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ほの暗い穴の底から“幸せ”をっ! 〜仲間に捨てられた薄幸少女剣士、異世界の少女とダンジョン経営を通して本当の“幸せ”を探す〜  作者: misaka
●はじめまして、ウルン

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第51話 頭が、ふわふわした




 ファイが黒狼に戻ってから朝夕に出てくる麦餅を6回食べた。つまり、ウルンで3日が経った頃。


 特に黒狼の組員からの働き掛けも無かったファイは、真面目にエナリアでのことを忘れようとし続けた。起きている間はただひたすらにニナ達のことを考えて、そのうえで忘れようとアレコレ試行錯誤を重ねていたのだが――。


「……むり」


 暗く狭い部屋。努力の末に至った結論を、そっと言葉にした。


 どれだけ忘れようとしても、ニナ達との日々がファイの中から消えることは無かった。それどころか、忘れようと意識するたびにファイの中でどんどんとエナリアでの日々が存在感を増していく。また、思い出を消せないことによる弊害も起き始めていた。


(お風呂入りたい、な……)


 以前はお風呂を知らず、「清潔」を知らなかったファイ。1週間どころか10年以上お風呂に入らなくとも、何も気にならなかった。


 しかし、たった3日だ。たった3日で、ファイはお風呂に入って身体を洗いたいと思うようになってしまっている。


 ふと自分の服――迷彩服のまま――を臭ってみると、やはりわずかに酸っぱい臭いがするように思う。たとえそれが気のせいだったとしても、臭っているかもしれないと考えるだけで、ファイは恥ずかしくてたまらない。


 髪もそうだ。ルゥとニナによる丁寧な洗髪によってフワフワさらさらだった白髪は、皮脂でベッタリとしてしまっている。


 もし今、特に身だしなみを気にしていたミーシャ自分の姿を見せようものなら、


『アンタ、なんて汚い格好をしてるのよ?』


 そう言って呆れられてしまうだろう。


 食事もそうだ。以前は麦餅1つで満足できていたというのに、もっと美味しいものを、温かいものをと求めてしまう自分が居る。さらに言えば、もっと甘いもの――焼き菓子を。それに合う香り豊かな紅茶(お砂糖たっぷり)が欲しいとすらも思ってしまう。


 あれも、これも、それも、どれも。欲しい欲しいと、ファイの中にいる弱くて卑しい自分が叫んでしまっていた。


 そうして自分の嫌な面ばかりを意識させられて落ち込むファイに、追い打ちをかけるものがある。それは、ズンと重い腹痛だ。


 ただしそれに関してはファイにとって予想外のものではない。彼女が人間族の女性であるが故に定期的に訪れる、月経の日だ。


 もちろんファイがその体の不調を月経と呼ぶことも、それが発生する理由や仕組みも知らない。ただ、現象として、これから数日間、自分の身体はひどく弱体化することだけは分かっている。魔素供給器官の働きが著しく低下し、それに伴って身体能力や身体強度が数段低くなるのだ。


 黒狼の組員たちが“ファイの使用不可期間”と呼ぶこの月経の存在が、ファイに黒狼への帰還を促した1つの要因でもある。


(もしエナリアの最深部に居たら、危なかった、かも……)


 体内を巡る魔素が乱れるこの期間、エナの濃度が非常に濃い場所にいるニナ達の側に居ると、ファイはエナ中毒に見舞われる可能性があった。


 そうでなくとも、弱っている自分の姿をファイはニナ達に見せたくなかったというのもある。もし“弱いファイ”を見られでもすれば、またしてもニナ達に心配をかけてしまうからだ。


(ルゥから貰った服も、ダメにしちゃった……)


 便器に干しているボロボロの迷彩服と黒い下着を眺めるファイ。


 血で汚れてしまった服をそのままにしておくと蒸れて病気になることを、ファイは昔に身をもって知っている。かといって、迷彩服の造りでは枷をしたまま着脱することができない。そのためやむなく風の魔法を使って服を切断し、脱いだのだった。それでも、ルゥが丹精込めて作った服だ。いつかまた着られるかもと、洗って便器に干しておいたのだった。


 与えられたものを汚すなど、道具としては失格も失格だろう。きっとルゥであれば笑って許してくれただろう。が、内心では呆れられてしまっていたかもしれない


 そうなる前に、エナリアを出られてよかった。


 そう考えてしまう自分をファイが自覚した時、またしてもニナ達のことを考えてしまっている自分にため息を吐くのだった。


 そうしてファイが胸布(ブラ)だけをつけた奇妙な姿のまま膝を抱えていると、不意に入り口である鉄扉が開かれた。


 一瞬、上の下着1枚のファイと便器にかけられている服を見遣ったように見えた組員。しかし、彼らが驚くことは無い。ファイを10年以上世話している彼らもまた、ファイの不調の原因と周期を理解しているからだ。


「ファイ。行くぞ」


 いつものようにファイを袋に詰めて抱え上げたかと思うと、移動を開始する。


 一瞬、裸のままで良いのだろうかと疑問に思ったファイだったが、大丈夫なのだろうと結論づける。それはファイが考えることではなく、主人が決めることだからだ。また、体臭について恥じらう感覚はあっても、ファイにはまだ裸を他人に見せることへの抵抗感を持つことができずにいた。


(どこ、行くんだろう……?)


 ファイが使用不可期間に運び出されるのはこれが初めてだ。


 組員たちもファイがいつものように使い物にならないことは知っているはず。であればエナリアに連れて行かれるわけではないのだろうと、ファイは推測する。


 そんなファイの予想通り、屋外に出る気配もないまま1分後。


 担ぎ下ろされたファイは、袋から解放される。


 久しぶり目にする室内灯の明かりに目が慣れた頃。ファイが改めて自分が居る場所を確認してみると、そこは、小さな部屋だった。ニナから与えられていたエナリアの私室より1回りほど小さいだろうか。床も天井も硬い石材がむき出しになっており、どことなく冷たい印象を受ける。


 特に床には焦げ跡か、それとも血の跡か。正体不明の黒い跡がいくつも残っており、日常的にここで何かが行なわれているだろうことはファイにも予想できた。


 その部屋には、ほぼ全裸のファイと2人の黒狼組員の姿があるだけだ。他に特筆すべきものと言えば、壁の一部がくりぬかれ、鏡のようになっていることだろう。


 家具も何もない殺風景な部屋に、どこからともなく声が響いた。


『始めろ』


 ファイが人生で何度か聞いたことがあるその声は、黒狼の組長のものだ。彼の指示のもと、室内灯の光が弱められ部屋全体が薄暗くなる。


 同時に、組員たちは無言のまま部屋の四隅に乾いた葉っぱの束を置いて火をつけ、部屋を出て行ってしまった。


 何をしているのだろうか。


 ファイが疑問に思っていると、変化はすぐに訪れた。部屋全体を強烈な臭いが満たし始めたのだ。甘いようで酸っぱい。それでいて香ばしい独特な香りが、ファイの鼻をつく。その発生源はやはり、組員たちが燃やしていったあの謎の葉っぱだろう。


(ニナ達が使ってた“茶葉”とは違う、嫌な臭い……)


 鼻が曲がりそうとはこのことかもしれないと、微かに顔をしかめるファイ。だが、しばらくすると鼻が匂いに慣れ始める。さらには、


(……あれ? すごい臭いだけど、落ち着く……?)


 この香りを嗅いでいると、月経の痛みも、ニナ達を忘れられないことへの不安も和らいでいく気がする。頭もふわふわして、ひどく心地いい。


「組長。この葉っぱ、なに? ()()()()


 ファイがそう疑問を口にしたのは、エナリアで身についてしまった癖だった。疑問を口にしてきちんと知識をつけるように言われていた名残とも言える。ただ、笑顔と共に答えが返ってきたニナ達との日々とは違い、組長から返ってきたのは、


『やはりか……』


 という謎の答えだった。しかもファイの疑問に答えることなく、今度は組長からファイに質問が飛ぶ。


『ファイ。お前が着ていた服をくれたのは、誰だ? 答えろ』

「分かった。――ルゥっていう名前の、ガルン人の女の子。巻き角族で、2進化。優しくて、胸が大きい。それから――」

『おい、ファイ。俺が聞いたのは服をくれたのは誰か、だ。どんな人か、とは一言も聞いてない』

「あっ……。ごめんなさい」


 友達のことを紹介しようとした口を、固く閉ざすファイ。


『次だ。ファイ、お前。俺たちが居ない間、何を見て、何を知った? そうだな。3分以内に話せ』

「3分……。分かった」


 言われた通り、ファイは可能な限り要点を押さえながらエナリアでのことを説明し始める。ニナというガルン人に拾われたことからの始まった、温かな日々。そしてそこで学んだことを。


 ここ数日、幾度となく脳内で思い返した記憶だ。ファイ自身も驚くほど流ちょうに、思い出を語ることができる。しかもそこに付随する“感情”を抑えるのには、一苦労だ。黒狼での思い出を語る時には、そんな苦労など無かったというのに。


「――エナリアは広いから、宝箱の補充は大変だった。その後、ミーシャっていう獣人族の子と会って――」

『もういい』


 組長からの声で、言葉を止めたファイ。


「いい、の? まだ最初のお仕事が終わったところ――」

『今で3分だ』

「……え?」


 何を言われたのかすぐには理解できずに声が漏れてしまったファイ。そんな彼女に、組長が続ける。


『ファイ。やはりお前は、必要以上のことを知り過ぎたらしい。何も知らないままなら良かったんだがな』

「組長……?」


 しばらく沈黙が返って来たかと思うと、ファイが居る部屋にまたしても2人の組員が入って来る。その手には小さな白い結晶が入った注射器が握られていた。


「それ、なに?」


 ファイの質問には、誰も答えない。なんとなく“良くないもの”である気もするが、道具であり意思が無いはずのファイには拒絶する権利が無い。そうしてファイが抵抗しないことを確認すると、その針をおもむろにファイの腕に突き刺し、内容物をファイの体内に注入する。


 ――以降、使用不可期間が終わるまでの1週間。


 ファイの記憶は完全に途絶えることになる。




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