第57話 お持ち帰りする、の?
「ファ、イ、さぁぁぁん~~~!」
ニナの声を幻聴したその瞬間、ファイの腹部にとてつもない衝撃が走った。同時に身体は後方に吹き飛び、黒狼の建物の壁を何枚も破壊してようやく止まる。そのせいでもとより不安定な状態にあった建物は完全に崩れ去り、辺りにはおびただしい量の粉塵が舞った。
「けほっ、けほ……」
さすがのファイでもほとんど視界が利かない。それでも、
「すぅ~……はぁ~……。濃厚なファイさんの香り、ですわぁ……」
そう言って尻餅をついた状態のファイの腹部に抱き着くニナの姿を捉えることくらいはできた。
(ニナ、なんで? あっ、臭いはダメ。お風呂、入れてないから。じゃなくて、やっぱり、なんで?)
おかしい、と、混乱する頭で考えるファイ。
ここはエナリアでもガルンでもない、ウルンだ。ガルン人であるニナがこの場所に来れば、物の数秒でエナ欠乏症によって全身から血が吹き出し、死亡する。だというのに、
「むむっ。ファイさん、さらに少し痩せましたわね? やはり十分な栄養を摂れていませんでしたか……」
ニナはファイに抱き着いたまま、のんきにファイのお腹周りを確認している。
(……やっぱり、まぼろし?)
そう思いながら、ファイにとっては印象的だったニナの頬に触れてみると、あの日――ニナがファイの新しい主人となってくれた日と同じ温もりが返って来る。それでもこれが現実とは思えなかったファイは、ニナの頬をつまんでみる。すると、もちもちで、柔らかな感触が返ってきた。
「くすぐったいですわ、ファイさん」
「に、な……?」
いよいよもってこれが幻聴でも幻覚でもないと悟ったファイがニナの頬をつまむのをやめると、ニナがファイの真正面に座り直す。そしてキリッと引き締まった表情を見せたかと思うと、
「はい! ファイさんの愛しのご主人様、ニナ・ルードナム! ただいま参上いたしましたわ!」
そう言って、薄い胸を張る。見事なまでのドヤ顔だ。
「に、ニナ……。どうして……?」
様々な意味が含まれたファイの問いかけに、眉で弧を描くニナ。
「わたくしがなぜウルンで行動出来ているのか、については、以前に申し上げたはずです! わたくしは、ガルン人でもあり、ウルン人でもある……“奇跡の子”なのだと!」
奇跡の子。ニナに言われて、ファイはようやくルゥの話を思い出す。それは、ニナが睡眠不足で倒れた日。ルゥはニナについて、
『他にもこの子が特異なところは、ガルン人なのにウルンで行動できること。普通、ガルン人がエナの薄いウルンに出たら、10歩も持たずにエナ欠乏症で死んじゃうけど、ニナちゃんは1万歩くらいなら余裕で行動できる』
確かにそう言っていた。
「つまりニナは少しくらいなら、ウルンでも行動できる?」
「その通り、ですわっ! まぁ、時間制限はあるのですが……。そして、どうしてファイさんの所に来たのか、ですが……」
言いながら立ち上がった彼女は、ファイのもう1つの「どうして」に答える。その時になってようやく粉塵は風によって吹き飛び、日の光が届くようになった。
フォルンの眩しさに、ファイが思わず目を細める中、眩い光を背に受けて、ニナが笑う。
「僭越ながら、迷子になっているファイさんを迎えに来てしまいました!」
迎えに来た。それはつまり、自分が帰って来ることをニナは待っていたのではないか。そう考えそうになる弱い自分を、ファイは否定する。
(だって私は、ダメだから……)
何度も道具としての振る舞いを忘れて感情のままに行動し、挙句の果てには仕事を放棄してエナリアを出てしまった。そんな自分を見限らない人物など居るはずがない。つまり、ニナはファイの有用性を買って迎えに来てくれたのではない。
ではなぜ、ニナはこんな自分を迎えに来たのか。考えたファイは、すぐに結論を導き出す。
(そっか。ニナ、私を処分するために来たんだ)
白髪として、大きな魔素供給器官を持つファイ。ガルン人である彼女たちにとっては、間違いなくご馳走だ。
「……ニナは私をエナリアに“お持ち帰り”するために来た?」
「はわっ!? さ、さすがにそういったことはまだ早いとは思いますが……」
「違う、の?」
食べるためではないのか。可能な限り表情を見せないように、普段通りに尋ねたファイに、しかしニナは何かを感じ取ったらしい。
「ち、違いませんわぁっ! ふぁ、ファイさんがお望みでしたら、わたくし……。全身全霊でお迎えする所存です! それはもう、喜んでっ!」
なぜかうろたえながら、それでもファイを食べるために迎えに来たのだと肯定する。そしてファイにとってそれは、救いだ。
巨人族に食べられそうになった時もそうだが、どうせ死ぬのなら誰かの役に立って死にたいと思っていたファイ。今回、自分は優しくしてくれたニナ達のために死ぬことができる。役に立つことができる。そう考えるだけで、ファイはやはり幸せを感じてしまう。
実際、ニナに戦闘力で劣っていると分かった時点で、ファイも考えていた。何も知らない、何もできない自分がニナ達の役に立つにはどうすれば良いのか。もっとも簡単な方法が、白髪として価値のあるこの身を差し出すこと。つまり、“食べ物”になること。
そうすればニナだけでなくルゥも、ミーシャも。みんながみんな強くなって、エナリアの存続に繋がる。これ以上ないくらい、ファイという名の道具の有用な使い方に思えた。
「そっか。……じゃあ、美味しく食べて、ね?」
「は、はいっ! 恥ずかしながらわたくし、そういったことは初めてで……。ですが、必ずファイさんを気持ちよく――」
そう言えばニナはウルン人を食べたことが無いのだったかと、のんきにファイが見つめる先で。
パァン。
と、乾いた銃声が響いた。
宙に踊る、ニナの艶やかな茶色い髪。ニナが前のめりに――ファイの方に倒れてくる。輝きに満ちていた茶色い瞳から、光を失わせて。
「…………。……え?」
状況が飲み込めないまま、倒れてくるニナを受け止めたファイ。呆然としながら辺りを見回せば、エグバだ。どこかに隠し持っていたらしい銃をこちらに向けており、銃口からは微かに煙が立ち上っていた。
ニナが、組長に撃たれた。それも、恐らく後頭部を。
断片的に拾い上げた情報から、どうにか状況を整理するファイ。ただ、自分でも銃弾は“痛い”だけではじき返すことができる。だったら、ニナは大丈夫だろう。そう楽観的に考えようとしたファイの胸元に、粘性のある生温かい液体が伝う感触がある。
「え。……え?」
加速する、ファイの混乱。その間にも、ぼろきれ同然と化している服にニナの熱がじんわりと広がっていく。それが血と呼ばれるものであるとファイの脳が結論づけるのに、そう時間はかからなかった。
瞬間、ファイは一気にニナの容態を確認するのが怖くなる。もし今ニナの姿を、顔を確認すると、ファイの思い描く嫌な現実が確定する気がしたためだ。
「に、な……?」
問いかけてみるが、反応は無い。震える手でどうにかニナの身体を揺すってみるも、やはり反応が返って来ることは無い。気のせいか、ニナの身体が重くなってきた気もする。
(ど、どうして? なんで銃で……。銃、なのに)
認めたくないはずなのに、ファイの優秀な脳は現状を肯定する様々な可能性を提示してくる。
ここはウルンだ。大気中にエナがほとんど存在しない。それはつまり、ガルン人が活動するために必要な資源がないことを示す。駆けてきたところを見るにニナは、ここに来るまでかなりの力を使ったと思われる。
そのせいでエナを使い過ぎ、身体能力が落ちていたのだとしたら――。
「よくやった、ファイ。ソレがお前の言っていたニナ、だな?」
「う、うん……。……え?」
条件反射で答えてしまったファイが顔を上げると、そこにはエグバが居た。
「探索者のご用達。1丁150万Gの対魔物用の高性能銃に、1発10万Gの対魔物用の特殊な弾だ。人間族の魔物ごとき、簡単に仕留められる」
そう言ったエグバの言葉によってまた1つ、ファイの中にある嫌な予感が補強されていく。そんな現実から目を逸らすように、ファイは場違いかつ的外れな疑問を口にする。
「が、ガルドって、なに?」
「お前が知る必要はないものだ」
エナリアとは違う。ファイにとっての要・不要を決めるのはエグバなのだ。口にくわえた煙草に火をつけたエグバが、再びニナに銃を向ける。
「死ね」
そうしてニナに向けて放たれた銃弾を、ファイは片手で掴み取る。ルゥとの戦いで、銃がどのようなものなのかを知っているファイ。エグバの指の動きと視線、銃口の向きから瞬時に弾丸の軌道を予測したのだ。
「……何をしている、ファイ?」
無意識に、ニナがこれ以上傷つけられるのを防いでしまっていたファイ。邪魔をするなというエグバからの視線を受けて、ついうろたえてしまう
「え。あ、これは……」
「お前にはもう俺が居る。そいつは必要ない。だから、動くな」
ファイに命令を下したエグバは残った弾を全てニナに打ち込む。弾丸が命中するたびにニナの小さな身体は跳ね、おしゃれと動きやすさを兼ね備えた一張羅に穴が開く。
(ごめんなさい、ニナ……!)
命令され、ファイとしてはニナの身体を抱くことしかできないまま、銃声が響くこと4回。
「俺のファイに、余計なことを教えやがって……。これくらいの手間賃、払ってから逝け」
つまらなそうに言ったエグバが銃を懐にしまった、瞬間。
「ふふっ! これで210万G、ですわね!」
ファイの耳元で、ニナが嬉しそうに囁いた。




