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第4話 余計なお世話、なんかじゃない




「落ち着いていただけましたか?」

「……うん」


 茶器の乗ったお盆を寝台横の小さな机に置いた少女が、ファイに尋ねる。一方のファイはと言えば、少女に言われて今は寝台に腰掛けていた。


「それでは! まずは、自己紹介をいたしましょう!」


 ピンと背筋を伸ばした少女が、薄い胸に手を当てて自分を指し示す。


「わたくしはニナ。ニナ・ルードナムと申します! ガルン人の人族。家名であるルードナムはウルン語に訳すと“(たけ)き者”という意味になります。遠慮なく『ニナ』とお呼びくださいませ!っ」


 一息に自己紹介を済ませたガルン人の少女ニナ。室内ということで、今の彼女は生地の薄い、黄色の一枚布の服(ワンピース)を着ていた。


(……って、うん? ガルン人?)


 ウルン語で話しているため流しそうになってしまったが、ニナは今、自身をガルン人だと言った。


 ガルン人。それは魔物たちの中でも、知性の高い者たちを言う。


 そもそも「魔物」とは、エナリアの最深部、異世界『ガルン』と繋がる穴から現れる生物の総称だ。そして、魔物は知性の高い「ガルン人」と、そのほか動物の「魔獣」に分けられる。


 そんな魔物たちは一様に身体能力が高く、特殊な能力を持ち、ファイを始めとしたウルン人を襲う習性を持っていた。


(けど、ガルン人のニナは、私を拾って、助けた……。どうして?)


 湧き上がってきたファイの疑問は、


「探索者さんのお名前をお聞かせいただいてもよろしいでしょうかっ!?」


 そんな、ニナの問いかけによって打ち消される。


 艶のある茶色い髪を揺らしながら丸椅子に腰かけて、ファイの真正面で目を輝かせるニナ。気づけばファイとニナは、膝と膝を突き合わせるという表現が似合う距離になっていた。


 天真爛漫。そんな言葉が似合う少女の勢いに飲まれつつも、ファイは言われた通り、自身の名前を説明する。


「ファイ。ウルンだと生まれた村名と国名が名前に付くけど、私の場合は分からない。ごめんなさい」


 淡々と自己紹介をしたファイ。彼女の説明に一瞬だけ息を飲んだように見えたニナだったが、すぐに表情を取り繕った。


「――まぁ、ファイさん! よろしくお願いしますわ! 早速お話を……と、行きたいところなのですが……」


 途中で言葉を止めたニナが、寝台の横にある背の低い机に置いていた茶器一式に手を伸ばす。そして、


「喉が渇いていらっしゃると思いますので……まずはこちらを!」


 持ち手のついた飲用の茶器に琥珀色をした液体を入れて差し出してきた。


 ファイがこれまでの人生で口にしたことがある液体と言えば、無色透明な水か、エナリアで口にするやや濁った泥水だけだ。黒狼の拠点ではスープを口にする機会もあったが、明かりのない部屋の中で食事をしてきたファイはスープがどのような色をしているのかを知らない。


 そのため、色のついた液体を飲むという文化を知らなかった。


「どうされました? ただの紅茶ですが……。あっ、牛乳とお砂糖ですわね! 少々お待ちくださいませ……」


 ファイの微妙な反応に気付きを得たらしいニナが、紅茶に牛乳を注ぎ入れる。


「この紅茶はエナリアの5層~7層、森林区域の裏に用意した茶畑で取れたものを。牛乳はゴゥトブルというガルンにいる牛さんからしぼったお乳ですわ」


 白濁色に色を変えた謎の液体に、ファイの好奇心が刺激される。気づけば、ファイの瞳は、牛乳で渦を描く紅茶に釘付けになってしまっていた。


「少々不格好ですが、このお砂糖も自家製です! 第3層に草原区域がありましたでしょう? あそこに生えている草を煮詰めて、ろ過して……。うぅ……っ。苦労しましたわ~……」


 ニナが表情豊かに話しながら紅茶の中へ溶かした角砂糖の数、合計5つ。茶器1杯の紅茶に入れる数としては、あまりにも過多だった。


「ですが! 不肖わたくし、ニナ・ルードナム。改良と試行錯誤を繰り返すこと……たくさん! こうして満足できるお紅茶を作り上げましたの! ささっ、ファイさん! ぐぃ~っと1杯!」


 半ば強引に手渡された茶器を受け取り、ファイは白濁した紅茶を眺める。


(この人……ニナが入れたのは、毒? それとも、何かの薬……?)


 警戒心を持って紅茶を見つめたファイだったが、


(“疑う”は、人間のすること。道具は、疑わない。…………。……でも)


 どうしても、正体不明の液体を飲むのには勇気が必要だった。


 紅茶から視線を外し、ちらりと真正面を見遣るファイ。そこには、茶色い瞳をキラッキラに輝かせ、「さぁ、さぁ!」と目で訴えかけてきているニナがいる。


 と、不意に、紅茶から上がる湯気に混じって、心地よい香りがファイの鼻をついた。それは、ファイがエナリアの中にあった花畑で嗅いだ、甘い香りだ。しかし、その香りとは違い、今回ファイの鼻を通り抜けた香りは少しだけ、切れ味がある。


 まったり豊潤で、透き通った甘さの香り。それが、ファイの中にあった未知の飲み物“紅茶”への警戒心を和らげていく。そして、かねてより感じていた喉の渇きに背を押される形で茶器へと唇を近づけ、


「ちゅ……」


 砂糖たっぷりの紅茶を口に含んだ、その瞬間だった。


「――……っ!?」


 ファイの全身に電流が走った。


 数日ぶりの食事に身体が驚いたというのもある。が、それ以上に、肉体も精神も脳もカラッカラに乾いたところにもたらされた多量の“糖”。それは、強力な麻薬となって、一瞬にして、ファイの全身に行き届いた。


(なに……コレ……!?)


 身体が求めるままに、紅茶をさらに口に含むファイ。本人の意図しないところで、金色の瞳が歓喜に揺れる。たとえ表情そのものは変わらなくとも、金色の瞳は雄弁だ。


「……ふふっ! 気に入っていただけたようで、何よりですわ! おかわりもありますわよ?」

「おか、わり?」


 一瞬にして空になった茶器を手に、ファイが首をかしげる。


「あら? わたくしのウルン語に誤りがあったでしょうか……。えぇと、もう1杯、いかがでしょう?」


 紅茶の入った茶瓶を手にして言ったニナの言葉に、ファイもかろうじて“おかわり”の意味を理解する。そして、空になった茶器と茶瓶の間を、金色の視線が何度も行き来する。


 もしここでニナが「どうぞ」と言って紅茶を注げば、ファイとしてもやりやすかった。自分は、言われた通り、紅茶を飲めばいいのだから。しかし、ニナはファイに「どうしますか?」という態度を取ってきた。ファイが自ら行動を示さなければ、事態は動かない。


(――でも、私は道具。求められることはあっても、自分から求めるのは、ダメ)


 自分は道具であるからこそ、存在価値がある。道具で居なければならない。


 そして、道具は自ら何かを求めたりはしない。「もう1杯! もっと紅茶をくれ~!」と叫ぶ全身の細胞の叫びを、ファイは根性だけでねじ伏せる。


(…………。……で、でも)


 もしもの話。ニナが「飲んでください」と紅茶を注ぐようなことがあれば、ファイとしては飲まざるを得ない。


(私は道具。使い手の言うことには従わなければならない、から)


 微かに身じろぎをして白髪を揺らしながら、金色の瞳でティーポットをジィッと見つめるファイ。


(だから、ニナ。飲めって、命令して)


 期待と共に黙り込んでしまったファイの沈黙は、残念ながら、ニナには“拒否”に思えたらしかった。


「……あはは。余計なお世話、でしたわね」


 苦笑しながら琥珀色の紅茶が入った茶瓶をお盆に置く。


「――あっ」

「……? どうかなさいましたか、ファイさん?」


 思わず吐息を漏らしてしまったファイを、ニナが不思議そうな顔で見てくる。が、その時にはもう、ファイは自分がいま感情を漏らしたことに気付いて、すぐに表情を取り繕っていた。


 しかし、そんなファイの努力に反して、身体は正直だ。もう1杯紅茶が飲めるかも、と上げられてからのお預け。その落差にやられ、ファイは無意識に眉尻を下げてしまっている。


 そんなファイの表情に、ニナがようやく何かを察したらしい。


「……えぇと、もしかしなくても、おかわりが欲しいのですか?」


 ニナにそう聞かれて、思わず頷きそうになるファイ。が、ここでも彼女は鋼の意志を貫き通す。


 もしこの質問に頷けば、それはファイの意思表示になってしまうからだ。


 自分が道具であること。使われること。それだけが生きる意味であると考えて生きてきたファイにとって、自らの意思というものは不要なもの・あってはならないものなのだ。


(つまり私は、あの甘い汁を飲みたいなんて、思ってない……っ!)


 そうして黙り込んでしまうファイの様子に、「もしかして」とニナが声を漏らす。


「ファイさん。よろしければもう1杯、紅茶を飲んでいただけませんか?」

「……っ! うん!」


 ようやく頷くことができる問いかけがきて、思わず声に感情が乗ってしまったファイ。ただ、その時にはもう、甘々の乳紅茶(ミルクティー)を再び飲むことができる事実に頭が一杯で、感情を見せたという自身の失態に気付かない。


 能面のような表情から一転。ぱぁっと表情を明るくしたファイに、ニナが可笑しそうに笑う。


「ふふ……うふふっ! なるほど、ファイさんという人が、少しわかった気がしますわ!」

「……ニナ? どうかした?」

「いえ、何でもありませんっ! ……すぐにお()ぎしますわね。少々お待ちくださいませ」


 これまでの愛嬌のある顔とは一転。どこか大人びた顔で愛おしむように笑って、ニナはファイの茶器へと紅茶を注ぐのだった。




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