第38話 私はニナの物、だよ?
「次はわたくしと勝負ですわ! 誰があなたの主人であり、尽くすべき相手であり、愛すべき相手なのか! わたくしが分からせて差し上げます!」
ニナの宣戦布告が、半球状の広い空間に響き渡る。もともと、ニナとも戦う予定だったため、ファイはコクリと首を縦に振った。
「分かった。けど、ニナ。1つ……ううん、2つ訂正がある」
恐らく、血で血を洗う戦いになる。改めて足場や靴、剣の調子を確かめながら、ファイはニナの言葉の訂正を測った。
「なんでしょう!」
「1つ目。ニナはもう私の主人。尽くすべき人。そんなの、“分からせ”? されなくても分かる。私の全部はニナの物。心配なんてしなくて良い」
「はぅあっ!?」
ファイの言葉を受けて、胸を抑えながらうずくまってしまったニナ。先ほどまで周囲を満たしていた殺気が、一瞬にして霧散する。
見えない衝撃を受けたように動けないニナに代わって口を開いたのは、ルゥとミーシャだった。
「これは……ニナちゃん大好きなわたしとしては認めたくはないけど、会心の一撃だろうね、ミーシャちゃん?」
「そうですね、先輩。無自覚では無くて、本気で言ってるんだろうから、なお一層タチが悪いですよね。あと服、着替えてください。色々まろび出そうですよ」
状況を解説してくれているらしいルゥとミーシャだが、ファイには2人の言っている意味が分からなかった。
「も、もう~~~♡ ファイさんってば、不意打ちはずるいですわぁぁぁ~~~♡」
そう言って身悶えているニナの言っている意味も、もちろん分からない。ファイは不意打ちなどしておらず、ただ話していただけだからだ。
彼女たちの言葉の真意も確かめたいところだが、ファイとしては、先ほどのニナの発言を訂正することの方が重要だ。
「ニナ。話、続けても良い?」
身をよじって心ここにあらずと言った様子のニナに、話を続けても良いのか許可を取る。
「あっ、は、はい! こ、コホン……。それで、ファイさん。もう1つは何でしょうか!? わたくしに! 何を! 言ってくださるのでしょうかっ!?」
先ほどまでの張り詰めた空気はどこへやら。立ち上がったニナが、声を弾ませ、茶色い瞳をキラキラ輝かせながら聞いてくる。そんな主人に対して、ファイはきちんと宣言する。
「前にも言った。道具は誰かを愛さない。だから私はニナを好きにならない。愛さない。――絶対に」
その瞬間、ニナの笑顔が凍り付いた。
一方で、ざわついたのは実況・解説の2人だ。
「あちゃ~……。見事なまでの拒絶。これはファイちゃん、やっちゃったよね、ミーシャちゃん?」
「はい。好きな人に『あなたのことを好きになることは無い』なんて。しかも最後に“絶対”まで付けましたよ、あの子。明らかに過剰殺意ですね。あと、やっぱり着替えて来てください」
地面にぺたんと座りながら、ファイとルゥのやり取りについて一言添えるルゥとミーシャ。彼女たちのもとにはいつの間にか、紅茶と茶器一式が置かれていた。しかも、お茶請けまであるではないか。
(お菓子……。ごくり)
先輩侍女たちの足元にある甘く香ばしい茶菓子にファイの視線が釘付けにされていると、ふと。
「ふっ……。うふふふ……。うふふふふ!」
ニナの笑い声が聞こえた。
「あっ、ヤバいよ、ミーシャちゃん。ニナちゃんがキレた。多分もう、戦闘始まると思う」
「了解です、ひとまず避難ですね。……ファイ、煽ったんだから、せいぜい死なないように頑張りなさいよ。……あとコレ、餞別」
そう言ってミーシャに投げて寄こされた焼き菓子を、ファイはパクリと口で受け取る。
口を満たす幸せな味に瞳を輝かせるファイの正面。再びニナが、身の毛もよだつ殺気をみなぎらせる。
「また、わたくしの目の前で仲良しさんを……っ。ふふ、ふふふふ……!」
「に、ニナ……? どうした――」
「ファイさん」
ファイの言葉を遮ったニナ。どうかしたのかと目線で尋ねたファイに、ニナは笑顔を向けてくる。
「全力で、戦ってくださいませ。さもなくば――」
その時、ファイが眼前に剣を掲げたのは、ただの勘でしかなかった。
こうしなければならないような気がして、身体を動かした。ただそれだけのことだったのだが、直後、自身の勘が間違っていなかったことを知る。
ファイが顔を守ろうと剣を両手で掲げたその瞬間には、目の前にニナが居た。
「――即死してしまうかもしれませんので」
「……っ!?」
ニナが突き出した拳とファイの剣がぶつかり合う。そして、剣を握るファイの腕に凄まじい衝撃が走ったかと思えば、身体が宙を舞っていた。
慌てて風の魔法〈フュール〉で吹き飛んだ勢いを殺し、壁に着地する。もしあの勢いのままここの硬い岩盤にぶつかるようなことがあれば、間違いなく骨が折れていた。
その事実に冷や汗をかきながらファイがニナを探すと、茶髪の少女はもう目の前にいた。
「えいやっ」
「ぅっ!」
素早く横に跳んで回避したファイ。ニナの拳が突き刺さったその壁には巨大な亀裂が走った。
(ニナ、本気で私を殺そうとしてる……!)
ルゥの時とは違う。本気でファイよりも自分が強いことを証明し、“分からせ”ようとしている。それに気づいた瞬間、ファイにも闘志の火が灯る。
「焦りが顔に出てしまっていますわよ、道具のファイさん!」
ファイと同じで壁に着地したニナの大きな丸い瞳が、空中に身を投げる形になってしまっているファイを捉える。もちろん、その時にはもう、ニナの次の一撃が準備されていて――。
「とりゃぁっ!」
「うっ!?」
ニナが突き出した拳が、再びファイを襲う。その攻撃をどうにか剣で防いだファイだったが、今度は地面に向けて身体が吹き飛ばされる。
先ほどと同じく風の魔法で着地の衝撃を和らげたファイが剣を掲げようとするも、
「あ、れ……?」
手から剣が滑り落ちてしまった。どうやらニナの攻撃の衝撃で、手が痺れてしまったらしい。
「勝負ありですわ!」
「――まだ! 〈ヴァン〉!」
壁を蹴って弾丸のような速度でファイに迫るニナに対して、ファイは爆発魔法〈ヴァン〉を使用した。それも、ほとんど手加減なし。遠くにいるルゥ達を巻き込まないギリギリの範囲を衝撃と熱波で焼き尽くす規模のものを、だ。
ルゥと違い、ニナはあくまでも人間だ。突出した身体能力以外は、何も持たない。空中に居れば当然、動きも大きく制限される。そのため、ファイの魔法を避けるすべはなく――。
「きゃぁっ!」
ファイによる魔法を、全身でもろに受けることになったのだった。
大広間を襲う爆発の衝撃。その大きさに、エナリア全体が少し揺れる。
自身は風の魔法〈フュール〉と水を生成する魔法〈ユリュ〉で爆発をやり過ごすファイが、白髪をなびかせながら事の成り行きを見守る。辺り一帯を爆風で舞い上がった土煙が満たしているが、そんな状況の中でもファイの特別な目は世界をつぶさに見通す。
そして、ぱっと見て見える場所にニナの姿がないことを確認したファイは、巨人族のデデンにやられた時のことを思い出し、
「――っ!」
嫌な予感がして、後方に勢いよく跳ぶ。
すると、つい先ほどまでファイが居た場所をニナの拳が貫いた。どうやら天井を蹴って、死角となりやすい直上からファイを狙っていたようだ。
「なるほど……。ファイさんはかなり“勘”がよろしいのですわね?」
砕かれて、陥没した地面。砂煙が舞う中、よろりと立ち上がる人影に目を向けるファイ。そこにはもちろん、対戦相手であるニナの姿があるのだが、驚くべきは彼女に外傷が見られないことだろう。爆発によって髪は乱れ、服もところどころ破けてしまっているものの、ニナ本人は無傷のようだった。
「ニナ。とっても頑丈……」
「ふふんっ! 頑丈さは両親からの贈り物ですのでっ!」
殴る、蹴るといった近接戦を仕掛けてくるニナを、武器を持たないファイが真正面から迎え撃つことは無い。回避することに全力で意識を割き、受け身に徹する。
ファイの予想が正しければ、ニナの弱い拳を受けるようなことがあれば、それこそその部位がはじけ飛ぶだろう。事実、避け切れずに仕方なく手を使ってニナの攻撃の軌道を逸らすだけでも、尋常じゃない痛みとしびれがファイを襲ってくる。
(つまり、距離を取って戦うのが定石。……だけど!)
どれだけファイが間合いを取っても、その距離をニナは一足で埋めてくる。
それなら、と、ファイが〈ユリュ・エステマ〉という水球を作り出す魔法を使ってニナを閉じ込め、窒息させようとしてみるも――。
「はぁっ!」
風の檻を破ったルゥのように、腕の一振りで魔法を突破されてしまう。火の魔法も同様に、振り払われてしまった。
それらの魔法を使って時間を稼ぎ、どうにか剣を拾い上げたファイがルゥを切り裂いた不可視の斬撃を放つも、蹴りの風圧で打ち消される。
ガルン人特有の特殊能力も魔法も武器も一切使用しない、ただの肉体戦。たったそれだけだというのに、ニナにとっては理不尽に映るだろう魔法を、世界の理を、身一つではねのける。
「さぁ、ファイさん! まだまだ魔法がありますわよね!? 見せてくださいませ!」
「――〈ゴゴルギア〉」
息一つ乱さず好戦的な笑みを浮かべるニナからの指示に、ファイは精いっぱいで応えることにした。




