第49話 ちょっと行ってくる、ね?
ファイが監視を始めて、体感で2時間。光輪の面々は、第1層“洞窟の階層”を軽々と突破し、第2層へと移動していた。
足元に丈の短い芝生が生い茂るこの第2層から第4層まで。大小さまざまな空間と通路とでできている“草原の階層”となる。先日ちょうど、ファイが宝箱の補充をしていた場所でもあった。
ここに至るまで、光輪が行なった戦闘は片手で数えられるほどしかない。しかも、そのどれもが一瞬で蹴りがつくものだ。当然といえば当然で、およそ10年前の時点で光輪は橙色等級の探索者組合。“不死のエナリア”第1層~第4層にある色結晶は青色等級。
光輪にとっては格下も格下だった。
いま、光輪の人々は大広間の見晴らしの良い場所に陣取り、休憩中だ。彼女たちが見える位置――約100m離れた場所――に隠れたファイは、ここ2時間で見て感じ取った推測をニナに伝えた。
「ニナ、見える? 聞こえる?」
『はい! 視界良好、音声もバッチリですわ!』
ピュレがきちんと役割を果たしていることを確認して、ファイは情報を整理する。
「まずはきれいな白っぽい髪の人。あの人が多分、まとめ役。最低でも、橙色等級はある。名前は……」
「アミス。仲間からはそう呼ばれてるみたい」
白金色の髪の女性の名前を答えたのは、ファイの頭上に登ったミーシャだ。獣化して向上している聴覚を活かして集めた情報を、ニナに伝える。
「黒い髪の人がフーカ。赤髪の人がレッカ。橙色髪の子がジーナ、だと思うわ」
『ありがとうございます、ファイさん、ミーシャさん! そのほか、お気づきのことはありますでしょうか?』
ニナの言葉に、通路から顔を覗かせて一団を確認したファイ。
「……黒髪の人が羽族。魔法が得意な人。赤い人はウルン人の獣人族。身体能力が高いから、近接戦が得意。銀髪と橙の人は人間族……かな」
『了解ですわ。えーと、アミスさんが人間族、フーカさんが羽族。それからレッカさんが獣人族で、ジーナさんは人間族、ですわね』
ニナの言葉を受けて、隣に控えるリーゼとルゥが筆を走らせる。
「あと、これは推測になっちゃう、けど……」
『大丈夫ですわ! どんどん、情報をくださいませ!』
ニナからの後押しを受けてファイが目を向けたのは、光輪と思われる探索者の数と装備だ。
通常、本格的なエナリアの攻略となると、数十人規模の徒党を組まなければならない。エナリアに滞在する期間が長くなるため、食料や装備、衣服の替えなど補給物資などを運ばなければならないからだ。
(黒狼の人たちも、毎回10人前後でエナリアに行くのが普通だった)
エナリア探索は費用も時間も人間も必要になる。
だからこそウルンの探索者たちは大きな団体を作る。もし10層以上あることが分かっている“不死のエナリア”を攻略するのであれば、基本的には30人以上の大所帯になるだろうとファイはニナに伝えた。
『なるほど。やはり彼女たちの目的は攻略ではないのですわね。斥候という可能性は?』
「その可能性もないわけじゃないと思う。けど、見て」
光輪の人々が見える位置にピュレを差し出したファイ。自身も顔を覗かせて光輪の人々を見てみれば、みな一様に軽装なのだ。何より、食料が見当たらない。
『なるほど……。10層までは偵察済みのこのエナリアの下見をするには、数日かかるはず。ですが、食料や装備がふさわしくない、と……?』
「そう。となると、少ない人数でエナリアに来る目的は、私が知る限り2つ。物探しか、人探し」
探索者というものに関する知識は、ファイもそれなりに持っている。彼女を育てた黒狼が、必要なものとして与えているからだ。
「物探しは、たとえば魔獣の皮とかの素材とか、宝箱とかを探す。人探しはそのまま。ただ、共通してるのは、基本的に戦うことを想定しないこと。あと、基本的に依頼主が居ること、だったはず」
攻略と、斥候などの情報収集以外の目的で探索者がエナリアに来ることはまずない。だというのに光輪がエナリアに来ていると言うことは、何かを誰かから依頼されたからと見ていいだろう。
『ふむふむ。会議でユアさんがおっしゃっていた「黒服」の存在が濃厚になってきたのですわね?』
ニナの言葉に、ファイはコクリと頷く。
10年近い前の情報で会議を進めようとしていたあの時。唯一意味のあった物があった。ムアによって遮られてしまったユアからの報告だ。
目下開発中だという上層用の魔物の飼育実験を行なっていた時のこと。ユアはたびたび黒い服を着たウルン人が上層近辺をうろちょろしている姿を見かけたのだと語った。結局、黒服たちの目的こそ分からなかったものの、
『まるで何かを探してるみたいでした』
そうユアは見聞きしたことを締めくくったのだった。
その話を合わせると、黒い服の人が光輪に依頼をしたという構図がファイの頭の中で出来上がる。
(黒服の人……)
ファイの脳裏に浮かぶのは、いつも真っ黒な服と黒い眼鏡をかけていた黒狼の組員たちだ。
自分という道具を捨てた今、彼らは何をしているのだろうか。ファイはこの時になってようやく、黒狼のことを思いやるに至る。一瞬、ファイの中に湧き上がったのは、黒狼が自分を探してくれているのではないかという希望だ。
捨てられたというのは勘違いで、ただ置いて行っただけなのではないか。実際、冷静になって思い返してみれば、巨人族を相手にして黒狼の人々が道具たる自分を回収する余裕は無かったように思う。
(……うん? ひょっとして私、捨てられてない?)
そう考えてみると、全てのつじつまが合わないだろうか。数日たって事態が落ち着き、黒狼の人々はファイという落とし物を探しに来た。けれども、黒狼がファイを落としたのは第8層。彼らでは到達できない場所だ。
(だから、光輪の人たちに私を探させてる……。うん、ありえる)
微かに灯った希望の光が、ファイの中で膨らみ始める。
黒狼の人々は、ファイをきちんと道具として扱ってくれる。ファイに“幸せ”をくれる。不衛生なことだけは困りものだが、最低限、食料も衣服も武器もくれる。あの満たされた日々に帰ることができるかもしれない。
別にニナ達との生活にはほとんど不満はないが、ファイは薄々感づいていた。
(――ここに居たら、道具になれない。幸せに、なれない……かもしれない)
ニナも、ルゥも、ミーシャも、リーゼも。みんながみんな、ファイに優しい。ファイの知らない温かさをくれるし、ファイの知らない柔らかさをくれる。このエナリアに居るだけで、ファイの心はこれ以上ないくらいに満たされる。
ただ、どんどん感情を表に出すようになってしまっている自分が、怖くもあった。ニナ達がファイの名前を呼んで、優しく笑いかけてくれるたびに、どんどんと心がその存在を主張してくる。何もない、空っぽな自分が顔を覗かせる。
自分を道具で居させてくれない、優しくて、明るくて、温かな日々。それがファイはたまらなく大好きで、愛おしい。だからこそ――。
「ミーシャ、ちょっとごめん。ピュレ、持ってて?」
ファイが頭上に居たミーシャをそっと両手でつかみ、地面に下ろす。
「ファイ?」
ファイを見上げて首をひねっているミーシャに、ファイは手に持っていたピュレを預ける。ミーシャもピュレも、魔物だ。ウルン人である光輪の人たちに見せると、殺されてしまうかもしれない。
『ファイさん? どうかなさったのですか?』
「ちょっと、確かめてくる。だから、待ってて?」
『『……え?』』
ピュレの向こう。困惑するニナやルゥの声をよそに、ファイは隠れるのをやめて光輪が休憩している大広間に姿を現す。
「ど、どこに行くのよ、ファイ! 待ちなさい!」
制止を求めるミーシャの声も聴かず、むしろ歩く速度を速めるファイ。いまこの時だけは、ファイは強い道具の自分ではなく、弱くて醜い人間の自分に変わる。そうでないと確かめられないからだ。1つは、黒狼が自分を捨てたのかどうか。そして、もう1つは――。
「ちょっ、まっ……待ちなさいってば! 待って! アタシを置いて行かないで……っ!」
『ミーシャさん! それ以上はウルンの方に見つかって危険です! 撤退を――』
「〈フュール〉」
背後で言い争うミーシャとニナ(ピュレ)を、一思いに吹き飛ばしたファイ。これ以上近づくと、いよいよもってミーシャ達の存在に感づかれる可能性があったからだった。
そうして吹き荒れた風と共にファイの存在に気付いた光輪の面々が、静かに腰を上げる。
「こんにちは。今の風……。貴方の魔法、でしょうか?」
そう言ってファイに話しかけてきたのは、白金色の髪を持つ女性――アミスだ。同時に彼女は、〈ブレア〉という火の魔法を使って指先に小さな火をともして見せる。
エナリアで会う人型の生物は、ウルン人とガルン人、両方の可能性がある。そのため、魔法を使うことで自分がウルン人であることを証明する慣習があった。
そうして自身もウルン人であることを示して見せるアミスに、ファイはリーゼを真似て深々と頭を下げる。自分なりにエナリアで学んだ“礼節”を示して見せた形だ。
「初めまして、私はファイ」
ファイの名前を聞いた瞬間、光輪の人々の顔が驚愕に染まる。そんな彼女たちの様子で、恐らく自分を探してくれていたのだろうことを確信したファイは、
「――私を黒狼の人たちの所まで連れて行って欲しい」
自身が生まれ育った場所へ帰ることを望んだのだった。




