄りかかることしかできなかった全身には力が戻り、自然と椅子に座り直すことができるようになる。
そんなファイの様子に満足そうに頷いたルゥは、聞いてもいないのにニナへの思いを語り始める。
「ニナちゃんはね。わたしが大っ嫌いだったレッセナム家をたった1人でぶっ潰してくれた、王子様なの!」
「……うん? ルゥは家族の人が嫌いだった?」
思わず問い返したファイに、ルゥは改めて「うん、大っ嫌い!」と言葉にする。
思えばルゥと初めて会った時、ファイの記憶が正しければ彼女はこんなことを言っていたように思う。
『もう、ニナちゃん! わたしはただの“ルゥ”! そこは絶対に間違えたらダメって、何回も言ってるよね!?』
当時はガルン語が分からず理解できなかった彼女の言葉だが、今なら分かるというものだ。
そして改めてルゥの言葉の意味を考えてみたとき、確かに、ルゥは自身の家名を、家族を“なかったこと”にしようとしていることが分かる。それは同時に、ルゥが家族を嫌っていることの証明になるのではないだろうか。
「だからね、ファイちゃん――」
そうしてルゥと初めて会った時のことを思い浮かべていたファイの視界が不意に、真っ暗になる。いや、違う。いつの間にか息が触れ合いそうな至近距離まで詰めていたルゥが、ファイの目を覗き込んでいるのだ。
そして、ファイのことなど見えているはずがないその距離で、言う。
「――ニナちゃんを、取らないでね?」
この時ようやくファイは、ルゥが本当に伝えたかった“一番大事なこと”がいまの言葉だったことを理解する。
普段の溌剌としたルゥとは違う、じっとり、ねっとりとした声と雰囲気。
友人だと無邪気に笑ってくれる友人の闇を垣間見ている気がして、ファイは知らず知らずのうちに身を震わせる。もしここでルゥが望まぬ返答をしようものなら、弱体化している自分は殺されてしまうかもしれない。そう直感したファイの口は自然と、正解を導き出す。
「わ、分かった……。私はニナの物。だ、だけど、ニナは私の物じゃない」
いつになく声を震わせて言ったファイの真意を無遠慮に覗き込むように、ぼうっとした目を向けてくるルゥ。果たしてどれくらいの時間、ファイはルゥの瞳の闇と見つめ合っていただろうか。
「――うん! ちゃんと弁えてくれてるなら、良いかな!」
そう言って身を離したルゥは、ファイのよく知る人好きのする笑顔を見せてくれるのだった。
なお、この間。わずかな時間だが、ファイの監視の目が13層から離れていた。そのためファイ達は、持ち場を離れて上層へと向かう1人の人物を完全に見逃すことになる――。




