第7話 ナーダム・パル。その意味は
エナリアで働くことが決まったその後、すぐ。
「まずはファイさんに、わたくし達ガルン人にとってエナリアがどのような場所なのか、ご紹介しようと思いますわ!」
そう言ったニナに連れ出され、廊下を歩くファイ。ここは、ファイ達ウルン人の知らない、エナリアの裏側――連絡通路にあたる部分らしい。しっかりと整備された床や壁。大気中のエナを吸収して発光する夜光石が、廊下を明るく照らしていた。
エナリアの中というよりは、お屋敷や巨大な施設の中だと言われる方がしっくりとくる。そんな人工的な廊下を歩くファイが、ふと、口を開いた。
「……ニナ。手を握られていると動きづらくて、いざという時にニナを守れない。良いの?」
ニナによってがっしりと掴まれている左手を見ながら行なわれた、ファイの問いかけ。それはニナのことを思っているようにも聞こえるが、その実、ファイの無意識の願望でもあった。
現状、ニナはファイにとっての“全て”だ。もし彼女に何かがあって居なくなるようなことがあれば、またしても1人になってしまう。そうなると、再び自身の心を、弱さを、人であることを自覚しなければならない。
そのことに対する無意識の恐怖が、先のファイの発言に繋がっていた。
しかし、黄色いワンピースと茶色い髪を揺らしながら前を歩くニナは、ファイの言うことに耳を貸してくれない。
「良いのです! わたくしを守ろうとしてくださるファイさんの優しさは、それはもう嬉しいのですがっ。自分の身は自分で守る。それがガルンでの常識なのですわ!」
「そう、なんだ……?」
この頼りない小さな身体で何を言っているのか。大丈夫なのか。湧き上がってきた心配に、ファイは首を振る。誰かを心配する。それは、自分に心があることの証になってしまうからだ。
何より、こうして思い悩んでいる時点で、自分はまだまだ“道具”になり切れていない。
それに気付いたファイが、自己嫌悪に陥ろうとした時だった。
「――そんなことよりも、エナリアの説明ですわねっ!」
まるで図ったようなタイミングで、ニナの明るい声が聞こえて来た。自然とファイの意識は主人たるニナの方へと向けられる。
「えぇっと……ここがエナリアの中だということは、もうお伝えしましたでしょうか?」
「うん、聞いた、よ? けど、私が知るエナリアとは雰囲気が違うかも」
「雰囲気、ですか?」
こちらを振り返り、立ち止まったニナ。彼女に合わせて足を止めたファイは、改めて自分たちが歩いている廊下を、見遣る。
硬く滑らかな石材で舗装された廊下。等間隔に並ぶ照明が、廊下を明るく照らしている。全体的に、人工的な印象だ。
しかし、これまでファイが訪れたエナリアは自然そのものだった。むき出しの壁に歩きづらい床。まばらに突き出す夜光石だけが頼りの、通路。その他、地下にもかかわらず森があったり、川が在ったり。挙句の果てには小国1つなら入るんではないかと思えるほど広い空間があり、フォルンとナルンがあるかのように昼夜があったりする。
常識が当てはまらない、超自然的な空間。それこそが、ファイの知るエナリアだった。
そうして淡々と自身の知るエナリアとその雰囲気を伝えたファイに、ニナがクスリと笑いをこぼす。
「本当にそうですか、ファイさん? 出来立てで階層の少ないエナリアなら、ファイさんのおっしゃる通り“ありのままのエナリア”であるのかもしれません。ですが、少なくとも3層以上あるエナリアであれば――」
2歩、3歩と歩みを進めたニナが、ワンピースを揺らしてファイの方を振り返る。
「――必ず。わたくし達ガルン人の手が加わっているはずです」
どういうことなのか。沈黙を持って尋ねたファイの手を取って、再び歩き始めるニナ。
「例えば、そうですわね……。ファイさんはエナリアの中で、“宝箱”を見かけたことはありませんか?」
ニナに言われて、ファイは自身の記憶を探る。
エナリアには時折、宝箱が置いてあったり、武器や防具が落ちていたりする。エナリアの危険度によって手に入れることができる物の価値は大きく左右され、黒や赤等級のエナリアの下層から産出される武器や防具は、国宝級にもなる。
売ればもちろんひと財産を築くことができるため、探索者の中には色結晶ではなく宝箱や装備品を目的にエナリアへと入る者も少なくない。
しかも不思議なことに、ある程度時間が経つと、宝箱の中にまた新しい物資が入っていたり、装備品が落ちていたりするのだ。
ウルンではそうした不可思議な事象も、エナリア特有の性質だとみなされていたのだが――。
「あれを準備してるのがガルン人だって。ニナはそう言いたい、の?」
「ふふっ! お察しの通りですわ! そうした物資や装備品は、そのエナリアを管理するガルン人の方々が、わざわざ準備した物なのです」
そもそも、人が通れる大きさの通路があることそれ自体も、エナリアを管理しているガルン人の計らいなのだと、ニナは言う。
「エナリアは、ガルンの大気中にある“エナ”と、ウルンの大気中にある“魔素”とが衝突することで生まれる空間のひずみに生まれた亜空間です。その発生自体に、人の意思は介在していません」
ニナが語ったその内容は、ファイも知る、エナリアが発生する仕組みの定説だ。
「しかし、そのエナリアを人のためのモノ……いえ“ウルン人にとって都合のよいモノ”にしているのは、わたくし達ガルン人なのです!」
人の通れない小さな穴を拡張したり、ただの空間を“部屋”にしたり。そうした掘削作業の中で見つけた色結晶を、あえて“探索者たち”に分かりやすい位置に配置してあげたりなどなど。
「ウルン人にとって、より快適に。より自由に……。何よりも魅力的に! それが、エナリアを経営するわたくし達、ガルンの貴族が重要視している基本的な事項なのですわ」
「……うん、覚えた」
自分の新しい使い手――主人と言える少女が大切にしていることをしっかりと頭の中に入れていたファイ。しかし、ふとあることに気付いてしまった。
色結晶しかり、貴重な物資や装備品しかり。エナリアを“探索者たち”にとって魅力的な場所にする。その文言だけを見れば、ひどく、ガルン人たちが献身的に見えることだろう。時間をかけて、ウルン人の人々に寄り添っているように見える。
が、実際は、違う。
「……ニナ。1つ、質問しても良い?」
「ファイさんからの質問!? は、はいっ! なんなりとお聞きくださいませっ!」
いつも通り淡々と、目の前を行くガルン人の少女に尋ねるファイ。
「ニナ達がエナリアを魅力的な場所にする理由。それってエナリアに、1人でも多くの探索者をおびき寄せるため、なの?」
「……えっ!?」
微かな緊張と共に行なわれたファイの問いかけに、ニナは足を止めてファイを振り返った。
元より大きな目をさらに大きく広げて驚くその表情は、まさかファイがその事実に気付くとは思っていなかったという顔だ。ただし、すぐにその表情はすぐに思案から苦笑へと、形を変えた。
「あはは……。よくお気づきですわね、ファイさん。その通りですわ」
眉根を寄せ、申し訳なさそうに苦笑した彼女は、あっさりとファイの問いに肯定の言葉を返す。
「力こそ全て。そんなガルン人の方々が、慈善事業でエナリアの整備をするわけがありません。1人でも多く……いえ、あえて、わたくしが嫌うこの言葉を使わせていただくのであれば……コホン」
そっとファイの手を離し、咳払いをしたニナ。彼女は頬をかきながら、ガルン人にとってのエナリアとは何かについて紹介する。
「1匹でも多くの餌を確保するため。わたくし達は、エナリアを利用しているのです」
やっぱり。そう唾を飲み込んだファイに対して、どこか吹っ切れた様子でニナは続ける。
「もうこの際なのでご紹介いたしますが、ファイさん達ウルン人が“エナの洞窟”と呼ぶこの場所。わたくし達はガルン人は、このように呼ぶのです――」
目を閉じてスゥッと息を吸い込んだニナは、ガルンの言葉を使ってエナリアを言い表す。
「――『ナーダム・パル』。ウルン人の狩場、と」
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