第43話 きな臭い依頼、だけれど
帝歴423年。黒緑のナルン、赤の1のフォルン(10月の1日目)。
日ごとに日照時間が長くなり、夏に向けて徐々に気温を上げていくアグネスト王国。その王都ファークストに、探索者組合『光輪』の本部はあった。
明るい灰色の石材で作られた5階建ての立派な建物は、アグネスト王国に数ある探索者組合の中でも有数の大きさを誇っている。
そんな光輪の組本部の最上階で、
「はぁ……」
物憂げなため息を吐いて王都の町並みを見下ろす人間族の女性が居た。
名前は、アミスティ・ファークスト・イア・アグネスト。彼女は、弱冠20歳にして王国でも指折りの実績を誇る探索者組合『光輪』の4代目組合長だ。
光の加減で黄色にも茶色にも見える宝石のような瞳を持つ彼女は、改めて視線を手元の依頼書に向ける。
「行方不明になった探索者の捜索、ね……」
つい先ほど、怪しい黒服の男から受領したばかりの依頼の内容を口にするアミス。
男の話では、つい2週間――ウルンでは10日間――ほど前、探索者を志す息子が幼馴染の少女を連れて、興味本位でエナリアに入ってしまったらしい。運よく魔物に出くわすこともなく奥に進んで行ったものの、巨人族と遭遇。結果、幼馴染の少女を置き去りにしてしまったようだった。
『どうして息子さんはそんな無茶を?』
『幼馴染の女の子――ファイというのですが、その子が白髪で。“不死のエナリア”ですし、彼女が居れば大丈夫だろうと判断してしまったようです』
まるで台本でも読み上げるように、ことの詳細を話した依頼主の男。
(確かに、子供が興味本位でエナリアに入ってしまうことも珍しくない。……ただ)
アミスが気になるのは、その幼馴染の少女の方だ。
「ファイ……。そんな白髪の子、聞いたこと無いわ……」
言いながら、背後にあった立派な椅子に腰かけるアミス。彼女はアグネスト王家の第3王女でもある。その立場を利用して閲覧した国民の名簿から、将来有望な人物についてもいろいろと調べていたのだった。
念のために自身が持っている有望株の情報を見返してみるアミス。自由を与えているとはいえ、王国内に居る白髪8人の所在は全て掴んでいるつもりだった。が、やはりファイという名前の人物は見当たらない。
(白髪の取り締まりが激しいノスヴェーレンから逃げて来た、訳アリの子? だとしても、難民登録ぐらいはしてそうなものよね。それに、国力である白髪をノスヴェーレンが逃がすとも思えない……)
正体不明の白髪の子供。なんとなく胡散臭い依頼主。この依頼自体が、国内有数の権力を持つ光輪を貶める罠である可能性も否定できない。なぜなら、この依頼にある“異様さ”は他にもあるからだ。
「報酬、1億G。しかも前金で1,000万G。羽振りが良すぎるのも気になるわね……」
将来有望な白髪の子に賭ける額として、その金額は不思議ではない。むしろ、少し安いとすら思える額だ。だが問題は、辺境の村に暮らす男が提示する金額としては、あまりにも大きすぎる額だということだろう。
依頼主は、アミスが価格を吊り上げるまでもなくこの額を提示してきた。麦餅1つが大体100Gで取引されるアグネスト王国の平均世帯月収は40万G前後。大手の組合である光輪に所属する一般探索者でさえ、運よく探索を終える日が続いて月収200万ほど。アミスのように赤色等級以上の探索者でようやく、月収が1,000万Gを超える。
(けれど武器や防具、道具にお金をかけたら湯水のごとく消えていくし……)
そんな財政事情の王国で、なにも言わずに1億Gを提示できるあの男は何者なのか。ファイという子供が本当にいるのだとして、なぜ両親は今回の依頼に同道しなかったのか。考え出したらキリがない。
それでも。
薄暗いエナリアで、今もなお少女が震えながら助けを待っているかもしれない。白髪であるのなら、大抵の魔物は討伐できるはずだ。だというのに帰ってこないとなると、“不死のエナリア”で異変が起きているのかもしれない。
そして、国内にあるエナリアの管理は国の責務であり、ひいては第3王女であるアミスの仕事でもある。それに、今のうちにファイという子に恩を売っておけば、将来、光輪に加入してくれるかもしれない。
そんな気持ちで受けた依頼だったが、
「やっぱり、間違いだったかしら……」
机に突っ伏してそうこぼしたアミスは、今になって少しだけ後悔していたのだった。
そうしてアミスが依頼について1人考え込んでいると、控えめに扉を軽く打つ音が聞こえる。すぐに姿勢を正して体面を整えたアミスが入室を許可すると、黒髪の小柄な少女が姿を見せた。
身なりこそ整っているものの、肩口あたりで乱雑に切りそろえられている割に、完全に目を隠してしまっている長い前髪。丸くなった背中や、落ち着きのない所作。
「あ、アミス様。お客様のお見送り、してきましたぁ……」
たどたどしい話し方をすることもあって、どこか野暮ったい印象を受ける少女だった。
名前はフーカ。彼女はアミスが王城に居たときから仕えている、使用人の1人だ。今はアミスと共にエナリアに潜る探索者兼使用人として、アミスを支える人物でもあった。
長い前髪の奥。赤い瞳を上目遣いにしながら、少女が自身に与えられた仕事をこなしてきたことを告げる。
「そうですか。お疲れ様です、フーカ」
「え、えへへ……。ありがとう、ございますぅ……!」
アミスに労われた。それだけのことなのだが、フーカは表情をだらしなく緩める。同時に、フーカの背中で半透明の美しい4枚の羽が開いた。
羽族。その名の通り、身体的特徴として羽を持つ種族だ。その羽は空を飛ぶためではなく、大気中の魔素を効率よく集めるための器官となる。そのため、人間族に比べて魔素の回復が早いことで知られ、長く魔法戦を行なうことができる種族だった。
「相変わらず、きれいな羽ね」
大気中の魔素に反応して鮮やかな虹色に輝くフーカの羽を眺めながら微笑むアミス。彼女の言葉を受けてフーカがなお一層身をよじる。
「そ、そうですかぁ!? こんな私を褒めてくださるアミス様、しゅきぃ~♡」
彼女が羽を羽ばたかせると、余剰分の魔素が燐光となって舞い散る。その幻想的な光景に、何度アミスの心は癒されただろうか。
「ありがとう、フーカ。おかげで少し気分が晴れたわ」
「うぇへへ~……! だったら、良かったですぅ!」
言いながら羽を畳んだフーカは、トテトテとアミスの隣へと並ぶ。
フーカの身長は120㎝ほど。160㎝に少し届かないアミスと比べると、かなり小柄だ。しかし、こう見えてもフーカの方が3つほど年上になる。羽族は、成人しても身長は100㎝前後と小柄な人が多かった。
「そ、それで。今回はどのような依頼だったんですかぁ?」
「聞いてくれる、フーカ? 救助の依頼なんだけれど、怪しい依頼で……」
フーカからの問いかけに、早速、所感を伝えたアミス。
フーカの黒髪は、ウルンにおいて最底辺に位置する存在だ。魔素供給器官が小さく、貧弱で、魔法もほとんど使えない。それでもフーカは抜きん出た魔素回復速度と扱う魔法の多様性が評価され、第3王女であるアミスの側仕えの地位を手にした。
そんなフーカをアミスは尊敬し、信頼している。だからこそこうして、真っ先に彼女に相談をしているのだった。
やがて、依頼の内容とアミスの考えを聞き終えたフーカは、長い前髪の奥で思案顔を見せる。
「じ、人命救助……。なるべく早い方が良い、ですよね……?」
「そうね。けれど、罠の可能性も捨てきれない。幸いなのは、依頼の場所が“不死のエナリア”なことかしら」
“不死のエナリア”は、良くも悪くも有名なエナリアだ。
ガルン人が襲ってこないため、魔獣にだけ気を付けていればいい。だから初めての探索にはもってこい。ただし、空の宝箱がほとんどで、浅い階層の色結晶も掘り尽くされた。そのため、探索のうまみが何もない。そのくせ魔獣の数も種類も多く、危険と見返りが釣り合わない問い評価されている場所だった。
(ただ、そのおかげで放置されて、エナリアが成長してるって話も聞くのよね……)
アミスの知る“不死のエナリア”の最高到達深度は10層。ただ、そこにエナリアの主はおらず、“核”も無かったと聞く。
(暫定的な危険度は赤色等級。ちょうど、私の探索者等級と同じ危険度……。だけど厄介なガルン人が襲ってこないというのなら――)
必要な人員・物資を素早く見積もり、アミスはフーカに指示を出す。
「今回は探索ではなくて、人命救助。速度が求められるから少数精鋭で行きましょう」
「わ、分かりました。ではただいまから、準備を始めますぅ」
「ええ、よろしくね。それじゃあ私も……っと」
椅子から立ち上ったアミスに焦った様子を見せるフーカ。
「ぅえっ。あ、アミス様も行くんですかぁ?」
「当然じゃない! うちの組員たち、いまは“孤高のエナリア”の攻略に忙しいでしょう?」
「そ、それはそうですけどぉ……。王様たちにバレたら、また怒られるんじゃ……」
「大丈夫、ちゃんと変装するもの! あとはフーカが見逃してくれたら、バレることもないじゃない。違う?」
人差し指を口に当てて笑うお転婆姫に、フーカは前髪の奥で呆れ顔だ。
「……し、死んでしまったら、バレちゃうので。くれぐれも、死なないようにしてくださいね?」
「大丈夫よ! もしもの時はフーカが守ってくれるんでしょう?」
「あっ、うぅ……」
それじゃあ準備、よろしくね。頼れる腹心にそう言って、アミスは赤色等級“不死のエナリア”に向かう準備を始めた。




