第6話 これからよろしく、ニナ
「ファイさん! あなたは、知らないだけなのです……っ」
抱擁を解いたニナが、改めてファイの正面に立つ。
寝台に座るファイと、その正面に立つニナ。いくらニナの身長が低いと言っても、ファイがニナを見上げる形になる。
「知らない? 私は、何を知らないの……?」
ファイが金色の瞳で見つめる先には、泣いているニナの姿がある。しかしその表情は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
「ニナ……? どうして、泣いているの?」
疑問に思ったことを聞け。言われた通り、ファイは疑問を口にする。主人であるニナを理解しようと、努力する。
「怒ってる? それとも、悲しんでるの? ……私が、ニナを泣かせてちゃった?」
声も表情も平坦な、ファイの問いかけ。しかし、無意識のうちに伸ばされたファイの腕が、ニナの涙をそっと拭う。
指先に触れる、ニナの涙。冷たいファイの指先には、ニナの涙が火傷しそうなほどに熱く感じる。その熱に触れたことで、ようやくファイは自身の行動を自覚することになった。
(私、何を……)
ファイに許されていのは、思ったことと疑問に思ったことを言葉にすることだけだ。ニナに触れることは許されていない。
失態に気付いたファイが引っ込めようとした腕を、ニナがすぐさまつかみ取る。その時の唇を引き結んだニナの表情が、ファイには怒っているように見えた。
またしても、命令を守れなかった。優秀な道具で居られなかった。
――捨てられる。
血の気を失ったファイの手に、柔らかな感触がある。
見れば、捨てられる恐怖で冷え切ったファイの手を、ニナが自身の頬にそっと触れさせている。そのニナの表情はひどく優しく、慈愛に満ちたものだった。
「ファイさん。これが人の、温もりです」
「……?」
言いたいことが分からず、微かに眉根を寄せたファイ。その不器用な感情表現に微笑みをこぼしたニナは、今度はファイの手のひらを開いて己の頬に添えさせた。
「これが、人の柔らかさです」
「……うん。柔らかい」
「ふふっ、そうでしょうとも。甘やかされて育ったので、プニプニさには自身があります!」
やや腫れた目元で、それでも歯を見せて満面の笑みを見せるニナ。彼女の表情がファイの中で、かつて、一度だけ見た世界を照らす光――フォルンを想起させる。火傷しそうなほどに熱く、眩しく、何よりも温かい。
そんなニナからそっと手を離したファイの名前を呼んで、ニナは優しい声で語りかける。
「ファイさん。世界には、もっとたくさんのモノがあります。美味しいもの。可愛いもの。きれいなもの。たくさん……。そう! たぁ……っっっくさん! ありますわ!」
「そう、なんだ?」
全身を使って、“たくさん”を表現して見せるニナ。その微笑ましい姿に、微かに口角を上げたファイ。紅茶を飲んだとき以来のファイの笑顔に、ニナも目を輝かせる。
その場で踊るように身を翻したニナが、自身の胸に手を当てる。
「ファイさん! わたくしは、ニナ・ルードナムと申します! 父がガルンの人族。母がウルンの人間族。本来は狩って狩られる関係だった両親が大恋愛をした末に生まれた、奇跡の子ですわ!」
「……? うん、知ってる。さっき聞いた、よ?」
どうして今さら自己紹介をするのか。首をかしげるファイに、ニナは言葉を続ける。
「色々あって両親は亡くなりましたが、両親はわたくしに、たくさんの愛と、幸せと……このエナリアを遺してくれました!」
ニナが両腕を広げてこの部屋を示して見せたことで、ファイはようやくこの部屋がエナリアの中にあることを知る。
「ファイさん。わたくしは両親が残してくれたこのエナリアを……ウルンで“不死のエナリア”と呼ばれるこの場所を。みんなが幸せになれる場所に、したいのです」
「みんな……?」
「はいっ! 色結晶を求めるウルンの方々と、ウルン人が持つ魔素供給器官を求めるガルンの方々。両者が幸せになれる場所を、作りたいのですわ!」
胸を張って堂々と夢を語るニナの言葉は、またしても、ファイにとって知らないことばかりだ。
中でも、魔物であるガルン人がウルン人を襲う理由だ。ファイは、ガルン人が殺戮のためだけに人を襲っていると思っていた。しかし、実際は、ウルン人が魔法を使うための臓器――魔素供給器官を求めてのことらしい。
(ウルン人とガルン人。本来は言葉も通じないし、殺し合うだけの関係……)
そんな両者が“幸せ”になること――満たされること――など、あるのか。
(あり得ない)
そうすぐに答えを出したファイ。思ったことを口に出すよう言われているため、すぐに「無理」と言葉にしようとする。
が、できなかった。
(……?)
ガルン人は魔法が使えない代わりに、個体ごとに特殊な能力を持つ。そんなガルン人であるニナが、何かしらの能力を使ったのか。そんな疑問をファイはすぐに否定する。
(だってガルン人の人族は、特殊能力を持たないから)
では、なぜ、ニナの夢を否定する言葉を口に出来ないのか。様々な方面から可能性を探るファイをよそに、ニナは話を続ける。
「もちろん、わたくしだけでは無理であることなど、理解していますわ。先ほども、デデンさんの教育不足が露呈したばかりですし、何よりわたくしは、ウルンの方々のことをほとんど知りませんもの!」
どうして欠点すらも堂々と話すのか。ニナ・ルードナムという少女の人物像が未だにつかめず、頭に疑問符ばかりが増えていく。そんなファイに対して。
「なので、ファイさん。その……よろしければ、なのですが……」
不意に語気を弱めたニナが、もじもじと黙り込む。それでもすぐに眉根をきゅっと寄せると、
「わたくしのエナリアで、働いていただけませんか!?」
緊張で声を上ずらせながらも、ファイに向かって小さな手を差し伸べてくる。
「お給料も、お食事も。十分な額を差し上げるつもりですわ。お望みであれば、衣食住の保証もいたします。なので……、なので、どうかっ! どうかわたくしのもとで、働いてくださいませっ」
「いいよ」
「即答っ!?」
そう言われても、元々はファイの方からニナに使ってほしいと申し出ている。黒狼に捨てられたいま、自分を使いたいという人物を拒絶する理由が、ファイには無い。
「よ、良ろしいのですか? 言ってはなんですが、わたくしのエナリアは今も絶賛、経営難。いわば沈みかけの船……。いえ、泥船なのですが……」
隠し事がばれた子供のようにチラチラとファイを見るニナ。
しかし、彼女が言ったことは、やはり、ファイにとっては関係が無い。今のファイにとって大切なのは、自分に指示や命令をくれる存在なのか否か、だ。
「問題ない。ニナはこのエナリアを守りたい。合ってる?」
「はいっ! 両親から頂いた、大切な宝物ですもの!」
薄い胸を張って、誇らしげに笑うニナ。不安がったり、笑ったり。本当に感情豊かな少女だと、ファイも無意識に口角を上げてしまう。
「だったら、ニナは私をうまく使って、このエナリアの存続に役立てればいい。私は全身全霊で、ニナの命令に従うから」
「め、命令!? 命令……。なるほど。まぁ、お友達ではなく従業員ですもの。そうなりますわよね……」
「ニナ? どうかした? 私……間違ってる?」
無表情、無感情を意識しながらも、「捨てられるのではないか」。そんな、どうしようもない不安を交えて言ったファイの言葉に、ニナは「いいえっ」と元気よく首を横に振る。
そして、改めてファイに向き直ると、
「ふふっ! それじゃあファイさん! これからよろしくお願いしますわね!」
室内灯を背に、嬉しそうな笑顔を浮かべたニナはそのまま、寝台に座るファイへと手を差し伸べてくる。
「わたくしと一緒に、フォルンとナルンが何度入れ替わっても、語り尽くせないくらいの思い出を作っていきましょう!」
「うん。……うん?」
自分はここで働く――使われる――のではなかったのか。いつの間に思い出を作るという話になっていたのか。
「待って、ニナ。話が違う――」
「ファイさん。あなたのこれまでの幸せを否定するつもりはありませんわ。ですが、わたくしは、ここを“みんなが幸せになれるエナリア”にしたいのです。なので――」
ファイの言葉を恐らくわざと遮ったニナは、強引にファイの手を取る。そして、
「わたくしと一緒に、新しい幸せを見つけてくださいませ!」
そう言って、フォルンのように笑うのだ。
思い出作り。幸せ探し。ファイとしては分からないことばかりだ。それでも、
「……うん、分かった」
ファイは新たな主人から課された2つの命令に、頷いてみせる。
「私をうまく使ってね、ニナ」
「はいっ! お友達兼従業員として、よろしくお願いいたしますっ」
相変わらず認識に若干の齟齬があるような気がしてならないファイだが、この場はひとまず頷いておくことにする。
「うふふっ! わたくしが必ず、ファイさんを幸せにしてみせますわぁぁぁ~~~っ!」
そう言って嬉しそうに笑うニナ。ファイの手を握る彼女の手は、ファイが思っていた以上に熱く、柔らかく、そして、小さかった。
※プロローグにあたるお話、見届けて頂いてありがとうございました。
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