第54話 ケンカ、ですわね!
ファイがエナリアから姿を消して、半月に当たる3週間が経った頃。“不死のエナリア”第20層の裏側。今日も変わらず粛々と各種書類の山を片付けていたニナだが、
「……限界ですわぁぁぁ~~~!」
手にしていた書類を天高く投げ上げ、叫んだ。その声に肩を跳ね上げたのはルゥだ。彼女は、光輪の人々が帰還したことで再びガルンでの“住人探し”に戻ったリーゼに代わって、ニナの身の回りの世話をしている。つまりは、普段通りだった。
「わっ、びっくりした。……もう~、どうしたの、ニナちゃん?」
黒髪と侍女服を揺らしながら散らばった紙を丁寧に拾い集めるルゥに、ニナは眉を逆立たせる。
「どうしたもこうしたもありませんわ! もう我慢の……限、界、ですっ!」
言って椅子から立ち上ると、直通になっている私室へと歩みを進める。
「う~ん……。確かにそろそろ決算報告の時期だから書類も多いけど、今さら嫌になったの? お金も人もない現実、見ちゃった?」
「そんなの、とっくに知っていますわ! そうではなく、そうではなく……ルゥさん!」
「ひゃいっ!」
服を着替えながらいつにない勢いで言ったニナに、思わずと言った様子でルゥが声を裏替えさせる。口元を押さえて目を丸くする彼女に、ニナは自身の認識について尋ねる。
「ルゥさん! ルゥさんの中でファイさんが居なくなって、どれくらい経ちましたか!?」
「えっ、ファイちゃん? そうだな~……。『少し』かな? って言うか、なんで外出着?」
ルゥが答えている間にも、ニナは手早く着替えを済ませる。エナリアの様子を見て住民の意見を聞きに行くお散歩とは違う。火喰い蜥蜴を捕まえに行った時のような、動きやすい格好だった。
そうして着替えを済ませ、服から長い髪を取り出したニナは改めてルゥに目を向けた。
「そうですわ。ファイさんが居なくなってしまってから、少し経ちました。……わたくしの感覚は、間違っておりませんでしたわ!」
「うん、そうだね。そうなんだけど、いったん落ち着こ? はい、息を大きく吸ってー、吐いてー……」
ルゥに言われた深呼吸をしたニナだが、ハッと見開いた目にはまだまだ勢いがあった。
「ファイさんはあの時、仰っておりましたわ。『ちょっと待ってて』と。ルゥさんも聞きましたわよね?」
「えっ、あぁ、うん。聞いた。……けど、それがどうしたの?」
ルゥが頷いたことで、ニナはファイの発言が自身の聞き間違いではないことを確認する。
「だからわたくし、言われた通りに“ちょっと”待ちました。それはもう、首を長く……首長竜さんのようになが~くして、お帰りをお待ちしておりましたわ。……ですがっ」
ダンッと落ち着いた色合いの絨毯が敷かれた床を踏みしめて、強調するニナ。
「ファイさんは、帰って来てくださっておりませんっ!」
そう。あの時、確かにファイは言ったのだ。待ってて、と。つまりそれは、ファイに帰って来る気があることの証であるとニナは考えていた。
だからこそニナはミーシャに深追いしないように言いつけたわけだし、自身も精神的に余裕を持ってファイを見送ることができた。
しかし、どれだけ待ってもファイは帰ってこない。来る日も来る日もファイが「ただいま」と言って執務室の扉を開く日を待ち続けて。なんなら貸し与えていた本人の部屋に頻繁に赴くようにもした。
「そうだね~。ファイちゃん。どこ行っちゃったんだろうね……って、まさかニナちゃん!?」
ニナの格好と発言から、なにをするのかを察したらしいルゥ。青い瞳を丸くする彼女に、ニナは自信満々の顔で大きく頷いてみせた。
「はい! ファイさんを迎えに、ちょっとウルンまで行って参りますわ! ではっ!」
「ちょっと待て~ぃ!」
勇ましく執務室を出て行こうとするニナを、ルゥが全力で引き留めてくる。
「は、離してくださいませ、ルゥさん! わたくしは行かねばならないのですわぁ!」
「待って待って! 色々準備、足りてないでしょ~………」
ルゥにそう言われて、ようやくニナは少し冷静になる。例えば何が足りていないのかとルゥに目線で尋ねてみれば、やれやれと言うような顔を向けてきた。
「ファイちゃんがどこに居るのか、ニナちゃんは知ってるの?」
「ふふん、わたくしを舐めないでくださいませ、ルゥさん。……黒狼の拠点、ですわ!」
きちんと分かっていると胸を張るニナに、しかし、ルゥは冷めた目を向けてきた。
「じゃあ、その黒狼の拠点はどこなの?」
「…………。……知りませんわ!」
「いや、なんで自慢げだし……。はい、次。黒狼の拠点って1つだけなの?」
「そうですわ! ……と思います」
ファイの話から推測するに、ファイはひとところに監禁されていたと思われる。しかし、確かに。複数拠点があった場合、そのどこにファイが居るのかは分からない。
「つまり分からない、と。他にもニナちゃんが留守の間、誰が最下層を守るの、とか。この溜まりに溜まってる書類はどうするのとか」
「はわ、あわわわ……」
指を立てながら問題点を挙げていくルゥに、ニナはいよいよもって勢いを削がれてしまう。
「で、ですが……。ここで働く方々の中で、ファイさんを迎えに行くことができるのはわたくしだけなのです」
「それは……まぁ、そうなんだけど」
ルゥが納得を示したことを好機と見たニナは、畳みかける。
「そ、それにルゥさんはファイさんが心配ではないのでしょうか!?」
ニナとしては大変遺憾ながら、ファイの“初お友達”を奪って行ったのがこのルゥなのだ。そして長年の付き合いから、ルゥがこの手の質問を苦手としていることをニナは知っている。
「うっ……。その質問は、ズルくない……?」
「ふふん! 頬を染めるその可愛らしい表情、その態度。ルゥさんもやはり、ファイさんが心配なのでしょう? でしたら――」
「ごめん、その手には乗らないよ、ニナちゃん」
勢い任せに押し切ろうとしたニナを、幼馴染は許してくれなかった。ニナの両肩に手を置いたかと思うと、ニナのおでこに自身の額を優しくこつんと当ててくる。
「わたしも、ファイちゃんのことはすっごく心配。向こうで何かあったんじゃないかって。でも、やっぱりわたしはニナちゃんの方が大切。その……ファイちゃんには悪いけど」
最後は恥ずかしそうに言ったルゥだが、終始、ニナを諭すようにゆっくりとした口調だ。
「ニナちゃんの気持ちは、尊重する。大事にする。だから、まずは落ち着いて? ガルンでのエナ中毒と違って、ウルンでのエナ欠乏症はほぼ即死。従者とかの前に友達として、さすがに無茶はさせられない」
「ルゥさん……」
もうニナが冷静になってしまったことを察したのだろう。そっとニナのおでこから額を離してこちらを見るルゥの顔には、優しい笑みが浮かんでいる。が、そんな真面目な空気に耐え兼ねたのだろうか。そっぽを向いて頬を染めると、
「そ、それに? ファイちゃんが帰って来たくないって思ってる可能性も? 一応、あるもんね」
そんなことは無いと分かっているだろうに、この場を茶化すように言う。どこまでも他人を想える優しさを持っているのに、相手に自分の優しさを押し付けたく無くて、誤魔化してしまう。茶化してしまう。ファイとはまた違う意味で不器用な幼馴染には、ニナとしても笑うことしかできない。
「うふ……うふふっ! あははははっ!」
「ちょ、なんで笑うし! って言うか、笑い過ぎ~!」
「きゃぁ~!」
ニナの笑いを止めるためだろう。抱き着いてくるルゥに、ニナは思わず悲鳴を上げてしまう。そのまましばらく絡みついてくるルゥとじゃれ合ってたニナだが、
「そう、ですわね。ルゥさんのおっしゃる通りですわ」
はたと動きを止めて、静かにこぼす。
「何をするにしても“まずは相手を知るところから”ですわよね」
それは、ニナが大事にしている言葉だ。
ニナの力をもってすれば、大抵は暴力で解決することができる。相手を知らずとも、とりあえず殴り勝てば相手に言うことを聞かせることができる。しかも幸か不幸か、ガルンではそれこそが正義とされている。
しかし、ニナにとって自分の力は、両親から与えられたものだ。自分で勝ち取ったものではない。誰に言われずとも、自分がズルをして強くなっていることをニナは分かっているつもりだ。
(だからこそ……。両親からの大切な贈り物だからこそ、その使い方には慎重にならなくては)
ニナの脳裏をよぎる、幼い日の記憶。色々あってニナは殺されかけた。しかし、もうその時にはニナはほとんど完成しており、火の粉を振り払うのは簡単だった。ただ、全てを力で解決した自分の血で汚れた拳を見たとき、なぜか亡き両親の思い出に自分で泥を塗ってしまったような気分になった。
以来、可能な限り拳ではなく対話での解決を試みてきたニナ。先の言葉は、対話を大切にしようとする彼女の標語に近いものと言える。そして、紛れもない“強者”であるにもかかわらずその力の行使をしようとしないニナは、ガルン人たちからすればひどく異端な存在に見えていた。
ただし、忘れてはならない。ニナも結局はガルン人であり、ガルンの文化が骨の髄まで染み込んでいる。
「そうだね! まずは黒狼? って人たちのことを知って、言葉を重ねて。でも、それで無理なら――」
生粋のガルン人であるルゥの言葉に「はい!」と頷いたニナは、
「ケンカ、ですわね!」
最終的に行きつくところが暴力であることに変わりはないと、言ってのける。
自身の夢を、理想を、欲望を。それらを叶えるために力を使うことは決して悪ではないと、ニナは信じている。両親の願いはニナの幸せだった。だからこそ、自身の幸せのためなら、両親からの贈り物である“力”を使うことをニナは躊躇しない。力なき理想など、ただの絵空事だ。
(待っていてくださいませ、ファイさん。わたくしが必ず、あなたを迎えに行って差し上げますわ!)
こうしてニナ達は、かねてから続けていた黒狼に関する情報収集を本格化させた。




